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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・特に何もなし。


 12月の参拝記事

         第182回 天王寺区・四天王寺
         第181回 東住吉区・京善寺編
         第180回 東住吉区・桑津天神社編
         番外 平野郷・おまけ編
         第179回 平野区・長寳寺編
         第178回 八尾市・念仏寺編
         第177回 八尾市・大聖勝軍寺編
         第176回 東住吉区・法楽寺編
         第175回 住吉区・薬師寺編
         第174回 住吉区・荘厳浄土寺編
         第173回 住吉区・西之坊編
         第172回 阿倍野区・正圓寺編


 11月以前の参拝記事はコチラ

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 参拝日:19/12/21(土) 天候:晴れのち曇り


 松園山 竹林寺(しょうえんざん ちくりんじ)

 浄土宗

 御本尊:阿弥陀如来

 所在地:大阪府大阪市天王寺区勝山1-11-19

 アクセス:大阪メトロ谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅 - 東へ徒歩約11分

 公式ホームページ:なし



 縁起

   大坂夏の陣の後、大坂城主であり、大坂の街の復興を
   任された松平忠明が市内の墓地を整理し、道頓堀の南側に
   移させた後、幕府の天領となった大坂だったが、復興の
   街づくりは続けられ、寛永14年(1637年)には上本町
   八丁目筋から法善寺が当地に移転し、大坂の陣での
   戦死者を含めた死者の供養の為、千日回向が始められ
   以後「千日寺」と称された。

   正保2年(1645年)(慶安2年(1649年)とも)には
   法善寺の南隣に竹林寺の前身となる浄業院が建立され、
   浄業院も千日回向を行い始める。

   尚、千日前という地名が付けられた由来は、竹林寺と
   法善寺が千日回向を行っていた事による。

   平成20年(2008年)12月に天王寺区勝山(四天王寺のすぐ東隣)
   に移転し、難波の旧地にはラウンドワンスタジアム千日前店が建つ。

                以上、wikiより
  

 写真①、山門というより鉄扉が閉め切られていたので
     横の路地を入っていくと・・本堂?。
 

 写真②、この付近のGoogkeEarth。
     四天王寺の東大門から徒歩2分ほど。 


 写真③、さて、お堂というよりビルに到着。
     扁額も「竹林寺」だし間違いはない。
     ただ扉は施錠されていたのでインターホンを鳴らして
     御朱印をお願いする。
     待つ間、「地蔵堂を参拝していってください」と
     言われたので・・。


 写真④、隅っこの地蔵堂へ。


 写真⑤、地蔵堂には・・。
     三体のお地蔵さんが。

     右から出世地蔵尊、夜泣地蔵尊、出生地蔵尊と。
     あれ?提灯がもうひとつ・・。


 写真⑥、横の壁の格子の奥に延命地蔵尊が鎮座されておりました。


 写真⑦、地蔵堂の前の無縁塔。


 写真⑧、その横には2基の燈籠がポツネンと・・。
     左は「三代市川寿海」「八代市川雷蔵」。
     昭和初期の歌舞伎役者で親子奉納ですねえ。
     もっとも養父・養子の関係ですが。

     右は「三代市川九団次、妻亀崎ハナ」の奉納。
     こちらは「八代市川雷蔵」の前の養父母。
     雷蔵は生後6ケ月からこの夫婦に育てられ
     20歳で「市川寿海」の養子になったもよう。
     その後、映画界で活躍。


 写真⑨、いただいてきた御朱印です。
     こちらは摂津国八十八ケ所の第30番。   


 写真⑩、ちなみに四天王寺と竹林寺の間のマンションの隅に
。    『小儀宮址』の石碑があります。
     ここは四天王寺七宮のひとつ、小儀神社があった場所。
     現在は大江神社に合祀されています。


 写真⑪、移転前の千日前の竹林寺の塔。
     ミナミのど真ん中にありました。
     写真はwikiより転載。
     高校生くらいまでは「こんなとこにお寺があるなあ」と
     見てたくらいなので入ったことはありません。


 写真⑫、ちなみに場所はけっこー離れました。


 写真⑬、本日のGoogleストリートビューで見た跡地。
     現在は立派?なラウンドワンのビルになっています。


   以上、先週土曜日、ちょいポタで行ってきた竹林寺の記事でした。