舟木昭太郎の日々つれづれ -90ページ目

黄金週間は読書と野菜作り/我ながら充実した休日を愉しむ

 会社勤めをしていたときにはゴールデン・ウィークに休みをとるなんてことは夢にも思わなかった。平成14年にアッパーを興しても無我夢中で、それどころではなかった。
 それがやっと取れることになった。皮肉なことに不況だからである。取り急ぎやらねばならない仕事もないから。喜んでばかりはいられないのだが、それでもなんとなく嬉しい。カレンダーのずらりと並ぶ休日に我ながら心ウキウキ…いつでも休めば休めるのにだ。で、まず静かに読書をしようと、かねて読みたかった「エンデュアランス号漂流記」(アルフレッド・ランシング著)をAmazonで求めた。それに付随して「コンチキ号漂流記」(トール・ハイエルダール著)、「南極点征服」(ロアルド・アムンゼン)、「極北-フラム号北極漂流記」(フリッチョフ・ナンセン著)など、すべて北極、南極の極点を目指した男達の凍寒との壮絶なる戦いの記録であって、それらが我手許に届いたときは幸せな気分になった。

 電車の中で、喫茶店で、寝床で、公園のベンチで読もう…幸い今年の黄金週間は天候がいいらしい。

 

 

『住宅街の一等地に露地栽培』  
 朝の野良仕事が楽しい。先月から野菜作りを始めた。露地栽培というやつだ。それも代々木上原の住宅街の一等地。友人のゴルフガーデン会長が練習所脇の8坪程の空地を提供してくれたもので、日当たりもよくて満足している。
 先ず土地改良から始めた。石灰を蒔いて、土壌をアルカリ性にして、それから腐葉土、油粕などを混ぜ、茄子、胡瓜、ピーマンの苗を次々に植えた。どうやら畑の格好になってきた。
 もとは芝を育てるための土地だったので、土壌が痩せていて今年はいい野菜に育つかどうか…ともかくネットや新聞の園芸欄で勉強しながらの俄か百姓。仲間は「本当に育つの?」と半信半疑だが、毎朝、ウォーキング&ラジオ体操の後で「我が畑」に行くのが愉しみ。精神的にも癒されている。日々苗が育つのを見るのは子供の成長を見る思いだ。それにしてもだ、鍬をてにしたのは、何十年ぶりだろうか。田舎の畑を懐かしむ。
 誰かが言った「朝は夜より偉い」をなんとなく実感している。炎天下瑞々しい野菜が実る頃に夢馳せる…。
 もっとも連休明けからは大仕事が待っている。某テレビ局のDVD4巻セットの編集制作をアッパーが請負う。のんびりばかりはしていられない。私がプロデュースするのだ。私のライフワークになる事業で、じっくり構想を練るためにも休みは有難い。

 


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露地栽培の1コマ。胡瓜、茄子、ピーマンなどの苗が植えられている 

 

怪物センサック死す…58歳の栄光の生涯 友人としてその死を悼む

 日本でもよく知られているセンサック・ムアンスリンが死去!余りにも突然の死でタイのボクシング関係者、ファンは悲しみに暮れている。私も愕然としている。

 
 バンコク在住の滝沢幸治氏によると―
 4月12日、センサックは強い腹痛を訴えてラーチャウィティ病院に緊急入院。腸閉塞と診断されたが、すでに症状が重く手術が行われた。術後の経過は感染症を起こし腎不全、心不全、さらには呼吸不全を併発、ICUにて治療が続けられた。
 しかし15日、血圧が低下したため再手術が行われた。一時は血圧が持ち直したが、16日危篤状態に陥り、15時40分亡くなった。ソスワン・マンスリー夫人と長女パーンワードちゃん(13歳)に見守られて息を引き取ったという。58歳の生涯だった。
 病院側から発表された死因は、「敗血症による多臓器不全」となっている。

 
 本名:ブンソーン・マンスリー。

 葬儀は17日~20日の4日間にわたりバンコク市内のトリーソステーブ寺院で行われ、WBC副会長ゴーウィット氏やカオサイ・ギャラクシーなど多数のボクシング及びムエタイ関係者が参列したという。  
 センサック...私にとって単にボクサーと編集記者という関係にとどまらない。親友と言ってもいい。かけがいの無い男であった。

 
 あれは確か昭和46年暮れ、初めて彼に会った。バンコク郊外のノンタブリーで、滞在していたチャムノンさんの隣にムンスリンジム・ソノン会長の自宅があった。そこで彼は居候していて、朝のロードワークから帰ったところで偶然に出くわした。
 「俺はセンサックだ。ルンピニーのジュニア・ウェルター級チャンピオンだ。ところで20バーツ貸してくれ…」というや屋台に行って朝からバーミナム(タイ・ラーメン)を2人で食べた。ムエタイの王者が初めて会った日本人からお金を借りて堂々と、何のテライもなくラーメンを食べる…天衣無縫な、センサックの人間性に私は忽ち虜になった。以来親交が深まった。

 
 ムエタイの王者から国際式の王者になっても、変わなかった。バンコクに私が行けば、ホテルに訪ねてきてくれて食事やナイトクラブに案内してくれた。何処へ行ってもセンサックは人気者であった。
 しかしトミー・ハーンズ戦で目を痛め引退。その後は不憫であった。痛めた目から亀の目のように絶えずヨダレのように液が流れた。それを右手で拭いながら彼は話をせねばならなかった。それでもプライドだけはいつも失わなかった。
「日本で手術したいから、フナキ面倒みてくれ。」とも相談されたことも。晩年はWBCからの功労金やタイ・ボクシング界からの援助金月額10万円程で、再婚した現夫人、娘さんと慎ましく暮らしていた。

 
 ムエタイでは玉城良光の内臓を破裂させた衝撃の日本のリング。
ボクシングではライオン古山戦で15回を、休憩タイムに1度もコーナーの椅子に座らず水をガブ飲みと怪物ぶりを発揮しての勝利。

 思い出尽きぬ友人を失い、切ない…。

 有難う。

 ご冥福を祈る。

 あの世では、ソノン会長も待っているよ…。

 

 セッブ(愛称)よ、さらば!

 


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取材のあいまに…センサックも私も若かった。
ムンスリン・ジムで再会を喜ぶ。


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私の好きなセンサックの1枚の写真。
何ともいえず 人懐っこい笑顔が忘れられない…

 

 
~K-1MAX開幕戦、佐藤の敗北は勿体ない~

 K-1MAX開幕戦は、ほぼ順当に優勝候補が勝ち上がった。サワープアカーオ、クラウス、ドラゴなど。佐藤嘉洋はドラゴに負けたが、全然進歩が見られない。ドラゴは蹴り技を繰り出して、そのために得意の強打を有効にさせた。スタミナで佐藤を勝っていた。佐藤の恵まれた体躯、テンカオ(膝蹴り)、リーチのあるストレートを生かせば、突進するドラゴはむしろ組み易いタイプ。勿体ない敗北だ。ここを突破すれば優勝もあったのに。
 日本人は山本優弥一人が8強に残り、7月13日武道館で、ドラゴと準々決勝で対戦する。私の優勝候補はサワーだが…。



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ラジオ体操講習会で奥の深さを実感 マスターズ魅了された中島プロの解説

 ラジオ体操の指導者講習会が16日に墨田区錦糸町であった。夜6時半から約1時間半。会場となった墨田区体育館は都内から集まった500人ほどの参加者で、いっぱいだった。年齢は、ほぼ60歳以上の年配の方。
 講師が壇上に上がりラジオ体操を一つ一つ分解して、見本を見せてくれる。手の伸ばし方、背筋の使い方、姿勢は…実に理に適っている。いままでいかに出鱈目にやっていたか、思い知らされる。NHKのラジオ体操でお馴染みのおねいさんがモデル役を務めるのだが、背筋がピント伸びて惚れぼれする。健康美というやつだ。体操は奥が深い。それを実感できただけでも講習会に参加して良かった。ラジオ体操1、2を通しでやって終わったが普段は使わない筋肉が痛かった。今年度はあと9回、休まずがんばろう。自分のためだ。
 
 今年のマスターズゴルフは最後までおもしろかった。片山晋吾の活躍、ウッズの追撃、3人によるプレーオフ。加えて石川遼君の出場…。
 その中で優勝するかに思えたケニー・ペリーの17番~18番は、中島常幸プロの解説で映像に引き込まれた。史上最年長の48歳優勝になれるか、16番終わって、2打差。ペリーが断然優位なのに、中島プロは「グリーンジャケットがチラついて来て、プレッシャーがかかって来るよ。」の予言通り、ペリーは17、18番で連続ボギー。結局プレーオフでカブレラに優勝をさらわれた。
 中島さんの解説は終始語りかけるように穏やか、淡々として分かり易い。好感が持てた。マスターズに11回出場、トップ10が2回という実績があるからコースを知り尽くしている。その経験を髄所にからめて、さり気なく、丁寧に解説してくれる。
 林アナは松下賢次アナの後を引き受けたが、中島さんが気分よく話ができるように気を配っていた。これもアナウンサー術だ。これが良かった。とても息が合っていた。
 解説者やゲスト次第では、競技も見たくなくなる。NHKのMLB(大リーグ)などは時に音声を消して見たり、あるいは副音にする。 喋り過ぎや、ぼそぼそと話しするなどで、せっかくの緊張感を台無しにしてしまう。静かに見させてくれ!と言いたくなる。
 そうかといえば、民放のMLB某解説者はやたら早口で、キンキンと五月蠅い。やたら知識をひけらかすのでウンザリする。視聴者の事を考えてもらえたいものだ。
 という訳で、中島常幸プロに魅了されたマスターズでした。


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さくらを堪能した一週間 そして箱根旅行を楽しむ

 先週6日~11日はさながら桜ウィークだった。開花宣言したあとで長い底冷えが続いたお陰だ。この一週間は晴天にも恵まれた。ぽかぽか陽気で時に夏を思わせる気温も。脳梗塞を患った身にとっては、暖いことは助かる。今年ほど存分にさくらを堪能できた年もない。記憶に残る年だ。

 
 そんな中、ロマンスカーに乗って箱根に行って来た。先輩の日本スポーツ時代の先輩、加賀屋金二郎さんのお招きで、港区の保養施設に一泊して来た。往路新宿からの沿線はまさに花電車で、絢爛と咲き誇る今を盛りの桜が見れた。特に柿生付近の桜並木は見事で見とれてしまった。その長さは壮観。

 
 宿の「大平台みなと荘」は設備が整っていて図書室まである。お風呂も、客室も広々として見晴らしがいい。料理も程々の量で満足。私が旅館を嫌うのは、余りにも量が多すぎることだが、旅館側は「量を以てサービス」と勘違いしている。
 お風呂に入り、部屋で寛ぎ昔話にこうじたり命の洗濯をさせて頂いた。翌日はフリーパス券を使って、ケーブルカーに乗ったり、芦ノ湖で海賊船に乗ったりで童心に帰った。
 大涌谷ではタイ人の旅行客に記念写真を撮ったり撮られたりと、私のタイ語が通じてコミュニケーションができたのはうれしかった。先方の方も、同じだったのではないかな。
 箱根の山中は桜はちらほらだったが、まだ冬の名残の中でぽっんと孤独に咲く山桜も、気高く美しい。

 

 敷島の大和心を人とはば
    朝日ににほふ山ざくら花
            
                本居宣長

 

 かくて詩情あふれるさくらの季節が終わった。東北・北海道はこれからが本番か…。
 東京は今日もウォーキングする頭上からまだはらはらと花びらが舞落ちる。また来年ね、と呼びかけているようだ。

 

 久かたのひかりのどけき春の日に
    しづ心なく花のちるらむ

             
                 紀友則

 

 さくらが散ると、まもなく花水木が可憐な花を咲かせる。 


舟木昭太郎の日々つれづれ  

写真|大涌谷で記念写真。右、加賀屋さん。(※タイ人に撮ってもらったもの。)

 

 

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写真|”大平台みなと荘”の前に立つ


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魔裟斗の引退を桜に譬えれば… 今年も桜に魂を奪われた

 魔裟斗が引退会見を開いた。今年いっぱいでリングを去るという。K-1MAXは魔裟斗が存在したからこそ生まれ、そして大きく育った。魔裟斗イコールK-1MAXで、2003&2008年の覇者でもある。
 それだけに、彼にはまだ現役でMAXを引っ張って欲しいと思うが、本人は絶頂期にこそ引退したいとの思いが強いのだろう。
 今まさに桜の季節。桜のようにパッと咲いて、パッと散る…そんな潔さも魔裟斗には感じる。
 朝日新聞の「万葉こども塾」欄にこんなうたが載っていた。
 
 桜花 時は過ぎねど
 見る人の 恋の盛りと 今し散るらむ

 

 サクラはこう考えたのではないか。
「今こそ花ざかり。 まるで恋人を見るように、

 みんながわたしを熱く見つめている。 この絶頂にわたしは散ろう」 と。

 

 魔裟斗の引退を桜花に重ねて、ちょっぴり感傷的になる。

 日本人ほどさくらが好きな国民もいまい。桜にものの哀れを感じるのも、また特殊な民族だろう。
 かくいう私も例外ではなくして、桜を求めて流離った。5日の日曜日は妻と代々木公園へ弁当を持って出かけた。満開の桜、幸いの好天で、人、人。家族連れなどで大賑わい。皆楽しそうで、北朝鮮のテポドンも何処吹く風、平和そのものだった。

 
 夜は西原商店街の桜祭りに妻と花見の梯子。夜桜も情緒がありまして、地元の仲間と宴会。つい深酒してしまいました。
 夜桜に提灯。ここも大勢の人で賑わい、出店もありゆく春を惜しんでいました。
 
 世の中に たえて桜のなかりせば
 春の心は のどけからまし
               在原業平

 
 今年もサクラに魂を奪われた、この週末でした。
 6日~7日は日本スポーツ出版社時代の先輩加賀屋さんと箱根に1泊旅行。思い出を語り合いながらのんびりと風呂に浸かってきます。勿論、箱根の桜もまた楽しみです。

 


舟木昭太郎の日々つれづれ-さくら

写真|代々木公園の満開の桜と菜の花が競う!


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感無量の京都の三日間 そして隅田川の花見船

 月末は行事が目白押しの多忙な日々で、東へ西へ移動した。24~26日京都滞在、24日は10時からの倅の卒業式に間に合うべく、6時半ののぞみに乗った。 K大の卒業式は30分程で簡素なもので、開会の辞、学歌斉唱、学位記授与、総長のことば、「蛍の光」斉唱、閉会の辞で終わり。総長のはなむけの言葉中に、幕末の儒学者・佐藤一斉の「言志四録」を引用した一節があった。私が座右の銘とする言葉なので、何だか嬉しくなった。主旨は「最後に頼りになるのは自分だ。だから己を磨きなさい」というもの。 それにしてもK大名物というアニメのキャラで、卒業式に出席する学生がいたのには驚いた。勘違いも甚だしい。パフォーマンスも場所による。翌日の京都新聞には総長の苦言が載っていた。

  

 兎にも角にも卒業できた。父親として、学び舎、恩師、そして友達に感謝あるのみ。時計台の下で、最初で最後の息子との記念写真。感無量。好天に恵まれた。 夜は百萬編の「琢磨」(たくま)で京懐石。7,000円で、充分満足できるフルコース料理を味わった。今度はいつ来れるだろうか…。翌日昼は時計台記念会館の中にあるラ・トゥールで昼食。フランス料理、赤ワインを1杯、手軽な値段でワインも美味しかった。4年越しの妻との淡く、小さい夢が実現した。希望の方は、早目に予約することをお勧めします。 しかしいいことばかりではない。2日間、そんな合間を縫って、息子の部屋の大掃除。よくもまー、ゴミを貯めたもんだとあきれる。夫婦でくたくたになり、やっと大家さんに引き渡した。綺麗サッパリした部屋を見渡したとき、なんともいえぬ達成感があり、息子も我々夫婦も京都を離れるんだという妙な寂寥を感じました。部屋からは大文字の山が正面に見える。名残惜しい。曇り時々晴れの肌寒い25~26両日。御所の枝垂れ桜は満開で、我々夫婦を祝福しているようでした。

 

 26日午後4時の新幹線の時間まで、六角堂や本能寺、そして錦市場を散策して帰ってきました。かねて行きたかった「一保堂茶鋪」にも行けた。大好きなほうじ茶を買うことができた。 27日は姉、姪子らと我夫婦で屋形船に乗った。隅田川の桜はまだ蕾だったが、揚げたての天麩羅など賞味しながら東京の風景を愉しんだ。忙しい一週間はかくて過ぎた。  

 

寺町の「一保堂茶鋪」でほうじ茶を買った

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御所の枝垂れ桜は満開だった…

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WBCの異常な盛り上がりと韓国の強さ、カラオケ発表会、送別会、京都へ…

 WBCの野球に湧いた一週間だった。世の中不況でにっちもさっちもいかない閉塞感のなかで、日韓が火花を散らした野球は、ある種鬱積した国民の恰好の捌け口だった。日韓共に。
 麻生政権も、小沢民主党も信用できず、この未曽有の国難のときに、WBCだけが国民が一体となって熱狂でき得る、そんな印象だ。それは異常なほどの盛り上がりで、テレビの視聴率は軒並みに桁外れの高さだ。30%近いということは、老若男女、子供から大人まで、多くの国民が見て楽しんだことになる。
 たまたまTBSに用事があり出掛けたら、放映中でロビーはテレビを見る人で埋まっていた。この日は1-4で日本が敗れたが敗色濃くなると、溜息が其処かしこに漏れて何とも言えない雰囲気で「日本人はやっぱり野球が好きなんだな」と実感した。
 結果的に決勝戦で韓国を6-2で破り1位で準決勝に進んだが韓国の存在がWBCを盛り上げている要因。日本のプロ野球より遥かに劣悪な環境にも関わらず、互格の戦いをする彼らに尊敬の念をあらたにする、強く。もっと韓国のプロ野球を勉強しよう。
 日本は、アメリカとの準決勝戦(23日)。一方韓国は22日ベネズエラを10-2の大差で下し決勝戦に1番乗りした。果たして日韓の因縁の決勝戦は実現するか…。
 今週もWBCで大フィーバーするだろう。

  

 日曜日(22日)は渋谷・播ヶ谷区民会館でカラオケの発表会。朝の10時~5時半まで、昼食付きで一日を過ごした。カラオケの間に、踊りあり、民謡あり…主催は「花にし会カラオケ発表会」で、渋谷区の各同好会が集って1年に一回行う。60歳以上のシルバーエイジの人たちばかり約90人、それぞれ2曲づつ2番まで唄うのだ。
 私はケイ・ウンスクの「J」とチョウ・ヨンピル「想い出迷子」を唄った。皆さん日頃稽古した新しい歌、古い歌を存分に唄った。楽しい一日であった。時間がゆるやかに流れるような心安らぐ一日であった。
  

 23日は友人の元ミズノスポーツ社員薬師神夫妻を東京・丸の内ビル「モリタ屋」に招待して、お別れ昼食会。3年前に50歳でミズノを退社して、介護福祉士になるため学校に通って3年。目出度く今春資格を得た。そして故郷大阪に帰り、介護士のスタートを切るという。誠に鮮やかな転身で、東京を離れる同氏を惜しむ声が絶えない。
 具志堅用高、渡辺二郎、渡嘉敷勝男、畑山隆則…薬師神さんがミズノ・ボクシング担当として関わったボクサーは数えきれない。ボクシング界の名物男である。そしてその人柄を慕う人は多い。私もなにかとお世話になっいて、その門出に当たって、ささやかな昼食会を設けてさせて頂いた。
 男はかくありたい。会社の看板が外れたときに、その価値が決まる…。友人として誇りに思う。
 
 24日~26日は京都。倅の卒業式。4月からは東京で社会人としてスタートを切る。親父として、感慨深いものがある。


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「ジェネラル・ルージュの凱旋」を見た 集団就職の友等との同級会のこと…。

 映画を見に行ってきた。「ジェネラル・ルージュの凱旋」(東宝)。新宿ピカデリーに行って驚いた。モダンな高層ビルに生まれ変わっていて、全館がシネマの館になっていた。各社の新作映画がここに行けば何でも見られるわけだ。映画ファンにはこれほど便利なことはない。本当に街に出ないと、浦島太郎になってしまう。日々刻々、世の中は変化している。実感だ。

 
 さて、肝心の映画はというと、私好みの作品でした。救命救急の「紅い将軍」といわれる主人公の破天荒な活躍、彼をめぐる疑惑と彼を取り巻く男達の野心。物語は前半は淡々と進行するが大詰めにきて、どんでん返しがありハッピーエンド。堺雅人演じる「紅い将軍」と呼ばれるゆえんが明らかになる。 この映画は単にエンターテインメントだけではなく、今まさに問題になっている、救急医療現場の切実な現状に一石を投じている。竹内結子、阿部寛の役もいい。適役だ。
 とにかく見終わって充足感がある、スカッとする作品である。

 

 14~15日は福島・土湯温泉で中学時代の同級会が開かれた。残念ながら予定があり私は出席できなかった。
 福島の山村、鮫川村の中学校を昭和30年代に卒業した。友達の多くは集団就職で東京に出てきた。高度成長を支えた企業戦士であった。艱難辛苦、皆がんばってきた。あんな山村から出て来てお互いによくがんばったね…久し振りの同級会で語り明かしたかった。

 
 人生のゴールは近づいている。一日一生、健康に注意して長生きしましょう。身体は衰えているが、老人には老人の楽しみ方がある。自分に合った楽しみ方を探して、アグレッシブに生きて行きましょう。私自身、朝のウォーキングとラジオ体操は1日の始まりとして、ハマッている。日曜のカラオケも楽しみだ。「有意義に生きた一生は安らかな死をもたらす」(レオナルド・ダビンチ)

 
 4月からは月一度、ラジオ体操指導員の講習を受けに錦糸町まで出掛ける。太極拳も習いたい、男の料理教室にも通いたい。やりたいことがいっぱいだ。毎日9時からはタイ語の自習と会社勤めのときに出来なかったことが、今はできるようになった。故郷の歌も作詞して、羽根川先生が曲をつけて下さった。イメージ通りのいい曲に仕上げてくれた。「追憶の鮫川」。  

 夕食は妻の作ったもので、外食はしない。本当の団欒というものを遅ればせながら味わっている。
 仕事に明け暮れた日を振りかえれば、なんと平安なことよ。幸せとはかくなるものかと、感じる今日この頃だ。



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高森篤子さんの誕生パーティー 今年もディスコで盛大に開催

 8日は故梶原一騎氏篤子夫人のバースデーパーティーが六本木のディスコ「ナバーナ」で13時~19時にわたって開催された。今回で5回目、いつもの通り「必守事項」が招待状には明記され、「私へのプレゼント持参の方、入場お断り」とある。

 

 家族、親族、そして親しい友達、出版関係など子供からお爺さん、叔母さまで真昼のディスコに続々集まってくる。私はキックの沢村忠氏と一緒にお邪魔した。いつものことだが、音楽がガンガン鳴り響き、会場は熱気ムンムン。子供も大人も踊っている。食べて飲んで皆が楽しむ…これがパーティーの趣旨なのだ。
 篤子夫人の挨拶が済むと、ダンスは拍車がかかり、夫人も和服姿から、洋装に衣装変わりで踊り始める。この日も華麗なるステップで招待客の喝采を浴びていた。いつもお元気でいる姿を天国から眺め、一騎先生ももさぞや喜んでおられることだろう。

 
 常々夫人は「主人は死んでからも、天国で働いてくれているのよ。だから私はこうして暮らしていけるの。有難いことです。」と私に語っている。そういった感謝の気持ちで、「元気に生きていることの有難さを皆で分かち合いたい。」と、毎年パーティーを開くのだという。
 折から「週刊現代」では”あしたのジョー”が復活、連載が始まった。今年は同漫画がパチンコ&パチスロでもデビューする。
 死してなお、梶原一騎は生き続ける。まさに不滅の作家である。梶原ファンとしては嬉しい限りだ。

 

***** 閑話休題 *****
 篤子夫人が一騎先生にプロポーズされた時のエピソード。
19歳の篤子さんに「何も知らない男の純情よりも、何もかも知ってる男の純情を信じてくれ…」。星空の下を歩きながら、ポツリと言われて、何とロマンティックな人だろうと心をときめかせたという。

寡黙で、見るからに強そうな男から映画の台詞のようなプロポーズをされたら、誰でもグラッときますわな。

私も見習わなくちゃ。 もう遅いか―。

 
64歳の誕生日、おめでとうございます。

益々お元気で、美しく…、来年もディスコ・パーティーを期待しております。


舟木昭太郎の日々つれづれ

衣装変わりしてローソクの灯を消す高森夫人。



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小比類巻のK-1MAX優勝と今後/写真家稲垣功一さんの死を悼む

 K-1WORLD MAX2009~日本代表決定トーナメント~は小比類巻が4年ぶり3度目の優勝果たした。
 A・オロゴンとの1回戦、放ったストレートが伸びがあり、おや?今日は以前とは違うぞと思って見てたらやはり勝ち上がった。変化が見られたのは、心が前向きだったこと、に尽きる。ここしばらくは、緒戦でぶざまなKO負けを喫したり、判定まで漕ぎつけても守勢一方…闘う覇気が見られなかった。せっかく天賦のリーチ、それに膝蹴りをもっていながら。
  

 決勝戦は山本優弥で、膝蹴りを積極的に繰り出せば勝てる、と予想したら辛くも判定で逃げ切った。ダウンを取り優位に進めて、最終3R。解説の魔裟斗が「小比類巻は油断するところがあるから、安心できないよ。」とコメントするや、その予言通り小比類巻がダウンした。さすが魔裟斗、かつてのライバルを知り尽くしている。まさに己を知り、敵を知っていれば百戦危うからずだ。まあ、必死で交戦してなんとか勝利を握ったのは、やはり後がない、という背水の精神力だったのだろう。
 

 試合に備えて藤原敏男会長に教えを乞うたらしいが、小比類巻が名実共に復活するには、ムエタイを制した藤原会長に指導を願い、厳しい特訓に耐えることだ。まだまだ本来の復活とは程遠いものだから。小比類巻が魔裟斗と好勝負ができるようになった時、K-1MAXはかつての輝きを増す。

 

 

 写真家の稲垣功一(本名・幸一)さんが肺がんのため2月25日に亡くなった。享年68歳。著名なカメラマンで、80年に「男の肖像」で講談社出版文化賞を受賞している。私との同氏の関わりは週刊ゴルフダイジェストの企画で、沢村忠、渡嘉敷勝男、小林和男(俳優・元11PM悪役)、そして私の4人のゴルフ仲間が集まった。具志堅会長が当初メンバーに入っていたのだが、所用のため外れた。舟木杯では幹事をやって頂いているので、残念だったのだが…。

 
 その写真を撮って下さったのが稲垣さん。東京プリンスの正面玄関脇でシャッターを切ったのだが、渡嘉敷会長が仕事があるというので、私は僭越にも稲垣を急かせてしまった。
 後で掲載された写真を見て稲垣さんだったので、申し訳なく思ったものだ。物静かで、とても感じのよい方だという印象がある。私はともかくお3方のリラックスした表情が良く出ていて、沢村氏も「いい写真だねぇ」と大変気に入っていた。
 

 私も編集部に電話して写真を分けてもらった。これを自室の壁に飾っている。私はこれまでプロのカメラマンに何度か写真を撮ってもらっている。しかし稲垣さんの1点ほど気に入ったものはない。できれば引き伸ばして、「遺影」にと思っている。そんな訳で稲垣さんの死は他人事ではない。新聞の告知欄を見て驚いた次第なのだ。(写真あり)

 
 稲垣さん、心からご冥福をお祈りいたします。


舟木昭太郎の日々つれづれ

写真|稲垣功一
左から小林、渡嘉敷、沢村の各氏と私
掲載誌「週刊ゴルフダイジェスト」2004/7/23号

 


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