新聞小説「人よ、花よ、」第五章「弁内侍」(5)作:今村 翔吾 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「人よ、花よ、」(5)181(2/17)~218(3/27)
作:今村 翔吾 挿絵:北村さゆり

レビュー一覧
 連載前情報 1前半 1後半       

  10


感想
父が没してからの楠木党を支えてくれた大塚惟正。その大塚に北朝へ降りたいと話して同意され、安堵する多聞丸。
だが同じ北朝でも足利直義、高師直という二大派閥のどちらに付くかが問題。透波と物流でそれを探る。
そんな話の端に出て来たのが弁内侍。
南朝の美女を師直が狙っていると聞き、いっそ我らで押さえるか、と皆を驚かせる多聞丸。
そして出て来た高師直が、これまた好色丸出しのエロ親父。
だが好色だけでなく、配下になる事を願い出た金毘羅残党に、殺し合って半分になったら召し抱えると言い渡す残忍さ。

「弁内侍」との標題の割りに、本人はまだ出てこない。ただ202話の挿絵でわずかに点三つの顔は出ているが。
これで美女に見せる挿絵作家の力量に脱帽。

その翌日203話での、女孺の嫉妬心モロ出しの挿絵も秀逸、

話を戻して
弁内侍を攫うのに、以前彼女の世話をした梅枝を買収してニセ手紙を書かせるという師泰。その顛末は次章に・・・・

まず直義派、そして師直派の線も残すというのが多聞丸の作戦だが、師直なんぞに付いた日にゃ、半分に減らされるデ(やめときー)

そして次章は「追躡(ついじょう)の秋」
追躡とはあとから追うこと。追跡。さて、何を追跡するのか?


あらすじ
第五章 弁内侍 
181
青屋灰左と吉野衆を奪還してから一月ほど経ったある日、大塚惟正が十数人の郎党を引き連れて来訪した。
「御無沙汰しております」と母に向けて慇懃に挨拶した。
「何かあったのですか」と母。大塚は楠木党の重鎮であると共に、南朝より和泉国守護代も拝命し多忙なのに、と考える母。
ちらりと大塚の横顔を見たが、相手はこちらに一瞥もせず。
何事もないが、無沙汰を詫びると共に「御屋形様にたまには顔を見せろと叱られた次第」と続けた。

182
大塚は褐色の頬を緩めた。精悍な風貌に女のみならず、男さえも見惚れたという。当年で三十四。
「そうですか、呼びつけて申し訳ありません」と言う母だが、やはり大塚に会えて嬉しそうではあった。
頃合いを見て母との話を終え、共に離れへ移った。
すまない、と切り出す多聞丸。母への説明は大塚の配慮。
多聞丸が正式に当主になるまでは、大塚が随時母と連絡を取って意見を聞いていた。一時は滅ぶ寸前まで行った楠木党。
「軽はずみだったかも知れぬ」後悔を口にする多聞丸。
悪党とはその様なものです、と言った大塚は、若い頃御父上に幾度も叱られたと続けた。在りし日の父と若き大塚を思った。

183
父は大塚を可愛がり、またその才も認めていたため、湊川の時には説得して後を託したのだ。
金毘羅党が、次はうちを的にかけるつもりだったと言う大塚。

故に、多聞丸が吉野衆に与して本拠を衝くとは思ってもみなかった様だ。あの一件のあと、すぐ大塚に使者を飛ばした。
御屋形様は暫し鳴りを潜めて下され。後はこちらで、と大塚。
その後透波(すっぱ:間者)を出して探らせたという。父の死後、大塚に受け継がれていた。
「皆、無事か」金毘羅党の鉄壁の情報網。かつて和田兄弟が彼らと揉めた時、大塚は透波を入れようとした。

184
その時は守りが厳しく、数名は戻らなかった。
だが今回は、いともた易く入れたという。混乱している証か。
透波たちの情報では、物流が完全に止まっている。
加えて、金毘羅党から日に日に人が抜けているという。
「金毘羅党はもう終わりとみてよいかと」と言う大塚。
大塚の診立ては、義方は外向きだけでなく、内部の者にも姿を見せなかった。それは臆病の証し。
それ故、全ての実権を持つ義方が死んだとたん崩壊した。
「なるほど、そうかもしれないな」

185
「その点、御父上は大きく違います」はきと断言する大塚。
一人で出来る事には限界があると理解し、適材適所を見抜いて任せた。父の最も抜きんでた才はそれだと大塚は言った。
御屋形様はその血を受け継いでいると続ける。自分に透波、野田に物の流れを任せている・・・
「それはそのほうが上手く回るからだ」「それですよ」
ただ、これからは相談してくださいと言う大塚に、素直に詫びた多聞丸。南朝のために起ったと思われたくないための策。
大塚にはまだ、北朝に付こうとの思いを打ち明けていない。野田と話した後、書状で話したいと伝えてから会えていなかった。
「例のことでしょう」大塚はいきなり核心を突いた。
「ああ、そうだ。お主にも話さねばならぬ」
居住まいを正す大塚。

186
「朝廷からまた使者が来た」先日当家にも来たと返す大塚。
大塚の元に来たのは二度目。いずれも断っている。
「もう煙に巻く訳にもいかない・・・」「如何になさる」
「北朝に付こうと思う」多聞丸は意を決して低く言い放った。

しばし無言の時が流れる。黙考の後口を開いた大塚。
「御母堂様には?」「すでに」その時の様子を話す多聞丸。
「そうですか・・・」野田に話した時より緊張。憤慨が当然。
「よいでしょう」と大塚「真か」多聞丸の方が吃驚。
お前の戦いを無駄にしてしまう、との言葉に、無駄にはなりませぬと返す大塚。

187
足利家は、父の死後容易く河内、和泉を奪えると思ったが、それを阻んだ大塚。手強さを痛感させている。
交渉に臨むにはこれが役立つ。それなりの待遇にも寄与。
拙者にとっての大事が楠木家であるだけ、と言う大塚。
桜井の駅にもいた。南朝には十分義理は果たしたとの考え。
「すまない」深々と頭を下げた多聞丸。感謝の思いしかない。
それより、ただ降ると言っても簡単ではないと言う大塚。
「誰にするか決めねばなりませんな」
窓口を誰にするか。足利家の二つの派閥。一つは尊氏の弟直義。もう一つは執事である高師直。対立こそ見えないが小競り合いはある。

188
楠木家は河内、和泉を治める程度の規模だが、南朝忠臣の象徴としての扱い。北朝に鞍替えした時の衝撃は大きい。 
北朝は一気に南朝を吞み込むだろう。その時に両派閥が争う。
そのために窓口選びが難しい。大塚にも、こればかりは難題。
「調べるしかないか」「左様、念入りにやるべきでしょう」
そこで大塚が条件を出した。この調べについては内密にする事と、その実行は大塚と野田に任せること。
大塚は透波を、野田は物流網を用いて調べ、検証する。

189
探っている事は次郎にも隠した方がいいと言う大塚。和田の弟(新発意)などはもってのほか。余計な難儀を招く。
ただ、新兵衛には告げてよいと言う。後継として場数を踏ませる。父が大塚にした様な事を、同じように考えている。

三つ目として言ったのは、北朝に鞍替えしたら即座に吉野へ攻め込む。それが最も早く戦を終わらせる道。
先鋒は大塚が務め、多聞丸には動かぬ様にと言った。
汚れ役を一手に引き受けるという事。

190
「これも楠木が生き残るためです」凛然と言い放つ大塚。
南朝からは裏切りと言われるものの、吉野攻めにせめて当主不在の方が印象が和らぐ。
「あとは後村上帝を真っ先に庇護するためだな」と言う多聞丸。  
そこまで見抜いていたのを意外に思った大塚。話が早い。
南朝が滅べば後村上帝は良くて島流し、最悪暗殺される。
そうならぬため、楠木家が庇護する。大社の宮司の道もある。

191
まだ十年ほどは戦が続くと言う大塚。強硬派の存在。彼らがもし後村上帝を伴えば、また別の国で新たな南朝再興を図る。
だがこちらの手の内に後村上帝があれば、別の新帝を擁立してでも、との動きを削ぐ。強硬派から帝を引き離すと言う大塚。
大塚が武名を馳せているのは、常に政局を見据えている故。
一朝一夕で考え付く構想ではない。桜井の駅での多聞丸を思い、この案が捨てきれなかった大塚。
「有難い」申し訳なさよりも、有難さの方が勝っている。
徹頭徹尾、楠木党のことが第一。他事を思えば迷いが出る。
故に単純に考えると言った大塚。

192
大塚に打ち明けて荷が軽くなった多聞丸は、疑問を口にした。
「帝はどうお考えになるだろう」北朝に降ると共に吉野を攻め、帝を庇護する。肝心の後村上帝は納得するか。
父 後醍醐帝の様に、強硬派と合流しようとするかも知れぬ。
「こればかりは・・・」大塚は顔を曇らせる。南朝を牛耳る強硬派次第。帝が一番の強硬派かも。
強硬派を瓦解させる手が無いでもないと言う大塚。
吉野攻めで、逃げる者は追わぬ方針だが、混乱に乗じて首魁を討ち果たす。
だが帝が強硬派だった時は、楠木に対し怨嗟を募らせる。
「帝の御意志を確かめられれば良いのだが・・難しいだろうな」

193
もし参内しても御簾越しに会えるだけ。
「そもそもあの方が容易く討たれるとは思えぬが・・・」
それは強硬派の首魁。強靭さ、執拗さは並みでない。
「北畠親房・・・殿か」敢えて諱を口にする多聞丸。

名門の北畠家。後醍醐帝崩御の後、政を掌握した。
准大臣ではあるが、もはや南朝一の廷臣。多聞丸に参内を働きかけているのも、この親房と見て間違いない。
彼を説得して翻意させるのはあり得ない。討つ以外に強硬派の勢力を挫くことは出来ないのだ。

194
今は足利の内情を探りましょうと言う大塚。野田には大塚が伝え、新兵衛には多聞丸が伝える。一月後ここに集まる。
もうよいぞ、の声を受けて、石掬丸が白湯を持って来た。
「今日のことは他言無用ぞ」と言う大塚に「承知しております。たとえ八つ裂きにされても口外しませぬ」と言う石掬丸。

大塚との面会からちょうど一月後、かの四人(多聞丸、大塚、野田、新兵衛)が集まった。
新兵衛は腑に落としたものの、事の重大さに顔が強張る。
まず大塚が、次郎様に気付かれていませんかと訊く。
心配ないと言う多聞丸。今は己の代理で村を回らせている。

195
新発意が気付いていない事を新兵衛から聞いた大塚は、本題を切り出した。結論を言えば、足利の内実はまだ不明瞭。

現状、直義と高師直との対立は深刻ではない。
各派閥が形成されつつあるのは確かだが、勢力は直義の方がやや勝っている。ただし求心力を高めているのは高師直。
武士や寺社が簡単に土地を支配出来る仕組み「執事施行状」を考案し、支持が増えているという。
一方守護、地頭級では不快感を持つ。

196
つまりは少数の身分の高い者は直義、多くの身分が低い者は師直支持という事。「一長一短だな」と多聞丸。
師直伸長の根拠は、戦に強いからだと言う大塚。戦に臨めばほぼ無敵。唯一、後醍醐帝の命で新田義貞が足利を攻めた時、わざと負けたのだという。それは尊氏を奮起させるため。
思惑通りに尊氏は戦った。直義と師直の共謀説もある。

197
「見えて来たな」と言う多聞丸。「現段階では直義派へ。しかし師直派の線も残すことでよいか」大きく頷く大塚。
両者への取り持ちが必要だが、まず直義派へは野田が物流のツテで畠山直宗から行けば繋がると言った。
師直への道筋は、ちと苦労したと言う大塚。父の師である毛利時親の名が出る。

198
毛利家は、大江家の流れから朝廷書物を管理してており、日ノ本最古の兵法書「闘戦経」もその中にあった。父はそれ見たさに当主の毛利時親に頼み込み、一年ほど読み込んだという。
数年前亡くなった時親。その一族はなお健在。子 貞親、孫 親衡、曾孫 師親。だが、ちとややこしいと言う野田。それぞれが南朝、北朝双方に関わっているという。
そして師親は、師直の弟 師泰から偏諱を受けるほど親しい。
その師親へのツテが直接にはない。
時親の息子 貞親は出家して南朝に居るため、繋ぐのは簡単だが、南朝側に話が漏れた時は大変な事になる。


199
「では、どうする」「親衡を頼ります」
野田の話では、親衡は反骨の男。北朝に帰順しても、返り咲きを狙って高師泰に子の師親を近づけた。この話には必ず乗る筈。
だがこの親衡とも面識がない。物流拡大を理由に、貞親に紹介状を書いてもらおうと言う野田。
要は貞親、親衡、師親、師泰、師直という道筋。
よくぞ見つけてくれたと言う多聞丸に、次の話をする野田。
噂の域と断りつつ「弁内侍をご存じですな?」と訊いた。
「弁内侍・・・女房三十六歌仙か」それは後嵯峨天皇の皇子 久仁親王の内侍として仕えた春宮弁(藤原信実の娘)

200
その生活を描いた「弁内侍日記」により後世、女房三十六歌仙の一人に選ばれた。今から百年も前の人。
だがその弁内侍ではないという。
右中弁、日野俊基の娘だという。父の官位名から来たものか。
以前、灰左が熱心に話した女官と聞いて思い出した多聞丸。

それに高師直が酷く興味を持っているとのこと。大塚も同意。
灰左が腰を抜かしそうになった話を思い出す多聞丸。それほどの美女なら、北朝の高師直が興味を持ってもおかしくない。

201
高師直の郎党が、弁内侍の立ち回り先を訊き回っているとの話を野田がすると、師直の好色を認めつつも、そこまで愚かではないだろうと返す大塚。南北朝の争いも小康状態の今、師直が南朝の女官を拘引すれば一大事。その危険を冒してまでの理由がある?
その時、新兵衛が若い者らの噂を話す。
「弁内侍は、日野俊基殿の子ではないのではないかと」

202
「何だ、それは」と野田が苦笑するが、大塚が先を促す。
朝廷の使者として弁内侍が寺社に出向くのを聞きつけ、一目見ようと駆け付ける者も多い。

そんな中、帯同する女孺(めのわらわ)にまず声をかけた若者がいた。結果、その者は女孺と親しくなる。
「やりおったか」と膝を叩く野田を窘める大塚。「すまぬ」

203
続きを話す新兵衛。女孺と隠れて会うようになったものの、若者の目当ては弁内侍。なんとか取り持ってもらいたいだけ。
嫉妬した女孺は弁内侍を「誰の子とも判らぬ御方」と言った。

詳しく聞くと、弁内侍は嘉暦二年生まれの二十歳。十三歳で朝廷に出仕したが、次官の典侍に異例の抜擢をされた。
それまでどこにいたか分からず、また彼女が俊基の正室の子だという記録もない。噂は内侍司の中でも語られているという。
妾腹として外で育てられなのなら辻褄は合う、と言う野田。
それに疑問を呈する多聞丸。大塚、新兵衛も同意。

204
弁内侍が日野殿の子ならば、嘉暦二年に生まれるのは無理だ、と話す多聞丸。その三年前の正中元年、「正中の変」で捕われた俊基。罰は受けなかったものの六波羅の監視を受けた。
家族でさえ会えない時期が元徳まで続いたという。
また多聞丸が生まれた嘉暦元年は地震、疫病のため正中三年から改元されたものであり、その点からも後醍醐帝周辺の監視が厳しかった。

 

205
決着した正中の変について再調査され、その尋問対応で俊基は、弁内侍の母となる女と近付くことも叶わなかった筈。
弁内侍の実年齢が違うか、別に父がいるだろうと言う大塚。
当時、南朝の忠臣と言われた者はほとんど詮議を受けており、女をどうこうという時ではなかったと語る野田。
「それより、何故日野殿の子としたかだ」多聞丸最大の疑問。
いずれにせよ、真の父は弁内侍を子と認められない事情があり、その彼女に高師直が強い関心を抱いている。

206
「ふむ・・・」野田の相槌のあと続く皆の沈黙。遠雷の音。
ここの全員が弁内侍の真の父だと思う人。が、口に出来ず。
「あり得ぬ話ではないのだろう」と多聞丸。己がその人に会ったのはただ一度。状況を見ての推察に過ぎない。
出生はさておき、高師直が接触しようとしている。推察が当たっていれば、攫うこともあり得る。指を咥えては見ていられない。
「報せますか?」と野田。だが「どうだろうな」と大塚。纏まりのない今の南朝では、狼狽して事態悪化の恐れもある。
「我らで押さえるか」多聞丸の言葉にぎょっとする野田。
「帝に近付くきっかけになると思っているのでしょう」苦笑の大塚。
弁内侍の秘密を握ったことで、相手が動きを見せた時条件を出せば、帝のみとの謁見も可能かも知れない。

207
やってみる価値はある、と大塚は透波を使って探ると言い、野田は弁内侍の動きに合わせて待ち構えるという。
「私は如何にすれば?」と言う新兵衛に野田が、新発意に知られぬのが一番の仕事だと言って呵々と笑った。
「よし・・・皆、頼む」多聞丸の締めに皆が頷いた。



一条戻橋の北にある堀川に、幾艙もの舟を繋いだ橋がある。
高師直の屋敷はこの地にあった。陽が落ちれば静寂に包まれ、風が強ければ舟どうしか擦れる音が聞こえるほど。

208
その様に静かな中、屋敷の一室だけは異様な声が渦巻く。
一つは野獣の様な咆哮、もう一つは括られる雌鶏のよう。それが延々と続き、知らぬ者は獣、鳥、蛇が合わさった鵺でも居ると勘違いするだろう。やがて声が絶えた。
「ふう」片割れの高師直はごろりと仰向けになる。滝の汗。
「生きておるか」鵺のもう片割れに声を掛ける高師直。
女の白い乳房、腹が呼吸と共に上下する。衣類は散乱。
「はい・・・」呼吸を整えてようやく返事。
「正気ならば名乗ってみよ」「早瀬・・・・です」「よし」
早瀬は西園寺家の庶流である洞院家の女。洛中で見掛け、無理やり渡りをつけて今に至る。良い女と思えば抱く。
十中八九はやり遂げる。

209
「早瀬、帰るか」と言う師直に「え・・・もう外は暗く・・・」
「車を出してやる」牛車である。こういう時に備え一台ある。
もう少しおそばに・・・としなを作る早瀬。
来た、と顔を歪める師直。褥を共にした女の決まった反応。

今は一刻も早く一人で寝たいが、邪険に扱えば次に手間取る。

やらねばならぬ事を思い出したと言う師直。それは事実。
最近では尊氏の弟 直義との派閥争いで忙しい。
「兄上!」廊下から足音と共に呼ぶ声。弟の師泰。
「おお、ここだ。入れ」弟が気を利かして来たのだと思った。
「兄上、今しがた・・・・」襖を開けて固まる師泰。

早瀬の悲鳴。

210
困惑した師泰。「好きですな」「お主もだろう」「兄上ほどでは」
急ぎ相談したい事が三つあるという。
早瀬を気にする師泰だが、構わぬと言う師直。
一つ目は、師泰の屋敷で透波らしき者を見かけたという。
「あれか?」と聞くが、直義の手の者ではなさそう。
「恐らく楠木党・・・大塚の手の者ではないかと」
見た者の話では並の者ではなく、それが思いついた。
「ならば珍しい」この数年、北朝に対しては静観の楠木党。

211
優れた透波が、気付かれるほど踏み込んで探って来た。
「こちらからも探れ」の言葉を予想して、すぐに動いていた師泰。
二つ目はあの女官のこと。弁内侍という内侍。今、この女官を拘引出来ないかと画策している。
一計を案じると言った師泰の前で自らの股を覗き込んで、白いものがあると頭を抱え込む師直。話を引き戻す師泰。
件の女官は十三歳まで三位行氏(さんみゆきうじ:日野行氏)の元にいた。
それは日野俊基の兄であり、弁内侍の伯父だった。

212
弁内侍は極力目立たぬ様に育てられた。日野行氏の妻、北の方に仕えていた梅枝(うめがえ)という女が、弁内侍が南朝に出仕した時期、共に付いて行った。後に梅枝が、老母を看るため弁内侍の元から辞したのでそれが知れた。
その梅枝を使い、北の方がお会いしたがっていると告げさせる。
偽文で騙す・・・不便な吉野での暮らしを思い涙の日々。京に来て頂くのも吉野に行くのも困難なれど、河内国の高安なら知人宅でお会い出来る。こうでもせねば、もうお目にかかれない・・

「それならば乗って来るかもしれぬな」「はい、そこを・・・」
師泰は蝶を捕まえる様、膨らませた掌を合わせた。
だがその梅枝、よく従ったな、と師直。
弁内侍だけでなく前の主、北の方をも裏切る所業。

213
「いいえ、それよりも容易く、銭でござる」と師泰。銭で片が付くならばそれに越したことはない。母のためではなく、碌でもない男に入れ込んでいる様だ。宮仕えしても一皮剝けば同じ。
「まあ、よい。それで進めよ。あと一つは?」
夕刻、屋敷を訪ねたる者があり、郎党として召し抱えて欲しいと申し入れて来た。それも三十二名。
「多いな!あっ・・・・痛い」無理な姿勢の時に驚いたため、脇腹が攣ってしまった。「一度にしては多い」と座り直す師直。

214
「金毘羅党の残党なのです」と聞き眼光を鋭くした師直。先の滑稽な姿、どちらも師直の真の姿。
率いて来たのは、看房を務めていた尾鷲岩玄房だと言う師泰。
「呼べ」と命じて身支度を整える師直は、早瀬に「お主も見るがよい」と微笑みをくれてやった。
皆を庭に回らせ、つうと見渡して「お前が岩玄房だな?」

驚く岩玄房。短い間の一瞬の所作で見抜いていた。
「で、当家の郎党になりたいか」「左様でございます」
「金毘羅義方はどうした。そもそも今も生きているのか」
 

215
義方は戦で果てたと言う岩玄房。その相手は楠木党。
「またか」苦々しく零す師直。身辺を探っているのも奴だろう。
楠木党は大きく動こうとしている。事の次第を全て聞いた師直。
「金毘羅党はもういかぬか?」の問いに、自勢力は半分以下となり、縄張りを奪い返すのは諦めたと言う岩玄房。
「で、窮してここへ来たか。しかし儂が楠木と戦うとは決まってる訳ではないぞ」と返す師直。

216
楠木党は予想もしない事を考えているとの予感。だが楠木が兵を起こしたとしても、高家が派される見込みは少ない。
だが岩玄房は復讐を考えている訳ではなく、高家こそが生き残ると考えての事だと言い放った。「気に入った」と師直。
一つだけ条件があると言った師直。「何なりと」の返事を聞き
その言葉に相違ないか、と聞いたうえで「互いに殺し合え」

それは生き残った半分を召し抱えるとの意。
皆が驚愕する。「しかし・・・」と言いかける岩玄房に
「二言はないかと確かめたはずだ」と撥ね退けた師直。

217
「うう・・・」ようやく現を受け止めた者たち。笑いを零しつつ殺し合いのための別の場所を教えた。空き家になった南朝の屋敷。
「承知しました」 これを見越して師泰は、逆上に備え彼らと同等の人数を率いていた。逃げたい者は逃せばよい。
「早瀬、ついでに師泰に送ってもらえ」と言う師直。
金毘羅残党と早瀬を送ろうとする師泰を呼び寄せ「殺しておけ」と言う師直。それは早瀬のこと。さすがに驚く師泰。
月を見上げて時刻を覚えようとしていた、との言いがかり。
面倒臭くなったのでしょう、と呆れ顔の師泰。「上手くやれ」

218
師泰の小言を避けるように手を払って終わらせた師直。

諸事うまくやってくれる弟。
大きく欠伸をして月を見上げた師直。月の方角から、また楠木家のことが頭をよぎる。「何という名だったか・・・・」
楠木正成の倅、それで十分だし、今後もそれで良いだろう。
興を失い、師直はまた欠伸をしつつ寝所へと向かった。