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 昨日の日報は コチラ → 本日は・・一日中、寝てました。


 1月の参拝記事

         第191回 東大阪市長瀬・波牟許曽神社編
         第190回 東大阪市中小阪・彌榮神社編
         第189回 東大阪市・小坂神社編
         第188回 東大阪市・延命寺編
         第187回 東大阪市・長榮寺編
         第186回 東成区・熊野大神宮編
         第185回 天王寺区・四天王寺編
         第184回 天王寺区・生國魂神社編

 12月の参拝記事

         第183回 天王寺区・竹林寺編
         第182回 天王寺区・四天王寺編
         第181回 東住吉区・京善寺編
         第180回 東住吉区・桑津天神社編
         番外 平野郷・おまけ編
         第179回 平野区・長寳寺編
         第178回 八尾市・念仏寺編
         第177回 八尾市・大聖勝軍寺編
         第176回 東住吉区・法楽寺編
         第175回 住吉区・薬師寺編
         第174回 住吉区・荘厳浄土寺編
         第173回 住吉区・西之坊編
         第172回 阿倍野区・正圓寺編


 11月以前の参拝記事はコチラ

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 参拝日:20/01/10(金) 天候:曇り


 妙法寺(みょうほうじ)

 真言宗御室派

 御本尊:聖観世音菩薩

 所在地:大阪府大阪市東成区大今里4丁目16-50

 アクセス:大阪メトロ千日前線「新深江」駅 西へ500m
       大阪メトロ千日前線「今里」駅 東へ500m

 公式ホームページ:なし


 縁起

   妙法寺は聖徳太子の創建と伝えられ、寺域も広かったようであるが、往時の
   詳細は不明です。

   天正年間(1580年頃)の石山合戦でほとんど焼失したが、享保年間(1716年
   頃)に再建された本堂が昔を偲ばせています。

   この寺には、近世国学の祖といわれる契沖が、延宝7年(1679年)から約10年間
   住職として滞在し、「万葉代匠記」など多くの著作を生み出しています。

   境内には契沖阿闍梨(けいちゅうあじゃり)供養塔と契沖の母の墓があります。

   ※契沖(1640~1701年)
      尼崎藩士の子で11歳のとき出家して妙法寺に入り、高野山で修業した後、
      40歳のとき妙法寺の住職となり約10年間在職し、この間に主著「万葉代
      匠記」20巻を著しました。
      はじめ下河辺長流が徳川光圀から命じられて筆を進めていたが、病気のため
      契沖が代わりました。“代匠記”と名付けたのは師の長流に代わって
      著述したところからきています。
      「万葉代匠記」が成って徳川光圀から褒賞金と三足の香炉が贈られて
      います。
      元禄3年(1690年)のとき、円珠庵(現在の天王寺区空清町)にこもって
      学問に専念し、その講義や学風は後の賀茂真淵(かものまぶち)や
      本居宣長(もとおりのりなが)らにひきつがれています。



 写真①、山門前より。
 

 写真②、場所は熊野大神宮の北隣。
     千日前線の今里と新深江の中間くらい。
     すぐ下の道路は「暗越奈良街道」。
     その下の大きな道が千日前線です。 


 写真③、寺号標。


 写真④、その横の標柱。
     『厄除・安産 本尊聖観音菩薩
      奥院 弁財天女』
     『ほうたがゑふどう』

      奥院の弁財天は現在、熊野大神宮内の厳島弁財天社の
      ことだと思われ。
      ほうたがゑふどうは多分、「方違不動」のことで
      現在の日切不動尊かと。


 写真⑤、御本堂。


 写真⑥、御本堂の前より。


 写真⑦、日切不動尊。


 写真⑧、不動尊像。


 写真⑨、鎮宅堂。 


 写真⑩、鎮宅堂の前の狛犬(吽形)。


 写真⑪、鎮宅堂の前の狛犬(阿形)。


 写真⑫、鎮宅堂前より。


 写真⑬、鎮宅堂横の地蔵堂?。


 写真⑭、お地蔵さん。


 写真⑮、庭の奥に鎮座されている豊川稲荷さん。


 写真⑯、本堂前の庚申塔と地主神様かな?。


 写真⑰、契沖阿闍梨の供養塔(右端)と
     その横が師の「かい丈和尚」、さらに奥が母の「慈性信尼」、
     その奥が兄の「如水居士」のお墓。
     尚、契沖阿闍梨のお墓は終焉の地である鎌八幡「円珠庵」に
     あります。


 写真⑱、謎のお墓。


 写真⑲、風雨にさらされ続けてお顔がわからなくなった薬師如来像。


 写真⑳、火除け地蔵尊。


 写真21、お姿はちょっとひょうきんなカンジ。

     以上、10日に行ってきた妙法寺さんの参拝記事でした。