小鹿のバンビちゃん

 

 森のストリップ劇場に、小鹿のバンビ(以降、バンビちゃんと記す)がストリップ・デビューすることになりました。

 

 カメさんは、こっそり観に行きました。カメは優しい性格から新人のデビューにはよく応援に行きました。ポラを撮り、アドバイスをすることもありました。

 カメさんは、バンビちゃんのデビュー・ステージに衝撃を受けました。

バンビちゃんは、栗毛色で背中に白いてんてん模様が入ったかわいい女の子でした。彼女が笑顔でポーズをとって、そこに蝶々が飛んできて尻尾にとまった時には、あまりの可愛さに観客が生唾をのんだほどです。

 バンビちゃんは初ステージに緊張して身体が震えていました。細いあんよがぷるぷると震えているのです。その様子を見ていたら、カメさんの父性本能が全開しました。自分が守ってあげなければ!と思いました。うさぎちゃんの時と全く同じ感覚です。

 それからというもの、カメさんはうさぎちゃんの公演スケジュールの合間に足繁くバンビちゃんの応援に行っていました。

 

 ある日のこと、とうとうバンビちゃんとうさぎちゃんの二人は一緒のステージに立つことになりました。

 うさぎちゃんは、同じ森のストリップ劇場にかわいい後輩が入ったことは知っていました。ダンス練習場で会いお互いに意気投合しました。仲良くなった二人は自分たちのことを‘しかうさコンビ’と称していました。いつかチームショーをやろうね!と話していたほどです。実際、このコンビは森のストリップ劇場のトップ・アイドルになっていきます。

 今回、そんな二人が初めて同じ公演に立つことになったのです。

 カメさんは二人の応援をやっていました。当然にポラも撮ります。ソロステージが続いたので、バンビちゃんもうさぎちゃんもお互いのことを意識することはありませんでした。

 たまたま楽屋の中で、バンビちゃんはうさぎちゃんに言いました。「お姐さん、私のお客のカメさんがうさぎ姐さんのポラを撮っているようですね。お手数ですが、よろしくお願いします。」ストリップの世界では、他のお姐さんの客からポラを撮ってもらったときは、そのお姐さんに御礼を言うことがしきたりになっていました。今回は、逆の形で、バンビちゃんがうさぎちゃんに仁義を切ったわけです。

ところが「えっ! カメさんは私の客よ。」うさぎちゃんは驚きました。

 それを聞いた、バンビちゃんも驚きました。

 二人は顔を見合わせました。そして、二人は、カメさんが自分たち二人を一緒に応援していることに気付きました。でも、二人は仲良しになっていたので「私の客を取ったでしょ!」と言い争うことはありませんでした。

 後で、うさぎちゃんがカメさんをとっちめました。(笑)

でも「バンビちゃんのこと応援していたのをどうして教えてくれなかったの?」という程度で怒ったりはしませんでした。うさぎちゃんはバンビちゃんと仲良しだったので「これからもバンビちゃんを応援してあげてね。」と言いました。うさぎちゃんは、ストリップの客がいろんなお姐さんを応援していることを知っていました。それは当たり前なこと。「この客は私だけのもの」という固定観念は持っていませんでした。こんなことくらいで、うさぎちゃんとカメさんの信頼関係が揺らぐことはありません。うさぎちゃんとカメさんの間には嘘や隠し事をしなければお互い自由にやろうという空気がありました。カメさんがいろんな踊り子を応援するように、うさぎちゃんもいろんな客から応援してもらわなくてはいけませんから、それはお互い様なのです。

 ともあれ、カメさんは恐縮して、それからはうさぎちゃんの応援により一層気合いを入れることになりました。

 

 バンビちゃんには、とんきちうさぎとスカンクのフラワーという親衛隊がいました。とんきちうさぎは何かあると片足をトントンと鳴らす癖がありましたので‘とんきちうさぎ’と呼ばれていました。また、スカンクはいつも身体を花に擦り付けていたので‘フラワー’と呼ばれていました。

 カメさんはその二人と仲良くなり、バンビちゃんの親衛隊に入っていました。

 同時に、とんきちうさぎは、同じうさぎ仲間として、うさぎちゃんのことも応援していました。

 

 ストリップに限れば、客の誰それが特定の踊り子さん一人だけを応援しなければならないということはありません。そこは一般の男女関係のように、結婚するなら一人の相手に決めなければならないというルールはありません。お金と時間と体力がもてば何人の踊り子でも応援できます。そこがストリップの自由なところです。ただ、うさぎちゃんとカメさんのように信頼関係がある場合は一定のマナーというかエチケットみたいなものが存在するでしょうね。大切なのは相手への思いやりです。

 まぁ、ストリップは、みんなで楽しくステージを応援するところが最高なのですよ。

 

 

平成29年12月

 

 

 

 

【参考】小鹿のバンビについて

 

◆ディズニー映画の『バンビ』

 

 最初に、ひとことお断りを。

ディズニー映画の『バンビ』では、バンビは雄です。私はなぜかバンビを雌だと思い込んでいました。きっと、あの可愛らしさが女の子のイメージなんですね。

小鹿のバンビをうさぎとカメに登場させるに当たって、私は最初に歌から入っていった。

小鹿のバンビには有名な童謡がある。発表年は1951年。同年公開のディズニー映画『バンビ』をモデルに日本で作られた歌なんですね。

「小鹿のバンビ」 坂口淳作詞・平岡照章作曲

 

   子鹿(こじか)のバンビは かわいいな

   お花がにおう 春の朝

   森の小薮(こやぶ)で 生れたと

   みみずくおじさん いってたよ

 

子鹿のバンビは 栗毛(くりげ)色

せなかに白い てんてんよ

細いあんよで かけだせば

野原の蝶々(ちょうちょ)も 今日(こんにち)は

 

子鹿のバンビは 元気だね

   ちらちら雪が ふりだして

池に氷が はる頃は

   とん助うさぎと スケートよ

 

子鹿のバンビは やさしいな

弱虫(よわむし)いじめ しないもの

今に 大きくなったなら

   すてきな ぼくらの王様(おうさま)だ

 

 非常に映画に忠実に作詞されている。この最後の部分「ぼくらの王様」という箇所で、私はバンビが雄だと分かった次第(笑)。

 私はその後すぐに、ディズニー映画『バンビ』をYouTubeで観た。

 この頃のディズニー映画はほのぼのしていて本当にいいねぇ~♪

 あらすじは次の通り。

緑の豊かな春の森に、1頭の雄の子鹿が生まれました。フクロウや、うさぎのとんすけなど、森の住人たちは、森の王子様の誕生に大はしゃぎ。バンビと名付けられた子鹿は一躍森の人気者になりました。母の愛を一心に受け、バンビはすくすく育っていきます。いたずらっ子のとんすけやスカンクのフラワーと仲良しになったり、いとこのファリーンにドキドキして逃げ惑ったり。そんなバンビを、父である森の王様が遠くで温かく見守っています。しかし、悲しいことに、心ないハンターが森にやってくる冬の狩猟シーズンに、母鹿がバンビを庇うようにして命を落としてしまうのでした。嘆き悲しみ、母を探すバンビ・・・。再び森に春がやってきて、成長したバンビは美しくなったファリーンと恋におちます。秋になり、心無い人間の不始末で起きた山火事に傷つきながらも九死に一生を得るバンビ。3度目の春、とんすけもフラワーも子供ができました。もちろんバンビとファリーンにも。数々の出会いと別れで心身共に立派に成長したバンビは遂に森の新しい王になるのでした。

 

 この中に登場する人間は、鹿狩りをしたり、山火事を起こしたり、ほんと酷いことばかりする。同じ人間として腹立たしくなるねぇ~

 

 

◆バンビという名前

 

今ではバンビといえば小鹿のことをさします。

しかし、元々は違っていてイタリア語で、「子供」「幼い」、「初心者」の意味がありましたが、ディズニーが作成したアニメで、小鹿の名前を「バンビ」としたため、以降は小鹿のことをさすようになりました。

私の童話では、以降、バンビちゃんと記することにしますね。

 

とんすけうさぎに興味を持ったので少し調べた。

英語では「Thumper(サンパー)」と言う名前です。thumpはコツンと打つ音というような意味で、あのウサギは何かと足を地面に打って鳴らすのでそのような名前になったのではないでしょうか。そこから地面をトントンと打つ男の子のウサギということで「トンスケ」という日本名にしたのではないかと考えます。

とんすけうさぎの彼女ミスバニーが、とんすけの耳ぴろぴろして、とんすけが足どんどんするところなんかは無駄に可愛いよね。

 

 

◆小鹿のバンビはオーストリア生まれ  byネット「オーストリア散策」から

www.onyx.dti.ne.jp > ... > エピソード > No.051-100

 

 ウォルト・ディズニーといえば、アメリカを代表するアニメキャラクターで有名。ところが、その中のひとつである「小鹿のバンビ」はオーストリア生まれです。

『バンビ』(Bambi: Eine Lebensgeschichte aus dem Walde )は、オーストリアの作家フェリックス・ザルテンが1923年に発表した動物文学小説。ノロジカの雄の子供バンビの誕生と母との別れ、困難の中で成長する物語をバンビの視点から描いている。それまでの動物文学と異なり、人間と異なる動物の視点から周囲の動物や環境、人間を見るまなざしを巧みに表現した点が画期的な作品であった。

この作品は、現在日本では知名度が少ないのに対し、ディズニー・アニメ版『バンビ』の方が一層知られている。

 

以下、作家フェリックス・ザルテンについて少し詳しく見ていきます。

バンビの原作の著者はフェリックス・ザルデンという人です。本名はジークムント・ザルツマン。この名前はドイツ系ですが、フェリックス本人は1869年6月9日にハンガリーのブダペストで生まれたユダヤ人でした。

フェリックスが生まれて3週間後、この家族はブダペストからウィーンに引越しました。理由は、この帝都で1867年にユダヤ人に市民権を与えることがOKになっていたこと。おかげで多くのユダヤ人がウィーンを目指して移動してきたといいます。記録によると、1860年におけるウィーンのユダヤ人は約6千人で、これが1870年には4万人にまで増え、世紀末まにはさらに数倍に膨れ上がったそうですよ。

さて、せっかくウィーンにはきたものの、いくら市民権が得られると言っても仕事までそう易々と見つかるものではありません。おかげでザルテンは貧乏をせざるを得ず、まともな学校教育もほとんど受けられませんでした。しかしこの人、どうやらとても頭がよかったようです。フェリックスは従兄弟の紹介してくれた保険事務所でのちょっとした仕事の傍で、新聞社向けに詩、エッセー、短編の物語などを書き始めます。そしていつしか、これが彼の本職となってゆきました。

1902年、フェリックスは女優のオッティリエ・メッツルと結婚。この頃になると彼の仕事はだいぶ好調になっていたようで、ウィーンの「新自由新聞 (Neue Freie Presse)」に記事を書くと同時に、「ベルリン毎朝新聞 (Berliner Morgenpost)」の編集役も務め、さらに「ウィーン一般新聞 (Wiener Allgemeine Zeitung)」向けに劇場評論もしていました。このほか、劇場やその上演作に関する本も出版していたそうです。しかし、学校にロクに行ってなかったのに、よくここまで大した仕事ができますね。感心です。

フェリックの快進撃はその後も続きます。彼は「若きウィーン」という芸術家の集まりの一員となり、カフェーハウス文化の一翼を担うようになりました。そのメンバーにはオペレッタのフランツ・レハールや作家のフーゴー・フォン・ホフマンスタール、シオニストのテオドール・ヘルツルなどもいたといいます。この雰囲気だと、子供向けにバンビの本なんか書きそうにありませんね。むしろ政治運動にでも走りそうですよ。

ところが、ここでちょっと流れが変わってきます。フェリックスが小説を書き始めたのは1910年でした。第1次世界大戦のちょっと前ですね。そしてこの年は、反ユダヤのウィーン市長、カール・ルエガーが亡くなった年でもあります。さて、その第1次世界大戦の終わったあと、ヨーロッパにおけるユダヤ人への反感は増幅されるばかり。そんな中、ザルデンはノホホンと突如動物を主人公にした作品を執筆、1923年に「バンビ」を発表しました。森の自然の美しさや厳しさと恐ろしいハンターを相手に元気に生きてゆく小鹿のお話しです。ついでながら、「バンビ」の語源はというのはイタリア語で「子供」を意味するbambinoです

この「バンビ」はしっかり人気を博したようで、1928年には英語にも翻訳されました。で、その成功以降、ザルテンは「15羽のうさき(1929年)」、「皇帝の馬フロリアン(1933年)」など、動物物語を次々と書きます。また、ドイツの作家トーマス・マンは1937年に「バンビ」をウィールト・ディズニーに紹介。ディズニーはこれを5年かけてアニメ化し、1942年8月8日にまずロンドンで上映、次いで8月13日に米国でも上映しました。その結果ですが、一部には「内容が感傷的すぎる」という批評とか、「鹿狩を否定するのはとんでもない」というハンター協会の抗議もあったようですが、良識ある大多数の観客はこの作品を好ましいものと認めたようですね。ただ、ザルテン本人は1933年に「バンビ」の著作権を売却していましたから、その後このアニメの大ヒットによる利益には、それほどあずかれなかったそうです。でも、本業が繁盛していたのだからいいでしょう。

なお、その後のザルデンですが、実は「ガラスの夜」と呼ばれる1938年9月9日のユダヤ人街襲撃事件の難を逃れて妻とともにスイスのチーリヒに逃亡、ドイツ第三帝国の崩壊を見届けたあと、1945年10月8日にその地で76歳の天寿をまっとうしています。とりあえずめでたしでいいでしょう。

しかし、ジャーナリストから動物物語の作家への転身って、なかなか意外な人生ですね。そしてもうひとつ驚きなことに、彼の出世作である「バンビ」は、なんとナチスによって1936年に発禁処分にされていました。その理由はザルデンがユダヤ人だったことだけにあったのではなく、物語の中で「小鹿=ユダヤ人、ハンター=ナチス」というふうに解釈されたことにもあるといいます。ヒトラーがもっと早く政権をとっていたら、今のディズニーの「バンビ」のアニメはなかったかも知れません。

 

おしまいに私の所見ですが、たぶんザルデンが「バンビ」を書くとき、ナチスに続く反ユダヤの流れは意識の外だったと思います。この人の生涯を見ていると、貧乏の経験はあるものの、苦労とか被害者意識を感じたフシはあまりなさそうなので。実は政治に無関心で天真爛漫に好きなものを書いていただけの、まさにオーストリア的な人だったのではないでしょうか?さもなければ、厄介な政治に関わるのを避けるために子供向けの動物のお話しに走ったのかも。

 

      

 

 

浅葱アゲハさんについて、令和3(2021)年12月中の池袋ミカド劇場の公演模様を、16周年作「OZ」を題材に、「オズの魔法使いの教え」と題して語ります。

 

 

 

 

さっそく、演目「OZ」の概要を述べたい。

聞き覚えのある、懐かしいメロディが流れる。映画『オズの魔法使い』の主題歌「Over the Rainow(虹の彼方に)」である。主役ドロシーを演じたジュディ・ガーランド(当時17歳)の天使のような歌声。

アゲハさんが「ブリキの木こり」に扮して登場。ロボット風に、銀色の三角帽と銀色の衣装に身を包む。長袖の上着、短いスカート、パンタロン風に裾広がりなズボン。ズボンの前面は割れていて、まるで機械ばりに、銀の丸いパイプ管が見える。そして、木こりの道具として銀の斧を持ち、また腰には縁が赤い丸い時計のようなものを付けている。もしかして、これが「こころ」かしら。足元ははだし。

軽快な音楽に変わる。Mrs. GREEN APPLEの「Oz」。作詞:大森元貴,作曲:大森元貴。

(歌いだし)あの城を目指そうか

 OZつながりかな。よくこんな若いグループを知っていたねぇ~感心しちゃう。

音楽に合わせ軽快に踊る。銀の斧を振り上げる。

袖の付近で、一旦暗転。

音楽が変わる。Todrick Hall の「Low」 (feat. RuPaul)。これもOZつながりだね。すごいミュージシャンを知っているねぇ~感心しちゃう。

銀の帽子を取る。銀の上着とスカートを脱ぐ。スカートの下には、銀の細い何本かの浮き輪状のスカートが現われる。縁が赤い丸い時計のようなものを付けたまま。くちゃくちゃ状の銀のマフラーを身体に巻き付ける。

また、音楽が変わる。David Burnieの「Space padding」。

衣装を脱いで、銀の、首輪、パンツ、手足の布、だけの軽装へ。そのままリング演技。リングには蛍光色(緑)の紐が巻き付かせている。ライトの明かりを落とし、蛍光色が浮かび上がる幻想的な演出に拍手。

ここでまた暗転。

袖から、ベールに包まれた衣装で現れる。上部はレインボーカラー。下部は白いベール。

ベッド曲は、YUKIの名曲「Home Sweet Home」。

この曲は、産休をはさんで1年5ヶ月ぶりとなるシングル作品。お子さんを亡くされた事とリンクしており、この曲を聴く度に泣きそうになる。しんみり聴かせる。

立ち上がり曲は、再び映画『オズの魔法使い』より合唱版「Over the Rainow」で締める。

 

 

童話「オズの魔法使い」は、アメリカ合衆国を代表とする童話である。1900年にライマン・フランク・ボームが著した児童文学作品で、アメリカ人で知らない人はいない。

内容は、次のとおり。

ある日、主人公のドロシーはカンザスから東の国へ飛ばされた。

ドロシーはカンザスへ戻るため、願いごとを抱えているかかしやブリキのきこり、ライオンとともに、魔法使いのオズのもとへ向かった。

オズから指令を受け、ドロシーたちは力を合わせておそろしい西の魔女を倒したが、オズの正体は魔法使いではなかった。

最後に南の魔女が現れ、オズの魔法がなくても、かかしたちの願いはもう叶っていると言った。ドロシーも無事にカンザスへ帰ることが出来た。

 

この話のミソは次の三人の家来である。日本の桃太郎の猿・犬・雉みたいだね。

・かかし…わらのつまった頭に、脳みそをほしがっている。

・ブリキのきこり…からっぽになった胸に、新しいこころをほしがっている。

・ライオン…おくびょう者で、勇気をほしがっている。

 

 演目「OZ」では、この三人の中から、ブリキの木こりを取り上げたところである。

ちなみに、この物語は、いろいろ深読みされており、ブリキの木こりは東部の労働者階級を表現しているとされる。19世紀、労働者は機械を動かし続けなければいけなかった。そのためボームは東部の労働者階級が家族をかえりみず働き続けたことをブリキの木こりで表現しているのだと。

 まぁ、そこまで政治的解釈するまでもなく、ボームは本作の序文には「ただ今日の子供を喜ばせる為に書いた」と明言している。

物語の三人は、最初のうち、「知恵」「こころ」「勇気」について、魔法で手に入れようと考えていました。ところが、西の魔女とのこわい戦いに逃げずに立ち向かった結果、知恵やこころ、勇気が手に入ったところです。大切なのは、努力と経験です。がんばった経験は必ず、あなたの中にあなただけの知恵やこころ、勇気を形作ってくれるということを教えています。

 

 この映画『オズの魔法使い』に興味が湧いて、映画の主人公ドロシーを演じたジュディ・ガーランドのことを調べました。

ジュディ・ガーランド(英語: Judy Garland、1922年6月10日 - 1969年6月22日)は、アメリカ合衆国の女優、歌手。子役として出演した『オズの魔法使い』で大人気を博します。『オズの魔法使い』はジュディの才能を大々的に世に知らしめるものとなり、この役でアカデミー子役賞を受賞する。

以後も映画『スタア誕生』などで抜群の歌唱力を披露して1940〜50年代のハリウッドを代表する大スターの一人となった。そしてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。が、主演女優賞は『喝采』のグレース・ケリーが受賞し、ジュディの受賞はならなかった。受賞を逃した失意により、彼女の私生活は再び荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こしている。

私生活では、結婚と離婚を5回繰り返す。薬物中毒と神経症はさらに悪化。1969年6月22日に滞在先のロンドンで、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。自殺とする説もある。47歳だった。

 

天使のような歌声をもつ世界的な天才歌手が、こんな壮絶な人生を送ったことを知って唖然となった。映画の主人公であるジュディ自身が、オズの魔法使いの大切な教えである「知恵」「こころ」「勇気」をなくしてしまったことがただただ残念でならない。

 

2021年12月                           池袋ミカド劇場にて

 

 

 

 

 

 

 

 

ダッフィーとうさぎの友達ステラ・ルーがやってくる

 

今や、ディズニーシーでは、くまのダッフィーとそのお友達たちは人気者。

ダッフィーは2005年12月にディズニーシーで誕生した、テディベアをモチーフにしたキャラクター。航海にでかけるミッキーが寂しくないように、ミニーがミッキーにプレゼントしたぬいぐるみがダッフィーだった。ダッフィーは元々アメリカのディズニーリゾートで販売されていたテディベアでしたが、後にディズニーシーオリジナルキャラクターとして誕生しました。

ダッフィーに続き、2010年1月にはダッフィーのガールフレンドのくまのシェリーメイが、2014年7月には絵描き猫のジェラトーニが登場しました。

さらに新しくうさぎのステラ・ルーも加わり、現在この4人はディズニーシーで「ダッフィー&フレンズ」として活躍しています!

 

 うさぎちゃんが会いたくてたまらないのは、もちろんうさぎの仲間であるステラ・ルー。

ステラ・ルーはディズニーシーの人気キャラクター・くまのダッフィーのお友達として2017年3月にお目見えした新しいキャラクターである。ラベンダーカラーで大きな長い耳を持つステラ・ルーは、いつかブロードウェイのダンサーになりたいと夢見るうさぎの女の子。

「ステラ」とはラテン語に由来し、英語やイタリア語で「星」や「惑星」という意味があります。

ステラ・ルーと初めて出会ったダッフィーは、ステラ・ルーに「君は星のように輝いているね」と話しかけている。その運命的な出会いが紹介されている。・・・

ある日、アメリカンウォーターフロントにやってきたダッフィーは、S.S.コロンビア号の前でダンスの練習をしているうさぎのステラ・ルーに出会います。

ダンスの最中、転びそうになったステラ・ルーに「ころびそう、大丈夫?」と ダッフィーが声をかけました。

ステラ・ルーはダッフィーに「いつかダンサーになるのが夢なの」と言います。

ダッフィーは、「夢って眠っているときに見るものじゃないの?」と聞きました。するとステラ・ルーは、「いつかこうなりたいって願うことも夢なのよ」と教えてくれます。

再び踊りはじめるステラ・ルーを見たダッフィーは、「キミは星のようにかがやいているね」と言いました。その一言に、ステラ・ルーは夢がちょっとだけ近づいた気がしました。

そしてダッフィーは夢に向かって一生懸命ダンスの練習をしているステラ・ルーを見て応援したいと思うのでした。・・・

 

うさぎちゃんは本物のダンサーを目指しているステラ・ルーと一緒に舞台でダンスをしたいと思いました。そして、その憧れのステラ・ルーがいま目の前にいるのです。もう舞い上がりそう。

ステラ・ルーはうさぎちゃんの手をとって、一緒にダンスをしました。うさぎちゃんは必至でステラ・ルーのステップを学びました。

うさぎちゃんの瞳はキラキラ輝いています。汗がダイヤモンドのように輝いています。

そんなうさぎちゃんの姿を近くで見ていたかめさんの目もうるうるしてきました。そして、ステラ・ルーと一緒に踊っているうさぎちゃんに向かって叫びました。

「うさぎちゃんも必ずストリップ界のステラになるよー!」

 

 

実は、かめさんは最初、「ダッフィー&フレンズ」がやってきたときに、同じくお絵描きを趣味にしている猫のジェラトーニに関心がいき、話しかけていきました。

猫のジェラトーニは、エメラルドの毛並みとグリーンのつぶらな瞳がキュートな男の子です。ダッフィーはかなりマイペースな性格の癒し系ですが、猫のジェラトーニはちょっぴり凛々しい感じで、話し方もテキパキしています。だから、理知的なかめさんと猫のジェラトーニはすぐに意気投合しました。

猫のジェラトーニとくまのダッフィーとの出会いの話も感激しました。・・・

ある日、ミッキーとお出かけしていたダッフィーは、せっかく買ったジェラート(イタリア語で「凍った」という意味を持つ氷菓)を地面に落としてしまいました。

地面でどんどん溶けていくジェラート……。

途方にくれるダッフィーの前に現れたのが、猫のジェラトーニです。どうするのかと思いきや、おもむろに自分の尻尾でジェラートをすくい上げる猫のジェラトーニ。すると、自分が今まで描いていた絵のキャンバスに、カラフルなジェラートを塗り始めたのです。

実は、とっても絵が上手な猫のジェラトーニ。彼の絵の上手さに、ダッフィーもびっくり!

ジェラートを落としてしまった悲しさはどこへやら、ダッフィーは、自分も絵を描きたいと言い出します。ダッフィーとジェラトーニは、2人で仲良く絵を描き始めるのです。

2人は、自分のお気に入りの絵を交換します。その頃にはすっかり、仲良しになっていたのです。・・・

街中を自分の絵の具で染めてカラフルな夢の世界にしたいと熱く語るジェラトーニを横で見ていて、かめさんも森のストリップ劇場を自分の手でカラフルに染めてみたいと思うのでした。

 

うさぎちゃんもかめさんも、今回、男の子同士、女の子同士で、趣味を共にする最高の仲間を見つけました。

 

                                   おしまい

「未来少年コナン」がやってくる  

 

 

森のストリップ劇場に、TVアニメ「未来少年コナン」の面々がやってきました。のこされ島からはるばるコナンとラナ、ジムシィとテラ、ダイスとモンスリーの三つのカップルが来ました。主人公の快男児コナンとテレパシー能力をもつ美少女テラ。コナンの親友であるジムシィと意地っ張りだがジムシィに恋い焦がれるテラ。そして、これまた犬猿の仲であったが最後に熱烈に惹かれあい結婚したダイスとモンスリー。モンスリーの手にはかわいい赤ん坊が抱かれていました。三組のカップルは楽しそうに、森のストリップ劇場にやってきました。

彼ら彼女たちは「この森のストリップ劇場は、のこされ島と同じく、自然がいっぱいあり、動物と人間が楽しく生きている。最高の場所だわ」。さらに、コナンとジムシィが「それに、みんな僕らと同じで裸なのもいいね。」と笑いながら付け加えました。

彼らは一日楽しんで帰っていきました。

 

ところで、彼らのやり取りをカメさんが横で頷きながら聞いていました。他の森の劇場メンバーもコナンたちを興味深く眺めていましたが、なんか邪魔してはいけないような気分になって誰も声をかけませんでした。

 実は、カメさんたちは、このTVアニメ「未来少年コナン」は宮崎駿監督が初めて監督を担当した作品なのを知っていて、事前にビデオを借りてお勉強していました。このアニメは1978年4月4日から10月31日にかけて、毎週火曜日19時30分から20時00分まで日本放送協会(NHK)で放送されました。なにせ全26巻もある長編なので、けっこう時間をかけてビデオを観ました。カメさんは「長いので観るのが大変だったけど、最終回まで観終わったときに、とても爽快感があって良かったよ。」と話していました。「なにより、憧れの宮崎駿監督の世界観が伝わってきて、これが後の作品につながっているんだと思うと嬉しくてたまらなくなったよ。初期の作品なだけに、後の名作と比べるとずいぶん粗削りだなと思うところもあるけど、その分、後の作品につながる原石みたいな印象を受ける作品だね。」と言ってます。

 一緒に観ていたうさぎちゃんはラナに憧れていました。ラナの気持ちになりきって、コナンのことを慕っていたようです。思わずカメさんは「ぼくはコナンのようにスーパーマンじゃないし・・・むしろ運動音痴だし・・・」とこぼしました。「でも、うさぎちゃんを想う気持ちは、ラナを想うコナンに負けないよ」ときっぱり言いました。うさぎちゃんは笑みを浮かべて、「もう少し、カメさんにTVアニメの解説をしてほしいな。」と頼みました。カメさんは気をよくしてTVアニメの解説を始めました。・・・

 

 最初に感じたのは宮崎駿監督の未来観でした。

 これまでジブリ作品をたくさん観てきたけど、未来が舞台設定になっていたのは『風の谷のナウシカ』とこの『未来少年コナン』の二作品だけ。しかも、どちらも未来が暗い。前者はこうだ。<千年前の「火の七日間」と呼ばれる地球最終戦争(おそらく核戦争)により巨大産業文明は崩壊し、錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に「腐海(ふかい)」と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森に世界は覆われていた。人類は生き残るが衰退し、腐海が放つ猛毒と、そこに棲む巨大な虫たちに脅かされていた。> 後者も全く同じで、こう始まる。<2008年、核兵器以上の威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発。五大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海中に没した。 戦争から20年後、「のこされ島」と呼ばれる小さな島に墜落した宇宙船(ロケット小屋)で、コナン少年は「おじい」と二人で平穏に暮らしていた。>

  どちらも未来は真っ暗なんだな。人類は核兵器により自己破滅した想定になっている。宮崎駿監督は「このままいけば人類に未来はない!」と警鐘を鳴らしている。しかし、どうにか人類は生き残る。そのキーは未来を担う子供たちにあると考えている。

 ラナの祖父であるラオ博士は、太陽エネルギーを発明したことが人類の未来を奪うことにつながったとして科学者として深く反省している。その忸怩たる思いだけで生き永らえ地球を救う最後の仕事をしようとしていた。なんか原子力を導きだしたアインシュタインにイメージが重なるなぁ。同じようにインダストリア最高委員会メンバーだった他の科学者たちも、独裁者を標榜したレプカの支配下で余儀なく協力してきたが、最後には海の底に沈みゆくインダストリアと運命を共にすることを自ら選び死んでいく。見識ある大人たちは自らの罪の責任をとって死んでいく。

 ラオ博士が死に際にラナと一緒にコナンとジムシィを呼んで「君たちこそが未来だ」と語り掛ける場面がすごくグッときた。だから、宮崎駿監督はその後もファンタジーアニメを作り続け、子どもたちに語りかけてきたのだと改めて思った。

 

◇ 次に、ストーリー性とアクションについて。

 ストーリーは極めて分かりやすい。あらすじを簡単に紹介する。

<ある日、海岸に少女ラナが漂着する。彼女はハイハーバーという島で暮らしていたが、科学都市インダストリアの者たちにさらわれ、隙を見て逃げ出したのだった。ラナを追って残され島にやってきた戦闘員達によって、ラナは再び連れ去られ、おじいは死んでしまう。コナンはおじいを埋葬し、ラナを救うため島から旅立つ。

インダストリアは、前時代の巨大な塔(三角塔)を中心とした都市である。インダストリアの指導者たちは、太陽エネルギーシステムを復活させるため、その技術を持つラオ博士を探していた。インダストリア行政局長であるレプカは、このシステムを利用して都市の地下に眠る巨大な爆撃機ギガントを再起動し世界征服を成し遂げるつもりであった。失踪していた博士を見つけ出し従わせるために、テレパシーで彼とコミュニケートできるという孫娘のラナを拉致させたのだった。コナンは、旅の途中で知り合った少年ジムシィや、運搬船「バラクーダ号」の船長ダイス、都市の地下にすむ住人たちと共闘し、独裁をはじめたレプカと対決して一旦は放逐することに成功する。その前後からインダストリアは地殻変動に見舞われており、ラオ博士は住民脱出のために太陽エネルギーシステムを復活させる。しかし、少数の部下たちとともにインダストリアに舞い戻ったレプカは、太陽エネルギーシステムを利用してギガントを復活させる。コナンたちは離陸したギガントに乗り込んで大暴れする。ギガントは墜落・大爆発し、レプカは運命を共にする。

コナン・ラナ・ジムシィたちは、ダイスの船で「のこされ島」に移住することになる。のこされ島があるべき場所には見知らぬ巨大な島があった。コナンは、その島の高い山の頂上に、懐かしいロケット小屋を見出す。さらなる地殻の変動が「のこされ島」を変貌させていたのだった。コナンたちは新天地での生活を始める決意を新たにする。>

悪者としてインダストリア行政局長のレプカを登場させる。インダストリアのエネルギー問題解決のため、委員会に太陽エネルギー復活を説くが、その実は独裁政治を志向するタカ派。太陽エネルギーの秘密を握るラオ博士と、ラオ博士の手掛かりとなるラナを追う。他人を敵か道具としか見ない冷酷な人物で、目的のためには手段を選ばない卑劣漢でもあり、その高い知性と抜きん出た指導力を駆使してインダストリアの実権を掌握し、太陽エネルギーをもってギガントを復活させ、世界の支配者となることに野心を燃やす。

 しかし、大物観はなく、小悪党なイメージ。そのためか、コナンは最後の最後に助けようと手を伸ばす。しかし、レプカは自分にしがみつき助かろうとする部下を蹴落とそうとしたため、自分もコナンの救いの手を放してしまう。まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想してしまった。

本作品は単なる勧善懲悪でなく、悪者も最後にはコナンが救い、そして味方に付けていくところがいい。最高の寝返り例はモンスリー。彼女はインダストリア行政局次長。レプカの命令によりのこされ島からラナを連行する。美人で聡明だが気が強く、無愛想な性格の持ち主。最初は憎たらしい存在だった。しかしその胸には大戦での凄惨な記憶を秘めている。乗り物の操縦に長け、判断力も優れるため、レプカや部下からの信頼は厚い。コナンの強じんな意志と身体能力の高さに惚れ込み、インダストリア市民として教育しようとする。レプカの忠実な部下だったが、ハイハーバーでの敗北とコナンの信頼を経てレプカに反抗することになる。最後は船長ダイスと結婚するわけだが、結婚式でのかわいいお嫁さん姿は私も惚れちゃう。彼女の存在感は抜群である。

 他にも、オーロがいる。ハイハーバーの本村の反対側にある荒地で暮らす孤児。体も大きく身体能力にも恵まれており、頭もそれなりに切れる。おなじく孤児であるチートらと対立する不良少年グループのリーダー。17歳。派手な言動や演出を好む自己顕示欲の強い性格。はじめはチートらとともに働いていたが、地道な生き方に嫌気がさし、働くのをやめるばかりか、ハイハーバーを自分の国と言い張って他の働いている者達の抗議を暴力で押さえ込んでその代表に納まると、本村との交易権を独占し、強引な交渉で優位に進めた成果を盾に納税を強要するなど横暴を重ねるようになり、さらにはハイハーバーの武力制圧に乗り出したインダストリアのモンスリーと手を組み、島を脅威に晒すことになる。コナンとの決闘に敗れた後は負けを認めて改心し、更に最終話ではガルの弟子として火薬職人となったらしく、ガルと共にバラクーダ号進水式兼ダイスとモンスリーの結婚式の際の祝砲を上げるといった活躍をみせている。最終話でコナン達がのこされ島に向けて出航した時は涙を流して見送った。

 モンスリーやオーロを観ていると、人間の弱さや良さが伝わってくる。悪く見える人間もすべてが悪いところだけではない。良いところを見つけられるコナンにかかれば、良いところが出てくる。ここにも宮崎駿監督の人間観が垣間見れる。それにしても、コナンのような器の大きな人は魅力的だよね。

 

 次に、アクションシーンについて。

本作には、宮崎駿作品を象徴するようなアクションシーンが出てくる。随所に主人公コナンの息詰まるアクションを散りばめ、あるいは旅の途中で知り合った仲間・ジムシーとの息の合った活躍を痛快に描いている。ラナを乗せて飛び立とうとするファルコの翼に飛び乗り、ラナを取り戻そうとする姿や、三角塔に幽閉されたラナを連れ出して塔を下っていくシーンなどは手に汗握る緊張感を醸しているし、コアブロックに降りたラナとラオ博士を助けるためにコナン・ジムシーが奮闘したり、ギガントに乗り移って巨大な戦闘機を墜落させようと大暴れするシーンなどは溜飲を下げる思いである。

中でも有名なのは第6話「ダイスの反逆」での脱出劇、そして主人公コナンの大ジャンプシーン。インダストリアでレプカたちに捕らえられたラナを三角塔から救出したコナンは、激しい追撃をくぐり抜け、塔の半ばから大ジャンプして脱出。着地したコナンは足元から痺れ、足の裏が地面に張り付いてしまいますが、追っ手を撒くことに成功します。

高い塔から飛び降りて、ビリビリと痺れたけれど助かるというのは現実ではありえないことですが、それをアニメーションの力で可能にし、視聴者も楽しませる、というのが宮崎駿作品の凄いところです。この第6話の大ジャンプはその象徴的なシーンではないでしょうか。

 

◇ このTVアニメ「未来少年コナン」を観ていると、宮崎駿監督の恋愛観が伝わってきて面白い。

 コナンとラナが出会う第一話は印象的だった。生まれて初めて見る女の子に初めは戸惑い、おじいの後ろから覗き込むだけだったコナンだが、徐々に女の子というものを無意識的に理解し、「ラナ」という一人の女の子に向ける無償の愛が自然に描かれていて素敵だった。

それにしても、主人公コナンのラナを想う気持ちはあまりにもピュア。死を覚悟でラナを救出に駆け回る。一方、ラナも心の底からラナを信頼し慕っている。典型的なピュア・カップル。だからこそ、コナンはラナのためにもスーパーマンでなければならない。真の男というのは女のために強くなければいけない、そうした考え方が根底にある。そのためには外見は粗野でもかまわない。笠のような散切り頭でもいい。むしろ、こうした野性味あふれるキャラが求められる。

 この二人は最終的に結ばれる予定。後日談的な映像でもあるOPを見る限りでは最後はコナンの事実上の許婚となって一緒に生活していることがわかる。

 コナンの親友であり、頼れる協力者であるジムシィ。こちらも野性味たっぷり。ただ、初めて出会った女性ラナに興味津々となるコナンと違い、「女性は弱くて泣き虫だから嫌いだ。」と言う。しかし、コナンとラナの間柄を羨ましく思っており、最後はハイハーバーで出会い衝突した孤児オーロの妹テラと一緒に、のこされ島に向かう。宮崎駿監督は、こんな野暮なジムシィにもちゃんと見合いのパートナーをセットしている。

 恋愛関係で憎い演出は、「バラクーダ号」の船長ダイスとモンスリー。インダストリア行政局次長であるモンスリーとは犬猿の仲のように敵対していたが、最後はモンスリーがレプカのやり方に不満をもちコナンの味方になることで、二人は好意を寄せあうようになる。

モンスリーの発する口癖「バカね!」がたまらない名言。最終話にてダイスとモンスリーは結婚する。最終話時点での年齢はダイス35歳、モンスリー28歳としている。

 この三組のカップル、コナンとラナ、ジムシィとテラ、ダイスとモンスリーの恋愛関係が作品全体ととても面白く味付けしている。宮崎駿監督はどんな男女にもふさわしい伴侶をうまく組み合わせて用意している。今のように結婚しない男女やLGBTなどは宮崎駿監督からは考えられないんじゃないかな。

 

 最大のポイントは、自然との共生というテーマ。

これを示す名言が23話にある「君たちこそ本当の太陽が育んだ少年なんだ」。太陽塔を復活させた後、ラオ博士がコナンとラナ、ジムシィに対して言ったセリフ。大変動前の文明は太陽エネルギーの膨大すぎる力に溺れて、その力によって滅んだ。ラオ博士はこの教訓を次の世代に伝えようとしたのである。

 地球という生命体は太陽によって生かされている。太陽エネルギーを開発したことは科学技術として素晴らしい成果であるが、人間の弱さから太陽エネルギーの利用を誤り地球を破滅に導いてしまったのは皮肉である。いや皮肉と言って済まされる話ではない。このことに気づかなければ人類の未来はないと警鐘を鳴らしているのだ。本当の太陽は未来を担う少年少女の心にある。

このセリフは自然との共生を主張している監督の心が表れている。そして、これこそが今後の宮崎駿監督の最大のテーマとして全作品の根底に流れていく。

 

改めて、TVアニメ「未来少年コナン」は素晴らしい作品だと思った。

基本的に“未来少年コナン”という物語は、(第2話でコナン自身が言ってますが)ラナを探して仲間を見つけ、そしてのこされ島に帰ってくる物語で、派手さはないけど伏線などは緻密に計算されていて無駄な所や否定的な部分は殆どなく、SF、アクション、冒険、ラブロマンス、そして科学文明批判など、様々な要素が含まれたエンターテイメントの王道を行く作品だと思います。

地球のほとんどが消滅した世界で征服を企む独裁者に立ち向かう少年少女たち。コナンやラナ、ジムシーのセリフが突き刺さり、シリアスな中にも宮崎駿監督らしいコミカルなシーンがちりばめられ、実は重いテーマなのにそれをいい意味で感じさせない前向きな物語です。

コナンというと、ついつい「名探偵コナン」のことを思い浮かべる人が多いと思います。そこで、ひとつ小話を紹介して終わります。「歌手のGACKTさんがマネージャーに「コナン借りてきて」と伝え、名探偵コナンを借りてきたのに対して、「コナンって言ったら未来少年コナンに決まってるだろうが!」と怒ったそうです。

 

                                   おしまい

 

 

 

「思い出のマーニー」がやってくる  

                   ~キャッチコピー「あなたのことが大すき」、

「あの入江で、わたしはあなたを待っている。永久に――。」~

 

 

 

森のストリップ劇場に、映画「思い出のマーニー」の主人公杏奈がやってきました。手にはスケッチブックを持っています。そして友達の彩香も一緒です。

絵の好きなカメさんがうさぎちゃんと一緒に、杏奈たちに声をかけました。杏奈はとても気さくに応じてくれました。スケッチブックも見せてくれ、その中には映画にもあったように「湿っ地(しめっち)屋敷」や「マーニー」の絵がたくさん描かれています。改めて、カメさんは絵に感動しました。映画の中で、杏奈は絵を通して物語を作ります。その物語の主人公がマーニーでした。

 

カメさんは映画「思い出のマーニー」のストーリーを思い出す。・・・

杏奈は、最初、すごく嫌な女の子でした。人と交わるのが嫌いで、親切に声をかけてくれる人に対してまで「おせっかい」と言ったり、友達に「ふとっちょ豚」などという酷い言葉を発したりします。

なぜそんな子になったかというと、ひとつは杏奈には外人の血が混ざっていて瞳が少し青く、それがコンプレックスになっていること。そして一番の原因は、杏奈が貰い子であること。杏奈は幼くして両親を自動車事故で亡くし、一人残された杏奈を引き取った祖母も娘の事故死の心労からか一年後に病死する。身内を亡くし施設に預けられた杏奈は五歳で今の両親に引き取られる。優しい今の両親のもと明るく育ったが、ある時、自分は貰い子で役所から養育費が出ている事実を知る。母親の遠慮した態度はそこから出ていると強く感じた。自分には血の繋がっている人は誰もいないことを痛感し、杏奈は自分から殻に閉じこもっていく。「この世には見えない‘魔法の輪’がある。私はその輪の外側にいる人間だ。無理に内側に入らなくてもいい。」と自分から決めつけるようになる。

 そんな杏奈が、かかりつけの医者の勧めで、喘息の治療にと、空気のいい海のある村で静養することになる。母親の親戚筋にあたる大岩夫婦のもとに杏奈は預けられる。大岩夫婦は杏奈に優しく接するがなかなか馴染めない杏奈。

 そんな杏奈が、広い湿原にある「湿っ地屋敷」を見つけ、不思議な懐かしさを感じる。

夢の中で、杏奈は湿っ地屋敷に住むマーニーという少女に出会う。そして友達になる。マーニーは杏奈に「あなたのことが大好き」「あなたのことをずっと待っていたの」「あなたと友達になりたい」と話す。夢の中で、杏奈はマーニーとの物語を作っていく。しかし、マーニーは途中で杏奈を放ったらかしにするように突然に消えたりする。「どうして私のことを放って消えてしまうの?」とマーニーを問い詰める杏奈。それに対して「許してちょうだい。もう私は遠くにいかなければいけないの。しかし、これからもあなたとはずっと友達でいたいの。」とマーニーは真剣な表情で訴える。そして杏奈はそれを受け入れる。

物語は途中何度も、夢と現実が入り混じる。しかも話が途中でプツンプツンと飛んでしまい、話の流れが見えなくなる。杏奈自身も迷う。映画を観ている方も、どこまでが現実で、どちらが杏奈の夢なのか、だんだん区別がつかなくなり、頭の中が混乱する。

最後に、杏奈は夢の中の少女マーニーが亡くなった祖母である事実を知る。その瞬間にすべての謎が解けていく。祖母が幼い頃の杏奈に語りかけていた話の記憶に基づいて、杏奈が物語を作っていたからだった。だから記憶が薄れてしまったところや杏奈が知らない部分がプツンプツンと物語を飛ばしてしまっていたのだ。

亡くなった祖母が夢の中でマーニーになって杏奈に会いに来たわけだ。「あなたのことが大好き」「あなたのことをずっと待っていたの」などのマーニーの台詞が実感として初めて大きな意味を持ち始める。その瞬間に、孫娘を残して死んでいった祖母の無念さや、今の孫娘の歪んだ心境を救いたい祖母の温かい想いがスクリーン全体をおおう。そう感じたら涙が止まらなくなる。

杏奈は、まさしく「思い出のマーニー」という題名の通り、マーニーを思い出にすることで、人間的に成長する。養ってくれている母親の頼子のことも許せるようになる。「ふとっちょ豚」と呼んでしまった友達の信子にも素直に謝る。そして、何よりも素敵な友達の「彩香さん」ができた。こうして自分で勝手に作っていた魔法の輪を漸く外すことができた。この映画はまさに杏奈の成長物語である。杏奈のように自分を嫌いになり悩んでいる女の子って結構いるんじゃないかな。そういう意味でとても共感を呼ぶステキな映画だと思う。・・・

カメさんの話は杏奈を喜ばせた。こんなにもしっかり映画を観てくれている方がいて素直に嬉しかったのだ。隣で話を聞いていた彩香も照れるようにはにかんだ。

 

また、カメさんと一緒にいたうさぎちゃんも話に絡んできた。

「私もね、この映画にとても共感したの。というのは、最近、私もステージの上で‘孤独’を感じるの。カメさんがリボンをしてくれたり、他にもたくさんの方が応援してくれているのは分かっているけど、時に、自信をなくして、たまらなく淋しくなったり、悲しくなったりするの。それは、ステージの上では自分ひとりだからかな。誰も助けてはくれない。

 今は、この気持ちをステージで表現したいと思っているの。ところが、これがなかなか思うようにできない。

この映画では、杏奈さんの、独りぼっちで淋しくてたまらないのにみんなの輪に入っていけない葛藤がとてもよく伝わってきたわ。それを解決するために、空想の人物としてマーニーが登場する。マーニーは何の躊躇もなく『あなたのことが大好き』と杏奈さんの全人格を受け入れる。そして杏奈さんも、自分を放ったらかしにしたマーニーを許す。マーニーは杏奈さんの影の存在。杏奈さんはマーニーを許すことで、影の自分を受け入れたんだと思った。

また、マーニーがいつでも自分の中にいることで、自分は愛されているし独りぼっちでないことを知った。こうして孤独から解放された。

この映画では、そうした心の機微がとてもよく表現されていて感心したの。」

カメさんが続けて話をした。

「ボクも絵を描くから分かるんだけど、絵って素晴らしいよね。この映画のポイントは、杏奈さんが描いたスケッチだと感じたんだ。公園や湿っ地屋敷、なによりマーニーの表情や仕草がステキだった。絵があったからこそ、杏奈さんは心の中のモヤモヤを表に出すことができた。

 もうひとりの絵描きの久子さん。彼女が本映画の重要人物だったよね。マーニーと幼馴染で、杏奈さんにマーニーのことを詳しく教えてくれたよね。

 絵がすべてをとりなす縁になっていたと感じたんだ。」

 そして、カメさんはうさぎちゃんの話をフォローする形で付け足した。

「先程うさぎちゃんが話したけど、最近、うさぎちゃんが心の中のことを表現したいって、さかんに言うんだ。特にステージの上で感じる‘孤独’とか。踊り子というのは表現者(アーティスト)だから、自分で表現したい対象ができると、とことん追求したくなるんだね。

 もちろん踊り子だからダンスで表現しようとする。しかし、考えてみたら表現方法はいろいろある。最初からダンスというのではなく、まずは身近なところで、その心の中のもやもやを言葉や文章にして、そして次にそれを絵で表現してみてはどうかな、とボクは思うんだ。うさぎちゃんと話して、その表現したい心の中にあるもやもやを言葉にし、それをボクなりに絵にしてみる。そうしたら、うさぎちゃんは喜んだ。

 うさぎちゃんは、言葉にできたキーワードから、そのテーマに合った選曲を考える。そしてボクの描いた絵からポーズ、振付、場面設定を発想する。そうすると朧げに表現したいものが見えてきたりする。それがすごく楽しい。

 最近は、うさぎちゃん自身が自分からどんどん絵を描き始めた。最初は思うように描けなかったが、これも慣れると次第にうまくなっていく。ボクが褒めるとどんどん描いて見せてくれる。絵を通しての、うさぎちゃんとのやり取りはすごく楽しいし、やっぱり絵の上手な踊り子さんは素敵だなぁ~って思う。

 ボクは最近、踊り子さんにとっての絵の重要性を強く感じている。ステージには絵心が必要なんだ。‘絵になるステージ’になってこそ、初めて踊り子の想いは観客の心に届くのさ。

 杏奈さんも彩香さんも、そしてうさぎちゃんも、カメさんの話に頷いた。

 

 杏奈さんは、森のストリップ劇場をスケッチし、その一部を記念にカメさんとうさぎちゃんにプレゼントしました。

 今でも、森のストリップ劇場の壁には杏奈さんの描いた絵が飾られています。それを見ると、カメさんもうさぎちゃんも杏奈さん達のことを思い出します。その絵はまさしく‘思い出の’一枚です。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コクリコ坂から」がやってくる  

                    ~キャッチコピー「上を向いて歩こう」~

 

 

森のストリップ劇場に、映画「コクリコ坂から」の面々がやって来ることになりました。主人公の松崎海は猛勉強の末、本人の希望通り医者になるべく医学部の大学にめでたく合格しました。彼氏の風間俊も、高校卒業後は水産学部のある大学に入り最終的に父親と同じく海上の仕事に就く予定です。二人ともステキな青春を謳歌しながら人生の目標に向かって懸命に生きていました。今回は、二人の合格祝いを兼ねて、森のストリップ劇場にやってきたのでした。一緒に、海の妹の空と弟の陸も同行しました。

彼らがやってくることが事前に分かっていたカメさんは、映画「コクリコ坂から」を観て勉強し、劇場側と相談して歓迎の準備をしていました。

それが劇場の屋根の上に国際信号旗を掲げることでした。旗の意味は大歓迎。しかも汽笛の音まで流しました。海と俊は劇場側の心遣いにとても感激していました。

 

海と俊のエスコート役として、カメさんとうさぎちゃんが付きました。

カメさんは映画の感想として次のような話をしました。

「ボクは二人の旗のやりとりに感銘したんだ。海さんは、小さい頃から亡くなった父親に戻ってきてほしくて‘航海の安全を祈る’という意味の信号旗を毎朝外に上げる。それに対して、俊くんが海に浮かんだボートの上から‘ありがとう’の意味の旗を返している。しかし、俊くんの旗を海さんは気付いていない。海さんからは見えなかったんだな。それを二階に下宿していた画学生が見ていて、その風景を絵に描いていた。海さんがその絵を通して気づくというシチュエーションも素敵でした。」

うさぎちゃんが付け加えました。

「また、俊さんが毎朝旗を上げている海さんのことを想い、校内新聞の週刊カルチュラタンに『少女よ君は旗をあげる なぜ』という詩にして掲載していましたね。俊さんが先に海さんのことを想っていたんですね。私、この詩にズキュンときました。

 そして、最後の方で、血のつながった兄ではないかと思いながらも、俊さんに向かって『私が毎日旗をあげてお父さんを呼んでいたから、お父さんが自分の代わりに風間さんを贈ってくれたんだと思うことにしたの』『私、風間さんが好き』と言う場面にやられました。はっきりと自己主張できる海さんがとても眩しく感じました。」

 カメさんが更に言う。「今の人たちは、簡単に電話やメールで直接自分の意思を伝えてしまう。しかし、昔の人は自分の想いを旗や詩に託した。汽笛の音にも心を震わせた。風情というか、それがとても趣きがあるなぁ。」

 

 カメさんは話を変えた。「この映画の柱は二つあり、お二人の恋愛話と、もうひとつ文化部の活動をする学生たちの巣窟であるカルチュラタンの存続運動でした。この古くなった建物を取り壊すことに最初は八割の学生が賛同する。しかし、歴史を残すべきと主張する俊さん達の活動、そしてカルチュラタンを大掃除しようと提案した海さんの活躍などで存続が決まった。もともと反対の多数を占めていた女性陣がこの建物の大掃除に参加することで、この建物の意味を理解し、存続する方に意見を変えたことが大きい。女性の力って凄いと思った。

 同じように、今ストリップは存続の危機に立っている。ストリップは単なる男性のエロスの捌け口と考えられてきたところに、最近はストリップ女子がどんどん進出してきている。そして、ストリップの魅力や真意を理解するようになってきた。ボクはこの動きが素晴らしいと感じているんだ。ストリップの未来は彼女たちの力にかかっているかもしれない。」

 海と俊は、カメさんやうさぎちゃんの話を嬉しそうに聞いていた。

 

 横で聞いていたゴリくんが「そういえば、カメくんはいつも手紙や詩や絵画にして、うさぎちゃんにプレゼントしている。早い話が『ぼくはうさぎちゃんが好きだ!』ということだよね。回りくどいことをしないで、はっきりそう言ったらどうなの?」と口を挟んできた。

「おまえは風情もなにもない奴だな。それがいいんだよ。」とシマリスくんがゴリくんを一喝した。カメさんはにやりと笑っていた。

「うさぎちゃんも、それでいいのかぁ~」とゴリくんは呟いた。

 

「コクリコ坂から」の面々が帰った翌朝、劇場にやってきたみんなは上を向いて驚いた。

 劇場の屋根いっぱいに、紐で吊るされたピンクのハンカチが風になびいていた。「これは映画『幸せの黄色いハンカチ』をイメージしているなー。うさぎちゃんの強い意志の表れだー!」とシマリスくんが叫んだ。

 ときには上を向いて歩くことも必要だね。(笑)

 

 劇場の周りにはヒナゲシの花が咲き乱れていた。コクリコというのはフランス語でヒナゲシを意味する。花言葉は「いたわる、思いやり」という。

 

                                   おしまい

 

「平成狸合戦ぽんぽこ」がやってくる  

             ~キャッチコピー「タヌキだってがんばってるんだよォ」~

 

 

森のストリップ劇場のある森林地帯に最近、タヌキが増えてきた。多摩地区のタヌキが都市開発のため住処を奪われ移転してきたのが原因だった。もちろん、この地区にも従来からのタヌキたちがいたが、ここは食料が豊富なために特に問題は生じなかった。

むしろ、森のストリップ劇場でタヌキ騒動が起こった。

森のストリップ劇場では、タヌキは、出演はおろか、観客としても入場お断りになっていた。というのは、前にタヌキが化け学(ばけ学)により木の葉を紙幣にして入場料を払ったりチップにしていたのがバレたことによる。それ以前からも、タヌキはかぶり席で狸寝入りするため踊り子からも非常に評判が良くなかった。

今回、多摩地区から移転してきたタヌキたちは、そんな事情を知らないので、そろって森のストリップ劇場にやってきて、入れる入れないのとタヌキ騒動が起きたのでした。特に、気の短い権太が先頭に立って騒いでいたので、慎重派の正吉や古狸の火の玉おろくが権太を抑えにかかりました。

 

つい先日も、森のストリップ劇場に、映画『ズートピア』の主人公であるウサギ警察官ジュディ・ホップスと、キツネ警察官ニック・ワイルドがやってきて、キツネの扱いについて議論されたばかりでした。そのときも、カメさんの提案で「外見で物事を判断してはいけない。本当のことは心で見ないと分からない。」ということが確認されたばかりでした。

 そこで、狸のリーダー正吉と狐のリーダー竜太郎は相談して、森のストリップ劇場に対して新企画「妖怪大作戦」を提案することにしました。その企画には、以前ここ森のストリップ劇場にやってきたことのあるゲゲゲの鬼太郎たちも協力することになりました。

 狸と狐の化け学は、豪華な百鬼夜行に成功しました。

 劇場内はやんやの歓声です。客席には、ジブリのキャラクターである「トトロ」、「魔女の宅急便」のキキとジジ、「紅の豚」のマルコ、「おもいでぽろぽろ」のタエ子まで応援にやってきていました。大盛況のうち公演は終わりました。

 狸だって狐だって頑張って生きているのです。外見や偏見で物事を判断することは止めよう!と、みんながぽんぽこ話し合いました。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

「借りぐらしのアリエッティ」がやってくる  

~キャッチコピー「人間に見られてはいけない。それが床下の小人たちの掟だった。」~

 

 小人のアリエッティ一家は、父親ポッド、母親ホミリー、そして14歳のアリエッティ。長年住んでいた屋敷から引っ越しすることになりました。案内人は少年スピラー。

 一行は森のストリップ劇場にたどり着きました。そして、劇場の床下で「借り暮らし」をすることにしました。

 公演が始まると、アリエッティは葉陰からストリップを眺めていました。そしてストリップの魅力にはまってしまったのです。いつも、こっそり眺めていたので、カメさんとばったり鉢合わせ。カメさんは小さいし、低い位置で生活していたので、小人の目線と同じ。小人の存在に気付くのに時間はかかりませんでした。

 最初は驚いたカメさんでしたが、持ち前のフランクな性格からアリエッティと仲良くなりました。アリエッティとしても「人間に見られてはいけない」という掟はあったものの、ここは動物だけだったので問題はありません。

 アリエッティはカメさんに尋ねました。「私ね、ストリップが大好きになったの。できれば、ステージの上に立ちたいの。なんとかならないかしら?」

 カメさんは、うさぎちゃんや劇場関係者に相談しました。最終的には、ノーギャラですが、ステージに上がること自体は構わないことになりました。

 

 案の定、アリエッティのステージには問題がありました。小さくて見えないのです。

 可愛いアリエッティの魅力が観ている人たちに伝わらないのはあまりにも悲しいことでした。劇場側がノーギャラとしたのもそのせいでした。

 カメさんは小さかったので、アリエッティの魅力はよく分かりました。どうにかして、アリエッティの美しいステージを観客に伝わらせたいと考えました。

 そこで、メカに強いカメさんは現代のハイテクの力を借りることを考えました。映像機とパソコンを組み合わせ、大きなスクリーンに映し出すのです。

 最初はアリエッティに光を当て、シルエットを後ろの大きなスクリーンに映し出します。シルエットだけでもアリエッティの美しさは分かりました。観客は生唾ごっくん。次に、アリエッティの姿を映像化して後ろの大きなスクリーンに映し出しました。観客はあまりの美しさに卒倒しました。‘小さき者に神宿る’と言いますが、まさに神秘の美しさでした。

 

 それに感動したうさぎちゃん達も、その機械を使用したがりました。

すると、毛の一本一本、なんと毛穴まで・・・まさしくミクロの世界までくっきり映し出されました。ここまでくるとエロイというより、グロイ世界まで入っていきます。カメさんは「これは人間には見せられない世界だ」と言いました。(笑)

ストリップというのは姿・形のサイズにあった楽しみ方があるようです。

                                  おしまい

 

「猫の恩返し」がやってくる  

~キャッチコピー「猫になっても、いいんじゃないッ?」~

 

 

 映画『猫の恩返し』の主人公、吉岡ハルは母親と二人暮らしの、平凡な女子高生。あ、忘れてはいけない。家族としてもう一匹、猫のユキちゃんも一緒に住んでいました。

ハルは猫と喋れるという不思議な力を持っていました。だから、ユキちゃんと何でも話せます。ユキちゃんは色白で、とても可愛い顔をしていました。おさかなクッキーが大好き。

 ユキちゃんは森のストリップ劇場に興味を持っていました。自分の美貌なら雇ってもらえると思って、ハルに相談したのです。そこで、二人は仲間である猫の事務所の相棒、貴公子バロンとでぶ猫ムタを連れて森のストリップ劇場に行くことにしました。あ、また忘れた。猫の事務所にはカラスのトトもいて勝手に飛んで連いてきました。

 

映画『猫の恩返し』の面々は、森のストリップ劇場にやってきました。

一同はストリップを観劇しながら、ここには猫キャラがいないことに気づきました。ユキちゃんは自分がデビューできるかどうかと思って真剣に見ていました。

「ここには、どうして猫キャラがいないのかしら? 人間のペットとしては犬と猫がダントツよね。人気のある猫キャラを置かないのは何故かしら? 私、雇ってもらえるかしら?」 ユキちゃんは心配でならない様子。

  ハルは近くにいたカメさんに尋ねてみた。カメさんは丁寧に答えた。

「どうも昔はここにも猫キャラもいたようです。ところが猫は往々にして自由気ままです。遅刻はするわ、公演をすっぽかして穴を開けるわ、大変だったようです。」

 それを聞いて、学校の遅刻常習犯であるハルは小さくなった。(笑)

 ユキちゃんは「私はちゃんとやります。是非ここで働きたいと思います。」と言う。

 カメさんは「ボクが劇場経営者の人に話をつないであげるよ。」と優しく応対してくれました。劇場経営者は、ユキちゃんの美貌と誠実な人柄に一目惚れし、是非ともここで働いてほしいと言いました。運よくユキちゃんはストリップ・デビューすることが決まりました。

 劇場経営者は、ユキちゃんなら人気が大ブレイクするだろうと予感していました。ユキちゃんで成功したら次々と猫キャラをデビューさせて「101匹猫ちゃん構想」を立ち上げようと計画していたほどです。

 

 ところが、一行が帰った後、事件が起こりました。

 ユキちゃんの恋人猫ムーンが、ストリップ・デビューに猛反対したのです。そして、「ユキちゃんを自分の伴侶にしたい」と激しくプロポーズしました。これにはユキちゃんが驚きました。愛するムーンがそこまで言ってくれるならとあっさりストリップ・デビューを止めてしまいました。

 今度は、ハルをはじめ周りの者が驚きました。せっかく劇場側に頼んだのにどうしよう?

 ハルは、猫の事務所からバロンとムタを同行して、森のストリップ劇場に謝りに行きました。劇場経営者は意外にあっさりしていて「やっぱり猫は自由気ままだな・・・」とポツリと言いました。

 この言葉に猫を代表としてハルは憤慨しました。

「そんなことはありません。私が代わりにデビューします。」ときっぱり言いました。そして「猫になっても、いいんじゃないッ?」と叫びました。すると、ハルの身体が変化していきました。猫耳と尻尾が生え、次には猫髭が生えてきました。バロンとムタがびっくりしています。

「私は今まで人に振り回されて生きてきた。学校の時間に振り回され、ついていけなくて遅刻ばかりしていた。でも、これからは違う。私は猫になると決めた。自分で決めた自分の時間を生きていくの。」と明言した。

 劇場関係者はハルの気迫に押された。また、猫のハルも可愛い♡と思いデビューさせることにした。というか、劇場関係者の方も既に「101匹猫ちゃん構想」を考えていたので後に引けなかったのである。

 

 ハルのデビューは無事に行われた。

 それどころか、彼女のデビューの裏で「101匹猫ちゃん構想」が次々と着手されていた。

 第一弾の目玉としては、猫キャラと言ったら何といってもサンリオのキティちゃんなので、彼女をターゲットにしてサンリオと交渉に入っていった。キティちゃんはサンリオのメインキャラなので交渉は難航。そのため同時並行的に、猫キャラの募集をかけた。すると次々と逸材が発掘された。渋谷のナナにゃんこと星乃にゃんこ、西川口の猫じゅんこTwitterで話題になっている甘え猫ホイップ、冬季限定出演の雪猫ちゃん、とどんどん候補が上がってきた。彼女たちは強い個性があり自分をもっていた。ところが猫は一緒に一般的に自由気ままな面から、自分を持っていない猫もたくさんいた。そういう猫を集めて48名のチームを作ることにした。チーム名は「ねこのぬけがら48」。チームを作ることによって「101匹猫ちゃん構想」は一気に実現に向かっていく。

 これにより、森のストリップ劇場は「猫の国」になりそうな気配だった。この傾向をカメさんとうさぎちゃんは憂慮した。これから先の話は長くなりそうなので別の稿とするね。

 

 そうそう、忘れていました。余談になりますが、森のストリップ劇場に同行したメンバーの中に、カラスのトトがいます。

「なんで、ストリップ劇場にカラスは登場していないんだぁー!!! 映画の中で一番活躍しているのはオレ様だぞー★」と叫んでいました。はい

 

おしまい

 

 

今回は、TSの踊り子・時咲さくらさんの、シアター上野でのH28年9月結の公演模様を「浮世絵的美人画」(その2「お葉」)と題して語ります。

 

 

 さっそく、演目「お葉」について述べたい。

「この作品は2016年6中初出しです!!! 大正時代のモデルさんお葉。画家の竹久夢二と伊藤晴雨、三人の物語です。お葉さんはモテモテな女性です!!」たまたま私が6月中の大阪晃生に遠征したときに初出しだったんだね。晃生で話が弾んだのも当然。「着物の演目観てくれてめっちゃ嬉しいです。」そのせいか、この作品には強い縁を感ずるよ。

 

大正時代の音楽が聞こえる。「待てど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ・・・」これは竹久夢二が作詞した「宵待草」というヒット曲。

おときさんが、渋い紫色の着物姿で登場。着物の色は一見地味に見えるが、花柄の中にキラキラ光るものがあり、帯は赤く華やかで、後ろに金とオレンジで派手やかに結んでいる。このコーディネートはシックでありながらモダンさを感じさせる。これこそが大正時代のおしゃれ感覚だね。

頭には落ち着いた花飾りをし、白足袋でしなりと歩く。

まさに浮世絵的な美人画になっている。おときさんの求める大正ロマンには浮世絵の伝統が色濃く反映されている。

風呂敷に包んだスケッチブックを手に抱えている。「演目のスケッチブックは、伊藤晴雨と竹久夢二って意味なの。踊ってる私はお葉。二人を誘っているの。艶っぽく描いてほしくて踊ります。」

徐々に帯を解いていく。

たまらなく艶っぽい。お葉の複数の男性との恋に乱れ狂う情念の炎が見える。吉田兄弟の三味線の音が妖艶なまでに炎をかき立てる。曲名が「陽炎」というのもいいね。

おときさんはお葉になりきっている。ベッドショーでは頭やら身体が盆からはみ出るほど熱演している(笑)。

最後に荒井由実の名曲「朝陽の中で微笑んで」が流れたときにはぞくぞくっとしたよ。お葉の話を知ってから、この曲を聴くとなんか涙が出てきそうになる。

ほんと選曲が凄くいいね。教えてもらったので列記しておく。曲1.宵待草 2.カリソメ女(椎名林檎) 3.陽炎(吉田兄弟) 4.あの夏へ(ジブリ映画「千と千尋の神隠し」より) 5.朝陽の中で微笑んで(ハイファイセット)

 

どうして、おときさんはお葉を演じようと思ったのだろう。すごく気になった。おときさんに確認したら丁寧に手紙で教えてくれた。

「たまたま・・・大正ロマンについてネットで調べていたら、お葉がヒットして、三人の関係に興味をもち、この演目をつくりました!!!」「私が着ている着物は大正ロマンのもの。大正は15年。この間オシャレに生きている女性を表現したくなって、そうしたらお葉が出てきたのー。お葉ってとっても素敵な女性だったのですね。あとは、艶を演目で出したくて・・今回自分にぴったりはまった感じです。」

 

 私も、すぐにネットで、お葉、伊藤晴雨、竹久夢二と検索。竹久夢二は名前だけ知っていたが、詳しいことは知らなかったので彼らの生き様がかなりショッキングだった。調べたことをご紹介しよう。

 

<お葉の生涯>

 そもそも、「お葉」という名前は竹久夢二が付けたもので、それまでは「お兼」と呼ばれる。

 本名は永井兼代(かねよ)。お兼は、明治37年(1904)3月1日、秋田県に生まれた。えっ!3月1日って、おときさんのデビュー日じゃない!おときさんと縁があるんだね。私とおときさんが出会ったのもデビュー日の3月1日だよ。

 お兼は妾の子だったので秋田に居づらくなって、大正5年12歳のときに母と二人で上京。母は納豆売り、お兼は人形工場で働くも生活が苦しく、たまたまお兼は宮崎モデル紹介所にスカウトされモデルをやるようになる。当時、男性労働者の日給25銭のところ(ちなみに女工は6銭)、ヌードモデルなら倍の50銭が稼げた。東京美術学校では、お兼がモデルをやると教室が満杯になるほどの人気があったという。お兼は秋田美人のルックスに加え、既に13歳で魅力的なヌードをしていたわけだ。ストリップにスカウトしたいくらいだね(笑)。秋田美人といえば、今なら歌手の藤あや子さんや女優の壇蜜さんを思い浮かべればいいんじゃないかな。納得するでしょ!

 お兼は、美術学校のモデルを務める傍ら、この学校の西洋画科教授の藤島武二のモデルとしてアトリエに通うようになる。当時、50歳の藤島教授は13歳のお兼を「モデルを育てる」という意識で自分の娘のように面倒をみたという。だから肉体関係はない。

 ところが、この紹介所を介して「責め絵」を描く伊藤晴雨のモデルになる。「責め絵」ってSMだよー☆ お兼は「瓜実顔で高島田に結わせ、縛って写生するのに絶対にいい容貌と体格をもっていた」と晴雨は書いている。お兼は13~15歳の三年間、晴雨のモデルとして、また愛人として過ごした。

 お兼は若いけど、もう普通の娘じゃなくなってるね。東京美術学校の画学生達と浮き世を流しており、「嘘つきお兼」と呼ばれるほどの魔性の女になっている。この頃のエピソードとして、東京美術学校に土田という彫刻家の教授がいて、お兼は彼のモデルも務めていた。彼は女癖が悪いことで評判になっていて、嫉妬深い妻がいた。お兼が彼のアトリエに入ると、彫刻家の妻が隣室で聞き耳を立てて、少しでも物音がすると形相を変えて飛び込んできた。そんな嫉妬に狂った妻を見て楽しんでいたというから、お兼自身なかなかの玉である。

 この頃、お兼は妊娠したが、誰の子か分からないままに胎児を流産させた。このため、しばらく病気ということでモデルの仕事に行かない日を過ごした。

 大正8年(1919)の春、15歳になったお兼は、ようやくやる気を取り戻して美術学校に通い始めたとき、顔見知りの久本信男に会い、竹久夢二を紹介されたのである。

 

 お兼は、竹久夢二との運命的出会いをする。

 当時、夢二は愛する人・彦乃を失いショックから立ち直れずにいた。このままでは彼の才能が潰れると心配した友人の久本がお兼をモデルとして紹介した。初めてお兼を見た夢二は正気が蘇ったようにポーズをとらせ筆を走らせた。夢二を見つめながら次から次へとポーズを変えるお兼を凝視しながら、これまでの無気力が嘘のように夢二の筆が進んでいった。

 夢二はお兼を「妖精のような可憐さと早くも成熟した女性的な魔力をもった」女性として描き続け、「夢二式美人画」の源泉になっていった。

 お兼は夢二のモデルを務めながら、次第に夢二の部屋に泊まるようになり男女の仲になる。夢二はお兼を「お葉」に改名させる。お葉も素直に受け入れる。最初のうち、夢二はお葉と一緒になるつもりでいたようだ。

 夢二はお葉をモデルにした「黒船屋」というタイトルの最高傑作を描くなど、この頃、絵が売れに売れた。

 お葉は、夢二と結婚して子供を生み、幸せな生活を願ったが、夢二の方は籍を入れようとはせず、子供も欲しくなかったため、二人の間で喧嘩が絶えなかったという。

 夢二は、お葉と彼女の母親の三人で生活を始めた。しかし、彼は次第に居心地の悪さを感じ、しょっちゅう地方にスケッチ旅行に出かけた。

 夢二が留守にしていた間に、お葉は書生と家出をした事件もあった。しかし、すぐにお葉は戻ってきた。「どこに行っていたのか」という夢二の問いに、お葉は「お願い、聞かないで」と言って泣き崩れるばかりであった。このお葉の家出は、相変わらず続いていた夢二の浮気癖に対する不満の現れで、夢二の気を引きたい一心であったと言われる。

 お葉の結婚したい気持ちを察していた夢二だが、一方でお葉の過去をきっぱりと忘れることもできず結婚を躊躇していた。

 そんな中、夢二に新たな女性、山田順子(ゆきこ)が現われる。彼女は女流小説家で、作家・徳田秋声の愛人。夢二が徳田の依頼で本の装丁を頼まれたことで知り合った。順子はお葉より三歳年上で同じ秋田の同郷。

 夢二41歳、お葉21歳、順子24歳。

 夢二と順子はお葉の目を盗んで浮気する。二人で順子の故郷・秋田の本荘などにも旅行している。

 お葉は、順子が同郷であったことは勿論、男の気を引くように唇に鮮やかな赤を塗り、けばけばしい羽織を装い、自分の美貌を誇示するような多弁な話しぶりに嫌気をさしていた。順子との浮気を許すことができず、とうとうお葉は夢二と別れる決心をする。

 こうして大正8年(1919)4月から14年(1925)までの六年余りに及んだ二人の同棲生活にピリオドが打たれた。

 

 その後、夢二の元を去った22歳のお葉は、前にお世話になった藤島武二のモデルになっている。そのときの絵が題名「芳恵(ほうけい)」。そこには収穫の女神を象った横顔女性が描かれているが、豊穣を司るにはあまりにか弱く、暗く塞ぎ込んだ表情で、およそ芳恵をもたらす女神の像としてはふさわしくない。

 お葉はこの絵を見て「自分の全てを描き切られてしまった」と、作品のモデルになることをこの絵を機に辞めた。当時60歳近かった武二は、失恋し疲れ切った生身のお葉を描くことで「見なさい、この疲れ切り、陰にまみれた女こそが今までのお前が歩んできた姿だ。醜悪な偽りに満ちた生活からさっさと足を洗い、恵みに満ちた豊穣のような真の人生を歩みなさい」とお葉にエールを送ったのだろう。武二はお葉の真の父親的な存在だったんだね。

 

 昭和6年(1931)4月、お葉は紹介により医者の有福精一と結婚した。有福はお葉より三歳年上。子供は生まれなかったが、仲の良い夫婦として日々を送り、久しく世間から遠ざかった。

 一方、お葉が結婚した6年の5月に、夢二は新天地を求めてアメリカに渡った後、ドイツ・オーストリア・フランス・スイスなどを訪れ、各地で個展を開いたが、どこも不振であった。8年に落胆して帰国し、今度はすぐ台湾に渡るが、そこで体調を崩して帰国し、結核を患い、9年に49歳11ヶ月の生涯を終えた。

 それから40年という長い歳月が流れた昭和52年に、有福精一と結婚したお葉は、名古屋で開催された「藤島武二回顧展」に夫を伴って久しぶりに人々の前に姿を見せた。お葉は、展示されている「芳恵(ほうけい)」の絵を見ながら、精一に「これが私がモデルになって藤島先生が描いて下さった作品です」と笑みを浮かべながら話していたという。

 それから三年後の昭和55年(1980)にお葉は76歳で亡くなった。静岡県富士市の光照院富士山奏徳寺に夫とともに眠っている。

 

 

 おときさんが話題にしている「お葉をめぐる伊藤晴雨と竹久夢二の愛憎劇」についてはネット検索では目にしなかったが想像に難くない。お葉を若い夢二に奪われた晴雨の気持ちは計り知れない。一方、なかなか結婚しようとしない夢二であったが、お葉は自分になくてはならない存在と強く認識していた。その証拠に、お葉が家出したときに、お葉が晴雨のところに戻ったかと思い、「お葉を返してくれ」と晴雨に懇願したという。

 2002年、竹久夢二生誕120周年作品として松竹映画『およう』が公開されている。監督は関本郁夫。原作は団鬼六の『外道の群れ』。この映画で「お葉をめぐる伊藤晴雨と竹久夢二の愛憎劇」に触れているので是非一度拝見したいところ。竹久夢二役には世界的バレエダンサーとして圧倒的な女性ファンを獲得している熊川哲也、伊藤晴雨役には日本映画を代表する俳優の竹中直人。藤島武二役には名優・里見浩太朗。お葉役にはつかこうへい劇団の秘蔵っ子・渋谷亜希が抜擢。配役も豪華。

 

お葉の人生をまとめながら、まずは彼女の人生が12歳から22歳という10年間、余りにも若い時期に人生のトピックスというべき全てが凝縮されているように感じた。モデルとして希有な資質をもっていたお葉は、稀代の画家である伊藤晴雨や竹久夢二たちとの出会いでその才能を十二分に発揮できたと言える。

若い頃のお葉は、ほんとストリッパーにしたいタイプだね。偉い画家の先生たちをこれだけ夢中にさせる裸体というものを是非に拝んでみたいもの。また、美術学校を満杯にするくらいだから劇場だって満席にするはずだしね。

 ただ、本当のストリップ・ファンだったら、モデルに手を出したりしないなぁ。そういう意味では、伊藤晴雨や竹久夢二はストリップに観劇に来るタイプではない。あっ! 伊藤晴雨はSMショーなんかでアドバイザーになるかもね(笑)

 ストリップの父を自認する私だったら、藤島武二みたいになりたいな。モデルの最後を絵画で悟らせるなんてかっこいいと思う。

 

 お葉は12歳から22歳という10年間を、異なる三人の画家たちのモデルになる。才能ある彼らの創作エネルギーを掻立て、彼らの真骨頂を発現させたお葉は並のモデルではない。しかも三人の画風は全く指向が異なる。伊藤晴雨の責め絵、竹久夢二の抒情的美人画「黒船屋」「黒猫を抱く女」「青いきもの」など、そして藤島武二のイタリアルネサンス的手法による装飾絵画「芳恵」などの中に、お葉はその永遠なるイメージをとどめることになる。

モデルとしてだけでなく私生活でも、伊藤晴雨や竹久夢二という凄い画家に翻弄された波瀾万丈の10代を送ったお葉であったが、実は、心から平穏な生活を望んでいたんだね。結末を見てしまうとホッとするところもある。お葉も、稀代の画家である伊藤晴雨や竹久夢二たちとの出会いでそのモデルとしての才能を十二分に発揮できたからこそ、22歳で燃え尽きた。後半の人生はその結果なんだろうな。

 改めて、モデルのお葉さんと同じく、踊り子さんも皆さん、自分の人生を踏まえて舞台に立っているんだなと感ずる。

 おときさんは、伊藤晴雨や竹久夢二という男たちを夢中にさせた、お葉という女性に憧れている。だからストリッパーとして艶を磨きたいと。その気持ちはよく分かるし大賛成。

おときさんも、踊り子人生を駆け抜けたら、いずれは一人の女性として結婚して田舎の福島あたりで平穏な生活もいいかもよ! と勧めてみるのが藤島武二流かな。(笑)

おときさんは、お葉さんの人生を振り返り、どう感じるかな?

 

 

以上、お葉さんの人生を眺めてみた。今、私の興味は引き続き、竹久夢二や伊藤晴雨の世界に走り出して止まらなくなった。

私が求めるストリップ道に通じるものがありそう。彼らは絵画を通して女性を表現した。私は文章で(レポートや童話・詩)で女性美を表現したい。「ストリップ劇場は浮世絵的な美人画の宝庫である。」その欲求が止まらず、こうしてストリップ劇場に足を運んでいる。

長くなるので、竹久夢二や伊藤晴雨の世界については別のレポートにしたい。

本観劇レポートもかなり長くなったね。おときさんのお陰で、ステージを楽しむだけでなく、新しい知識も増え、こうして深い思索もできて、私としては有意義な時間を過ごせました。心から感謝しています。

 

平成28年9月                         シアター上野にて