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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・小正月なので氏神さんで『とんど神事』。


 1月の参拝記事

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         第192回 東成区・妙法寺編
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         第187回 東大阪市・長榮寺編
         第186回 東成区・熊野大神宮編
         第185回 天王寺区・四天王寺編
         第184回 天王寺区・生國魂神社編



 昨年12月以前の参拝記事はコチラ

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 参拝日:20/01/11(土) 天候:晴れ時々曇り


 恵日山 千手寺(えにちざん せんじゅうじ)

 真言毘盧舎那宗 大本山   

 御本尊:千手観音菩薩

 所在地:大阪府東大阪市東石切町3-3-16

 アクセス:近鉄奈良線 石切駅から徒歩5分。

 公式ホームページ:なし


 縁起

   今から千三百年程昔のこと、笠置山千手窟で修行していた役行者は、
   不思議な神光に導かれて生駒山を越えこの地に到りました。

   岩上に草を敷き黙念する行者のまのあたりに千手観音が諸々の神祇を
   並び従えて姿を現わされました。
   そこでこの地を拓いてはじめて寺を建て、恵日山千手寺と題しました。

   ためにこの寺を俗に呼んで光堂(ひかりどう)と称し、また里の名を
   神並村(こうなみのさと)と号するようになりました。

   また、平安時代のはじめごろ、弘法大師空海もこの寺に止宿され修法を
   修されました。
   ある日、青衣の童女が現れ大師に告げられました。
   「我は善女竜王(ぜんにょりゅうおう)だが、この寺の神泉に降臨し
   常の住いとしている。今汝の修法に感じて姿をあらわした。
   所求するところを述べてみよ」と。

   大師の答えらく「役行者の観音像は特に霊験あらたかで、衆生がみだりに
   拝しているのはおそれ多いことであり、天竜の罰をこうむるでしょう。
   どうか願くば浄材を得て模像を彫し、真像を胸裏に納めたいと思います。
   いかがなものでございましょうか。」

   童女の曰く「我れ幸にも補陀落山の香木を所持して久しい。いく度か
   阿耨達池(あのくだっち)に浸しおきしものなり。」

   大師は大層喜ばれて不日の内に観音像を刻まれ寺の奥におまつりに
   なりました。

    その後、いくばくもなくして惟喬親王の乱によって堂宇悉く兵火に
   かかって炎上してしまいました。千手観音の像は自ら深野池(鴻池新田
   あたりに位置した大きな池)に飛び入りそれを知る人は誰もありませんでした。

   その夜、天皇は在原業平と共にこの山にのがれられ、その時深野池中より
   光の放つのを望見されました。
   業平はそのもとを訪ねられ千手観音像を奉出し、その旨を天皇に奏しました。
   天皇は大層喜びあって香を焚き、治平を祈られました。

   世の中がしずまってから天皇は業平に命じてこの寺を中興し五院(上之坊
   ・中之坊・下之坊・南之坊・北之坊)を建立され、荘園を賜って僧糧にあて、
   このあたりの名刹の一に数えられました。

   業平が没したとき、堂の右に廟を築き生前愛玩の衣冠・歌集・楽器等を寺に
   納め、縁起が書かれた頃まで伝わっていたといいます。

   堂の北には観音大士の垂迹として熊野権現社がまつられ、また堂の後には
   三つの霊窟(古墳)があり、その一つを功徳天の祠といい、入ること
   百歩ばかりの深さがあったといいます。
   業平と恋した高安姫持念の尊で、難産や難病に祈念すれば効ありと
   伝えています。

   以上が天正2年(1574)3月18日、千手寺大衆が記録した縁起のあらすじです。
   この時、古い縁起が大層読みづらくなっていたのでここに再録したと
   記しています。 
                      以上、いただいたパンフより


 写真①、山門前より。
 

 写真②、GoogleEarthで見た付近図。
     やっぱりこの辺は駅から歩く方が近い。


 写真③、寺号標。


 写真④、寺号標の反対側の在原業平公の腰掛石。


 写真⑤、御本堂。


 写真⑥、御本尊様の『千手観音立像』。
     高さ190cmのカヤ材寄木造り。
     画像は河内西国のホームページより。


 写真⑦、御本堂北隣の護摩堂。


 写真⑧、護摩堂の御本尊の『木造不動明王坐像』。
     大阪府の指定文化財。
     寄木造、彩色、玉眼。
     像底に4.4cm×4.1cm、深さ10.5cmの角穴をあけ、中に灰仏を
     納入している。
     灰仏は高さ4.2cm、幅2.2cmレリーフで、背面に「十万枚護摩
     灰造之 宝山」の刻印があり、宝山湛海作。
     画像は大阪歴史博物館より。


 写真⑨、鐘楼。


 写真⑩、庭のインテリアと化してた石臼。


 写真⑪、御祭神が在原業平公と菅原道真公の小祠。


 写真⑫、善女竜神の住まう池なのか?


 写真⑬、さらに奥には役行者像が・・。


 写真⑭、こちらは曽呂利新左衛門こと桂文之助の句碑。

     『業平と背中合わせのぬくさかな』


 写真⑮、無銘の五輪塔。
     寺伝では業平の廟塔と伝えられる。


 写真⑯、山門前の駐車場の片隅にあった水子地蔵尊。


 写真⑰、こちらはその隣の「石切観音」さん。


 写真⑱、最後にいただいてきた御朱印です。
     こちらは河内西国の第十番。


     以上、11日に行ってきた千手寺さんの参拝記事でした。