李登輝は「清明上河図」の原本を見たか? | 民営文化センター

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ヤマト朝廷成立以前の北部九州は文明的に明治維新頃よりも上であった。巨大な石造アーチ橋が博多のウォーターフロントに、石を積んだ城壁をベースにした逢坂の関(写真)(下が跡地である現在の水城)もあった。台北の故宮博物院の「清明上河図」は白村江の戦いの時の進駐唐軍が戦利品として持ち去った日本(倭)国王室の絵巻物を模写したもので、一見中国風だが、当時の博多の雰囲気を知ることができる。http://www.npm.gov.tw/masterpiece/fPreview.aspx?sNo=04000988 「清明上河図」は現在、世界に41本もの模写本があり、白人社会でも研究が進んでいるのだが、(今のところ)いつの時代の、どこの地域が描かれているのか特定されていない。中国歴代の皇帝(現代の権力者も含め)は原本を世界に示し自慢したかったのであろうが、一目で日本(倭)国王室のものと判ってしまうジレンマの狭間で、原本は一切門外不出にし、御用絵師に模写させたのが真相のようだ。




李登輝氏ほどの最高権力者であれば「清明上河図」の原本を目にしていると思われるので、彼の目には現在の日本の政治的惨状が歯がゆくて仕方なく映っているのではないか。史上稀に見る完成度の高い王朝を地上から消し去るという則天武后と大和平野の売国奴たちとの密約が現在も有効であるため、邪馬台国は近畿でなければならないのだ。邪馬台国と九州王朝倭国が一連であっては困るのである。


米田氏の説を私なりにブログ用にまとめてみました。




逢坂の関




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