この年表は米田良三著『柿本人麿の真実』に載っている年表の抜粋です。
九州北部と近畿での出来事を分離することにより、九州王朝説の理解が進みます(米田氏のアイディアに脱帽)。
600年代、九州・近畿の交流はあった(→ 古代のハイウェーについてのNHK TVの番組)のですが、現行の歴史教科書には全く登場しません。
真っ先に「大宰府」の扱いに困ってしまうからでしょう。
学校で習う“平安時代の国風文化”が、実は300年以上前の九州での出来事だったのですが、幼少時から『まんが 日本の歴史』などに親しんでいる国民が「米田説」に共感することは絶望的にあり得ません。
従来の学説の学者さんたち、心配ありませんよ!