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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・節分。



 1月の参拝記事

         第204回 天王寺区・藤次寺編
         第203回 中央区・報恩院編
         第202回 中央区・高津宮編
         第201回 中央区・自性院編
         第200回 天王寺区・彌榮神社・御旅所編
         第199回 天王寺区・正祐寺編
         第198回 天王寺区・観音寺編
         第197回 天王寺区・円珠庵(鎌八幡)編
         第196回 天王寺区・六大院編
         第195回 天王寺区・興徳寺編
         第194回 東大阪市石切・千手寺編
         第193回 東大阪市石切・石切劔箭神社と上之社編
         第192回 東成区・妙法寺編
         第191回 東大阪市長瀬・波牟許曽神社編
         第190回 東大阪市中小阪・彌榮神社編
         第189回 東大阪市・小坂神社編
         第188回 東大阪市・延命寺編
         第187回 東大阪市・長榮寺編
         第186回 東成区・熊野大神宮編
         第185回 天王寺区・四天王寺編
         第184回 天王寺区・生國魂神社編



 昨年12月以前の参拝記事はコチラ

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 藤次寺からの続き。
 こちらは生玉さん(生国魂神社)の参道にあり、藤次寺からも
 5分も掛かりません。

  
 参拝日:20/01/25(土) 天候:曇り


 密印山 持明院(みついんさん じみょういん)

 真言宗御室派

 御本尊:大日如来

 所在地:大阪府大阪市天王寺区生玉町2-15

 アクセス:大阪メトロ千日前線・谷町線「谷町九丁目」駅から徒歩3分。

 公式ホームページ: なし


 縁起

   当山の縁起は不詳であるが、明治初年の神仏分離の折、生玉十坊の
   1つ「曼陀羅院」を吸収合併した。

   当寺域は慶長以前(1596年以前)豊臣秀吉大阪城築城の頃は
   木村長門守重成の屋敷跡であったと伝わる。

   当山には第15番札所「園珠庵」を創建した契沖が止住したところでもあり、
   江戸時代の文人画家、田能村竹田、浦上玉堂が当院に同宿しており、
   これらの文人が残した遺墨画稿は今次大戦の戦災のため烏有に帰したのは
   誠に残念なことである。
        

                    以上、摂津国八十八ヶ所霊場案内記より。


 写真①、山門前より。
 

 写真②、GoogleEarthで見た付近図。
     藤次寺のすぐそば。
     左の森っぽいところが生玉さん(生国魂神社)。


 写真③、こちらは『天保新改攝州大阪全圖』より。
     1837年の発行です。
     赤線で囲っているのが持明院。
     だいたい同じ位置にあります。
     左の「弁財天」は現在は生玉さん境内の精鎮社。
     左下の「城向(きたむき)八幡宮」も現在は
     境内の北側に移されています。


 写真④、御本堂。


 写真⑤、御本堂の扁額は『慈眼視衆生』。


 写真⑥、本堂横の墓地の入り口。


 写真⑦、子育地蔵尊。


 写真⑧、滝野瓢水(たきのひょうすい、1684年~1762年)のお墓。
     江戸時代中期の俳人ですが旅先だった大坂にて没し葬られる。

     なかなか洒脱な?作品が多く、

     『手に取るなやはり野に置け蓮華草』

     ※大阪の知人が遊女を身請けしようとしていたのを諫めて詠んだ句

     なんかは直球の割にコジャレていますね~。


 写真⑨、お不動さん??。


 写真⑩、こちらが縁切りと縁結びの
     『橋姫大明神』・『卯の日大明神』・『二十日大明神』の3柱が
     祀られているお堂。
     右の『橋姫大明神』で悪縁の縁切りをお願いしてから
     左の『卯の日大明神』で縁結びをお願いしましょう。


 写真⑪、最後にいただいてきた御朱印です。
     こちらは摂津国八十八ケ所の第22番。


     以上、25日にちょいポタで行ってきた持明院さんの参拝記事でした。