日本にも封建制度がありますね。

中学生や小学生に教えるときは、土地を仲立ちにした主従関係、と教えます。

がんばったらがんばっただけ土地がもらえる。

もともと日本の武士は農民が国司に対抗するために武装したのが始まりですので、

土地がすごく大事なのです。「一所懸命」⇒一生懸命ですね。

 

これがヨーロッパではどうか。

ヨーロッパの封建制度は、すでに日本よりも200年あまりも早く実施されていました。

上の者を「主君」、下の者を「家臣」といいます。

鎌倉時代の日本で言えば「将軍」「御家人」ですね。

家臣に対して主君は「土地」を与えます。これを「封土」といいます。

そして、これが日本と違うところなのですが、主君は家臣に対して守る「義務」があります。

 

日本の鎌倉時代ではそうではありません。

御家人ががんばったら領土をくれます。「いざ鎌倉」です。

昔話で北条時頼と佐野常世の「松の木」の話を読んだこともある人もいるでしょう。

御恩と奉公です。逆に言えば、「なまけていたら土地はもらえない」のです。

 

しかし中世ヨーロッパの封建制度は違います。

主君には家臣を守る義務があり、主君に対して忠誠を尽くす「義務」があります。

このような関係を「双務的契約関係」といいます。

日本の鎌倉時代は「片務的契約関係」です。

 

国王は諸侯に対し「双務的契約関係」があり、諸侯は騎士に対し「双務的契約関係」があります。騎士は「王の領土」につかえたり、「教皇の領土」につかえたり、「修道院の領土」につかえたえりします。この仕える土地のことを「荘園」というのです。

 

なお、騎士は複数の主君に仕えることも可能でした。織田家の秀吉が今川家や上杉家の家来になるなど考えられませんが、ドライな関係であったヨーロッパでは封土をもらえれば、基本的にどの領主につかえてもOKだったのです。

 

中国との関係もおさえましょう。

中国にも封建制度があります。中国は血縁関係ですね。血縁関係を結んで、土地を融通するわけです。ただ、政略結婚にも限界がありますから、「仮の兄弟関係」、三国志の劉備、関羽、張飛みたいな関係を結ぶわけです。

 

ヨーロッパに話を戻します。

8~9世紀ごろ、この封建制度はさかんになります。

ローマ時代の恩貸地制度と、ゲルマンの従士制が結びついて封建制の基盤をつくります。

なぜ8~9世紀だったのか?それはゲルマン人やマジャール人などの侵入が相次いだからです。皇帝たちだけでは守れなくなったのですね。

王は一個一個の土地を管理するわけにはいかないので、土地を課して、税だけを取り立てるようになります。これは日本と同じです。

租庸調を中学生(場合によっては小学生のころ)にもやりましたが、いわゆる庸が「賦役」と呼ばれ、「租」が「貢納」です。また、死亡税や結婚税(この二つが圧倒的に出る)、収穫の十分の一を教会におさめる「十分の一税」などがありました。このような荘園を古典荘園といいます。

 

すばばばばっと書きましたが、まあこんな感じです。

私の復習のためにも。