嗜癖としての自傷 | 月かげの虹

嗜癖としての自傷


嗜癖としての自傷
リスカとアムカの両方をしている自傷患者は、下肢や体幹といった他の身体部位も切っていることが多く、火のついたタバコを自分の身体に押しつけるような他の様式の自傷行為もよくしている。

またボディピアスやタトゥーのような身体改造……これも広い意味では自傷行為なのであろうか?……を施している者も多い。つまり、「生きるため」にずいぶんと多くの努力をしているのである。

しかしそれにもかかわらず、このような多部位・多様式の自傷患者は、単一部位・単一様式の自傷患者よりも、自殺企図歴を持つ者が多い。また、重篤な抑うつおよび解離の傾向を示す。

彼らはより頻回に、より多くの部位、多くの方法と、自傷行為をエスカレートさせながらも、結局は「生きるため」「死なないため」という目的を達成することには失敗しているように思える。

いくら切っても切り足りないが、といってそれを止めることもできない。まさに嗜癖である。

確かに自傷行為には嗜癖としての特徴がある。自傷経験者の80%が、止めようと決意しながらも自傷してしまった経験を持ち、85%は、自傷は癖になると考えている。

このことは、自傷行為には嗜癖として特性があることを示唆している。嗜癖社会学は、依存性物質だけでなく、「気分を変えるため」の行動にもまた嗜癖化する可能性を指摘している。買い物、ギャンブル、暴カ……。自傷も例外ではない。

自傷行為を麻薬になぞらえて考えると理解しやすい。それは「心の痛み」に対する鎮痛作用もあるが、その一方で、同時に麻薬と同様、「耐性」獲得もあるからだ。

当初は週に1回「生きるため」の自傷をすれば不快感情に対処できていたものが、次第にその効果が薄れてきて、3日にl回、毎日、日に数回と頻度を増やし、より多くの場所を、より深く切らなければならなくなってしまう。

それだけではない、皮肉なことに、自傷によるストレスヘの対処をくりかえすうちに、かえってストレスに脆弱になり、ささいなことでも「生きること」が困難に感じるようにもなってしまうのだ。

だから早晩彼らは、「友人の態度がそっけない」だけでも、自傷しないではいられなくなる。いくら切っても埋め合わせがつかず、「切っても辛いし、切らなきゃなお辛い」という状態に陥るわけだ。

この状態は、アルコール依存症者における連続飲酒の状態……「飲んでも辛いし、飲まなきゃなお辛い」……とよく似ている。