米田良三氏からの年賀状(2012)です。
10年少々のお付き合いでしたが、年賀状の図柄はすべて倭国に因んだ物でした。
始めてこの地図を目にする人には意味不明だと思いますが、ここは飛鳥時代の大宰府周辺です。
この地で6~7世紀にかけて我々の知る平安絵巻の世界が展開されていたのです。
同じ日本列島での出来事なのに、歴史の授業では一切触れられません。
絶対に触れてはならないのです。
内裏は現在の“都府楼跡”の位置に当たり、絵のような光景だったと思われます。
観世音寺は倭国滅亡後移築され法隆寺に化けています。
跡地に再び伽藍が形成され、移築のイメージが消されています。
逢坂の関は建築学的には低レベルの水城に変貌しています。
淀は当時の船溜りですが、現在は陸地です。
桂は現在の桂離宮が移築前にあったところです。
加茂川は現在の御笠川です。
「法隆寺移築説」を知らずして太宰府観光をするなかれ。
感動はないし、時間の無駄。
“菅原道真は、あの時代、九州王朝倭国について触れたがために太宰府に飛ばされたのだ”とい う説を最近知りました。
さもありなん。
現在でも「自分の説を潰す係がいるようだ」と米田氏はぼやいていました。