太宰府と聞いて連想するものは天満宮、菅原道真。白村江の戦いまで思いつく人はほとんどいない。都府楼跡にある展示館の年表は白村江以前は白紙である。それ以前を問題にすると、大半はついて来れないが法隆寺移築説マニアは燃える。
最近の天満宮は中国語、ハングルが飛びかっている。都府楼跡や観世音寺まで足をのばすことを省略する観光客が見受けられる一方、法隆寺移築説マニアは増えつつある。五重塔心礎を熱心にカメラに納めていれば、そうに違いない。お互いアイ・コンタクトで「お宅も・・・」といった塩梅。
清水山観世音寺と呼ばれる由縁は、寺の北西に大昔から清らかな水が絶えることなく沸き出ている「弘法水」と呼ばれるスポットがあるからである。ガイドブックには載っていないが、書道を習う人は行くとよい。ここの水で墨を擦ると上達できると言われている(最近は水量が減っているようだ)。この清水山→清水寺=観世音寺というトリックが不徹底のため、『平安・源氏物語』の中で1ヶ所不自然な“観世音寺”が残ってしまったのではなかろうか? この付近の今以上の宅地開発は禁止となっている。景観を守るということだが、発掘されては困る(九州王朝を証明する)ものが出土するかもしれないからだとも言われている。
観世音寺界隈では、お食事処が見当たらないが、1軒紹介しよう。観世音寺の石碑の前で県道を渡って1本目の十字路を左へ入り、次も左、その次右へ回って右手に「筑紫路 松井」という和食のお店(写真)がある。観光客向けというよりは、地元住民向けの店である。お店の人はまだ移築説を本気にしていない。
新しい九州国立博物館もぜひ行ってみたい。ミュージアムショップは充実していて『太宰府は日本の首都だった』も置いてある。体制派にしては太っ腹であるが、脇が甘いとも言う。
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