小渕優子は議員バッチを外せ/唱歌「故郷」の高野辰之記念館/他
--------------------------------------------
■小渕優子は議員バッチを外せ
~父・恵三の背中を見て育つ~
■MLBのWシリーズ考
~ロイヤルズ快進撃~
■秋の信濃路を満喫
■唱歌「故郷」の高野辰之記念館
~高野の「志」が歌に投影~
[今週の雑学]
--------------------------------------------
小渕優子は議員バッチを外せ
政治資金規制法に触れて、小渕優子経済産業相が追い詰められて辞職した。観劇会の収支が食い違っていたんだと。収支報告にはベビー用品(本人は海外へのお土産という)もあるぜよ、セコイねえ。こんなのが大臣だぜ。安倍総理の目玉、女性閣僚の資質もこの程度だよ。
今度は選挙区で団扇(うちわ)を配った、毒々しいあの吸血鬼みたいな口紅のオバチャン松島みどり法務大臣もだと。有権者に自分の似顔絵や名前の入った団扇を配れば選挙運動にあたるーこれぐらい猿でも分かるよ。こんなお粗末な人物が法務大臣だとよ。情けないたらありゃしない。次にコケル女性閣僚は誰だ!
小渕優子を将来の首相候補だと、書きたてたのは誰だ!大体後援会なるものが、「政治はカネ」のDNAを受け継ぐ団体だから、今回のような事態も起こるべくして起きた。何ら驚きはしないけれど、ワシは。
私が先にこのブログで経済産業相の器でないと、大臣就任時に警告したが、こんな騒動がいきなり噴出するとは思わなかったよ。派閥力学で登用されたのは、あるいは、彼女、そのカネ集めの能力を買われてのことかも知れないね。
いやはや、内外を取り巻く厳しい経済情況の舵取り、原発の再稼働の問題と経済産業相の責務は特別重たいのに、安倍総理はとんだ人物を選んだものだ。任命責任も当然ある。
父・恵三の背中を見て育つ
小渕大臣の父・恵三が所属していた自民党竹下派の「経世会」は、そもそも田中角栄の越山会を模している。カネで政治を支配する手法は、あの巨悪金丸信と組みそれを強大化した。
だからボス竹下登はリクルート事件に連座、総理の座を陥落した。それでも院政を敷いた。そういえば「ふるさと創世」で地方に1億円を配ったのは、竹下総理の時だったね。田中派を乗っ取り、金権脈々。右翼に「褒め殺し」されたりして、何ともダーティな政治家だった、竹下登は。
その薫陶を受けて小渕総理が生まれた。政治家としてこれといった業績が有る訳でなくあるとすれば、早稲田雄弁会人脈と「年号は平成です」と色紙を掲げたくらい。
子は親の背中を見て育つとはよくいったものだ。親の七光り言うに及ばず、金権政治を継承してスピード出世で大臣まで駆け上がった。見たり!その正体。小渕優子デージンよ、いまこそ議員バッチを外す時ぞ。
MLBのWシリーズ考
メジャーリーグのワ-ルドシリーズ(現地21日開幕)は見ものである。なんせ長く低迷していた弱小球団のカンザスシティー・ロイヤルズが、ア・リーグの覇者としてナ・リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツと世界一を争うのだから。
ロイヤルズには日本のヤクルトで活躍していた青木宣親外野手がいるのも見逃せない。ワイルド・カード(3地区の優勝チーム以外の勝率のいい2球団が選ばれ、決定戦でアスレチックスを破った)からポストシーズンに進出、なんと負けなしの8連勝。1985年以来29年ぶりのワールドシリーズ。ドラマチックだねえ。
スーパースターがいる訳でなく所謂全員野球の見本のようなチーム。スモールベスボール、堅守、好打、好走、鉄壁のリリーフ陣が売り。球団の年棒はMLB30球団中、21番目の低さ。
ロイヤルズ快進撃
注目は中堅を守るケーンの守備(優勝決定シリーズMVP打率5割3分3厘と打撃も光る)。一茶ならさしずめ「痩蛙 まけるな一茶 是ニ有」だ。後日、何故ロイヤルズのような下以球団が突如甦るか、大リーグのウエーバー制度の素晴らしさについて述べたい。
対戦相手のナ・リーグ代表ジャイアンツはワールド・シリーズ優勝7回の古豪。2012年の優勝は記憶に新しい。名将ボウチー監督に引きいられ、こちらもワイルドカードから勝ち進んだ。人気投手リンスカムがいる。
両ワイルドカードチーム同士の初の世界一戦、こういった意外性、だから面白い。さて、勝利の行方はどうか、勢いに乗るロイヤルズに分が有ると私は予想するが。なにはともあれ、興味ある今年のワールド・シリーズである。
秋の信濃路を満喫
渋谷区シニアツアーに参加させてもらい信濃路をバス旅行してきました。信州地方は、幸い15,16両日、台風一過の秋晴れのお天気で旅を堪能しました。
往路は国宝・善光寺に御参りしお戒壇めぐりもしました。闇の中を手探りで進み「極楽の錠前」を探り当てて、秘仏の御本尊と結縁するという道場だそうですが、私は不覚にも触れずに呟いていたら同行のおばさんが、手を引いてくれて数メートル戻ると手に触れました。
なんだかホッとして暗闇から出ました。不思議なもので錠前に手を触れただけで何だか救われた感じがしました。当日の泊りは、須坂市にある渋谷区「峰の原青少年山の家」で標高1300㍍の高地にあります。
バスが急坂を進み菅平辺りに差し掛かると車窓からは紅葉が鮮やかな姿を見せてくれました。流石に夕方到着したときには思わず「寒い」と漏らしました。宿泊所の裏には白樺が黄昏に沈む天然の美にうっとり。
唱歌「故郷」の高野辰之記念館
復路は中野市の「高野辰之記念館」に寄り博士の偉業をつぶさに見学して、改めて氏の業績の偉大さに胸打たれたのです。注:高野辰之(たかの・たつゆき1876年~1947年)
「故郷」「紅葉」「朧月夜」「春の小川」「我は海の子」など小学校唱歌は、これみな高野の作詞なのです。詞(ことば)が平易で、素朴、それでいて格調高いのはやはり国文学者としての文章の深さにあります。勿論作曲者岡野貞二とのコンビが上手く合致しました。
それに幼年期を過ごした故郷永江村(現中野市)の風景にあると実感、故郷に歌われた小川も、朧月夜のお堂の鐘も生家の近くにあって、思わず歌の一節を口遊みました。
長野師範学校(現・信州大学)で教諭を勤めながらあきたらず、高野は東京に出て国文学の研究に励む。やがて文部省国語教科書編纂委員、また文部省唱歌教科書編纂委員にも雇われた。
高野の「志」が歌に投影
そこで作ったのが数々の小学唱歌。苦学の日々、故郷のことを想いながら綴ったのが、作品に素朴な形で投影されている、1909年(明治42年)頃なのに、文体がちっとも古くない。
志(こころざし)を果たして いつの日にか帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと
「故郷」はまさに高野の心情を表現したものなのだ。そして志を果たす。東大から博士号を授与され故郷に帰る。駅には親戚縁者、村人が大勢出迎えたという。その光景が目に浮かぶようで涙腺が熱くなる。
因みに高野博士の三大著作は「日本歌謡史」「江戸文学史」「日本演劇史」である。東京芸大教授、東大講師なども歴任。
「故郷」は誰にも親しまれる、日本人の国民歌である。歌が生まれしは、その故郷の信州の土壌にあり、友にあり、親兄弟にあり。「高野辰之記念館」に一歩足を踏み入れるとジーンときました。お勧めです。小布施町の街並みも瀟洒でよかった。また行きたい。
[今週の雑学]
ナナカマド=赤く染まる紅葉や果実が美しい。まるで着飾った婦人のように、秋の陽に映える季節。漢字では七竈。ナナカマドの木は、7度竃にいれても燃えないということからその名が付けられたという説が広く流布されている。
姑(しゅうと)が嫁をいびるときに、この木を渡すそうで
7度竈に入れても燃えず、なかなか御飯が焚けない。嫁はベソを掻き、姑はニタリとする…こんな逸話もあるが。
[流行歌](はやりうた)
愛は水平線(ハン・ジナ)
江の島ひとり(三代紗也可)
越佐海峡~恋情話~、北の浜唄(いずれも真木柚布子)
郡上八幡おんな町(永田裕子)
浮き草の川(神野美伽)
◎10月25日(土)カラオケ大会があり、不肖私は、愛の水平線と郡上八幡おんな町の2曲を(音程+3)歌う。
渋谷区アクティブ峰の原宿舎の裏手に広がる白樺林。

「高野辰之記念館」の前で。

バスの車窓から撮った信濃平野。
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■小渕優子は議員バッチを外せ
~父・恵三の背中を見て育つ~
■MLBのWシリーズ考
~ロイヤルズ快進撃~
■秋の信濃路を満喫
■唱歌「故郷」の高野辰之記念館
~高野の「志」が歌に投影~
[今週の雑学]
--------------------------------------------
小渕優子は議員バッチを外せ
政治資金規制法に触れて、小渕優子経済産業相が追い詰められて辞職した。観劇会の収支が食い違っていたんだと。収支報告にはベビー用品(本人は海外へのお土産という)もあるぜよ、セコイねえ。こんなのが大臣だぜ。安倍総理の目玉、女性閣僚の資質もこの程度だよ。
今度は選挙区で団扇(うちわ)を配った、毒々しいあの吸血鬼みたいな口紅のオバチャン松島みどり法務大臣もだと。有権者に自分の似顔絵や名前の入った団扇を配れば選挙運動にあたるーこれぐらい猿でも分かるよ。こんなお粗末な人物が法務大臣だとよ。情けないたらありゃしない。次にコケル女性閣僚は誰だ!
小渕優子を将来の首相候補だと、書きたてたのは誰だ!大体後援会なるものが、「政治はカネ」のDNAを受け継ぐ団体だから、今回のような事態も起こるべくして起きた。何ら驚きはしないけれど、ワシは。
私が先にこのブログで経済産業相の器でないと、大臣就任時に警告したが、こんな騒動がいきなり噴出するとは思わなかったよ。派閥力学で登用されたのは、あるいは、彼女、そのカネ集めの能力を買われてのことかも知れないね。
いやはや、内外を取り巻く厳しい経済情況の舵取り、原発の再稼働の問題と経済産業相の責務は特別重たいのに、安倍総理はとんだ人物を選んだものだ。任命責任も当然ある。
父・恵三の背中を見て育つ
小渕大臣の父・恵三が所属していた自民党竹下派の「経世会」は、そもそも田中角栄の越山会を模している。カネで政治を支配する手法は、あの巨悪金丸信と組みそれを強大化した。
だからボス竹下登はリクルート事件に連座、総理の座を陥落した。それでも院政を敷いた。そういえば「ふるさと創世」で地方に1億円を配ったのは、竹下総理の時だったね。田中派を乗っ取り、金権脈々。右翼に「褒め殺し」されたりして、何ともダーティな政治家だった、竹下登は。
その薫陶を受けて小渕総理が生まれた。政治家としてこれといった業績が有る訳でなくあるとすれば、早稲田雄弁会人脈と「年号は平成です」と色紙を掲げたくらい。
子は親の背中を見て育つとはよくいったものだ。親の七光り言うに及ばず、金権政治を継承してスピード出世で大臣まで駆け上がった。見たり!その正体。小渕優子デージンよ、いまこそ議員バッチを外す時ぞ。
MLBのWシリーズ考
メジャーリーグのワ-ルドシリーズ(現地21日開幕)は見ものである。なんせ長く低迷していた弱小球団のカンザスシティー・ロイヤルズが、ア・リーグの覇者としてナ・リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツと世界一を争うのだから。
ロイヤルズには日本のヤクルトで活躍していた青木宣親外野手がいるのも見逃せない。ワイルド・カード(3地区の優勝チーム以外の勝率のいい2球団が選ばれ、決定戦でアスレチックスを破った)からポストシーズンに進出、なんと負けなしの8連勝。1985年以来29年ぶりのワールドシリーズ。ドラマチックだねえ。
スーパースターがいる訳でなく所謂全員野球の見本のようなチーム。スモールベスボール、堅守、好打、好走、鉄壁のリリーフ陣が売り。球団の年棒はMLB30球団中、21番目の低さ。
ロイヤルズ快進撃
注目は中堅を守るケーンの守備(優勝決定シリーズMVP打率5割3分3厘と打撃も光る)。一茶ならさしずめ「痩蛙 まけるな一茶 是ニ有」だ。後日、何故ロイヤルズのような下以球団が突如甦るか、大リーグのウエーバー制度の素晴らしさについて述べたい。
対戦相手のナ・リーグ代表ジャイアンツはワールド・シリーズ優勝7回の古豪。2012年の優勝は記憶に新しい。名将ボウチー監督に引きいられ、こちらもワイルドカードから勝ち進んだ。人気投手リンスカムがいる。
両ワイルドカードチーム同士の初の世界一戦、こういった意外性、だから面白い。さて、勝利の行方はどうか、勢いに乗るロイヤルズに分が有ると私は予想するが。なにはともあれ、興味ある今年のワールド・シリーズである。
秋の信濃路を満喫
渋谷区シニアツアーに参加させてもらい信濃路をバス旅行してきました。信州地方は、幸い15,16両日、台風一過の秋晴れのお天気で旅を堪能しました。
往路は国宝・善光寺に御参りしお戒壇めぐりもしました。闇の中を手探りで進み「極楽の錠前」を探り当てて、秘仏の御本尊と結縁するという道場だそうですが、私は不覚にも触れずに呟いていたら同行のおばさんが、手を引いてくれて数メートル戻ると手に触れました。
なんだかホッとして暗闇から出ました。不思議なもので錠前に手を触れただけで何だか救われた感じがしました。当日の泊りは、須坂市にある渋谷区「峰の原青少年山の家」で標高1300㍍の高地にあります。
バスが急坂を進み菅平辺りに差し掛かると車窓からは紅葉が鮮やかな姿を見せてくれました。流石に夕方到着したときには思わず「寒い」と漏らしました。宿泊所の裏には白樺が黄昏に沈む天然の美にうっとり。
唱歌「故郷」の高野辰之記念館
復路は中野市の「高野辰之記念館」に寄り博士の偉業をつぶさに見学して、改めて氏の業績の偉大さに胸打たれたのです。注:高野辰之(たかの・たつゆき1876年~1947年)
「故郷」「紅葉」「朧月夜」「春の小川」「我は海の子」など小学校唱歌は、これみな高野の作詞なのです。詞(ことば)が平易で、素朴、それでいて格調高いのはやはり国文学者としての文章の深さにあります。勿論作曲者岡野貞二とのコンビが上手く合致しました。
それに幼年期を過ごした故郷永江村(現中野市)の風景にあると実感、故郷に歌われた小川も、朧月夜のお堂の鐘も生家の近くにあって、思わず歌の一節を口遊みました。
長野師範学校(現・信州大学)で教諭を勤めながらあきたらず、高野は東京に出て国文学の研究に励む。やがて文部省国語教科書編纂委員、また文部省唱歌教科書編纂委員にも雇われた。
高野の「志」が歌に投影
そこで作ったのが数々の小学唱歌。苦学の日々、故郷のことを想いながら綴ったのが、作品に素朴な形で投影されている、1909年(明治42年)頃なのに、文体がちっとも古くない。
志(こころざし)を果たして いつの日にか帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと
「故郷」はまさに高野の心情を表現したものなのだ。そして志を果たす。東大から博士号を授与され故郷に帰る。駅には親戚縁者、村人が大勢出迎えたという。その光景が目に浮かぶようで涙腺が熱くなる。
因みに高野博士の三大著作は「日本歌謡史」「江戸文学史」「日本演劇史」である。東京芸大教授、東大講師なども歴任。
「故郷」は誰にも親しまれる、日本人の国民歌である。歌が生まれしは、その故郷の信州の土壌にあり、友にあり、親兄弟にあり。「高野辰之記念館」に一歩足を踏み入れるとジーンときました。お勧めです。小布施町の街並みも瀟洒でよかった。また行きたい。
[今週の雑学]
ナナカマド=赤く染まる紅葉や果実が美しい。まるで着飾った婦人のように、秋の陽に映える季節。漢字では七竈。ナナカマドの木は、7度竃にいれても燃えないということからその名が付けられたという説が広く流布されている。
姑(しゅうと)が嫁をいびるときに、この木を渡すそうで
7度竈に入れても燃えず、なかなか御飯が焚けない。嫁はベソを掻き、姑はニタリとする…こんな逸話もあるが。
[流行歌](はやりうた)
愛は水平線(ハン・ジナ)
江の島ひとり(三代紗也可)
越佐海峡~恋情話~、北の浜唄(いずれも真木柚布子)
郡上八幡おんな町(永田裕子)
浮き草の川(神野美伽)
◎10月25日(土)カラオケ大会があり、不肖私は、愛の水平線と郡上八幡おんな町の2曲を(音程+3)歌う。
渋谷区アクティブ峰の原宿舎の裏手に広がる白樺林。

「高野辰之記念館」の前で。

バスの車窓から撮った信濃平野。
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
私のノーベル賞雑感/他
--------------------------------------------
■私のノーベル賞雑感
~村上春樹作品の評価~
~村上文学はミステリーロマン~
~中村教授と本田圭祐~
~ノーベル平和賞のマララ少女~
■秋色濃し
--------------------------------------------
私のノーベル賞雑感
村上春樹作品の評価
村上春樹さんのノーベル文学賞は今年も選にもれた。ハルキ崇拝者にとっては残念なことだろうが、思うに私は一読者として、村上作品というものは、そういった賞から既に超越した存在であると理解している。
ので特別にがっかりもしない。世界中の特に若い人々が夢中になって彼の作品を愛読している。それが何よりの勲章で、ノーベル賞を貰えないからといって、いささかも価値を下げるものではない。
ロックのように弾(はじ)ける文章、文学のロックスターと、村上春樹は、アメリカ辺りでは論評されているが、私も同感で村上作品の楽しさは、服部半蔵のように空間を自由に飛び跳ねる言葉の旋律、奇想天外な物語の展開にこそ味がある。
「ノルウェイの森」は特に好きで、直子とミドリの描写はじわ~と心に残る、何とも好もしい人物像だ。「村上ラジオ」も古本屋で見つけて読んだら、洒脱なエッセー集で、村上さんの日常が垣間見られた。特に音楽に造詣が深くその深淵な知識がどの作品にも豊かな色付けがなされて恰好がいい。
村上文学はミステリーロマン
そういった汲めども尽きぬ知識が捩(ねじ)れあって、楽しくもわくわくする類稀なムラカミエンタメを構築する。「1Q84」の登場人物、ふかえりにしろ青豆しろ珍奇な名前自体、ミスティリアスな世界に誘うファクターとなっている。そう村上作品は「ミステリアス・ロマン・ノベル」だと私は勝手に解釈するのだが。それでいいのだ。
青豆にいたっては、まるで必殺仕置人みたいな人物で、これこそ村上マジック。その上に、文体は、水が迸るが迫力と、何よりも流れる水の如しの滑らかさで、読み易さは比類がない。私はただ憧憬する。村上さんのような文章が書けたらと。
私は愛して止まない吉村昭さんを失って、次は誰を追っかけるかと迷っていたが、村上春樹を見つけた。読書お遍路の伴侶を得た思いである。同行二人。惚れ込む作者は、私にとっての差し詰め弘法大師である。
中村教授と本田圭祐
青色発光ダイオードで今年のノーベル物理学賞を受賞した
赤城勇(名城大教授)天野浩(名古屋大教授)中村修二(CAL大サンタバーバラ教授)のお三方の中で、中村教授は異色だった。
研究の場をアメリカに求めただけに言うこともフランクで過激、学生たちの「(研究にたいする)モチベーションはなんだったか」の質問に「怒り、とにかく怒りだ」と答えた。(ニュースより)
勤めていた会社(日亜化学工業)との訴訟など、日本の会社の古い体質に対しての不満を語ったものだろうが、私はその姿に、あのサッカーの本田圭佑に似ているなあ~とつくづく思った。
いつも怒りのマグマを抱えてプレーしているような本田の表情、怒りをバネにノーベル賞に輝いた中村教授。私は二人に共通する上昇志向に、日本的なものを感じた。それは根性、怒り。というわけで、怒れ、怒れ、そして前進せよ!栄冠は怒り輝く。
ノーベル平和賞のマララ少女
17才にしてノーベル平和賞に輝いたマララさん(パキスタン)は現代のジャンヌダルクだ。タリバーンに銃撃され生死を彷徨った少女が、大悟した高僧のように揺るぎない活動を続ける。
今は政治家になることが夢だという。彼女はきっと偉大なる政治家になるに違いない。少女をタリバーンがいつもつけ狙う。だが彼女は、正義のために何ものにも怖れぬ鋼の信念をもつ。世の政治家よ、見習うべきはマララさん。
受賞後のスピーチの全文を読んだ。教育を受けられない子供たちを救おうとする熱意、情熱。母国パキスタンや、ナイジェリアには教育を受けられない子供たちが500~900万人いるという。
全世界に向けたそれは、慟哭(どうこく)のメッセデージである。16才の誕生日には国連で演説した。「私は誰も憎んではいない。タリバーンの息子や娘たちに教育を受けさせたい。本とペンを手に取ろう。一人の子供、先生、本とペンが世界を変える。」ノーベル平和賞にこれほど相応しい人もいまい。
秋色濃し
冬の始まりと、その狭間(はざま)にある秋は日本人にとって、多くの歌に詠われる特別な季節かも知れない。
此の道や 行人(ゆくひと)なしに 秋の暮
秋風に すすき打ちたる 夕べかな
(芭蕉)
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ 秋はかなしく
(猿丸太夫)
酔うて こほろぎと 寝ていたよ
(山頭火)
名月や 石の上なる 茶わん酒
(一茶)
見わたせば 花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の 秋の夕ぐれ
(新古今和歌集 藤原定家)
茶人・武野紹鴎(たけの・じょうおう=侘び茶の元祖)は、侘び茶の心はと問われて、上記の定家の和歌を挙げたという。寂寞と哀愁とを凝縮した秋の山里の風情は、確かに侘び寂びの孤高の世界に通ずる。
嗚呼、俗人は熱燗が恋しい。秋の夜長、月を愛で、虫の声に心漫(そぞ)ろなれど、酒は、微酔がよし…だよ、オジサン。
公園の欅(けやき)の葉も色づいていよいよ秋色濃し。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■私のノーベル賞雑感
~村上春樹作品の評価~
~村上文学はミステリーロマン~
~中村教授と本田圭祐~
~ノーベル平和賞のマララ少女~
■秋色濃し
--------------------------------------------
私のノーベル賞雑感
村上春樹作品の評価
村上春樹さんのノーベル文学賞は今年も選にもれた。ハルキ崇拝者にとっては残念なことだろうが、思うに私は一読者として、村上作品というものは、そういった賞から既に超越した存在であると理解している。
ので特別にがっかりもしない。世界中の特に若い人々が夢中になって彼の作品を愛読している。それが何よりの勲章で、ノーベル賞を貰えないからといって、いささかも価値を下げるものではない。
ロックのように弾(はじ)ける文章、文学のロックスターと、村上春樹は、アメリカ辺りでは論評されているが、私も同感で村上作品の楽しさは、服部半蔵のように空間を自由に飛び跳ねる言葉の旋律、奇想天外な物語の展開にこそ味がある。
「ノルウェイの森」は特に好きで、直子とミドリの描写はじわ~と心に残る、何とも好もしい人物像だ。「村上ラジオ」も古本屋で見つけて読んだら、洒脱なエッセー集で、村上さんの日常が垣間見られた。特に音楽に造詣が深くその深淵な知識がどの作品にも豊かな色付けがなされて恰好がいい。
村上文学はミステリーロマン
そういった汲めども尽きぬ知識が捩(ねじ)れあって、楽しくもわくわくする類稀なムラカミエンタメを構築する。「1Q84」の登場人物、ふかえりにしろ青豆しろ珍奇な名前自体、ミスティリアスな世界に誘うファクターとなっている。そう村上作品は「ミステリアス・ロマン・ノベル」だと私は勝手に解釈するのだが。それでいいのだ。
青豆にいたっては、まるで必殺仕置人みたいな人物で、これこそ村上マジック。その上に、文体は、水が迸るが迫力と、何よりも流れる水の如しの滑らかさで、読み易さは比類がない。私はただ憧憬する。村上さんのような文章が書けたらと。
私は愛して止まない吉村昭さんを失って、次は誰を追っかけるかと迷っていたが、村上春樹を見つけた。読書お遍路の伴侶を得た思いである。同行二人。惚れ込む作者は、私にとっての差し詰め弘法大師である。
中村教授と本田圭祐
青色発光ダイオードで今年のノーベル物理学賞を受賞した
赤城勇(名城大教授)天野浩(名古屋大教授)中村修二(CAL大サンタバーバラ教授)のお三方の中で、中村教授は異色だった。
研究の場をアメリカに求めただけに言うこともフランクで過激、学生たちの「(研究にたいする)モチベーションはなんだったか」の質問に「怒り、とにかく怒りだ」と答えた。(ニュースより)
勤めていた会社(日亜化学工業)との訴訟など、日本の会社の古い体質に対しての不満を語ったものだろうが、私はその姿に、あのサッカーの本田圭佑に似ているなあ~とつくづく思った。
いつも怒りのマグマを抱えてプレーしているような本田の表情、怒りをバネにノーベル賞に輝いた中村教授。私は二人に共通する上昇志向に、日本的なものを感じた。それは根性、怒り。というわけで、怒れ、怒れ、そして前進せよ!栄冠は怒り輝く。
ノーベル平和賞のマララ少女
17才にしてノーベル平和賞に輝いたマララさん(パキスタン)は現代のジャンヌダルクだ。タリバーンに銃撃され生死を彷徨った少女が、大悟した高僧のように揺るぎない活動を続ける。
今は政治家になることが夢だという。彼女はきっと偉大なる政治家になるに違いない。少女をタリバーンがいつもつけ狙う。だが彼女は、正義のために何ものにも怖れぬ鋼の信念をもつ。世の政治家よ、見習うべきはマララさん。
受賞後のスピーチの全文を読んだ。教育を受けられない子供たちを救おうとする熱意、情熱。母国パキスタンや、ナイジェリアには教育を受けられない子供たちが500~900万人いるという。
全世界に向けたそれは、慟哭(どうこく)のメッセデージである。16才の誕生日には国連で演説した。「私は誰も憎んではいない。タリバーンの息子や娘たちに教育を受けさせたい。本とペンを手に取ろう。一人の子供、先生、本とペンが世界を変える。」ノーベル平和賞にこれほど相応しい人もいまい。
秋色濃し
冬の始まりと、その狭間(はざま)にある秋は日本人にとって、多くの歌に詠われる特別な季節かも知れない。
此の道や 行人(ゆくひと)なしに 秋の暮
秋風に すすき打ちたる 夕べかな
(芭蕉)
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
声きく時ぞ 秋はかなしく
(猿丸太夫)
酔うて こほろぎと 寝ていたよ
(山頭火)
名月や 石の上なる 茶わん酒
(一茶)
見わたせば 花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の 秋の夕ぐれ
(新古今和歌集 藤原定家)
茶人・武野紹鴎(たけの・じょうおう=侘び茶の元祖)は、侘び茶の心はと問われて、上記の定家の和歌を挙げたという。寂寞と哀愁とを凝縮した秋の山里の風情は、確かに侘び寂びの孤高の世界に通ずる。
嗚呼、俗人は熱燗が恋しい。秋の夜長、月を愛で、虫の声に心漫(そぞ)ろなれど、酒は、微酔がよし…だよ、オジサン。
公園の欅(けやき)の葉も色づいていよいよ秋色濃し。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
御嶽山の噴火で考えたこと/オペレッタに陶酔/他
--------------------------------------------
■オペレッタに陶酔
~オペレッタは品の好い百貨店~
■不思議な植物に花が咲いた!
■御嶽山の噴火で考えたこと
~死生命あり~
--------------------------------------------
オペレッタに陶酔
9月30日、東京オペラシティに、オペレッタ「メルビッシュ湖上音楽祭ガラコンサート」を家内と観賞に行きました。幸いオペラシティは拙宅から徒歩で15分の所に在ります。
私はオペレッタは初めて観賞しました。オペレッタがこんなにも親しみやすく心を打つもんだとは、全く知りませんでした。恥ずかしい限りです。
ヨハン・シュトラウスⅡオペレッタ「ヴェニスの一夜」より、序曲「麗しのヴェネツイア」で始まり、コミカルな寸劇あり、バレーあり、なによりも朗々とした歌ありと、オーケストラとの立体的な歌劇に感動しました。オペレッタ「こうもり」は確かに何処かで聴いたことがあり身近に感じました。ダグマー・シェーレンベルガー(音楽舞台監督&ソプラノ)さんの豊かに、大空に広がるような歌声には痺(しび)れました。
オペレッタは品の好い百貨店
メルサド・モンタツェリさん(テノール)も魅惑の声でした。肉声の魔術、人の魂を揺さぶるオペラ歌手って素晴らしい!憧れますねえ~。演歌じゃなくて、オペラ唄ってみたい、本当に。
指揮者は当年85才のピープルさんが、譜面もタクトも用いず枯淡な、それでいて溌剌した指揮を見せていました。ワルツ「美しく青きドナウ」のお馴染みの曲あり、最後はラデッキー行進曲で会場全体が拍手で包まれ、楽団、出演者と観客が一体となり至福の夜となりました。
オペレッタとは「台詞と踊りのあるオーケストラ付の歌劇」という意味らしいのだが、何しろ歌劇の品の好い百貨店のようなもので、とても気に入りました。も~、オペレッタに夢中になりそう。「ヒデキ、カ~ン・ゲキ!」
そうそう、言葉が理解できたらな~と何度も思いましたが、旧知の粂川麻里生先生(慶大独文学教授)ならば、多分ゲラゲラ笑ったり、手を叩いたりと楽しい観賞をなさるでしょうね、羨ましい。
不思議な植物に花が咲いた!
この欄でも以前綴った見知らぬ植物のはなし、金沢の朝市のおばさんからお土産にもらったものを分けて貰ったのですが、2年がかりで、やっと花を咲かせました。
ジャックと豆の木のように、天に向かって何処までも伸びる、まるでお化けみたいな植物なのですが、小さい黄色い花を付けたのです。菊と見間違うほど可憐な花です。
今更ながら、切り倒さないで良かったなとしみじみと思いました。畑に隣接する顏馴染みのおばさんから、花咲いたわよ、といわれ初めて気が付きました。やっぱり咲いたんだ~、ちょっとした感激でした。
でも、植物の名前はまだ知りません。
この木なんの木 気になる木
名前も 知らない木ですから
名前も 知らない木になるでしょう~
1小節略
見たこともない 花が咲くでしょう~
(日立グループのCMソング=この木なんの木)
御嶽山の噴火で考えたこと
恐いもんですね、普段に登っていた山が或る晴れた日に、突然噴火して忽ち夥しい死者を出した、本当に酷(むご)いものです。亡くなられた方々には、心からお悔やみ申し上げます。お気の毒としか言いようがありません。
4,5年前に那須岳(火山活動ランク:富士山、御嶽山と同じB)の北温泉に兄妹で出掛けたことが有ります。活火山なので、頂上付近から青空に向かって噴煙を上げている姿は、とても牧歌的で印象深かった想い出があります。その時山が危険とは、つゆほど思いませんでした。
北温泉は、亡き父がこよなく愛して、夏場はよく家族を連れて湯治に来たと姉から聞かされました。あの山も、運が悪ければ、突然牙を剥きだし、御嶽山のようなことにもなるかも知れませんね。運不運は紙一重です。
吾身に置き換えて、今度の火山噴火を考えると、やっぱり他人事では済まされません。因みに火山活動の危険度を示すランクAに挙げられるのは以下―浅間山、伊豆大島、三宅島、阿蘇山、雲仙岳等です。してランクBの御嶽山が爆発したのですからね、Bなら安心とはいきません。
死生命あり
そのAランクに属する浅間山の裾野(北軽井沢)にプリンスランド・ゴルフクラブが広がり、私共夫婦はメンバー(私は役員)です。浅間山も、小規模な噴火を繰り返すところで、サラリーマン時代の夏休みには、毎年貸別荘を借りて家族で楽しんだものです。
フェアウェーから望む浅間山は雄大で、空気も澄んでいて、夏は涼しく文字通りパラダイス・リゾートです。このところとんとプレーしてないので、家内と10月早々にも行きたいね、と話していた矢先の御嶽山の噴火でした。
ゴルフしているときは噴火のことなど全く頭に無かったのに、不思議なもんですが、御嶽山火山噴火の悲惨さを見てしまうと、改めて怖くなりました。
だからと言って萎縮するつもりはありませんよ。来年は危険予報が出ない限り、ゴルフに出掛けようと思っています。だってそうでしょう、エンジョイなくて、何のための人生か、ですからね。
火山噴火に遭遇したらしたで、それは運命でしょうから、一喜一憂していても仕方ないと私は思うのです。それはそれと割り切る他ありません。こんな諺もありますよ。「死生命あり」(人の生死は天命で決まるのであり、人の力ではどうすることもできない)
危険な場所こそ人を魅了するのです。それとも噴火の可能性がある処へ行く時は、ヘルメットとマスクを常備する?ヘルメット被ってプレーする?それも結構ですけどねえ、何だか無粋な話じゃないですか。御嶽山の噴火は、勿論、以て他山の石とすべし、ですけどね。
人間は、運命の掟に逆らえない、と言います。あるいは、世の中は一寸先が闇とも申します。用心には越したことありませんが、まあ、「明日知らぬ人の命ぞ、楽しければ楽しめ」です。これが私の信条でございます。ハイ。
名前も知らない植物に2年がかりの可憐な花が咲いた。

東京オペラシティコンサートホールの内観

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■オペレッタに陶酔
~オペレッタは品の好い百貨店~
■不思議な植物に花が咲いた!
■御嶽山の噴火で考えたこと
~死生命あり~
--------------------------------------------
オペレッタに陶酔
9月30日、東京オペラシティに、オペレッタ「メルビッシュ湖上音楽祭ガラコンサート」を家内と観賞に行きました。幸いオペラシティは拙宅から徒歩で15分の所に在ります。
私はオペレッタは初めて観賞しました。オペレッタがこんなにも親しみやすく心を打つもんだとは、全く知りませんでした。恥ずかしい限りです。
ヨハン・シュトラウスⅡオペレッタ「ヴェニスの一夜」より、序曲「麗しのヴェネツイア」で始まり、コミカルな寸劇あり、バレーあり、なによりも朗々とした歌ありと、オーケストラとの立体的な歌劇に感動しました。オペレッタ「こうもり」は確かに何処かで聴いたことがあり身近に感じました。ダグマー・シェーレンベルガー(音楽舞台監督&ソプラノ)さんの豊かに、大空に広がるような歌声には痺(しび)れました。
オペレッタは品の好い百貨店
メルサド・モンタツェリさん(テノール)も魅惑の声でした。肉声の魔術、人の魂を揺さぶるオペラ歌手って素晴らしい!憧れますねえ~。演歌じゃなくて、オペラ唄ってみたい、本当に。
指揮者は当年85才のピープルさんが、譜面もタクトも用いず枯淡な、それでいて溌剌した指揮を見せていました。ワルツ「美しく青きドナウ」のお馴染みの曲あり、最後はラデッキー行進曲で会場全体が拍手で包まれ、楽団、出演者と観客が一体となり至福の夜となりました。
オペレッタとは「台詞と踊りのあるオーケストラ付の歌劇」という意味らしいのだが、何しろ歌劇の品の好い百貨店のようなもので、とても気に入りました。も~、オペレッタに夢中になりそう。「ヒデキ、カ~ン・ゲキ!」
そうそう、言葉が理解できたらな~と何度も思いましたが、旧知の粂川麻里生先生(慶大独文学教授)ならば、多分ゲラゲラ笑ったり、手を叩いたりと楽しい観賞をなさるでしょうね、羨ましい。
不思議な植物に花が咲いた!
この欄でも以前綴った見知らぬ植物のはなし、金沢の朝市のおばさんからお土産にもらったものを分けて貰ったのですが、2年がかりで、やっと花を咲かせました。
ジャックと豆の木のように、天に向かって何処までも伸びる、まるでお化けみたいな植物なのですが、小さい黄色い花を付けたのです。菊と見間違うほど可憐な花です。
今更ながら、切り倒さないで良かったなとしみじみと思いました。畑に隣接する顏馴染みのおばさんから、花咲いたわよ、といわれ初めて気が付きました。やっぱり咲いたんだ~、ちょっとした感激でした。
でも、植物の名前はまだ知りません。
この木なんの木 気になる木
名前も 知らない木ですから
名前も 知らない木になるでしょう~
1小節略
見たこともない 花が咲くでしょう~
(日立グループのCMソング=この木なんの木)
御嶽山の噴火で考えたこと
恐いもんですね、普段に登っていた山が或る晴れた日に、突然噴火して忽ち夥しい死者を出した、本当に酷(むご)いものです。亡くなられた方々には、心からお悔やみ申し上げます。お気の毒としか言いようがありません。
4,5年前に那須岳(火山活動ランク:富士山、御嶽山と同じB)の北温泉に兄妹で出掛けたことが有ります。活火山なので、頂上付近から青空に向かって噴煙を上げている姿は、とても牧歌的で印象深かった想い出があります。その時山が危険とは、つゆほど思いませんでした。
北温泉は、亡き父がこよなく愛して、夏場はよく家族を連れて湯治に来たと姉から聞かされました。あの山も、運が悪ければ、突然牙を剥きだし、御嶽山のようなことにもなるかも知れませんね。運不運は紙一重です。
吾身に置き換えて、今度の火山噴火を考えると、やっぱり他人事では済まされません。因みに火山活動の危険度を示すランクAに挙げられるのは以下―浅間山、伊豆大島、三宅島、阿蘇山、雲仙岳等です。してランクBの御嶽山が爆発したのですからね、Bなら安心とはいきません。
死生命あり
そのAランクに属する浅間山の裾野(北軽井沢)にプリンスランド・ゴルフクラブが広がり、私共夫婦はメンバー(私は役員)です。浅間山も、小規模な噴火を繰り返すところで、サラリーマン時代の夏休みには、毎年貸別荘を借りて家族で楽しんだものです。
フェアウェーから望む浅間山は雄大で、空気も澄んでいて、夏は涼しく文字通りパラダイス・リゾートです。このところとんとプレーしてないので、家内と10月早々にも行きたいね、と話していた矢先の御嶽山の噴火でした。
ゴルフしているときは噴火のことなど全く頭に無かったのに、不思議なもんですが、御嶽山火山噴火の悲惨さを見てしまうと、改めて怖くなりました。
だからと言って萎縮するつもりはありませんよ。来年は危険予報が出ない限り、ゴルフに出掛けようと思っています。だってそうでしょう、エンジョイなくて、何のための人生か、ですからね。
火山噴火に遭遇したらしたで、それは運命でしょうから、一喜一憂していても仕方ないと私は思うのです。それはそれと割り切る他ありません。こんな諺もありますよ。「死生命あり」(人の生死は天命で決まるのであり、人の力ではどうすることもできない)
危険な場所こそ人を魅了するのです。それとも噴火の可能性がある処へ行く時は、ヘルメットとマスクを常備する?ヘルメット被ってプレーする?それも結構ですけどねえ、何だか無粋な話じゃないですか。御嶽山の噴火は、勿論、以て他山の石とすべし、ですけどね。
人間は、運命の掟に逆らえない、と言います。あるいは、世の中は一寸先が闇とも申します。用心には越したことありませんが、まあ、「明日知らぬ人の命ぞ、楽しければ楽しめ」です。これが私の信条でございます。ハイ。
名前も知らない植物に2年がかりの可憐な花が咲いた。

東京オペラシティコンサートホールの内観

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
御嶽山噴火の地獄絵/秋祭りに佐竹雅昭さんも来た/他
--------------------------------------------
■御嶽山噴火の地獄絵
■ヤンキース田中の今季終了
■秋祭りに佐竹雅昭さんも来た
--------------------------------------------
御嶽山噴火の地獄絵
木曾のナ~ 中乗りさん
木曾の御岳さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
木曾節に唄われる御嶽山が27日午前、突如噴火したさまは驚いた。テレビに映し出される光景は、登山者の目の前、尾根伝いに噴煙がモクモクと湧き出る、なんともおどろおどろしい地獄絵そのものである。
御嶽山は山岳信仰で広く知られた山で、穏やかな仏の如き山と想像していたら、とんでもハップン。煙と共に落石のようなものがバラバラと音を立て地面を叩く様子がテレビで、はっきりと聞き取れた。登山者は阿鼻叫喚の混乱ではなかったか。
この噴火で死者12人、心肺停止24人(※9月29日23時現在)も!想像を超えた惨事になった。秋日和の土曜日、登山者は紅葉に彩られた風景を楽しみに登っただろうに、山の神の悪戯にしては酷すぎる。まだ相当数の行方不明者がいるらしい。う~ん、忍びない。
噴火といえば、軽井沢から北軽井沢に向かう浅間山の山麓の道路に、途中「鬼押し出し」というポイントがあるが、噴火の恐ろしさを見せつけられるものだ。そこには2~3㌧はあろうかという岩がゴロゴロしていて、鬼が押し出した石だと伝えられる。
これは噴火で流れ出した溶岩が固まって出来た岩であるそうな、天明3年(1783年)の大噴火の際のもので、この時は1600人以上の死者を出し、浅間山の部落が一瞬にして消滅してしまったというから恐ろしい。
考えてみると日本の国土は、火山列島の上にある。いついかなる時に噴火しても可笑しくない。或いは小松左京著「日本沈没」のような事態が、現実に起こりうるのかも。こればっかりは想像したくないけど。
イタリアのヴェスヴィオ火山噴火(西暦79年)では、僅か19時間で消滅した古代都市ポンペイは、数々の小説や映画で知られている。
今回の御嶽山噴火でも、あらゆる最新鋭の火山測定器を備えていながら専門家は、予知できなかった。それほど「噴火の前兆」を捉えるのは難しいらしい。
地震&津波対策と同じように、火山防災対策も急務だろう。火山灰を吸わない工夫とか、活火山に登るときには、防護マスクを常備するとか、日頃の訓練があれば、少しは心肺停止を防げた人もいたかも知れない。我々は余りにも火山噴火に対して無防備すぎる。
いずれにしても自然の脅威は科学を寄せ付けない、人間の能力を遥かに超えたものである。畏れよ、ひたすら自然を畏れよ、そして備えよ…。
ヤンキース田中の今季終了
楽天からニューヨークヤンキースに入団した田中将大の今季は終わった。最終登板となったレッドソックス戦は、1回2/3投げて7失点と自己ワーストの50球でKOされれた。今季の戦績は13勝5敗(防御率2.27)
右肘痛から復帰しての2戦目、やはり完全復活とはいかないようだ。「右肘靭帯断裂」は、手術しか治らない、と専門医は無情にも唱えるのだが。
高校、楽天を通して酷使したつけが、大リーグの中4日という過酷な起用法と変化球の投げ過ぎなどで、疲労が重なり、遂に発症したのではないのか。手術となると来季も開幕からの登場とはいくまい。田中本人にとっても、ヤンキースにとってもそれが現実となれば、痛い誤算だろう。
それはそうと今季ポストシーズン進出を逃した名門球団、来期は大幅な選手の入れ替えは避けられまい。何しろ30本塁打を打った選手が一人もいないヤンキースなんて初めて見た。
投手陣もサバシアはあてにならない。田中も手術となれば軸になるピッチャーが全くいない。ジラルディー監督も頭が痛いことだろう。果たして我愛するヤンキースに、日はまた昇るのか。
秋祭りに佐竹雅昭さんも来た
代々木八幡神宮の秋の例大祭も終わり街はいつもの静かさに戻った。その祭りがあった23日は、すっぽん「田吾作」で日頃馴染みの客が、店の接待を受けて宴会が開かれた。
その中に格闘家の佐竹雅昭さんもいた。私も合席で歓談しながら親方心尽くしの料理に舌鼓をうった。お囃子が聞える、祭日昼の宴会は、解放感が有り情緒がある。いいものである。
神輿が店の前に来るとたちまち飛び出して見物する。通り過ぎるとまた飲む、の繰り返し。普段は静謐な住宅街もこの日ばかりは賑わった。
それにしても流石格闘家、佐竹さんは、飲む程に酔うほどに愉しくなり座を飽きさせない。ビール、焼酎、日本酒にワイン、一体どれほど飲んだかわからない。私も度を超えた。
途中から家内も加わり、次は祭りの屋台に繰り出しここでもまた飲んだ。我街、近隣の秋祭りはほぼ終わった。祭りが去れば、本格的な秋、暮に向かって走り出す。何を急かせる、季節よ。
代々木八幡宮の例大祭の神輿と佐竹さんと手前に田吾作の親方
(23日、渋谷区富ヶ谷で)

秋の澄み渡る空の風景(自宅付近)
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■御嶽山噴火の地獄絵
■ヤンキース田中の今季終了
■秋祭りに佐竹雅昭さんも来た
--------------------------------------------
御嶽山噴火の地獄絵
木曾のナ~ 中乗りさん
木曾の御岳さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
木曾節に唄われる御嶽山が27日午前、突如噴火したさまは驚いた。テレビに映し出される光景は、登山者の目の前、尾根伝いに噴煙がモクモクと湧き出る、なんともおどろおどろしい地獄絵そのものである。
御嶽山は山岳信仰で広く知られた山で、穏やかな仏の如き山と想像していたら、とんでもハップン。煙と共に落石のようなものがバラバラと音を立て地面を叩く様子がテレビで、はっきりと聞き取れた。登山者は阿鼻叫喚の混乱ではなかったか。
この噴火で死者12人、心肺停止24人(※9月29日23時現在)も!想像を超えた惨事になった。秋日和の土曜日、登山者は紅葉に彩られた風景を楽しみに登っただろうに、山の神の悪戯にしては酷すぎる。まだ相当数の行方不明者がいるらしい。う~ん、忍びない。
噴火といえば、軽井沢から北軽井沢に向かう浅間山の山麓の道路に、途中「鬼押し出し」というポイントがあるが、噴火の恐ろしさを見せつけられるものだ。そこには2~3㌧はあろうかという岩がゴロゴロしていて、鬼が押し出した石だと伝えられる。
これは噴火で流れ出した溶岩が固まって出来た岩であるそうな、天明3年(1783年)の大噴火の際のもので、この時は1600人以上の死者を出し、浅間山の部落が一瞬にして消滅してしまったというから恐ろしい。
考えてみると日本の国土は、火山列島の上にある。いついかなる時に噴火しても可笑しくない。或いは小松左京著「日本沈没」のような事態が、現実に起こりうるのかも。こればっかりは想像したくないけど。
イタリアのヴェスヴィオ火山噴火(西暦79年)では、僅か19時間で消滅した古代都市ポンペイは、数々の小説や映画で知られている。
今回の御嶽山噴火でも、あらゆる最新鋭の火山測定器を備えていながら専門家は、予知できなかった。それほど「噴火の前兆」を捉えるのは難しいらしい。
地震&津波対策と同じように、火山防災対策も急務だろう。火山灰を吸わない工夫とか、活火山に登るときには、防護マスクを常備するとか、日頃の訓練があれば、少しは心肺停止を防げた人もいたかも知れない。我々は余りにも火山噴火に対して無防備すぎる。
いずれにしても自然の脅威は科学を寄せ付けない、人間の能力を遥かに超えたものである。畏れよ、ひたすら自然を畏れよ、そして備えよ…。
ヤンキース田中の今季終了
楽天からニューヨークヤンキースに入団した田中将大の今季は終わった。最終登板となったレッドソックス戦は、1回2/3投げて7失点と自己ワーストの50球でKOされれた。今季の戦績は13勝5敗(防御率2.27)
右肘痛から復帰しての2戦目、やはり完全復活とはいかないようだ。「右肘靭帯断裂」は、手術しか治らない、と専門医は無情にも唱えるのだが。
高校、楽天を通して酷使したつけが、大リーグの中4日という過酷な起用法と変化球の投げ過ぎなどで、疲労が重なり、遂に発症したのではないのか。手術となると来季も開幕からの登場とはいくまい。田中本人にとっても、ヤンキースにとってもそれが現実となれば、痛い誤算だろう。
それはそうと今季ポストシーズン進出を逃した名門球団、来期は大幅な選手の入れ替えは避けられまい。何しろ30本塁打を打った選手が一人もいないヤンキースなんて初めて見た。
投手陣もサバシアはあてにならない。田中も手術となれば軸になるピッチャーが全くいない。ジラルディー監督も頭が痛いことだろう。果たして我愛するヤンキースに、日はまた昇るのか。
秋祭りに佐竹雅昭さんも来た
代々木八幡神宮の秋の例大祭も終わり街はいつもの静かさに戻った。その祭りがあった23日は、すっぽん「田吾作」で日頃馴染みの客が、店の接待を受けて宴会が開かれた。
その中に格闘家の佐竹雅昭さんもいた。私も合席で歓談しながら親方心尽くしの料理に舌鼓をうった。お囃子が聞える、祭日昼の宴会は、解放感が有り情緒がある。いいものである。
神輿が店の前に来るとたちまち飛び出して見物する。通り過ぎるとまた飲む、の繰り返し。普段は静謐な住宅街もこの日ばかりは賑わった。
それにしても流石格闘家、佐竹さんは、飲む程に酔うほどに愉しくなり座を飽きさせない。ビール、焼酎、日本酒にワイン、一体どれほど飲んだかわからない。私も度を超えた。
途中から家内も加わり、次は祭りの屋台に繰り出しここでもまた飲んだ。我街、近隣の秋祭りはほぼ終わった。祭りが去れば、本格的な秋、暮に向かって走り出す。何を急かせる、季節よ。
代々木八幡宮の例大祭の神輿と佐竹さんと手前に田吾作の親方
(23日、渋谷区富ヶ谷で)

秋の澄み渡る空の風景(自宅付近)
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
山口洋子先生の死を悼む/プロレス会場で石井館長を見た/他
--------------------------------------------
■山口洋子先生の死を悼む
~山口さんとの香港の想い出~
~試合場で山口さんに言われたこと~
~五木ひろしを世に出す~
■小津安二郎のテーマ音楽の狙い
■錦織圭の接近戦
■荻野浩介のラストスパート
~山中毅から荻野へ~
■プロレス会場で石井館長を見た
--------------------------------------------
山口洋子先生の死を悼む
「よこはま・たそがれ」「千曲川」「夜空」「ブランデーグラス」などの数多くのヒット曲の作詞家であり、直木賞作家であり、更にはクラブ「姫」のママであった山口洋子さんが、9月6日、心不全のため死去した。
享年77才。葬儀は近親者で行われたという。昭和史を煌めく星座の如く彩った才女がまた一人姿を消して、誠に昭和は遠くなりにけりである。
近年は脳梗塞や脳溢血などを繰り返し病院で治療にあたっていたという。同居しているキックボクシング創始者野口修さんから、私は死亡の通知を既に受けてはいたが、葬儀が終わるまで内密にとの約束で公表を控えてきた。後日お別れの会を予定しているようだ。
山口さんとの香港の想い出
私にとって、山口さんとの想い出は何といっても香港での出来事。野口社長と山口洋子さんは夫婦同然の仲であり、御二人が滞在している香港で、野口社長の取材要請を受け私が合流したのは、当地でタイ国のルンピニー首脳と会談をもつという1日前であった。
以前このブログでも紹介したが、この会談は野口社長の呼びかけで実現したわけだが、当時キックボクシングは沢村忠の凋落もありテコ入れが急がれていた。
そこで野口社長は、ぎくしゃくしたタイ国との関係を修復し、選手の供給をスムーズにするために、陸軍系ルンピニースタジアム首脳と腹蔵のない話し合いを持つことになった。
あれは昭和49年か50年頃だったと思うが、もう記憶は朧だ。当時私は、月刊「ゴング」に在籍していた。取材の要請を受けて、慌ただしく空港に着いたのが確か深夜で、閑散とした到着ロビーで一人不安な気持ちで立っていると、迎えに来てくれたのは、思いもよらず山口さんであった。セレブの運転の出迎えに、正直困惑したものだ。
山口さんの運転するベンツで向かったところは、何と最高級のペニンシュラホテル。そこに野口社長が待っていた。今夜の宿を心配していると野口社長は「ここに私共と一緒に泊りましょう」といってくれた。安サラリーの私が、お蔭で夢のような一夜を過ごした。
翌日、ルンピニー首脳との会談(於シェラトンホテル)の時間まで暫く時間があるというので、私も御二人のショッピングにお付き合いした。
宝石店にぶらりと入ったが、ここで驚いたことは、目を剥くような値段の宝石を、御二人がサイン一つで無造作に買っていることだった。まるでアラブの王族ならかくあるべしという買物風景であった。香港で御二人は有名人だったのだ。
首脳会談も無事終わり、中華店にも御招待を受けて、いままで口にしたことがないような珍味を味わったが、山口さんとその時どんな会話をしたかは覚えていない。
取材が終わり私はバンコクに向かった。僅か1日半の香港滞在であったが、セレブな御二人と行動を共にできたことは、私にとって生涯忘れられない思い出となった。
試合場で山口さんに言われたこと
山口さんとは、またこんな出来事もあった。あるとき、後楽園ホールで記者席に座る私の元に来て、作詞をすることを勧めてくれた。「作詞は物語を書くのと同じよ。舟木さん書いてみたら?」と言ってくれた。
私には元よりそんな才覚があるでなく、笑って首を横に振ったものだが、著名人から御世辞にもそんなことをいわれ、面はゆい思いをした。
五木の本名は、松山数夫といった。何度も芸名を替えては売れない無名の歌手を「五木ひろし」と芸名を変え、乾坤一擲の勝負に出たのは、野口修社長と山口洋子のコンビ。
あの頃の野口社長は、キックに沢村忠がいて、競走馬に500㌔の巨体のスーパーフィルドがいて、兎も角勢いがあった。その上昇気流に五木も乗った。五木の運はここに始まる。
五木ひろしを世に出す
五木ひろしの芸名は、旧知の作家・五木寛之さんから頂いたと野口さんは私に語った。「銀座を歩いているときに正面から五木先生が来てねえ、咄嗟に、今度うち(野口プロ)からデビューする歌手に、先生の名前を使わせてもらいたいのですが、とお願いしたら、先生は快諾してくれた。」
へえ~、これが五木ひろしの芸名由来の真相とは、と私は感心した覚えがある。その他「ツ・キ・オ・ヒ・ロ・ウ」なんて、語呂合わせもあるらしいけど、オジサンは訊いていない。
ともかくも二人の強力なプロデュース力、人脈が有ったればこそ、五木は世に出たのである。デビュー曲は「よこはま・たそがれ」。この1曲で五木はスターダムにのし上がり、まるでロケットのように飛翔した。
後に3人の間に亀裂が生じ、五木は野口プロを離れることになるが、野口&山口コンビが居なかったなら、五木ひろしという歌手は存在しなかったであろうことは、容易に想像できる。
風俗、芸能、文学の分野で不滅の足跡を残した山口洋子先生、謹んで御冥福をお祈り致します。歌謡曲は永遠です!
「よこはま・たそがれ」作詞/山口洋子 作曲/平尾昌晃
よこはま たそがれ ホテルの小部屋
口づけ 残り香 煙草のけむり
ブルース 口笛 女の涙
あの人は 行って行ってしまった
小津安二郎のテーマ音楽の狙い
小津安二郎監督の映画が好きで、読書に倦(う)むとレンタル店で何かしら借りてくる。その小津監督、どんな哀しい場面でも「青空のような音楽を作って欲しい」と作曲者斎藤高順に依頼したそうだ。
普通、悲しいシーンには悲しい音楽を、楽しい時にはそれに相応しい音楽を流すものだが、小津監督は一貫していた。どんな場面でも、先の青空のような曲を所望したというのは初耳だった。
「秋日和」(松竹、1960年作品)では主題曲が軽快な「ポルカ」。格調高く美しい、私が好むテーマ曲だが、小津監督の狙いが分かるような気がする。
「秋刀魚の味」もわが愛する作品で、岩下志麻が嫁ぐ日の場面は、特に泣かせる。バックに流れる音楽が父親の孤独感をしみじみと引き立て、胸に迫る。
小津映画は別れのシーンがどの作品も出てくる。そしてテーマ曲がキラリ光るのだ。相反するものでも、それが相乗効果となる場合がある、そんな事を小津監督は我々に教えてくれる。新聞記事を読んでふと考えた…。
錦織圭の接近戦
全米オープンテニスを中継したのはWOWOWだが、最初はNHKが放送していたんです。次がTBSでした。今度のフィバーでさぞ、ほぞを噛む思いだろうね。兎も角、あれがNHKや民放だったらもっと日本中が沸騰したと思うがね。
4大国際大会(グランドスラム)は全豪・全仏・ウインブルドン・全米だけど、観客動員数、賞金総額でも群を抜くのは全米らしい。
賞金総額34,252,000㌦(約35億)、優勝賞金300万㌦(約3億600万)準優勝145万㌦(1億5400万)。スケールが違うよね。錦織の場合スポンサー契約を結ぶユニクロから特別臨時ボーナス1億円が出るし、羨ましい限りだ。
松岡修造さん(元プロテニス選手、現テニス指導者)がNHKのテレビで興味ある解説をしていた。「(錦織)はコートラインぎりぎりに守っていたが、あれは攻撃重視の構えであったと。
ボクシングでいえば、接近戦の勝負に挑んだということだろう。肉を切らせて骨を断つ戦法、ヘラクレスのごときスラッガーと身体で劣る者が対等に戦うのだから何か違う戦い方が必要というわけだ。
チャン・コーチの進言もあるのだろうけど、勇気が要るよね。”小が大を制す”には、誰も遣らない事をやる。「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」だ。今回の全米オープンほど痛快なスポーツイベントはなかった。日本人プレヤーズもここまできたか!
荻野浩介のラストスパート
痛快といえば、韓国・仁川で行われているアジア大会水泳競技200㍍自由形決勝の荻野公介。150㍍のターン、北京五輪金の地元韓国の朴、中国孫に1秒遅れ、これはダメだと諦念したら、強引に逆転して優勝した。
あの追い込みの凄さときたらかつて見たことがない。まるでトビウオのスピードだ。爆発的な追い込みは欧米人の専売特許だと思っていたので、全く恐れ入った。日本人スイマーも逞しくなったものだ。
自由形こそ水泳競技の華、あのような強靭な発条(バネ)、スタミナはいつの頃から日本人が持てるようになったんだろ。頼もしく、そして嬉しい、限りない未来を感じる。
昔、自由形に山中毅という早稲田のスイマーがいた。メルボルン、ローマ五輪で、私は山中に期待した。彼ほどの選手はもう日本には出ないぞと崇めていた。
山中毅から荻野へ
彼の前に立ちはだかったのは豪のマレー・ローズ。山中は
終ぞローズに勝つことはできなかった。私はラジオにかじりついて必死で応援した。負けたときの悲しみときたら一口では表現できない。
1956年メルボルンは、400㍍、1500㍍で銀、続く1960年ローマは400㍍でも銀メダル、結局ローズを1度も破る事は出来なかった。古橋広之進以後、山中毅はずば抜けた存在で、もう山中みたいなスイマーは出てこない、と信じていたら、荻野公介という怪物が出現した。
山中さんは、身長171㌢、荻野公介175㌢、ほぼ同じ背格好である。巨人ではない。荻野は、バルセロナ、ロンドンと経験も豊富の若干20才、2年後のブラジル五輪には脂の載った22才だ。和製ソープか、楽しみだねえ。
プロレス会場で石井館長を見た
9月18日(後楽園ホール)はリアルジャパンプロレスから御招待を受けて、一夜プロレス観戦を楽しむ。会場を見渡したら何とも懐かしい姿が目に入った。
元K-1主催者、石井和義館長であった。南側リングサイドに大魔神・佐々木と肩を並べて座っていた。一回り痩せたように思えたが、相変わらずゴルフをしているのか、顔は見事な小麦色であった。
やはりいまでも人気があって、休憩時間には相次ぎ記念写真をせがまれていた。格闘技界を席捲したK-1が民放のテレビから消えてもう何年になるのだるろう。K-1華やかなりし日をふと思う。
ともあれプロレスの話に戻ろう。初代タイガーマスクは、リング上で新たなパートナーとして貴闘力を紹介した。暮に大一番を遣るのだというが、対戦相手は明かさない。
勿論あの方に決まっている。大仁田厚、邪道軍団だ。巧いねタイガーは、演出が。またも仁義なき抗争の火が噴く、これぞプロレスエンタメの極致…お見逃しなきように!
リアルジャパンプロレスのメインイベントの試合風景

初台商店街の阿波踊り

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■山口洋子先生の死を悼む
~山口さんとの香港の想い出~
~試合場で山口さんに言われたこと~
~五木ひろしを世に出す~
■小津安二郎のテーマ音楽の狙い
■錦織圭の接近戦
■荻野浩介のラストスパート
~山中毅から荻野へ~
■プロレス会場で石井館長を見た
--------------------------------------------
山口洋子先生の死を悼む
「よこはま・たそがれ」「千曲川」「夜空」「ブランデーグラス」などの数多くのヒット曲の作詞家であり、直木賞作家であり、更にはクラブ「姫」のママであった山口洋子さんが、9月6日、心不全のため死去した。
享年77才。葬儀は近親者で行われたという。昭和史を煌めく星座の如く彩った才女がまた一人姿を消して、誠に昭和は遠くなりにけりである。
近年は脳梗塞や脳溢血などを繰り返し病院で治療にあたっていたという。同居しているキックボクシング創始者野口修さんから、私は死亡の通知を既に受けてはいたが、葬儀が終わるまで内密にとの約束で公表を控えてきた。後日お別れの会を予定しているようだ。
山口さんとの香港の想い出
私にとって、山口さんとの想い出は何といっても香港での出来事。野口社長と山口洋子さんは夫婦同然の仲であり、御二人が滞在している香港で、野口社長の取材要請を受け私が合流したのは、当地でタイ国のルンピニー首脳と会談をもつという1日前であった。
以前このブログでも紹介したが、この会談は野口社長の呼びかけで実現したわけだが、当時キックボクシングは沢村忠の凋落もありテコ入れが急がれていた。
そこで野口社長は、ぎくしゃくしたタイ国との関係を修復し、選手の供給をスムーズにするために、陸軍系ルンピニースタジアム首脳と腹蔵のない話し合いを持つことになった。
あれは昭和49年か50年頃だったと思うが、もう記憶は朧だ。当時私は、月刊「ゴング」に在籍していた。取材の要請を受けて、慌ただしく空港に着いたのが確か深夜で、閑散とした到着ロビーで一人不安な気持ちで立っていると、迎えに来てくれたのは、思いもよらず山口さんであった。セレブの運転の出迎えに、正直困惑したものだ。
山口さんの運転するベンツで向かったところは、何と最高級のペニンシュラホテル。そこに野口社長が待っていた。今夜の宿を心配していると野口社長は「ここに私共と一緒に泊りましょう」といってくれた。安サラリーの私が、お蔭で夢のような一夜を過ごした。
翌日、ルンピニー首脳との会談(於シェラトンホテル)の時間まで暫く時間があるというので、私も御二人のショッピングにお付き合いした。
宝石店にぶらりと入ったが、ここで驚いたことは、目を剥くような値段の宝石を、御二人がサイン一つで無造作に買っていることだった。まるでアラブの王族ならかくあるべしという買物風景であった。香港で御二人は有名人だったのだ。
首脳会談も無事終わり、中華店にも御招待を受けて、いままで口にしたことがないような珍味を味わったが、山口さんとその時どんな会話をしたかは覚えていない。
取材が終わり私はバンコクに向かった。僅か1日半の香港滞在であったが、セレブな御二人と行動を共にできたことは、私にとって生涯忘れられない思い出となった。
試合場で山口さんに言われたこと
山口さんとは、またこんな出来事もあった。あるとき、後楽園ホールで記者席に座る私の元に来て、作詞をすることを勧めてくれた。「作詞は物語を書くのと同じよ。舟木さん書いてみたら?」と言ってくれた。
私には元よりそんな才覚があるでなく、笑って首を横に振ったものだが、著名人から御世辞にもそんなことをいわれ、面はゆい思いをした。
五木の本名は、松山数夫といった。何度も芸名を替えては売れない無名の歌手を「五木ひろし」と芸名を変え、乾坤一擲の勝負に出たのは、野口修社長と山口洋子のコンビ。
あの頃の野口社長は、キックに沢村忠がいて、競走馬に500㌔の巨体のスーパーフィルドがいて、兎も角勢いがあった。その上昇気流に五木も乗った。五木の運はここに始まる。
五木ひろしを世に出す
五木ひろしの芸名は、旧知の作家・五木寛之さんから頂いたと野口さんは私に語った。「銀座を歩いているときに正面から五木先生が来てねえ、咄嗟に、今度うち(野口プロ)からデビューする歌手に、先生の名前を使わせてもらいたいのですが、とお願いしたら、先生は快諾してくれた。」
へえ~、これが五木ひろしの芸名由来の真相とは、と私は感心した覚えがある。その他「ツ・キ・オ・ヒ・ロ・ウ」なんて、語呂合わせもあるらしいけど、オジサンは訊いていない。
ともかくも二人の強力なプロデュース力、人脈が有ったればこそ、五木は世に出たのである。デビュー曲は「よこはま・たそがれ」。この1曲で五木はスターダムにのし上がり、まるでロケットのように飛翔した。
後に3人の間に亀裂が生じ、五木は野口プロを離れることになるが、野口&山口コンビが居なかったなら、五木ひろしという歌手は存在しなかったであろうことは、容易に想像できる。
風俗、芸能、文学の分野で不滅の足跡を残した山口洋子先生、謹んで御冥福をお祈り致します。歌謡曲は永遠です!
「よこはま・たそがれ」作詞/山口洋子 作曲/平尾昌晃
よこはま たそがれ ホテルの小部屋
口づけ 残り香 煙草のけむり
ブルース 口笛 女の涙
あの人は 行って行ってしまった
小津安二郎のテーマ音楽の狙い
小津安二郎監督の映画が好きで、読書に倦(う)むとレンタル店で何かしら借りてくる。その小津監督、どんな哀しい場面でも「青空のような音楽を作って欲しい」と作曲者斎藤高順に依頼したそうだ。
普通、悲しいシーンには悲しい音楽を、楽しい時にはそれに相応しい音楽を流すものだが、小津監督は一貫していた。どんな場面でも、先の青空のような曲を所望したというのは初耳だった。
「秋日和」(松竹、1960年作品)では主題曲が軽快な「ポルカ」。格調高く美しい、私が好むテーマ曲だが、小津監督の狙いが分かるような気がする。
「秋刀魚の味」もわが愛する作品で、岩下志麻が嫁ぐ日の場面は、特に泣かせる。バックに流れる音楽が父親の孤独感をしみじみと引き立て、胸に迫る。
小津映画は別れのシーンがどの作品も出てくる。そしてテーマ曲がキラリ光るのだ。相反するものでも、それが相乗効果となる場合がある、そんな事を小津監督は我々に教えてくれる。新聞記事を読んでふと考えた…。
錦織圭の接近戦
全米オープンテニスを中継したのはWOWOWだが、最初はNHKが放送していたんです。次がTBSでした。今度のフィバーでさぞ、ほぞを噛む思いだろうね。兎も角、あれがNHKや民放だったらもっと日本中が沸騰したと思うがね。
4大国際大会(グランドスラム)は全豪・全仏・ウインブルドン・全米だけど、観客動員数、賞金総額でも群を抜くのは全米らしい。
賞金総額34,252,000㌦(約35億)、優勝賞金300万㌦(約3億600万)準優勝145万㌦(1億5400万)。スケールが違うよね。錦織の場合スポンサー契約を結ぶユニクロから特別臨時ボーナス1億円が出るし、羨ましい限りだ。
松岡修造さん(元プロテニス選手、現テニス指導者)がNHKのテレビで興味ある解説をしていた。「(錦織)はコートラインぎりぎりに守っていたが、あれは攻撃重視の構えであったと。
ボクシングでいえば、接近戦の勝負に挑んだということだろう。肉を切らせて骨を断つ戦法、ヘラクレスのごときスラッガーと身体で劣る者が対等に戦うのだから何か違う戦い方が必要というわけだ。
チャン・コーチの進言もあるのだろうけど、勇気が要るよね。”小が大を制す”には、誰も遣らない事をやる。「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」だ。今回の全米オープンほど痛快なスポーツイベントはなかった。日本人プレヤーズもここまできたか!
荻野浩介のラストスパート
痛快といえば、韓国・仁川で行われているアジア大会水泳競技200㍍自由形決勝の荻野公介。150㍍のターン、北京五輪金の地元韓国の朴、中国孫に1秒遅れ、これはダメだと諦念したら、強引に逆転して優勝した。
あの追い込みの凄さときたらかつて見たことがない。まるでトビウオのスピードだ。爆発的な追い込みは欧米人の専売特許だと思っていたので、全く恐れ入った。日本人スイマーも逞しくなったものだ。
自由形こそ水泳競技の華、あのような強靭な発条(バネ)、スタミナはいつの頃から日本人が持てるようになったんだろ。頼もしく、そして嬉しい、限りない未来を感じる。
昔、自由形に山中毅という早稲田のスイマーがいた。メルボルン、ローマ五輪で、私は山中に期待した。彼ほどの選手はもう日本には出ないぞと崇めていた。
山中毅から荻野へ
彼の前に立ちはだかったのは豪のマレー・ローズ。山中は
終ぞローズに勝つことはできなかった。私はラジオにかじりついて必死で応援した。負けたときの悲しみときたら一口では表現できない。
1956年メルボルンは、400㍍、1500㍍で銀、続く1960年ローマは400㍍でも銀メダル、結局ローズを1度も破る事は出来なかった。古橋広之進以後、山中毅はずば抜けた存在で、もう山中みたいなスイマーは出てこない、と信じていたら、荻野公介という怪物が出現した。
山中さんは、身長171㌢、荻野公介175㌢、ほぼ同じ背格好である。巨人ではない。荻野は、バルセロナ、ロンドンと経験も豊富の若干20才、2年後のブラジル五輪には脂の載った22才だ。和製ソープか、楽しみだねえ。
プロレス会場で石井館長を見た
9月18日(後楽園ホール)はリアルジャパンプロレスから御招待を受けて、一夜プロレス観戦を楽しむ。会場を見渡したら何とも懐かしい姿が目に入った。
元K-1主催者、石井和義館長であった。南側リングサイドに大魔神・佐々木と肩を並べて座っていた。一回り痩せたように思えたが、相変わらずゴルフをしているのか、顔は見事な小麦色であった。
やはりいまでも人気があって、休憩時間には相次ぎ記念写真をせがまれていた。格闘技界を席捲したK-1が民放のテレビから消えてもう何年になるのだるろう。K-1華やかなりし日をふと思う。
ともあれプロレスの話に戻ろう。初代タイガーマスクは、リング上で新たなパートナーとして貴闘力を紹介した。暮に大一番を遣るのだというが、対戦相手は明かさない。
勿論あの方に決まっている。大仁田厚、邪道軍団だ。巧いねタイガーは、演出が。またも仁義なき抗争の火が噴く、これぞプロレスエンタメの極致…お見逃しなきように!
リアルジャパンプロレスのメインイベントの試合風景

初台商店街の阿波踊り

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
具志堅は7回KOが何故多かったか?/名選手は独創性を有す/他
--------------------------------------------
■具志堅は7回KOが何故多かったか?
~苦しい時こそチャンスあり!~
~名選手は独創性を有す~
■白内障の手術に至る
■秋爽の候きたり
--------------------------------------------
具志堅は7回KOが何故多かったか?
先週この欄で「具志堅用高選手は現役時代なぜ7回KO勝ちが多かったのか?」の答を明かしますと予告しました。改めて本人から伺った話を元に御紹介したいと思います。
具志堅選手が活躍した時代(1974年~1981年)の世界戦は15ラウンドでした(現在は12R制)。しかも試合当日朝の計量でした(現在は前日計量)から選手にとっては、過酷な条件下の戦いでした。
現役引退後しばらく経った或る日、食事の席で何気なく、私は御当人に尋ねてみました。「世界戦15戦の中に7回KOが4度(先週3度といったのは間違い)あるけど、あれって偶然なの?」と。
(例:’77年10月グスマン(王座奪取)’79年1月マルカーノ(防7)’79年4月ロペス(防8)’79年10月アベラ(防10)注/’79年は4戦して3戦が7回KO。)
これに対して、具志堅さんは、よく聞いてくれたと言わんばかり、すらすら答てくれました。いままでマスコミが誰も聞かなかったことに、さも不思議だといった表情でした。
苦しい時こそチャンスあり!
具志堅さんはいう。「昔は15ラウンドだったでしょう。だから中盤(7回)あたりが最も苦しいわけ。自分が苦しいんだから相手も苦しいはずだと思って、力を振り絞って一気に攻めたのよ。敵は油断しているからね、慌てるよ。それでKO出来るんだ。試合は、苦しい時こそチャンスがあると思うよ。」
私が驚いたのは、計算ずくのKOだったことである。現役時代彼を幾度となく取材したにも関わらず、終ぞ質問しなかったことに、そのとき大いに悔やんだ。
最も現役時代は、敵に作戦を明かしたらまずいので、問われてもマスコミには、何も答えなかったのか、あるいは聞けなかったのか。ジム側の箝口令だった、ということもある。それは充分に考えられる。
兎も角、いま流行の脳学者に訊かせたいようなエピソードである。WBA世界L・フライ級13度防衛記録の裏にはこんな秘めたる「戦術」が有ったのだ。
名選手は独創性を有す
多分これはコーチや会長から教えられた「秘策」ではあるまい。具志堅選手自身が、身を挺して経験した中で自ら開眼した、戦術…ではなかったか。
後世に名を残す人物は、やはりどこか違う。余人には無い独創性、オリジナリティーを持つものだと改めて得心したのである。
苦しい時こそチャンスはある、はまさに箴言である。具志堅さんの見事な人間洞察力には舌をまく。この逸話こそあらゆる困難に立ち向かう時に、当てはまる名言ではないのでしょうか。
白内障の手術に至る
白内障に罹りとうとう手術することになりました。昨年あたりから左目が霞んだり、瞼の裏がゴロゴロしたり、特に読書の後には疲れ切ってしまっていました。近所の眼科で時折診察してもらっていたのだが、どうも不安になってきた。
そんなことで新宿の東京医大眼科を訪れ徹底検査してもらった。その結果は、手術の必要性を申し渡されました。手術日は2カ月後になりそうで、それまで辛い読書を余儀なくされそうです。何が不便かというと文字の小さい本は眼がしょぼしょぼして進まないことです。
白内障は年寄になったら多かれ少なかれ罹る病気だ、とかねてより伺っていましたが、自分にも遂に来たか、となんだか、老いを改めて実感いたしました。「終にゆく道とは、かねてききしかど」である。
幸い他の病気は見当たらず、総合検査の結果は「他は全く問題ありませんよ」と担当医か二重丸を頂いた。やはり早朝のラジオ体操と太極拳、ウォーキングなど、即ち体を日々動かすことがいいんだ、と自分で納得した次第です。
秋爽の候きたり
秋爽の候がきた。特に日曜日(14日)空は青く澄んで喝采を叫びたいような天候でした。蝉のオーケストラは、指揮者小澤征爾のタクトが止る如くに、ピタリと止んで、元のしじまに還った。
夏終わり宣言。間違っても一匹も鳴かず、見事な調和、フイニッシュでした。カーテンコールはありません。秋への彩のある舞台転換です。
空に浮かぶ巻積雲も天高くゆったりと漂い、確かな秋の訪れを知らしめる。全国各地で秋祭りが始まる。我が町では、代々木八幡神宮例大祭が9月22,23日開催される。
今年も勇壮に御輿が通りを練り歩くことだろう。担ぎ手の掛け声とともに、太鼓と横笛の音色のお囃子は、何ともいえぬ哀愁を響かせる。五穀豊穣を祝い、神への感謝の祭りは日本人の心の故郷でもある。瑞穂の国の、ときは秋なり。
このまよりもれくる月のかげ見れば
心づくしの秋はきにけり
古今和歌集(詠み人しらず)
空はあくまでも澄んで、漂う雲も秋を感じる

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■具志堅は7回KOが何故多かったか?
~苦しい時こそチャンスあり!~
~名選手は独創性を有す~
■白内障の手術に至る
■秋爽の候きたり
--------------------------------------------
具志堅は7回KOが何故多かったか?
先週この欄で「具志堅用高選手は現役時代なぜ7回KO勝ちが多かったのか?」の答を明かしますと予告しました。改めて本人から伺った話を元に御紹介したいと思います。
具志堅選手が活躍した時代(1974年~1981年)の世界戦は15ラウンドでした(現在は12R制)。しかも試合当日朝の計量でした(現在は前日計量)から選手にとっては、過酷な条件下の戦いでした。
現役引退後しばらく経った或る日、食事の席で何気なく、私は御当人に尋ねてみました。「世界戦15戦の中に7回KOが4度(先週3度といったのは間違い)あるけど、あれって偶然なの?」と。
(例:’77年10月グスマン(王座奪取)’79年1月マルカーノ(防7)’79年4月ロペス(防8)’79年10月アベラ(防10)注/’79年は4戦して3戦が7回KO。)
これに対して、具志堅さんは、よく聞いてくれたと言わんばかり、すらすら答てくれました。いままでマスコミが誰も聞かなかったことに、さも不思議だといった表情でした。
苦しい時こそチャンスあり!
具志堅さんはいう。「昔は15ラウンドだったでしょう。だから中盤(7回)あたりが最も苦しいわけ。自分が苦しいんだから相手も苦しいはずだと思って、力を振り絞って一気に攻めたのよ。敵は油断しているからね、慌てるよ。それでKO出来るんだ。試合は、苦しい時こそチャンスがあると思うよ。」
私が驚いたのは、計算ずくのKOだったことである。現役時代彼を幾度となく取材したにも関わらず、終ぞ質問しなかったことに、そのとき大いに悔やんだ。
最も現役時代は、敵に作戦を明かしたらまずいので、問われてもマスコミには、何も答えなかったのか、あるいは聞けなかったのか。ジム側の箝口令だった、ということもある。それは充分に考えられる。
兎も角、いま流行の脳学者に訊かせたいようなエピソードである。WBA世界L・フライ級13度防衛記録の裏にはこんな秘めたる「戦術」が有ったのだ。
名選手は独創性を有す
多分これはコーチや会長から教えられた「秘策」ではあるまい。具志堅選手自身が、身を挺して経験した中で自ら開眼した、戦術…ではなかったか。
後世に名を残す人物は、やはりどこか違う。余人には無い独創性、オリジナリティーを持つものだと改めて得心したのである。
苦しい時こそチャンスはある、はまさに箴言である。具志堅さんの見事な人間洞察力には舌をまく。この逸話こそあらゆる困難に立ち向かう時に、当てはまる名言ではないのでしょうか。
白内障の手術に至る
白内障に罹りとうとう手術することになりました。昨年あたりから左目が霞んだり、瞼の裏がゴロゴロしたり、特に読書の後には疲れ切ってしまっていました。近所の眼科で時折診察してもらっていたのだが、どうも不安になってきた。
そんなことで新宿の東京医大眼科を訪れ徹底検査してもらった。その結果は、手術の必要性を申し渡されました。手術日は2カ月後になりそうで、それまで辛い読書を余儀なくされそうです。何が不便かというと文字の小さい本は眼がしょぼしょぼして進まないことです。
白内障は年寄になったら多かれ少なかれ罹る病気だ、とかねてより伺っていましたが、自分にも遂に来たか、となんだか、老いを改めて実感いたしました。「終にゆく道とは、かねてききしかど」である。
幸い他の病気は見当たらず、総合検査の結果は「他は全く問題ありませんよ」と担当医か二重丸を頂いた。やはり早朝のラジオ体操と太極拳、ウォーキングなど、即ち体を日々動かすことがいいんだ、と自分で納得した次第です。
秋爽の候きたり
秋爽の候がきた。特に日曜日(14日)空は青く澄んで喝采を叫びたいような天候でした。蝉のオーケストラは、指揮者小澤征爾のタクトが止る如くに、ピタリと止んで、元のしじまに還った。
夏終わり宣言。間違っても一匹も鳴かず、見事な調和、フイニッシュでした。カーテンコールはありません。秋への彩のある舞台転換です。
空に浮かぶ巻積雲も天高くゆったりと漂い、確かな秋の訪れを知らしめる。全国各地で秋祭りが始まる。我が町では、代々木八幡神宮例大祭が9月22,23日開催される。
今年も勇壮に御輿が通りを練り歩くことだろう。担ぎ手の掛け声とともに、太鼓と横笛の音色のお囃子は、何ともいえぬ哀愁を響かせる。五穀豊穣を祝い、神への感謝の祭りは日本人の心の故郷でもある。瑞穂の国の、ときは秋なり。
このまよりもれくる月のかげ見れば
心づくしの秋はきにけり
古今和歌集(詠み人しらず)
空はあくまでも澄んで、漂う雲も秋を感じる

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
スポーツ二題 村田諒太の凡戦・日本サッカーの目指すものは?/他
--------------------------------------------
■日本サッカーの目指すものは?
■村田諒太の凡戦
~危険な相手を選ぶマッチメーク~
■介護福祉から得たもの
■第二次安倍内閣の女性閣僚
~「経国済民」の志やあるか~
--------------------------------------------
明るい!楽しい!分かり易い!!
エンタメ風介護福祉フリーマガジン
「UPPER LIFE」 創刊!

日本サッカーの目指すものは?
サッカーの国際親善試合、日本×ウルグアイ戦は、アギーレ監督(メキシコ=55)初戦とあり注目した。戦いは0-2で完敗した。要は勝ち負けの問題ではない。
よしんば勝っていたとしても、これから4年後に日本チームをどんな理想のチームに仕立て上げるのか、そこにポリシーがなければ勝つ意味がない。
規範は何処の国なのか。その骨格を決めて事にあたらないと、監督を替えれば何とか為ると思っていると、また、もとの木阿弥になる。
日本人監督ではなぜだめなのか。外国人崇拝も、そろそろ改めたらよかろうと思うが。因みにアギーレ監督は2年契約で、推定年棒2億5000万とか(東スポ)、相当な金額である。
村田諒太の凡戦
ロンドン五輪ミドル級金メダリスト村田諒太のプロ5戦目、アドリアン・ルナ(メキシコ)との10回戦は、村田が3-0の判定勝ちを収めたものの、まあ大騒ぎ過ぎる前煽りの割には凡戦。見る気を失って9Rでテレビを消した。
兎も角も単調な攻めには壁癖した。接近戦でのショートブローがまるきしダメで、パンチ力のないメキシカンのコンニャク戦法に最後まで攻めあぐんだ。見る者は目が肥えているから、こんな試合を続けるとファンからソッポを向かれる。
白星を重ねる(5戦5勝)事だけが勲章ではない。負けても見る者を感動させさえすれば、評価は高まる。村田の育成法も、根本から変えた方が本人のためになる。
危険な相手を選ぶマッチメーク
危険な相手を敢て選ぶマッチメークこそがいま求められる。過保護の代償は、逸材をスポイルしかねないことだ。翻って考えると、初めて日本で世界ミドル級王者になった竹原慎二は、やはりレベルが違った。
スピードがあって、パンチが多彩で、凄味が感じられた。村田は竹原の域に達する事が出来るのだろうか。いまのままでは凡庸な選手に終わってしまう気がする。
世界13度防衛の具志堅用高選手が、大変身を遂げたのは、ゴメス・キー(米国)戦、7回KOで破って世界の足掛かりを掴んだ試合だ。
世界クラスのキーはプロ7戦目の具志堅には勝ち目の薄い相手だったが、協栄ジム金平会長は、敢て選んだ。ハイリスク、ハイリターン。この一戦に賭けて見事、具志堅選手は蛹(さなぎ)から蝶に変身した。
ある日突然選手がブレイクする。それには手強い相手と遭遇することだ。修羅の世界を潜り抜けてこそ、栄光もある。村田にもそんな変身を期待する。「艱難(かんなん)は汝を強くする」の諺あり。
余談ながら具志堅選手には何故か7回のKO勝ちが多い。世界戦14戦のうち3回もある。どうもこれには訳がある。次回は本人から伺った話を元に7回KOの秘密を明したい。
介護福祉から得たもの
介護福祉をテーマにした「UPPER LIFE」を制作するにあたり関連の書物を読み漁りました。何分この方面は門外漢でありますから、とても新鮮でありました。
とりわけ印象に残った言葉は、上野千鶴子著「老いの準備」の中で癌を患う友達の語った「人生は余命半年と思って生きれば間違いない」には、心打たれた。
確かにです。のんべんだらりんと生きるよりは、私の人生は、あと半年しかないと思えば、あれもやらねば、これもやらねばといった、濃密な日々を送ることができる。なるほど、いい言葉であると感銘した。
認知症も死も予測不可能です。「余命半年と思って生きている人は」粛々とその日を迎えることができるのではないでしょうか。まさに箴言です。
こんな名言もあります。「年をとることは、死ぬことよりもむずかしい」といったのは、スイスの詩人アミエル。う~ん、考えさせられる。
私が座右の銘にしているのは、「老いは嘆くに足らず、嘆くべきは、これ老いて虚しく生きることなり」(呂新語)この箴言を忘れずに生きていければと思っているのですが…。
第二次安倍内閣の女性閣僚
9月3日に第二次安倍内閣の発足した。どうせ派閥人事のなれの果てと、ニュースはことさら避けた。7時から8時まではBS朝日の「うた、日本の名曲」を摘み見た。
今回は5人の女性閣内に登用され、やれ将来の首相候補、やれ総理の側近だとか持て囃された。将来の首相候補
と目される御仁は、役割を担うポストに到底知悉(ちしつ)しているとは思えず、やぱっり元首相の愛娘だからと私は勘ぐった。
「経国済民」の志やあるか
いまだかつて彼女の国家論や政策理論を見聞きしていない。かくなる人物が、廟堂にあって、未曾有の危機にある原発問題や経済復興にどれだけ手腕を発揮できるのだろう。「経国済民」の大事業を果たして為せるか、訝しいものがある。それでも将来の総理候補なの?いやはや。
一般的に大臣の椅子に座るのは、有能な人だからというわけでもなさそうで、派閥の覚え目出度くあり、当選回数が多ければ、後はボスの胸一つ。だから臆面もなく我も我もと派閥のボスに阿諛追従、忠誠を励むのです。
派閥順送りの人事では、「経国済民」の志はもとより生まれないのは当然です。ボスが主人なのですから、ボスのために働く。国の借金1039兆円、もはや破産寸前なのにお構いなしで、第二次安倍内閣は完全な延命シフト。憂国の政治家や何処にありや。
谷垣禎一さん(幹事長)には一度は総理になってもらいたいと願う一人だが、自民党の派閥力学からいって無理のようだ。自民党の中で、一番総理相応しい人がなれない不条理、これは、日本国の損失である。
9月8日は中秋の名月、拙宅でも花に団子を沿えた。
当夜は残念ながら雨、名月は見れず。生け花を眺めて一献。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■日本サッカーの目指すものは?
■村田諒太の凡戦
~危険な相手を選ぶマッチメーク~
■介護福祉から得たもの
■第二次安倍内閣の女性閣僚
~「経国済民」の志やあるか~
--------------------------------------------
明るい!楽しい!分かり易い!!
エンタメ風介護福祉フリーマガジン
「UPPER LIFE」 創刊!

日本サッカーの目指すものは?
サッカーの国際親善試合、日本×ウルグアイ戦は、アギーレ監督(メキシコ=55)初戦とあり注目した。戦いは0-2で完敗した。要は勝ち負けの問題ではない。
よしんば勝っていたとしても、これから4年後に日本チームをどんな理想のチームに仕立て上げるのか、そこにポリシーがなければ勝つ意味がない。
規範は何処の国なのか。その骨格を決めて事にあたらないと、監督を替えれば何とか為ると思っていると、また、もとの木阿弥になる。
日本人監督ではなぜだめなのか。外国人崇拝も、そろそろ改めたらよかろうと思うが。因みにアギーレ監督は2年契約で、推定年棒2億5000万とか(東スポ)、相当な金額である。
村田諒太の凡戦
ロンドン五輪ミドル級金メダリスト村田諒太のプロ5戦目、アドリアン・ルナ(メキシコ)との10回戦は、村田が3-0の判定勝ちを収めたものの、まあ大騒ぎ過ぎる前煽りの割には凡戦。見る気を失って9Rでテレビを消した。
兎も角も単調な攻めには壁癖した。接近戦でのショートブローがまるきしダメで、パンチ力のないメキシカンのコンニャク戦法に最後まで攻めあぐんだ。見る者は目が肥えているから、こんな試合を続けるとファンからソッポを向かれる。
白星を重ねる(5戦5勝)事だけが勲章ではない。負けても見る者を感動させさえすれば、評価は高まる。村田の育成法も、根本から変えた方が本人のためになる。
危険な相手を選ぶマッチメーク
危険な相手を敢て選ぶマッチメークこそがいま求められる。過保護の代償は、逸材をスポイルしかねないことだ。翻って考えると、初めて日本で世界ミドル級王者になった竹原慎二は、やはりレベルが違った。
スピードがあって、パンチが多彩で、凄味が感じられた。村田は竹原の域に達する事が出来るのだろうか。いまのままでは凡庸な選手に終わってしまう気がする。
世界13度防衛の具志堅用高選手が、大変身を遂げたのは、ゴメス・キー(米国)戦、7回KOで破って世界の足掛かりを掴んだ試合だ。
世界クラスのキーはプロ7戦目の具志堅には勝ち目の薄い相手だったが、協栄ジム金平会長は、敢て選んだ。ハイリスク、ハイリターン。この一戦に賭けて見事、具志堅選手は蛹(さなぎ)から蝶に変身した。
ある日突然選手がブレイクする。それには手強い相手と遭遇することだ。修羅の世界を潜り抜けてこそ、栄光もある。村田にもそんな変身を期待する。「艱難(かんなん)は汝を強くする」の諺あり。
余談ながら具志堅選手には何故か7回のKO勝ちが多い。世界戦14戦のうち3回もある。どうもこれには訳がある。次回は本人から伺った話を元に7回KOの秘密を明したい。
介護福祉から得たもの
介護福祉をテーマにした「UPPER LIFE」を制作するにあたり関連の書物を読み漁りました。何分この方面は門外漢でありますから、とても新鮮でありました。
とりわけ印象に残った言葉は、上野千鶴子著「老いの準備」の中で癌を患う友達の語った「人生は余命半年と思って生きれば間違いない」には、心打たれた。
確かにです。のんべんだらりんと生きるよりは、私の人生は、あと半年しかないと思えば、あれもやらねば、これもやらねばといった、濃密な日々を送ることができる。なるほど、いい言葉であると感銘した。
認知症も死も予測不可能です。「余命半年と思って生きている人は」粛々とその日を迎えることができるのではないでしょうか。まさに箴言です。
こんな名言もあります。「年をとることは、死ぬことよりもむずかしい」といったのは、スイスの詩人アミエル。う~ん、考えさせられる。
私が座右の銘にしているのは、「老いは嘆くに足らず、嘆くべきは、これ老いて虚しく生きることなり」(呂新語)この箴言を忘れずに生きていければと思っているのですが…。
第二次安倍内閣の女性閣僚
9月3日に第二次安倍内閣の発足した。どうせ派閥人事のなれの果てと、ニュースはことさら避けた。7時から8時まではBS朝日の「うた、日本の名曲」を摘み見た。
今回は5人の女性閣内に登用され、やれ将来の首相候補、やれ総理の側近だとか持て囃された。将来の首相候補
と目される御仁は、役割を担うポストに到底知悉(ちしつ)しているとは思えず、やぱっり元首相の愛娘だからと私は勘ぐった。
「経国済民」の志やあるか
いまだかつて彼女の国家論や政策理論を見聞きしていない。かくなる人物が、廟堂にあって、未曾有の危機にある原発問題や経済復興にどれだけ手腕を発揮できるのだろう。「経国済民」の大事業を果たして為せるか、訝しいものがある。それでも将来の総理候補なの?いやはや。
一般的に大臣の椅子に座るのは、有能な人だからというわけでもなさそうで、派閥の覚え目出度くあり、当選回数が多ければ、後はボスの胸一つ。だから臆面もなく我も我もと派閥のボスに阿諛追従、忠誠を励むのです。
派閥順送りの人事では、「経国済民」の志はもとより生まれないのは当然です。ボスが主人なのですから、ボスのために働く。国の借金1039兆円、もはや破産寸前なのにお構いなしで、第二次安倍内閣は完全な延命シフト。憂国の政治家や何処にありや。
谷垣禎一さん(幹事長)には一度は総理になってもらいたいと願う一人だが、自民党の派閥力学からいって無理のようだ。自民党の中で、一番総理相応しい人がなれない不条理、これは、日本国の損失である。
9月8日は中秋の名月、拙宅でも花に団子を沿えた。
当夜は残念ながら雨、名月は見れず。生け花を眺めて一献。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
時代のニーズに合わせ船出した「UPPER LIFE」/デング熱、何と代々木公園で!/他
--------------------------------------------
■デング熱、何と代々木公園で!
~世界は一衣帯水、病原菌は拡大する~
■介護福祉の「UPPER LIFE」
~歯科の頁は特にお勧めです~
~時代のニーズに合わせ船出~
■蝉の最期は哀れ
--------------------------------------------
明るい!楽しい!分かり易い!!
エンタメ風介護福祉フリーマガジン「UPPER LIFE」
↓創刊号・企業特別版の表紙
デング熱、何と代々木公園で!
聞き慣れない病名の”デング熱”とやらが、こともあろうか拙宅の御近所、代々木公園で発生したと聞き驚いた。蚊が媒体で、遊んでいた若者が刺されて感染、陽性反応が出たというから、おちおち散歩もできない。なんでも国内では70年ぶりだそうな。当分代々木公園には行けない。
子を持つ親は特に心配だろう。それじゃ蚊帳(かや)で身を覆って、いざ散歩と参ろうか。さぞ物々しい恰好になるだろうけど。蚊に毒性のモノか、そうでないモノか色も形も違わないので、是ばっかりは避けようがない。
私が朝ラジオ体操に行くのは、大山公園だが蚊が沢山いて御婦人方の中には、蚊取り線香を持ち歩き焚いているのをあちこちに見かける。あれは大変だ、移動する度に持ち歩くのだから。
夏場には、私は短パンを履いているので、よく蚊に刺されるのだが、帰宅して虫刺されの薬を塗って御終い。極普通の処置で済ませているのだが、デング熱はどうか、どうしたら早期に分かるのだろう?
高熱を出し頭が割れるように痛いと経験者は語るが、単なる頭痛とどう違うのだろう??やはりおかしいと感じたら、直ぐ病院に駆け込むしかないようだ。だが頭痛の度に病院に行くのも気が引ける。
世界は一衣帯水、病原菌は拡大する
いちいち気にしていたら何もできなかろう。蚊はどこにでもいる。タイ国にも香港にいるだろうに、刺された記憶がないのはなぜだろか。日本の蚊のように鋭く刺さないためだろうか。
アフリカに端を発したエボラ出血熱でも、現地の人々は知らぬ間にウイルスに侵され、あれよあれよと拡大していって、いま世界を恐怖に陥れている。他にサウジアラビアに発生したと伝えられるマース(MERS)も怖い。致死率50%だという。
元を辿れば、HIVウイルスもアフリカが源である。主なる発症の拡大原因は、大雑把にいえば不衛生、医師不足が挙げられるという。エボラ出血熱の場合感染したら、今のところ特効薬もないらしいから、死を待つだけという残酷なものだ。地球は猛毒細菌の温床である。
世界は一衣帯水、船舶が、航空機が、毎日昼夜分けなく日本を往来する。船底に病原菌を孕んだ蚊や毒性の昆虫が紛れ込んでいたとしても不思議じゃない。文明の利器は、そういった意味で「諸刃の剱」なのである。
介護福祉の「UPPER LIFE」
先週に引き続き「UPPER LIFE」についてお話しましょう。企業特別版の創刊の御挨拶でも述べたように、いま我が国の介護福祉は、絶望に近い状況下にあります。
介護者&要介護問題は他人事ではありません。明日は我身と思って間違いないでしょう。何しろ60才以上の高齢者3000万人、これは人口の1/4にあたります。
2020年にはその比率が、1/3になると予測しています。要介護で会社を退職する中堅サラリーマン年間30万人!特養(特別老人ホーム)の入居待ちが52万人!この現象を介護難民と称せずして何と表現しよう。
歯科の頁は特にお勧めです
今号で先ず読んで欲しいのは、鈴木絵美子先生のDENTAL頁「病気はお口からやってくる」~在宅での口腔ケアの勧め~です。天然歯1本の価格は100万円!?の見出しが衝撃的です。
ヒトには28本の永久歯があり、28本×100万円=2800万、どうです?天然歯がダイヤモンド1粒に見えてきませんか?と鈴木先生は最初から挑戦的に問題を投げかけます。
その理由(わけ)を実に明解に説明してくれます。歯がいかに生きていく上で大事であるか、読めば分かる。読者は思わず唸り、納得するはずです。活字を大きくして読み易くしたのも、高齢者への配慮からです。
時代のニーズに合わせ船出
この時代だからこそ「UPPER LIFE」の発刊は意義のあるものと位置づけています。少しでも介護福祉の道標(みちしるべ)となれば幸いです。
こんな箴言があります。「卒啄同機」(そつたくどうき:本当は「卒」の字の左側に"口")。どんな意味かといえば、卵が孵化するときに、卵の殻を嘴で破ろうとコツコツと叩きます。すると親鳥はそれに合わせて殻を破ろうとします。
その絶妙のタイミングによって、雛(ひな)は目出度くこの世に生を受ける。早すぎても、遅すぎてもいけない絶妙の摂理を「卒啄同機」(禅語=安岡正篤「一日一語」より)というのだそうです。
本来は政治家が、出処進退を決める際などに使う重みのある言葉であるそうな。(佐藤栄作総理は引退表明演説でこの箴言を使った)弊誌のような砂塵の如き冊子に引用するのは、恐れ多く憚(はばか)られるが、私の決意の拠り所として敢て用いた。
そう、「UPPER LIFE」は時代のニーズに合せて、絶妙のタイミングを捉え創刊したと、我ながら確信するのです。その決意のほどよしとして、皆様の御支援御指導宜しくお願いいたします。
※尚、市川三喜男氏の生年月日が1975年と記載されています。訂正してお詫び申し上げます。
正しくは、1943年(S18年)2月13日です。
蝉の最期は哀れ
週末はまるで梅雨が舞い戻ったような雨の日が続いた。老境に入り、冷たい雨に濡れながら、いまごろ蝉はどうしているんだろ、と気になりました。
雨に鳴く蝉はいない。恐らく少しでもエネルギーを温存するために、木陰でじっとしているのだろう。ぶるぶる震え、中には命尽きて木から落ちてしまうものもいる。
最後の雄叫びもできずに。せめて夏の終わりに華々しく散華して欲しかった。そうセンチメンタルになるのも齢の所為だろう。
早朝ラジオ体操に向かったら街路に、公園に数多くの蝉の死骸があった。ひと夏の喧(かまびすし)い蝉の鳴声もやむと、漫(そぞ)ろ寂しいものがある。そういえば、ゆっくり流れる雲も、梢を揺らす風も秋の気配漂う。もう9月。
「UPPERLIFE」今号おすすめのDENTALの頁。

週末の雨が上がった、日曜の午後の空。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■デング熱、何と代々木公園で!
~世界は一衣帯水、病原菌は拡大する~
■介護福祉の「UPPER LIFE」
~歯科の頁は特にお勧めです~
~時代のニーズに合わせ船出~
■蝉の最期は哀れ
--------------------------------------------
明るい!楽しい!分かり易い!!
エンタメ風介護福祉フリーマガジン「UPPER LIFE」
↓創刊号・企業特別版の表紙
デング熱、何と代々木公園で!
聞き慣れない病名の”デング熱”とやらが、こともあろうか拙宅の御近所、代々木公園で発生したと聞き驚いた。蚊が媒体で、遊んでいた若者が刺されて感染、陽性反応が出たというから、おちおち散歩もできない。なんでも国内では70年ぶりだそうな。当分代々木公園には行けない。
子を持つ親は特に心配だろう。それじゃ蚊帳(かや)で身を覆って、いざ散歩と参ろうか。さぞ物々しい恰好になるだろうけど。蚊に毒性のモノか、そうでないモノか色も形も違わないので、是ばっかりは避けようがない。
私が朝ラジオ体操に行くのは、大山公園だが蚊が沢山いて御婦人方の中には、蚊取り線香を持ち歩き焚いているのをあちこちに見かける。あれは大変だ、移動する度に持ち歩くのだから。
夏場には、私は短パンを履いているので、よく蚊に刺されるのだが、帰宅して虫刺されの薬を塗って御終い。極普通の処置で済ませているのだが、デング熱はどうか、どうしたら早期に分かるのだろう?
高熱を出し頭が割れるように痛いと経験者は語るが、単なる頭痛とどう違うのだろう??やはりおかしいと感じたら、直ぐ病院に駆け込むしかないようだ。だが頭痛の度に病院に行くのも気が引ける。
世界は一衣帯水、病原菌は拡大する
いちいち気にしていたら何もできなかろう。蚊はどこにでもいる。タイ国にも香港にいるだろうに、刺された記憶がないのはなぜだろか。日本の蚊のように鋭く刺さないためだろうか。
アフリカに端を発したエボラ出血熱でも、現地の人々は知らぬ間にウイルスに侵され、あれよあれよと拡大していって、いま世界を恐怖に陥れている。他にサウジアラビアに発生したと伝えられるマース(MERS)も怖い。致死率50%だという。
元を辿れば、HIVウイルスもアフリカが源である。主なる発症の拡大原因は、大雑把にいえば不衛生、医師不足が挙げられるという。エボラ出血熱の場合感染したら、今のところ特効薬もないらしいから、死を待つだけという残酷なものだ。地球は猛毒細菌の温床である。
世界は一衣帯水、船舶が、航空機が、毎日昼夜分けなく日本を往来する。船底に病原菌を孕んだ蚊や毒性の昆虫が紛れ込んでいたとしても不思議じゃない。文明の利器は、そういった意味で「諸刃の剱」なのである。
介護福祉の「UPPER LIFE」
先週に引き続き「UPPER LIFE」についてお話しましょう。企業特別版の創刊の御挨拶でも述べたように、いま我が国の介護福祉は、絶望に近い状況下にあります。
介護者&要介護問題は他人事ではありません。明日は我身と思って間違いないでしょう。何しろ60才以上の高齢者3000万人、これは人口の1/4にあたります。
2020年にはその比率が、1/3になると予測しています。要介護で会社を退職する中堅サラリーマン年間30万人!特養(特別老人ホーム)の入居待ちが52万人!この現象を介護難民と称せずして何と表現しよう。
歯科の頁は特にお勧めです
今号で先ず読んで欲しいのは、鈴木絵美子先生のDENTAL頁「病気はお口からやってくる」~在宅での口腔ケアの勧め~です。天然歯1本の価格は100万円!?の見出しが衝撃的です。
ヒトには28本の永久歯があり、28本×100万円=2800万、どうです?天然歯がダイヤモンド1粒に見えてきませんか?と鈴木先生は最初から挑戦的に問題を投げかけます。
その理由(わけ)を実に明解に説明してくれます。歯がいかに生きていく上で大事であるか、読めば分かる。読者は思わず唸り、納得するはずです。活字を大きくして読み易くしたのも、高齢者への配慮からです。
時代のニーズに合わせ船出
この時代だからこそ「UPPER LIFE」の発刊は意義のあるものと位置づけています。少しでも介護福祉の道標(みちしるべ)となれば幸いです。
こんな箴言があります。「卒啄同機」(そつたくどうき:本当は「卒」の字の左側に"口")。どんな意味かといえば、卵が孵化するときに、卵の殻を嘴で破ろうとコツコツと叩きます。すると親鳥はそれに合わせて殻を破ろうとします。
その絶妙のタイミングによって、雛(ひな)は目出度くこの世に生を受ける。早すぎても、遅すぎてもいけない絶妙の摂理を「卒啄同機」(禅語=安岡正篤「一日一語」より)というのだそうです。
本来は政治家が、出処進退を決める際などに使う重みのある言葉であるそうな。(佐藤栄作総理は引退表明演説でこの箴言を使った)弊誌のような砂塵の如き冊子に引用するのは、恐れ多く憚(はばか)られるが、私の決意の拠り所として敢て用いた。
そう、「UPPER LIFE」は時代のニーズに合せて、絶妙のタイミングを捉え創刊したと、我ながら確信するのです。その決意のほどよしとして、皆様の御支援御指導宜しくお願いいたします。
※尚、市川三喜男氏の生年月日が1975年と記載されています。訂正してお詫び申し上げます。
正しくは、1943年(S18年)2月13日です。
蝉の最期は哀れ
週末はまるで梅雨が舞い戻ったような雨の日が続いた。老境に入り、冷たい雨に濡れながら、いまごろ蝉はどうしているんだろ、と気になりました。
雨に鳴く蝉はいない。恐らく少しでもエネルギーを温存するために、木陰でじっとしているのだろう。ぶるぶる震え、中には命尽きて木から落ちてしまうものもいる。
最後の雄叫びもできずに。せめて夏の終わりに華々しく散華して欲しかった。そうセンチメンタルになるのも齢の所為だろう。
早朝ラジオ体操に向かったら街路に、公園に数多くの蝉の死骸があった。ひと夏の喧(かまびすし)い蝉の鳴声もやむと、漫(そぞ)ろ寂しいものがある。そういえば、ゆっくり流れる雲も、梢を揺らす風も秋の気配漂う。もう9月。
「UPPERLIFE」今号おすすめのDENTALの頁。

週末の雨が上がった、日曜の午後の空。

DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
明るい!楽しい!分かり易い!!エンタメ風介護福祉フリーマガジン「UPPER LIFE」発行!!
UPPER LIFE+1
「アッパーライフ」企業特別版創刊の御挨拶
時下、益々御健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、この度企業向けの「アッパーライフ特別版」(フリーマガジン)を発行することになりました。
とかく暗いイメージのある介護福祉ですが、何とか明るく分かり易く伝えられたらと考えて、雑誌のコンセプトはエンタテインメント風にしました。御笑納下されば幸いに存じます。
アッパーの文字通り新たな挑戦であります。介護福祉は避けて通れない社会問題です。
些かでも社会に貢献できるよう編集部一同励んで参りたいと思います。
皆様の御指導を宜しくお願い申し上げます。
平成26年8月吉日
株式会社アッパー代表
舟木昭太郎

--------------------------------------------
■介護福祉のフリーマガジンを発行
~エンタテインメント風な誌面~
■広島市の土砂災害を悼む
~災害に「想定外」はない~
--------------------------------------------
介護福祉のフリーマガジンを発行
「UPPER LIFE企業特別版」を8月29日に発行します。私にとって宿願の介護福祉をテーマにしたものです。故郷の福島県・鮫川(さめがわ)村で同級生(小中)の市川三喜男君が尽力してくれました。
格闘技誌&同映像制作に携わりかれこれ45年、私の未知なる挑戦でもあります。人生とは、これ戦いなり。「脱皮できない蛇は滅びる」(ニーチェ)。人間も、会社も進化、変貌し続けなければ生き残れない。
「企業版」とは、雑誌を丸々買い取ってもらうものです。小さな一歩です、大きな一歩になるよう皆様の御指導、御支援の程宜しくお願い申し上げます。
今なぜ介護福祉なのか。それを紐解く鍵は以下の通り。65才以上の高齢者3,000万人、認知症患者800万人、認知症の行方不明者1万人、特養(特別養護老人ホーム)の入居待ち52万人。大介護時代の到来なのです。
エンタテインメント風な誌面
兎角暗いイメージのある介護福祉問題ですが、エンタテインメント風な誌面にして、文字も大きくしました。あなたも、私も介護問題は他人事ではありません。そのための指針となる雑誌を「UPPER LIFE」は目指します。
認知症は予告なしにやってきます。平均寿命が男女共に80才を超えて、老齢化はますます進みます。高齢者いかに生きるべきか…老いの準備はあるやなきや、差し迫った問題ですよ。誌面の一部を紹介させて頂きます。
元気で、楽しく「PPKピンピンコロリ」が理想です。老いは差し詰め成熟したワイン、これを口に出来るのは我々の特権です。豊穣の味を共に味わいましょう。「老いは嘆くに足らず、嘆くべきは、これ老いて虚しく生きることなり」(呂新語=中国明末の人)
雑誌は無料なので、御希望の方は200円切手を同封して、下記宛にお送りください。
数に限りがありますので、先着順とさせていただきます。
宛先:〒151-0066渋谷区西原2-2-4 ㈱アッパー「アッパーライフ」係(一人1冊まで)

※画像をクリックして拡大してご覧ください。
広島市の土砂災害を悼む
広島市で起きた大規模な土砂災害は眼を覆うばかりだ。土石流の痕跡が、生々しい。死者50人、行方不明者33人(8月24日現在)余りにも傷ましい災害である。亡くなられた方々には、心からの哀悼の意を表します。
また甚大な被害を蒙り避難生活を余儀なくされている住民の方々に、お見舞い申し上げます。東京もいずれそんな悲惨な災害に見舞われるであろうと、私は腹を括っている。
考えてみれば我国は国土の約70%が山岳地帯であり、約67%の森林率であるからして、広島市の災害現場のような山を切り拓いた地形に住宅が建つというのは、何も珍しい事ではない。従って土砂災害は何処でも起こり得る。
我家が在る渋谷区西原も元はといえば、徳川山といわれ徳川将軍の鷹狩場であったと聞く。家を建て替える時に建築会社が、ボーリングのようなもので地質調査をしたら「この辺りは山から川が流れていましたね」といわれた。
災害に「想定外」はない
地層がそのために軟弱で、このまま建てれば「水害や地震がきたら脆い(もろい)ですよ。地盤強化の補強はしなければいけませんね」といわれ、32~33本のポールを打ち込んで思わぬ費用が掛かった。
最近は仕事で横浜方面に行くことが多いので何気なく車窓から風景を眺めると、結構山を切り拓いた斜面に家が建っている。山は土の成り上り、大雨に曝されれば、大量の水に侵され地盤が緩むは必定なのです。
やはり危険が迫ったら情報を逸早くキャッチして「逃げるが勝」の戦法しかない。「想定外の事故」と官吏はいうけれど、自然の災害には想定外はないのです。結局我が身は、我が身で守るしかないようです。
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
「アッパーライフ」企業特別版創刊の御挨拶
時下、益々御健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、この度企業向けの「アッパーライフ特別版」(フリーマガジン)を発行することになりました。
とかく暗いイメージのある介護福祉ですが、何とか明るく分かり易く伝えられたらと考えて、雑誌のコンセプトはエンタテインメント風にしました。御笑納下されば幸いに存じます。
アッパーの文字通り新たな挑戦であります。介護福祉は避けて通れない社会問題です。
些かでも社会に貢献できるよう編集部一同励んで参りたいと思います。
皆様の御指導を宜しくお願い申し上げます。
平成26年8月吉日
株式会社アッパー代表
舟木昭太郎

--------------------------------------------
■介護福祉のフリーマガジンを発行
~エンタテインメント風な誌面~
■広島市の土砂災害を悼む
~災害に「想定外」はない~
--------------------------------------------
介護福祉のフリーマガジンを発行
「UPPER LIFE企業特別版」を8月29日に発行します。私にとって宿願の介護福祉をテーマにしたものです。故郷の福島県・鮫川(さめがわ)村で同級生(小中)の市川三喜男君が尽力してくれました。
格闘技誌&同映像制作に携わりかれこれ45年、私の未知なる挑戦でもあります。人生とは、これ戦いなり。「脱皮できない蛇は滅びる」(ニーチェ)。人間も、会社も進化、変貌し続けなければ生き残れない。
「企業版」とは、雑誌を丸々買い取ってもらうものです。小さな一歩です、大きな一歩になるよう皆様の御指導、御支援の程宜しくお願い申し上げます。
今なぜ介護福祉なのか。それを紐解く鍵は以下の通り。65才以上の高齢者3,000万人、認知症患者800万人、認知症の行方不明者1万人、特養(特別養護老人ホーム)の入居待ち52万人。大介護時代の到来なのです。
エンタテインメント風な誌面
兎角暗いイメージのある介護福祉問題ですが、エンタテインメント風な誌面にして、文字も大きくしました。あなたも、私も介護問題は他人事ではありません。そのための指針となる雑誌を「UPPER LIFE」は目指します。
認知症は予告なしにやってきます。平均寿命が男女共に80才を超えて、老齢化はますます進みます。高齢者いかに生きるべきか…老いの準備はあるやなきや、差し迫った問題ですよ。誌面の一部を紹介させて頂きます。
元気で、楽しく「PPKピンピンコロリ」が理想です。老いは差し詰め成熟したワイン、これを口に出来るのは我々の特権です。豊穣の味を共に味わいましょう。「老いは嘆くに足らず、嘆くべきは、これ老いて虚しく生きることなり」(呂新語=中国明末の人)
雑誌は無料なので、御希望の方は200円切手を同封して、下記宛にお送りください。
数に限りがありますので、先着順とさせていただきます。
宛先:〒151-0066渋谷区西原2-2-4 ㈱アッパー「アッパーライフ」係(一人1冊まで)

※画像をクリックして拡大してご覧ください。
広島市の土砂災害を悼む
広島市で起きた大規模な土砂災害は眼を覆うばかりだ。土石流の痕跡が、生々しい。死者50人、行方不明者33人(8月24日現在)余りにも傷ましい災害である。亡くなられた方々には、心からの哀悼の意を表します。
また甚大な被害を蒙り避難生活を余儀なくされている住民の方々に、お見舞い申し上げます。東京もいずれそんな悲惨な災害に見舞われるであろうと、私は腹を括っている。
考えてみれば我国は国土の約70%が山岳地帯であり、約67%の森林率であるからして、広島市の災害現場のような山を切り拓いた地形に住宅が建つというのは、何も珍しい事ではない。従って土砂災害は何処でも起こり得る。
我家が在る渋谷区西原も元はといえば、徳川山といわれ徳川将軍の鷹狩場であったと聞く。家を建て替える時に建築会社が、ボーリングのようなもので地質調査をしたら「この辺りは山から川が流れていましたね」といわれた。
災害に「想定外」はない
地層がそのために軟弱で、このまま建てれば「水害や地震がきたら脆い(もろい)ですよ。地盤強化の補強はしなければいけませんね」といわれ、32~33本のポールを打ち込んで思わぬ費用が掛かった。
最近は仕事で横浜方面に行くことが多いので何気なく車窓から風景を眺めると、結構山を切り拓いた斜面に家が建っている。山は土の成り上り、大雨に曝されれば、大量の水に侵され地盤が緩むは必定なのです。
やはり危険が迫ったら情報を逸早くキャッチして「逃げるが勝」の戦法しかない。「想定外の事故」と官吏はいうけれど、自然の災害には想定外はないのです。結局我が身は、我が身で守るしかないようです。
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
晩夏に寄せる/スマホ天国、平和日本
--------------------------------------------
■晩夏に寄せる
■スマホ天国、平和日本
~マナーをわきまえなさい~
~本は廉価な娯楽である~
--------------------------------------------
晩夏に寄せる
空はすっかり秋雲の姿だ。せわしなく鳴く蝉も、逝く夏を惜しみ、我が身の命燃える尽きるを悟るかのようで、物悲しい。ツクヅクボウシが、混声合唱に割って入り一段と騒がしくなった。さながら別れの「第九」絶唱である。
猛烈な暑さと、猛烈な洪水に悩まされた異常な夏。お盆が終り、秋桜(コスモス)風になびき、秋の装いも一段と深まる。蝉に変わって、鈴虫、コオロギがナイトコンサートに精を出す。夏から秋への際(きわ)は、哀愁を帯びる。
山口洋子作詞「誰もいない海」は夏の終わりに寄り添うが如きメロディで、何だか夏を惜しむ鎮魂歌のようである。私のよく口遊む好きな歌である。
肩を寄せ合い晩夏の浜辺を散歩する老夫婦の光景は、この歌が似合う。夕日に光る海に、寄せる波引く波、ザザ~っという音、一瞬、時の流れが止まる。老夫婦を夕日が包む。一日の終わり、夏の終わり…。
今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人はゆき過ぎても
わたしは忘れない
海に約束した
つらくても つらくても
死にはしないと。
夏から秋への秀歌を二首。
秋きぬと 目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどかれぬる
(藤原敏行朝臣)
夏と秋と 行きかふそらの
通路は かたへすずしく
風やふくらん
(詠み人知らず)
いずれも好きな秀歌で、夏から秋へ移りゆくさまを繊細な心で謳いあげている。古(いにしえ)人とは、なんと素晴らしい感性を持つのだろうかと、ただ感服するのみである。
スマホ天国、平和日本
電車に乗ってもスマホ、自転車に乗ってもスマホ、喫茶店に入ってもスマホ、歩きながらもスマホ、此の世はスマホだらけ。
先般東京メトロで夕刻帰宅したら、席一列8人のうち7人がスマホを覗いていた。一人の男性は眠りこけていたが、右手にはしっかりスマホを手にしていたから全員だが、割合は女性5名、男性3名。
そっと移動しつつ盗み見したら、凡そゲームに夢中な男女3名、メールを打つ者男女各1名、facebook、LINEをチェックするものが女子2名。まあ、平和で長閑な光景である。環状線でないから、豹柄プリントのシャツを着たオバチャンはいなかったが…。
マナーをわきまえなさい
そうかと言えば向かいの席列に座る水商売風体の20代の女性はipodで音楽を聴き、しきりにリズムをとってはスマホでメール。兎に角、指で魔術師と思えるスピードで操る。
顔はというと、付け睫毛は、熊手のような代物で、そこまで目立たなくても...と、いい加減げんなりする。しかも膝には食べかけのパンらしきものもある。可愛いのに残念だ~。
「1億総白痴化」と評したあの大宅壮一氏が生きていたら今日のスマホ現象をどうみるだろうか。何はともあれ、駅改札や通路、とりわけ階段の上がり降りの時ぐらいは止めてよ!
急いでいるときに重大な進路妨害である。使うはカラスの勝手でしょ、か。でも場所をわきまえるのが最低限のマナーでしょ。それにしても本を読まないねえ~。
本は廉価な娯楽である
偶(まれ)に電車で本を読む紳士淑女を見るにホッとするねえ。電子本なんか、求(ほと)んどお目に掛かれない。あれはそんなに広がるもんじゃないと思うが。いずれにしても、本を読みなさい、と叔父さんは力説するのだ。
今読んでいる「風の軍師 黒田官兵衛」(葉室麟著=講談社文庫)でも、官兵衛のまたの名、如水の号は、ポルトガル語の”ジョスエ”に由来するという。また、クリスチャンネームは、シメオン。恥ずかしながら私は初めて知った。
何でもジョスエとは、預言者モーゼの後継者ヨシュアのことだそうだ。読書は何気なく読んでいても、こういった知識を与えてくれる。もっとも廉価な娯楽であろう。
空に浮かぶ雲も秋めいてきた
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ
■晩夏に寄せる
■スマホ天国、平和日本
~マナーをわきまえなさい~
~本は廉価な娯楽である~
--------------------------------------------
晩夏に寄せる
空はすっかり秋雲の姿だ。せわしなく鳴く蝉も、逝く夏を惜しみ、我が身の命燃える尽きるを悟るかのようで、物悲しい。ツクヅクボウシが、混声合唱に割って入り一段と騒がしくなった。さながら別れの「第九」絶唱である。
猛烈な暑さと、猛烈な洪水に悩まされた異常な夏。お盆が終り、秋桜(コスモス)風になびき、秋の装いも一段と深まる。蝉に変わって、鈴虫、コオロギがナイトコンサートに精を出す。夏から秋への際(きわ)は、哀愁を帯びる。
山口洋子作詞「誰もいない海」は夏の終わりに寄り添うが如きメロディで、何だか夏を惜しむ鎮魂歌のようである。私のよく口遊む好きな歌である。
肩を寄せ合い晩夏の浜辺を散歩する老夫婦の光景は、この歌が似合う。夕日に光る海に、寄せる波引く波、ザザ~っという音、一瞬、時の流れが止まる。老夫婦を夕日が包む。一日の終わり、夏の終わり…。
今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人はゆき過ぎても
わたしは忘れない
海に約束した
つらくても つらくても
死にはしないと。
夏から秋への秀歌を二首。
秋きぬと 目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどかれぬる
(藤原敏行朝臣)
夏と秋と 行きかふそらの
通路は かたへすずしく
風やふくらん
(詠み人知らず)
いずれも好きな秀歌で、夏から秋へ移りゆくさまを繊細な心で謳いあげている。古(いにしえ)人とは、なんと素晴らしい感性を持つのだろうかと、ただ感服するのみである。
スマホ天国、平和日本
電車に乗ってもスマホ、自転車に乗ってもスマホ、喫茶店に入ってもスマホ、歩きながらもスマホ、此の世はスマホだらけ。
先般東京メトロで夕刻帰宅したら、席一列8人のうち7人がスマホを覗いていた。一人の男性は眠りこけていたが、右手にはしっかりスマホを手にしていたから全員だが、割合は女性5名、男性3名。
そっと移動しつつ盗み見したら、凡そゲームに夢中な男女3名、メールを打つ者男女各1名、facebook、LINEをチェックするものが女子2名。まあ、平和で長閑な光景である。環状線でないから、豹柄プリントのシャツを着たオバチャンはいなかったが…。
マナーをわきまえなさい
そうかと言えば向かいの席列に座る水商売風体の20代の女性はipodで音楽を聴き、しきりにリズムをとってはスマホでメール。兎に角、指で魔術師と思えるスピードで操る。
顔はというと、付け睫毛は、熊手のような代物で、そこまで目立たなくても...と、いい加減げんなりする。しかも膝には食べかけのパンらしきものもある。可愛いのに残念だ~。
「1億総白痴化」と評したあの大宅壮一氏が生きていたら今日のスマホ現象をどうみるだろうか。何はともあれ、駅改札や通路、とりわけ階段の上がり降りの時ぐらいは止めてよ!
急いでいるときに重大な進路妨害である。使うはカラスの勝手でしょ、か。でも場所をわきまえるのが最低限のマナーでしょ。それにしても本を読まないねえ~。
本は廉価な娯楽である
偶(まれ)に電車で本を読む紳士淑女を見るにホッとするねえ。電子本なんか、求(ほと)んどお目に掛かれない。あれはそんなに広がるもんじゃないと思うが。いずれにしても、本を読みなさい、と叔父さんは力説するのだ。
今読んでいる「風の軍師 黒田官兵衛」(葉室麟著=講談社文庫)でも、官兵衛のまたの名、如水の号は、ポルトガル語の”ジョスエ”に由来するという。また、クリスチャンネームは、シメオン。恥ずかしながら私は初めて知った。
何でもジョスエとは、預言者モーゼの後継者ヨシュアのことだそうだ。読書は何気なく読んでいても、こういった知識を与えてくれる。もっとも廉価な娯楽であろう。
空に浮かぶ雲も秋めいてきた
DVD『カンムリワシ具志堅用高』 第1部&第2部
DVD『日本ボクシング不滅の激闘史』いずれも絶賛発売中!!
Upper Official Siteへ