ナポレオンの死因 | 月かげの虹

ナポレオンの死因


ナポレオンといっても、あのフランス皇帝ともなったナポレオン1世(ナポレオン・ポナパルト、1769~1821)の話。

ロシア遠征がうまくゆかず、そのあとイギリスとのワーテルローの戦いに敗れ、セント・ヘレナ島に流され、幽閉されたまま、1821年5月5日に亡くなったと言われている。

ナポレオンの遺体は、死亡の翌日、イギリスの軍医によって解剖され、その所見から死因は胃癌であると宣言された。

しかし、解剖に立会っていたフランスの軍医は、これは癌ではないと密かに思い反対したが、勝てば官軍なのか、イギリスの意見が強く打ち出されたのだという話である。

それから140年ほど経った1960年ごろ、イギリスのグラスゴー大学の3人の法医学者、スミス、ハミルトン、ワッセンたちが、ナポレオンの遺髪を使って放射化分析により再度死因究明に挑んだのであった。

イギリスでは、人が死ぬとデスマスクをつくり、毛髪を残しておく習慣があるというのだが、そのためナポレオンのも残されていて、それがスイスのある素封家の手許にあることが判明し、その毛髪を使用したという。

放射化分析というのは、例えばある元素に外から中性子線という放射線を当てるとする。するとその元素は放射能を帯び放射化され、α(アルファー)線という放射線を出す。

それぞれの元素は、出す放射線の半減期とかそのパターンが決っているから、もしAという物質に放射線を当てれば、Aというパターンの放射線が、またBという物質に放射線を当てれば、Bというパターンの放射線が出てくることになる。

したがってAとBが混った物質に放射線を当てれば、AとBがそこに含まれていることがわかる。しかも、放射線を使うので、その被検物は形を壊すことがないという利点もあるというのだ。

ところで、人間の髪の毛には、ナトリウム、マンガン、銅、ニッケル、錫、コバルトなど20種類ぐらいの元素が入っているそうだが、この中でちょっと気になるのは、髪の毛の中には、なんと金も入っているとか。

ただしその量は、ppmという100万分の1グラム単位で検出できる程度の量だから、トラック1杯の頭の毛を集めても、たいしたことはないから、ご安心を!

さて、ナポレオンの髪の毛を放射化分析したところ、毛根から2cmから8cmの部分に砒素が検出されたという。しかも普通の人の砒素含有量は、0.38ppmぐらいとされているが、ナポレオンのそれは、lO.6ppmと普通の人の27倍以上の量であった。

分析したイギリスの法医学者は、これは"異常な数値"として、ナポレオンの死後140年にして問題化したのである。

人の髪の毛は1日に約O.35ミリメートル伸びるから、1ヶ月で約1cm伸びることになる。見方を変えると、ナポレオンの髪の毛の砒素が多く出た毛根から2~8cmの部分は、ナポレオンが死ぬ8ヶ月から2ヶ月前までの期間にあたる。

そこで、この期間に何らかの形で砒素を飲まされたのではないかと推測され、その死因は砒素による毒殺であろうという意見が出されたのであった。

これはかなりセンセーショナルなことで、当時大きく取りあげられたという。ところが、1982年になって、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に毒殺説に否定的な論文が報告された。

それは、ナポレオンが砒素中毒になっていたのは事実であるが、その原因は彼が死んだ部屋の壁紙が、その3年前に張り替えられたのだが、その壁紙の塗料に含まれた多量の砒素によるもので、中毒としては十分考えられる。

しかし、その量は死に至る量ではなかったであろうとし、ナポレオンが死ぬ前に現われた砒素中毒の症状は、意図的な暗殺を仮定しなくても説明できるというものであった。

一方カナダで、ナポレオンの毛髪中の砒素を分析しなおし、砒素は確かに多いが、そのほかに高い濃度のアンチモンが検出されたという報告が出され、20年前の技術では砒素とアンチモンの区別が十分にできず、「高濃度の砒素」というのは、アンチモンが含まれていたためではないかと説明している。

死因については触れられていないが、ナポレオンの死の真相は、再び謎につつまれてきたことになる。死後150年も経ってからの話であり、いまさら論じてもという気もするが、興味ある論争であり、科学というものが歴史を変えることもあると言える話かも知れない。

ところが最近、2002年になってこんどはフランスのパリ警視庁法医学研究所のリコルデル教授が、再度放射光を利用した精密解析装置で、ナポレオンの毛髪、それも死亡時の1821年のもの、生前の1805年と1814年に側近に与えたという3種類の毛髪を使って再度検査を行ったというのである。

1805年、1814年というのは、ナポレオンが皇帝の座についた年に一致するのだが、この検査によると、いずれも5~30倍の砒素が検出され、それも毛髪の先端や根元にもほぼ均等に認められたとなっている。

そして、「皇帝は、生涯に3回も毒を飲まされたのだろうか」と疑問を投げ、おそらく保管用の薬品など外部から付着したのだと思われるという結果を報告したのである。

ナポレオンの死因については、イギリスの陰謀による毒殺説がたびたび浮上し、彼の崇拝者でつくるナポレオン協会などが、繰り返し毒殺の説明に取組んでいたが、この報告により、フランス側の研究者によって毒殺説が否定されるという結末となった。

死因をめぐる論争が死後180年も続くというのは、さすがナポレオンだと感じ入るのだが、本当にこれで結着がついたのか、使用した毛髪の真偽なども含めて興味ある話題ではある。

ある哲学者の言葉に、「私が死んだって、自然は木の葉一枚落としはしない」というのがある。凡人たる私など、それがいい、いやそれでいいと思うこのごろであるが、やはり英雄ともなれば、そりゃあ、大変さあ!

西丸 與一「ナポレオンの死因」
横浜市立大学名誉教授
Vita Essay ヴィタエッセイ

1927年東京生まれ。横浜医科大学(現・横浜市立大学)卒業。同大学医学部長、横浜市総合医療センター長など歴任。神奈川県監察医を務めたあと、1999年から船医として日本クルーズ客舶㈱の2隻に乗り組み、年間約150日の航海を続ける。医学博士。横浜市立大学名誉教授。著書にロングセラーとなった『法医学教室の午後』(正・続)を始め、「法医学教室との別れ』(朝日新聞社)『こころの羅針盤』かまくら春秋社『ドクター西丸航海記』(海事プレス社月ドクター・トド 船に乗る』(朝日新聞社)など多数。

Vita 2006/4・5・6
Vol.23 No.2(通巻95)