新聞小説「人よ、花よ、」連載前情報 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「人よ、花よ、」8/15より連載開始

前作「白鶴亮翔は」8/14で終わり、新連載が始まっている。
連載開始のお知らせはコチラ

楠木正成の長男 楠木正行(まさつら)が主人公だという。

もう始まって二週間ほど経っているが、軽快な滑り出しで好感が持てる。多聞丸(正行のこと)と母親との攻防・・・


作者:今村翔吾

作者について
1984年生まれの38歳。
2016年から各文学賞を受賞。2020年「塞王の楯」で直木賞受賞。
塞王の楯  試し読み(作風確認にドーゾ)

挿絵:北村さゆり 日本画家 作品例



作品に入る前の準備運動
楠木正行像
なかなかのイケメン♪


今大河ドラマでやっている「鎌倉殿の13人」の150年後、鎌倉幕府倒幕から南北朝時代にかけてが舞台となる。
この辺り、あまり得意じゃないのでちょっとお勉強。

ざっくり年表
鎌倉時代    1185年 – 1333年
建武の新政 1333年 – 1336年
南北朝時代 1337年 – 1392年
室町時代    1336年 – 1573年(南北朝時代と重複)


鎌倉時代
鎌倉幕府の実体は「鎌倉殿」に代表される源頼朝の私的機関
源頼朝が平家を滅ぼして鎌倉に政権基盤を作る
頼朝の死後、1200年から十三人の合議制開始
1226年から九条頼経が将軍に就任(摂家将軍の開始)
1252年から宗尊親王が将軍に就任(宮将軍の開始)
1274年の文永の役(一度目の元寇)
1281年の弘安の役(二度目の元寇)→神国思想の発端
元寇を機に御家人への圧力が増す→幕府への人心が離散
朝廷の衰退に幕府が巻き込まれる。
後醍醐天皇が1318年南朝初代天皇に即位
後醍醐天皇の皇位継承を巡る叛乱で鎌倉幕府崩壊(1333年)
倒幕は足利高氏の力によるところが大

建武の新政
後醍醐天皇による鎌倉幕府倒壊後に開始
討幕の功により足利高氏は尊氏の名を与えられる。
足利尊氏の独断を諫めて後醍醐天皇が追討。

後醍醐を奉じる楠木正成らにより足利軍が破れる。
尊氏は九州に落ち延びるが建て直し「湊川の戦い」で勝利。

正成は討死(1336年)

南北朝時代
建武の新政崩壊により足利尊氏が光明天皇(北朝)を擁立、それに対抗した後醍醐天皇(南朝)との対立。
後醍醐天皇の譲位により七男の後村上天皇が即位(1339年)
後村上天皇に仕えたのが楠木正行。

楠木正行について
生年や幼少期の実態は不明だが、太平記の記述に基づくと1326年頃の生年となる。これだと父正成の没時は11歳。
史上に姿を現すのは1340年。南朝の守護として河内国統治。
1347年に挙兵し、寡兵の上で北朝の大軍を撃破。
その後の軍事行動では無敗。敵方に畏怖されたという。
1348年「四條畷の戦い」で幕府総動員の兵力と戦い破れ、最期は弟正時と刺し違えて死ぬ。
史料に乏しく、軍事的能力の高い武将という以外は不明瞭。
「太平記」では種々伝説的エピソードにより、孝子・忠臣・博愛の鑑とされた。最下段に「太平記」の全体像を示す。

正成の「大楠公」に対し「小楠公」と称される。

後醍醐天皇 1288/11/26~1339/9/19
楠木 正成     1294(?)   ~1336/7/4  享年42歳(?)
楠木 正行   1326(?)   ~1348/2/4 享年23歳(?)

正成・正行は郷土(河内長野市)の英雄
楠木正成~正行への歴史の流れ説明(約15分)


楠木正行の戦い(約10分)戦いの図解もあり

 

 

「太平記」とは 
全40巻で南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府
の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、二
代将軍足利義詮の死去、細川頼之の管領就任までの、約五十年間を描く軍記物語。
恐るべき現代語訳のサイトがある。コチラ

各巻ダイジェスト 注)楠木は、太平記では楠表記
巻 西暦    
1  1318 後醍醐天皇即位。 1324年討幕計画発覚
2  1331 再び討幕計画発覚(元弘の乱(笠置山へ脱出)
3          楠正成、赤坂城で挙兵。後醍醐帝逮捕。
4  1332 後醍醐帝、隠岐へ流罪。
5          幕府の執権北条高時(政治に対する不評)
6          楠正成 赤坂城を再攻略。
7          楠正成 改めて千早城で挙兵。後醍醐帝 隠岐を脱出
8  1333 赤松則村が反乱し、京の六波羅軍と戦う
9          足利尊氏 鎌倉から上洛。六波羅を後略
10        新田義貞挙兵。北条高時死。鎌倉幕府滅亡
11        後醍醐帝が帰京。建武の新政
12 1334 公家政治に武士は不服。護良親王暗殺される
13 1335 北条時行が鎌倉を占領。尊氏東征し鎌倉奪還
14         新田義貞が尊氏追討のため東征。尊氏は入京
15 1336 尊氏は、新田・北畠・楠軍に敗北。都落ち
16         尊氏は九州から再上洛。湊川の戦いで楠木正成戦死
17         尊氏入京。 北朝の光明天皇が即位
18         後醍醐帝は吉野へ潜幸し、南北朝分裂
     1337 新田軍が守る越前の金ヶ崎城が陥落
19 1338 尊氏は征夷大将軍となり、室町幕府はじまる
20         新田義貞、越前国の藤島で斯波高経と戦い戦死
21 1339 後醍醐帝崩御。後村上天皇が後継即位
22 1342 脇屋義助(新田義貞の弟)が伊予国で病死
23        土岐頼遠が、酒乱で光厳上皇の牛車に矢を射り斬首
24 1345 尊氏、天竜寺を建て、後醍醐帝を供養
25 1347 楠正成の嫡男楠正行が挙兵。藤井寺と住吉で勝利
26 1348 高師直が四條畷で戦闘。楠正行戦死。後村上帝逃亡
27 1349 足利直義と高師直が不和。直義は出家
28 1350 直義が京都を脱出。高師直に挙兵(観応の擾乱)
29 1351 高師直兄弟は直義と和睦したが、上杉能憲に殺される
30         尊氏が南朝と和睦。直義攻めのため尊氏は関東へ
    1352 直義急死。北畠顕能と楠木正成の三男楠正儀が入京
31         尊氏は関東で新田軍に勝利(武蔵野合戦)
32 1353 楠正儀と下山名時氏らが第二回南朝軍入京
     1355 足利直冬と山名時氏らが第三回南朝軍入京
33  1358 尊氏、背中の腫れ物により病死
34         足利義詮、足利家第二代将軍になる。細川清氏が執事
35 1360 細川清氏と関東管領畠山国清により、仁木義長が失脚
36 1361 細川清氏も失脚。仁木義長と細川清氏は南朝へ下る
37         細川清氏と楠正儀が第四回南朝軍入京。翌月撤退
38 1362 細川清氏は、細川頼之と戦い戦死。畠山国清は降伏
39 1363 大内弘世、山陰の山名時氏、仁木義長らが幕府に従う
40 1367 足利義詮が病死。細川頼之が管領に(足利義満を補佐)