舟木昭太郎の日々つれづれ -89ページ目

人生の送りもの/飲み会/藤猛さんに会いに水戸へ

『人生の送りもの』
 季節がら頂き物をする。何もお礼できないのに、と申し訳なく思う。会社勤めをしていた頃から、アッパーを興して更に現在に至るまで…ずーっと変わらず。
 
 伊原プロモーション伊原信一社長からは青森の山芋を沢山頂く。A級のもので、一般の八百屋さんでは滅多にお目にかかれないというもの。飲食店を営む知り合いも、心待ちにしている。私は長芋を1㌢程の輪切りにして、網で焼いてビールのつまみにする。粗塩をパラパラと振って食べる。これがビールによく合う。勿論、麦ご飯にかけて食べるのも美味しい。少々食べ過ぎるので困るが。大阪のS館本部の館長と代行からもアッパーを興して以来、飲み物とお菓子ご恵送頂く。私を励ましてくれているのだと感謝して、心で拝むのだ。
 
 年々歳々、時はめぐり…多くの人に背中を押されなながら人は生きてゆく…。
 

  
『飲み会』
 8日は文京区春日の「遠州屋」で飲み会。ネットを手伝ってくれる藤原章子さん兄妹と、そのお友達で、仕事で来日中のオーストリア人、エヴァさんと私の4人。エヴァさんとは二度目の飲み会となるが、日本語がペラペラで、焼き鳥が大好き。「遠州屋」は会社勤めをしていた頃、よく通った。もつ焼きも旨い。
 
 エヴァさんは皮が好きで、美味しいといってはよく飲んで食べ、よく喋る。納豆、牛刺しなんでも大丈夫で、ホンに変なガイジンなのだ。オーストリアで合宿をしていた日本オリンピックのスキー選手団とも顔見知りで、TV局や雑誌などの通訳やコーディネーターもこなすという有能な女性である。
 
 国籍を越えた飲み会もまた一味違って、大いに満足した。
 

 


『藤猛さんに会いに水戸へ』
 10日はスーパーひたちに乗って茨城の水戸市まで、映像カメラマンと二人で出かけた。あのハンマーパンチ、藤猛さんに会うために。

 今はひっそりと水戸でアマチュアにボクシングを教えている。水戸駅からタクシーで5、6分道路沿いの水戸ボクシングスクールがある。前もって電話して置いたので入口近くに椅子に凭れて、待っていてくれた。
 紛れもなく一世を風靡した、笑顔がそこにあった。懐かしい。「岡山のオバチャン、大和魂ネ、カッテモカブッテモオヨ」の台詞が甦る…。

 
 今回のDVDが縁で、久しく会わなかったかつてのスーパースターたちに逢えるのだ。編集者冥利に尽きる。タイトルを奪ったロポポロ戦、引退後の生活、そして現在と約60分、私がインタビューした。藤さんはとても優しく答えてくれた。当年69歳だという。帰りに水戸納豆のお土産まで用意してくれていた。日本語も大分流暢になっていた。名残惜しかった。駅まで車で送ってくれた。

 「また来てね」彼の別れの言葉は妙に心に響いた。「藤さんもがんばってね」私も応えた。
 帰りの車中は、ずーっと藤さんの現役時代のファイトを回想していた。

 私の青春時代でもある。 素晴らしきかな人生!

 

ハンマーパンチで一世を風靡した
藤猛さんと。
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エヴァさん、藤原兄妹、私。
春日町の「遠州屋」で盛り上がる

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F原田、具志堅会長、2人の伝説の人に会う/週末はリサイタルと充実の1週間

充実の1週間 『F原田 具志堅会長 2人の伝説の人に会う』

 先週もDVDの製作準備で奔走した。1日はファイテング原田ジムに出向いた。横浜市の中川というところで、初めて行く場所なので、どんなに遠い所かと思ったら意外に近かった。表参道から半蔵門線(東急田園都市線)であざみ野まで出て、市営に乗り換えて一駅。急行に乗ると凡そ30分でジムに着いてしまう。原田会長といえば現日本プロボクシング協会の会長である。現役時代はフライ、バンタム二階級を制覇した伝説の人で、驚くなかれジョフレ戦の1、2戦の視聴率は70%に迫るもので、いまもスポーツ部門では破られていない不滅の記録。
 おん歳66だが、いつも若々しい。今回のボクシングDVDには協会の協力が欠かせない。原田会長とは以前から顔馴染みだが、じっくり腰を落ち着けて語り合うことは余りない。DVDの協力依頼はもとより、伝説の人と四方山話をすることの方が愉しみだった。原田会長は饒舌で、私が興味ある試合について質問すると何でも答えてくれた。2時間ほど事務所で語り合った。
DVDがきっかけで、偉大な人とも会える。 私は幸せ者である。
   

 10日には、カンムリワシ具志堅用高さんのインタビューで西永福の白井・具志堅ジムに訪ねた。具志堅会長とは旧知の間柄だ。それでも最近は疎縁になっているので、元気に活躍している姿を見るとやはり嬉しい。当日は後楽園ホールで新人王の試合あるという慌ただしい中、快くインタビューに応じてくれたが、肝心の聞き手を頼んだ方が時間を間違えた。結局、後楽園ホールで当日4時から仕切り直しとなった。
 タイトルを獲ったグスマン戦から、14度の防衛戦まで詳しく訊ねて、具志堅会長も丁寧に応じてくれた。いいDVDが出来る…確かな手応えを感じる。皆協力してくれるから。

 
充実の1週間 『週末はリサイタル』

 11日は地元のHAKUJU HALLに、高田あずみ&はるみ姉妹のヴァイオリン・デュオ・リサイタルに妻と出掛けた。
 姉のあずみさんとは、家族ぐるみのお付き合い。ご主人が料理店を経営する。

 音楽は何故か心を豊かにしてくれる。満足して帰宅した。充実の1週間だった。

 

”カンムリワシ”具志堅用高さんと。
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ボクシングDVDの製作で畑山&輪島両氏をインタビューした結果は…

 DVDの製作も本格的に動き出した。26日は畑山隆則、輪島功一両氏をインタビューした。

 
 畑山さんは御存じ元スーパーフェザーと、ライト級二階級を制覇したプロボクシングの世界チャンピオン。引退した後はK-1MAXの解説や、竹原慎二と共同でT&Hなるアマチュア向けのボクシングジムを経営している。そのジムがある新宿のスポーツ会館に伺った。DVDに収めるためのインタビューで、試合を振りかえり「今だから話せること」をお訊きした。

 インタビュアーは元デイリースポーツ、ボクシング担当芦沢清一さんにお願いした。タイトルを奪った崔戦、二階級征覇となったセラノ戦は勿論だが、私が今なお強烈な印象を持つ坂本博之との死闘を、より突っ込んで訊きたかった。
 ご本人も坂本戦には熱い思いが込めらていて興味深く聞いた。あの試合は勝ち負けを超えた、ボクサー同士の男の矜持(プライド)を賭けた戦いだったと…。ボディーに受けた坂本のパンチの痛さは、今も深く心の奥底に残っているという。
 この試合で畑山選手は、完全に燃え尽きてしまい次のロルシー戦は闘う意欲が無くなっていたとも。結局王座を陥落することになるが、この試合のファイトマネーは1億円だったことも明らかにする。内容のあるインタビューが出来たと自負している。
 
 次に向かったのは西荻窪の輪島ジム。聞き手は前田衷さん(ボクシング・ワールド編集長)で、タイトルを獲ったボッシからドノバンまでを重点的に尋ねた。時に人生論を交えて輪島節は淀みなく、勝負論としても大いに参考になるものだった。身長、リーチで劣るものが勝つため方法としてあみだしたカエル跳び。インタビュー後に、改めて試合を見るとまた新しい発見、趣があった。

 2度王座返り咲き、3度王座獲得の伝説のボクサー輪島さんと、気軽に会うことができるのも私がゴングやワールド・ボクシングで、編集の仕事をしてたお陰だ。
 
 兎に角、4巻セット/7時間に及ぶ大全集だけに私の責任も重い。素材も未公開のフイルムなどもあり相当重厚なDVDになると私自信も楽しみにしている。私の集大成でもある。間もなくその全貌が明らかになると思います。乞う、ご期待。

 

”弧高の男” 畑山隆則さんと
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”炎の男” 輪島功一さんと

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ボクシングDVDの準備に往年の名選手を訪ねる

 某テレビ局のボクシングDVDの編集を弊社が進めている関係で、ジム会長に挨拶に回っている。先日は西日暮里に、国際ジム高橋美徳会長を訪ねた。本当に長い間のご無沙汰で、ジムに入ると高橋会長はリング上にいて、少年を指導していた。私の顔を見るや「少し待っててください。」とニッコリ笑った。大分ホッソリしたが、昔と変わらない何とも優しい笑顔があった。
 あれはロイヤル小林が”KO仕掛人”として破竹の進撃をしていた頃、昭和50年前後。私は当時、ゴング編集部にいて、キックとボクシングを担当していた。新聞記者に原稿を依頼したり、ときに自分で取材して記事にしたり写真も撮る。社に帰ると編集に取り掛かる、忙しいが充実した毎日だった。

 R小林が活躍した頃は毎週のように先輩の記者諸氏と出掛けては、取材のあとは必ずと言っていいほど、高橋会長を囲んで飲み会になった。試合が終わって、オフのときは小林選手も加わった。会長も小林選手も兎に角斗酒辞せずの酒豪で、当時は下戸の私は正直辛かった。しかし会長を囲んでの先輩記者とのボクシング談義は、迸るような情熱がぶつかり合うものだった。
 
 金子ジムの金子繁治さんにもお会いした。金子さんは往年の名選手。あのフラッシュ・エロルデ(比)に4戦4勝で、まさにボクシング黄金時代を築いたヒーロー。当時の逸話を沢山伺った。貴重な試合映像もお借りした。私を信用して誰にも出さなかった素材を渡してくれた。
 
 ボクシングのDVDが縁で、幸運な巡り合いがある。金には変えられない出会いがある。
 こうした偉大なる人々に恩返しをしなければと、使命感を覚える。期待に応えるためがんばろう。60を越えて歴史に残るであろう事業ができるのは、幸せである。

 

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プロレスラー三沢光晴の突然死去・「週ゴン」を救った二代目タイガー

 プロレスラー三沢光晴さんが亡くなった。なんという残酷なことだ。

 6月13日夜、広島県立総合体育館での試合中、倒れ病院に運ばれて、まもなく死亡したという。享年46才。
 タッグマッチで、相手の選手のバックドロップをうけて、頭を打ちそのまま動かなくなったという。
 百戦錬磨の三沢選手が、受け身を取れなかったとは思えない。どこか体調が悪かったのではないか。目下の死因は「頸髄離断」(けいずいりだん)ということだが…。
 ノアの社長兼看板レスラーとして激務に追われ、心労も溜まっていたと思われる。
 
 実は私が週刊ゴングの編集長時代、創刊間もないころだ。二代目タイガーマスクに救われている。
 週刊プロレスの後発として、スタートしたが思うように部数が伸びず悪戦苦闘していたおり、二代目タイガーマスク誕生の特ダネを得た。
 竹内顧問(当時=後に社長)が全日本プロレスG馬場社長から聞き出したもので、週ゴンはこのスクープによって浮上するきっかけとなった。表紙から誌面まで三沢タイガーマスクで埋め尽くされた。生みの親、作家・梶原一騎氏、空手指導の添野義二館長、G馬場にかこまれて、晴れやかな二代目タイガーマスクの勇姿が躍った。覆面の人物が三沢光晴であることは、極秘にされた。
 
 こんな経緯があるから三沢選手の死は、格別に感慨深い。その後、馬場さんが死去すると、一枚岩だった全日本プロレスも分裂して行った。00年、三沢さんはノアを立ち上げる。人柄を慕って、力道山の遺児、百田光雄、小橋建太、田上明ら有力選手、和田京平レフェリー等が挙って集結した。
 三沢社長と選手の固い絆で、ノアはプロレス団体の中でも最も安定した団体に成長する。経営者としても三沢さんは非凡だった。低迷するプロレス界にあって、本当にかけがいのないリーダーを失った。
 
 梶原一騎(故人)の篤子夫人がかつてこんなことを私にいった。
「ノアの三沢さんて、律儀な人なのよ。毎年夏と冬は必ずお届け物があるの。プロレスラーでは珍しく几帳面な方だわ。」
 あるいはその几帳面、律儀さが命を落とす原因になったのかも知れない。体調が悪くても、ファンのためにと試合を強行した…。
 
 天国にはG馬場さんがいる。馬場&三沢で最強タッグを組んで活躍して欲しいものだ。
 どうぞ安らかに眠って下さい。

 


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梅酒作り/露地栽培に精出す/夏日の1日わが心は満たされる

『梅酒作り』
 先週は雨の日が多くて、ウォーキング&ラジオ体操も中止になったりして体調もいま一つ良くなかった。その雨の中、近所のゴルフガーデン会長の自宅庭で、梅酒用の梅を採りに出掛けた。梯子を掛けて、木に登りゆらゆら激しく揺すると落ちるわ落ちるは…忽ち地面に敷いたビニールシートが梅の実で溢れた。10㌔ほどの収穫で翌日はこれまた朝から梅酒作りに、スーパーへ行って氷砂糖やホワイトリカーを買ったり大童。結局2L用3本、1L用の瓶には2本漬けた。大きな粒揃いの梅で満足した。1年後、妻と夕食に飲むのが今から楽しみだ。
 今はネットで梅酒の作り方が瞬時に教えてくれるので、素人でも美味しく作れる。便利な世の中になったもんだ。
 
『露地栽培に精出す』 
 日曜日は久し振りにカラリと晴れた夏日になって、9時から露地栽培に精を出す。5月初旬に植えた野菜はどれも驚くほど立派に育っている。胡瓜、茄子、ピーマン、唐辛子、それに西瓜、空豆。日当たりがよく、風通しが良いことで、うどんこ病など心配された病気が起きていない。予め土改良から始めたことがうまく行ったのかも知れない。西瓜など試みに苗を植えたのに、すこぶる元気がよく盛んに黄色い可憐な花を咲かす。
 胡瓜は小さい実をいっぱい付けている。茄子はもうも食べごろになり、大きく瑞々しい立派な茄子に育った。早速1個昼食に食した。軽く塩で揉んで、醤油をちょっとかけて食べたら妻が「美味しわ」と感嘆の声をあげた。なんとなく苦労が報われた感じがした。
 何よりも近所の通りがかりの御婦人が「立派に育ったわね。楽しみだわ」と声を掛けてくれることだ。
 私もいよいよ意を強くしてた。トウモロコシの種も蒔いた。果たして青々と茂るトウモロコシはできるのだろうか…。
 
『夏日の1日わが心は満たされる』 
 同日午後2時からはHAKUJI HALLに妻と渋谷区民のためのチャリティーコンサートに行く。香川美智子(ソプラノ)、下園理恵(メゾ・ソプラノ)両氏の歌、ピアノ伴奏が志茂征彦で第1部日本の歌 第2部外国の歌の構成。馴染み童謡やカルメン、蝶々夫人などオペラの触りの部分をお二人の朗々たる歌声に聞き惚れた。
 最後は観客歌手が一体となって「ふるさと」を合唱した。そんな訳で、なんとなく心が豊かになった1日でした。


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1ヵ月経った露地栽培。驚くほど順調に元気に野菜が育っている…。


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見応えあったDREAM.9/内藤大助に注文あり!

『見応えあったDREAM.9』
 DREAM.9 フェザー級グランプリ 2nd ROUND(5月28日/横浜アリーナ)は近来になく見応えがあった。軽いクラスなのに迫力、ボリュームがあって私は満足した。
 ライト級ワンマッチ、川尻達也×J.Z.カルバンは前半こそHERO'S王者カルバンに苦戦したが、よくしのぎ反撃。結局、堂々たる勝利をもぎとった。川尻は力負けせず、寝技も立ち技もバランスがいい。総合格闘技でいま最も輝いている選手かもしれない。大晦日のDYNAMITE!で魔裟斗と闘う用意があると宣言していることから、実現したら盛り上がりそうだ。
 総合からの魔裟斗への刺客は過去キッドがいる。魔裟斗がダウンを取られて大苦戦した苦い経験がある。川尻も十分にその資質を持っている。楽しみな選手である。
 
 所英男も、チョークスリーパーでエイブル・カラムを2RでKOに下した。勝つことに必死な所を見るのは久し振りだ。過日、具志堅ジムで具志堅会長とジムの事務所で話していたら、所が入って来た。負け続きで元気がいま一つないように感じたので、会長と二人で「がんばって行ってよ」と声をかけた。パンチを具志堅ジムで稽古しているので、この勝利は具志堅会長もさぞ嬉しかろう。

 
 山本キッドはジョー・ウォーレンに1-2の判定で敗れたが、500日のブランクを全く感じさせなかった。キッドは窮地に陥れば陥るほど冷静になれる。堪え処を知っている。しかもそこで貯め込んだ力を次のチャンスに爆発させる。卓越したテクニックはもとよりだが、勝負師としての精神力こそ見逃してはならない。完全復活したキッドが、沈滞した総合格闘技界を引っ張る…。
 
 総合格闘技をテレビ観戦する場合、極め技が多いので、視聴者にはわかりにくい。故に解説者の果たす役割が大きい。
 で、高坂と須藤のコンビは歯切れが良く、しかも分かり易い。総合技の極まり方、その過程が単純明快に分析してくれる。特に高坂は総合格闘技解説ではピカ一だろう。
 
『内藤大助に注文あり!』
 内藤大助×熊朝忠のWBCフライ級世界戦は、内藤がやっと判定勝ち。両目の上を痛々しく出血させてだ。ただロングフックを振り回すだけの未熟な中国選手に、ダウンを取られての息絶え絶えの勝利…内藤、衰えたり!

 
 5連続防衛だが、5戦中4人がランキング2桁の下位挑戦者。これじゃ、ファンも離れる。亀田大毅戦で同情を集めた、あの貯金も尽きた頃だしこの際亀田興毅とやるしかあるまい。大晦日あたりどうかTBSさん!もっとも内藤は暫定王者ポンサクレック(タイ)と90日以内に統一戦を行うことを義務づけられているので、勝たねばならぬが…。


 兎に角、今のままでは、人気は下がるばかりだ。フライ級では大場政夫と防衛回数は並んだ。でもね、中身が違うよ!
 断わっておくが、内藤ばかりを責めている訳ではない。一番の要因は試合をマッチメイクするジム会長にあるのだから。


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「ボクシング・ワールド」の休刊 尊敬する前田衷編集長のこと…

 ボクシング・ワールド誌が今月を以て休刊することになった。

 06年、日本スポーツ出版社から前田衷氏が買い取って引き継いだもので、雑誌名も「ボクシング・ワールド」に変え再スタートを切っておよそ2年半、残念至極だ。
 同誌は私が日本スポーツ在籍中に創刊、初代編集長も務めた。それだけに、前田編集長から「今月で休刊します」の電話には言葉を失った。出版不況はワールドにも及んだかと…。

 
 今号(6月号)[編集長独白]欄で前田編集長は休刊の理由についてこう書いている。
「早い話が、売上が伸びないからです。いま新聞、雑誌といったも印刷媒体はどこも低迷していなす。インターネットで情報が簡単に手に入れられる便利な時代にあっては、雑誌はどこも厳しい状況におかれているのが現状です。」
 こういう事情だから仕方がない。本当に雑誌は売れない。電車に乗っても、本を読んでる乗客は珍しい。若い男女はほとんどの人が携帯を手にしている。メールを打ったり、ゲームしたりあるいは情報を得たりと。一昔前は雑誌の発売日ともなると一車両には、週刊ゴングやワールド・ボクシングなどを読んでるファン方は珍しくなかったのに…。
  
 前田氏は私が尊敬する編集者であり、ボクシング・ライターである。ベースボール・マガジンで「ボクシング・マガジン」の編集長をしていた頃からの知り合いで、同氏がクォリティーの高い雑誌にしたので、大幅に部数を伸ばした。
 因みに伝説のスポーツライター佐瀬稔さん(故人)が最も信頼したボクシング編集者は前田衷であった。
 ボクシングのことなら何でも知っている。また情熱は人一倍持っている。卓越した知識と能力を有するのに、それをひけらかす事も無い。私はいつかはこの人と一緒に仕事をやってみたいと密かに思っていた。で、フリーになったのを機に、私が手がけていたワールドを手伝ってもらった。ある時から委託編集をお願いして、私が退職後は御自分で経営なされていた。ワールドが曲がりなりにも、継続して来たのは前田氏の尽力に他ならない。
 前田氏が業界に従事して42年になるという。まさに日本のナット・フライシャー(リング誌創刊者)だ。彼がこのまま業界から離れてしまうことは、取りも直さずボクシング界の偉大なる損失である。ボクシング業界も何らかの救いの手を差し伸べるべきであろう。
「そろそろ引き際を考える年齢ですが、この競技の素晴らしさを広く伝え、試合の感動、楽しみをファンと分かちあいたいという思いは依然として強くあります。」と述べている。嬉しいことではないか。
  
 今後は印刷物だけでなく、ウェブサイト、携帯サイトも手掛けるとか。ワールドの復刊については、2~3の出版社から問い合わせがあるという。あるいは、早い内に朗報がもたらされるかも知れない。
 がんばれ、前田!がんばれ、ワールド!

我こころのヤンキースよ甦れ!/タイ料理・倅と夫婦の違い

我こころのヤンキースよ甦れ!

 少年の頃から大リーグ・ヤンキースのファンだった。田圃が僕らの球場で、見たこともない海の向こうの野球に憧れていた。刈入れの終わった田圃は、稲株が荒各しく躓いたり、滑ったり、転んだりしたがそれでも愉しかった。暗くなるまでボールを追った。野球少年だった頃が懐かしい。
 友達で好きなヤンキースの選手を名乗り、得意になった。僕はミッキー・マントルだった。ジョー・デマジオ、ベーブ・ルースもいた。キャッチャーに就く者は、当然ヨギ・ベラ。長靴を履いて、バットは棒きれ、ボールは確かテニスのものだった。なのに訳もわからず名前だけは輝いていた。

 
 少年時代、憧れだったそのヤンキース。昨季はア・リーグ東地区3位、今季も3位あたり上下している。常勝ヤンキースだが世界一から9年も遠ざかっているのだ。松井秀喜選手がいるうちに優勝してもらいたいものだ。サバシアとチェンバレン両投手の活躍が鍵を握っていると私は思っている。甦れ!ヤンキースよ。

 

『タイ料理・倅と夫婦の違い ―タイ・フェアに行って来ましたー』

 17日の日曜は家内と代々木公園NHK隣で開催されたタイ・フェアに出かけた。もう10回になって、出店の多さと多くの人には驚いた。雨上がり、それも強風、時折雨がパラつくという不安定な気候中、大盛況。3年程遠ざかっていたが、よくもまあ、こんなにと思うほどタイ料理の店が凌ぎを削っている。
 不思議なことに店の多さに反比例して、味はまずくなった。

 
 家内が食べたビーフン炒めは、甘過ぎて食べられたものでなく、それでは次の店で買ったセンヤイ(太米麺)の炒めはこれまた黒砂糖の味で甘ったるくてだめ。私はカーオマンカイ(鳥肉のぶっかけご飯)を食べたたが、これまたタイで食べたものと全く違う。家内とガッカリして帰った。
 だから日頃私は、滅多に日本ではタイ料理店には行かないのだが、かつてはトムヤンクンもカオパクンも旨かったのに。どうしたんだろう?

 
 で、帰宅してまもなく遅れて同じ代々木公園に行ってた倅が帰って来て家内と話していた。「どうだったタイ料理は?」と訊ねる家内に倅は「空芯采」(パックブンファイデーン=ピリ辛空芯采炒め)もあったよ、旨かったなあ…ビールもプーケットのものがあったし、色々たべたよ。ムエタイのワンロップさんにも会って「ワンロップさんですね、といったら、そうですといって、何か食べてってよと言ってたからグリーンカレーを食べて来た」と満足そうだった。

 
 という訳で我が家はムエタイとタイ料理は、概に倅に引き継がれた感がある。これも時の流れか、目出度し目出度し。

  


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タイ・フェア…タイ料理店が軒を並べ大勢の人で賑わった。

 


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晴耕雨読の露地栽培は楽し/スポーツライターはかくあるべし

『晴耕雨読の露地栽培は楽し』 

前回ブログで紹介した露地野菜は順調に育っている。2日間続いた雨にも負けずに、胡瓜ははやつるを伸ばしてきた。巻きつく竿の方へ向って伸びている。どうして判るのだろう。不思議だ。つるにまるで目が付いているようだ。
 雨上がりの9日は、枝豆を5本植えた。夏、実ったらそれでビールを飲もうという魂胆で、ゴルフ練習場の会長が買ってきたもの。皆真剣になって来た。遣り甲斐がある。まだトマトの苗が花屋さんから来ない…ずっと前から頼んでいるのに。
 10日(日曜)は朝6時から畑に肥料を施した。晴耕雨読、都会の真中で、自然の営みを経験できる幸せは贅沢というものだ。
 
『男たちの勇気に鼓舞される』

「エンデュアランス号大漂流」(エリザベス・コーディー・キメル)を先ず読み終えた。アーネスト・シャクルトン隊長率いる南極大陸横断の失敗記録。遭難に遭い極寒の南極を漂流しながらも、28人全員が奇跡的に生還した2年間の男達の記録は、その勇気にただ我胸を打つ。正にエンデュアランス(不屈の精神の意味)に敬服するのみ。20世紀初頭は北極大陸や南極大陸に人々は限りない憧れを抱いていたこともこの書でよくわかる。
 もう1冊、アルフレッド・ランシング著の同名の本も次に読むのが楽しみだ。
 
『スポーツライターはかくあるべし・スポーツライター生島淳氏のこと』 
 最近TBSラジオで生島淳というスポーツライターがよく登場する。アナウンサー生島ヒロシさんの弟だという。私は彼に関心をもって聞いている。スポーツを多岐に亘りよく知っている。アマチュアからプロまで、日本から海外のことまで。その知識を基に分かり易く、簡潔にソフトに、説明してくれるのがいい。同氏は「駅伝がマラソンをだめにした」(光文社)「世紀の誤審 オリンピックからW杯まで」(光文社)など著書も多い。
 とかくスポーツライターと称しても、プロ野球についは饒舌だが、ゴルフやアマチュアのこととなると途端に、新聞の記事を準えるようになってしまう方。そうかといえば、メジャーの解説に出てくる方は、しつこい位に知識をひけらかし五月蠅過ぎる。
 かように視聴者の耳に、心地よく語りかけるのは難しい。そこへいくと、生島淳氏はバランスがよい。喋りがなめらかなのは兄の教えもあってのものか、上品だ。兎も角、放送向きの質の高いスポーツジャーナリストが活躍していることは喜ばしいことだ。大いに期待しています



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