ラジオ体操を始めました…竹内宏介さんのお見舞いに伺って
朝の散歩は5時半頃に家を出て、1時間程付近を回ってくる。時に初台から幡ヶ谷、西原までのコース。時に代々木公園コース。この二つが主だが、最近は大山公園コースが加わった。こちらはアップダウンが適度にあり、大山界隈はいわゆるセレブの住むお屋敷町。散歩しながら豪邸を品定めする楽しみもある。
大山公園はJICAや消防学校に隣接した小さい公園で、ここで朝6時半からラジオ体操を毎朝やっている。私も先週から参加している。その時間になると何処からともなく、お年寄りが集まって来る。ラジオからテーマ音楽が流れと、一斉に動き出す。この音楽が心に沁みて幸せになって来る。何故だろうか不思議なもんだ。多分こうではないか。「今朝も元気で皆と体操ができる」と。「幸せ」とわ結局のところ健康であることなんだ…と実感するのだ。脳梗塞を患って、回復して、率直に受け止めるようになった。
で、ラジオ体操はいい。朝の空気を体一杯に吸って。お年寄りの体操だとバカにしないで、あなたも参加してみてください。
朝の散歩や食事の改善のお蔭で、私の体重も5㌔減った。以前は殆ど外食だったが、今は妻の作る料理がもっぱらで、夜の会合は遠慮している。10時半には大概、床に入っている。まさしく老人モード。でもいささかも苦痛でない。物欲もない。書物を読んだり、テレビで好きな番組を見たり、週1回カラオケ教室に行ったり。それなりに充実している。
幸せは、身近なところに転がっていそうな気がする。
ところで、先週の土曜日には調布の竹内宏介氏宅にお見舞いに伺って来た。竹内さんとは日本スポーツ出版社時代の同僚で、在籍中も退職してからも、公私共にお世話になった。その彼が突然の脳溢血で倒れて、今は自宅療養を続けている。奥さんの手厚い看護のお蔭で、寝たきりだが、顔色はすこぶる良くなった。安心した。
夫人と雑談したりして、1時間ほどお邪魔して帰った。「元気でね、竹さんまた来ますよ」と声をかけて、外にでたら秋晴れの青い空が無性に悲しかった。日本スポーツ時代共に苦労した“戦友”だけに万感胸に迫る…。
体育の日にこだわった格闘家 沢村&具志堅さんの共通点とは
体育の日(13日)はお天気もよく散歩がてら代々木公園に妻と出掛けた。快晴、無風のすがすがしい一日だった。昼食をひろげ、ワインを飲み、染まりゆく秋の風情を愉しんだ。代々木公園の紅葉の見頃は11月下旬~12月初旬頃で、隠れた穴場。私のお勧めです。見頃になったら当欄でご報告いたします。是非お出掛けください。
体育の日といえば10月10日とかつては決まっていた。格闘家でもこの日にこだわる人がいる。”キックの鬼”沢村忠さんの現役引退は'77年(S52年)10月10日、後楽園ホールで引退式を行っている。沢村さんは「引退式は体育の日とずーっと心の中で決めていた。スポーツマンにとって特別な日ですから。」と述懐する。具志堅用高さんは”76年(S51年)10月10日、グスマンからタイトルを奪った。以後13度防衛を果たし「100年に1人の男」と呼ばれた。タイトルを奪取した体育の日が来る度に、思いを新たにするという。具志堅さんにとっても沢村同様特別な日なのだ。
そのこだわりは具志堅さん愛車のナンバーにも表れている。10・10なのである。以前はタイトルを防衛した回数13だったが。わけあって前記の数字に変えている。
沢村・具志堅両氏は現役引退後に親交ができ、時に私を介して食事会を開いている。両雄がうちとけて、談笑する姿を見るにつけ隔世の感がする。振り返れば具志堅さんが新チャンピオンになって1年後の体育の日に、沢村さんが引退している。勇者交代の歴史的瞬間を格闘技誌の編集者として、取材できた。我ながら幸運なことであった、と懐かしい。
と、まあ体育の日は過ぎたが、ふとお二人のことを思い出だすままに書いてみた。あなたの体育の日は如何でしたか?
俳優緒形拳の死を悼む。石井慧の転向お預けで感じること
俳優緒形拳さんが病気で亡くなった。5年ほど前から、肝臓癌を患っていたという。享年71歳、ご冥福を祈ります。
日本映画界はかけがいのない名優を失った。私が最も印象深い作品は断然「復讐するは我にあり」だ。緒形さんしかできない迫真の演技は鳥肌がたった。「楢山節考」などもいいけども。
近年は存在感のある役者さんが本当に少なくなって、私自身映画への興味も薄れている。緒形さんの最後の出演作品は「風のガーテン」(フジテレビ/ドラマ)という。北海道を舞台にした倉本聰氏の脚本である。心して鑑賞しようと思う。哀悼の意を表しながら…。
ところで柔道の石井慧君のプロ格闘家への転向は一まずお預けとなったようだ。記者会見を開いて「大学(国士舘)の卒業を優先したい」旨の発表を行った。ベターな選択だ。騒動に一区切りつけて心機一転、堂々と正面から転向宣言すればよい。それが石井にふさわしい。
私は大晦日のDAYNAMITE!に参戦すると予感していた。だけに残念だが、楽しみは残した方がいい。本人の同競技への憧れが人一倍強いのだから。その言動も奔放で磊落。年齢21歳と若い、金メダリスト、パフォーマンスも豊で資質も十分。彼なら世界と戦える。勿論、修行を積んでからの話。
ヒョードル、ミルコ、ヒクソン…文字通り夢のカードも見られる可能性あり。業界はこの逸材を迎え入れるにあたって、心すべきは一時の客寄せパンダにしないこと。総合格闘技100年の計を以て大事に育てるべきだ。(甘やかすことではない)
名のある日本の格闘家立ちが凋落著しい現況で、まさに業界の浮沈の鍵を握っているのは、石井慧であるからして。
K-1MAX優勝に魔裟斗の真骨頂を見た。苦戦したのは冷静さを欠いたこと
K-1WORLDMAX決勝戦は、魔裟斗が勝った。ドラマチックな5年振りの世界王座奪還。「魔裟斗による、魔裟斗のためのK-1」を改めて痛感した、ファイナルであった。
準決勝、対佐藤嘉洋戦。判定は妥当だ。3R魔裟斗はダウンを取られたが、その後は魔裟斗が猛反撃して挽回している。然るにポイント差1。1Rイーブン、2R魔裟斗が取った。これで引き分け、私の採点でも同じ。騒ぐ必要はない。ただし判定のコールが遅すぎる。サラリと事務的にやってよい。クイズ番組みたいに、効果を狙うような”間”を取り過ぎたから、スコアを改竄したのではと、あらぬ疑いを着せられる。
競技の結果発表は厳正なものである。正確に速やかにアナウンスするだけでよい。
延長に入ってやっと魔裟斗らしく、上下のパンチを、ボディから顔面に打ち分けて辛くも決勝に進出できた。私は魔裟斗が楽に勝てると思った。やはり精神的なものだと。試合前の佐藤の挑発に完全に乗せらてしまい、吾を見失っていた。勝負事に冷静さを欠くと判断を誤る。
身長もあり、リーチが長く、膝蹴りがある佐藤を「倒すこと」ばかりに夢中になって、直線的な単調な攻撃に終始した。そこに落とし穴があった。魔裟斗本来の滑らかな知的攻撃は見られず、蛮勇だけが躍った。
正に冷静さを欠いた感情的キック。突進して来る敵に対し、カウンターで膝をボディーに、ストレートを顔面へ、佐藤は的確に合せて前進を阻んだ。パンチには“膝”が最大の武器―佐藤を魔裟斗は侮ったようである。
魔裟斗の拙攻が苦戦を招いたのだ。魔裟斗がもっと左右に揺さぶりを掛け、コンビネーション攻撃をしていたら地獄を見ずに済んだはず。とはいってもダウンからの覚醒は流石に早く、阿修羅の如き見事な逆襲に結びつけた。彼の真骨頂を見た。
プアカーオを倒し、魔裟斗と互角に戦えたことで、佐藤も次への大きな手がかりを掴んだはず。天性の膝蹴りを切り札として活かすためには、それ以外の技を磨いて欲しい。なによりも逞しいアタッカーに脱皮して欲しい。そうすれば華も実もあるスケールのデカイ選手になれよう。”天を衝く膝蹴り”ディーゼルノイのような選手を目指して欲しいものだ。期待しているよ。
魔裟斗は決勝戦のキシェンコにも、2Rパンチでダウンをとられ、結局延長戦で判定勝ち。ここでも不退転の粘りと反撃で逆転。2試合とも波乱万丈の凄絶な闘いは、格闘技の醍醐味を味あわせてくれた。
K-1MAXはいいね。スピード、スリル、サスペンス…3S一体。まさにマッハのスポーツだ!!
キックボクシングの試合を久しぶりに観て 懐かしい顔に出会って嬉かった・・・
日増しに秋の気配。ここ2、3日は急激に冷え込んで、あの暑さもまた懐かしい。9月の終わりは、22~23日は代々木八幡神宮の祭り。天気に恵まれ、私も童心に返って大いに楽しんだ。笛、太鼓の音、お神輿…祭りは、心の拠り所だと思う。テンションが上がるから、脳梗塞を患ったのも忘れ痛飲してしまった。それでいいのだ!!
27日は東京北星ジム玉城良光会長のお招きで、後楽園ホールへ出掛けた。ニュージャパンキックボクシング主催の試合観戦。リングサイド席を二つ用意してくれ、玉城会長の心配りに痛み入る。先ず会場の入り口で向山鉄也君に出会う。「舟木さ~ん」と声をかけられた。「お~」と思わず叫んでしまった。懐かしい。あのパーヤップ戦の死闘が瞬間的に、思い浮かんだ。元気で活躍している姿を見るのは嬉しいものだ。
席に着くと、玉城会長、斎藤京二NJKF理事長が相次いでわざわざ挨拶に見えた。恐れ多い。リングサイド役員席に、彼らの顔を見るにつけ、時代の流れを感じないわけにはいかない。幾多の名勝負を経て、いまあるのは自信に満ちた顔…現役時代の彼らと己の雑誌編集者とし動き回った若き日々を重ね合わせる。向山、玉城、斎藤お三方、力を合わせてキックの発展に尽力している。頼もしい限り。
試合は彼らが育てた選手が次々に登場して熱い戦いを繰り広げた。会場は若い女性が以外にも多くて、華やいでいた。
一つ気になったことは、選手のトランクスに入っている名前が、ことごとくタイ語文字だったこと。お客さんに試合を見てもらうのに、名前が分からないでは話にならない。そこいいくと、第10試合の石毛VSガンスワンは、石毛が白のトランクスに、赤のサイドライン、名前は英語でISHIGE。対するガンスワンは濃紺のトランクスに日本名でガンスワンとカタカナ表記で、分かりやすかった。
玉城会長、お招き頂き感謝いたします。キックは不滅です!折をみて、綾瀬のタイ料理「オーエンジャイ」にもまたお邪魔します。
<ニュージャパンキックボクシング連盟10月以降の興業日程>
10月 5日(日)東京・ディファ有明
11月 9日(日)東京・後楽園ホール
11月30日(日)東京・新宿FACE
12月14日(日)ゴールドジムサウス東京ANNEX
お問合せ/事務局TEL03-6240-8410
Photo: ガンスワン(左)×石毛戦
北島三郎親子のテレビ出演で感銘 具志堅さんにも似たようなことが
過日、NHKの朝の「この人にトキメキっ!」という番組を何気なく見ていたら、北島三郎さん親子が出演していた。お嬢さんと二人。
私はこの親子に、とても深い感銘を受けた。勿論、他人から見れば「なーんだ、そんなことか」と笑われるかも知れないが…。
ことのつまりは、お二人とも一切装飾品、時計など身につけていなかったことである。それだけで実に爽やかな印象を覚えた。お嬢さんはイヤリング、ネックレス、指輪、そして時計等々何も無し。
これは凄いことだ。芸能人は派手に着飾ることが自分をアピールすることだ、と思っているふしがあるから。ましてやテレビ。これは北島家の徹底した躾に他ならないと感じた。よくテレビに出て、これ見よがしに高級腕時計をいじくり回しているタレントがいる。嫌な奴だと思うが、本人は意識してやっている。確信犯みたいなものだ。
北島さんは北海道から上京、渋谷で流しをして、大変な苦労をしたと聞く。根底にそんな苦労のことがあるからだろう。人前に出るときの戒め、TPO(時間、場所、場合)を自分にも、家族にも厳しく課している―ように思えるのだ。
有り余る程持っていても身に着けない気配りは、それだけで人格が豊に見えてくる。
私のように何もないから、身に着けようがな人は論外だ。
この話と似たようなことが、元世界王者具志堅用高さんにもある。彼は現役時代に多くの後援者から、それは目もくらむような贈り物を受けている。中には6~700万もする時計もあった。が本人は「あれは大事にしまってあります。」と1度も身につけたこがない。今愛用しているのは、ゴルフの賞品でもらったというシルバーの時計。
そうえいば、彼は引退して直ぐ「ベンツを買いたい」といってたが当時の渡辺剛トレーナーに猛反対された。曰く「現役を引退したのだから、これからはグリーンボーイと同じ。先ず国産車でいい」と。本人はふくれた。おおむくれで、しばらくトレーナーとは口もきかなかった。
具志堅会長が、憧れていたベンツを購入したのはそれから10年後のこと。今乗っている車(二人乗りのシツバーグレーのスポーツタイプ)は、ゴルフや仕事でご一緒するときは、私を迎えに来てくれる。
周りに苦言を呈してくれる人がいるということは、素晴らしいことだと思う。耳に心地よい言葉より、痛い言葉を訊け!か。
結論、シンプル イズ ベスト。
寺内大吉先生の死を悼んで…公私共にお世話になって思い出尽きぬ
キックボクシングの解説で知られる寺内大吉さんが、亡くなられた。(9月6日午後5時12分、心不全のため)日が経つにつれ思い出でつのる。
公私共に先生にはお世話になった。私が勤めていた日本スポーツ出版社からして、創業時より何かと御指導を受けた。月刊ゴングにキックのコーナーを他誌に先駆けて設けたのも、実は寺内先生の進言だった。私はこのコーナーができた御蔭で、ゴングと縁ができやがて日本スポーツ出版社に就職するようになった。46年8月のことだ。ゴングのボクシングとキック担当編集者として、それから毎月のように先生とはお会いして、時にボクサーとの対談や連載ものを依頼した。世田谷の松陰神社前のバス停で降りると、先生が住職の大吉寺は目の前にある。原稿が出来上がると頂きに伺った。ときに応接間で先生と格闘技談義に時間を忘れることも。話が面白く、ついつい甘えて長居してしまった。
キックからボクシング、競輪…スポーツはなんでも愛し、よく知っている人で、それをユーモアを交えながらの話はなんとも味があった。マージャンもプロの腕前だったと聞く。住職にありながら小説も書き、61年には「はぐれ念仏」で直木賞を受賞。多彩な活動で多忙な方だったが、私の帝国ホテルでの結婚披露宴では、乾杯の音頭を取ってくださり、ユーモラスなお言葉も賜った。有難いことに先生は3時間余に亘った宴席に最後まで御付き合いくださった。それは野口プロ・野口修社長も同じで、いまもって感謝の念は頭から離れたことがない。
私は日本スポーツ出版社を14年に退職、アッパーを設立したりと忙しさにかまけ先生にはここ10年来お会えしていない。先生も増上寺法主となられご多忙だろうと、つい遠慮したが、元気なうちにもう一度話を訊きたかった…。
享年86歳、先生安らかにお眠り下さい。合掌。戒名:天蓮社大僧正超誉上人英阿大吉有恒大和尚。尚、本葬は11月4日午後2時から東京都港区芝公園4の7の35 増上寺大殿本堂で。
先生…最後のお別れに参りますからね。
東京・綾瀬駅前にあるムエタイとタイ料理の店「オーエンジャイ」は本場のテイストです
JR&東京メトロ千代田線「綾瀬駅」を降りると、そこはタイだった!そんな錯覚に襲われるのが、タイ料理を愉しみながらムエタイが見れる「オーエンジャイ」。西口より徒歩30秒、細い路地を入るとまさにバンコク・パッポン・ワールド。タイ料理のナンプラーの匂いとタイ語の響き、そしてワイクーのリズム…毎週土曜6時からは、常設のリングで本場さながらの試合。それが東京・足立区で見られるのだからファンにはたまらない。
オーナーは往年の名キックボクサー、元全日本ライト級王者、玉城良光さん。現役時代は”闘牛”の愛称で無類のタフネスを誇った。初代王座を、かの藤原敏男と競い惜しくも僅差の判定負け。その後藤原選手の宿敵として活躍。日本系と全日本系との交流マッチでは、日本系・飛馬拳二と対戦、肘打ちで前歯を飛ばされながら、この相手を撃破した。センサックとの試合では、膝蹴りを腹に受けKO負けしたが、内臓破裂していたにもかかわらず電車で帰路に。あわや、命を落とすという経験もした。センサックをして「タマシロは、化け物だ。いくら殴っても、効かないよ」と語っていたものだ。
そんなかつてのヒーローが経営する店。本人がいつも店頭に立つ。土曜以外はタイ料理の居酒屋として、営業している。奥さんがタイ人、従業員も二人のお嬢さんの他はタイ人女性とあって、本場の味、雰囲気も堪能できる。
土曜日の夜ともなれば、外国人モデルや俳優・タレントが何処からともなく集まって来てリングサイドを彩る。リング上では、激しい戦い。場内は喚声、叱咤の声が渦巻く。小さいが本場のテイスト十分。私が推薦する店、それがオーエンジャイです。
入場料は一律2000円、料理&ドリンクは別。あなたも一度、行ってみては…。因みにオーエンジャイとは「和」の意味だそうです。
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ムエタイとタイ料理の店 「オーエンジャイ」 予約電話: 03-3620-2581 PM6:00~AM3:00 ※土曜は要予約。 |
総合格闘技に憧れる北京五輪金メダリスト石井慧の奔放な発言もまた良しだ・・・
北京五輪柔道の100㎏超級で金メダルを手にした石井慧(21歳=国士舘大)は、今後の日本柔道界を背負っていく男に間違いない。聞くところによると、プロレスラー小川直也を尊敬して金メダルも小川道場に気前よく寄付してしまったとのこと。格闘技に関心があり総合格闘技で活躍する秋山成勲が特に好きなそうな。ヒクソン・グレイシーに会いたいとラブコールを送るなど、強い者への憧れは並大抵ではない。いいことだ。それが石井のモチベーションを駆り立てている。柔道のみならずブラジリアン柔術も学び、既に茶帯だ。
私はかねがね、近代柔道はハイブリットになっているからして、レスリングやほかの格闘技も習得すべきと指摘してきた。石井がもう実践しているとは嬉しいし、だからこそ金メダルを獲得できたのだろう。
ときに奔放過ぎる発言が波紋を呼び、昨今はマスコミへの出演が禁止されているという。まあ、人一倍稽古熱心、練習の虫とあれば放言も許容範囲。何もかも優等生を求めるのは酷というものだ。型破りな男、型にハマらない柔道家がいてもいいではないか。
但し、石井君には4年後のロンドンで2連覇を果たして欲しい。東京五輪で神永を捻じ伏せた、あのヘーシンクのように。雄々しく…ロンドンの空の下に輝いて欲しい。切れ味鋭い大外刈りに更に磨きをかけ、より高い頂きを目指して欲しと願う。
憧れの総合格闘技への転向はそれからでも決して遅くはない。いまは真一文字に柔道街道を突っ走れ!世界の何処かで、打倒石井に過酷な稽古に励む、とてつもない男がいるかもしれない。老婆心ながら、好漢石井選手の前途に一言。
17日間の北京五輪のドラマは終わった。フェルプス&ボルトに強烈印象!
8月8日から17日間にわたって繰り広げられた第29回オリンピック北京大会は、当初心配された混乱もなく無事終了した。
大成功といってよいだろう。チベット問題、四川地震、テロ…幾つものハードルを見事乗り越えて中国は、五輪史上に残る成功を収めた。
史上最多204カ国から、選手・役員1万5千人が集い、28競技302種目で競った大会。悲喜こもごも、アスリートたちのドラマは終わった。
そんな中でも、競泳のマイケル・フェルプス、陸上のウサイン・ボルトは強烈に印象が残った。フェルプスはミュンヘン大会でマーク・スピッツが獲得した7冠を越えて8冠。出場した全ての競技に勝利した。2000年シドニーで15歳で出場、200m5位。04年のアテネ大会では6冠と駆け上がり、遂に前人未踏の快記録。まだ23歳、ロンドンも挑戦するのだろうか。ボルトは正に”黒い稲妻”の走りで100m9秒69という驚異のレコード、200mでも向こう100年は破られないというジョンソンの記録19秒32を突き破る19秒30の戦慄的世界新記録で2冠達成。400mリレーでも世界新で優勝した。22歳、196cm/86kgーロンドンまで頑張って欲しい。大阪世界陸上07では、パウエル、ゲイの陰に隠れて目立たなかったのに。とんでもない男が躍り出たものだ。
北島の平泳ぎ2種目2連覇に歓喜し、女子ソフトボールの奇跡に驚愕し、鈴木桂冶の惨敗に落胆、野球の予想外の敗戦にスイッチを切り、と一喜一憂…の17日であった。
柔道は最早お家芸ではない。柔道という単純な枠からはみ出して、色んな技が組み合わされた、言わばハイブリット化している。柔道を習う者は、レスリングも稽古しなくてならない。
女子レスリングも外国勢が本気で力を入れてきた。腕力の強い外国勢が、ロンドンでは日本の前に立ちはだかるだろう。特に72kg級で金メダルを手にした王嬌は21歳と若く、無敵の王者になりそう。
最後のマラソンではワンジル(21)が五輪新の2時間6分32秒で快勝。日本に留学し日本式走法、我慢の精神でケニヤに初の金メダルを持たらした。国境を越え金メダリストを育てたのだ、日本の指導者は、胸を張ってもよい。
競技には敗者もいるから、勝者がいる。敗れし者に鞭打つことは止めよう。それよりも、どこがいけなかったのか真摯に反省・分析して来るべきロンドン大会に備えるべきだ。
マラソンでのNHK工藤三郎アナウンサーはよかった。さすがベテラン、喋り過ぎもなく、的確、ゆったりした語り口、適度な間…民放アナ諸氏も絶叫、連呼で煽るだけの放送をもう止めてくれ!
工藤アナには開会式も担当してほしかった。各国要人の名前すら黙視、有名選手のアップにも黙視、只原稿読んでるだけとは情けなや…NHKは昔はもっと格調高かった。北京五輪私の雑感、今日はこれまで。

