新聞小説「人よ、花よ、」第二章「悪童」(2)作:今村 翔吾 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「人よ、花よ、」第二章「悪童」

(2)49(10/3)~92(11/17)
作:今村 翔吾 挿絵:北村さゆり

レビュー一覧
 連載前情報 1前半 1後半       

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感想
前章では、父楠木正成の死から十年を経て二十一歳になった多聞丸(正行)が、母に「ある決意」を告げようとして叶わず。
その背景として、父が後醍醐天皇を奉じる事になったいきさつや、緒戦での活躍が描かれた。
今回はその多聞丸の、河内国守護としての日常、弟や従兄弟、またその周辺の人物に範囲が広がる。
それにしても、母に伝えることが出来なかった「ある思い」が本章でも明かされない。文脈から行くと、朝廷から出仕する様言われているのを何度も躱している事が絡んでおり、戦に出るのを回避したいのか?領民を守りたいとも言っている。
その後半で「伊勢の御方」が、キーマンとして出て来た。
この小説を語るサロン「羊と猫と私」では「北畠親房」ではないかとの推理が飛んでいる。
いやー、この辺り詳しくないんで、スナオに物語の流れを追うことにしよう・・・

寺に保護されていて多聞丸に拾われた石掬丸。その多聞丸に三十三回もケンカを吹っ掛ける青屋灰左。父の忠臣で、多聞丸を補佐する野田四郎正周(野田の親仁)などなど、けっこう魅力的な人たちが紹介される。
もちろん弟の次郎(正時)、従兄弟の和田新兵衛、新発意兄弟の人物像も好ましい。
これらの群像劇がどう進展して行くのか。
でも第三章は「桜井の別れ」なんだよな(振り返りは続く・・)

あらすじ
第二章「悪童」49(10/3)~92(11/17)
49
早朝、屋敷を出て厩に向かう多聞丸。
目覚めていた香黒は「どうだった」とばかりに小さく嘶く。
「知っているだろう」自分の優柔不断さが見透かされている。
厩の戸が開く音と共に声がする。郎党の石掬丸(いしすくいまる)
元々は孤児。父の記憶はなく、恐らく五歳頃河原で母親に置き去りにされた。三日ほど経って己が捨てられたと悟った。
石を掬うようにして持ち上げ、放り投げることをしていた。
四日目の朝、十人ほどの子供の集団が通りかかる。彼らも孤児。
そのほとんどが石掬丸を仲間に入れるのを拒む。足手纏い。

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だが孤児集団の中で「放っておけない」と反対した「ふい」という娘がいた。石掬丸より数歳上。亡くした弟が重なったという。石掬の名付けも彼女。丸がついたのはのちの事。

仲間の生きる手段は盗み、追剥のまね事。
そして六年あまり経ち、孤児集団も二十人ほどになる。
その悪事に、地頭が狩りに乗り出した。待ち伏せをされて散り散りに逃げる。石掬丸は斬られる者の中にふいを見た。
「あんたは逃げて!」斬られながら叫ぶふい。
助けたいとは思ったが、振り切るように懸命に駆けた。
一晩中走り、とある寺に倒れ込んだ。そこが東条の龍泉寺。
蘇我馬子が建立し、弘法大師が中興した真言宗の古刹。

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この様なことは珍しくもなく、寺で騒ぎにもならず。
住職と約束があり龍泉寺を訪ねた多聞丸は、その者を如何にするかの相談現場に出くわした。多聞丸の意を汲む住職。
多聞丸の優しい問いかけに自らの生い立ち、その後の顛末を話す石掬丸だが、仲間の安否を探るため戻ると主張。
だが、仲間の全てが斬り殺されたと知り号泣する。
「俺の元へ来い」と半ば強引に引きとった多聞丸。
当初石掬だけだったのに丸をつけ、苗字も川辺とさせた。
以来四年、およそ齢十五といったところ。馬丁として香黒の世話もしている。元来利発で、読み書きも覚えた。
鍬を渡し、裏返した桶に座って石掬丸を茫と見る多聞丸に
「御乗りになるのですか?」と尋ねてきた。

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「いや、今のところは考えていない」の言葉を受けて厩の掃除を進める石掬丸。香黒はすっかり心を許している。

思えば多聞丸以外には人を近づけなかった香黒が、石掬丸には近寄ることをすんなり許した。
屋敷に戻った多聞丸は、女中の津江が整えた朝餉を食べ始める。母を起こさぬ様にと言ったが、既に起床されていると言う津江。
昨夜、途中で打ち切った話の後で、顔を合わせ難いのだろう。
食事も終わりかけた頃、せわしない足音。誰か、明白である。
「あ、兄上。おはようございます」「おはよう」

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三つ下の弟、次郎である。今は楠木正時と名乗っている。
彫りの深い相貌は亡き父にそっくり。「寝過ごした」と言う。
津江が運んだ膳に手を合わせて食べ始める。
昨夜は眠れず外で素振りをしていたという次郎。
多聞丸は楠木家の当主で御屋形の立場。次郎は弟だが家臣。公の場では主君に対する接し方だが、身内だけの時は気兼ねせず。
「夜にか?」と尋ねる多聞丸。昨夜起きていた様だ。
「気を揉ませたな」との言葉にとぼける次郎。
そもそも次郎は勘働きが強いようだ。文観が訪ねて来た時、赤子だった次郎は火が付いたように泣き喚いた。

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「話したのか?」と訊く次郎。「そのつもりだったがな」
多聞丸は苦々しく言った。「それでいいさ」
昨年母が激昂して眩暈を起こした。そろそろ真意を話すべきかと悩んでいた時に次郎が、考えを伝えたらどうかと提案。
母が聞いたら卒倒する様な話も、次郎は落ち着いて聞いた。
いずれ話すと言って終わった話なので、次郎の態度を訝った。

次郎は、後押しして欲しいと思ったからさ、と受け流す。
「ではお主はどう思う」「母上に言うか否かか?」
「いや、俺の考えることについてだ」
根本の話である。以前話した時も次郎は聞き役に徹した。
少し首を捻って「どちらでもいい」と白い歯を見せる。

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「おい」と苦笑して窘める多聞丸。
「本心だから仕方ない。どんな事でも兄上に付いて行く」
平然と答える次郎。父が他界した時はまだ八歳。兄を父代わりに思っているところもあり、本心なのだろうとは思う。
「お前は気楽でいいな」「いい弟だろう?」「ああ、そうだ」
「きっと叔父上も同じ思いだった筈さ」「そうかもな」
それは楠木正孝のこと。ずっと兄である父を支え続けた。
局地戦では卓越した技を持っており、最後まで父と一緒だった。胸中は知らねど、同じ様な境遇の次郎にとって憧れの人。

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「今日は野田の親仁(おやじ)」が来ると次郎に教える多聞丸。
名は野田四郎正周(まさちか)という。橘諸兄の九代目で、楠木家とは遠縁の一族。河内野田に根を張る豪族でもある。
父とは義兄弟の契りも結び、湊川の戦いにも加わったが、重傷の中救い出されて脱出した。生き残った事を恥じて土地を離れたが、多聞丸を頼むという父の言葉を思い出して舞い戻った。
多聞丸は、そんな野田に財の根幹である「物流」を任せた。
野田は衰退していた物流網の復活に尽力し、七年かけて往年並みまで戻していた。
 
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齢は四十七。元来豪放な性質だが情が深く、多聞丸の元服時などは涙を流した。この男を多聞丸や次郎は愛着を持って「野田の親仁」と呼ぶ。


野田は月に一度仕事の報告に来る。今日がその日。
物流の元締めが、楠木家当主 多聞丸のもう一つの顔。
伊勢にまで手を伸ばすつもりだとの言葉に危惧を示す次郎。
とある人の影響が強い地。考えを話す多聞丸。
ふと思い出して水の件を訊く多聞丸。支配する、白木村と平石村との水争いの聞き取りを、次郎に頼んでいた。
「互いの話は凡そ噛み合っていた」

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両村の間で川から水を引く手順の争いが起こり、楠木家に裁きが委ねられた。その場しのぎよりも、平石村の水路を白木村同様二本にするのを許すと言った多聞丸。
村人には人手の余裕がないが「銭と人を出す」
労役に郎党まで出すのは尋常ではない。
楠木家では年貢を、一般は四割取るところを三割五分にしている。それは物流で潤っているから。
「満足すると思う」次郎は頬を緩めた。
今から五年前、多聞丸は僅か十五歳で朝廷から河内国の国司、守護を任じられた。寝耳に水の事態。

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父亡きあと、楠木家が立場を守ったのは、和泉国を治める大塚惟正の奮闘によるものだった。
このまま大塚が治めるという打診を朝廷がした時、
「あり得ませぬ。楠木党の屋形は正行殿です」と一蹴した惟正。その事で多聞丸の任官が早まった。
河内国国司、守護。これが多聞丸の二つ目の顔。
何を決めるにも「これでよいのか」と自問する毎日。
だがその危惧とは裏腹に、楠木家の政は好評。それは皆の補佐があるから。ではなぜ年長者の評判が悪いのか。
彼らには楠木家の惣領に求める像があり、多聞丸がそれに一向に近づかぬのが歯痒い。詰まるところ母と同じ。

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多聞丸はその像と反対の道を行こうとしている。
津江を見る。齢三十四だが鬢に白いものが見える。波がある母の情緒に気苦労が絶えない。それが己のせいだと思うと申し訳なさがこみ上げる。
その時、馬の嘶きと蹄の音が聞こえた。二頭か。
野田の親仁にしては早すぎる。それに彼はいつも一人。
朝廷よりの使者かと思い、顔を曇らせる次郎。
廊下を足早に進むのは石掬丸。その喜色を見て合点。
「和田様御兄弟が訪ねて来られました」
 
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声を落としている石掬丸は津江を見て驚く。
だが、津江は心得て母には伝えない事を解っていた。
「離れに回せ」「承知しました」
次郎は残りの飯を掻っ込み、腰を浮かす。多聞丸も起ち上った。



屋敷から僅か三十間ほどにある離れ。

後醍醐帝に請われて決起した後は使われる事は少なくなったが、河内に戻った折りにはここで過ごす事もあった父。ここに居る時は落ち着いたらしい。
父が世を去った後、母はこの建屋に入れなくなった。ここには父の面影しか残っていない。母の目にはすぐ涙が浮かぶ。
なので母を始め他の郎党たちも入らず、手入れがされるのみ。

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--私が使わせて頂きます、と元服間もない多聞丸が言ったことに、母などは当主の自覚が生まれたと喜んだ。
その後、多聞丸は一人になりたい時や、今回の和田兄弟の様に、気心が知れた者との会合に使っている。
和田兄弟の馬を、離れの裏にある厩に連れて行く石掬丸。
次いで白湯の世話を石掬丸に頼んだ多聞丸。
次郎が先に入り挨拶。次いで多聞丸が入る。
「お久しぶりです」兄は既に足を清め、板間に膝をついた。
「新兵衛、そのように畏まるなよ」

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名を和田新兵衛行忠(ゆきただ)、多聞丸と同じ二十一。
切れ長の涼やかな目、真っすぐに整った鼻梁。ただ美しい相貌とは対照的に眼光は鋭く、意思の強さが滲み出る。


多聞丸の大叔父 親遠が称した和田。子がなく叔父の正孝が養子となって和田家を継いだ。
その子である兄弟なので和田を名乗る。
昨年、嫡男の新兵衛が家督を継いだ。その責任から気軽に来れなくなっていた。「ようやく俺の気持ちが解ったか」と多聞丸。
「その点、こいつは気楽なもので」と横を見る新兵衛。
「俺か?」と言いながら盥に足を突っ込み洗う巨躯の男。
新兵衛の二つ下の弟、和田新発意賢秀(しぼちけんしゅう)

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この世代の楠木一族は大柄な者が多いが、新発意は六尺二寸と群を抜いて大きく胸の肉は隆々、肩は巌、腕は女の胴回り程も。
だが相貌は目が丸く団子鼻。新兵衛と比べ遥かに温かみがある。


月に一度は訪ねている、と兄に言われて恐縮の新発意。
その巨躯で、当家の母久子に知られていないなどと思っていた事に、思わず吹き出す多聞丸。
母は別に和田兄弟を嫌っているわけではないが、集まれば碌でもないない事ばかりするのを心配。
「早くしろよ」と急かす次郎に、盥の湯をばしゃばしゃと波立てて洗うと、石掬丸からの手拭いで足を拭こうとする。

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次郎から、まだ指の間に泥が挟まっていると言われ、慌てて削ぎ落とす新発意。この二人、互いに次男同士で頗る仲がいい。
この面々で話をする時はいつも囲炉裏を囲む。
「で、何があった」この二人が訪れたのには訳がある筈。
「二つあります」と言う新兵衛。「一つは宮のことです」
宮とは朝廷のこと。今のは楠木家も戴く吉野の朝廷を指す。
「兄者の元に使者は?」「来ている。今年二度。二度目は昨日」
「それは・・・兄者は如何に」と問う新兵衛だが、予想はついている。心変わりがないかの念押しに過ぎないだろう。

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「いつも通り。姿を晦ませたさ」「御御堂様は」
「当然、お冠だ」多聞丸は自嘲気味に笑った。
「いつか躱せぬ日が来ます。それは遠いことではないかと」
そして二十日ほど前、新兵衛の元にも朝廷の使者が来たという。
宮のために働けという事。
和田家 和泉守護代の大塚家、野田の親仁の野田家、その他数家を纏めて「楠木党」と俗に称される。その取り纏めが楠木本家。
だがそれは連合に近いもので、各家が朝廷に直に出仕する形。
朝廷は楠木家を外し、和田家に楠木党を率いさせる目論見。
「遂にそこまでか」再三、朝廷の命を躱して来た多聞丸。
朝廷に仕える廷臣もしびれを切らしたか。
党を率いることが出来るのは楠木本家のみ、と辞退した事を伝える新兵衛。「気苦労をかけたな」

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大塚へも使者が向かったと聞いて、さもありなんと思う多聞丸。
大塚惟正は父の死後、若すぎる多聞丸の名代として奔走してくれた。河内守護打診の時も断っており、引き受けるとは思えない。
「大塚殿に兄者の考えは?」「話してはいない」
昨年、多聞丸はその事を初めて次郎に話し、次いで新兵衛、新発意にも語った。新兵衛の、安堵の表情を覚えている。


ただ、和田兄弟が同調しても大塚がそうとは限らない。この考えを大塚、野田らに話すならば、まず母に打ち明けるのが順序。
「昨日、母上に話しかけたらしい」と次郎。
話せなかったことを、賢明な判断だと言った新兵衛。
それで少し楽になった多聞丸。大事に対して嘘は言わぬ新兵衛。

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「お持ちしました」話の区切りを見て、石掬丸が白湯と水の椀を持って来た。下がろうとする石掬丸を座らせる多聞丸。
「もう一つは?」と多聞丸が訊くと、待ってましたとばかりに口を開く新発意。阿保の灰左が暴れているという。
名を青屋灰左という。かつて毎日のように聞いた名。
「放っておけよ」と多聞丸。当初は同じことを言ったという新兵衛。だが灰左は一向の暴れるのをやめないという。
「狙いは相変わらず俺か?」の問いに大きく頷く新発意。
「ああ、兄者を出せ。今度こそ勝つ。臆して出られぬかと・・」

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「吹きやがって」と舌を打つ新兵衛。「あいつは変わらんな」と言う多聞丸だが、変わらぬことにほんの少し嬉しさを感じる。
父の時代、悪党と呼ばれていた楠木家。
他にも多くあり河内、摂津の平野将監、伊賀の服部持法、大和の真木定観、そして播磨の赤松円心など挙げればきりがない。
だがその多くは後醍醐帝に加勢して鎌倉を討伐した事で、朝廷の臣下になった。物流に注力出来ず、さりとて横領もならず。
そうなると利権を求めて新たな悪党が湧き出て来る。
今、天下は宮方と武家方に二分しており、互いに悪党とそしる。
対立する両者にとって、枠外の者は非合法な「汚れ役」もさせることが出来、都合かよい。

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灰左もその様な新しい形の悪党。多聞丸に突っかかるものの宮方、つまり味方の陣営に属す。「久しく会っていないな」
青屋灰左は多聞丸より一つ上の齢二十二。

元は染物を行う紺掻の出。

武士はおろか百姓にも蔑まれる差別を受けていた。

染めの工程で人骨を使う、また藍の不思議な作用による発色などが妖術と忌諱されたか。常に肘から先が青いのも嫌悪の元。
灰左の一族に転機が訪れたのは、あの後醍醐帝の決起。味方する者は少なく、帝は「身分を問わずに馳せ参じよ」と檄を飛ばす。
紺掻を取り纏める灰左の父が、仲間と共に笠置山に馳せ参じた。

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当初、味方からも忌避された紺掻たちだが、後醍醐帝の称賛により表立って蔑まれる事はなくなった。感激した紺掻たち。
後醍醐帝が再度起った時も彼らは戦い、その功績で灰左の父は紺掻の別名である「青屋」を姓として名乗る事を許された。
青屋の一族は、やがて後醍醐帝と共に吉野へ移り住み、藍染めで乏しい財政に寄与した上、事が起これば戦う。武家方にとっては「悪党」だが、宮方からは「吉野衆」などと頼られている。
灰左は十四の時父を病でなくし、吉野衆の頭を継いだ。
後醍醐帝、朝廷に畏敬の念を抱き貢献しようと奔走する灰左だが、いつも注目されるのは楠木多聞丸正行ばかり。
一族に仕事を任せているだけなのに、期待を寄せられている。
更に言えば、何もしていないのに国司や守護にも任じられた。

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灰左はそれが「面白くない」のである。よって灰左は事あるごとに多聞丸に突っかかる。とはいえ帝への不忠を避け刃傷沙汰にしないあたりは、一抹の可愛げがある。
多聞丸もそれを楽しんで、灰左と戦もどきを行って来た。
「今は放っておきたいがな」と口角を下げる多聞丸。


朝廷も、多聞丸と灰左の諍いは知っているが、静観している。
使者が頻繁に来る今、話題は作りたくない。「だから灰左も我慢ならないのでしょう」と苦味走った笑いを浮かべる新兵衛。
朝廷で、多聞丸の話題がもちきりになっている事に不満が募り、東条に乗り込んででも決着を付けたい灰左。
「兄上、それは・・・」「ああ、まずいな」
東条で騒動を起こせば、母の知るところとなる。面倒だ。

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「新兵衛、灰左はどこにいる?」「よし、来た」と新発意。
昨日、池田の衆と揉めたからその辺りだと答える新兵衛。
東条の西三里ほどに拠を持つ二十数名の小さな悪党。
敵は五十を超えるという。自分たちを合わせても足りない。
多聞丸が一声かければ百は集まる。それは守護としてではなく、この五、六年の間、同じ年頃の者と狩りに出たり、肝試しをしたりという「悪童の大将」としての多聞丸にである。
「十分だ」多聞丸の不敵な笑いに皆が「悪い」顔となって頷く。
「あいつ次に負けたら何敗目だ?」新発意が指を折る。
「三十二戦、三十二敗だ。うち兄者との一騎打ちは十三、合戦は十九」と即座に答える新兵衛。

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「次で三十三か」次郎はにししと白い歯を覗かせた。
多聞丸は拳を掌に打ち付けながら高揚感を味わう。
厩から香黒を曳いて来る石掬丸。「また、やるのか」
とでも言いたげだが、香黒もこちらの方が気性に合うだろう。
多聞丸は石掬丸に留まるように言い、訪れる野田の親仁の応対を命じた。明日灰左が騒ぎを起こすより、今相手する方がいい。
如才なく母への言い訳を水争いにと提案する石掬丸。
多聞丸を先頭に四騎が西へと駆ける。一刻ほど走り、池田の衆の塒に着く。漂う暗い雰囲気。項垂れている者も。
「おい、安蔵はいるか」多聞丸の声に皆はっと顔を上げる。
「あっ、大頭!」こうした者たちは御屋形様とは呼ばない。

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家の中から、傷を負った者たちがぞろぞろ出て来る。
「大頭、すまねえ」池田の衆の頭 安蔵が謝る。二十八歳程か。
大頭を馬鹿にされて頭に来た、と言う安蔵を労う多聞丸。
灰左たちは百舌鳥八幡宮東の荒地に屯しているという。
そこは八幡宮の社領。飢えに耐えかねた者を受け入れ、畑を作らせようとしたが、楽な誘惑に負けて逃散した故の荒地。
あくまで戦ではなく喧嘩。それは灰左も承知。一線は越えない。
「まだやれるか」「おお・・・だがあいつら五十人以上も・・」
「その程度で負けるかよ」と多聞丸は言い放つ。


76
「行くか」の声に皆頷く。池田の衆が十九人加わり、合わせて二十三人。件の荒地へと向かう。働く百姓たちの冷たい視線。
一方商人たちは好意的で、笑いながら声をかける。彼らとは物流で結び付く。父の死で崩れかけた綱を多聞丸の代で立て直した。
荒地に近づく。連中は飯を食っているらしい。
尋ねる新兵衛に「このまま行ってやろう。俺は灰左を取る」
新兵衛の指図で侵攻の順が決められる。多聞丸が手綱を絞って香黒の脚を緩めさせると、新発意ら十名足らずが先頭に繰り出す。
「げっ!来やがった!多聞丸だぁ!!」
浮足立つが、武器を取って迎え撃とうとする吉野衆。
その中に、自ら染めた藍の着物を着て長い髪を束ねた男がいた。

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青屋灰左で間違いない。仲間に指図をしている。
互いの距離が十間となった時、吉野衆が礫を投げるが、ひるまぬ新発意は相手の群れに突っ込む。その棍棒を受け悶絶する男。
「俺は刑部だ!馬鹿野郎!」叫ぶ灰左。三年ほど前から勝手に名乗っているが、多聞丸たちが無視するのでいつも怒っている。
灰左の指示で吉野衆が、新発意ら先頭に群がる。
次の瞬間、新発意らは左右に分かれた。「よし、行くぞ」
次郎が七人を率いて突撃する。吉野の先鋒は新発意らに押さえ込まれて動けない。次郎らは更に奥まで踏み込んだ。

78
どうせ負けるんだ、諦めろと言う次郎に言い返す灰左。
その時「灰兄、これはまずいぞ。前と同じだ」と二番手でいつも冷静な譽田惣弥が声をかける。「刑部!」と反応する灰左。仲間うちにも定着しておらず、苦笑する多聞丸。
その惣弥ら一群を押し込む次郎。灰左までの一本道が拓けた。
「兄上」「任せろ」多聞丸以下六人が一気に隙間へ駆け込む。
灰左の周囲を固める者が香黒の脚を狙って棒を構える。
「香黒」と小さく呼び掛けるより早く飛び上がる香黒。棒は空振り、触れた者は飛ばされた。
灰左に木刀が振り下ろされる。仰向けになる灰左。
舞う様に香黒から飛び降りた多聞丸。灰左の首に木刀を添えた。
「くっ・・・」「灰左を取ったぞ!」上がる歓声。

79
次郎の前の惣弥は早々に木刀を捨て「負けだ。止めるぞ」
吉野衆も渋々得物を放り出す。

灰左がわめくが惣弥に「潔くないのは嫌いだろ」と言われ
「此度は負けだ」「此度もだろう」と多聞丸。
灰左が言う負け惜しみと、それに返す多聞丸に皆が笑う。
お前と争っても得はないと言う多聞丸に「男の勝負だろう」
吉野衆へ怪我はないかと労わる多聞丸に、またイラつく灰左。
「お前を倒して、帝に一の忠臣と認めてもらう」と言う灰左に
「忠に関してはお前が上だ、俺よりは」と言う多聞丸。
「はぐらかすな」「はぐらかしちゃいない。本気だ」

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「じゃあ何故廷臣は楠木正行こそ一の忠臣と仰るのだ」
「知るかよ。お前の働きが足りないのじゃないか」
他の者は既に歓談している。終わってしまえば遺恨はない。
仲が悪いわけではなく、灰左が突っかかるのに付き合うだけ。
「じゃあ、それくれよ」と多聞丸は灰左の腰のものを指した。
「ば、馬鹿・・・やるか」刀を隠す灰左。
灰左が最近手に入れたという刀が気になっていた。
あまりにも切れ味が良く、手に馴染み美しいという灰左。
茎(なかご)を見ると「明空」とある。

それは粟田口藤次郎久国の隠し銘。名工中の名工。

灰左ごときが持てるものではない。
入手について訊くと、何でも武家方の荷駄が伊賀路を行くところに出くわしたらしい。

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護衛も多かったが荷も結構なものであり、強奪を決意。
奇襲の末に奪ったという。その中に、厳重に納められたこの刀があり、気に入った灰左が佩刀にした次第。
多聞丸は刀剣の造形、美しさに惹かれる。故にそれを譲ってくれと頼んだが、来歴を知っては手放す気はない。刀を納めた。
そんなやりとりの中で、多聞丸の佩刀に話が及んだ。
名を小竜景光という。備前国長船の三代目、長船景光の作。
刃長二尺四寸三分。樋には倶利伽羅竜の彫り物がある。
この名付け親こそ父正成。決死の戦いに向かう間際に託された。
「御父上のことは心より尊敬している」と言う灰左。
死後、父は勤王の象徴として語られ、憧憬の対象になった、
「そうか」

82
「朝廷からのお声掛けに応じぬとは、父の血を継いでいながら情けない話だ」「何処で聞いた?」多聞丸は眉間に皺を作る。
今まで幾度となく来た使者に「力が回復せず時期尚早」とはぐらかしているが、朝廷も面子があり中枢しか知らぬ筈。
「噂になっているよ」と歩み寄る惣弥。童顔で齢二十より数歳若く見える。次郎、新兵衛、新発意らも集まる。
その話を聞いて灰左が荒れた。それを知ったのは、繋がりのある若い下級の公家から。灰左の憤懣に公家が気圧されたという。
朝廷が何のために多聞丸を召し出そうとしているかは知らないが、吉野衆にはそんな話は来ない。
「だから灰兄は面白くないんだよね?」「うるせえ」

83
「兄者」新兵衛の顔が曇る。「ああ、かなり・・・」
末端の者にも伝わっているとは、よほど話題になっている証し。
--かなりまずい、と言わざるを得ない。
どんな命と聞いたか、逆に聞き出そうとする次郎。
知らないが常陸の事は聞いたという。敵方の多い東国にあって、常陸は味方が多い。だが近年力を削がれ、地盤を失っている。
多聞丸が応じないから常陸国の国司、守護に任じたいらしい。
河内と二国受け持つ話でもあり、穏やかでない灰左。
招聘に応じない多聞丸、常陸国まで使って懐柔しようとしている朝廷双方に不満がある。

84
違うと言う多聞丸。河内国を取り上げて常陸国を、との考え。
かつて多聞丸の大叔父の子 楠木左近正家が、父の死後朝廷の命を受け常陸国で戦った事がある。その縁を説く朝廷。
だがそれは名目。朝廷の真意は別にある。河内、和泉と違って今や常陸国は敵の勢力圏。多聞丸が入れば戦わざるを得ない。そこに行きたくなければ出仕を受けよ、の意。
事態は切迫している。これまで通りの方法では躱せない。


灰左が「多聞丸」と引き締まった顔で言う。「何故、断る」
灰左も阿呆ではない。多聞丸の、意図ある躱しを確信。
「反対に訊く。お前は何故、朝廷のために働こうとする」
「先帝は我らを人として扱ってくれた。与えられた恩には報いねばならぬ」

85
「勝てると思うか?」多聞丸が踏み込んだと思い、次郎は緊張。
「勝てる」と灰左。「どうだろうな」と返す多聞丸。
「正直に言おうか。俺は・・・」それを次郎が止める。言うならば先に母だ、との思い。息を整える多聞丸。
灰左の言った「与えられた」に対し「奪われたと思っている」と言う多聞丸。はっとする灰左。「もう俺に絡むな」
身を翻して香黒に乗る多聞丸。皆がそれに続く。
「多聞丸!」遠ざかる背に声をかける灰左。不安げな顔。
こうした日々も、振り返れば楽しかった。決断の時は近い。

86
「俺は諦めちゃいねえ。またやるぞ!」との言葉に、振り返ることなく手だけ挙げた多聞丸。
このまま和田に帰ると言う新兵衛、新発意に、常陸へ行くつもりはないと言う多聞丸。「解っています」と新兵衛。
「やはり、近く母と話をする」和田兄弟と別れ、帰路につく。
「まさか常陸に向かわせようとはな」「かなり厳しいのか・・」
「そうだろうな」多聞丸は戦に出たことはない。それでも引っ張り出そうとするのは、余程状況が悪いのだろう。「いっそ逃げるか?」と笑う次郎。「結局河内を捨てる事になる」と返す。
次郎は己の想いを知っているが、具体的には未だ話していない。

87
「ああ・・・ずっと考えていた」「聞いていいか」
「我らは・・・・」風が吹き抜ける。
一瞬頬を強張らせた次郎だが、やがて穏やかになり
「兄上が考え抜いた事だ。俺はそれでいい」


多聞丸が子供の時に始まったこの戦乱は、未だ終わらず。
民は塗炭の苦しみを強いられている。己の決断はそれを終わらせる一助になると思っている。だが結局はこの戦が馬鹿々々しいと思っているだけなのだ。

屋敷に戻ると石掬丸が、野田が待っていると告げる。
野田は座敷にいた。白湯を啜っている姿に「飯の用意もせずに・・・」と恐縮するが、自分から断ったと言う野田。
身体の心配をすると、歳を取れば誰でも食が細くなると言った。

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野田が話す大食の軽口。武士にはあまり見ず。悪党出身らしい。
野田は父との逸話を話すが、寂寥が滲む。話を転じた。
「水争いは落着しましたか?」石掬丸が母と同じ理由を告げていたのだろう。だが別件だと察しがついている。
「気付いているだろう」「青屋灰左あたりですか」
これでもう三十三回目だと話す。あと十七回あるかも、と野田。


昔、父上にその数だけ挑んだ者がいるとの話。初耳だ。
父の若い頃の話を聞く機会がなかった。最後の別れの時も、決起から今に至るまでを語るだけで精一杯だった。

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「その男、今は?」「生きております」
「俺も知っている男・・・なるほど、そういう事か」
話しているうちに気付いた。「親仁が灰左よりしつこいとはな」
人気者の父に妬いていたと言う野田。五十度負ければ止めようと決め、その時は生涯かけて付いて行くとも。
話を変える野田。西国の物流について。
昨興国六年、肥後の菊池武光が挙兵し、敵方を陥落させて自らが当主となった。更に、現在征夷大将軍として九州へ派遣された懐良親王と合流する動きを見せている。
それを支援しているのが朝廷であり、楠木党が一助を担っている。頗る強いという菊池。

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「そうか」静かに答える多聞丸。
素直に喜べない・・・五年は戦が延びる。
「悔しいですかな」の言葉。未だ兵を率いて戦をした事がない事を指すか。この世代の普通の考え。「そんなところだ」
話が戻る。多聞丸が常陸の国司に任じられるとの噂を、野田も聞いていた。現実的でないというのがこの二人の見解。
「常陸の話は、俺を動かすためのものだろう」
「なるほど。ならば辻褄も合う」「というと?」
「伊勢の方から噂が流れております」「そういうことか」

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今朝も次郎との話に出た、伊勢の「とある男」
己とは相容れぬ思想。楠木家を早く動かしたいと思っている。
「親仁は如何に思う」「時期尚早かと」
父の死後、勢力を減退した楠木党。盛り返したとはいえ往時の七割程度。それを越えてからが望ましいとの考え。
「正直、意外だった」と言う多聞丸に
「戦は勝った方が面白うござる」と不敵な笑みを浮かべた。
勘違いをしていると言う野田。父の後を追いたいのではなく、頼むと言われた約束を果たす。御屋形様に付き従う覚悟との言葉。
勘違いを詫びる多聞丸。だがその話をせねばならぬほど、世がきな臭くなっているという。
「親仁、一つ頼んでもよいか?」

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「何なりと」「伊勢に手を広げたい」
銭のためではなく、あの御方の動きをいち早く知るため。事を起こす時に伊勢を使う。「承知致しました」
泊まって行くかとの誘いを、嫁たちとの会食があると言った。
妻を早くに亡くしたものの、嫁(長男の妻)が月に一度は宴を催してくれるという。野田はにかりと笑って腰を上げた。
若い頃の野田をこの目で見たわけではないが、いずれも今の野田とは違う気がする。時は、良くも悪くも人を変える・・・