舟木昭太郎の日々つれづれ -60ページ目

タレント具志堅人気の秘密/松山こそ4大メジャーを征服できる/他

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■タレント具志堅人気の秘密
 ~爆笑誘う奇想天外な回答~
 ~思い込んだら命懸け~
 ~ドッキリカメラ!?~
 ~チョッチュネ、幾つで回った?~
■ダル、田中、松山の活躍
■松山こそ4大メジャーを征服できる

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タレント具志堅人気の秘密

 ボクシング元世界チャンピオン具志堅用高さんのタレントとしての人気は、依然衰えを見せないようだ。友人Kさんが「タレント具志堅」の面白さについて語っていた。
 
 なるほど、人気が長続きしているのは、こんな所にあったのか、と思い知らされ改めて、人気の謎にせまってみた。以下はK氏の伝聞を纏めたものだから、大雑把なものであることを御了承願いたい。
 
「クイズやバライティー番組はめったに見ない俺でも、具志堅が出ているときだけは見る。だって彼は、めちゃくちゃ面白いからね」と前置きして、以下の話題を披露してくれた。
 
 某テレビのクイズ番組での一コマ。司会者、呼び掛ける。「具志堅さん、興南高校(具志堅さんの母校)では何かデントウ(伝統)がありますか?」すると具志堅さん、真顔で応じる。「有ります、パナソニックです!」期せずして、え!?狐に抓まされように、一瞬沈黙...やがて爆笑の渦という。まあ、こんな流れだったそうだ。
 
 
爆笑誘う奇想天外な回答

 どうやら彼は「伝統」を「電燈」と受け取ったようだ。それにしても、パナソニックとは、一体何だ、と司会者も出演者もぶったまげる。この予想不可能な回答にこそが、具志堅人気の秘密なのだ、とK氏はのたまう。
  
 まだある。司会者がゲストの具志堅に下記の質問を投げかけた。「具志堅さん、何かザユウノメイ(座右の銘=座右に置いて、毎日のいましめとする格言)みたいなものはありますか?」には、具志堅、キッパリ!「ハイ、左眼が1.2(例)、右眼は1.3(例)です」
   
 ムムム、司会者も、え??何ですか、え?視力ですか???そりゃ、パニックになるわね。でも本人は至ってマジなのである。故に面白い。天然ボケ。真面目なクイズ番組が、具志堅の存在で忽ち盛り上がるという訳である。
 
 知識を競うクイズ番組で、異端のゲストは正解、不正解は関係なし。一体この男の素性は何だ。実際彼が、カンムリワシとして、一時代を築いた名ボクサーだったことを知らない世代が多い。
  
 「いまやクイズ番組に欠かせない存在。具志堅は、一体どんな回答をするのか、その頓珍漢な答を視聴者は期待しているのです」(K氏)
 
 座右の銘にしろ、御本人は”サユウノメ”「左右の目」と判断した。咄嗟にこれは「眼のことだ!視力のことだ!」と思った、と推察される。それが、左眼は、右眼はに繋がったと。天才具志堅、面目躍如!こんな発言、天才だから(?)できるのだ。
 
 この発想、この奇想天外な語彙こそが、タレント具志堅さんの真骨頂、人気の秘密なのだ。具志堅さんの思考回路をいま流行の脳学者に、分析してもらいたいところだ。

「まるでボクシングのジャブの如き速さで意味不明の言葉を発する、それがワザとらしくないので、思わず笑ってしまう。こんなキャラをもったタレントいませんよ。バカバカしいとうより、感心するね」(K氏)
 
 
思い込んだら命懸け

 私もつい先週末こんな出来事があった。拙宅の近所のスタジオに、具志堅さんがくるから、スタジオに遊びに来ませんかとTテレビの友達Iさんから連絡があった。会うのを楽しみにして、私はチャリンコで出掛けた。

 撮影時間の10分程前に着いたので、具志堅さんにメールでも打っておこうかなと思ったが、私が居たらさぞ驚くだろうとの計算も多少あり、メールを打つのを止めた。
 
 スタジオの前で待っていると定刻にマネジャーの運転する車で彼はやってきて、私が、「お待ちしていました。」と冗談ぽくいうと、「舟木社長、しばらくです。」との挨拶。だがその表情には怪訝(けげん)なものであった。ここから事態が思わぬ方向に展開する。
 
 撮影現場に入るや、具志堅さん、テレビ局の立ち合いスタッフに、「これビデオですか?」と不安そうに確める。テレビ局側は、「いや、ポスターの撮影です。」と言下に否定。
 
 にも関わらず、具志堅さん、更にマネジャーを呼ぶ。「テレビ局の人に、よく確かめなよ。」険しく念を押す。どうやら、仕事はポスターの撮影だけじゃない、と疑っている様子なのだ。
 
 私は何となく変だぞと、感じていたが20分程撮影を見学して、「じゃ会長帰るからね。」と撮影の合間を見計らい声を掛けた。「え?もう帰るの?」との返事、だがその返事も、何か剣呑な雰囲気だった...。
 
 
ドッキリカメラ!?

 帰宅してメールを打った。「今日はポスター撮りを見せてもらったけど、いいポスターが出来上がりそうで楽しみだよ。」と。そしたら直ぐ返事が来た。「てっきりドッキリカメラと思っていた。久しぶりに舟木社長の元気な姿をみて安心しました。」そうだったのか。やっぱり。それで謎が解けた。ポスター撮影をドッキリカメラと確信していたのだ。
 
 私はそんなに有名じゃない!テレビ局が私を起用して「ドッキリカメラ?」を仕組んだ。そんなのあるわけないのに。いやはや、思い込む気持ちも命懸け。一途な具志堅、恐るべし。
 
 ボクシングで、世界タイトル13度防衛の「100年に一人の男」が、タレントでも後世に名を残す「爆笑王」になるやもしれません。
 最後にもう一つ。
 
 
チョッチュネ、幾つで回った?

 ガッツ石松さん、ゴルフ場のレストランでハーフを終え帰ってきた具志堅さん向かって「ヨウコウ(用高)ちゃん、いくつで回ってきたの?」と問えば、「ハイ、2時間半で回ってきました!」
 
「そうじゃなくて、スコアは幾つだったの?」「スコアですか、スコアは〇(まる)ですよ!」ほとんど意に介さないで、ケロッとしたものである。よほどこの時の会話が面白かったのか、折に触れて石松氏は、真似る。
 
「チョッチュねえ、具志堅さん、幾つで回りましたか?ボク、2時間半で回りました。チョッチュねえ」舌足らずの声音で真似る石松さんもまた、愉快で笑わせる。御二人は兎も角仲がいい。
 
 兎も角、芸能も仕事も真剣勝負。ボクシングの試合に臨む心構えで、番組に出演しているのだろう。具志堅用高とはそんな男。何事も一生懸命であれ、人生真剣勝負!そこに道は拓ける…具志堅さんは、そう我々に伝えているような気がする。
 
 ”笑門来福””一笑一若”です。精々笑いなはれ。
 
 
ダル、田中、松山の活躍

 日本人アスリートのアメリカでの活躍が目覚ましい。田中将大投手(ヤンキース)が5月31日の対ツインズ戦に先発8回を投げ、今季8勝目(1敗)を挙げれば、ダルビッシュ有投手(レンジャーズ)も対ナショナルズとの交流戦で、先発して8回を投げ、無失点で5勝目(2敗)。二人とも堂々たる成果である。
 
 田中と同僚の黒田博樹は、4勝目を挙げたばかり、ヤンキースの軸として欠かせない。上原浩冶も連日のクローザーで、レドソックスの7連勝に貢献している。日本人投手の評価はうなぎ上りだ。MLBファンとしては、まことに嬉しい限り。
 
 ゴルフの松山英樹が米ツアーでプレーオフの末にケビン・ナ選手(米)を破り初優勝を遂げた。先週は3位、期待していた。アダム・スコット(世界ランク1位)や今年のマスターズの覇者B・ワトソン等強豪を抑えての優勝は、今後の大きな自信となろう。
 
 
松山こそ4大メジャーを征服できる

 身長180㌢、22才の若さは、日本のタイガー・ウッズと呼んでもおかしくない将来性を秘める。全英オープン(2013年)でも6位の実績がある。ここ2~3年の間に4大メジャー(マスターズ、全米オープン、全米プロ、全英オープン)のいずれかを手中にする、と私はみる。
 
 そういえば腰から下の体形がウッズによく似ている。(ウッズは松山の憧れのゴルファー)柔らかい体、ための効いたスイング、正確なショッット、ドライバーの平均飛距離は300ヤード、ゴルフに打ち込む真摯な姿勢…どれをとっても不足なものがない。青木功、ジャンボ尾崎を凌駕する男は、松山英樹だ!
 
 間もなくサッカー・ワールドカップブラジル大会、サムライ・ブルーも米国で活躍する野球人やゴルフの松山選手にあやかって、旋風を起こしてもらいたい。恐らく史上最強の布陣で臨む日本チームは、ダークホースとして、優勝候補の国々が一番警戒する相手ではないか。間違いなく日本チームは、サッカーの一流国の仲間入りをした。 
 
 
近所のシルバーセンターの土手に咲き誇るキンシバイ
(金糸梅=中国原産)

 

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タイのクーデター騒動/齢を取るのは難しい/他

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■タイのクーデター騒動
 ~曖昧こそタイを救う~
■齢を取るのは難しい
 ~日々是、障害物競走~
 ~老いたることはケアが必要~
 ~厄介な骨粗鬆症~
■マー君の連勝が止まって

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タイのクーデター騒動

 困った時のクーデター、タイ政治の混乱は、即ち軍隊の出動によってしか収まらぬ。チャオプラヤの大河のように相も変わらぬ風景。長く続くタイの流儀。一時のカンフル注射で乗り切る手法は、かの国の御家芸である。
 
 今回のクーデターの目的は、事態の早急な解決は勿論だが、タクシン派の一掃にあるように見える。いずれにせよ膠着状態の中で、頃合いよしと軍が登場して混乱を収めに入ったとみる。軍事介入には批判もあろうが、現実に政治が機能せず、混乱が長引けば、経済も国民生活も疲弊する。是非もない。
 
 政治家が無能でも、生き残る不可思議な国家タイとは、例えればトムヤムクン(タイ料理=世界三大スープの一つ)の如し、辛くて酸っぱくて、それでいて甘味も漂う。このファジーな味が、外交交渉では、さながらトムヤムクンの如き変幻自在の味付けで威力を発揮する。 
 
 
~曖昧こそタイを救う~

 政治が機能しなくても、外交面では別というわけだ。交渉は柳の如くしなやかで、時にしたたかな手腕で、合掌と曖昧な微笑みを駆使、敵国を翻弄し懐柔し、国を救ってきた。
 
 第1次、第2次大戦下でもタイは、東南アジアで唯一つ殖民地にならなかった。言うまでもない、ファジーなこの外交術のお蔭である。御釈迦様外交といっていい。今回も軍事クーデターで信用を落したが、タイ国とは、さように、一筋縄では語れない国である事をお忘れなきよう。
 
「サワディ・カァ」と微笑む乙女の姿も、さながら菩薩の如しである。男どもは、これにコロッといく。何を隠そう、私もだ。硬・軟を巧みに融合させるタイ文化を語らずして、何のタイ国を語れようか。
 
 敵対する陣営はいつのまにか「マイ・ペンライ」と何の衒いもなく束の間の休戦に至る。この曖昧なマイ・ペンライの政治こそタイのタイたる所以である。
 
 今回のクーデター騒ぎも、マスコミで騒ぐほどに私は驚かない。何が起こっても、私がタイを愛するのは、この曖昧さに帰依する。
 
 
齢を取るのは難しい

 「齢をとることは死ぬことより難しい」といったのは確かギリシャの哲学者だが、なるほど最近になって分かるような気がする。痛感する最たるものは、体力の衰えと物忘れだ、
 
 視力が衰えて、好きな本も、特に昔の全集などは字が小さく読むのが辛い。行く末は果たしてどうなるのだろう。形骸にして、長生するのも嫌だ。本当に齢をとって生きることは難しいことだとつくづく実感する。
 
 車に例えれば差し詰め年寄は、中古ならずクラッシッカーである。至る所何処かしら傷んで、いつもメンテナンスを必要とする。それを怠ると、たちどころにエンコ(故障)をきたす。
 
 厄介なものです。家内も最近は買物から帰ると「どっこいしょ」と掛け声と共に上り框(かまち)に買い物袋を置く。お主も、老いたり!
 
~日々是、障害物競走~

 老いると日頃の心身ケアが多くなる。つい面倒になって放擲してしまうと、益々嫌になるので、なるべく習慣づけるようにしている。齢を取ることは、つまり果てしない「障害物競争」なのだ。そう観念するしかない。
 
 食後の三度の歯磨きは欠かさないのは勿論だが、特に就寝前の歯磨きは入念を心掛けている。歯磨きが済んだ後に人差指で歯茎のマッサージを欠かさない。
 
 あるとき知人の歯科医師夫人から「舟木さん歯をキチンと磨いていますか、歯茎も歯の内ですからしっかり磨いてくだいね」と忠告を受けた。そうだったのか、歯茎も歯の一部分だったんだ。
 
 以来、歯茎の指圧を施している。歯科医師S女史の言では「歯茎には大事な神経が集積しています」。若い時分は、こんな忠告も馬耳東風だったのに、素直に従うのは、即ち老いた証拠である。
 
 
~老いたることはケアが必要~

 風呂に入れば、両脚の脹脛(ふくらはぎ)を執拗に手で強く揉むことにしている。不思議なことだが、これをしてから嘘のように夜中の頻尿が消えた。試してみて。
 
 視力については、最近左瞼裏に脂肪の小さい粒ができて、切除してもらったが、まだ半分残っているので、うざったい。ことほど左様に老人とは、身体のケアに手間暇がかかる。

 それでも齢を取ることは、悪い事ばかりではない。森羅万象、瑞々しく感じる。若い時分にはなかったことだ。まだまだ遣り残すものがある。せめて丈夫で、そこそこ長生きしたいから、早寝早起き、節制とラジオ体操、太極拳にいそしむ。
 
 初めに、病院ありきではない、我が身は我で守る。それが我がヘルシィーイズム、我がモットーです。
 
 
~厄介な骨粗鬆症~

 骨粗鬆症(こつそしょうしょう)も厄介な病気で年寄が転んで大怪我するケースが多い。骨が脆くなっているのが主な原因で、これも老化現象。私も階段の上り下りには格別注意を払っている。スマホを眺めながらの歩行、とんでもない。
 
 骨の成長は20才位で止まるそうだから、後はバランス善い食事とか、運動によって補うしかないという訳です。フィギュアスケートで、男女とも20前後の人が先の五輪で金メダルを取ることも(男子・羽生19才、女子・ソトニコワ17才)、あながち骨の成長と無縁ではないように思う。
 
 ジャンプしたり滑ったり、足の付け根の骨には地球を持ち上げるよな重力がかかっているだろうに、思えば優雅に見えるスポーツだが、残酷苛烈な競技だなあと同情する。
 
 1年間は休養すると宣言した真央ちゃん、4年後は27才です。それでもオリンピックに挑戦するの? 私の浅田真央は、ソチで完結しております。あの感動的な、万感の涙と笑顔は、我が永遠のモニュメントですから。
 
 
マー君の連勝が止まって

 マー君こと、ヤンキースの田中将大投手が遂に負けました。日本からの通算連勝記録(大リーグ6連勝)は 34でストップしました。カブスとの交流試合に先発して4失点、雨中の敗戦でした。
 
 よりによってナ・リーグ中地区最下位のチームに負けたというので、ヤンキースの地元ニューヨークではよほどショックだったようです。
 
 1敗して肩の荷が降りたのか、25日(日本時間26日)対ホワイトソックス戦では、いつもの冷静な投球で6回2/3投げて1失点、7勝目を上げた。田中の凄い所はカウント3-2になってもフォアボールを恐れず勝負できることだ。
 
 今季限りで引退する、伝説の選手ジーター遊撃手と共にプレーできることは幸いなことだ。彼が選手からもファンからも何故に絶大な尊敬を集めるのか、シーズンの間に吸収してもらいたい。これからの田中の野球人生に於いて役立つはずである。
 
 
我家の遅咲きのさつき。今年はよく花を付けた。

 
 

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大相撲遠藤の人気/健康のためにも歩こう/他

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■大相撲遠藤の人気
 ~遠藤よ、双葉山を目標に~
■週末は畑三昧
■新緑の候、健康のためにも歩こう

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大相撲遠藤の人気

 大相撲の遠藤に人気が集まっているという。モンゴル出身の3人に横綱を独占されて不甲斐無いと思ってのことだろう。先日も知人の御夫人から「私、最近相撲中継を見るのよ。遠藤がいるから」と話しかけられた。遠藤はどうやら日本人の希望の星であるようだ。
 
 鶴竜を下した勝負は、何事が起こったかと我目を疑う程にテレビはあちこちで繰り返して流していた。やっと髷が結えて、今場所は関取らしくなった。アンコ型ではなく均整がとれた体に、甘いマスクとなると御婦人方も放ってはいないらしい。
 
 彼が大関、横綱になったとき文字通りのかつての相撲ブームが戻ってくるのではないか。体型でいったら第35代横綱双葉山に近い。双葉山も決して、巨漢力士ではなかった。身長179㌢、体重128㌔、遠藤もほぼ似通っていて、身長184㌢、体重143㌔である。
 
 遠藤には、この不出世の横綱を目標にして稽古に励んでほしいものです。双葉山が安藝ノ海に敗れ70連勝を阻まれたときに語った有名な言葉がある。
「われ未だ木鶏たりえず」(荘子の言葉)
 
 
~遠藤よ、双葉山を目標に~

 言葉の意味を私なりに解釈しました。「私は、まだ木彫りの鶏のように泰然自若となれません、人間的にも精進が足りないのです」。どうですか大横綱にして、この謙虚さ、志(こころざし)の高さを思い知らされます。
 
 一方の遠藤はどうか「遠藤、夜の遊びは横綱以上」なんて週刊誌に書かれているの見ると、少々危ぶみます。贔屓(タニマチ)の引き倒しとよく言われますが「男芸者」はほどほどにです。タニマチからの甘い誘惑を振り切るのも、修業のうちです。
 
 少し横道にそれますが、歴史に名を残すアスリートはやはり日常の生活からが違います。例えば具志堅用高さんは、現役時代「ONとOFF」を見事に使い分けていました。それを私は編集者として、事細かに目撃しています。
 
 タイトルマッチの日程が決まると、2カ月前から全て試合中心の生活になりました。まるで修行僧のようにジムと住まいとの往復でした。よほどの事がない限り夜の外出はしませんでした。所謂"ON TIME"です。
 
 ところが試合が済むと"OFF TIME"となり、堰を切ったように、ゴルフにディスコ、後援者との会食にと飛び回りました。ONとOFFを上手に使い分けれたから、13度防衛という大記録を打ち立てたのでしょう。
 
 遠藤には「われ未だ木鶏たりえず」と語れるような揺るぎない力士になってもらいたいと切に望みます。栃錦―若乃花、大鵬―柏戸時代のあの熱狂、大相撲は紛れもなく日本の文化でありました。あの頃は私も手に汗してテレビを見つめました。
 
国民はあなたに、大相撲の黄金時代を託しているのです。ところで、大関、横綱になってもシコナは遠藤で通すのだろうか。素朴な疑問ですが、本名の横綱もいいなあと私は思うのですが。それとも部屋縁(ゆかり)の戦前の名大関・清水川を名乗る?
 
 
週末は畑三昧

 週末の気候はまるで夏日の如しで、童心に帰り心が浮き浮きした。青空に夏雲が漂って、すっかり夏休み気分で畑仕事に励みました。農作業といわないのは、たかだか8坪程の面積しかない畑、農家の人に軽蔑されます。
 
 トマト、キュウリの支柱を立て、トウモロコシの芽の間引き、生姜の植付と遣る事は次々にあって、畑三昧の日々でした。気温が高いので苗は吃驚するほど成長する、まるで、成長期の子供のようです。空豆はそろそろ収穫です。確かに空豆、さやは天を仰いでいます。
 
 去年までは畑仕事をした後は、必ずと言っていいほど腰痛が起きたのに、今年はありません。朝のラジオ体操、ウォーキング、加えて太極拳の効果が出ているのかも知れません。
 
 
新緑の候、健康のためにも歩こう

新緑の候、健康のためにも歩こう
 
 そういえば朝日新聞紙上(5/6朝刊)に45才を過ぎると1年に約1%ずつ筋肉の量が減り、また75才を超えると減る割合は、より大きくなると書いてあった。
 
 こうした筋肉量の減少は「サルコベニア」(ギリシャ語)といわれ、サルコとは筋肉、ベニアは減少を意味するのだそうです。65才以上の方で22%がサルコベニアと認められたとある。これを予防するには、適度な運動、歩くことがいいと言われます。
 
 「山笑う季節」(俳句の季語=萌えるような新緑を指す)です。新緑の公園や川辺をあなたも歩いてはみませんか。気分爽快になりますし、太陽や風にあたると、カルシウムを増殖する効果で身体が知らぬうちに強くなります。家でゴロゴロ、ながら族は、不健康でもったいない!
 
故郷や どちらを見ても 山笑ふ
           子規

目に青葉 山ホトトギス 初鰹
           素堂
 
 今年は鰹が不漁で手に入らないらしい。高知の人は皆困っているだろうなあ。
  
  
畑に支柱が立てられて、苗の成長に備える。

  
早朝の晴れ渡った空に微かに残月、欅の大樹の新緑が眩しい。


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井岡一翔の敗北・タイ王者の数奇な人生/ムエタイ推薦本/他

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■井岡一翔の敗北
 ~タイ王者の数奇な人生~
■懐かしの歌謡曲
■ムエタイ本を推薦

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井岡一翔の敗北

 三階級制覇を目指して挑んだ井岡一翔のIBFフライ級挑戦は、夢破れた。上背、リーチで9㌢優るチャンプ、アムナト(タイ)の牙城を崩せず1-2のスプリット判定負け。私は3ポイント差でチャンプ。どうみても井岡の勝はないよ。体力差も歴然、完全な力負け。
 
 槍のように長く伸びるジャブ、潜り込んでいけばすかさず鋭利なアッパーが突き上げる。変幻自在なアムナト。さしもの井岡も為す術がなかった。フェイントも、左右の揺さぶりもなく単純な攻撃に終始。アムナトにすれば飛んで火に入る夏の虫。ただ迎え撃ち、狙撃すればよかった。
 
 さながら難攻不落、旅順203高地。遮二無二に攻めたてた乃木戦法。結果、井岡は、12ラウンズ、ついぞ攻略は出来なかった。アムナトにすれば省エネ作戦。よって全ラウンド、休憩時にも椅子に座ることもなし。かつてライオン古山を翻弄したセンサク・ムアンスリンを思い起こした。野性に、秀才が敗れた。
 
 
~タイ王者の数奇な人生~

 アムナトは、強盗で15年の刑を宣告され、模範囚だったことで出獄、ボクシングを始めた。35才という遅すぎたチャンプは、さぞ初防衛の夜は異国の地で悦びを噛締めていたことだろう。
 
 「私がボクシングと出会わなかったら今頃まだ刑務所で暮らしていた」(ボクシング・ビートより)。ソニー・リストン(元ヘビー級C=アリにKOされた)の境遇を彷彿させる。スポーツが人間を救う典型的な例である。
 
 才能豊かな井岡には出直しの試練。人生、敗北も強靭な発条(バネ)を造る天の啓示とみれば良し。再起もまた楽しみ。それにしてもあのトランクス、チンドンヤのようにスポンサーの広告をベタベタ張り付けて、何とかならないものか。品がない。井岡よ、ボクシングがスマートなら、身に付けるものも、簡潔であれ。
 
 セミファイナルの高山×小野の試合は、顔を背けたくなるような代物であった。二昔前なら精々日本タイトルの中身。見るべきものは何もない。アナウンサー氏の絶叫が空虚(うつろ)に響いた。ボクシングが色褪せるのも無理はない。嗚呼、1960年代~80年代(前半)代のリングを恋ふ。
 
 
懐かしの歌謡曲

ラジオ体操前に、公園で太極拳の稽古を始めたものだから家を出るのが僅かに早くなった。5時半には出る。まだ体は覚醒していないので、1日の始まりのカセット音楽は軽快な歌謡曲のメロディー「アルプスの牧場」(歌・灰田勝彦)にした。
 
 軽快なメロディーは頭の速効薬である。音楽に合わせてハモルが、灰田の裏声を真似るのは難しい。カビの生えたような古い歌謡曲が、忘れ去られず残るものは、けだし名曲だからである。
 
 数学者で文筆家・藤原正彦氏(「国家の品格」の著者)は、古い歌謡曲のレコードを沢山蒐集していると「親父の威厳」で綴っていた。 家族が留守の時を見計らって心置きなく聴くそうだ。古い流行歌は詞もメロディーも好もしいという。
 
 私も家内が出掛けたあとで、古い歌のDVDを持ち出して聴く。ときに声を張り上げて思いきりくちずさむ。家内がいれば、「うちの人も遂におかしくなった」と心配するだろうから。確かに古い流行歌は、歌詞の情景がたおやかに、波紋の如く心に広がる。
 
 オジサンには、歌謡曲は心癒す童謡唱歌みたいなものである。ああ、そうか「75才以上(私はまだですが)は小児科と同じと医者の世界ではいわれている」
 てなことで、流行歌と童謡は共通するのです。
  
「アルプスの牧場」
 作詞/佐伯孝夫、作曲/佐々木俊一 歌手/灰田勝彦
 
 雲がゆく 雲がゆく
 アルプスの牧場よ 
 鈴蘭の花咲けば
 レイホー…レイホー
 青春の胸が鳴る
 ハイホー…ハイホー
 角笛吹けば
 駆けて来る 駆けて来る
 レイホー…レイホー


 
「湖畔の宿」
 作詞/佐藤惣之助 作曲/服部良一 歌手/高峰三枝子
 
 山の淋しい湖に
 ひとり来たのも悲しい心
 胸の痛みにたえかねて
 昨日の夢と焚き捨てる
 古い手紙のうすけむり
 
  
 「湖畔の宿」は、高峰さんが特攻隊の慰問に行った時に歌った曲だそうだ。「私の歌を聴いて下さって、そのあと飛びだって行きました。二度と帰らなかったんです。私はこの曲を歌う度にあの時のことを思い出してせつなくなります」そんな物語があったことは露ぞ知らなかった。
 
 流行歌は人生模様の縮図。心に宿り、歌い継がれる。
 
 藤原正彦さんの父は著名な山岳小説家・新田次郎。神保町でぶらぶらしていて、古本店で立ち読みしていたら「縦走路」(S37年初版)を見つけた。50円!。読んだら堪らなく面白く忽ち読み切ってしまった。ミステリー染みたラブロマンス。37年に発刊されたのに瑞々しい。
 
 で、藤原先生のような偉いお方が、古い流行歌を愛することは、我が味方を得たようでなんとも嬉しい。週刊新潮のコラム「管見妄語」(かんけんもうご)は、歯切れがよく、ユーモアがあり毎週愛読している。
  
注|今週の歌謡曲は「愛は水平戦」ハン・ジナ(日本クラウン)を紹介。 
 
 
ムエタイ本を推薦

 ムエタイ(タイ式ボクシング)をとことん知りたいと思う人に朗報です。「ムエタイの世界」~ギャンブル化変容の体験的考査~ 著者・菱田慶文を推薦致します。
 
 ただ単に文献を渉猟して本に纏めたという代物ではない。著者はタイの大学留学、ジム入門、タイのリングで試合とまさに学研的、実践的考査で、ムエタイを追求している。
 
 これまで同様な著書は何冊かあったが、これほどムエタイに熱く向き合った本はない。資料としても一級品である。全体の構成は9章から成っており、ムエタイファンの読者が知りたい事柄が、
 
 筆者はこのテーマで早稲田大学大学院で博士号(人間科学)を授かった。益々御活躍されんことを祈ります。仔細に網羅してある。
 菱田慶文著「ムエタイの世界」定価2500円+税
 発行/株式会社めこん 電話/03-3815-1688
 
注|ブログ「舟木昭太郎の日々つれづれ」は毎週火曜更新です。
   http://ameblo.jp/upper/
 
 
露地栽培、ゴールデンウィーク中に苗を植えた。
手前からトマト(2列)、キュウリ(2列)、ナス、ピーマン。

 
代々木公園での「5月のバラ」。 


 
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金田正一投手こそ日本一!/ダル、マーくんと比較するのは無理がある/他

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■金田正一投手こそ日本一!
 ~弱小球団での快記録~
 ~長嶋、伝説の四打席連続三振~
 ~金田投手とメジャー~
 ~比較するのは無理がある~
■大国魂神社祭礼

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金田正一投手こそ日本一!

 2カ月前程だったか、すつぽん「田吾作」のカウンターで金田昌巳さん(39)を御紹介された。金田さんは有名な金田正一(かねだ・まさいち)元投手の甥にあたる。父親は金田留広氏(元東映、日拓、広島東洋で活躍)のサラブレッド一家、イケメンの好青年である。
 
 御自身も東海大甲府で遊撃手、1番バッターで甲子園に出場している。現在、金田企画に勤務して、叔父(正一社長)のマネジャーをやっているという。
 
 「田吾作」の御子息井上宏明君とは中学の同級生ということだったので、気安く話が弾んだ。この夜私は日本酒を飲んで、少しばかり酩酊していた。”伝説の野球人”の血を分けた方と時間を共有している、との思いもあって僅かばかりテンションが高くなった。
 
 甥御さんを前に、ここは絶対に金田正一さんについて語らねばと、かねての思いを吐露したくなった。誰が何といおうと日本が生んだ、NO,1は金田正一投手、私はそう思い続けてきたからである。
 
 「金田の前に金田なし、金田の後ろに金田なし」だよ。二番目が、神様・仏様・稲尾様、の鉄腕・稲尾和久。三番目はべーやん、別所毅彦だね。私は、沢村やスタルヒンは見ていないから、この二人に関しては何も語れないが、いずれにせよ「400勝投手」には誰も勝てやしない。今後絶対生まれない投手です。
 
 
~弱小球団での快記録~

 金田少年は、愛知の享栄商業(現・享栄高)を中退、17才で創設間もない国鉄スワローズ球団に入団。以後この弱小球団で通算353勝、内巨人戦で65勝(歴代1位)を挙げた。 晩年巨人に移籍して、47勝、巨人のV9にも貢献した。もし金田投手が最初から巨人や阪神に入団していたら500勝はおろか、600勝の可能性は充分あっただろう、と私は信じる。いずれにしてもアンビリーバブルな成績。
 
 微酔も手伝って、私の素人金田論はエスカレートした。これを黙って聴いていた金田マネは、相好を崩した。「叔父に伝えて置きます、喜ぶと思いますよ」その言葉にオヤジは、童(わらべ)が褒められた如く内心喜んだ。
 
 すると金田マネは、スマホを誇らしげに開き金田×長嶋の初対決(1958年(昭和S33年)4月5日、後楽園球場での開幕戦)のダイジェスト動画を見せてくれた。歴史的な長嶋の4連続三振の場面、日本中が固唾を飲んで見守った懐かしい映像である。「伝説の男は、自ら伝説を作り出す能力を有す」。長嶋選手を赤子の手をひねるように翻弄したシーンは、衝撃的だった。役者が違った。
 
 
~長嶋、伝説の四打席連続三振~

 ゆったりしたフォームから投げる金田投手は戦慄的だった。これに対して、フルスイングで応えた長嶋も美しかった。4打席4三振だけれども、不甲斐無いとは思わなった。限りなく未来を感じさせるものだった。
 
 金田投手の懸河のドロップ(いまはカーブと称するか)と速球に長嶋のバットは徒に空を切るばかり。これこそが日本一投手の矜持なのだと、金田投手に感服したものだ。
 
 当時私は巨人ファンだったが、長嶋の三振に妙に落胆しなかったのは、金田なら仕方がないとの思いと、長嶋の天衣無縫な空振りにあった。空振りには”華”があった。太陽の輝きがあった。長嶋という太陽は、その後日本中の野球ファンを照らし続けた。長嶋という好敵手を得て金田もまた輝きを増した。この二人が後年同じ巨人でプレイするとは思わなかったよ。
 
 金田昌巳さんと知り合った。これも何かの縁。改めて金田正一とは何ぞやを考えてみた。記録には疎い私も、調べる程に凄い投手であることに痛感した。現役生活20年、400勝298敗は勝数でも、負数でも前人未到の大記録。投番回数944試合、内完投が365試合、完封が82試合。奪三振4490個、生涯防御率2.34。凄~い。
 
 自身が打ったホームランが38本、勿論これも投手の記録。プロデビューは1950年で、翌2年目は早くも44試合に先発、完投25試合で24勝25敗、同年9月5日の対阪神戦(大阪球場)でノーヒットノーランを達成。18才35日での達成は最年少記録。何処まで続く記録更新の連鎖。
 
 1957年8月21日、対中日戦では完全試合を成し遂げ、1958年には24才で200勝達成も日本記録。且つ以後14年連続20勝!ざっと記録を調べただけで、驚愕の数字が居並ぶ。私がいうまでもない、数字を見れば「金田投手こそ日本が生んだ最高最大のピッチャーである」の評はどなたも異論あるまい。だからダルビッシュや田中と較べるまでもない。
 
 しかも現在のようにセットアップマンもクローザーもいるわけでもない。先発投手は完投が命題で、中4日とか5日というローテションも確立していない時代。 場合によっては完投した翌日に緊急のリリーフもあった。それを裏付けるのが400勝中、リリーフ勝利が「132」もあることだ。完投あり、リリーフあり、締めあり…金田という投手は一体なんだ!
 
 こういった過酷な状況下で、大怪我なく投げ続け400勝。このような不世出の投手と私が、時代を共に歩きその勇姿を見られたことは倖せの一語に尽きる。 金田、長嶋、王、稲尾、村山がいた時代。嗚呼、「三丁目の夕日」が眩しい。
 
 それは格闘技でも言える。ゴング誌の編集記者としてプロレスでは馬場、猪木、藤波、長州、そしてタイガーマスク、前田。ボクシングでは石松、輪島、大場、具志堅。キックボクシングでも沢村、藤原…その全盛時代に取材できた。これも巡り合わせ。私は何と幸運な男であろう。
 
 そろそろ終わりにしたい。ちょっと気になることが有る。金田正一氏が「ワシといまの田中将大やダルビッシュと比べるなんて失礼だ。」との言に対して、ネットで「老害だ、年寄の自慢,引っ込んでいろ!」と百家争鳴し非難を浴びていることに心傷む。偉大なる投手、敬愛しなくてはならない。
  
 金田氏の申していることは、決して田中やダルビッシュを貶めているわけではない。正統に評価されない世間への苛立ち、と私は思える。 金田正一投手が20年かかって築き上げた金字塔だ。そのオレと、若い二人を天秤に掛けられてたまるか!多分にこんな心境だろうか。分かる、私にはその気持ち分かる。
 
 
~金田投手とメジャー~

 金田投手が全盛期ならメジャーでも、十分17勝~20勝の可能性ありとみる。ときはヤンキースの黄金期。”くたばれヤンキース”の時代。監督は名将ステンゲル。 12年間でワールドシーズ制覇7回。捕手ヨギベラ、外野手にミッキー・マントルがいた。ピンストライプのユニホーム、金田投手に着せたかった。見たかった。いまの田中とだぶらせて思う。
 
 バネのある長身、頑健な体躯、物事に動じない精神力、加えてスタミナ充分。なによりも得難いサウスポー。速球は150㌔以上も出る。(元巨人軍川上監督の証言『日本プロ野球で一番早い球を投げたのは金田でしょう』ネットより引用)
 
 その速球を軸に変幻自在、緩急織り交ぜた大小のカーブは、メジャーのホームランバッターも打ち崩すのは至難の業であろう。ここ一番のドロップ(敢て)は二階から落ちるようだった、と対戦者は証言している。
 
 金田ってどういう投手だったの?と若い世代に聞かれれば、迷わず私はメジャー屈指の元投手ランディ・ジョンソン(サイ・ヤング賞5回、最多奪三振9回、WシリーズMVP1回)を挙げる。同じサウスポー、長身からの鞭のようにしなる腕、胸元に食い込む速球。似ている。いずれも甲乙付け難い日米不滅の大投手である。
 
 
~比較するのは無理がある~

 ダルビッシュや田中は、伝説を積み重ねている最中である。まだ”天皇”金田正一の域には遠く及ばない。金田山脈は例えれば、世界最高峰チョモランマ(エベレスト)。400勝の中身をご覧あれ、篤と。但しダルビッシュや田中のメジャーでの活躍は目を見張るものがあります。私も応援しています。日本の誇りです。
 
 彼等二人が何処まで”天皇・金田”に迫り、頂上をアタックできるか、楽しみです。大先輩の背を追い続けて欲しい。比較する必要はありません、無駄な事です。ネットで金田氏を腐すのも結構ですが、一度金田正一投手のレコードを精査してみては如何でしょうか。「記録は沈黙の生き証人なり」
 
 「温故知新」とは、古きを訪ねて新しきを識ることです。金田正一の偉大な轍(わだち)の跡を辿って見てください。きっときっと腐すあなたも、肯首、得心するはずです。金田正一さんを正しく評価してあげたい。好き嫌いは別の次元である。
 
 あの旧後楽園球場に喚声がこだまする。「サード、長嶋、背番号3。サード、長嶋、背番号3。」「ピッチャー、金田。ピッチャー、金田、背番号34。」
 
 高度成長期、野球も国民も皆、元気があった。日本が輝いていた。そんな時代のヒーローだったのが金田正一投手でした。あなたは間違いなく日本一のピッチャーです。金田昌巳マネジャーさん、そうお伝え下さい。
  
 金田さんも御年80才になられた。あなたの栄光の日々が走馬灯の如くめくるめく甦ります。あの時代、日本野球の爛熟期でした。もうあの日は戻ってこないでしょう。どうぞいつまでも御達者でいてください。


大国魂神社祭礼

 3日は家内を連れ立って夕刻府中の大国魂神社祭りに出掛けた。府中に降り立つのは初めてだった。駅前の欅並木や、神社境内の鬱蒼とした樹木には正直いって驚いた。
 
 何だか伊勢に来たような神聖な気分になった。目的は境内の出店で、野菜の苗を買うことだった。知人に聞いて来たのだが、植木や苗の店が溢れていた。胡瓜、茄子、トマト、ピーマンを沢山買い込んだ。
 
 6時になると山車が練り歩き、車の上ではひょっとこ踊りや神楽などが、お囃子と共にかしましいほど。駅前の欅並木にそれらが集中して、風雅な賑わいを見せて私達老夫婦はしばし立ち尽くした。くらやみ祭が呼び物らしいが、それを見ずに帰った。また、次は「くらやみ祭」を是非見たい。
 
金田企画マネジャー、金田昌巳氏(後列左端)、その隣が私。
前列左より井上宏明氏、田吾作ママ。(すっぽん「田吾作」で)

 
大玉魂神社祭礼で山車の賑わい

 
大玉魂神社の鳥居付近

 

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「医は仁術」特別展/桃月庵白酒の落語/他

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■「医は仁術」特別展
 ~桃月庵白酒の落語~
■露地栽培の季節到来
■太極拳続いています

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「医は仁術」特別展

 25日(金)「医は仁術(じんじゅつ)」特別展を見に、上野の国立科学博物館へ家内と出掛けた。この日も上々の天気。上野公園の木々の緑が眼に眩しかった。
 
 「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」そんな句がぴったり。見上げた空はあくまで青くして、薫風心地よし。1カ月前、花見に来たときは桜が咲き誇っていたが。役者の早変わりのようだ。
 
 桜が終わったというのに、公園内には外国人観光客がそこかしこに。ここにはバカな「JAPANESE ONLY」なんて立札がどこにもない。
 
 当たり前だ。遥々海を渡ってやってくる外国人を大事にしなさい。凄まじい少子高齢化と工場の海外移転で国内は空洞化。いずれ日本は、外国人に御世話にならなければ立ち行かなくなる。カナダのように大幅に移民を受けざるを得ない、それが現実になる日がくる。
 
 JAPANESE ONLYなんて言ってられないんだ。美しい国日本とは、美しい景色と暖かい心の お・も・て・な・しがセットです。忘れて欲しくない。余談ですが。


~桃月庵白酒の落語~

 特別展のチケットはTBSから頂いた。TBSはかつて「JIN」というドラマを放送した関係で今回の展示会も開催したのだろう。その際「落語もあるので、見に行きませんか」と懇意にしてるI役員から電話があった。落語という餌に、落語好きの夫婦は飛び付いたというわけ。
 
 特別展は正直どうでもよかった。どんな落語家が出るのか名前も知らされず、会場となる講堂に足を運んだら、これが予想外に面白くて、大満足。ヒデキ感激!
 
 「桃月庵白酒」という聴き慣れない噺家。で、どんなものかと訝(いぶかし)んでいたら、とんだ間違いであった。格闘家を彷彿させるような体躯で、坊主狩り。体も迫力あるが語り口も迫力あり。登場人物は見事なメリハリでストレート、一味違う落語であった。こんな型破りな、優れた噺家が居たなんて、と家内と讃え合った。
 
 落語を聴きそのあと特別展を見た。素晴らしいものを鑑賞できた。こちらがメインなのに軽視した己を反省。近代医学の始まりが全て網羅され、現代のIPS細胞に至る系譜。よくもこんなに国宝級の品々を集めためたものと感心。関係者の努力に敬服する。不敬を詫びたい。
 
 山脇東洋の人体解剖の絵図から当時の手術に使われた器具。シーボルトが塾生に授与した医師免許証など驚くものばかり。死刑者の解剖の図は仔細で、生首あり、小説を読む如き興奮を味わった。貝原益軒「養生訓」の原本は初めて目にした。医は仁術、いい言葉だ。
 
 とても2時間や3時間では見れないボリューム。医学を志す者は勿論だが、そうでない方も、一見の価値あり。東京・上野国立科学博物館、6月15日まで。
 
 
露地栽培の季節到来

 露地栽培の季節の到来である。好天続きで今年は少し早めに野菜の苗を植えようと、畑を耕す。堆肥を施し1週間は寝かせなければならない。トマト、キュウリは牛糞、ナスは鶏糞と堆肥は、使い分けます。知ったかぶり!
 
 8坪ほどのスペースでも結構耕作は骨が折れる。都会の、住宅地の真ん中で農業ができるなんぞ、贅沢極まりない。地主が無償で貸してくれている。坪単価200万の土地だよ。
 
 先ずトマト、キュウリ、ナス、ピーマンをゴールデンウィーク中に植えようと予定している。苗は今年は府中の大國魂神社祭礼に行って、境内の出店で購入しよう。露地栽培も6年目で、やっと土が本物に近づいてきた。
 
 野菜は土が出来を左右する。それが分かるようになった。実りの夏が楽しみだ。手塩にかける我が子のように成長の日々を待つ。収穫の折は近所に御裾分けする。
 
 
太極拳続いています

 週1度教室に通う太極拳も今週は教室がお休み。先週からラジオ体操の前に公園片隅で御夫人方々が行う太極拳に加わらせてもらった。恥ずかしくて参加できなかったが、顔見知りの御夫人が誘ってくれた。
 
 参加して3日が過ぎた。いつもモタモタしている。罰が悪い。人目を憚(はばか)る。それを気にしなくなったのが成長か。公園に到着するのが15分早くなったが、苦痛ではない。「習慣は第二の天性」という。続けてみたい。
 
 「身体(からだ)が喜んでいるよ」、といった太極拳立石講師の言葉を思い出す。お年寄りは、お年寄りを労り、大事にしてくれる。齢を増すことも悪くはないぞ。
 
 26日は幡ヶ谷区民会館で恒例の「花にし会」カラオケ、民謡、踊りの集い。シルバー世代が丸1日飲んで、食べて、唄って愉しんだ。私も「もう一度恋をしながら」と「花影の女(ひと)」を各二番まで唄った。
 
 「人生は後半戦が面白い」。生命の瑞々しさを仲間の皆さんに感じる。そんなこの頃です。シルバー世代よ、外に出よう、体を動かそう、共に楽しもう!
 
 来週は「日本が生んだプロ野球のNO.1投手は誰か」をーマに私の独断と偏見で綴りたい。 
 
  
露地栽培、畑の堆肥施しが終わり苗の植付を待つばかり。
土を盛った上にシートを被せる。

  
渋谷区せせらぎのシルバーセンターに咲き誇るつつじ群。

 

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貴闘力のデビュー戦/大仁田「邪道」こそ真の勝利者/他

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■韓国の旅客船沈没事故哀悼
■貴闘力のデビュー戦を見た
 ~大仁田「邪道」こそ真の勝利者~
■閑話休題
■春風駘蕩、春燃える
■映画「そこのみにて光輝く」を推薦!

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韓国の旅客船沈没事故哀悼

 韓国・珍島(チンド)付近で18日起きた旅客船セウォル号の沈没事故はなんとも痛ましい。心から哀悼の意を表したい。乗客乗員460人の中には、修学旅行の高校生350人余が含まれているという。楽しかるべき想い出旅行が、地獄への旅立ちになるとは。
 
 いまなお安否不明の乗客。捜索が難航している。家族や親戚縁者、あるは友達の心配、不安は如何ばかりか。察して余りある。船内に閉じ込められ救出を求める高校生の叫び声が耳に届くようだ。嗚呼、神よ!
 
 それにしてもだ。船長以下操縦士などは真っ先に逃げて助かったというから悍(おぞ)ましい。ノブレス・オブリージュ(仏語)という有名な言葉がある。「位が高い人ほど徳高きを要す」の意味。
 
 船長はこの言葉、御存じないか。かつて「儒教の国」と言われた韓国。祖先を敬い、年長者を敬う、そんな国の船長が、阿鼻叫喚の乗客乗員を置き去りにして遁走した。
 
 船長や乗務員は、乗客を先ず避難させたのちに、最後に船をから脱出する。それをしなかったから大勢の犠牲者が出た。船長たる者、船と共に運命を共にするくらいの覚悟でなければならない。
 
 かの国には「ノブレス・オブリージュ」という言葉は存在しないらしい。僭越だが、この際韓国は、徹底した道徳教育を施す必要が有りはしないか。そうでないと、今回のような事故はまた起きる可能性がある。明らかに人災。犠牲者は浮かばれぬ。
 
  
貴闘力のデビュー戦を見た

 元関脇貴闘力(46)のプロレスデビュー戦を見た。(4/16 代々木競技場第二体育館)鈴木みのるをパートナーに、大仁田&矢口組と戦った。
 
 大仁田&矢口は入場と同時に、リングに有刺鉄線を巻き付けたボードを2枚持ち込んだ。それをコーナー2カ所に設置した。大仁田プロデュースの”無法プロレススペクタクル”の始まりだ。
 
 スタートから乱闘、試合はそっちのけ。忽ちに貴闘力は有刺鉄線板に背中ごと叩きつけられた。椅子で頭をぶたれたり、場外の客席を引きずり回されたり、散々にいたぶられ顔面は血で染まる。この想定外の、非日常的な暴力こそ見る者を興奮させる矛盾。
 
 それでも貴闘力は鈴木の援護を宜しくやっと反撃に転じた。相撲時代から、制限時間前の立ち合いや、凄まじい張り手の喧嘩相撲で鳴らした。下地がある。
 
 修羅場の戦いは慣れている。水を得た魚のように暴れまくった。結果、貴闘力が矢口をフォールしてデビュー戦を飾る。まあ、ザッとこんなドラマの推移。プロレスというよりは活劇。俗に言う、ちゃんばらごっこ。
 
  
大仁田「邪道」こそ真の勝利者

 プロレス素人の貴闘力を見事リングで活かし、輝かせたのは、勿論プロデューサー大仁田厚。さしずめ貴闘力は、大仁田という御釈迦様の手の平に載って躍った孫悟空だ。まさに大仁田「邪道」面目躍如、真の勝利者。
 
 一体全体プロレスは、相手が受けてくれて初めて成り立つエンタテインメント。つまりキャッチボールがなければ、成り立たたない。相手をいかにして輝かせるか、生殺与奪の鍵は、一にも二にも受け手側にある。
 
 大仁田ほど”受”が際立って巧いレスラーもいない。それができるのがスタア。己を殺して、相手を引き立てる。これ「惻隠(そくいん)の情」。すなわち譲り合いの精神。
 
 プロレスとは、人生に通ず。やれ八百長だ、と騒ぐなかれ。プロレスはプロレスだ。是非に及ばず!匡(ただし)だ、プロレス団体には運営の仕方がマチマチ。それでいい。多様性が面白いのだ。
 
 でもプロレスを甘く見ることなかれ。新日本プロレス道場ではスクワット1000回なんぞは当たり前。鍛えに鍛えた鋼鉄の肉体だからこそ投げたり、撃ったり、蹴ったり、できる。これ、お忘れなきように。パフォーマンスの蔭に厳しい練磨あり。素人はマネするべからず。
 
   
閑話休題

私はいまこの歌に、恋している

 
♪二人は試されているの 君は僕の何
 これ壊れていくなら 僕は君の何だった
 何も出来はしない そんなもどかしさと
 逃れずに歩むさ それがせめての証し
 
 今書きとめたい歌
 君に捧げるLOVE SONG
 (三番)
 
「君に捧げるLOVE SONG」詞・曲/岡林信康 
 
 この歌は1979年頃流行した。友人のカメラマンが癌で余命を宣告されたときに綴った歌ともいわれる。箱根旅行の折、友達がカラオケで歌ったのが、妙に心に響き帰省して直ちに、YouTubeで覚えた。日に何度も聞いては諳んじている。
 
 岡林信康さんの気負いのない歌声と哀切極まりないギターのメロディーがとてもハートに染入る。パソコンを打ち込みながらも録音を回して、終わるとまた始まる。何度聴いても、倦(う)まない。
 
 岡林さんの40周年記念リサイタルを見る。(YouTubeにて)僭越ながらお齢(67才)召されて、一段と輝きを増している。余燼を全て洗い流し磨かれし男の佇まい。シルバー世代よ、岡林さんを見習え。心を磨こう、紳士たれ。かくいう私がである。
 
 今はじめている仕事の企画書のやり直しは、ときに絶望的な心境になる。そんなときこのメロディーを聴くにつけ、何とはなしに遣る気が起こる。多分、晩節を迎えた己が身に、囁く応援歌なのかも知れない。そうさ、この歌は、苦しみさえ勇気に替える…。
 
 さあ、人生はこれからだ。これからが勝負だ。
 「人生は、後半戦が面白い」と言うではないか!
 
  
春風駘蕩、春燃える

 週末はもうハナミズキが街路を見事に彩った。競うように、黄色の蔦薔薇、紫の藤が隣家の庭に誇らしげに綻(ほころ)び始めた。春風駘蕩、春燃える候。
 
 いつの間にか木々は青葉若葉、初夏の装い。つつじが満を持して開花を待つ。迸る如くお惜し気もなく彼女たちは咲き乱れ、黄金週間に文字通り錦上花を添える。日本の春は街全体を花園に変える天然の美である。
 
このほどを花に礼いふ別れ哉
           芭蕉

 
  
映画「そこのみにて光輝く」を推薦!

 「そこのみにて光輝く」(TCエンタテインメント制作)を新宿テアトルで家内を連れ立って見てきた。函館を舞台に行き場のない男女のラブストーリー。切なくも胸を打つ、重厚な作品。私は充分に堪能した。
 
 監督呉美保、主演、綾野剛の新境地。脇を池脇千鶴、菅田正暉、高橋和也、火野正平で固める。大城拓児役演ずる菅田の演技が断然光る。制作は私がお付き合い頂く永田守さん(TCエンタテインメント専務)。元大映社長永田雅一の孫。天国の永田社長もさぞ喜んでいることだろう。
 
 モントリオール映画祭出品作品。見て欲しい映画である。上映館:新宿テアトル、ヒューマントラストシネマ有楽町、TOHOシネマズ川崎他。お問合せを。
 


~春風駘蕩、天然の美~
千駄ヶ谷駅ホームからの菜の花の眺め(19日)

 
散歩で渋谷区初台付近のハナミズキ(18日)

 
隣家の庭に咲く花々…左より藤、ジャスミン、黄色の蔦ばら。(21日雨の早朝)

 

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STAP細胞 未熟より稚拙/春爛漫、日々好天

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■春爛漫、日々好天
 ~花のファッションショー~
■STAP細胞騒動の結末は
 ~未熟より稚拙~

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春爛漫、日々好天

 桜はものの哀れだ。儚(はかな)さ故に美しい。つかの間の命。雨に、風に、光に散りゆく。嗚呼、あなたとの逢瀬をまた一年待つのだ。
 
 梢うつ雨にしをれて散る花の
  惜しき心を何にたとへむ
          西行
 
 桜が散って、純白のコブシ咲き、競ってビロードの如きパープル色の木蓮の大輪が、春の陽光に映えて、ゴージャスに花弁を揺らす。ウコンも派手な黄色のワンピース姿でこれ見よがし。
 
 ハナミズキは、陽気に誘われ覚醒、うぶな花弁を紐解き始めた。今週辺りは、街頭を白や桃色の可憐な花で飾るだろう。控え目で私の好きな花。楢や楓はいつの間にか芽を噴出し、忽ち新緑の装いに衣がえ。牡丹桜も満を持して登場した。
 
 
~花のファッションショー~

「私が桜の大トリなの」牡丹桜は、棟方志功描くところの豊満な裸体を惜しげもなく曝す。ハナカイドウも負けてはいない。濃艶なピンクのドレスをなびかせ、春の盛りのステージに躍り出た。
 
 フィールドはまるで草花のファッションショー。恰もスライドショーを見る思いだ。近来になく日々好天。森羅万象、春爛漫。百花繚乱とはまさにこの現象をいうのだろう。
 
 この自然の「花篭」を誰に捧げようか。
 
 
STAP細胞騒動の結末は

 STAP細胞の疑惑は晴れない。9日に記者会見した小保方晴子さん(理化学研究所ユニットリーダー)は、疑惑を持たれている論文に対して「結論が正しい以上、(撤回は)正しい行為ではない」と主張。弁護士を立てて所属の理研と戦う姿勢だ。信念あるならそれも良し。
 
 私はこの欄で「若い研究者の芽を摘むな」と警告した。しかし今度ばかりは、記者会見の模様を眺めて愛想が尽きた。科学者の何たるものか彼女は全く分かっていないようだ。
 
 「STAP細胞は200回以上成功している」と明言するものの、それを裏付ける証拠物件は何も提示してない。だから疑惑は深まるばかり。「100の成功」よりも「1回の実証」だ。実証無かずんば人は納得せず。
 
 写真を張り合わせたり、かくも杜撰な論文を理研ともあろう頭脳集団が、精査もせずにパスさせたものだと私は訝る。理研にも当然責任がある。


~未熟より稚拙~

「私が未熟だった」と涙ながらに訴えた小保方さん。未熟より何より稚拙過ぎ。科学者なら科学的に証明すればいい。
 
 世界をあっと驚かせた日本発のSTAP細胞。急転、奈落の底の陰り。世間をこれだけ振り回した末の混乱。真実、STAP細胞は存在するのか否か、理研は誰もが納得する結論を開示してほしい。
 
 もし存在しないのなら、小保方さんも潔く謝罪する義務がある。「過ちて改めざる、是を過ちという」。勿論STAP細胞の存在に、淡い期待を抱いているのは私だけではあるまい。 
 
 
朝日に映える「ハナカイドウ」
 


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太極拳を習い始めた/ボクシング編集者春原氏逝去/他

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■田中のメジャーデビュー
■太極拳を習い始めた
 ~初心者に響く指導者の一言~
■ボクシング編集者春原氏逝去

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田中のメジャーデビュー

 田中将太投手の「未知と遭遇」大リーグデビューは合格点。記念すべき初勝利を挙げた。対トロント・ブルジェイズ戦。敵地のマウンド。初回、いきなり1番打者カブレラにホームランを打たれた。2回にも2点を許し心配な立ち上がりだった。
 
 しかし3回からはピッチングを修正して立ち直った。以後、日本で投げるような直球主体の自信を持った投球、安心して見て居られた。味方が7点を叩きだして、田中を援護、ヤンキースは7-3で勝った。
 
 7回97球。3失点、8奪三振、無四球。見事、先発の役目を果たした。次回は9日、地元ヤンキースタジアムでの対オリオールズ戦。1億5500万㌦(160億円)投手がいよいよ本拠地ニューヨークに降臨する。
 
 ニューヨークのファンは厳しいぞ。打たれればくそみそ容赦ないブーイング。好投すればスタンディングオーベーション。それだけに遣り甲斐があるというものだろう。ピンストライブのユニホーム姿、わくわくするねえ。
 
 田中投手はナインとの融和を大事にする男らしい。ロッカールームには、「皆さんどうぞ食べてください」と英語で書かれた箱があり、中には森永製菓の「チュウハイ(レモン味)」のお菓子が入っているらしい。これが選手間では好評らしい。
 
 一方ダルビュシュ有投手は、敢然と我が道を貫く。時にキャッチャーとも衝突する。ベンチでも孤高の姿勢を崩さない。個性派の多い大リーグでオレ流を貫くことは容易ではない。今年は少しキャッチャーと意志の疎通をはかるようになったけれど。
 
 この対照的なダルビュシュと田中。大リーグという夢舞台で、競い合う。こんな時代が来ることを誰が予想したか。それも逐一BSやスポーツチャンネルで見られる。
健康で、少量の御酒があって、大リーグの試合が見れる。老境の身で、これ以上人生に何が不足があろうか?
 
 
太極拳を習い始めた

 4月2日誕生日思い立って「太極拳」を始めた。区の施設で無料、誰でも参加できると区の広報にあり気軽に出掛けた。ラジオ体操で顔見知りの方も何人かいて、その点では安心できた。
 
 1時間半やってみて予想通り難しいもんだと実感。しかし見よう見真似で体を動かしながら、これは健康にいいと得心。ゆったりした動きの中に、そこはかとなしに血液の流れを感じる。名状しがたい充足感、疲れ、これこそが我が求めしもの!
 
 太極拳の稽古に入る前に30分の予備体操、御婦人指導による入念にして、丁寧なこの体操で充分私の老体は覚醒。そのあとに男子講師が登場、音楽を奏でて稽古となる。
 
 
~初心者に響く指導者の一言~

 で、始まり前の講師の挨拶が心を和ませる。「皆さん、いまの30分の準備体操で本来は充分なんですよ。太極拳がそんなに上手にならなくていいんです。気楽に体を動かしてください。」
 
 さり気ないこのちょっとした挨拶に励まされ、太極拳に頓珍漢な私は、リラックスして臨めた。最後尾で上級者たちの動きに合わせ、時にバラバラな手足の動きにもものともせず、何とか最後まで遣り通せた。講師の一言があと押ししてくれたのだ。
 
 講師の助言が、初心者の脆い心をいかに勇気づけるか、である。指導者とはかくあるべき。巷間かくも優秀な指導者がいることに私は感銘を覚えた。
 
 太極拳を学んでみて、これこそは健康体操であると体感。年寄には最適なスポーツである。福島県喜多方市が市のスポーツとして、太極拳を採り入れているのは、その意味で正鵠を得る。
 
 残念なのは御婦人が9割で男性が少ない事。女性の平均寿命が勝っているのも、あながち不思議ではない。お年寄よ、隠栖(いんせい)者になってはいけない、外にでよう、体を動かそう!明日では遅い!
 
 なんとか続けられそうである。まあ、気長にやっていきます。なにせ覚えが悪いので皆さんに迷惑をお掛けしますが。「老犬に芸を教えても無駄である」という諺にもあります。立派な老犬です、宜しく願います。
 
  
ボクシング編集者春原氏逝去

 「ボクシング・ビート」誌編集部春原俊樹氏が胃癌のため3月30日に亡くなった。享年57才。残念でならない。お通夜は4月1日、埼玉県北浦和の葬祭斎場で執り行われ、顔馴染みのボクシング関係者の姿が多く見られ、突然の死を悼んでいた。ボクシング界はかけがいのない人をまた一人失った。
 
 春原氏は1989年に「ワールドボクシング」誌(「ボクシング・ビート誌」の前身)に入り四半世紀にわたり副編集長として、前田吏編集人をサポート、ボクシングの発展に尽くしてきた。私も仕事を手伝ってもらったことがある。春原氏は仕事の段取りがよく締め切前には、必ず原稿を頂いた。
 
 その実直な人柄は選手やジム関係者の誰からも愛されていた。今年1月突然一身上の都合で会社を辞め埼玉県下の病院に入院していた。胃癌だったとは。本人は余命2カ月と知っていたとか。私もメールを交換したが「一身上の都合です」としか返ってこなかった。
  
 己の余命知り、死と向き合いながらの日々…その心境たるやいかばかりだったか。まさにわが肺腑に突き刺さる思いである。静かに静かに、緞帳を降ろした春原氏の57年の人生よ。あなたの業績は不滅です。折しも6日井上尚弥(大橋)が、WBC世界フライ級王者に日本最短6戦目で就いた。春原氏への御礼の戴冠でなかったのか。
 
 さようならわが友よ、安らかに眠ってください。心で10(テン)ゴングを鳴らしながら…あなたを偲びます。
 
 
6日、西原商店街の遊歩道での「桜祭り」も風雨のため中止になり、細々と行われた。

 

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元ボクサー袴田巌さん釈放~降参しなかったのは闘魂~/他

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■元ボクサー袴田巌さん釈放
 ~降参しなかったのは闘魂~
■サクラサイタ!
 ~上野公園の桜の物語~
■浅田真央は引退の潮時

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元ボクサー袴田巌さん釈放

 「無実の死刑囚」袴田巌氏(78)が再審に至り48年ぶりに釈放された。袴田さんが元ボクサー(不二ジム=フェザー級最高位6位、29戦16勝10敗3分け)ということで、日本プロボクシング界も長年支援してきた。よかった。
 
 若き頃、比国遠征に出た折のファイティングポーズの写真が新聞に載っていた。澄んだ目をした、それでいて精悍な表情、何とも凛々しい。こんな人が殺人を犯すなんて考えられない。
 
 事件は、1966年6月30日「こがね味噌」専務の自宅が放火され、焼跡から専務、妻、次女、長男の4人の他殺死体が見つかった。捜査の結果、当時「こがね味噌」で働いていた従業員で元プロボクサー袴田巌を強盗殺人、放火窃盗容疑で逮捕(同年8月18日)した。これが事件のアラマシ。
 
 
~降参しなかったのは闘魂~

 俗にいう袴田事件。司法は48年を経て、この事件を、捏造でっち上げとの結論を下し再審を命じた。恐ろしいことだ。無実の人がある日突然刑務所に連れて行かれる。他人事ではない、あなたも私も起こり得る。その結果強引に、何が何でも、犯人に仕立て上げられてしまう。
 
 拷問の毎日だったと、担当弁護士は伝える。よくぞ48年間も耐えてきた。3畳の独房でだ。孤独と死刑の恐怖と戦いながら。想像するに、袴田さんは、戦わずして降参することをよしとしなかったのだろう。それがボクサーの闘魂ではなかったのか。
 
 日本プロボクシング協会は、釈放された袴田さんに名誉ライセンスの授与、かつ後楽園ホールリングサイドに「袴田シート」設けて来場を待っているという。また、WBAでは名誉世界チャンピオンの称号を贈るという。これも獄中で戦い抜いた証。いい話だ。
 
 ギネスは「世界で最も長く収監された死刑囚」に認定した。明るいニュースが、桜の開花と共にやってきた。でも、失った歳月は戻らない。
 
 当時、袴田さんを逮捕した担当警察官が生きているなら、捕まえて刑務所にぶち込むべきだ。そうでもしないと袴田さんの無念は収まらないだろう。まさに我が肺腑をえぐるような事件である。


サクラサイタ!

 は~るよ、来い!と叫ぶ間もなく桜がジャンプして来た。さっそく初夏の陽気に誘われて、29日上野公園に出掛けた。故郷福島県鮫川出身の東京近郊に住む人の集いがあった。私は急遽参加を申し出た。当日は、天候がすこぶるよかったので、千載一遇のチャンスとばかりに。
  
 西郷さんの銅像に集合したあとで、仲間は三々五々散策した。強い日差しのなか大勢の見物客が次から次に波のように押し寄せた。上野の桜をじっくり見物するのは久しぶり。花見のあとは池の端のすし店で会食した。
 
 
~上野公園の桜の物語~

 「上野公園の桜が、綺麗なのは戦災で死んだ遺体が埋まっているからだよ」と聞いたことがある。まことしやかな話であるが、平和な蔭にそんな悲惨な歴史もあるやに聞く。桜の花には、刹那の哀愁、物語がある。だから愛おしい。
 
 見頃の桜も一たび激しい雨が降れば、あっというまに散り果てる。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」であり、また、こんなうたも。「明日ありと思う心の仇桜,夜半に嵐が吹かぬものかわ」この句などは人生の無常をうたっていて、味わい深い。桜花とはかように人は、人生に重ね合わせる。
 
 それにしても、外国人が多いのには驚いた。外国人の笑顔に、平和日本の歓びを感じる。日本人も外国人もカメラでパチパチ、3分咲きの桜を愛でる。♪こんにちわ~、こんにちわ~、世界の国から~♪これって万博ソング?好いじゃないの倖せならば。外国人の皆さん、日本の春をどうぞ満喫して帰ってください。
 
 
浅田真央は引退の潮時

 フィギュアスケート浅田真央が世界選手権女子で3度目の優勝を果たした。有終の美といっていいであろう。その去就が取沙汰されている中、私はいまこそ引退の潮時と思うのだ。
 
 ソチでのフリー、あの完璧な舞えは夜叉の如き鬼気迫るものがあった。せめてショートプログラムでの失敗が無かったらと誰もが悔やんだ。しかしである、メダルこそ手に出来なかったが、浅田真央は、日本人の心に生涯忘れることのないモニュメントを残した。
 
 そして今回の世界選手権制覇、真央は完全燃焼して「浅田真央ストリー」は完結した。もうゆっくりお休み。大衆ほど気まぐれで無責任な者はいない。こののち現役を続け、成績が振るわなかったら一転してそっぽを向くのだ。そんなシーンを私は目にしたくない。
 
 万物は流転する。今を盛りのサクラもやがて失する。花道にいまが最も相応しいではないのか。新たな目標が見い出させないままなら、ましてやだ。花の命は短くて…選手寿命は短い。これを肝に命じなくてはならない。以上、老婆心切ながら、私の率直な感想である。
 
上野公園の桜(29日)

 
代々木公園で(31日)

  

 
大山公園で(31日)

 
夕刻の西原遊歩道の桜(31日) 

 
 

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