恥ずかしい記事:平尾 剛(神戸親和女子大教授)/グリーンルームでのハグ/PCS爆上げ | 見上げれば、青空 ~羽生結弦選手に夢を託して~

見上げれば、青空 ~羽生結弦選手に夢を託して~

励まされ、受けとめられて、初めて人は、生きていけるのかな?

コメント、嬉しいです。
励まされないと、何もできない性質なので・・・・。
って、いきなり弱気?

フィギュアスケートの羽生結弦選手を応援しています。

苦しい程に結弦くんが好きな方、ようこそ!

前記事:リスペクトよりも大切なもの~彼らは何故、ネイサンの勝利にガッツポーズをしたのか


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前記事への追記です。

平昌のグリーンルームでの結弦くん。
昌磨くんの得点が出て、
結弦くんの優勝が決まると、
結弦くんは静かに涙を堪えて小さく喜びをかみしめると、
去ろうとしたボーヤンをハグした。



・・・・もし、回転不足が見逃されなかったら、
ボーヤンにメダルが渡されたのにねと、
その時に思ったかどうかは、分からないのだけれど。


これはBSで流れた映像なのかな?
とんでもない質問をする記者と、
真摯に返す結弦くんの人間力の高さよ。




日テレの夜のニュースも、予想通りではありますが、
かなり酷かったことが伝わってきます。






さて。
既に結構、話題になってますが。

アンチと同じ論調の記事を、
神戸親和女子大教授の平尾 剛氏と言う方が
プレジデントオンラインに載せてるので、
記録に残して置かねばと、自分用に載せますね。

なお、既に正論でツッコミいれてくれてる方がいらっしゃるので、それも一緒に青字でコピペいたしました。



◆「このままなら羽生結弦はつぶされてしまう」選手のアイドル性を異常に高める金メダルという呪い
3/15(火) 12:16配信 コメント287件
プレジデントオンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/c3e56d1f80c433aed2cfa41a0074956e15c7a3d8

北京冬季五輪が閉幕した。五輪不要論を展開する神戸親和女子大学の平尾剛さんは「五輪の商業主義化は著しく、暗澹たる気持ちになった。メダルを逃した羽生結弦選手の会見はその象徴だ。このままなら羽生選手の未来は、世間が創り上げたイメージによってつぶされてしまうかもしれない」という――。


【写真】フィギュアスケートのエキシビションで演技する羽生結弦

■北京五輪で再確認したスポーツの魅力

 17日間にわたって熱戦が繰り広げられた北京五輪と、10日間にわたった北京パラリンピックが閉幕した。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて1年延期された昨年の東京五輪に続く2年連続での開催に、日本国内では熱狂や食傷など温冷さまざまな視線が注がれた。

 長らく続く自粛生活で気が滅入りがちで大会を待ちわびた人たちは、日本選手をはじめ全出場選手の掛け値なしに素晴らしいパフォーマンスに魅了されたことだろう。

 一方、私のように五輪のあり方に懐疑のまなざしを向ける人たちは、手放しで楽しめなかったに違いない。過熱する五輪報道にいささか辟易とし、それを遠ざけて閉幕を静かに待ち続けた人もなかにはいただろう。

 かくいう私は、仕事と子育ての合間にたまたまつけたテレビで競技やニュースを観る程度で、おもにインターネットで五輪関連の記事や動画を追いかけた。批判的に五輪をみるかたわらで、スポーツそのものには熱い視線を送った。

 採点への不服を怒りではなくポジティブなエネルギーに変換した平野歩夢選手(男子ハーフパイプ)の静かなる闘志、また高木美帆選手(女子スピードスケート)の短中長距離にまたがるオールマイティーなパフォーマンスには、元アスリートとして震えた。大会直前のけがの影響で、周囲の期待に応えられないことがわかりながらも平静を装った小平奈緒選手(同)の立ち居振る舞いには、アスリートとしてだけでなく人としての成熟をみた。スキージャンプを観て「人が飛んでる!」と驚いた、もうすぐ4歳になる娘のリアクションに、年齢を問わずに伝わるスポーツの魅力を再確認したりもした。

■スポーツが絵画なら五輪はド派手な額縁

 五輪はさておき、「スポーツ」はやはりおもしろい。

 仕組みとしての五輪は批判するがスポーツは楽しむ。これが私のスタイルである。

 スポーツが絵画だとすれば五輪は額縁だ。絵そのものの鑑賞は楽しむが、ド派手に装飾された額縁には異論を唱える。常識外れの過剰な装飾をほどこすためにどれだけの嘘と欺瞞があり、どれほどの犠牲を払ったのか。その代償を払うことになるのは誰なのか。

 絵を二の次にして、一部の人たちが金儲けのために飾りつけた額縁など不要である。金ピカに彩られた額縁が放つ禍々しい光が目眩しとなり、素直に絵を鑑賞できなくなっている現状は、決して看過できない。

 五輪の醜態に囚われてスポーツの醍醐味が薄れつつある。だから私は目を凝らして絵としてのスポーツに視線を注ぐ。五輪への批判とスポーツを楽しむ態度は決して相反しない。

■羽生結弦の“異例会見”に見るスポーツの人気商売化

 さて、今回取り上げるのは男子フィギュアスケートの羽生結弦選手である。

 惜しくも五輪三連覇を逃したあとの2月14日に、羽生選手は「異例」の記者会見を行った。メダリストではない選手が大会期間中に記者会見を開くのは前代未聞である。

フィギュアスケートだけを見ても、羽生より下の成績の海外選手で、会見場でインタビューを受けた選手がいます。そんなことも知らずに「前代未聞」と騒がれても・・・・とほほです。


世界中にファンがいる羽生選手の絶大なる人気を象徴し、解釈のしようによれば競技成績を度外視した人気先行ともとれるこの記者会見に、私はどうしても首を傾げざるを得なかった。

 周知の通り、男子フィギュアスケートでは鍵山優真選手が2位、宇野昌磨選手が3位という成績を収めた。にもかかわらずメダルを手にした両選手の報道は限定的で、各メディアは4位に終わった羽生選手を大々的に取り上げた。結果的に鍵山、宇野両選手の活躍は、繰り返し報道される羽生選手の影に隠れてしまった。


成績に関係なく、記憶に残る選手も、試合もあります。
以前の五輪も、今回もありました
その選手について、取材したい、記事にしたいと思うのは普通に有ることと思います
勿論メダリスト達の活躍も、以降の取り上げもテレビなんかでも拝見したりしましたよ


 競技成績を残した選手ではなく、負けても人気を博す選手の方を重んじる。この態度は勝敗の競い合いを原則とするスポーツでは御法度である。競争主義は、勝者がしかるべき利得を得る限りにおいて機能するわけで、賞賛するかしないかはあくまでも競技成績によらなければならない。


勝敗により報道量を決めるべきと言うなら過去に二度の金メダルとまた直前の五輪代表選考会で大差で優勝していてメダルを期待されていたからなので、ある意味競技の結果を重視した報道と言えるのではないでしょうか。そこまでの選手がどのように戦いどのように苦悩したかを知らしめることも正しいスポーツ報道のあり方と言えると思います。
報道の仕方について言うなら、メディアの側で好き勝手に報道しながら一方でこのような論調で取り上げすぎだと騒いでみせる(いわゆるマッチポンプ?)そちらはOKなんですかね。
どちらにしろこの方の認識にはいろいろと事実と異なるところもありますし後半心配されているようなことはとっくの昔から羽生選手は覚悟して競技に臨んでいると思います。
メディアが選手に与える影響を心配されるのなら偉そうに上から目線で語るのではなくメディアのほうに働きかけて改革するくらいの行動をして見せて欲しいですね。


「賞賛するかしないかはあくまでも競技成績によらなければならない」

そうでしょうか?
ただ、勝てばいいと思ってる人にはそうかも知れません。
そして、その考えがドーピング問題などを引き起こす一因にもなっているのではないでしょうか?


 勝者をそっちのけにして敗者に大きくスポットライトを当てる報道に、私はプロスポーツの「人気商売」への偏向を感じたのである。

 むろん人気商売そのものを否定するつもりはない。スポーツを生業とするプロである以上、人気という評価軸に添っても値踏みされるのは当然だからだ。選手としての人気が高まれば世間の注目が集まり、スポンサードを受けることもできる。この意味で人々の目を惹きつける人間的な魅力もまたプロ選手としての「実力」である。

 競技成績と人気は必ずしも比例しない。なかなか勝てないながらもその人柄や競技内容からどうしても応援したくなる選手もいる。だからスポーツはおもしろい。

 だが、あくまでもそれは誤差の範囲に留めておくべきである。競技成績を重視する、つまり勝者への礼讃という大前提を無視してはいけない。競技成績を等閑にした人気先行はやがてスポーツを歪め、とりわけアスリート自身に取り返しのつかないかたちで傷を負わせることになるからだ。


『ひねくれた考え』と前置きされて書かれておられますが、羽生選手の会見が特別だと認識されておられますね。

羽生選手の挑戦は、人間の限界への前人未踏の素晴らしいものであったからこそ人々の注目になったのです。羽生選手の生い立ちや環境、震災経験者、その後の彼の寄付の目録や総額など、羽生選手の全てをご存知の上での大学教授としてのお言葉でしょうか。


アイドルと仰いますが、五輪連覇してもなお更なる理想のスケートを目指してやってきた選手です。平昌五輪以降は、羽生選手が不利になるようなルール改正や不正ジャッジが年々酷くなるそれこそ「羽生潰し」でした。

ネイサン・チェンも叶わないレベルの技術でありながら正当な評価をされず、それでも黙々と技術を磨くアスリートとしての姿を多くのファンはずっと見てきた。

その精神性は演技にも人としての姿にも表れるものです。だからこそ世界中にさらにファンが増えたのだし、羽生選手を見たい人が断トツに多いのです。記者会見が殺到するのも当然です。ビジュアルはアイドルに劣らぬほどですが、アイドルとは全然違います。


羽生選手のアンチの言い分そっくりの記事で驚きました。筆者はどこかの意を受けて書いたのでしょうか。

羽生選手の記事が多かったのは注目度や感動を呼ぶ場面が多かったから。
それは成績とはまた別物です。
銀銅メダリストの記事が少ないとしたら、彼らに成績以外で記事にしたくなるようなエピソードがなかったという事です。



■ファンもメディアも得をする会見の問題点

 この記者会見の意味を、それぞれの立場から考えてみよう。

 まず、ファンにとっては羽生選手の声を直接聞けるまたとない機会であり、歓迎される。スポンサーを含む羽生選手サイドにしても、実直でクレバーなその人柄をアピールできる絶好の場だ。国際オリンピック委員会(IOC)をはじめとする主催者側にとっても、スター選手の露出は大会や競技への注目を高めることにつながるし、メディアは購買数や視聴回数に直結する優良コンテンツをみすみす逃しはしない。

 つまりこのたびの羽生選手の記者会見は、羽生選手の知名度が高まることから利を得る全方位からの後押しを受けて成立した。

 ほとんど誰もが利を得る行為なのだからいいじゃないかと思われるかもしれない。だが私はここに、アスリートのアイデンティティを揺るがしかねない重大な問題が横たわっていると思う。

 羽生選手本人がこの状況をどこまで自覚しているのか。それが問題である。

 羽生選手の絶大なる人気は、リンク上での抜群のパフォーマンスはもちろんのこと、その容姿や人柄によるところも大きい。

 おぼこさを残す甘い顔立ちと、顔が小さく手足が長いバランスの取れた体型は、まるでアイドルを彷彿とさせる。優勝のよろこびや惜敗への悔しさなど、喜怒哀楽や心の葛藤を包み隠さず素直に表現するあの態度は、トップアスリートに特徴的な近寄り難さとはほど遠い親しみやすさを醸し出している。「くまのプーさん」を愛でる様からみて取れる庶民感覚と、「少女漫画の主人公」のようだとも形容される卓越性とのギャップは、老若男女の目を惹きつけてやまない。

 試合後のインタビューでは、質問をはぐらかすことなく誰ひとり不快にさせないであろうほぼ完璧なコメントを残す。言い訳を口にせず、いまの自分がいるのは周囲からサポートを受けたお陰だと感謝の気持ちを忘れない。メディアやファンが期待する言葉を的確に紡ぐその言語能力もまた優れており、その言動を好意的に解釈し、分析する書き手も後を絶たない。

 世界屈指の実力がありながら、その容姿やリンク外での振る舞いまでも卓越している羽生選手は、まさに非の打ちどころがない。

 だが少々ひねくれた私には、この非の打ちどころのなさが気にかかる。

■画面上のアスリートは架空の選手像にすぎない

 画面に映るトップアスリートは、ファンをはじめとする大半の人にとっては想像上のイメージである。試合での様子やメディアから伝わる断片的な情報を組み合わせて、観る者それぞれが創り上げる架空の選手像にすぎない。

 幼いころからスケートに取り組み、長らく周囲の期待に応え続けてきた羽生選手は、このイメージを保つべく努力を続けてきた。求められる答えを察して理路整然と語るインタビューでの質疑応答は見事というほかなく、そうして好青年を演じ続けるなかで、この非の打ちどころのない「羽生結弦像」は創られていった。

 そして、ほとんど誰もが好意的に受け取るこの「羽生結弦像」に商品価値を見出した人たちが、それにあやかろうと躍起になっている。勝とうが負けようが、世間の耳目を集めるためにその一挙手一投足にスポットライトを浴びせたこのたびの記者会見は、この構図を鮮やかに表象した。

 揺るがぬ人気を確立した「羽生結弦像」は、すでにひとり歩きしているように私には思える。自らを取り巻くこの状況を羽生選手自身はどのように感じているのか。もしかすると得体の知れない不安を感じているのではないか。「羽生結弦像」を演じるなかで、本来の自分を見失いつつあるのではないか。

 いつも礼儀正しく謙虚な「羽生結弦像」を維持するために、羽生選手は「背伸び」をしている。そう思えてならない。

 羽生選手が健気に応えようとしている「周囲からの期待」は、ファンなど好意的な人たちからの直接的なそれだけではない。「羽生結弦像」から利を得る人たちの打算的な「無言の圧力」もまたのしかかっている。周囲からの期待に長きにわたって添い続ければ、たいていの人は茫然自失する。あの非の打ちどころのなさが、打算的な圧力を含むすべての人が納得する解を示し続けていることでもたらされているのだとすれば、それは自らを押し殺した「背伸び」でしかない。

■周囲からの過度な期待がアスリートを押しつぶす

 いずれこのフィーバーは終わる。現役を引退すれば潮が引くように落ち着いてゆく。世界中から注目を浴びる舞台から下りたそのとき、羽生選手自身はなにを思うのだろう。幼いころから背負ってきた重荷をようやく下ろせると、解放感を覚えるのか。それとも得体の知れない虚無感に襲われるのだろうか。

 羽生選手本人が自らを客観視できているのならそれでいい。私の単なる邪推であったと無視してくれればいい。だが、スポーツの過度な商業主義化がアスリートのアイデンティティを崩壊させかねない危険性は、もっと知られていい。

 アスリートもまた、ひとりの人間である。引退後には、現役時代よりもはるかに長い人生が待っている。人生の前半に絶頂期を迎えたことが生む心の葛藤は想像以上に苦しいものだ。若かりしころに浴びた脚光はもう二度と味わえない。この現実は、引退したあとにゆっくりと、でも確実に心を削ってゆく。選手時代の功績や知名度が高いほど、世間が創り上げたイメージと本来の自分との乖離は大きくなり、抱える苦悩は深くなる。


羽生選手はもうとっくにそういう重圧を自分で処理する術を分かっていると思います。五輪メダリストになった後、プレッシャーが凄まじかったと言う選手が多数いますが彼は連覇して尚競技の場にいます。想像に絶するプレッシャーを上手く自分のエネルギーに変えられるのですね。

メディアの前に出る時のピシッとした姿とプライベートでリラックスする時をきっちり分けてオフの姿は絶対に見せない、SNSはやらないといったことも大きいと思います。


 実績を残したアスリートの引退後の足跡を、どれだけの人が知っているだろう。

 スポーツの商業主義化、つまりアスリートの商品化は著しく進行している。金を生み出す存在としてアスリートが使い捨てられないよう、商品価値を高めるイメージ戦略に躍起になる人たちに節度が求められるとともに、ひとり歩きするイメージにアスリート自身が飲み込まれないためのサポート体制が急務だと、私は思う。


いつだったかは忘れてしまったけど、「スケーター羽生結弦」と「なんでもない羽生結弦」と自分の中では分かれていると本人が言っていたことがある。
この記事を読んでファンである私からすれば余計なお世話かな、みたいな。


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平尾 剛(ひらお・つよし)
神戸親和女子大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。


>競技成績を残した選手ではなく、負けても人気を博す選手の方を重んじる。この態度は勝敗の競い合いを原則とするスポーツでは御法度である。

この方ほんの数か月前には真逆の事言ってましたけど・・・。

『スポーツファンをしらけさせるマスコミの過激な勝利至上主義 勝敗にしかスポットを当てない』
>いまのメディアスポーツは、勝敗の行方を軸とした報道によってスポーツの本質を覆い隠し、「勝利至上主義」という価値観を無意識的に拡散しているように思える。ことさら勝者を礼賛するムードは、競争主義を助長する「勝利至上主義」を社会に波及させる恐れがある。
>スポーツでの本質は、勝利を目指すプロセスにおいて偶発的に出来する敵味方の区別を超えた「共感」やパフォーマンスそのものにある。これらを毀損しないために、メディアスポーツの特性を十分に理解した上でスポーツを楽しむ視点が、いま、求められている。


あはははは、要は、
羽生選手に難癖付けたかっただけ?
偉そうに、高説垂れ流して恥ずかしいお方ですねぼけー




ろくにテーマとなる人物について
調べもせずに失礼な文章を書くような、
酷い決めつけをするなんて、
教育者の風上にもおけない人間ですね。

そもそも、結弦くんはプロじゃないし。






この方は、
会見の動画をちゃんと見もしないで
羽生選手の人となりを調べもせずに
テキトーなことを書いて。

羽生選手を批判したいだけだったってことがバレバレになった恥ずかしい記事でした。


アンチから何がしかの施しを受けて書いたのかもしれませんし。

なんにしても、
「平尾 剛」というお方が、
結弦くんに対して、ただサゲたいだけの記事を書いた方だということは、
憶えておかねばなりません。











お口直しに。







読み始めたら涙止まらない…えーん




ていうか、ジスランが今、
真実を語り始めた意味を考えては、
闘志に燃えているビックリマーク


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