自ら調べた現場の所見、文献等と、既にある様々な説を組み合わせ、自分流の歴史が出来上がります。
従って論争はプロもアマも、ひとまず仮説を持ち寄って行われる、と意識すべきです。
新しい考え方を定説を根拠にバッサリ切り捨てることは、絶対に御法度です。教科書の中にも疑わなければならない点があまたあることは今や常識です。
しかし、大まかな点での意見の一致はある筈で、「九州王朝の有無」くらいは、もうそろそろハッキリさせても良い頃です。
狭い日本ですから、飛鳥時代、近畿と九州の間で人の往来はあったし、お互いがどんな暮らしをしていたかは充分把握していた筈なのに、大陸への玄関口とその周辺が全くの空っぽとは、余程人為的な操作が加わったと考えるのが妥当です。
定説を鵜呑みにしてしまう人々の殆んどは、真実の歴史を国民に絶対悟られない使命を帯びている者の存在を知らない。
そして自信満々に「○○君みたいにチョッと教養があって、一つのことに集中するようなタイプが(怪しげな新説に)一番引っかかりやすい・・・」と言ってのける女史が身近にいる。