興味の尽きない東大寺法華堂 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

東大寺法華堂(三月堂)は天平時代のお堂に鎌倉時代 増築されたと云うが、見た目の古さに違いはない。

小学校の修学旅行の際「木造建築は年月が経てばどちらが古いのかわからなくなってしまうんだなあ」、「柱の間隔がなんとなく違うのはなぜかな」と気になったことを覚えている。

1.柱間の寸法は天平側と鎌倉側と明らかに異なっているのは誰の目にも明らかである。2.鎌倉側が曲尺で造られているのは、ほぼ間違いないので、天平側は異なるのものさしで造られていると考えられる。しかし、3.天平時代は既に 曲尺の時代になっている筈なので、辻褄が合わない。オリジナル法華堂は米田氏の言う「ィ尺」で造られているのではないか? 13より法華堂の古い方は倭国時代のもの(宇佐からの移築)と思う。全国的に見て唯一(?)、二種類のものさしで作られていることになり、移築論的に興味の尽きない建築物といえる。詳細な図面が見たい!




3月12日にお知らせしました 米田良三 著『大倭歌聖(やまとうたのひじり) 柿本人麿の真実』(仮題)は都合で編集作業は休止しています。