医療保護入院

当時中学生だったのですが、だんだんと拒食の症状がひどくなっていきました。

体重は落ち、見た目にも普通じゃないことが伝わるようになっていましたが自分では病識が全くなく、むしろ元気で何でもできる!という「飢餓による過活動モード」全開になっていました泣き笑い

食事なんて何も摂れていないし、動けるはずもないのに…ただその過活動モードも永遠には続きませんでした。

ある日の体育の授業で、短距離走をすることになったのですが、筋力が無さ過ぎて第一歩の踏み込みでよろめき、走ることができなくなっていることに気づきました笑い泣き

そこである種の諦めモードに切り替わったようで、少しづつ具合の悪さを感じるようになりました。

心臓の鼓動は遅くて弱い。呼吸をするのも一苦労。通学もやっとな状態だし、気づけば授業の内容も頭に入ってこない、というか先生が何を言ってるか理解できない。。。特に死ぬかもという恐怖等はなかったのですが、ただただ具合の悪さと体力ななさで毎日ヘロヘロで過ごしていました。

当時、兄弟は何も言わずに見守ってくれていました。母も特に責めることはなく、無理に食べさせようとせずいてくれました。父はというと、「みっともないからもっと食え!なんだその体は、俺が食わせてないみたいじゃないか!」とよく怒っていました。

 

その後は、ある日突然、母に連れられて遠くの病院に受診することになりました。

とても古い病院のようで、第一印象はとても暗く怖かったのを今でも覚えています不安

長い待ち時間の後診察室に呼ばれ、ドクターとお話をしました。(何を話したかは覚えていません)

心理検査のようなことはしなかったと思います。そして診察の後母とドクターだけでの話の後、もう一度呼ばれ「身体がもう限界のようだから、入院しましょう」と宣告されました。私はパニックになって「嫌です」と何度も繰り返しましたが、「国の指定をもらっている先生だからね、お母さんと先生の二人が同意した場合、医療保護入院と言って強制的に入院させることができます。悲しいけど、命の危険があるから入院しようね。」と入院が決まりました。

その日その場所から即病棟に移りました。

 

4人部屋!看護師さんとの出会い

4人部屋の一つのベッドに案内されました。

突然のことにまだ状況を呑み込めていない私は、看護師さんに案内されるがままベッドに腰かけて固まっていました。

看護師さんは、私の肩に両手を置いて「肩ががちがちに固まっているよ、ここはもう安全でみんなが仲間だから、そんなに緊張しなくていいんだよ」と言ってくれました。自覚はなかったのですが、私の肩はぎゅっと力が入り、筋肉が固く縮み竦んでいました。看護師さんの言葉で、自分がいかにここまで緊張状態であったか思い知りました。

今でもその看護師さんの声や話し方を覚えていて、人生の中での大切な出逢いだったことは間違いありません泣き笑い

 

 

もう一度抵抗してみた!でもやっぱり…

入院1日目と2日目辺りまでは、様子見という感じでみんなと同じように自由に行動できホール(病棟のみんなの集まる場所)への行き来も自由でした。児童精神科ということもあって、同年代の女の子たちがグループを作り行動している様子などが見られそのうち話しかけられるようになりました。過剰に適応しようとしてしまう癖があった私は、女の子のグループ行動に無理について行き、その中のいざこざや男子とのけんか?のようなものにも巻き込まれていきました不安

ですが元々の性格からしてもあまり大勢で群れるのが得意ではなく、一人で静かにしていることに慣れていたのですぐにガタが来てしまい、不安と焦燥感が高まり、頓服(臨時で飲む薬)で抗不安薬を飲むように指示され、入院ご1週間でホールへ行くのは2時間までと制限がつきました。

食事に関しては、入院という環境の変化で少し食べられるようになったのですがやはり体重が落ちていき、昼間の活動を制限しても減り続けていたようでした。

ある日の体重測定で、医師の決めていたある一定ラインを越えてしまったらしく…

 

医師「今日から経管栄養しましょうひらめき電球

私「えっ」

医師「経管栄養。鼻チューブだね」

私「えっ」

医師「命の危険があるので、死なないくらいまで体重を増やさないといけません。個室にお引越ししますにっこり

抵抗むなしく、個室へ移動→鼻にチューブ挿入→ベッドに拘束となりました。

鼻のチューブは胃まで繋がっていて、外に出ている部分はメガネのように耳の後ろにかけていました。

ベッドに拘束されているので、何もできません。真っ白な壁と天井を見ながら何時間も過ごし、時間になると点滴のようなボトルに栄養剤(エンシュアバニラ味)をたっぷり入れて看護師さんが来ます。そして鼻チューブと接続→滴下開始。口を通らないので味はわからないのですが、何とも言えない甘ーい香りが鼻から抜けます。人肌に暖められた栄養剤が、胃に広がる感覚もわかりました。なにせじっとしてただ流し込まれるだけなので、感覚がそこに集中していたんだと思います。

注入が終わると、体を右が下になるように傾けて横になるよう指示されました。

1日3回、みんなの食事時間とだいたい同じ時間に、注入される日々を過ごしました。

 

ある日、暇すぎたこともあり「本を読みたいです」と相談したところ許可が出たので、母に持ってきてもらいました。

ところが、読んでも読んでも、内容が理解できませんでした。文字の理解はできました。でも文章の読解が全くできなくなっていました。読んでいるはずなのに、文字の上を視線が滑っているような…内容が全く入ってこず、一行読み終えると前の行のことを忘れておりまた読み返す。もうパニックでした笑い泣き

医師はそうなることを予想していたようで、「やっぱりそうかー。今鼻から入れている栄養はね、命を維持するための細胞から優先してめぐっているから、まだ本を読んだり勉強をするための余分なエネルギーはないんだよ。下手したら脳みそが委縮しちゃっているかもしれないから、どのくらい読めるようになるかはわからないんだ。」と言っていました。

私は愕然としました。そんなに自分の体が危機だったなんて…わからなかった…

それからは、ベッドに拘束は余計なエネルギー消費を抑えるためだな。本を読んでも焦るだけだし、寝ていよう。と堪忍して、おとなしく治療を受けましたふとん1ふとん2ふとん3

 

 

 

 

すごく長くなりました…‼

 

でもまだこれが入院2週間までの出来事ですびっくり

過去の回想をして、心理士さんとの面談でもきちんと話せるように記憶に向き合うために書いています。

もっと昔の虐待経験を思い出して整理したいのだけれど、書き始めたらドキドキしてきてしまったので…

児童精神科での入院経験を思い出しながら、その時感じたことや経験したことの学び直しから始めようと思います。