第4弾★ 間違う権利
無かったなー。うんうん(゚д゚)(。_。)間違う権利。無かったですよね間違うって言っても、いろいろあると思うのですが…そもそも人間は間違えるし、ましてや子どもの頃です。それなのに、間違う権利がないってどゆことーと今でも思います。間違う=バカじゃねーの⁉とても汚い言葉で申し訳ありませんが…我が家では子どもが間違う=「バカか?!う〇こ!〇んだ方がましだ…」等々、数々の怒号が飛びましたいやこの親…客観的に見ると本当に終わってるなんででしょう?ある日は宿題の問題をえらく飛躍させて問題を出され、それに答えられないと言われる。または「あれとってこい」と命令されたときに、親の要望していたものと違うものを持って行くと言われる。…書いているだけで腹が立ってきますが、本当に子どものことを大人の発散の相手か召使いくらいにしか思っていなかったんでしょうかね。じゃあどうして欲しかったの?親は、完璧な子どもを望んでいたのでしょうか?えらく抽象的な、大人でも難しいような問題を出された子どもの困る顔を見て、自分の優越性を感じていたかったのでしょうか?間違えた子どもを罵ることで何を得ていたの?子どもは、言うとおりに使える子分のような存在だと思っていたの?言った通りのものを運んできて、言うとおりのことをしていたらOK?愛せないなら、生まないで欲しかったですねまったく。間違う権利がないと間違っているんじゃないかといつもいつも怯えるようになりました。怒鳴られる恐怖に備えるように特化した脳が「内なる批判者」となって、いつもいつも「間違えたら大変だよ」「危険が来るよ」と警報装置を鳴らしっぱなしにしてしまうからです。だから、特に私の場合は対人関係でこの警報が誤作動しまくります特に目上の人・私を評価しうる立場の人・こちらが良い関係を続けていきたいと思っている人に対して、過敏に反応するようです。これは親という絶対的上の存在に近い人、自分の存在を脅かす可能性のある人という意味で似たようなポジションの人に過剰に反応しているのかなと思っています。それから、間違ってはいけないと準備や予習に時間を過剰にかけたり、何度も確認するようになったようにも思います。もともともの…というか(ものごころついた時からこんな風に育ったので元の性格も何もないのですが)、性格上準備に時間をかけたいタイプであったり不安が強いという事も多少あるかもしれませんが、仕事のときや何か任されている時などは特に、不安が強く何度も何度も確認しないと心がざわざわしてしまい落ち着きません。失敗してはいけない!と強く体や脳がサインを出しているのだと感じます(私の場合、このざわざわは何かしら幼少期のトラウマにかかわりがあるサインです)自分に許可を 今までは、こんな性格に自分自身で疲れてしまう、振り回されてしまうことが多かったのですが、これが内なる批判者の発する警報なのだとわかった今、「もう大丈夫だよ。間違っても今は安全なんだよ」と自分に許可を出してあげる必要がありますね内なる批判者と言ってしまうと、なんだか敵キャラみたいになってしまいますが…元は私を危険から守るべくして生まれた生存本能です(感謝こそされど・・・と思っているだろうな)もう危険じゃないんだ、安全なんだ。そうわかってもらえるまで、内なる批判者からの警報は感謝して手放す努力をしていこうと思いますありがとうさようなら