怪物センサック死す…58歳の栄光の生涯 友人としてその死を悼む
日本でもよく知られているセンサック・ムアンスリンが死去!余りにも突然の死でタイのボクシング関係者、ファンは悲しみに暮れている。私も愕然としている。
バンコク在住の滝沢幸治氏によると―
4月12日、センサックは強い腹痛を訴えてラーチャウィティ病院に緊急入院。腸閉塞と診断されたが、すでに症状が重く手術が行われた。術後の経過は感染症を起こし腎不全、心不全、さらには呼吸不全を併発、ICUにて治療が続けられた。
しかし15日、血圧が低下したため再手術が行われた。一時は血圧が持ち直したが、16日危篤状態に陥り、15時40分亡くなった。ソスワン・マンスリー夫人と長女パーンワードちゃん(13歳)に見守られて息を引き取ったという。58歳の生涯だった。
病院側から発表された死因は、「敗血症による多臓器不全」となっている。
本名:ブンソーン・マンスリー。
葬儀は17日~20日の4日間にわたりバンコク市内のトリーソステーブ寺院で行われ、WBC副会長ゴーウィット氏やカオサイ・ギャラクシーなど多数のボクシング及びムエタイ関係者が参列したという。
センサック...私にとって単にボクサーと編集記者という関係にとどまらない。親友と言ってもいい。かけがいの無い男であった。
あれは確か昭和46年暮れ、初めて彼に会った。バンコク郊外のノンタブリーで、滞在していたチャムノンさんの隣にムンスリンジム・ソノン会長の自宅があった。そこで彼は居候していて、朝のロードワークから帰ったところで偶然に出くわした。
「俺はセンサックだ。ルンピニーのジュニア・ウェルター級チャンピオンだ。ところで20バーツ貸してくれ…」というや屋台に行って朝からバーミナム(タイ・ラーメン)を2人で食べた。ムエタイの王者が初めて会った日本人からお金を借りて堂々と、何のテライもなくラーメンを食べる…天衣無縫な、センサックの人間性に私は忽ち虜になった。以来親交が深まった。
ムエタイの王者から国際式の王者になっても、変わなかった。バンコクに私が行けば、ホテルに訪ねてきてくれて食事やナイトクラブに案内してくれた。何処へ行ってもセンサックは人気者であった。
しかしトミー・ハーンズ戦で目を痛め引退。その後は不憫であった。痛めた目から亀の目のように絶えずヨダレのように液が流れた。それを右手で拭いながら彼は話をせねばならなかった。それでもプライドだけはいつも失わなかった。
「日本で手術したいから、フナキ面倒みてくれ。」とも相談されたことも。晩年はWBCからの功労金やタイ・ボクシング界からの援助金月額10万円程で、再婚した現夫人、娘さんと慎ましく暮らしていた。
ムエタイでは玉城良光の内臓を破裂させた衝撃の日本のリング。ボクシングではライオン古山戦で15回を、休憩タイムに1度もコーナーの椅子に座らず水をガブ飲みと怪物ぶりを発揮しての勝利。
思い出尽きぬ友人を失い、切ない…。
有難う。
ご冥福を祈る。
あの世では、ソノン会長も待っているよ…。
セッブ(愛称)よ、さらば!
取材のあいまに…センサックも私も若かった。
ムンスリン・ジムで再会を喜ぶ。
私の好きなセンサックの1枚の写真。
何ともいえず 人懐っこい笑顔が忘れられない…
~K-1MAX開幕戦、佐藤の敗北は勿体ない~
K-1MAX開幕戦は、ほぼ順当に優勝候補が勝ち上がった。サワープアカーオ、クラウス、ドラゴなど。佐藤嘉洋はドラゴに負けたが、全然進歩が見られない。ドラゴは蹴り技を繰り出して、そのために得意の強打を有効にさせた。スタミナで佐藤を勝っていた。佐藤の恵まれた体躯、テンカオ(膝蹴り)、リーチのあるストレートを生かせば、突進するドラゴはむしろ組み易いタイプ。勿体ない敗北だ。ここを突破すれば優勝もあったのに。
日本人は山本優弥一人が8強に残り、7月13日武道館で、ドラゴと準々決勝で対戦する。私の優勝候補はサワーだが…。