西ヨーロッパ史の俯瞰
フン族(匈奴の一部と思われる。「匈奴」の匈は「フン」と読む。バキにも登場)の征西→ゲルマン人の東ゴート王国を征服→西ゴート人はドナウ川を超えて移動、アドリアノーブルの戦いでローマを倒す※フン族の王・アッティラはカタラウヌムの戦いで負けて二年後に死亡。このときにアッティラと会っているのが最初のローマ教皇ともいわれる教皇レオ1世。自分の結婚式で死ぬという悲しい人。次は西ローマ帝国。東ローマはビザンツ帝国というかたちで1000年以上継続するが、西ローマはオドアケルにすぐ滅ぼされる。(476)…しなむ△オドアケルの金貨。ゲルマン人は移動して各地に王国を建てることになる。①西ゴート王国(現在のダキア…ドナウ川南部)最終的にはイベリア半島(現在のスペイン)に移住したものの、ウマイヤ朝に滅ぼされる②東ゴート都は北イタリアのラベンナ。またあとで出てくる。君主のテオドリック大王をおさえる。③ヴァンダル最長の移動というキーワードで出る。イベリア半島を経て北アフリカまで進出南スペインを「アンダルシア」というのは「ヴァンダル」が語源ヴァンダル・東ゴートの共通点はビザンツ皇帝ユスティニアヌスに滅ぼされるということ。特に東ゴート王国は555年という非常に覚えやすい年号。④ブルグンド王国現在のフランス中部。ワインの産地ブルゴーニュはこれが語源。6世紀にフランク王国に滅ぼされる。⑤ランゴバルド王国ビザンツを破って北イタリアに侵入。ロンバルディアの語源。移動開始が最も遅い。⑥アングロ・サクソン人ブリタニア(イギリス南部)へ移動国を七つつくる(七王国=ヘプターキー)→829年にエグバートが統一⑦フランク人ライン川東岸に王国を建国。これがのちのフランスとなる。【修道院運動】モンテ=カシノ修道院…ベネディクトゥスが設立「祈れ、働け」Ora,et Labora(ベネディクト戒律)【9世紀ノルマン人の活動】ノルマン人≒ヴァイキング①ロシアへ向かったノルマン人ルーシたちが首長リューリクに率いられてノヴゴロド王国を建国→ロシア人やウクライナ人を支配(ルーシ→ロシア)→さらに南下してキエフ公国を建てた一派もあったキエフ公国最盛期…ウラディミル1世(ギリシャ正教を国教化)ビザンツ皇帝の娘・アンナと結婚し、ビザンツの権力を持つ②イングランドに向かったノルマン人9世紀末にアルフレッドがノルマン人から守る→しかし、ノルマン人の一派クヌートによってデーン朝が完成(1016)→ノルマンディー公国がデーン朝を倒しに向かう→1066年、ノルマン・コンクエスト達成(ノルマンディー大公ウィリアム=ギヨーム。ヘイスティングズの戦い)③地中海へ向かったノルマン人シチリア島に侵攻、ルッジェーロ二世が両シチリア王国を完成。首都はパレルモ。