というか難しい絶望

休むのって、どうやったらいいのだろう?どんな気持ちの状態?

休むぞと決めたときの気持ちって、どんな心構えなんだろう?(いやまず休むぞって決めるの?魂が抜ける

これは「わたし働き者なんですびっくりマーク」みたいな変な意味じゃありません。

本当に純粋に休み方がわからないというか、下手なんです。

 

例えば熱を出した時、家族に「寝てなあせる」と言われてるのに15分位したら皆の様子が気になってリビングへ行く予防フラ~(←迷惑)

夫のいう事を聞かないで家事をしてしまい、怒られる。

 

大きな仕事の前に頑張りすぎて、抜け殻みたいになっていてもすべて100%やろうとする。

大きな仕事が終わりました、じゃあ休みましょうふとん1ふとん2ふとん3 ができずに、次から次へとやることを探してしまう。

 

休んでいても罪悪感がある。だから何かしなきゃ、って。

 

 

 

どうしてこうなった?

 

 

 

 


わたしの脳内

あぁ、しんどい。休まなきゃ
こんなに休んで、なんてヤツだ
休めって怒られる、休まなきゃ
あぁ、でも今日何もしてない
本だけでも読まなきゃ
寝ててもできること何かしなきゃ
以下いろんなパターンで繰り返しよだれ

 

こんな思考になっています。

 

 

 

〇〇しなきゃ!思考

これが休めない原因ですね泣き笑い

 

〇〇しなきゃ!

つまり

何かしていないといけない自分は何もしていないと価値がないから

ってこと!

 

おお、なるほど笑い泣き

 

 

 

 

腑に落ちたゾ(え…今?真顔)

 

 

今までもなんで休めないんだろうって何度も考えてきましたが、こうして文章にしてみるとなんだか納得です。

こんな信念があったんだなぁ。。。

これぞこのブログの目的であります。ビシッニヤニヤ

理解しきったところで、トラウマの治療ができたらニコニコナイスタイミングですよね。

 

 

 

怖いですね

けなされて育つと、無視されて育つと、怒られまくって育つと、「自分はだめなんだ真顔という信念を持ちます。

これは表には出ず、静かな確信のようなもので自覚もなかったです。

強い信念として根本にあり続け、その後のすべてを狂わせるベースとなるものです

(「休んでちゃだめ」とかも、これですねきっと。やることができたり、頼まれごとがあると疲れていても嬉しくなるのも、たぶんそう。やったー!存在価値感じられる!とばかりに。

そして何でも完璧にやろうとしすぎて疲れる。)

 

 

気まぐれに可愛がられたり、気まぐれに怒られて育つと、どんな自分でいても「きっと何か悪いことが起きる」という恐怖がこびりついて消えません。

何気なく言った一言が親をキレさせ、怖くて痛い思いをするからです。

(だから、常に相手が喜ぶ言葉、相手の機嫌を損ねない言葉を無意識に選ぶようになります。自分が何を言いたいかじゃない相手主体の関係になります。顔色も常に伺います。緊張する関係の相手と話すときは冷や汗が止まらなくて、後から変なこと言ってなかったか何度も思い出して確認しなければいけません。これは無意識に働くシステムとして獲得したようです。)

 

 

当時の心境としては、毎日風の中でもみくちゃにされて、吹き飛ばされている落ち葉みたいな感じです。どこに落ちてどうなるかは風まかせ、というか風しだい。

(今日は親の機嫌が悪いから、怒られる日。下手すると殴られる日。今日は親の機嫌がいいから、ふいに大げさに褒められてもびっくりしないで。そして、決して浮かれないで、親の機嫌が悪くなったらまた怒られるよ。とか)

 

まるで自分なんてないように上手に風に乗って、ただただ傷つかないように、怪我をしないように。

 

 

 

 

よく頑張った。

親も辛かったんだろうか。

 

 

 

 

 

言葉にするって、大事ですね。

本当は、子どもらしく振舞いたかったと思います。

第一に親の顔を伺って、それから振舞い方を考えるなんておかしい。

大切にされたかったはずです。

 

虐待は本当に怖いです。

 

 

 

 

 

少子化のはずなのに、虐待の報告件数は増え続けているといいます。

報告されない、隠れて苦しむ親子はどれくらいいるんだろう。

 

 

親も、子も、幸せであってほしいです。