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昨日の日報は コチラ → 本日は・・午後からちょいポタ。
1月の参拝記事
第196回 天王寺区・六大院編
第195回 天王寺区・興徳寺編
第194回 東大阪市石切・千手寺編
第193回 東大阪市石切・石切劔箭神社と上之社編
第192回 東成区・妙法寺編
第191回 東大阪市長瀬・波牟許曽神社編
第190回 東大阪市中小阪・彌榮神社編
第189回 東大阪市・小坂神社編
第188回 東大阪市・延命寺編
第187回 東大阪市・長榮寺編
第186回 東成区・熊野大神宮編
第185回 天王寺区・四天王寺編
第184回 天王寺区・生國魂神社編
昨年12月以前の参拝記事はコチラ。
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さて、今回は前回の続きから。
13日に参拝した六大院の道路を挟んだ西側の円珠庵です。
参拝日:20/01/21(火) 天候:晴れ時々曇り
雪光山 円珠庵(せっこうさん えんじゅあん)
通称、『鎌八幡(かまはちまん)』
真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
所在地:大阪府大阪市天王寺区空清町4-2
アクセス:大阪環状線及び大阪メトロ長堀鶴見緑地線玉造駅より、西に徒歩12分。
近鉄上本町駅より、北に徒歩11分。
大阪メトロ長堀鶴見緑地線並びに地下鉄谷町線谷町六丁目駅より、
東に徒歩12分。。
公式ホームページ: 悪縁を絶つ寺 鎌八幡
縁起
遠い昔、このあたりは三韓坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の
霊木があり、人々の信仰を集めていた。
下って、大阪冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、
この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、鎌八幡大菩薩と称して祈念した
ところ、大いに戦勝をあげたと伝えられている。
江戸時代初期には、この鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧
契沖阿闍梨が居を定め、円珠庵と称した。
契沖は、ここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に
専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。
この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。
大正11年に、境内全域が大阪市では最初の国の史跡指定を受けたが、
境内の大部分は、戦災で損壊したあと復興したものである。
その間、霊木は蘇生し、絶えなる信仰と多くの霊験が得られている。
以上、いただいた縁起より
写真①、山門前より。
尚、山内は撮影禁止の為、中の写真は一枚もありません、
写真②、GoogleEarthで見た付近図。
前回とほぼ一緒の写真ですが。。。
写真③、円珠庵の塀には迫力のある看板が。
写真④、山門前の『鎌八幡祈祷所』の石碑。
写真⑤、こちらも山門前。
『贈正五位 下河辺長流大人墓所』碑。
こちらを創建した契沖阿闍梨が続きを書いた「万葉代匠記」の
初めの著者。徳川光圀の依頼での仕事でしたが病に倒れ病没。
続きを交流のあった契沖に託した人。
写真⑥、山門の表札と摂津国八十八ヶ所。
写真⑦、山門の反対側には『契沖旧庵(円珠庵)ならびに墓』。
しかし、上の下河辺長流氏も契沖阿闍梨の墓も
どこにあるのか全然わからない。
1/25の契沖忌の法要も平成二十六年から中止のままですし。
とりあえず境内に入り鎌八幡さまと諸堂に参拝し御朱印を頂く。
写真⑧、外から見た鎌八幡の御神木。
榎の木ですが冬なので葉っぱはありません。
ちなみに前に来た時は妙な迫力があったんですが今回の
参拝時はちょうど西日が差し込んでキレイな感じを受けました。
写真⑨、最後にいただいてきた御朱印です。
こちらは摂津国八十八ケ所の第15番。
以上、昨日にちょいポタで行ってきた円珠庵さんの参拝記事でした。
昨日の日報は コチラ → 本日は・・午後からちょいポタ。
1月の参拝記事
第196回 天王寺区・六大院編
第195回 天王寺区・興徳寺編
第194回 東大阪市石切・千手寺編
第193回 東大阪市石切・石切劔箭神社と上之社編
第192回 東成区・妙法寺編
第191回 東大阪市長瀬・波牟許曽神社編
第190回 東大阪市中小阪・彌榮神社編
第189回 東大阪市・小坂神社編
第188回 東大阪市・延命寺編
第187回 東大阪市・長榮寺編
第186回 東成区・熊野大神宮編
第185回 天王寺区・四天王寺編
第184回 天王寺区・生國魂神社編
昨年12月以前の参拝記事はコチラ。
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さて、今回は前回の続きから。
13日に参拝した六大院の道路を挟んだ西側の円珠庵です。
参拝日:20/01/21(火) 天候:晴れ時々曇り
雪光山 円珠庵(せっこうさん えんじゅあん)
通称、『鎌八幡(かまはちまん)』
真言宗豊山派
御本尊:十一面観音菩薩
所在地:大阪府大阪市天王寺区空清町4-2
アクセス:大阪環状線及び大阪メトロ長堀鶴見緑地線玉造駅より、西に徒歩12分。
近鉄上本町駅より、北に徒歩11分。
大阪メトロ長堀鶴見緑地線並びに地下鉄谷町線谷町六丁目駅より、
東に徒歩12分。。
公式ホームページ: 悪縁を絶つ寺 鎌八幡
縁起
遠い昔、このあたりは三韓坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の
霊木があり、人々の信仰を集めていた。
下って、大阪冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、
この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、鎌八幡大菩薩と称して祈念した
ところ、大いに戦勝をあげたと伝えられている。
江戸時代初期には、この鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧
契沖阿闍梨が居を定め、円珠庵と称した。
契沖は、ここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に
専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。
この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。
大正11年に、境内全域が大阪市では最初の国の史跡指定を受けたが、
境内の大部分は、戦災で損壊したあと復興したものである。
その間、霊木は蘇生し、絶えなる信仰と多くの霊験が得られている。
以上、いただいた縁起より
写真①、山門前より。
尚、山内は撮影禁止の為、中の写真は一枚もありません、
写真②、GoogleEarthで見た付近図。
前回とほぼ一緒の写真ですが。。。
写真③、円珠庵の塀には迫力のある看板が。
写真④、山門前の『鎌八幡祈祷所』の石碑。
写真⑤、こちらも山門前。
『贈正五位 下河辺長流大人墓所』碑。
こちらを創建した契沖阿闍梨が続きを書いた「万葉代匠記」の
初めの著者。徳川光圀の依頼での仕事でしたが病に倒れ病没。
続きを交流のあった契沖に託した人。
写真⑥、山門の表札と摂津国八十八ヶ所。
写真⑦、山門の反対側には『契沖旧庵(円珠庵)ならびに墓』。
しかし、上の下河辺長流氏も契沖阿闍梨の墓も
どこにあるのか全然わからない。
1/25の契沖忌の法要も平成二十六年から中止のままですし。
とりあえず境内に入り鎌八幡さまと諸堂に参拝し御朱印を頂く。
写真⑧、外から見た鎌八幡の御神木。
榎の木ですが冬なので葉っぱはありません。
ちなみに前に来た時は妙な迫力があったんですが今回の
参拝時はちょうど西日が差し込んでキレイな感じを受けました。
写真⑨、最後にいただいてきた御朱印です。
こちらは摂津国八十八ケ所の第15番。
以上、昨日にちょいポタで行ってきた円珠庵さんの参拝記事でした。