【前提と背景】
青木ヶ原樹海の中には、丸に金のマークが入った通称「丸金石碑群」というものが4か所置かれている。この石碑について最初に触れられたのは栗原亨さんの著書『樹海の歩き方』だ。発売日は2005年4月28日とある。私が樹海に興味をもつきっかけになった本であり、そこでは「謎の石碑」として書かれていた。

私が樹海の探検を始めたのが2006年10月からで、すぐに元々樹海を探検していたメンバーとも合流し(多くが「週末探検隊」のメンバーとかぶるが、それ以外のメンバーもいる)、「現在の地図に載っていない廃登山道沿いにある」ことと「東西を結ぶ廃道沿いに4か所、乾徳道場のところに数基」あるということが探検を通じてすぐに分かった。通算で50日近くは樹海を歩きまわり、廃道の調査や、道のない場所も調べたものの、それ以外の石碑については発見をすることができなかった。しかし、もしかしたら新しく発見される可能性もあり、それは今後の課題として楽しみにしている。


私は趣味の歴史研究などの知識と経験を使って、石碑の解読や廃道の正体を『完全樹海マニュアル』という同人誌にしてまとめていた。自家印刷版がたしか2008年8月で、再編集してオフセット印刷したものが2009年8月だった。現在もAmazonなどで販売している同人誌だ。

「丸金(マルキン、以下漢字で)1」から「丸金4」といった名前については、私が樹海を読み解くため便宜上つけたものだが、この名称が一般化しているのは樹海研究に貢献できたようでとてもうれしく思う。地図は『完全樹海マニュアル』に付属している地図から石碑関連のエリアを抜粋している。基礎的な情報はすべて入っている。

ただあくまで便宜上つけたもので、「丸金」の文字が入っていないのに「丸金」と呼んでいる石碑もあるが、こういうものとしてご理解いただきたい(樹海探検家はそう呼んでいるので)。

 

なお完全版はこちら。クリックすれば大きいデータが取れると思うので、樹海研究をする上で自由に使ってほしいと思う。ただし「呪人形」「聖杯」「テント跡」は現在撤去済み。


一方でツイッターをしている「冨士講・K・不二雄」さんといった富士講の研究者が、自分がわからなかった箇所の鋭い分析をしていたり、私や冨士講・K・不二雄さんの研究を生かして、Youtuberのサヲさんやバッシーさんといった方が現在進行形で石碑について調査を進めているので、最新の研究成果を踏まえた私なりの研究と分析をブログで紹介したいと思う。

※ちなみに石碑の研究をしていない現役の樹海探検家としては、小平さん、ハリさん、僧侶さんなどがいる。栗原亨さんも時々は入っているようだ。

 

【丸金1】
「丸金1」と便宜上つけている石碑は富士山の精進口登山道と、そこから東に走る廃登山道の分岐点に置かれている。高さ一メートルくらいの玄武岩溶岩の上に、四角い台座と文字が刻まれた高さ30cmほどの小さな石が乗っていて、基部にも「南無阿弥陀仏」と書かれた石碑がある。

まずは上の石碑から。

こんな具合でコケだらけで、字は書いてあるが読むのは難しい状態だった。

 

しかしこの写真が突破口に。もしかして「右」って読めないか?ということにうっすら気づいたのが2010年ごろ。でも下の意味は引き続き分からないままだった。写真A

 

それが2017年頃、久しぶりに樹海の石碑に行ったら、コケがきれいさっぱりと無くなっていて、ものすごく読みやすい状態になっていた。石の材質は樹海を構成している黒っぽい玄武岩質溶岩。溶岩にふくまれる火山ガスで発砲しているので材質も弱く、地震や大雪などで倒れて割れてしまい、上側だけが残された状態なのかもということに気付いた。※写真B

 

もう一方の面。ピントが合っている写真がなくて申し訳ない。 写真C

 

これらを冨士講・K・不二雄氏は2018年10月8日の投稿でこう解読していて、そういうことだったのかと今年の10月に初めて気づき、長年の疑問が一気に解けたのだった。

 

写真A 「右 毛(とす)」(本栖集落、本栖湖、西側)

写真B 「志や(うし)」(精進集落、精進湖、北側)
写真C 「左 奈(るさわ)」(鳴沢集落、鳴沢村中心部、東側)

 

つまりやはり道標であり、何らかの理由で倒れて壊れてしまい上側しか残っていないことが判明した。壊れやすかったのは、地元の玄武岩質溶岩を使っていたため。

 

追記:書き終えてから気づいたのだが、石碑の文字は「右が本栖、左が鳴沢、その間が精進」で、地図上では「左(西)が本栖、右(東)が鳴沢、その間(北西)が精進」なので、それをふまえて地図を見ると・・・・・・。

もしかして丸金1の石碑から西の本栖集落方面へダイレクトに向かう未発見の道がある可能性が!これは今後の研究課題で。最終的には現在の東海自然歩道に合流しそうな気も。

または本栖道と、精進口登山道(富士山原始林と地図に書いてある道)との合流点に、もともとこの道標があった可能性もある。

 

もう一つの石碑は高さ60cmくらいで、「南無阿弥陀佛」。そして下に花押(サイン)が書かれたもの。

 

「佛(仏)」の下は「賢鏡(けんきょう)」とある。精進御穴の二世だ。

 

裏にも文字が刻まれていた。

 

嘉永七甲寅

施主

 工寶(宝)

 

嘉永七年は西暦1854年。十干十二支も甲寅(こういん、きのえとら)だ。

下にも例えば月日といった文字が続くと思われるが、土の中に埋まっているため中身は分からない。

 

石の材質は、上の玄武岩質溶岩ではなく、ぎっしりと石の成分が詰まって板状に割れる自然石。この感じだと溶岩ではあっても安山岩で、板状なのも自然にそう割れる「板状節理(ばんじょうせつり)」だとすると、神奈川県の根府川で取れる「根府川石」の可能性がありそうだ。リンク先は平塚市博物館の解説。

 
続く。