新聞小説「人よ、花よ、」(12) 第十二章「東条の風」作:今村 翔吾 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「人よ、花よ、」第十二章「東条の風」 
492(1/5)~542(2/25) 作:今村 翔吾 挿絵:北村さゆり

レビュー一覧
 連載前情報 1前半 1後半       

  10 11


感想
決起の地と決めた隅田。堅い守りと言われていた隅田城を簡単に落とした楠木党。だが北進する先の紀見峠で邪魔をする吉野衆。
情報がなく疑心暗鬼だった灰左が何ともカワイイ。
だが南朝というより、主上に尽くすとの姿勢に感じ入る多聞丸。
そして細川軍との衝突。
まずは八尾城を中途半端に攻めて細川軍を引っ張り出す。
敵の三千ともいう兵に対し、楠木は吉野衆を入れても八百。
その不利を撥ね退けるのが「花陣」
父正成が編み出した「蕾陣」を多聞丸が発展させたもの。
三段構えの鋒矢陣で細川を撃破した多聞丸。
恥を忍んで高師直に教えを乞うた細川顕氏。山名軍を加え、今度は裏切るなよと釘を刺す師直。
そして山名、細川連合軍との対決。両軍は共倒れを避けて十町もの間を開けている。いきなりの「花陣」は通用せず。
山名に対しては兵を五組に分け、相手も五組とさせた上で「波陣」により大将の組を突き止め、そこに向けて軍を再集中し撃破。これが「濤陣」その勢いを駆って細川軍も打ち破った。

なーんというスペクタクル!毎日がワクワクの連続だった。
まさに寡兵で大軍を打ち負かす典型。
ウィキペディアにもその連勝が「不可思議の事なり」と記載されている。史実がこうやって物語として浮上する醍醐味!
和議という願いが手の届くところまで来たと実感する多聞丸。

しかし戦闘陣形に「花」を冠するとは何と粋な。
小説の題名にも引っ掛けており、思わず膝を打つ。
桜井の別れ茅乃との語らいも桜の花の下だった。

そして物語は最終章の「人よ、花よ、」へ・・・

あらすじ
第十二章「東条の風」
492
上田虎正丸は眼下に迫る楠木党を見て「たった五百ほどだ。勝ちは間違いない」と味方に向けて言い放った。
城内から鬨が上がる。この隅田城は山城で、天然の土塁に守られ岩倉城とも呼ばれている。敵の兵力の少なさに士気も高くなる。

493
楠木党にも喊声が届いている筈だが、構わず距離を詰めて来る。
我らはお主らとは違う、と内心で罵る虎正丸。
数代前に流れ着いた東条と違い、隅田党は鎌倉からの歴史。
葛原は、親子ほども歳の差がある虎正丸の機嫌を窺う。
吉野に叛くつもりがないと伝え、撤退を頼むべきとの進言。
だが評定で決まった事だと否定する虎正丸。
隅田本家は既に滅び、合議制となった隅田は「北朝に味方する」と決めた。一致団結せねばならぬ。この城も北隅田の提供。
もしそれが納得出来ぬのなら隅田党を離脱するしかない。
事実一家だけ出たが、それ相応の報いを受けなければならない。

494
「しかし我らは先帝に恩がある身・・・」それは後醍醐帝の事。
従来争って来たが、それでも隅田党の領地を安堵してくれた。
「それとこれとは別です」今は明らかに北朝が優勢との判断。
ただ、それとは別に思いがある虎正丸。
楠木正成の挙兵時、隅田党はあっけなく敗れた。虎正丸の父が深手を負った時、十五歳の虎正丸が兵を率いて獅子奮迅の戦いを見せた。その過程で後醍醐帝は、従えば所領を安堵すると約束した。確かに恩はあるが、巻き返しを恐れたための対策であれば、己が勝ち取った待遇だと考える虎正丸。


495
吉野衆も動き出したと言う葛原に、青屋の小僧など物の数ではないと言い切る虎正丸。むしろ与しやすい相手。
「相手が正成でないとはいえ・・・」と危惧する葛原に、正成と戦いたかったぐらいだと言う虎正丸。己の軍才の方が勝っていたと自負。せめて楠木党を完膚なきまでに倒して証明したい。
「小倅め、侮りおって」再び怒る虎正丸。五百騎程度の少なさと、これが初陣だという正行。軍勢の旗は「菊水」
「上田殿!」と葛原が叫ぶ。突貫して来る楠木党。
「阿呆め。来い」あまりの無謀さに噴き出す虎正丸。

496
隅田城はそう簡単には落ちない。頭では勝つ流れが出来ている。
漲る自信で「太鼓を鳴らせ!」と檄を飛ばす虎正丸。

戦いが始まって一刻後、馬の背にある虎正丸は
「何故だ、何故だ、何故だ・・・」と魘されるが如く繰返した。
万全の体制だった筈が、今は城を追われて遁走している。
攻める筈の軍勢も楠木党に瞬く間に粉砕された。
葛原が落ちるのを見て恐怖に駆られ、気付けば逃げ出していた。
「何なのだ・・・あいつは・・・」初陣でこれを成すとは。
──父正成を凌ぐ鬼才、という事になる。体を震わせる虎正丸。

隅田城を陥落せしめてから僅か二刻後、楠木党の軍勢は北上。
その中から一騎が上がって来る。大塚である。

497
「お見事でございました」と称える大塚だが、上出来過ぎると己を戒める多聞丸。隅田党の大将になるのは上田虎正丸だと踏み、彼の事を数ケ月前から調べて来た。更に内通者も作っていた。

その内の一人には反対を表明させて、党から離叛させた。
それで、もう内通者は居ないと思い込ませた。
そして攻撃の際には内応する者、降る者多数と触れ回った。
これで一気に隅田党は恐慌に陥り、一刻程で落ちた。

498
「生地殿も驚いておいででしたな」それは生地安澄のこと。
多聞丸とは従兄弟の間柄であり、隅田党なれど内通を疑われ、実際楠木党に同心していた。それ故に南朝方に付くと評定で主張させ、その後安澄は隅田党から離脱した。
紀伊はこれでまず心配ないと頷く多聞丸。降った者への領地安堵は親房の許しを得ていた。帰順は進むだろう。
北朝方も兵糧不足で苦労していると聞いて「親仁が上手くやっているようだ」と言う多聞丸。二人の息子と共に別行動していた。

499
野田は、決起の半月ほど前から畿内の物流網を崩壊させていた。
この地の大名から北朝への兵糧送付を妨害するのが目的。
前方から新兵衛が来た。先陣が紀見峠にかかったとの報告。
一刻も早く紀見峠を越えるのが当面の目的。隅田を押さえるため数日留まるのが常道だが、その裏をかき当日中に峠を超える。

早くも北進の構えを見せる。北朝方に尋常でない衝撃だろう。
再び伝令が来た。

500
先ほどより重い内容との印象。「紀見峠が塞がれております」
想定外の事。ざっと二百ほどの軍勢が陣取っているという。
新兵衛は進軍を一時止め、小勢で探っているとの事。
この辺りで勢力のある北朝は隅田党ぐらいしかいない。
更に馬が駆けて来た。新兵衛である。何とも言えぬ表情。
正体は?と訊くと、敵ではないと言う。要領を得ない。
四半刻後、事態が判明。

501
「話は解った。どいてくれ」「何でそうなる!」
冷めた多聞丸の言葉にいきり立つ青屋灰左。吉野衆だった。
灰左の大声が山彦となって響き楠木、吉野衆も噴き出す。
極秘の決起であり、吉野衆が知るのが遅れた。
それで手柄を独り占めされると思って立ったのだろう、と言う多聞丸に「主上に奉じるためだ」と言い返す灰左。
お前、上田虎正丸に幾度か負けているよな?と言うと悔しがる灰左。それを窘める大塚。横から茶化す新兵衛らも叱られた。

502
朝廷、いや親房は吉野衆へ、楠木に従う勅命を出したのだろう。
不満はあるが、勅命ならば従うと言った灰左。それでもなお
「止めておいたほうがよい」と静かに応じた多聞丸。
吉野衆副頭領の譽田惣弥が、灰左の気持ちを代弁する。
解っていると制し、我らは北朝を討つために戦おうとしているのではない、と話す多聞丸。打撃を与え和議に持ち込む・・・

親房ら廷臣は得心しきっていないが、後村上帝は承知している。

503
多聞丸はそれまでの一切を語った上で灰左に「お前は南朝による統一を望んでおり、我らとは先々で必ず袂を分かつ」と言った。
彼らの信念を有耶無耶にしてまで巻き込む事は出来ない。
「一つ・・・訊きたい。真に主上がそれを望んでおられるのか」
「ああ、確かだ」と返す。「じゃあ、逆賊は北畠ではないか」


意外な言葉に唖然となる多聞丸。得心して頷く灰左。
主上がおわす朝廷だからこその話だ、と言う灰左。
「おお・・・解りやすい」と感心する多聞丸。

504
様々な思惑が交錯する中、これほど明解な考えは清々しい。
吉野衆の、先帝に対する恩義は聞いているが、その思いの深さ。
生まれながらに蔑まれる事の意味は解るまい、と言う灰左。
人手の足りなかった先帝は、藁にも縋る思いだっただろうが、それでも俺たちを必要とし、それで青屋の姓を賜った。
「その先帝の御子が困っておられればお助けする。それで十分だ」と言い放つ灰左。

「解った。力を貸してくれ」と多聞丸。
「そうと来たらとっとと攻め上がるぞ」と腕を回す灰左。

505
「一つだけ条件がある、戦では俺の言う通りに動いてくれ」
「むう」と唸る灰左の肩に手を置く惣弥。「・・・解った」
心配だなと言う多聞丸に、誓いを破ったら明空を譲りますと言う惣弥。血相を変える灰左。それは粟田口藤次郎久国の刀。
「守ればいいだけですよ」「まあ・・・そうだな」
こうして吉野衆が加わり総勢七百を超える軍勢が峠を下る。
並んだ灰左が「お前・・・主上にお目通りしたのか」と訊く。    
二人で話もしたと返す多聞丸に悔しがるが、興味の方が勝る。
「主上はいかなるお顔・・・ご尊・・」「ご尊顔か」「それだ」

506
「普通だ」「そんなことはあるまい」「整った顔立ちではある」
それで納得する灰左。そのうち会えると言うと無邪気に喜ぶ。



楠木軍が東条に入ったのは八月十日の夜半。隅田城攻め当日。
夜更けにも関わらず出迎える百姓も少なくないが、年嵩の者は不安を隠さない。父の世代、戦火に包まれた記憶を持っている。
安堵を口にしても通じない。会釈で応じるしかない。
翌十一日。ここまでの状況整理の評定が開かれた。
一応、軍勢は整ったと言う大塚。直義が軍勢督促状を出し、細川顕氏、六角氏頼に兵を参集させた。楽観していない直義。
「しかし、未だ動く気配はありません」

507
大塚はそこで野田へ目をやった。畿内への物流を止めるために暗躍。だが多数の道があり断つのは七割が限度。それもあと二月。
「十分だ、よくやってくれた」野田親子を労う多聞丸。


現在、和泉の他摂津でも南朝方が蜂起していると言う新兵衛。
熊野も動いた模様だと大塚が加える。隅田党が破れたことで紀伊国にも動きが出て来た。畿内周辺が騒然となる中、楠木党は京を目指して北進の構えを見せている。

508
いずれ北朝方は京に軍勢を集めるだろう。数も楠木党より勝る。
楠木党の侵攻は避けたいが兵糧不足で動けないという構図。
「やはり動くな」と多聞丸。状況打破のため動くしかない。
この河内へ来るか、それとも摂津方面へ進むのか。
慎重な細川顕氏は、いきなり楠木党と衝突して敗れた時、手が付けられなくなると解っている。
しかも今動くには略奪しながらの行動が前提。楠木党本拠の河内では難しく、必然的に摂津へ進出するだろう。
だからこそ楠木党は摂津に出て細川を食い止めようとする。
「と・・・細川は考えている」多聞丸は静かに結んだ。

509
「ということは?」次郎が不敵に方笑んだ。
「細川軍の動きに合わせ擦れ違うよう北進し、京を目指す」
つまり細川軍を完全に無視する。一座にどよめきが起こった。
摂津の豪族を捨て駒にするのかと問う灰左。敵がもし摂津に向かえば兵糧の調達に手間取り楠木党に追い付けないと返す多聞丸。 
「一つ懸念することが・・」と新兵衛。「京を捨てる事だな」
それは北朝が京を放棄して、向こうの帝を動座させること。
かつて、父正成が後醍醐帝に奏上し容れられなかった策に酷似。
「足利の者ならば有り得るかと」と継いだ新兵衛。
後に足利尊氏が父の策を評価したと聞いている。

510
「それはないだろう」多聞丸は首を横に振った。
あの時は南朝方が劣勢で京を捨てる影響が少なかったが、今の北朝は南朝を圧倒しており、京を奪われる損失は計り知れない。
細川顕氏にはあの時の父上になってもらう、と言い放つ多聞丸。

翌十二日以降、多聞丸は東条に留まった。今、京に進めば細川軍の迎撃に遭うだけ。摂津に食らい付くまで待つのだ。
透波からの報告では、北朝勢は首を捻っているという。
一日で隅田党を降し、速攻で東条に戻ってそのまま。
父に似つかぬ愚将だと言う者、企みがある筈だと言う者。
様々な憶測が飛び交っているらしい。

511
この間、多聞丸は合戦準備のための根回しに注力した。
八月十八日、遂に細川軍が動いた。摂津に入り味方と合流。
「速いな」と多聞丸。動くと決まれば迅速。凡将ではない。
楠木党はまだ動かない。噛み付きが甘い。
翌十九日、細川軍は四つに分かれて進軍。大胆なところもある。
軍を分けるのは個別撃破の危険も伴う。だがまだ引き付けたい。
二十二日には南朝との小競り合いもあり、次郎が進言に来たが、まだ首を縦に振らない多聞丸。
二十四日に細川軍は堺に腰を据えた。和泉攻略軍は和田近くに。
「行くぞ」多聞丸が号令を発したのはこの時。楠木党六百に吉野衆二百の総勢八百を率いて、即座に東条を発した。

512
ここで吃驚することがあった。進む先の河内国池尻に屯する細川軍二百ほど。いわゆる大物見。京に行くにも、細川の背後を取るにしても必ず通る要衝。こちらの動きを知るための仕掛け。
多聞丸は間髪を入れずこれを粉砕し、そのまま軍を北進させた。
ここからが難しい。京には尊氏、直義だけでなく師直も居る。
多聞丸に京を攻める意図はないが、そぶりは見せねばならぬ。
二十五日、楠木軍は北東に向かった。向かう先は八尾城。

父がかつて攻めたが、今は北朝の河内方最大の拠点となった。
京に向かう際奪還するのは不自然ではない。

513
楠木軍は八尾城を取り囲んだ。が、落ちることなく九月に入っても事態は進展せず。九月十五日にはついに細川軍が動き出したが城は健在。多聞丸は八尾城を落とす気がない。
怪しまれぬよう攻めの姿勢を見せ、攻めあぐねている体を装う。
「ようやく釣れたか」苦々しく漏らす多聞丸。細川は、違和感を持つものの京からの催促を受けてようやく重い腰を上げた。
楠木軍は細川の接近を恐れた様に、包囲を解いて退却した。
これで多聞丸が思い描いていた舞台が全て整った。



翌十七日、細川軍は藤井寺から動かず。多聞丸は藤井寺の南東にある譽田の森、惣弥の出身地に向かった。
細川軍は八尾城の兵も含めて三千余。こちらは五百程と思われている。京でも楠木党の話題で持ち切り。

514
楠木党の数の見積もりとしては野田の百、吉野衆の二百も加えると八百の軍勢。だが数の上で不利なのに変わりない。
次郎が、自軍が東条まで撤退したと思われているか、と訊くが否定の多聞丸。理由はまた兵糧。我らがこの近くに居るとの推理。
兵糧が尽きるのを待つかと言う新兵衛に「それでは足りぬ」
代案として細川の撤退時に背後を突こうと言う新兵衛。
「細川もそう考えている・・・」と零す多聞丸。
敵の方針を種々考える多聞丸。

515
「だからこそ今日攻める」平然と言う多聞丸に皆が驚く。
大塚のみが「御父上がやりそうなことです」と片笑んだ。
夜襲という案に惣弥は細川の、夜襲への備えを危惧する。
「蕾陣だな」と意を得たりと話す次郎。それは灰左らと戦う時に使う戦法。知らぬ間に突き破るやつか!と悔しがる灰左。
惣弥は理解していたが、灰左含め吉野衆は分かっていなかった。
父正成が編み出した波陣、杜陣、そして蕾陣。
波陣は茅乃を探した時、杜陣はそれを発展させた叢陣として後村上帝を守る折りに実践した。この蕾陣は吉野衆との小競り合いで幾度となく使って来た。

516
蕾陣は鋒矢陣から来たものだと言う多聞丸。太古の昔から伝わる握奇経の八つの陣形のうちの一つ。天から見下ろせば矢の形。


弱点は側面攻撃に弱く、先頭が敵に阻まれれば陣形は崩壊。
父はその弱点を克服するため、敵陣に衝突した瞬間先頭が二手に分かれ斜めに進み、敵陣をこじ開ける。そこに出来た道に第二の鋒矢陣が突っ込む──蕾が開く様に似ているのが名の由来。
感嘆する惣弥だが、実戦運用の難しさを尋ねる。
だからこそ繰り返しの訓練が必要、と返す多聞丸。吉野衆と合流した後はこの訓練に全てを注いだ。驚くほどの上達。

517
「蕾陣はまさに命懸けだ」先陣は敵をこじ開けた後、留まって戦う。いずれ力尽きる。それまでに敵を打ち崩せるか否か。
父は湊川でもこれを用いた。たった七百騎で直義の直前まで肉迫したが、あと一歩で届かず。如何にすれば届き得たか。
長年考えた末に導き出した新たな陣──。
「花陣でゆく」多聞丸は皆に向けてその名を告げた。

九月十七日、戌の刻。楠木軍八百騎は神速で藤井寺に向かった。
敵陣の篝火は薪の調達にも事欠き色味が薄い。
「行くぞ」これは自らに命じた様なもの。敵陣が騒がしくなる。 
が、既に遅い。先鋒の次郎、新発意が敵陣に襲いかかった。


奇襲は成った。「すぐに来るぞ!」と大塚、新兵衛に指示。

518
敵は縦に長く、深い陣。最前線が崩れても立て直せる。本番はこれから。「新発意・・・今日は暴れろ」一町先の相手に呟く。
「和田新発意だ!死にたい奴は掛かって来い!」との咆哮。
先陣が開いたのが判った。次郎は右方、新発意は左方へ。
「進め!」多聞丸の檄と同時に喊声が上がる。第二陣を率いるのは野田と灰左。次郎、新発意の間を駆け抜ける。

519
楠木軍は止まらない。野田と灰左の第二の刃は敵を蹂躙した。
「本陣です!」と叫ぶ新兵衛。進軍が鈍る。本陣を固める者は精兵。野田組、吉野衆が進路を変え、敵を再び押し開いた。
蕾陣が二段ならば、更に一つ先。花陣の正体は三段の鋒矢陣。  
「よし」多聞丸は漏らした。敵本陣まで出来た一筋の道。
そこを疾駆する多聞丸、大塚、新兵衛ら二百五十余騎。
本陣まで行ける、征ける。多聞丸は太刀を抜き払い「衝け!」と吼えた。蜘蛛の子を散らす様に敵は逃散する。
本陣の中には腰を抜かした雑兵が一人。将や近習も逃げた。

520
恐らく花陣の二段目の頃には退却を始めたのだろう。
夜襲とはいえ三千騎を僅か八百騎で打ち砕いた。驚く程の大勝。
楠木党は残った武器物資を奪うとそのまま藤井寺に陣を張った。
京まで逃げるのか、途中で踏み止まるか。結果は後者。
細川軍が陣を張ったのは高安郡教興寺。かつて父が討死した後に拠点とされた所。河内の中でも最も通じている地。
翌十八日、様子を探らせた。知りたいのは「兵糧の有無」
ただでさえ不足なのに置き捨てて逃げた。近隣で兵糧を集めているとの報告を受け「それは悪手だ」と呟く多聞丸。焦りがある。

521
翌十八日、楠木軍は藤井寺から動き、丑の刻に再び花陣で攻撃。
細川軍は前と同様に敗れ、何故かも判らぬまま京へと敗走した。

高師直は、自らに頬を叩きながら「夢じゃあないな」


眼前の細川顕氏は平伏し、唇は紫。「何卒、何卒」を繰り返す。
脇に控える師泰にも「夢じゃないな?」とダメ押しの師直は「厚顔無恥」と言い放つと向こう(直義)に助けて貰えと言った。
直義では楠木の戦の正体は掴めぬと言う顕氏。十日前に二度続けて数に劣る楠木軍に大敗した。京の者全てが震撼。
当初、楠木正行を「父と子は違う」と甘く見ていた者もいたが、あの細川顕氏を破った事で評価は一変。

522
北朝の前左大臣 洞院公賢などは「不可思議事也」と評した。
顕氏は直義から激しく叱責された。このままでは師直待望の声が出てしまう。尊氏に呼び出された直義と顕氏。黙って見過せず。
師直を出していち早く軍の再編を主張する尊氏だが、それだけはやりたくない直義。そこで今一度顕氏にやらせてはと提案。
師直を出すよりましなので、それを了承した直義。
雪辱を果たす機会を与えられたものの、喜べない顕氏。
何故己が負けたのかが解らなければ、再び戦っても勝てない。

523
このままでは過日の二の舞い。万一負ければ領地没収、切腹もあり得る。せめて楠木軍の突破力の秘密だけでも明かしたい・・・
だが誰に相談しても答えは出ず。それで恥を忍び訪ねて来た。
「何卒・・・何卒・・・」ちと意地悪が過ぎたととりなす師直。
正直驚いたと本心を語った師直に、あの男は決して凡庸にあらずと返す顕氏。「詳しく聞かせてくれ」
覚えていること、家臣たちの言葉を詳らかに語らせた。師直からも質問する。そんなやりとりが四半刻ほどした時、
「なるほどな」と腕を組んで頷く師直。

524
不安げな顕氏に、湊川で同じ様なことがあったと話す師直。
楠木正成最後の戦。三十倍もの開きがある直義の軍勢に突撃し、本陣の寸前まで迫ったという。正行はそれを受け継いだのだ。
それを食らったのは直義、結局判らないと皮肉を言う顕氏。
「いや、凡そは見えた」「真ですか!」「鋒矢陣よ」「・・・」
「ただの鋒矢陣ではない」と、用意させた紙に筆を走らせる。


「鋒矢陣が二つ・・・」第一の鋒矢が開いて敵をこじ開け、第二の矢が突っ込む」その様なことが出来るでしょうかと問う顕氏。
かなりの教練が要ると返す師直は、改めて感心した。
女に負けぬほどの軍学好きを自負する師直。

525
が、これまで二段の鋒矢陣など考えも付かず。寡兵での戦いを強いられた楠木家なればこその戦法。更に正行は三段でやった。
言葉を失う顕氏。正成が生き返った様なものと思え、と聞き身震いした。止める術は?と訊いても「無い」「そんな」唇を噛む。
止めるのは難しいが、せめて浅くするしかない。突撃箇所の強化を言う顕氏だが、相手に合わせて進路を変えているのだと言う。

526
「つまり・・・」「一刻も早く集まる。それに尽きる」とにかく敵に向かって行き、早く次の鋒矢陣を出させる。
「本陣に至るまでに鋒矢陣を使い切らせればこちらの勝ち」
感謝する顕氏は「執事殿に同心致します」と言った。笑い返したが全く許していない師直は、顕氏が楠木を奪ったらそこを動かないで欲しいと頼んだ。最大の手柄、吉野攻略は己が成したい。
承知と答える顕氏は、僅かな躊躇いを見せた。命によっては咎められる。楠木を討てば手柄は十分だろうと言う師直。

527
不安げな顕氏に、今度裏切ったら殺すと凄む師直。絞る様な謝辞を述べ退室した顕氏。「調子のよい事ですな」と呆れる師泰。
また、わざわざ教えてやって良かったのかと訊く。


理由は三つと言う師直。一つは山名。直義が呼んだ山名時氏。
顕氏に負けぬ驍将。これが加われば己の助言なくとも勝ち得る。
それよりも今回の誘導の方が良い。
二つ目は楠木の思惑。和議のため、己に接触を図るやも知れぬ。
「三つ目は?」「次も楠木が勝つような気がする」
嘘をお教えになったのですかと訊く師泰。

528
生き返った様なものと思えと言った。手の内を見せた時には奥の手を用意するのが楠木正成。正行の動きが楽しみな師直。



楠木軍が大勝した事は日ノ本中に衝撃を与えている。東国の小山氏、小田氏などが南朝に復帰して蜂起。
互角にに戦っていた九州でも更に味方する豪族が続出。
その間、多聞丸は一度軍を東条に戻していた。親房からは、この勢いで京へ攻め込んではと催促が来たが、はきと断った多聞丸。
京は、奪っても物量面で維持困難であり再奪取される。
それよりも大きな勝ちを重ねるのが重要。戦の一切を任せているため、親房の催促も強くはない。
「動きました」と大塚が報告して来たのは十月二日の朝。

529
昨日一日、細川、山名両名の軍勢が東条制圧のため京を発した。
まずは摂津の掌握をして兵糧確保に繋げる思惑。
「行こう」十月四日、多聞丸は再び軍を発した。

物流遮断の時期は終わり、その対応者や隅田党の押さえも呼んで、こちらの軍勢は約千騎。しかし北朝の軍勢は山名の兵も合せて実に六千を超えたという。北朝が摂津に至ったのは七日。行進速度が遅いのは、腹を括っているからか。焦られる方が楽。
楠木軍は北の八尾は目指さず、西の堺へ進出。それは北朝軍を試すため。野田荘で一度進軍を止め、堺に入ったのは八日。

この時、細川軍は天王寺。山名軍は更に南の住吉まで進出。
ここから二つ判明。

530
一つは、向こうも透波を使い楠木軍が南から攻めることを知っているから。もう一つは花陣をかなり警戒しているという事。
陣の長さが常識の範疇を超えて一里以上と長大。
それは正しい判断。前回同様の花陣を仕掛けるのは不利。
「叢陣を布く」と命じる多聞丸。攻撃して来れば散り散りに敗走して東条まで引きずり込む。そして伏せた兵で一気に捕る。
だが三日、五日経っても動かず、十月末になっても同様。
「間違いない。頑として動かぬつもりだ」と結論を出す多聞丸。
危険を減らすための攻撃待ち。それは次こそ勝つという決意。
多聞丸は和議を引き出すため七度の勝利が必要と考えていた。

531
しかし隅田党の攻略、多勢の細川軍を二度破った事で、予想以上の衝撃を与えている。あと一、二度勝てば和議出来るかも。
ここで細川、山名の軍を破れば次は必ず師直が出て来る。そしてそれを破りさえすれば和議は確実。ただ、直前の敵が大きい。
「何故、仕掛けぬ」険しい顔の灰左。容易く言うなと多聞丸。
「花陣ならば行ける」その元となる蕾陣に幾度も負けている灰左ならではの言葉。だが花陣を大きく見積もり過ぎ。
山名、細川の間に十町の切れ目があり、仕掛けても続かない。
「ならば件の・・・」と言い掛ける灰左を止める多聞丸。
「それは奥の手。まだ使いどころではない」

532
奥の手を披露する時には、別の奥の手を用意するのが父の教え。
「今は辛抱してくれ」多聞丸は自らの意思でそう決断した。
十一月が来ても北朝軍は動かず。ただ方々から荷駄が運ばれた。
兵糧不足も解消され、次に山名軍は運び込んだ木材で小屋を作り始めた。それは即ち、冬を越そうが梃子でも動かぬという証左。
「あと数日のうちに来るだろう」次郎が天を見上げて言ったのは十一月二十三日の夕刻。山の天候に慣れている次郎。


その次郎が来ると言うのは、──雪。である。

533
多聞丸はかねてよりこの時を待っていた。「こちらから動く」
と宣言。雪が降ったら仕掛けるということ。
雪が降れば小屋に入る者も多くなり見張りも減る。。
ただ、幾ら雪の日の奇襲でも本陣までは望めない。ましてや一里先の細川軍まで貫くなどはあり得ない。思案の時を奪えば十分。
新兵衛に地図を用意させた多聞丸。如何にこの膠着を崩すか。
「波陣を用いる」「ほう・・・波陣ですか」野田が驚いた。
波陣は索敵のためでは、と父に代わり訊く弦五郎。
「その通りだ」頷く多聞丸。本来は広範囲の索敵に用いる陣形。

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会戦においては役に立たないどころか各個撃破の危険が増す。
「此度はこのようにする」と木製の駒を使って説明する多聞丸。

まさかこの様な使い方があるとは、と感嘆する野田。
どこまで悪知恵が働くのだ、と呆れる灰左。
例によって大塚が命名を訊くと「濤陣だ」と多聞丸。



二日後の十二月二十五日 戌の刻。粉雪がちらつき始める。
夜が深くなっても雪は止まず、空が白み始める頃には楠木軍千騎余は堺を発し、住吉を目指して突き進んだ。
遠くに浅香浦が見えた。ここを越えれば住吉までは一里足らず。

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楠木軍は、止む事のない雪の中で霧を纏ったかのように駆ける。
だが敵も気付いてはいる。迎撃準備を整え突出して来るだろう。
時を待っている石掬丸らを抑えながら数町突き進んだ時
「今だ」と合図を送る多聞丸。鉦が鳴り全員が一斉に動き出す。
二百騎ごと五つの組が散開。東は野田、北東は次郎と新発意、西は大塚、北西は吉野衆。そして中央が多聞丸。補佐は新兵衛。
頃合いを見て新兵衛が緩めようと進言し、受け入れた多聞丸。
中央組は速度を落とし、完全に停止した。

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見下ろせば所謂鶴翼の陣に酷似。山名時氏は訝しんでいる筈。


包囲する攻撃を受けても山名軍は五千。然程の被害は出ない。
また山名を擦り抜けて細川軍を奇襲する「中入り」も、もし失敗すれば壊滅的な被害を蒙る。または火計を仕掛けるかも。
だが楠木軍は既に眼前。考える時を奪うための奇襲。
「波陣・・・行け」濤陣の間違いではなく、ここは波陣。
中央の二百騎のうち五十騎が、五人一組の十組となって散った。
山名軍の動向を命懸けで見定める。─来い。と心で言う多聞丸。
頭で何度も描き、大塚らと検証もした。だが賭けには違いない。
平然とはしているが、胸は鼓動。その時、天を衝くほどの歓声。
「掛かったぞ」思わず拳を握る多聞丸。山名軍が動き始めた。
凡将ならば動かなかっただろう。

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しかし十組の物見はまだ戻らず。如何に動いたかが重要。
多聞丸は舞う粉雪の奥を凝視し続けた。一組、二組と戻る。
「何手だ?!」待ちきれず訊く。石掬丸が整理し「五手です!」
夫々千騎で総勢五千の兵を均等に当方の五組に向かわせている。
「評判通りか」並みの武将なら本陣に兵を残して五組を向かわせる。だが山名は全てを五組に分けた。そのどれかに時氏が居る。
本陣を落とせば総崩れ出来るが、こちらの方が厄介。
戻った物見は六組。残りは未だ探索を続けている。深入りして、伊田三郎兵衛という三十路手前の郎党が死んだ。情報を仲間に託したという。戻った物頭は再び出向いた。

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ここからが核心。「頼む」物見は再び雪の中に消えた。
全体を五つに分け、それぞれ十、つまり五十組の物見が時氏の属する軍を探っている。遅れれば夫々が五倍の敵と戦う羽目に。
会戦の前にそれが探れるかに全てが懸かっている。
「来ているな」山名軍の千騎が刻々と迫っている。
まだか、まだか・・・その時激しい鉦の音が鳴り響いた。
「東だ!」多聞丸が吼えると同時に中央組が駆け出した。


他の組も次いで合流。最も遠い吉野衆も驚くべき速さ。

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「いけるぞ」多聞丸に呼応して香黒の脚が速まる。当初予定よりかなり早い。敵は目標の消失に困惑しているだろう。ただ、多聞丸の脳裏にはこの戦場の盤面がまざまざと描かれている。
山名のみならず弟 兼義、子息の師氏も居るかも知れない。
揃いつつある陣営。次いで大塚、最後に灰左が合流を果たした。
楠木軍が五つの組に散じたのは、山名軍も五組に分けるため。
その中から大将の居る組を探索し、再合流して叩く。
これこそが濤陣。の正体。咆哮する多聞丸。「行くぞ!花陣!」

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山名軍も一手ずつは千余騎でこちらと同等。十分に勝機あり。
突き進む楠木軍。相手の吃驚が見て取れる。「貫け!」
多聞丸は景光を抜いて掲げた。
野田組の第一陣が深く刺さり、それが開いて新発意らの第二陣の猛攻。山名軍の半ばをとうに過ぎ、深くまで噛み付いた。
「和田新発意!山名兼義が首、討ち取った!」湧き上がる喊声。
「第三陣、皆で進め!」道が拓く。その先に大将らしき姿。

楠木軍は山名軍を粉砕した。大将山名時氏の居た一手だけでなく残り四手も打ち砕いた。それは敵が順々に来たため。

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副将格の山名兼義は討死。山名師氏は重傷。大将山名時氏にも大塚の配下が一太刀浴びせたという。ともかく山名軍は壊滅。
「このまま細川も討つ」と決断を下した多聞丸。六千もの敗残兵を収容するなど無理。この機を逃す手はない。
その混乱の渦中にまたもや花陣で切り込む。
こちらの思惑通り、ある時を境に細川の兵が逃げ出した。潰走。
追撃の手は淀川にまで差し掛かった。唯一の渡辺橋に兵が殺到。
溺れる者が続出する中、追撃を止めた多聞丸。これ以上は虐殺。


「あの者らを救え」と指示を出す多聞丸。。
戦は恐ろしい。人を魅惑する。しかしそれに囚われてはならぬ。
和議のための、泰平へ導く手段だと自戒。

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そして今、果てしないほど遠かった願いが、手の届くところまで来ている。