九州王朝説に関するお話がYOUTubeにありましたので紹介します。
内容がほぼ自分の考えと同じですので観ていて気分がいいですね。
い53,078 回視聴 2024/01/24
倭国の都は奈良ではなく九州の大宰府にあったという説を、考古学的根拠をもとに解説しています。
古代山城が守るものとは、そして大宰府と「令和」の不思議な関係とは・・?
【動画目次】
00:00 オープニング
02:07 遠の朝廷とは?
06:21 太宰府遺構が物語ること
11:10 古代山城が何を守っていたのか?
16:07 太宰府は当時の東アジア最大の羅城だった!
19:35 令和の出典は万葉集
22:45 エンディング
日本古代史の最高権威の東大教授がフルベッキ写真の人物の孫ですので、明治維新並びに大東亜戦争後に編成された大和朝廷の流れを汲む支配層は 自分たちの素性がバレてしまうので 倭国についてはマスコミに真実を絶対書かせません。
例えば、由来不明の建築物があったとすると、新築、再建、移築の可能性を検討すべきなのに、法隆寺の場合、米田良三氏の言う「移築」はタブーとなっています。
驚いたことに、以前 教育テレビの法隆寺関連の番組中、古代建築の権威が「法隆寺の謎は謎のままでいいんじゃないでしょうか!?」とインタビューに大真面目に答えていました。
このままでは、お先真っ暗です。
最新の定説を確認するため山川出版社の『英文 詳説 日本史 JAPANESE HISTORY for High School』を見ると、明らかに時代が変われば否定されるであろう項目がいくつも確認できます。
まったく反省の色がないようです。
近年、外国人が永住のために押し寄せています。
郷に入りて郷に従わない無法外国人が増える前に、一味違う我が国の真実を大公開し、ガツンと一発 見舞っておかねばなりません。
おとぎ話風の歴史を放って置いたままですと、外国人に舐められてしまいますし、真実の歴史を確立しておかないと 純粋の日本人の結束は無理です。
「いずれの御時にか・・・」の実際は350年遡るのであって、舞台は現在の京都ではなく倭京 大宰府のことなのです。
過去ブログからこのテーマに関連する記事を選びましたので 是非読んで下さい。