新聞小説「人よ、花よ、」(10) 第十章「牢の血」作:今村 翔吾 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

朝日 新聞小説「人よ、花よ、」第十章「牢の血」 

399(9/30)~454(11/26) 作:今村 翔吾 挿絵:北村さゆり
レビュー一覧
 連載前情報 1前半 1後半       

  10

 

感想
大立ち回りの末、後村上帝を守りきった多聞丸たち。
そして一族を引き連れて吉野へ参内。
上奏文を懐に、重大な決意を以って帝に対峙する多聞丸。
普通ならこんな不敬はヘタをすれば手討ちもの。
でも村上クンの命助けたんだから、そんな事にはならない(笑)
帝と二人きりになった時、ホンネを引き出そうとする多聞丸。
そして「余も・・・生きたい」との言葉を聞いた時に、あの新平太を思い出す。かつて弁内侍が助力を頼んだ時、思いがけず承諾したのは、もし救いを求めているのが新平太だったら、と考えたから((299))
考えてみればこの新平太、小説の一回目から出ている。
多聞丸の、人を思う心がこの少年に凝縮されている。
まあ、領主たる者が重大な決心をする拠り所としては心情的過ぎるが、何の躊躇もなく父 正成と同じ道を進んだのではない、と作者が命を吹き込んだという事か。
臣下を危険な方向に突き進ませる、とのそしりも受けそうだが、楠木正成の息子だ、との見方をすればそれほど違和感はない。

かくして、北朝に降る話は一転して北朝と戦う路線に戻る。
ウィキペディアによれば楠木正行は初陣から連戦連勝を続け、北朝からは「不可思議の事なり」と畏怖されたという。

その伝説的な活躍のエピソードとしては、魅力的だと思う。

 

オマケ

438で坊門親忠が多聞丸に助け船を出す場面で「両手が小刻みに震えている」の描写があるが挿絵先生、さすがマンガチックに表現。あとで気付いて笑った。

 

次章は「蕾(つぼみ)」弁内侍とのロマンス・・・

あらすじ
第十章「牢(いけにえ)の血」
399

多聞丸は衣服を整えると井戸の水で顔を洗った。
繰り返して来た日常が戻った。
吉野襲撃から丁度二十日。東条に戻ったのは襲撃翌日の夕刻。
ようやく母に年賀の挨拶。大変な年の瀬、正月。
気候を気にする多聞丸。麦作への影響が気になる。
米の収穫後に麦を作る二毛作の始まりは、家畜の糞尿から堆肥を作れる様になった百年ほど前から。
父の代から「麦は全て我が物にしてよい」と伝えられていた。

400
そもそも楠木家の税は他より低く、米だけでも暮らして行けるが不作に備えて奨励しているに過ぎない。大塚、野田らも同じ。
朝餉のため居間に行くと既に母の姿。

親子で朝餉を取る日課は今年も続いている。

間を置かずに次郎が来た。三人での朝餉が始まる。---実は。
十九日前、母に全てのことを詳らかにした。
必ずや歓喜し、涙して嬉しがると思っていた。

401
しかし母は意外なほど冷静で、その後訊かれることもなかった。
今日は大塚様がお越しになるのでは?と訊く母。
大塚が、東条に行くと書状を送って来た約束の日が今日。
朝餉の後離れに向かう途中、香黒を曳いて厩に戻る石掬丸に会った。鼻を鳴らす香黒。「ようやく機嫌を直したか」
東条に戻った後、明らかに不機嫌な香黒。ふてくされている。

402
いくら賢しいとはいえ、香黒に北朝や南朝だのは解らない。  
離れのいつもの一室で書類に目を通す多聞丸。
二刻ほど作業していると、大塚の来訪を告げる石掬丸。
「如何ですか」と書類を見渡す大塚。「存外、手間取ったな」
「やはり二十日は必要だったでしょう」「流石の見立てだ」
もともと次に会うには二十日必要だと話していた大塚。
母には先刻挨拶して来たという。

403
お喜びだっただろう、と訊くも多聞丸と次郎を頼みますとだけ。
訊かれるままに、母に話した時の反応を話した多聞丸。
「思うこともおありなんでしょう」と返す大塚は
「本題に入りましょうか」と話を切り替えた。
とある事を決めるため。
それにはあの吉野襲撃にまで遡らねばならない。

あの夜の騒ぎは類を見ぬものだった。
襲撃中はもとより、退けた後も喧騒は一向に静まらず。
多聞丸らが刺客を縛り上げる中、公家たちが殺到した。

404
味方が鎮圧したことを聞きつけて、計ったように一気に集まった者たち。その中には多聞丸らが逃してやった公家もいた。


皆の囂(かまびす)しさに新発意も顔を顰める。
騒動はこれで収まらず、帝を守って戦った中に見知らぬ己たちがいる事を訝り始めた。誰が、何時訊くのか・・・
「お主たちは誰ぞ」遂に公家の一人が声をかけた。
そこに後村上帝が「味方ぞ。非礼は許さぬ」と言い放った。
公家と言わず敢えて「味方」と言った配慮。判断を委ねた。

405
「正体を告げてしまった」と鎮圧後、大塚に詫びる多聞丸。
森で止められなかった自分が悪いと返す大塚。
事前打ち合わせで最高の結果は、正月行事が終わるまで襲撃がないということ。又は森で刺客を鎮圧すること。
「最も悪い筋になるとは・・・」と零す大塚。
「いや、最も悪い筋は帝が討たれるということよ」と多聞丸。
手筈通りやるしかない・・・
多聞丸は一歩出て「我らは胡乱な者にあらず」と宣言。

406
が、公家や武士たちは疑いを消さない。見守る後村上帝。
「漏らしたのは誰だ」との声を取るに足らぬと牽制する多聞丸。
大事なのは、一度襲われたにも関わらず守りを厚くしなかったこと。なおも反論しようとする声を抑え込む。
この事を危惧したある方に請われて森に潜み、公人に紛れてお守りして来た・・・そしてこれまでの経緯を正直に話した。
--坊門・・・親忠。人々の間にその姿を見つけた。


蔵人だが今日は非番。冠も烏帽子も付けずに駆け付けた。

407
親忠は茫然としている。採用した当の公人だから無理もない。
「よ、吉野衆なのか」の声に「吉野衆はこちらに」と多聞丸。


灰左を中心に吉野衆が集まっている。吉野に入るにあたり合力してくれた事を話す多聞丸に「大儀である」と言う帝。
これで何人も吉野衆を咎める事は出来ない。
公家たちの反応は様々。感動あり、苦々しい顔あり。
だが次第に皆の様子が揃う。--一体、何者なのだ。
「では、その方らは何であるか」良く通る声。公家たちの群れが割れ、そこを悠々と歩み進む者。北畠親房である。

408
親房は間を詰める。三間ほどに迫ったところで「答えよ」
帝の前で、我ら一族の名を口にするのは恐らく十年振り。
次郎、大塚ら郎党たちを見渡し、凛然と言い放った。
「楠木党でございます」幾十、幾百の吃驚の声。
表情を変えなかった北畠親房。むしろ納得した様に見えた。
「では・・・その方が左衛門尉か」「左様でございます」
「なるほど。腑に落ちた」どこかで見た、と言った事であろう。

409
「ふむ」思いを巡らす親房。

功績を挙げるためなら逃げる時に正体を告げている筈。

帝は「味方」と断言もしている。言葉を繋ぐ親房。
「まず帝の危急に駆け付けた忠義、見事なり・・・」
場も落ちつき「この後は・・・」と言いかけた親房に
「お待ちを」鋭く遮る多聞丸。「何だ」怒気を含む親房。
この装いでの目通りは武門の名折れ。今宵はここで暇を、と多聞丸。「そのようなこと--」「父の名を汚す訳には行きません」
親房の腹は、なし崩しに楠木党を取り込むこと・・・
それを拒むために大塚と相談して来た・
「左衛門尉」と呼ぶ声。後村上帝である。

410
「はっ」頭を垂れる多聞丸。膝を突かぬ姿に不快の親房。
「許す」「心得ました」間髪を入れず返す多聞丸。
感嘆が場に広がる。また参内して、と言いかけ「また会えるか」と言い換える帝。ほとんどの公家は気付かす。


「必ずや」「大儀」歩み出す多聞丸。皆も続く。
多聞丸ら楠木党は、何人も死すことなく「妖」を退治し、吉野の山を降りた。

「無茶をしたものだ」苦く頬を歪める多聞丸。
あれでしか場を収めることは出来なかったと言う大塚。
無言で去っても楠木党だと露見してしまう。

411
もう北朝にも伝わっているだろうな、と嘆息する多聞丸。
南朝の公家も楠木党が帝を助けたと吹聴している。
「実際は違うのだがな」あの一件があっても、楠木党は北朝に味方する気ではいる。だが直義は怒り心頭。
「とはいえ、やはり止めて良かったかと」と総括する大塚。
もし後村上帝が討たれれば南朝は大混乱。北朝は一気に南朝を攻め滅ぼすだろう。その時は楠木党の力など不要。
「しかし、これで手が打てます」

412
方針が変わるのは、北朝への取次を師直に変えるということ。
直義か、師直かの判断。今回の事では直義の陰湿さが際立つ。
師直は失敗を尊氏にも讒言したらしい。直義派の武士も肩身が狭く、師直派に移る動きもあるという。
御所が襲撃を受ける十日ほど前、吉野山で武士の一行を野盗が襲った件を話す大塚。「やはりそうだったか」「いかさま」

413
更に数日遡って、師直の弟 師泰が人を集めていたらしい。
この件で師直の、楠木党に対する印象が良くなっている筈。
いよいよ取次を師直にすべき。毛利一族を通じて、と大塚。
「残るはもう一つだな」と顎を撫ぜる多聞丸。
あの騒ぎ以降南朝の廷臣たちは、楠木党が馳せ参じたと吹聴している。それには親房の思惑も込められているだろう。
南朝きっての主戦派であり、楠木党を手許に置く好機を逃す筈がない。あの日、正体を告げた日から覚悟していた。

414
「下書きは終えている」と書状を大塚に渡す多聞丸。
それは帝への諫奏文。先例はある。親房の嫡男 北畠顕家も後醍醐帝を諫める文を奏上している。

「なかなか・・・」と唸る大塚。

天下の乱れは二つの朝廷にあり。
北朝と即刻和議を結ぶか、降ってでも王朝統一を図るべき。
受け入れるどころか廷臣たちから不義不忠と痛罵されよう。
やるべき事をやって形を整えるのが目的。
「吉野へはいつ」と核心に迫る大塚。自ら奏上する日のこと。

415
参内を迫る南朝の廷臣らが騒ぎ出すと思われる、二十日が丁度過ぎていた。その間の師直までの伝手を出来るだけ辿った。
師直と繋がるまで時を稼ぎたい多聞丸。
参内日の提案を、今より十二日後と聞いて首を捻る大塚。
日取りを伺えば明日にでも参集せよと言われかねない。
参集に時が掛かると返せばいいと言う多聞丸。我らの命運を分ける日。皆を公家たちに見せてやりたいという思い。
「共に行こう。吉野へ」截然と言い放つ多聞丸。

416

先刻から上がる大小の感嘆の声。

香黒の上、多聞丸は前を見据えながら人の群れの中を行く。

大塚との会談後、皆に参集を指示。そして今ここに至っている。
多聞丸を筆頭に楠木党を成す目代、地頭、領主。

そこに石掬丸ら旗本を合わせ、総勢二百五十六人の一行。
この数に合戦と勘違いする者もいたが武具はなく、やがて吉野に向かう楠木党の行列と知ってこの騒ぎになっている。
皆、遂に楠木党が起ち、南朝に奉じると思っている。

417
「おう」という多聞丸の声に皆がどよめく。

その先に灰左ら吉野衆が。
やがて門が見えた。昨年暮れに来た時より頼りなく見える。


案内人の中に坊門親忠の姿があった。一介の守護の出迎えにしては破格の扱い。自ら頼み込んで買って出たと言う親忠。
暫し無言の時が流れて見つめあった。香黒から降りようとすると
「いや、今は戦の最中。そのままでよいと」と制する親忠。

418
南朝は、北朝との戦を行っているとの姿勢を崩せないほど弱い。
多聞丸が馬上のまま御所入りするよう主張したのは親房だろう。
楠木党が参陣したと思い込ませる悪知恵。抗わずに従った。
それを予想して鎧は付けずに来た。
案内の武士の視線を感じて声をかける多聞丸。襲撃時、この若い武士も戦っていた。関宗次と名乗った、石掬丸と同年代と思われる若者は、近くでご尊顔を拝したいと思ってしまったと言った。

419
「そんな大層な男じゃあない」と否定する多聞丸。生国を常陸の関と聞き関宗佑殿の名を出すと、我が父だと驚く宗次。
関宗佑は親房が常陸国に下向した時、南朝に与して戦った武将。
嫡男と共に討死したと聞いている。父の命で親房に同道したか。
「同じですな」と言い「そのような大層な男ではない」と重ねる。間もなくこの若武者を落胆させる事になろう、との詫びの気持ち。
親忠が振り返ったので私語を止めた多聞丸。もう門は目前。

420
楠木党、二百五十六人が進むにつれ、感嘆の中に声が混じる。
半町ほど歩くと親忠がこちらに目配せしつつ脇に寄った。
その先の堂の階段に立つ五人の公家。中央には親房。
「楠木河内守正行、過日の約定を遵奉して罷り越しました」
「大儀である」随分と脂っこく仕上がった顔に思わず片笑んだ。

421

この場所は阿野、いや後村上帝と共に逃げた廊下。
一部張り直された床が惨劇の記憶を呼び戻した。

親房は短い対面のあと--殿にて、と命じて去った。
いずれ京に戻るとの前提で殿舎には名前がない。
とはいえここに昇る事が出来るのは殿上人だけであり、楠木党では従五位河内守の己だけ。
--拙者も何卒、と大塚も昇殿を希望したが叶わなかった。
従六位掃部助の官位で昇殿を許された例があるものの、蔵人の職にあることが条件だった。

422
北畠親房が己と宿老 大塚を分断したいということ。想定内の事であり、出方の確認をしたところで大塚は引き下がった。
「間もなくじゃ」数歩先を歩き案内する親忠が告げた。「はい」
「知っているのだったな」と頭を上下する親忠。
一月前、多聞丸も廊下を拭き上げたものだ。
向かう途中で「あっ・・・」と声を上げる公人が三人。
いずれも半月ほどではあるが同じ釜の飯を食った者たち。

423
親忠に猶予を貰い、新発意の相手で苦労した藤平に、騙すような真似をして済まなかったと詫びた。茫然とする公人たち。
謁見の間まで十間ほどになった時、振り返った親忠。
深く詫びねばならぬとの言葉。
それに対し、御父上に遺恨はあるものの、御子の親忠様が負うのは違うと返す多聞丸。

さすれば私も父の全てを負う必要がある・・・
はっとする親忠。鷹揚だが阿呆ではない。

参内した意図を察した。

424
「お主、やはり・・・」「やはり疑われる御方もいたのですね」
これまで勅命を躱し続けた楠木党。だからこそ親房の歓待。
しかし安堵した、との言葉に「心得違いをしておられます」
やはり楠木党が帝に奉じるためにやって来たと思っている。


「心得違いじゃと。お主は戦う気なのか」話が嚙み合わない。
我らが戦わぬ事に安堵しておられるのですか、とそろりと訊く。
「うむ、そうじゃ」これが正気とすれば毛色が違いすぎる。
「お主は南朝に与する気なのか」親忠は静かに問うた。

425
どうせ今日、己たちの考えは露見する。自分らは戦を停止するよう諫奏し、受け入れられなければ楠木の道を行くと言った。
「それでよい」と溜息を漏らす親忠。ようやく話が噛み合った。
「いずれ南朝は滅ぶ」と囁くように言う親忠。

ここの者の大半は勝てると信じ抜いているが、民ですら北朝が勝っていると解っている。
親忠がそこまで理解している事に驚く多聞丸。
ただ、何故我らが与せぬと聞いて安堵なさるのかと訊く多聞丸。
「今、ここでは恐ろしきことが企てられておる」と言う親忠。

426
南朝勝利を妄信する者より、勝てぬと知りながらおくびに出さぬ者の方が恐ろしい・・・

前者は九割、後者は一割にも満たぬが主導権を握る。
「北畠・・・」思わず呼び捨てたが咎めない親忠。
「左様、彼の御方は解っておられるが恐ろしきことを・・・」
そこまで言った時、迎えの公家が催促に来た。
「行きます」と親忠に告げて謁見の間に向かった多聞丸。
両側に並ぶ廷臣の奥に座る北畠親房。その奥 玉座の前に御簾。

427
多聞丸が名乗ると中央に座るよう促された。合図があり、廷臣たちに合わせて多聞丸も頭を垂れた。後村上帝の着座の気配。
親房の合図で皆が頭を上げる。再度促されて頭を上げる多聞丸。
「河内守従五位下橘朝臣正行、罷り越しました」と名乗る。
相手からの言葉はないならわしだが、影が再会を喜ぶ様に動いた。親房が帝に代わり、逆賊を討ち果たした功績を称えた。
息継ぎの合間を狙い、逆賊とは何の事でございましょうと問う。
吉野に妖が出ると聞いて退治しに参ったと答える多聞丸。
「やはりそうか」ぼそっと漏らす親房。

428
やはりお主は招きを避け続け、今も応じる気がないな、との意味。「はい」しかと明答する多聞丸。

だが他の廷臣は意味が解せない。
今後も主上のために忠勤を励んで欲しい、今後如何に逆賊を討伐するか合議したい、と知らぬ顔で話を進めようとする親房。
「お待ちを」との言葉に、必勝の策があるかと流れを固めようとした。だが悪党の己にそれは効かぬ。

「策はあります」おお!と廷臣らが感嘆。
親房が息を吸った刹那、更に続ける多聞丸。

429
必勝の策ではない。しかし皆の安寧に繋がるものだと言った。
喜びを露わにする廷臣の渦中で訝し気な視線を送る親房。
「即刻、武家方と和議を結ぶべきでございます」静寂で瞬時に凍る。
そこからいち早く抜け出した親房。「言い間違いであろう」
「この正行、常に正気でございます」平然と返す多聞丸。
楠木党の総意であるとも聞き「嘆かわしい、嘆かわしい・・・」と繰り返す親房。「朝敵となっても構わぬと言うか」
「北畠様、それは--」「黙らっしゃい」

430
「朝敵との和与を進言するなど、朝敵と見られても致し方なし、そうは思わぬか」と少し言い回しを変えた。
長き争いに民は困窮していると続ける多聞丸。
「お主・・・父が草場の陰で泣いておるぞ」
「父のことを語るのはお止め頂きたい」多聞丸は低く言った。父は己の思うままにせよと言い残した。勝手な像を描いたのはこの連中。
むしろ、父が存命であっても同じ献策をしただろうと続ける。
「それは皆々様が最もご存知のはず」
父は足利家との和議進言が受け入れられず、次策の京への誘い込みによる兵糧攻めも退けられた。古参の者なら知っていること。
「河内守・・・」親房は憤怒の視線を向けて呻く。
「河内守は何か心得違いをしている。今少し時を置き・・・」

431
多聞丸は止めを制すべく懐から奏書を頭上に掲げ、読み上げた。
「ここに管見の及ぶところを録しました。丹心の畜懐を述べております・・・謹んで奏します」

全ての音が消失し、時が止まったかの錯覚。
愕然とする親房。この奏上は親房の嫡男 顕家の諫奏文とほぼ同じもの。子が諫奏した事への思いが一瞬の空白を作った。
親房が我に返り、何かを言おうとした矢先、
「上げよ」と後村上帝が命じる。「--しかし」「御簾を払え」
有無を言わさぬ語調に公家二人が御簾を上げる。皆頭を垂れた。
「河内守、近くへ」「は・・・」

頭を垂れたままにじり寄る多聞丸。


「面を上げよ」作法に則り直視を避けたが、
「すでに近くで何度も見ておろう」と息を漏らす後村上帝。

432
多聞丸が顔を上げると、そこには頬を緩めた後村上帝が。
死地を潜り抜けたあの日以来の再会。
だがその哀し気な表情に声を出しそうになった。激しい違和感。
帝はずっとこの場にいた。何故何も話さなかったのか。
考えられるのは--帝は廷臣を御しきれていない。
親房はじめ廷臣たちに突き上げられ抗えない。思いが頭を巡る。
「そちの忠義、しかと受け取った」帝は自ら奏書を受け取った。

433
確信を強める多聞丸。帝は己らを巻き込まぬよう「忠義」の言葉を使い、楠木党が罰せられる事への抵抗を示した。
「主上」親房が厳かに頭を下げる。だがそれは牽制の意味。
「無礼な。いつまでそこにおる」と多聞丸を追い払おうとした。
じりじりと元の場所まで戻る多聞丸。憤怒か悲哀か、胸が疼く。
親房は仕切り直す様咳をすると語り始めた。
主上は忠義をお認めになったが、それは匹夫のものと言った。忠義との言葉には逆らわず、忠義には種があると言って貶める。
巧妙なすり替えに、呆れすらせずその狡猾さを分析していた。

434
真の忠義、真の勤皇は我が主上こそ正統であると示すこと、と演説じみた語り。それに廷臣たちはこくこくと頷く。
奸賊、逆賊討つべしと続ける親房。眉間に皺が寄る多聞丸。
「既に決まったように」と言い見渡す親房。何が決まったのか。

頷く廷臣の中に親忠が見えた。俯き加減で苦悶の表情。
--これか。直感する多聞丸。謁見の前に言った恐ろしい企て。
下がれとは命じられぬ中で、親房は言い放った。
「侍衆はじめ雑役、公人、齢十一から六十までの男子の全てを以って、乾坤一擲の一戦に挑み京を奪い返す」
「何・・・」愕然とする多聞丸。廷臣たちが声を上げて応じる。
その異様な雰囲気に、背に走る悪寒が収まらない。

435
さっと親忠を見る多聞丸。苦悶の表情で頷く親忠。正気なのか。
北朝の勢力に対し、南朝ははるかに劣勢であり、皆を動員しても途中で潰される。「そういうことか・・・」
この場の廷臣らは京の奪還を信じているが、親房は無理だと分かっている。その上で玉砕させようとしているのだ。その狙いは、帝のため壮絶な死を以って各地の武士を鼓舞する事。
--あり得ぬ。吐き気を懸命に堪える多聞丸。
まさに鬼の所業。高師直の方がましにさえ思える。
後村上帝は瞑目し、口を真一文字に結んでいる。

436
如何なる思いがあるかは知らぬ。「それでよいのか」
玉座を睨み付け凛然と言い放つ多聞丸。
はっと刮目する帝。今の声に廷臣たちからの罵声が飛び交う。
「河内守」「はっ」呼びかけに即座に応じる。
「和議にも様々な形があるか」「仰せの通り」
「今少し詳しく聞きたい」「承りました」
そのやりとりを経て、内に参れという帝の指示を制する親房。
私的な場所に入れるのはごく一部の官職者のみ。
「楠木を蔵人に任じる」唐突な帝の言葉に場がさざめいた。

437
蔵人は既に数を満たしていると否定する親房。皺を寄せる帝。
そこで親忠が声を上げた。蔵人を辞するという。枠を一つ開けるための行動。憎悪を向ける親房。帝も勇気を得た。
だが帝が命令を下そうとした時親房は、新たな蔵人には現蔵人の推挙が必要だと反発。即座に反論出来ない帝。
「では・・・麿が推挙致します」上擦った声で言った親忠。

438
この男のどこにそんな胆力があるかと驚くが、小刻みに震える両手に気付く多聞丸。


嘲笑う親房は、辞した者の推挙は無効だと断じた。固まる親忠。
誰か推挙を、と訴える親忠だが、一座からの反応はない。
「推挙がない以上蔵人には任じられないな」と重く言う帝。
「河内守」「は・・・」
先の言葉で少し心が躍った。それだけに帝の諦めには少し落胆。
「侍従に任ずる」

439
皆のあっという声。親房は下唇を噛み、親忠は眉を開く。
帝につき従い身の回りを世話する。現多聞丸の官位でもなれる。
蔵人の職が設けられて以降、儀礼主体の対応になっていたが、その性質が失われた訳ではない。赤面して対応を考える親房。
「身に余る光栄、謹んでお受け致します」早々に応える多聞丸。
「大儀である。帯剣を許す。後ほど参れ」

言うやいなや場を去る帝。
侍従には文官と武官があるが、帯剣を許されたのが後者の証し。
「何ということを・・・お主ら承知せぬぞ」

と睨まれて肩を竦める親忠。
「お主ら、ですか。まさか・・・」と目を細める多聞丸。

440
お主と右中弁だとダメ押しする親房。私もそのつもりでした、と微笑んで立つ多聞丸。何処へ行く、の問いには

「勅命でございますれば」
しばしの睨み合いの後「励め」と投げやりに言う親房。


やはり親房にはまだ余裕があると踏む多聞丸。後村上帝のちょっとした反抗、ぐらいにしか思っていない。悠々と下がる多聞丸。

謁見の間からすぐ帝の元へ行ったものか思案する多聞丸。
そこに親忠が呼びかけて小走りに先導した。「まずは離れるぞ」
多聞丸が退室してすぐ、案内にかこつけて退室した様だ。

441
「言ってしまったわ・・・」梅干し顔になる親忠。

侍従に任ぜられた今、親忠の行為は無駄とも言えたが、あのおかげで帝も力を得た。
父はそれとほぼ同じことを河内判官に強いた、と話す親忠。
「では何故、右中弁様は今なお此処に」
親忠が何故南朝の廷臣であり続けるのだろう。親忠の五つ上の兄重隆は父親の存命中に北朝へ鞍替えした。
「兄は河内守殿と同じ考えじゃった」坊門家存続のための方策。
「良くいえば聡明な方・・・」

と廊下に視線を落としつつ話す多聞丸。

442
「正直に狡いと言ったらええ」「はい。そうします」
坊門家存続を思えば重隆が正しい。だが領民たちを死に追いやる一端を担いながら自らは助かろうとする・・・

それが坊門家だとの思い。
「右中弁様は反対されたのですな」だが親忠の言うには父上も反対したのだと言う。--それはならぬ、と清忠は言った。
忠義ではなく--河内判官に顔向け出来ぬ。
「真・・・ですか」込み上げる動悸を抑えつつ言った多聞丸。
「父上は確かにそう仰った」重隆は説得を諦め出奔。清忠は病が悪化して間もなく亡くなったという。

その結果親忠のみが南朝に残った。

443
「だからといって許せるとは思わぬ・・・すまぬ」

と続ける親忠。話を聞いてさえ受け止められた訳ではないが、事態は動き出した。
「もう止めましょう」と内裏の奥へ歩み出した多聞丸。

予め決められている通り、難なく奥に通された。警護の武士は羨望、当番の蔵人は敵意をむき出した。
通されたのは、あの日踏み込んだ夜御殿ではなく手前の昼御座。
多聞丸が入ると後村上帝は部屋中央の御座に座っていた。
「来たか」声が弾んでいる。儀礼に従おうとすると
「無用だ。人払いも命じてある」と続けた。

444
厳かさはあるものの、それで場が和らいだ。帝が唐突に言う。
「効いたぞ」「と仰いますと」
「それでよいのか・・・か」

帝はふわりと苦みを含んだ吐息を漏らす。
思わず口を衝いて出たが、帝を相手に発する言葉ではなかった。
「あれで奮い立てた」「それほどに・・・」頷く帝。
「良く言っても神輿・・・傀儡と言っても差し支えない」
自嘲の笑みを浮かべ、今の南朝について語り始めた後村上帝。
今より八年前、十二歳で即位した。廷臣らが合議で支える政事。
「この時は左府が中心となった」

「近衛様ですな」近衛経忠の事。
左府は多聞丸同様、和議しかないと考えていたという。
苦境の上に後醍醐帝の崩御、いずれ必ず敗れると見た。

445
その頃ならば戦力差はさほどなく、交渉の余地もあっただろう。
あと一歩まで進んでいたが、それを阻んだのが北畠親房。子の顕家が討死した後、常陸国入りして互角の戦いを繰り広げていた。
近衛は交渉の状況を詳らかにした上で、戦の停止を申し入れた。
北朝にも呼び掛け、両陣営が同時に兵を退く事で話をまとめた。

だがその時、親房の軍が常陸国の諸城を次々に陥落したとの報が。暫し茫然となった近衛、当然、和議は破談となった。

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北朝は援軍を送り、常陸国の南朝を猛攻。半年もせぬうちに南朝は劣勢となり、城は次々と奪還された。
そして四年前の興国四年、吉野に戻った親房。和議に反対していた主戦派の同調を経て、またたく間に実質的指導者となった。
南朝から楠木家への使者が来る様になったのは、その頃から。
北朝への反撃の駒として、喉から手が出るほど欲したのだろう。
「その流れを止められなかった・・・」悔しさの後村上帝。
親房が戻った時、帝は十七歳。今でもまだ二十歳なのだ。
廷臣らに実権を握られた中、極めて難しい事だったに違いない。

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一度だけ、和議も道ではないかと親房に言った事があると語る帝。今更、引き下がる訳にはいかぬのです、と返した親房。
「しかし、あれはあまりにも」

「死ねと言っているようなものだ」
後村上帝も、この戦が勝つ見込みがない事を理解している。
「お主は如何にすべきと思う」核心に迫る後村上帝。


もはや隠す必要もない。多聞丸は低く言い放った。
「我らは北朝に降るつもりです」驚くこともない帝。
これまでの動きを語る多聞丸。弁内侍を救い、その弁内侍の頼みで吉野に来たことも全て話した。いずれ先鋒として南朝に攻め入る・・・
不忠の極みであることは・・・と言いかけると
余ではなくとも向こうの帝に忠を尽くしている事になろう?

と言う後村上帝。

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悪戯っぽい笑みを見せる帝。返答に困り口を結んだ多聞丸。
帝自ら朕ではなく「余」と言ったことも驚きだった。
そもそも二人の帝がいることがおかしいと言う。
そして、お主はそれでも守ろうとしてくれていると重ねた。
楠木党の考える、吉野は攻めるが流血は避け、後村上帝の命は守るという方針のこと。「必ずやうまく行くとは限りません」
かつて後醍醐帝が再び起ったこともあり、火種を消す動きもあろう。
「確かなことなどない」帝はその事も理解している。更に、もし楠木党が北朝に降れば、その不忠を鳴らし士気を高めて突貫を始める。
「一つ、余から頼みがある」と低く言った後村上帝。

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「お聞かせ下さい」「連れ出してくれぬか」隠棲したいということか。
「北朝に連れていってくれ」「まさか」絶句する多聞丸。
自分がいなくなれば、次の帝を立てるにしても半年はかかる。
その間に北朝は大軍勢を吉野に送る。
南朝は降るしかなく、流血も避けられるだろう。
「しかし主上が」「巡り次第で命は拾う。だがそうならずとも構わぬ」
「先程のお言葉は・・・」

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それでもまもろうとしてくれているというのは、廷臣はじめ自ら以外の全ての人のことを指していた。その上での北朝行き。
戦が止むことは十分にあり得るが、命を差し出して和議を結んでも、再び戦が始まるやも知れぬ。贄を捧げて神仏に祈ることや博打と何が違うというのだ。そもそも後村上帝が始めた戦ではない・・・
「そうか・・・」

初めて会った時から通じ合うものを感じていた。
己が英傑の子として戦うのが当然と思われていた様に、後村上帝も先帝の遺志を継ぐものと決められて来た。
「主上は・・・如何にされたいのですか」

「余のことはよい。皆が・・・」
「貴方に訊いているのです」

不敬を超えて渦巻く虚しさ、悲しみ・・・
「余は・・・」「私は生きたい」多聞丸は亮然と言い切った。

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「罵られても母上、弟たち、東条の民たちと生きたいのです」

唇を結ぶ後村上帝。出そうになる言葉。尚も言う多聞丸。
「言えばいい。俺だけは嗤わない」帝を個人として見ている。
「それは・・・余は」明らかに揺らいでいる。


幼い頃、未だ見ぬこの人を憎んだ。心の片隅にまだ住んでいる、その己に向けて問うと頷いた。

「俺は許す」と柔らかに言う。息を吞み、一筋の涙を流した帝。
「余も・・・生きたい」と言って堰が切られたかの様に見たい事、聴きたい事、嗅ぎたい事、触れたい事を言う。
「旨いものは?」との冗談に「それもだ」そして更に続けた。

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この日ノ本に生きる多くの人と逢い、語らいたいと言う帝。
だが帝の顔が諦めに戻ろうとする。

その刹那、多聞丸は言い放つ。
「やってみましょう」「それは・・・」
「和議をなし、その願いが叶うように」「如何にする」
「北朝を討ちます」「何・・・それでは」
戦を止めて和議を結ぶために戦をする。説明を続ける多聞丸。
北朝の勢いを削ぐという。南朝の劣勢では数年のちに滅びるのは明白。その前に和議を結びたくなる状況にせねばならない。
勤皇の名のもとに武士を人身御供に使おうとしている親房。
「しかし・・・そのようなことが出来るのか」不安げな帝。

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「まず戦えたとして二年まで」兵糧に武器、両朝の力の差を見ればそれが限界。その中で十度戦い、十度勝たねばならない。
今は九州方面のみ何とか互角なだけで、他は連戦連敗。
「残念だがそれは厳しい」否定する帝。今は頼れる将もいない。

「やはりそうですか」驚かない多聞丸。

だからこその親房の愚策。
それを成そうとする者もいないと言う帝に

「お気付きになるのが遅い」
と軽口を叩く多聞丸だが、唖然としたまま動かない帝。
無音の中、互いに見つめ合う。

話の最中、ずっと己に問うていた。
相手が帝だからこそ躊躇った。眼前にいるのがあの新平太だったら、必ず己はこの決断をする筈・・・

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これからの壮途、如何に走るかには迷いがあるが、道を行くことへの迷いは消えた。多聞丸は清々しく言い放った。
「私が、我ら楠木党がやってみましょう」