そうだ山と廃墟へ行こう!
  • 17Mar
    • 2016年3月、仙台市宮城野区の津波被災地を訪れて

      今からさかのぼること2016年3月10日。東日本大震災から5年を迎える一日前に、津波が襲来し大きな被害を受けた仙台の地を私は訪れていた。実は最初にいた会社で仙台支社の立ち上げでずっといた時期があり、過酷なブラック労働で心がすり減ると、夜にふらりと車で出かけて七北田川の堤防沿いの道を走り、何回も夜の海を見に行っていたのだ。その複雑な思いが交差する地には東日本大震災で巨大な津波が襲来し、たくさんの人々の運命を変えてしまった。2011年3月の時は、地元に残り当時いた組織で対策を行う必要があったため、なかなか現地へはいけないでいた。あの思い出が残る場所がどうなったのか、この目で見てみたかったのだ。仙台には「語り部タクシー」という制度があり、タクシーを時間単位で乗せていただき、いろいろな場所へ案内していただいた。仙台中央タクシー株式会社のドライバー菊池さんのもと、まずは七北田川河口付近へ連れて行ってもらった。菊池さんも津波からの生き残りであり、避難所である学校の体育館に案内されたが、「ここは低いから校舎の上に逃げよう」とまわりの人を引き連れて学校の上階へ行き助かった方だった。津波が襲来したエリアからは空き地が目立つようになる。どこまでも平らな場所なので、何か所か「津波避難タワー」が作られていた。いざというときには、入り口を壊して上階に逃げる仕組みだ。タクシーで見せていただいた、2010年9月の七北田川河口付近の写真。私が行っていたころとほとんど変わらない風景。津波によって、川の形と流れも大幅に変わってしまった。そして街並みも。復興工事が進んでいるおかげで、回り道がいたるところにある。タクシーの運転手さんでも、日によってどんどん変わるため行かないとわからないことがあるそうだ。流された家のコンクリート土台。ここの人は仙台市立中野小学校跡地河口が近づいてきた。こんな景色、見覚えがある。たしかこのあたりに小さな漁港があり、船溜まりのところでのんびりした記憶が残っている河口のあたりには大きな古いお屋敷が何軒もあり、大きな松の木も植わっていた。立ってはいるが枯れてしまったもの。斜めになって頑張って生きている木もあった。日和山。標高3m。海沿いの小高い丘で、日本で一番低い山。一回日本二位になったものの、津波で標高がさらに低くなってしまい再び日本一に返り咲いた。海岸の浅瀬は蒲生干潟というようだ。5月ぐらいになると潮干狩りでにぎわうとか。のんびりした景色だが、それだけでない記憶も私は知っている。波の力で手すりがすべて内陸方面に曲がってしまった。今、こうやってブログで記事にしてみても、もやもやして言葉にならないことがある。大変な時の自分を支えてくれた景色。そして美味しいごはんを出してくれたお店の人とか、あの人たちは。そしてあの時、もしここに自分がいたら。高砂橋で七北田川を渡り、タクシーは名取市方面へと向かった。

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  • 16Mar
    • 雪の有間峠から日向沢ノ峰往復登山

      前のことだが、2016年11月に早い大雪が関東地方に振ったときがあり、たまたま時間ができたので11/27に友達のNさんと一緒にちょっとした雪山登山を楽しんできた。有間峠は埼玉県飯能市(旧名栗村)と秩父市の間にある峠だが、飯能側の広河原林道は冬季通行止めなため、秩父側の逆川林道からアプローチを行った。二つ合わせて「広河原逆川線(林道)」と呼ばれている。工事や土砂崩れなどの通行止め期間が結構あるため、埼玉県庁のホームページを事前に確認しておくと良い。ちなみにこの付近では、絶滅されたと言われているニホンオオカミらしい動物が多数目撃され、写真にも撮影されている。「NPO法人ニホンオオカミを探す会」では写真も掲載されているため、登山をされる方は遭遇できるかもしれないので、「こういう動物が生息している」ということを確認し、いつでも撮影できる準備をしておいた方がいいかもしれない。山肌を縫うように走るのが広河原林道。奥にある湖は名栗湖と有間ダム。地味に氷と雪が解け、つるつるでぐしゃぐしゃの斜面をあがって。最初の山頂。仁田山へ登頂。標高1211m。山頂にはたくさんの鹿のフンが落ちていた。自然が豊富なのはよいことだが、最近鹿が増えすぎて問題にもなっている。もっとも今度は調整のために乱獲されたり、猟銃の鉛玉がめりこんだ死体がその場に放置され、それを食べた肉食の鳥や動物が鉛中毒になる事例も起きている。鉛弾ではなく、銅や鉄の弾に変えれば簡単に済む問題なのだが。森の中はほどよく地面が凍り付いていたため、歩きやすい状態だった。登山者の足跡もあるので、道を外す心配もない。眼下の雲は目まぐるしく変化していく。こういう景色があるから、登山は楽しいと思う。道標。先行するのはNさん。稜線で鉄塔を越える。東京電力新秩父線の51番鉄塔。この鉄塔は稜線を超える場所にあるため、関東平野のかなり遠くからも有間山の南側で見ることができる。どこまでも続く鉄塔。こちらは西側の秩父方面(だったはず)。鉄塔の横は平らだったので小休止をしてから登山再開。みずみずしいコケ。坂を一気に上ったら。オハヤシの頭。標高1343m。看板が「東京都」のとおり、ここは東京都と埼玉県の都県境。ここからは東西を走る稜線、「長沢背稜」または「都県境尾根」。山火事対策の防火帯の中央を山道が行く。歩きやすく、人もほとんど出会わず昔から好きだった山道だ。分岐点にあるミズナラ(?)の大木。左に行けば、長尾丸山と棒ノ峰。右へ進むと日向沢の峰。今回は右へ。木の後ろ側は大きなうろになっていた。ツキノワグマが越冬に使えるくらいの穴だが、登山道沿いなのでさすがに使用できないと思うが。雪の草原ちょっとしたピークを登ると。日向沢ノ峰登頂。標高1356m。埼玉県飯能市では一番標高が高い山だ。眺望は南側にひらけて、どこまでも続く奥多摩の山々。絶景を見ながら、Nさんと乾杯。ほどほどで切り上げ来た道を戻る。水が溶けてたまっている窪地もあるのでぬらさないように注意。戻りながら東側の景色。長尾丸山や棒ノ峰といった山々がつらなり、次第に標高を下げて、やがて町のある関東平野へと下りていく。所沢の西武ドーム球場もぎりぎり見ることができた。

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  • 15Mar
    • 東秩父カントリークラブ跡地

      厳密には廃墟ではないのだが、埼玉県東秩父村と小川町にある未成ゴルフ場、東秩父カントリークラブの跡地へ行ってみた。株式会社東秩父カントリークラブは1988年(昭和63年)6月設立。ゴルフ場開発大手「緑泉開発株式会社」の子会社だったが緑泉開発が破綻し、ゴルフ場をはじめる以前の2004年(平成16年)12月22日に自己破産申請を行い、翌2005年(平成17年)1月5日に裁判所から破産宣告を受けたとある。負債118億円。詳細はこちらを参照。バブル期に銀行から巨額の借り入れや資本投資もあったのか、巨額の財産を元手に山々を無理やり切り開いてゴルフ場を作ったものの、バブル崩壊後では会員権も全然売れず元が取れなくなったため破産してしまったのだ。そもそもゴルフ場会員権なるものに、何千万円も払う方がどうかしていたのだ。自然を破壊するぐらいだったら、最初から自然の山のままほったらかしてくれていた方が、生態系にはずっと良かったのに。その乱開発後の姿がどうなっているのか、実地で調べてみたかったのだ。途中まで舗装道路で、導入部分からは未舗装だが、法面はコンクリートで丁寧に工事されている。高いところもコンクリート吹付工事がされていたが、いささか急斜面すぎるのが気がかり。下側。ものすごい荒れていたが、これは木の根やミミズといった餌を探した猪の仕業。重機クラスのすごいパワーだ。最初の頃は、軽トラックくらいならば登れるくらいだったが、途中からは徒歩でないと不可能な荒れぶりに。よくこんなところを、工事車両が通ったと思う。頂上の少し下には、木が生えていないなだらかな斜面。しかしゴルフ場にするには急すぎる気もするが、どうする予定だったのだろうか。木も全然生えていない。頂上部分の入り口には、大きなタイヤが一つ。放置されて約20年。現時点で形を保って残る、唯一の人工物がこれだった。小さな小屋もあったようだが、風化によってぺちゃんこに倒壊していた。こちらが頂上の平らな部分。かなりまとまって広いスペースがあるが、草しか生えていない。山から良質な土をなくしてしまうと、自然が復元しないのだろう。植林なのか自然繁殖か、松が生えている場所もあるが、土が悪いためかいまいち成長が悪いようで細い木ばかりだった。自然のままの場所と、乱開発地の境目がよくわかる。もともとは広葉樹林よりの混合林だったようだ。近くには官ノ倉山と石尊山という、そこそこ有名な山もあり、登山道ではつながっている。右が石尊山(いずるぎやま)で、左が官ノ倉山か?少し南へ行った稜線にあった三角点。「育克山」との落書きが基本測量の柱に書いてあった。こういった乱開発地は、一回生態系が滅茶苦茶になっているので、実際に調べるとなかなか元のようには戻らないようだ。ただ土を入れて、適切な管理を行えば、元のような山に戻るのではないかと思う。ここまで土や資材を持ってくるまでが一苦労ではあるが。

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  • 14Mar
    • 埼玉県秩父市の浦山ダム(秩父さくら湖)

      秩父の浦山ダムへまた行ってきたときのお話。荒川の支流にあって、高さ156m。横の長さ372m。日本有数の重力式コンクリートダムです。詳細は公式ページをご覧ください(雑)。湖の側から撮影。奥の北側に見える山々は、秩父の両神山や上州の山々です。ダムの上から真下を除いて。落ちたら間違いなく命を失うので、落ちないようにしましょう。地図詳細。エレベーターでダムの中を通り、見学することもできます。見学ツアーもしていましたが、山歩きの途中で立ち寄ったので、そちらはいけませんでした。ダム好きが「ダム部」という部活をつくりひたすらダムをめぐる『ダムマンガ』(全4巻で完結)のキャラも全押ししています。私も当然全巻持っていますが、ダム好きの間では誰もが知っている人が登場人物として出てきたりしていてほんとおすすめです。もうちょっと人気が出てほしいなあ。ダム写真展も行っていましたが、そこで全然別の友達が普通に入賞していました。食堂の名物ダムカレー。ダムカードもいただきました。つまるところこういうことだそうですwではでは。

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  • 06Mar
    • スーパーブルーブラッドムーン

      ご無沙汰しています。週末探検隊のかもすです。前の更新からだいぶ空いてしまいましたが、久しぶりに更新をしてみたいと思います。活動自体はツイッターを中心に行っていました。アカウントはkamosdeepforestですので、機会がありましたらそちらもよろしくお願いします。さてさて、今年2018年1月31日の夜に起きた、1か月に2回目の満月がある「ブルームーン」と、さらに皆既月食が起きて赤い「ブラッドムーン」が同時に起きるという、35年ぶりの現象が起きましたので、ベランダに出て撮影を行いました。部分食は20:48にはじまり、これは21:07での姿。半分以上進んだ21:21ごろ。そして皆既月食が21:51から始まり、撮影は21:56ごろです。月が地球の影に入ってからも、目まぐるしく色は変化していきます。22:05、まさしく「ブラッドムーン」、血の月になった姿もみることができました。次にみられるのは150年後だとか。自分がもういないその頃の地球と日本に、私がいいものを残せていたらと思います。

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  • 01Nov
    • 山梨県天上山から霜山まで往復登山

      富士山がとてもよく見える、山梨県富士河口湖町や富士吉田市にある天上山から霜山まで往復してきました。訪れたのは10/26。この前日、富士山に初冠雪があり、頂上付近には少しだけ雪が積もっています。河口湖の東側にある県営の無料駐車場に車を停めて、カチカチ山ロープウェーで一気に150mほどあがります。山道で登る方法もありますが、手抜きをしました。ロープウェーは9時の始発でしたが、結構人が並んでいて、お客さんの8割は外国の方でした。なかなかの人気スポットのようです。カチカチ山のあらすじは、おばあさんを殺して鍋にしておじいさんに食べさせた極悪タヌキを、ウサギが陰謀を駆使して成敗するという内容ですが、この天上山がカチカチ山のモデルとのことです。このタヌキを見る限り、そんなに悪そうな感じはしませんが。あっという間に、ロープウェーの富士見台駅へ。展望台は標高1075m。とてもよく富士山が見えますが、天上山の山頂はもう少し上にあります。朝は雲一つない快晴でした。初冠雪と山道もくっきり吉田口登山道の7から8合目あたりのつづら折りの登山道。今年の7月に訪れていますので、またそのうち日記にできたらと思います。西に見えるのは、ブラタモリにも出てきた富士山の側火山、大室山。青木ヶ原樹海の南東部にあります。ゲートをくぐった先から登山道がスタート。以前、訪れた時には積雪があり雪装備もなかったため、今回はそのリベンジとなります。尾根道をずっと歩いていけば三つ峠山ですが、今回はそこまではいきません。のんびりと山道を歩き。10分程度であっという間に、天上山の山頂。 標高は1139.9m。富士山信仰である小御嶽神社のほこらがありました。木々の間からも富士山がくっきり。古い缶コーヒー。ゴミを拾いながら歩きましたが、まずまずのきれいさでした。山道。崖沿いなので少しだけ注意が必要です。マムシグサの実。毒があり、食べると少しだけの甘味と刺すような痛みが襲います。昔、この実を食べてひどい目にあいました。なぜか溶岩がありました。富士山ならわかるのですが、こんなところまで流れてきたのか。または古い時代、この一帯は火山だったのか。富士山の噴火で飛んできた火山礫が岩になった礫岩(れきがん)だったのかもしれません。紅葉の落ち葉。霜山到着。標高1301.7m。国土地理院の三角点が目印です。下山の山頂票は、横10センチぐらいと手作りの小さなものでした。紅葉を見ながら快適な山歩き。紫色の花を咲かせるトリカブト。もちろん猛毒ですが、かわいい花を咲かせます。行きには気づきませんでしたが、普通の登山道沿いに鹿が木で角を研いだ痕跡が、木にしっかりと刻まれていました。(最初、クマが爪を研いだあとかと思いましたが、コメントで指摘をいただき訂正しました)ブログにアップするときに、縦変換がされなかったのですがそのまま。木の下には木くずもたくさん落ちていました。戻りは通常の登山道が、山腹を行く場所ではあえて尾根道を進んでみました。尾根は保護されたケーブルだらけで、一か所アンテナ施設もありました。登山地図には書いてありませんでしたが、このあたりは新倉山と呼ばれているようです。ケーブルテレビの施設でした。この一帯はカラマツの林で、キノコもたくさん生えていました。図鑑でこのタイプのキノコを調べると、 カヤタケだったらおいしいキノコ。ドクササコだったら治療法なしの激痛を味わう猛毒キノコ。たくさんあったけどもちろん食べる気はしませんw 新倉山の尾根道には、古い一升瓶が落ちていました。大きすぎるのでゴミ拾いはできず。ヤフオクで調べたらアンティーク品としてちょっとした価値があるようです。2本ほどありましたので、好きな方は持って帰ってはいかがでしょう。本来の登山道に戻り、木々の間から見える下界の街。富士吉田市付近。つるの紅葉。林道とのすれ違い地点近く。落葉松(カラマツ)林に風が吹くと、さらさらという音とともに、細い葉が一斉に落ちてキラキラと降りそそぎました。この時期にしか見られない風景です。天上山から見た富士山。ロープウェーの展望台まで、無事戻ってきました。富士山には雲が発生。写真は富士山の東山麓に広がる、自衛隊の東富士演習場。11時ぐらいから、 自衛隊の大砲(FH70,155mm榴弾砲?)の轟音が時々響いてきました。

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  • 31Oct
    • 樹海映画『fuji_jukai.mov』に出演しました

      告知が遅れてしまいましたが、樹海ホラー映画『fuji_jukai.mov』に実は出演したり、舞台挨拶をしてきました。映画をご覧になった方はすでにご存じかもしれませんが、映画の最初と最後に思いっきり私が登場して、いろいろしゃべっています。映画は樹海探検家の私以外にも、民宿や売店のおばちゃん、お坊さんや監視員といった実在の人物によるインタビューを所々はさみつつ、山里亮太さんが樹海のロケ中に見つけたスマホに残された動画ファイルで話が進んでいきます。タイトルの「fuji_jukai.mov」もスマホに残されていた画像ファイルの名前です。ホラーでありながら、ミステリー要素も強く、最後にはあっと驚く展開が待っています。私もかなり驚きました。実は昨年末ぐらいから助監督の方と「樹海がどういう場所なのか」、「どんなエピソードがあるのか」などをメールや喫茶店などでいろいろ打ち合わせをしていて、「そういった話を映画に出て、ありのままに話をしてくれませんか?」ということになり、樹海の中で撮影しインタビューに答えました。写真は撮影現地近くにある、控室として使われた建物にあったたくさんの撮影用電源。ちなみにスタッフや俳優さんについては原則撮影していません。こちらはロケ地の近く。機材だけしか撮影していませんが、ものすごいたくさんのスタッフがお仕事をされていました。私は出番までのんびりと待機。いつもは気を使って仕事をする側なのに、スタッフの皆さんが私に対してもちゃんとした俳優さんのように気を使っていただいて、なかなか得難い体験ができました。山の中で、しかも3/17の撮影だったので、なかなか寒い中での出来事でした。インタビューは山の中で、監督さんとカメラを目の前にして、5分から10分程度、樹海について聞かれたままいろいろそのまま語りました。台本なども特になく、頭の中で事前にシミュレートはしていましたが、その場で考えながら答えました。なので、映画を見たら、考えながらしゃべったため、目がきょろきょろ変な風に動いていて、ちょっと恥ずかしかったですw。監督さんからは素人っぽくて(実際、映画は素人ですが)、リアリティーが出てよかったとほめてくださいましたが。映画は4月に完成し、沖縄での映画祭で公開され、「その後、こっちでも上映しないかなー?」と思っていたら、9月に全国で公開されることが決まり、8/28に樹海の民宿「樹海荘」で、合同上映会とニコニコ動画でのホラー特番で先行の生放送がされることになりました。私は先に樹海入りしてさんざん歩き回り、久しぶりの樹海を堪能してから、道の駅なるさわでロケバスに合流しました。樹海について解説を行いながら、樹海荘に向かいます。ちなみにロケバスで隣に座られていたのが、ジミー大西さんで驚きました。私と会う前になにかがあったらしく、非常に衰弱されていましたがwきれいな女優さんやアイドルの方に、物騒な話をしたらわりとドン引きされましたwこちらは樹海荘での上映前風景。インタビューでなんとなく「樹海で事件や遺体隠ぺいは、恐らく行われていると思います」としゃべったことが、映画でも核心部分で使われていてかなり驚きました。これはごく一部なので、私が何についてしゃべり、映画の中身がどうなのかについては、見てのお楽しみで。ニコ生にも生まれて初めて登場。吉本興業の芸人さんである好井まさおさんとは、ブログにも書けないかなりつっこんだ物騒な話と分析をたくさんできました。具体的には心霊よりも、生きている人間が一番怖いという話です。当日のレポートについてはこんな感じでした。さらに後日。新宿の映画館「TOHOシネマズ新宿」で舞台挨拶をすることになりました。当日の看板ではしっかり私の名前も出ています。登場したのは、9/30と、確か10/2と10/4の三日間でした。舞台上で3分程度、写真パネルを持って映画に出てきた樹海の物体について語りました。まさか樹海の映画と、『シン・ゴジラ』、『君の名は』が並ぶとは。映画館の控室では、シークエンスはやともさんと、怪談家ありがとうぁみさんと、心霊系のお話をさせていただきました。ともかく、自分の人生で最後になるんじゃないかという経験をさせていただきました。映画『Planetarian』で号泣した一か月後に、まさか同じ映画館の壇上で自分がしゃべることになるとは、夢にも思いませんでした。監督さんの話ではいずれDVD化もされるそうですが、できれば映画館で見ていただくか、ダメだったらDVDで見ていただけたらとてもうれしく思います。 できればDVDを買って、そうでなければレンタルでご覧いただけたらと思います。

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  • 30Oct
    • 霧ヶ峰八島ヶ原湿原の草紅葉

      10/16の日曜日に、長野県の霧ヶ峰を訪れてみました。私は中学生の頃に林間学校でこのあたりの高原地帯を歩いた記憶があり、友達と楽しく過ごした記憶、とてもきれいなところだったこと、トンボがたくさん飛んでいたのを覚えていますが、どこをどう歩いたのか全く覚えていません。やはり自分の意思で訪れないと、人間は記憶に残らないようです。ビーナスラインを通って、八島ビジターセンター前駐車場に車を停めてから出発です。ビジターセンターでは、現地の状況や自然を知ることができますが、わかりやすい地図を手に入れることもできるので、訪問する価値があります。ここにはきれいなトイレもありますので、事前に済ませておきました。いきなり広がる巨大な八島ヶ原湿原。池は八島ヶ池というそうです。ちなみに霧ヶ峰とはこのあたり一帯の高原と山々を合わせた場所のことです。地べたとはどことなく、そして全然違う青空と飛行機雲。湖面にも青空と雲。湿原なので木道が整備されています。時々、壊れているところもあるので注意。湿原の植物が枯れつつある景色のことを「草紅葉(くさもみじ)」と呼ぶそうです。まさにそんな景色でした。それにしても雲が面白いです。木道は時々、時々こんな林の中に入り木々の中から、太陽の光が通って木道にゆらゆらと木漏れ日を描くのでした。草も木もすっかり色づきました。有名な鹿除けゲート。鹿による植物への食害がひどいため、こうしたゲートが設けられています。通るときには鍵も忘れずに。このあたりからは湿原から草原の景色へ。東側にある霧ヶ峰の最高峰、車山方面へと向かいます。山小屋兼カフェのヒュッテみさやま。一度休憩しました。メニュー。ヒュッテみさやまさんは、もう少しで今年の営業を終えてしまうとのことでした。ページを見たら、今年は10/30までとのこと。私はコーヒー。子供はしぼりたてのリンゴジュースを注文しました。どちらもものすごく美味しかったです。歴史の教科書で多くの人が見たことがある黒曜石は、霧ヶ峰の周辺が原産地でした。有名な産地である和田峠も霧ヶ峰地区にあります。縄文時代の人たちは、このガラス化した鋭い石で、矢じりや槍を作って狩猟をしていました。山小屋の脇を流れる川。どうも火山が作る玄武岩の溶岩っぽいと思って、帰宅してから調べたら霧ヶ峰そのものが大昔に火山だったことがわかりました。さらに進むと一面のススキの野原。このあたりは、御射山遺跡といって、諏訪大社の神事として狩猟の神事が行われていたようです。あたり一帯には、桟敷や土の壇。要は観戦スタンドの痕跡も残っているとか。今となってはかなりの山奥ですが、昔はたくさんの人たちが神事を観戦しにきていたのでしょう。このあたりで実は子供が転倒するトラブルがあり、車山まで行けずに急きょ戻ることに。道をもどって八島ヶ原湿原。残念でしたが、それでも楽しい景色。最高峰の車山まではいけませんでしたが、青空と雲が印象的なすばらしい空間でした。追記:久しぶりの更新となってしまいましたが、時々喘息発作で寝込みつつも、なんとか生きています。更新作業をしてみたら、今までネックとなっていた画像のアップロードと選択がとてもやりやすくなっていました。またそのうち更新してみようと思っています。

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  • 28Aug
    • 子の権現天龍寺の山風景

      時間が空いてしまいましたが、またブログを再開したいと思います。といっても最近しているのは登山ばかりなので、そんな日記ばかりになりそうですが。今回は、埼玉県飯能市にある子の権現天龍寺。山の頂上にある神仏習合のお寺です。標高は640メートル。登山と撮影をしたのは6/11でした。写真はこのとき一番よく撮れた門前の大杉。上部は落雷のためか焦げてしまっています。入口には2体の仁王像が待ち構えてあります。この手前では門前のお土産物屋さんや鳥居などもあり、縦走登山客でもにぎわっています。この場所は伊豆ヶ岳方面や、竹寺、大高山〰天覚山や、西武秩父線の駅を結ぶ要衝のポイントでもあり、飲み物や食べ物を購入することもできます。魔物をやっつけるため(?)のこん棒を持つ手から、木が生えてきてしまい、はからずもエコで優しい印象に。お寺でお坊さんがいつもいる場所(詳しくないので正式名称がわかりません。神社でいう社務所)。御朱印や祈祷の受付もしてくれます。その上側には、子の権現で最も有名な鉄の大わらじと下駄。わらじ、というと藁でできた軽い素材ですが、これは鉄に色を塗っただけなので当たり前ですがものすごく固いです。お寺の本堂。本堂の横から、奥の院がある頂上へと向かいます。お地蔵さまそしてすぐに到着する頂上。登山者のお弁当スポットでもありました。ボーンとお寺の鐘をならしたり。じゃれあって飛ぶクロアゲハを見たりして、のんびりした時を過ごしました。東へと続く山々。左の採石場がある山が大高山(493m)。その右奥が天覚山(445m)。さらに多峯主山(271m)と登山道は続き、飯能の街から関東平野へと下っていきます。天覚山と飯能の街並み。もやがあって、眺望はぼちぼち。中央右側の茶色い建物は駿河台大学。その後ろが加治丘陵。さらに奥の緑は狭山丘陵と西武ドーム球場。西武ドームは奥武蔵の山々からはたいてい見え、いい目印になります。スカイツリーは少しだけ見えましたが、写真には写りませんでした。北方向に向かってある山上集落。関八州見晴台の下あたりでしょうか。きれいな空気を吸ってのんびりできるお気に入りの場所でした。

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  • 27Apr
    • 東京都道・埼玉県道28号線廃道と畑トンネル

      東京都青梅市と埼玉県飯能市を結ぶ、東京都道・埼玉県道28号線の廃線区間が埼玉県側の山中に残されている。廃線区間はおよそ600mほど。地図でみるとこのような形。南北(上下)を結ぶ道路で、右側の28とある道が現在の28号線。左側の無名道路が旧道区間。点線であらわされているトンネルが、この廃道区間で最も有名な畑トンネル(後述)。旧道区間の南側は市道として現在も普通に使われている。今は使われていないタイプの道路標示板。昭和61年に埼玉県によって設置された看板だった。北に進むとゲートが現れ、車両は通行止めとなるが、徒歩では進むことが可能。なだらかな上り坂を進む。いかにも廃道といった雰囲気。自然も空気もきれいで、久しぶりにいい場所にきたと思う。速度30キロ制限の看板。道の狭さを考えると妥当なところか。大型車同士がすれ違うときには、相当速度を落とさないといけないだろう。ちょっとした難所だったはずのヘアピンカーブ区間。付近にカーブミラーがあったが、ミラーは無くなってしまっていた。空を見ると新緑が美しい。峠付近に行くと、落石や植物の繁茂で、結果的に道が狭くなってしまった。さらに人が通れるスペースが狭くなると。廃トンネルが現れた。名称は「畑トンネル」。埼玉県飯能市下畑地区にあり、明治41年(1908年)着工。明治43年(1910年)3月31日完成。長さ78メートルで、Wikipediaによれば「埼玉県で初となる煉瓦巻のトンネルであり近代歴史遺産」とのことだ。畑トンネルの由来。飯能側出口は、鉄板で封鎖されている。この先は、現在使われている道路に通じている。西方向には、一応ふみあとがあり、公園へと通じている閉鎖地点を上からみるとこんな感じ。ではまたトンネルを通って戻るとしよう。トンネルのレンガと緑色の対比が美しい。帰りに向かって歩いていたら、ノウサギが現れたので、静かにしゃがみこんで観察。するとこちらには気づかず、のんびり草を食べはじめたので、写真を撮影したら、シャッター音に気付き。ぴょん、とジャンプして草むらの中へ逃げていきました。

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  • 18Mar
    • さいたま緑の森博物館付近の狭山丘陵雪散歩

      今年の1月末、関東地方に雪が降った時に、狭山丘陵へ行って友達のzunnさんと野外ランチとトレッキングをしてきた。ランチをしたのは、さいたま緑の森博物館近くの展望広場。写真はそこにある大きなエノキ(榎)の木。興味がある方はgoogle mapなどで場所の確認を。自分が作ったのはトマトチーズリゾット。zunnさんは自宅で取れた狭山茶と、コーヒーを入れてくれた。どちらもおいしくいただくことができた。展望広場。天気も良く、北の方向を見ると、遠くに日光や足尾、谷川岳方面の山々も見ることができた。腹もいっぱいになったので山道をのんびり散歩大谷戸湿地の池と、さいたま緑の森博物館雪の道波のような雪湿地の水は凍りついていたが、近い将来カエルの楽園となり、おたまじゃくしでやがてあふれることになる。南の奥へと続く大谷戸湿地。立ち入りは禁止。雪解け水ピークまで来たので、外周道路には行かずに、北側の雑木林広場へと向かう。丘陵から続く、奥多摩、奥武蔵へと続く山々。実際には途中に瑞穂や青梅の畑やちょっとした街もあるのだが、見えないためずっと続いているように見える。高根社跡地庚申塚。記憶が正しければ元禄年間と、今から300年前のものだったと記憶。出雲祝神社丘陵の北側最後は畑の道を通って、また展望広場へと戻って解散した。

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  • 25Feb
    • 樹氷より霧氷降る青木ヶ原樹海を歩く

      今年初めて富士山麓の青木ヶ原樹海へ行ってきた。前日に霧がでて、さらに冷え込んだため霧が木々に凍りつき樹氷となったのが、気温0度をわずかに上回ったために氷が一斉に木々から落ち始めるという、絶妙にして初めての経験をすることができた。木々はすっかり樹氷となって、まるで白い葉をつけたかのよう。富岳風穴駐車場から、この景色。遊歩道を歩く。この最中も、頭上からは雹のように氷が次々と落ち続ける。大きいのが頭にあたると結構痛い。樹海の森は新雪ですっかり埋もれていた。雪が凍ってしまうと歩きやすいのだが、新雪は大変なのでスパッツなどラッセル用の装備が充実していないと中に入る気はしない。針葉樹林のシルエットと、広葉樹林がつけた霧氷のコントラスト まるで氷の芸術品落ちた氷。

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  • 24Feb
    • 東京都奥多摩山系、御岳山・日の出山登山

      東京都青梅市とあきるの市にまたがる、奥多摩山系の御岳山と日の出山を正月に登ってきた。今年初登山。このルートは高校生以来。しかし高校の頃は登山部だったため、ケーブルカーのような軟弱なルートは許されるはずもなかったが、今回は息子を連れているため、もちろんケーブルカーを使用。ちなみにこの記事を書いている現在(2/24)では、保守点検のために3/31まで運休中。要注意。ケーブルカーで上に登れば、いきなりこの絶景。眼下の谷は、多摩川と青梅の街並み。ケーブルカーの駅から、御岳神社までの山道は舗装道路なので歩きやすい。自然と付近の山情報が集まっている、御岳ビジターセンターに立ち寄る。スタンプも押せる。たぬき。かと思ったら、アナグマのようにも見えてきた。多分、、、タヌキ。ハクビシンやイタチやアライグマではない。山道沿いには、あちこちにムササビの巣箱がある。フクロウなんかも入ってくれていたら面白いが。御岳山には、神社の周辺に「御師(おし)」の山上集落がある。かやぶき屋根の渋い御師住宅には、民宿として泊まることも可能。御師は神社に仕える人々なので、家の入口にも幣(ぬさ)と縄がはられている。武田信玄の家臣であった馬場美濃守信春(信房)の流れを汲む、馬場家御師住宅。幕末の慶応二年(1866年)建造。神代欅(じんだいけやき)。樹齢1000年。木のあちこちが痛みつつあり、さらに住宅の中のすごい斜面にあるので、これからも立ち続けられるだろうか。ヤマノススメ原作にも登場。パワースポットでもある(らしい)。まあ、ここ全体が神域だから多少はね。御岳神社は、御岳山の頂上にあるが、御師集落からは整備された階段で登ることができる。参道では早咲きの桜が咲いていた。階段をそれなりに上るとようやく神社。ただしこの時は改修中だった道が通じていたので神社の裏側に回ってみたら、小さな社殿や、本物の山頂を見ることができた。太占などの儀式も、この一角で昔から行われてきた。御岳神社の眷族である大口真神(おおくちのがまみ)の石像。今は絶滅してしまったニホンオオカミが、昔はこのあたりにもたくさん生息していたのだろう。ネイチャーセンターでは、シカが増えすぎて植物を食い荒らして生態系が崩れてしまっている、という話も聞いたので、オオカミが生きていればずっと違った展開になっていたのだが。そんなわけで今年最初のお祈りは、「ニホンオオカミが実はどこかの山奥で生息していますように」だった。秩父や奥多摩の山奥や、和歌山や奈良の山奥などでは、実は生息しているという話もあるが。民宿の廃車。日の出山方面にある宿の看板。「五日市 八王子 横浜を経て欧米方面」というのが面白い。実際に幕末や明治期には、このルートで生糸や絹製品が輸出され、外貨を稼ぎ日本の近代化を支えた。欧米との不平等条約下でも、日本の絹はものすごく儲かったのだった。御岳山から日の出山への山道。アップダウンはほとんどなく、のんびりとした山道が続く。日の出山近くから見た御岳山。御師集落と御岳神社の関係がわかる。最後に少しだけ登って日の出山の山頂。標高902m。山頂には三角点もある。「日の出山」という名前が示す通り、東の方向には東京方面が一望でき、日の出もよく見ることができる。日の出山の南東にある、麻生山や金毘羅尾根へと続く山々。最終的にはJR五日市駅近くまで山道が続いている。日の出山の山頂付近は、なぜか石垣が組まれ、要塞化された城郭のようになっている。ここが城だったという歴史はおそらくなかったと思うのだが、籠城しても戦えるぐらいの構造をしている。ただし飲み水がないので、長期の籠城には弱そうだが。帰りは南東の金毘羅尾根ルートではなく、東側のつるつる温泉へと降りるルートで。長い下り道をひたすら降りる。どうにかこうにか、ハイキングコースの入口まで。ここからつるつる温泉へは、舗装された林道歩き。帰りの電車の関係もあったので、温泉には急いでつかり、汽車の形をしたバスにのって五日市駅まで。子連れでも問題なく歩くことができて、今年最初の登山としては、なかなかの良い山行をすることができた。

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  • 03Feb
    • 狭山丘陵いきものふれあいの里センターと荒畑富士

      昨年(平成27年、2015年)12月のとある日に、年賀状用の写真を撮りに子供を連れていつも通っている狭山丘陵へ行ってきた。今回は私も入っているトトロ財団が運営している、埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの里センターと、明治のころに地元で作った人工の富士塚である荒畑富士へ行ってきた。この日は心地よい風が吹く日で、風が吹くたびに枯葉が次々と舞っていた。センターの中では、歴史や環境展示があり、交通事故などで亡くなってしまった動物も剥製として飾られている。写真は狭山丘陵に生息しているホンドキツネ。ほとんど地元として子供のころから通っている森だが、生きている狐をここで見たことはまだ一度もない。キツネは肉食のため狭山丘陵の生態系の中では、最上位に位置する。狭山丘陵内での哺乳類はたくさんいるが、実際に見たことがある哺乳類はアブラコウモリ、ノウサギ、タヌキ、ハクビシン程度。見たことがない種類の方が多い。江戸時代には、イノシシやホンドジカ(鹿)も生息していて、害獣駆除としての巻狩りも行われていた。鳥類の剥製もたくさん展示されている。ほぼ全ての死因が激突などによる事故死だが、亡くなってしまった命も自然学習のためには、こうして役立っている。窓の外では、強風が吹くたびに落ち葉がすごい勢いで飛んでいた。写真には写らないが、実際にはすごい光景だった。センターの近くには、人工の富士山である「荒畑富士」がある。明治32年(1899年)生まれの小高い丘だが、これを地元の人たちだけの力で、しかも人力で作り上げたのは、なかなかすごいことだと思う。一番下から、実際の富士山のように、「1合目」などと書かれた小さい碑がある。これは9合目付近。もうすぐ頂上。頂上は狭いがなかなかの景色が見える。西側の松林の向こう側には富士山がしっかり見えた。一方の東側には、八国山に続く狭山丘陵の山並みの向こう側に広がる、東京都心部の街並みと東京スカイツリー。いろいろ過ごしたあげくに帰宅。ちょうど八高線が通った時に、夕日が山の向こうに沈んでいった。鉄塔と奥多摩の山並みと夕暮れの景色。

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  • 28Jan
    • 冬の在日米軍府中基地廃墟・現役施設

      東京都府中市にある米軍府中基地の廃墟を散歩してきた時の写真。この一帯は、日本陸軍の調布飛行場の燃料廠だったが、太平洋戦争での敗戦後アメリカ軍の管理下となり、昭和40年頃から50年代にかけて順次アメリカ軍部隊の横田基地等への移転と、日本政府への返還が行われた。返還地区の大きさは南側の3分の2程度。そのうち西側が「府中の森公園」、東側が航空自衛隊府中基地になったが、北側の地区だけは未返還のまま、アメリカ軍の管理下となっている。一本の巨大アンテナは現役であるが、それ以外の建物は廃墟化するるか、森林になりつつある。なおほとんど廃墟にしか見えないが、現役のアメリカ軍施設であるため、警備は非常に厳しく行われている。知り合いも含めた廃墟マニアも多数つかまっているため、入らない方が良い。というか入るな。ダメ絶対。この世界的に危険な御時勢、テロリストと間違われて○されても文句は言えない。24時間体制の人的警備や、警備システム、リアルタイムの防犯カメラと思われるものも確認している。入って写真を撮っているサイトも見かけるが、今ではまず無理だと思われた。この写真も周囲の道路や、フェンスの網目の間、上部の鉄条網越しで全て撮影している。外からでも安全に写真は撮れるので、無理はしなくても良いと思う。(あと日本語、英語、中国語、韓国語以外に、ロシア語も入れたほうがいいと思う。個人的に)廃照明とフェンスと内部通路。通路には警備車両によるタイヤ痕もあった。現役のマイクロウェーブ塔。高さ107メートル。下にある建物は比較的状態も良く、現役の管理棟かもしれない。状態は良いものの、やぶに埋もれる建物フルリフォームすれば、住めるぐらいにはなりそうだが。管理棟(?)と、古いコンクリート製の給水塔鉄条網ごしに米軍基地(廃墟)ゾーンに隣接する公園の有料駐車場から。私もここに車を停めて散歩した。駐車場からこの光景が始まる。一枚目の写真に使った、道沿いの大型建物。割れたガラス二階建てだが非常に高く、倉庫に使われていたのだろう。「557」の施設番号やぶの中に埋もれる建物エリアを取り巻く、西側の道路を進む。基地の中には廃道があった。センターラインもあるが、通れるのは中央の一車線分だけ。錆び錆びになった古い照明内部通路。奥にある車は警備車両。エリア内には警備用のゲートと詰所、車両置き場がある。くれぐれも内部には入らないように。内部探索は現在ではまず不可能なので。一般の民家の間からも、こういった廃墟化した建物が見られる。奥の建物は二階建てのアパート。このあたりから、エリアの北側へ。民家が隣接しているため、入り組んだ住宅街の中を進む。廃アパートの入口と建物。さすがにもう住めそうにはない。夏になったら、ツタが茂りまくって「もじゃハウス」になってしまうのだろう。エリアの北東にある、現役団地の角にある定番の撮影スポット。二つの巨大パラボラアンテナが有名。この施設は現在は使われていない。このアンテナと通信施設は「府中トロポサイト」と呼ばれている。アンテナの直径は14メートル(45フィート)とのこと。対流圏散乱波通信というものを行って、米軍基地間の通信をこのアンテナでつないでいた。府中の近くでは、当時米軍ジョンソン基地だった航空自衛隊入間基地にも同じアンテナが現存している。鉄条網と廃住宅。エリアの東側へ。現役アンテナと給水塔の下には、瓦屋根の木造長屋(?)がある。屋根はべこべこ。ここまで屋根が波打っていると、倒壊も時間の問題か。この平屋の長屋と思われる建物は、建築様式から日本軍時代からの名残りの可能性が高い。周辺ではこういった古い建物も次々に失われつつある。進むと一部は実際に倒壊していた。部屋の中まで見えてしまっていた。建物と木。ピンクのリボンが付いている木は、伐採予定ということだろうか。実際に伐採が終わった箇所もあった。古いマンホール。基地内には地下通路もあるという。現役の米軍通信アンテナに続くゲートと通路。照明か電柱か。南側の駐車場地区に戻ってきて、ようやく一周。撮影しながら散歩して、一時間半といったところ。おまけこちらは現役の航空自衛隊府中基地。戦後に建てられた建物の中に、戦前と思われる古いコンクリート製の給水塔が残っていた。廃墟エリアにも同じものが残っていたが、こちらは現役だろうか。基地の南側。航空自衛隊から引退した三菱F-1戦闘機(左)と、F-104スターファイター戦闘機(右)。古い兵器は解体処分しないで、こうした形で残してほしいと思う。

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  • 25Jan
    • 雪の狭山丘陵、六道山公園から高根山往復トレッキング

      関東地方に珍しくまとまった雪が降ったので、子供を連れて狭山丘陵の西側を散策してきた。近くの米軍横田基地に戦闘機のF-22ラプターや、F-16ファルコンのアグレッサー部隊(エリート仮想敵部隊)が飛んでくるという情報があったので、山で昼飯を食べ、雪山を散策しつつ、運が良ければ飛行機の撮影でもできれば、という欲張りなプランだった。久しぶりに山用コンロを持ってきて、保存食を調理。雪の中での暖かい食事は、家で食べるのとは違った特別な感じがある。牛飯もカップうどんもおいしく食べられた。気温が低かったため、雪がある程度積もった後で、冷たい雨が降り、さらに夜は氷点下まで一気に下がったために、氷を大量に含んだ思い雪があちこちで木をへし折ってしまっていた。個人的にも実は屋根から落ちた重い落雪で、自宅の自転車置き場が破損してしまうトラブルも起きている。東京都瑞穂町にある六道山公園の展望塔から南方面を見て。横田基地にはC-5ギャラクシー輸送機が止まっている。奥にある高い山は、神奈川県の霊峰「大山(おおやま)」。標高1252メートル。東側を見て。狭山丘陵の向こうに西武ドーム球場。そのさらに奥は東京スカイツリー。運がよければ丘陵の上を、オオタカなどの猛禽類が、飛んでいるのを見ることもできる。展望塔から西側の山々は、奥多摩や丹沢の山々。右から左に向かって、(御岳山)奥の院、御前山、大岳山。中央左側の二つの山が、鶴脚山、馬頭刈山といった順番。要はこういう山の順番。塔の景色を楽しんでからは、北に進み狭山丘陵の西北部にある、高根山遊歩道へと初めて行ってみた。結構太い枝も、雪の重さであちこちで折れてしまっていた。この木は桜。のんびりと雪の中の尾根道を歩いているうちに、高根山の神社跡に到着。この場所よりも南側の方が標高が若干高いが、ちょっとしたアップダウン程度しかない。少し降りた見晴のいいところでは、西北にある飯能・秩父の山々。左から伊豆ヶ岳、武甲山(秩父のソウルマウンテン)、小持山、大持山といった順番。要はこの看板の通り。山の地図を見ると、地理状況が分かって面白いかもしれない。古い消防の半鐘と物見やぐらが残されてた。左側にある氷の斜面を下って、ちょっとした公園に到着。この先は住宅地なので、今度は右側の管理用車道を登って、六道山公園へと戻る。狭山丘陵の北側斜面なので、雪が氷になって登りずらい。狭山湖周遊道路と、六道山公園に行く道など、複数の道が交わる箇所には、古い庚申塚と、榎の巨木がある。庚申塔は文化10年(1813年)製と200年以上この地にある。道標としても使われていた。榎の落ち葉の中には、ゴマダラチョウや日本の国蝶であるオオムラサキの幼虫が越冬しているので、探してみたが特に見つからなかった。鳥はあちこちで見つけたが、撮影したのはこのモズのみ。雪の上に面白い足跡があるかもしれないと思ったが、タヌキらしい足跡しか見つからなかった。ノウサギの足跡を見たかったのだが。行程は食事をしたり、のんびり景色を見たり、雪原で遊んだりして、全行程で3時間程度。ちなみに飛行機は一機も飛んでこなかったが山で飛行機に出会うことはできなかったが、帰り道に偶然アメリカ軍の巨大輸送機C-5ギャラクシーが飛び立つ場面に遭遇することができた。雪の里山で、のんびりした時間を過ごすことができた。

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  • 23Jan
    • 栃木県野木町のホフマン式煉瓦輪窯

      明治23年(1890年)に下野煉瓦製造会社が完成させたレンガをつくるための窯が、百年以上経った今でも栃木県の野木町に現存しているので行ってきたときのこと。「ホフマン輪窯」と呼ばれる円形のレンガを製造する窯が、各区画ごとにレンガを24時間体制で連続製造し、そのレンガは今でも東京駅や、旧信越本線の横川・軽井沢間のトンネルや橋梁などでも使われている。国の重要文化財にも指定されている。※最初には埼玉県深谷市のホフマン式煉瓦輪窯と書いたが、記憶違いだった。申し訳ない。ホフマン式連用は全国で50基近く存在したが、現存するのは4基のみ。訪問時には改修工事の真っ最中だった。窯は工場跡地に作られた乗馬クラブの一角に存在している。なんとなく誰にも会えないまま来れてしまったので、中を撮影させてもらった。※正式には野木町に見学を申請しなければならないが、現在でも補修工事中とのことで、立ち入ることはできないので注意。周囲の地図「輪窯」というだけあって、ぐるりとレンガのトンネルが円形に進んでいる。補修工事であちこちが鉄パイプを使い、アーチ状に支えられていた。危険な個所はレンガを積みなおすのだろうか。安定している箇所は一本で支持。レンガのトンネルがない箇所もあった。レンガのトンネルと、上部の屋根は別々の構造体となっている。トラス構造の木組みが、長い年月を経てもしっかりと建物を支え続けた。中央の煙突は、構造体として建物としっかりつながっていた。レンガを焼く円形トンネルから出る煙を、煙突が排出するわけだが、どうつながっているかは分からなかった。レンガを製造する16の区画ごとに、この小さな出入り口が点在している。パンフレットによると、投炭口のようだ。

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  • 22Jan
    • 米軍横田基地のF-22ラプター戦闘機と航空機

      近所にあるアメリカ軍の横田基地に、アラスカのエルメンドルフ航空基地から、世界最強のステルス戦闘機であるF-22ラプターが飛んでくるという情報があったのでちょっと行ってみた。路上駐車の車も多かったが駐禁が怖いのと地元の方に迷惑なので、近くの運動公園に車を停めて、基地の滑走路が見えるポイントに向けて歩いていると。初めて聞くエンジン音とともに、ラプターが突然飛来(この写真はトリミング)一分もしないうちに、次々と飛んでくる。近すぎるのと、技術が下手なのでなかなか一発でとらえることができない。ラプターが4機きた後で、歩いていると航路上で、タカのトビが4羽じゃれあっていた。ラプター(Rapter)は英語で「猛禽類」という意味。猛禽類の仲間であるトビも飛んでいるのは面白かったけど、バードストライクが危ないなあ、と思っていたらすぐに移動していった。ほっとしているうちに。アラスカからF-22ラプターに空中給油をしながら一緒に飛んできたKC-10エクステンダーが着陸。ベストセラー旅客機のDC-10を空中給油機に改造したもの。飛行場からは富士山もくっきり奥多摩の中では有名な山である、大岳山もくっきり。でっぱった山頂が特徴。ラプター祭りの後は、横田基地に常駐しているC-130輸送機がぐるぐる飛び始めた。拡大して何回も飛んでくると、何回も写真を撮りなおせるので、中にはいい写真も撮ることができる。偶然、鉄条網と重なったら、意外と面白い写真が撮れた。タキシング中のC-130と、大量に停まるF-22ラプターの尾翼。撮影をしたり、一緒に見に来ている人たちと世間話や、自分よりも詳しい方からお話を聞かせていただいたりと、1時間程度だったが和気藹々とした楽しい時間を過ごすことができた。

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  • 13Dec
    • 埼玉県飯能市、ヤマノススメと天覧山・多峰主山登山

      今年が終わる前に、今年の1月4日に、新年初めての登山となった、埼玉県飯能市にある天覧山、多峰主山(とうのすやま)への記録をアップ。半分ぐらい地元である飯能は漫画・アニメの『ヤマノススメ』の舞台ということで、去年の2014年あたりからどこもヤマノススメ一色だった。ちなみに漫画は今でも連載していて、コミックアーススター公式ページでは何話か見ることが可能。現時点での最新話では「鎌倉アルプス」を歩いていた。アクセスは飯能駅から、国際興業バスにのり天覧山下バス停で下車。そこから徒歩で天覧山、多峰主山と縦走した。山と登山ルートについては、「奥むさし山と川の探索マップ」に詳しい。飯能駅からのバスも、偶然ヤマノススメラッピングバスだった。中身は全てヤマノススメ一色。中には漫画やアニメのシーンが多数貼られている。アナウンスも声優さんがおこなっている。天覧山下バス停で下車し、諏訪八幡神社(飯能恵比寿神社)へ。神社と市民会館の間を通り。飯能の中央公園駐車場から、天覧山を撮影。山よりも、丘といった雰囲気。中央公園を経由して。バス停からは寄り道しなければ5分もしないで登山道。天覧山の中段からは、少しだけ険しい岩場ルートを選択。ここには江戸幕府五代将軍、徳川綱吉の病気平癒を願って、母の桂昌院が設置したという石仏が多数ある。仏様。コンクリ製の展望台が見えてくるといよいよ山頂。山頂の看板。山頂看板は195mだけど、書籍やネットでは197m説が優勢。わずか2mの差だけど、どちらが正しいのかは不明。標高が低いわりには、よく見える景色。東京スカイツリーや西武ドーム球場まで見えた。天覧山から多峰主山へのルートは、谷に降りて再び登る最短ルートと、山沿いの尾根筋をゆく高低差があまりない少しだけ迂回ルートの二つがある。今回は谷に降りるルートを選択。谷の湿地帯には、毒へびのマムシも生息できるぐらい自然が豊富。他にはトウキョウサンショウウオやヘイケボタル、フクロウなんかも住んでいるとか。見返り坂から多峰主山登山が再スタート。静かな森の中を進み、いよいよ山頂近く。一番最後には本格的岩場の鎖場もあり、肩車をしていた娘が寝てしまったので、写真を撮る余裕は一切なかった。今回は岩場ルートを直登したけど、岩場がない頂上の直下で南側に迂回するルートの方が子連れや初心者の人には安全だ。どうにか多峰主山(多峯主山、とうのすやま)へ到着。標高271m。東側を見て。今までの山並みと、飯能の街並みから遠く東京や埼玉中心部まで一望できる。この日は風もほとんどなく、のんびりしたとても気持ちいい山頂だった。西側方向をながめて。新興住宅地もあるが、遠く秩父まで続く奥武蔵の山々。天覧山、多峰主山からさらに天覚山、大高山、伊豆ヶ岳と続く山々は、「飯能アルプス」とも呼ばれている。子供が全然起きないので肩車をしたまま、天覧山と多峰主山間の湿地帯を下りて。朝通った飯能恵比寿神社に戻り。鐘突き堂の中に、白い象の張子が入った観音寺へ。ここからは、入間川の飯能河原も一望できる。ヤマノススメでは何度も登場する定番の場所で、絵馬もたくさん飾られている。本当にその通りで。新年にふさわしい、楽しい登山だった。

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  • 05Dec
    • 「妖怪朽木倒し」を体験したときのこと

      漫画家にして妖怪の大研究者である水木しげる先生が亡くなった。そこで私が実際に「妖怪」を体験したときのことを書いてみたい。前回書いた「とある半島の謎の池と水道遺構」の直後に、この山のすこし開けた場所で昼食休憩を取っていた時のこと。ここには、すぐ近くにキツツキが作ったのか、どこか不気味な穴だらけの木が生えていた。特に気にすることもなく休憩していたら、突然「ドガーン!」と大音響と衝撃が襲った。てっきり、不気味な木が倒れたと思ったが、実際には何も起きていなかった。生まれて初めての経験で、どこか気味が悪かったので別の場所へと移動することにした。帰宅後、あの体験が気になったので、調べてみるとそれが「朽木倒し」という妖怪現象だったことが判明した。古い文献や、昔の人の体験談でも、比較的よくある現象のようだった。現在でも山で生活を送る、猟師や樵(林業)の人などは時々遭遇しているようだ。科学的には対角線上の山の斜面で実際に木が倒れたとか、合理的な説明が付く現象かもしれない。 しかし人がよりつけない自然だらけの山奥で、日常生活を歩んでいては思いもしない不思議な現象に遭遇できて、驚いたけどこんなことが今でも残っていることにとても興味深く思った。この山では、他にもこういう現象がたびたび起きている。水木先生が実際に経験している「何か」が今でも残っていることにうれしく思った。

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