中と外



 

 

 

 今日は、🎥”関心領域”を見ました。

以前、「夜と霧」を読んでから、アウシュビッツ強制収容所についてもたくさん調べたりしました。

アウシュビッツの中で行われていた地獄のような日々で感じたであろう、収容者の計り知れない思いが少しでも浄化されいってほしいと願いました。収容されてすぐガス室で殺されてしまったたくさんの人々の思いや、強制労働者として生存できたとしても家族はすでにガス室で殺されてしまってるんだと知ったら、人として扱われず、暴力によって支配され死ぬまで命令に従わされたら…

 とてもそのつらさは感じきれませんし、浄化されることなんてあるのかと、深く考えるきっかけとなった本です。

 

 映画の中で描かれていたのは、そのアウシュビッツ強制収容所の壁を越えてすぐ隣にある豪邸に住む、”ルドルフ・ヘス”という所長の生活でした。

 壁の中で行っていた地獄の所業、帰宅し壁の外では、庭を手入れし、子どもの為に環境を整え、教育をし、大勢のお手伝いさんに豊かな食卓。プールで遊んだり何不自由ない生活をしている。

 

 そうだよ、それがすべての人間が望む幸せだよ。我が子には幸せで豊かな暮らしを提供したい、それが愛だもん。

 収容した人間にも、その尊厳があるのに。すべての権利を奪ってしまうなんて…不安

 同じ人間なのに。。

 何事もないかのような振る舞いでそこにいる家族たちだけが、尊重されて正しいかのように振舞っている。

 人が焼かれ、虐げられ、機嫌次第で簡単に殺されてるのに?

 もし自分の愛する家族がそんな目にあったら?

 そんなことは考えないのだろうか?

 

壁一枚を隔てた両側を感じきる学び

 

 

想像するだけで恐怖でした。

でもどこか少しずつ様子がおかしい家族たち、ヘス自身も体が拒否反応を示したり、遊び方がおかしい子どもたち。きっと気づかないうちに浸食されて、心を失っていったんだろう。

(奥さんに関しては、生まれながら極度の利己的主義で、そこだけを見ている。こういう人間もいる。現実にも…)

大半の人間は生まれながらの悪魔ではなく、元は同じ人間であり、あるのはたった一枚の壁のようである、ということにも考えさせられました。

 

 

 きっと誰でも、加害側に回る可能性を持っていて、気づかないうちにその変化は起こるんだろう。

国規模の大きなものから、隣のあの人と誰かのような小さなものまで、この関係性が無数に存在していて、負のエネルギーを生み続けているのが人間なんだと思いました。

そして一番怖いのが、これを他人事のように感じている自分。

こうして突きつけられる以外の、世の中で既に起こっている事象に、十分な関心を払えていなかった自分に気づいてしまったことです。

じゃあ気づいたらどう行動する?心の在り方は何が正しい?

壁の両側を知ったとき、それを深く考えることが私の学びだと思いました。

 

すごい余談…

 

いつか魂のことを考えて掘り下げたとき。

 地球のレベルアップの為にたくさんの魂がいろいろな経験をしに来ているという考えを知り、私はそれを信じています。

魂は、振り子のように動きながら一方の人生、もう一方の人生、少し角度を変えて一方の人生…と無数に繰り返し成長していくというものです。

だから、つらい経験も魂の学びとして刻み、今度はこの苦しみを与える側の経験をして学び…記憶にはないけれど、そうしていくことで魂一つ一つが成長し、他者をすくい上げたり、共感したり想ったり、深く理解しようとすることによって過去の負の歴史を浄化させたりしながら、地球全体をプラスのエネルギーで満たしていく、そして人間という修行を終えていくことが魂の目的なのだと書いてありました。

 

 魂は過去も未来も関係なく、輪廻転生し続けて様々な経験を積み、日々学びを深めているんだと考えます。

共感することしかできないし過去の罪や念を浄化することは簡単にはできないけれど。関心をもって。過去のことを学んで。どの立場にも立って。共感や赦しの気持ちをもつことで、成長していきたいなと感じました。