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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・一日雨降り。



 1月の参拝記事

         第198回 天王寺区・観音寺編
         第197回 天王寺区・円珠庵(鎌八幡)編
         第196回 天王寺区・六大院編
         第195回 天王寺区・興徳寺編
         第194回 東大阪市石切・千手寺編
         第193回 東大阪市石切・石切劔箭神社と上之社編
         第192回 東成区・妙法寺編
         第191回 東大阪市長瀬・波牟許曽神社編
         第190回 東大阪市中小阪・彌榮神社編
         第189回 東大阪市・小坂神社編
         第188回 東大阪市・延命寺編
         第187回 東大阪市・長榮寺編
         第186回 東成区・熊野大神宮編
         第185回 天王寺区・四天王寺編
         第184回 天王寺区・生國魂神社編



 昨年12月以前の参拝記事はコチラ

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 観音寺からの続き。
 観音寺からは元の予定では山越えして自性院に行くつもりだったんですが
 天気の悪化と谷町筋越えて下って、また帰り登ってはイヤやなあ~っと
 思ったので南下して正祐寺へ。
 その後、帰ってきました。 

  
 参拝日:20/01/21(火) 天候:晴れ時々曇り


 光照山 正祐寺(こうしょうさん しょうゆうじ)

 高野山真言宗

 御本尊:大日如来

 所在地:大阪府大阪市天王寺区上本町7‐4‐18

 アクセス:近鉄 大阪上本町駅より南へ徒歩約5分

 公式ホームページ: なし


 縁起

    当山の縁起はその昔、聖徳太子が応現奇瑞を感じて、社殿を構え、
    天照・住吉両大神を奉安の傍ら、一宇の精舎を建立し、五蔵経論を披覧、
    仏法弘通を念じられたのを創建とする。

    寺名は元「真蔵院」(新蔵院)と称し、明治初頭までは生玉十坊の一つとして、
    神仏両道並び行われていた。

    明治初年の神仏分離の際、生玉十坊の「真蔵院」と「観音院」と
    「西江庵」および「正祐寺」を合併し、「光照山正祐寺」と改称し、
    現在に至っている。

                   以上、摂津国八十八ヶ所霊場案内記より


 写真①、山門前より。
 

 写真②、GoogleEarthで見た付近図。
     上六の駅から上町筋を南下すれば到着します。
     今回は谷町筋辺りが上町台地の頂点で自性院の方に行くと上り下りが
     キツイと判断してこちらに訪問しました。


 写真③、『天保新改攝州大阪全圖』の生玉さん付近。
     「真蔵院」と「観音院」は真言坂付近に確認できますが「西江庵」と
     「正祐寺」は見つけられませんでした。


 写真④、山門の表札。


 写真⑤、摂津国八十八ヶ所の石碑。


 写真⑥、開門は朝7時~夕方4時。
     それ以外の時間帯は境内に入れないそうです。


 写真⑦、御本堂。
     後ろのマンションが邪魔やなあ~。


 写真⑧、扁額は山号。


 写真⑨、堂内。
     御本尊の大日如来様がひとりだけで脇侍はなし。
     遠めなので間違ってるかもしれませんが
     左側に愛染明王、右側に不動明王の仏画が掛けられている
     ようでした。  


 写真⑩、御本尊ではありませんがこちらは「木造薬師如来坐像」。
     鎌倉時代作で大阪市の指定文化財です。
     写真は大阪市のページより。


 写真⑪、納骨塔の聖観音さま。
     なぜかジョジョ立ち風ですが・・。


 写真⑫、こちらは普通のお地蔵さん。


 写真⑬、境内の武部善人氏の歌碑。


 写真⑭、一風、変わった燈籠。
     燈具部分がトップヘビー過ぎる。
     ちなみに裏面は全開口。


 写真⑮、境内、中央部の楠。
     この楠は戦災で焼けてしまったが、根が残っていたため、5本の新芽から
     芽生えて再びこのような大きさまで成長したそう。


 写真⑯、庫裏の入り口に置かれていた潰れた鐘。
     元・国宝の高麗鐘らしい。
     造られたのは高麗で天禧3年(1019年)。
     それがなぜか宮崎県の平等寺に渡り、その後1874年、正祐寺の住職
     ・観空が大阪の古物商から入手したらしい。

     しかし戦災でご覧のような状態に。
                 


 写真⑰、反対側には2005年から4年がかりで造られた新・高麗鐘が置かれています。
     大阪市東成区の大谷相模掾鋳造所で造られたもので、
     潰れた鐘と戦前の写真や資料をもとにされました。
     尚、龍頭および旗指しは平等寺時代に破損しており、こちらも
     清寧四年銘銅鐘を見本にしたそうです。


 写真⑱、庫裏の中で掛かっていたカラーの大日如来さま。


 写真⑲、最後にいただいてきた御朱印です。
     こちらは摂津国八十八ケ所の第17番。  
     

     以上、21日にちょいポタで行ってきた正祐寺さんの参拝記事でした。