長い長い遠回り
今日はとっても涼しくて、夏も終わりかなという気持ちになりますね。
こんな夏の終わりを、何回体験してきたっけ?ものごころついた時には、父は酒乱、DVを見ることから始まり、だんだん自分もその対象になって…本当にいろいろあったなあ。ありがたいことに今生きているけれど、この季節はなぜかふと冷静になって、ポツンと佇んで
ここまでずっと両親の存在に翻弄されてきたなあと感じます。
本当にこれまで紆余曲折×100くらいぐねぐねぐるぐるあっちこっちに遠回りして、やっと自分の問題の根本にたどり着いた実感があります。
こんなに長いこと本質にたどり着けなかったのには、幼少期の体験と今の自分の問題点は別物だと思っていたことに原因がありました。
- 摂食障害
- 人が苦手なこと
- いつもドキドキしていること
- いつも頭の中で一人大反省会
を繰り広げていること - たまにどっか行っちゃう感覚になること←中身だけどっか飛んでいく( ˙👄˙ )笑
- 自分が悪いことしたんじゃないかといつも不安なこと
- 自分は価値がないと確信していること
- 自分を外側から観察している視点が常にあること etc...
これらすべて、はじめは自覚なく生きていましたが、そのうち人と違う自分に気づき、図書館でそれぞれに関する本を読み漁ったり、対処法を本気で考えて実践したりしてきました。でもどれもうまくいかない。もう自分はこういう人なんだ。人格に問題があるんだ。しょうがないんだ
と諦めたのが30代入ってからだと思います。摂食障害も、個性と思って付き合っていけばいいし、人間関係うまくできなくても自分の家族を大切にするという目標だけまずは目指せばいいし。魂抜けちゃうのも疲れてる時だけだから…
(←いたって真面目に言っていますw)諦めてからは、変に力が入っていない分、楽になったのも本当です。
適応障害からの…限界、そして核心へ
そんな自分ですが、社会に紛れ込ませていただき、就労し生きるお金を稼がないといけません。尊敬する方との出会いから、有り難いことに雇用してもらい、そこで一生懸命働きました。こんな自分ながらに、それはそれは必死に、貢献したい一心で働きました。(自己価値が極端に低いので、良くも悪くもこうなっていました)
仕事なので、それは毎日いろんな人とのふれあいや摩擦は当然にありました。その中で自分は本来の自分以上に社交的に振舞い、日々を過ごしていました。無理して無理して、できていると思い込もうとして、エナジードリンク飲んで、麻痺して、綱渡りのようなスレスレの毎日をいつも生きていました![]()
ある時、体が限界になりました。勤務中に立てないくらいの動悸とめまいと吐き気に襲われ、病院に運ばれました。原因不明でしたが、後に適応障害と診断されました。
そして長い休職期間の中で自分と向き合い、たくさんの本を読み内省する時間をいただきました。
適応障害の症状は、職場でのことを考えるだけで起きていましたが、しばらくすると落ち着きました。
そちらが落ち着くと、今度は抑うつの時期に突入…そしてまたしても限界を迎え、Geminiに思いのたけをすべて相談したところ、PTSDかも?と助言され、精神科の主治医に相談し検査の結果、解離型のPTSDであることが判明しました![]()
要するに、私の根っこはPTSDでできており、その状態で生きていた。ぜーーーーんぶ、PTSDの症状からくるもの、二次障害だったのです。
- 頻繁なフラッシュバック
- 過覚醒
- 回避行動
- 緊張やストレスで起こる解離症状
その状態で無理しているから、適応障害になったんだという事。
いつも危険に曝され、自分でコントロールできないフラッシュバックと隣り合わせ。そんな心を守ろうとして、自分でコントロールできる体重や食事に執着した事。今や摂食障害の症状によってフラッシュバックの恐怖から逃れ、支えにしているまであるらしい事。
もはや私は、PTSDでできている人間でした![]()
もおおおおお!早く言ってよおおおお…![]()
めちゃくちゃ遠回りしちゃったじゃああああん。。。
まあ。。。人生終わったわけではないんですけれども。
とっても長い、私の第一の人生にやっと区切りをつけられそうな予感に、胸が高鳴りましたね。
想えばここまで、何度も死にかけてきました。
拒食でいつ心臓止まるかわからない日々や、鼻チューブで生きてるのか死んでるのかわからない日々も過ごしました。
低血糖で意識不明になったこともあるし、大量の睡眠薬を飲んで死のうとしたことも何度もありました。
でも毎回、蘇生していただいてました。(当時は感謝どころか、また死ねなかったな。死ぬことすらできない人間なんだ私は
と思ってましたけどね)
っっってことはよ![]()
”全ての事に意味はある”ってーならよ![]()
「おめぇも生きてやることあるべな
」←(天の声)
って言われてるのかも。と思うのです。
自分にできることをしようと思うのです。
まぁまだ探し中なんですけれども。
尊敬する師のように、大きなことはできそうもないのですが。
幼少期の養育者との愛着がいかに大切か。
何年先までもどんなに影響を与えうるのか。
それを少しの人でもいいから伝えられる人になりたい。
そして、今虐待に苦しめられている子どもはもちろん、虐待してしまうに及んだ親、そして私のような虐待経験者の方々が、生まれてきたことを受け入れて、少しでも楽に、できれば前向きに、生きていける手助けができないかなと願います。
まぁまだ自分自身も治療中なんですけれども。
目標があったら、頑張れたりして。
ここまで、淡い期待を抱いては打ち砕かれ、また這い上がっては淡い期待を…の繰り返しでしたので、期待はなるべく小さく。良いことがあっても、なるべく喜ばないように。なんせ上がった所から落ちたら、落差によるダメージが大きいので![]()
こんな考えもまた、虐待、PTSDによる影響なのです。
私からPTSDをとったら、何になるんだろう??![]()
生き直すには、遅すぎやしないか?
途中でぽっきり折れちゃうんじゃないか?
「もう十分頑張ったと胸はって言えまーす
」とか言って、ぽっくり死んでしまいそうだわ
なんて、たまにちらりと浮かんだりもします。
でもまぁ、カウンセリング受けてみます。
やれるところまで、やってみよう。
精神科医の益田先生が仰っていた、「仕方がない生まれてきて良かった」を唱えながら、今日も一歩一歩、生きていきます![]()