以前から気になっていた四高 の校舎に、今回やっと入ることが出来ました。
ノスタルジックな外観で教育関連の古い建物となると無性にいとおしいのです。
旧校舎は記念館として綺麗に整備されています。
いずれの旧制高校でも、全国的に学生達のやっていたことはほぼ同じ(街の中でヤンチャをやっても住民が暖かく許してくれるストームとか、
文武両道の気風など)だったと思うのですが、各々の個性が微妙に違う理由は所在都市の風格の違いが反映されたものと思います。
風格というものは学校の存在する都市の歴史、文化的背景、市民のレベルなど総てをひっくるめたものから形成されます。
従って学校は敷地の枠を越え、それが所属する都市と一体なのです。
金沢は歴史的建造物が豊富であるばかりでなく、保存、再利用が徹底しており“風格”の源となっています。
また、金沢の人々は自分達が“地方の人間”であるとは全く思っていないそうです。
さて、嫌が上にも、旧名古屋市民としては両都市を比較してしまうのです。
旧愛知一中校舎 など数少ない戦火を逃れた建物でもあっさり建て替え、松本高校に似た名古屋高商 (名古屋大学経済学部の前身)の木造の校舎も処分し、
相変わらず名古屋城天守閣を木造にすれば一流都市の仲間入りと勘違い。
金沢が四高で、名古屋が八高
と始めからそのような順番なのにそれが分かっていない。
石原裕次郎が歌った「白い街」 のまま時間が止まっている。
久々に金沢を訪れ、名古屋がコケにされる理由が嫌というほど分かりました。
(to be continued)