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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 王塚古墳

 

 

 五郎山古墳

 

 

 

王塚古墳へは米田良三氏と出かけ、色々教えていただいたことがあります。

 

 

その時の予備知識があったため、友人たちと行った五郎山古墳では、米田説と公式見解とのギャップが鮮明に理解出来、一味違って楽しめました。

 

 

先日、NHKの歴史番組で両古墳を取り上げていましたが、まるで覇気のないピンボケな解説を聞かされウンザリしました。

 

 

一番大切な装飾古墳の意義は、“磐井の乱”(本当は“継体の乱”)の戦後処理の一環であることなのに、その点に指一本触れないことです。

 

 

放送は勿論、現地のミュージアムの解説も同じです。

 

 

壁に描かれている馬上の人物は倭薈、馬の口をとるのは安曇の君である、と実在したスト-リーが描かれているのです。

 

 

ミュージアムの再現古墳の出来は素晴らしいのに、内容が伴わないのはいかにも勿体ない印象です。

 

 

五郎山古墳のある原田(はるだ)の住宅地は綺麗に宅地開発がなされ、定住したくなるような美しい環境です。

 

 

塗装の状態から判断すると、ごく最近の鳳凰堂の映像と思われそうですが、なんだか古い色調だし樹木もあまり密に茂ってないし・・・・

 

 

これは小学校の3年生の時、父親が買ってくれた学習研究社(現在の学研)1951年発行の少年少女学習百科大事典「日本の歩み」の中の写真です。

 

 

モノクロ写真に巧みに着色してあるようです。

 

 

この本は高校入試、大学入試の時も参考にしました。当時、幕末維新のところがどうしても理解できなくて、つい小学校時代のこの本に立ち返ったのでした。

 

 

それでも解らないのは長州は尊王であったのに征伐を受け、挙句に錦の御旗(もうひとつの尊王?)を掲げて天下を取ってしまったことです。

 

 

“それを言っちゃおしまいよ”と寅さんに教えられたり、ヴァーべックについて学んだりしたお陰で、すっかり霧が晴れました。

 

 

鳳凰堂も建っている方角が変だと思っていたところ、倭国時代に九州の俗名院(二日市の南)にあったものを平安時代に現在地に 移築 したという事実を米田良三氏が解明しました。

 

 

このようなワクワク感を味わうことの出来る(受験から解放された)大人の歴史の勉強法が評価される時代がもうすぐそこに来ていますし、教養の概念も大きく変わることと思います。

 

 

 

〈引用〉無名草子』や『今鏡』、『源氏一品経』、『光源氏物語本事』のように、古い時代の資料に『源氏物語』を60巻であるとする文献がいくつか存在する。

 

一般的には、この60巻という数字は仏教経典天台60巻になぞらえた抽象的な巻数であると考えられているが、

 

この推測はあくまで「60巻という数字が事実でなかった場合、なぜ(あるいはどこから)60巻という数字が出てきたのか」の説明に過ぎず、

 

60巻という数字が事実でないという根拠が存在するわけではない。

 

この「『源氏物語』が全部で60巻からなる」という伝承は、「源氏物語は実は60帖からなり、

 

一般に流布している54帖の他に秘伝として伝えられ、許された者のみが読むことが出来る6帖が存在する」といった形で一部の古注釈に伝えられた。

 

源氏物語の注釈書においても、一般的な注釈を記した「水原抄」に対して秘伝を記した「原中最秘抄」が別に存在するなど、

 

この時代にはこのようなことはよくあることであったため、「源氏物語本文そのものに付いてもそのようなことがあったのだろう」と考えられたらしく、

 

秘伝としての源氏物語60巻説は広く普及することになり、後に、多くの影響を与えた。

 

 

 

ネットからの引用です。

 

 

「火のないところに煙は立たない」云々(コレを“でんでん”と発音するのが最近流行っているようですが・・・)と言われますが、“秘伝”の方が寧ろ“本物”・ “元祖”である可能性が高いと思われます。

 

 

米田良三氏は『源氏物語』の原典(倭国時代のオリジナル)は宮内庁が持っている可能性が高い、と言っておりました。

 

 

それを裏づけるものとして「源氏物語絵巻」「源氏物語画帖」には、近畿地方での出来事としては説明の付かないシーンが散見されます。

 

 

とすれば、後は芋づる式に『枕草子』等の原典も存在すると期待できます。激変する世界情勢を前にして、そろそろ日本の秘密をオープンにしてもよいタイミングだと思うのですが・・・・・

 

 ここをクリック

 

 

 

治療機械の会社から送られてきたダイレクトメールに載っていたシェーマです。

 

 

脊柱彎曲運動の正常化をはかる “スパイン ダイナミクス”療法 の講演会の案内状の一部です。

 

 

このような姿勢分類はどのテキストにも載っているのですが“筋性支持”“骨性支持”という表現が理解を助けてくれます。

 

 

腹筋、背筋がしっかりしていても姿勢が悪いと“何にもならない”と言っているのです。

 

 

“姿勢”は“取り組む姿勢”という言葉があるくらいですから“心構え”にも正しい姿勢が必要です。

 

 

以前、亡国の「 体操座り 」について書きましたが、あの座り方は“悪い姿勢製造機”であり、

 

 

さらに“ 立腰教育 ”的に言えば学力低下に繋がる“大和民族劣化作戦”のひとつと考えられます。

 

 

“大和民族劣化作戦”には色々あって、疑い過ぎる位で丁度良いと思いますが、

 

 

例えば「ゆとり教育」「学童・生徒の週休二日制」「祝祭日の意義の不明確化」「意図的な教員の過重労働」「大学入試センターテスト」

 

 

「紅白歌合戦を含めたTVバラエティー番組」「インチキ世論調査」「不正選挙無視報道」「見るスポーツの過熱」「ゲーム中毒放置」「シャンプー・リンス」

 

 

「食品添加物」「予防接種?」「必死にトランプ新大統領をこき下ろす学者・評論家」等々、

 

 

探せばまだまだいくらでも出てきそうです。

 

 

【ワシントン共同】米ワシントン訪問中の大村秀章愛知県知事は20日午後(日本時間21日未明)、トランプ大統領の就任式に出席した。

 

大村氏は就任演説について「人類へのメッセージを発してほしかったが、それがなかった。

 

残念で、物足りなかった」と記者団に感想を述べた。

 

就任式は、衆院議員時代からの知り合いの共和党関係者を通じて招待を受けた。

 

大村氏は「選挙中に言ったことを凝縮した内容だった。

 

支持者には分かりやすいのだろうが、未来へのメッセージがなかった」と指摘。

 

「世界をリードする超大国のトップなので、世界をよくしていく政策を行ってほしい」と語った。 共同通信 2017/1/21 11:12

 

 

 

愛知県民の運命を握っている者として、このような発言でいいのだろうか?

 

 

「人類」「未来」等、国民を煙に巻くメッセージがなかったのは誠実さの表れではないか?

 

 

演説が格調高いと国民は幸せになれただろうか?

 

 

世界をよくすると称した揚句、世界はどうなったのか?

 

 

“アメリカ・ファースト”とは今後“世界に対し余計なお節介をしない”という意味ではないか?

 

 

招待を受けた者としての振る舞いとして如何なものか?

 

 

その共和党関係者に失礼ではないか?

 

 

トヨタ城下を預かるものとして責任を果たせるのか?

 

 

最後に一言、トランプ氏を支持した人たちの 本当の気持ち

が分かっているのだろうか?

 

 

 

 

我が国のメディアが事前の報道をどうすべきかと躊躇しているうちにその日が迫ってきましたが、“就任前の世論調査で人気がない”との報道は解せない、その後の行いで評価すべきなのに、と思います。

 

 

今回の大統領選挙はUSの歴史始まって以来始めての“正真正銘の政権交代”なのでしょう。

 

 

今までは二大政党茶番劇だったのです。

 

 

あれほどの選挙を経て、ヒラリーが敗北宣言をしたにもかかわらず、スッタモンダやっているのは、民主主義自体がインチキであることの証明です。

 

 

トランプ氏の戦略で一番感心するのは、選挙期間中に“不正選挙”をテーマに取り上げたことです。

 

 

“不正”を確実に行えるのは権力側ですので、追求する側は投票が済んでからでは遅いのです。

 

 

ややもすると超過激とされる物言いのトランプ氏ですが、目標達成のためならあんなものでしょう。

 

 

開票会場に投票箱を運んでいる最中に“当確”報道されることに何ら疑問を持たない日本国民が目覚めるのはいつのことでしょうか。

 

 

知っていて、間違った報道を続けるマスコミの運命はどうなるのでしょうか?

 

 

写真の号外は私の資料コレクションの中のひとつです。

 

 

当時のことをAFSで留学中だったS君から聞いたのですが、ハイスクール内にその情報がもたらされた時、“ President is dead !と大騒ぎになったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

出来たばかりの仏像は金色に輝いていますが、真っ黒なものに見慣れている私たちからすれば違和感があります。

 

 

ある仏像の 解説書に奈良・薬師寺の薬師如来の元の姿の想像図(写真)が載っていました。

 

 

ボディーは金ぴか、ヘアーは群青色、手掌・足底・胸骨部にタトゥーが施されており、薬壺は持っていません。

 

 

この図から判断するに、この本の編集責任者は定説に何ら疑問を持っていないと分かります。

 

 

胸に卍の刺青があるだけで、この像は倭国王“倭薈を表現していると断定できるのですが、その事がいかに不都合な真実であるかを編集責任者は理解していないのです。

 

 

 薬壺を持ってない ことも重要です。

 

 

そうです、この本は非常に正直な作りなのです、“バカ”が付く位。

 

 

即ち、薬師寺の薬師如来像は“阿弥陀如来”なのです。

 

 

阿弥陀信仰の歴史の流れの中で、卍のマークがついている仏像はすべて阿弥陀如来(=倭薈)でもあるわけです。

 

 

胸の卍は手掌や足底の刺青に比べると極力目立たないように(日頃から)磨かれているのは、倭国を乗っ取った側(大和朝廷)がこの事実を隠しておきたかったし、現在でも隠しておきたいのです。

 

 

 12月24日の記事 の続きです。

 

 

「以前は絵巻物の全景をネットで見ることが可能だったのですが、現在はどこを探しても見当たりません。」と書きましたが、実はもうワンクリックすれば壮大なパノラマを見ることが出来ます。

 

 

早とちりでした。

 

 

一発でリンクできるようにしましたので、是非お楽しみ下さい。

 

 

大和朝廷以前の九州でこのようなドラマが展開されていたのです。

 

 

「いまひとたびの“みゆき”またなん」の“行幸”とはこのような情景だったに違いありません。

 

 

米田氏がこの絵巻にたどり着いた経緯は不明です。

 

 

彼のインスピレーションは鋭いのですが、国会図書館に通いつめ、守旧派の学者が手に取ろうとしない文献を読み込んで得た情報もかなりあったと思われます。

 

 

出警図 しゅっけい図

 

入蹕図 にゅうひつ図

 

 

 

昨年から我が国で人気者になった競技カルタをやるフランス女子・ オロールさん

の最近の映像をたまたま見ました。

 

 

日本のテレビのディレクターがフランスに渡りインタビューするシーンです。

 

 

仲間と練習中に声をかけられ、小走りで最短コースを一気に駆け寄るため、カルタの広げられている真上を踏んずけんばかりに通っています。

 

 

日本人なら絶対、練習中の仲間の後ろを通るでしょう。

 

 

彼女は日本語も上達中のようですし、日本文化を敬愛しているのは明らかですし、容貌も日本人好みで可愛くて、将来のブレイクは間違いないと思います。

 

 

映画『ちはやふる』の第3部が作られるとしたら、きっと彼女には出演のオファーがあることと思います。

 

 

日本人なら当たり前のマナーも少しずつ身に付けていってくれることでしょう。

 

 

ゆくゆくは百人一首の和歌の本当の解釈( 米田説 )を教えてあげたい気持ちです。

 

 

 

安保 徹 先生のおかげで“リンパ球の%”について感心が高まっているのは良い傾向です。

 

 

普通の診察にしろ、健診にしろ“白血球分類”はルーチンだと思うのですが、やってない場合が結構あります。

 

 

やってない開業医、健診センターの責任者は 安保理論 を知らないのだな、とすぐ分かります。

 

 

もしくは、経費節減のケチな会社の健康診断と分かります。

 

 

その他、気付いた点としては・・・・  

 

 

いくら若くても、子育て中のママは30%以下が珍しくありません。

 

 

しかし元気です。

 

 

子育てが終わって、落ち着いた生活を送っているママは40%以上、場合によっては50%近くもあり堂々としています。

 

 

いかにも元気のない患者さんの場合10%以下のことがあり、これは過労死注意報です。

 

 

リウマチの患者さんの場合は10%台は珍しくなく、免疫を抑える薬をさらに投与する理由が良く分かりません。

 

 

『免疫革命』以後、お客さんの把握がし易くなり、自分自身の“からだの声の聴き方”も上手くなりました。

 

 

採血は体調が最高に良好(快食・快眠・快便・無悩)な場合と最悪の場合(良好な場合の真逆)を選んで行い、自分のリンパ球数の幅(ベスト~ワースト)を熟知し、食生活の改善にも役立てます。

 

 

どこまで薬無しで行けるかを知るために行うのが血液検査を含む健診の目的であり、飲んでいる薬によって変化するデータに一喜一憂するためではないと考えます。