今日も生きています
今日はちょっとどんよりした曇り空です。
こんな日は、気持ちも沈んでしまう私ですが今日もしっかり生きています![]()
虐待を受けた人が幸せになるには
今日はある論文を読んでみました。
虐待経験のある、現在「幸福である」と感じている女性に対して行われた研究についての論文でした。
(対象者の方に現在PTSDの症状があるかどうかの記述はありませんでした)
同じ境遇で育った女性が、現在幸せと思えるまでの心の変化にとても興味が沸きましたので、自分なりに解釈し考察してみました。
現在幸せであると答えている方は、虐待環境との物理的・心理的距離をとった後、外界とのかかわりの中で親から得られなかったものを自己充足して癒されてゆく。そして社会に貢献することによって自己効力感を取り戻していました。
その結果、「幸福である状態」に近づくことができる、という流れのようです。
どこが間違っていたのだろう…?
- 虐待サバイバーである
- 女性である
- 現在成人している
でも現在PTSDの侵入症状が激しく、本来の自分の人生を生きている気がしません![]()
もちろん、有難いことに家族は優しくしてくれるしこうして生きているのだから十分有難い環境にいます。
ただ…PTSDの症状によって 一人になった時やふとした時に「私がダメな人間だからいけないんだ」と考えてしまったり、フラッシュバックに襲われると大切な人といる時間でさえも怒りと恐怖に支配されてしまいます。
このような考えはいつでも私の心に侵入してきて困っています。
考察してみて、問題と思う点はいくつか浮かびました。
特に、親への認識と自己認識に躓きが生じている気がしました。
いわゆる拗らせている
というやつですね。(なんか…恥ずかしい)
「自分が周りに何をしてあげられるか」
いつか、師匠に言われたことを思い出しました。
「あなたは、全部自分にベクトルが向いている。
大切なのは自分が周りのために何をしていけるか考えることだよ。」
当時は、なんだか意味がよく分からないけどただ傷つきました(正直。ごめんなさい)
でも、今回この考察をしてみてわかったような。。。
つまり…どれだけ頑張って貢献しようとしていたとしても、それは小さいころ満たされなかった承認欲求を会社で満たそうとしていたし、家族に認められなかった分、会社で認められたいという気持ちが強かった。それが師匠にはお見通しだったのだなと思いました。(いや本当に消えたいほど恥ずかしい
)
親から得られなかった分を自己充足するのではなく、仕事を頑張ることで誰かに認めてもらおう、満たしてもらおうとしていたのですね。
自己充足できず、他者に満たしてもらおうとしている。
ここが大間違いだったんだ![]()
そもそも人を信頼できない、他者との適切な距離感もわからず、いつも戦場にいるような心境で三十何年生きてきてしまったので、ずー---っと間違った方向で必死にもがいていたんですね(こういうのに気付いた瞬間、もうやだ…ってよぎるんです
)
存在価値なんて全く感じていなかった私が現夫に救われ、実家を出てすぐに結婚、自己充足する期間もなく数年後には出産し自分が親になる。
なんとも無責任なことをしてきたと思いますが、そうやって自分の存在価値を繋ぎとめていたのかもしれません…
これから何ができるか
もちろん第一は自分の子どもを育てること。
並行して拗らせた部分をほどいて自己充足。どうやってやるんだろう。
被虐待児のプレイセラピーで、ぬいぐるみ等自分以外の誰かのケアをしたりケアされる様子を見るとその子自身の虐待の傷も癒されていくというのを見たことがあるので、子育てを一生懸命したらいいのかな?自分がしてほしかった事を精一杯してあげたらいいのかな…?これはまだまだ調べたり考えないとわかりません![]()
それが済んだら、兄弟にも何か手助けできないかな。
そして私自身、経験を糧にして活動していくことができればいいのにな。
ああぁもう、わかりません![]()
なんか根本的に違うような気もするし…
まだまだ、先は長いです![]()
いつかどうにか、最終段階へ到達したいものです。