「未来少年コナン」がやってくる  

 

 

森のストリップ劇場に、TVアニメ「未来少年コナン」の面々がやってきました。のこされ島からはるばるコナンとラナ、ジムシィとテラ、ダイスとモンスリーの三つのカップルが来ました。主人公の快男児コナンとテレパシー能力をもつ美少女テラ。コナンの親友であるジムシィと意地っ張りだがジムシィに恋い焦がれるテラ。そして、これまた犬猿の仲であったが最後に熱烈に惹かれあい結婚したダイスとモンスリー。モンスリーの手にはかわいい赤ん坊が抱かれていました。三組のカップルは楽しそうに、森のストリップ劇場にやってきました。

彼ら彼女たちは「この森のストリップ劇場は、のこされ島と同じく、自然がいっぱいあり、動物と人間が楽しく生きている。最高の場所だわ」。さらに、コナンとジムシィが「それに、みんな僕らと同じで裸なのもいいね。」と笑いながら付け加えました。

彼らは一日楽しんで帰っていきました。

 

ところで、彼らのやり取りをカメさんが横で頷きながら聞いていました。他の森の劇場メンバーもコナンたちを興味深く眺めていましたが、なんか邪魔してはいけないような気分になって誰も声をかけませんでした。

 実は、カメさんたちは、このTVアニメ「未来少年コナン」は宮崎駿監督が初めて監督を担当した作品なのを知っていて、事前にビデオを借りてお勉強していました。このアニメは1978年4月4日から10月31日にかけて、毎週火曜日19時30分から20時00分まで日本放送協会(NHK)で放送されました。なにせ全26巻もある長編なので、けっこう時間をかけてビデオを観ました。カメさんは「長いので観るのが大変だったけど、最終回まで観終わったときに、とても爽快感があって良かったよ。」と話していました。「なにより、憧れの宮崎駿監督の世界観が伝わってきて、これが後の作品につながっているんだと思うと嬉しくてたまらなくなったよ。初期の作品なだけに、後の名作と比べるとずいぶん粗削りだなと思うところもあるけど、その分、後の作品につながる原石みたいな印象を受ける作品だね。」と言ってます。

 一緒に観ていたうさぎちゃんはラナに憧れていました。ラナの気持ちになりきって、コナンのことを慕っていたようです。思わずカメさんは「ぼくはコナンのようにスーパーマンじゃないし・・・むしろ運動音痴だし・・・」とこぼしました。「でも、うさぎちゃんを想う気持ちは、ラナを想うコナンに負けないよ」ときっぱり言いました。うさぎちゃんは笑みを浮かべて、「もう少し、カメさんにTVアニメの解説をしてほしいな。」と頼みました。カメさんは気をよくしてTVアニメの解説を始めました。・・・

 

 最初に感じたのは宮崎駿監督の未来観でした。

 これまでジブリ作品をたくさん観てきたけど、未来が舞台設定になっていたのは『風の谷のナウシカ』とこの『未来少年コナン』の二作品だけ。しかも、どちらも未来が暗い。前者はこうだ。<千年前の「火の七日間」と呼ばれる地球最終戦争(おそらく核戦争)により巨大産業文明は崩壊し、錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に「腐海(ふかい)」と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森に世界は覆われていた。人類は生き残るが衰退し、腐海が放つ猛毒と、そこに棲む巨大な虫たちに脅かされていた。> 後者も全く同じで、こう始まる。<2008年、核兵器以上の威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発。五大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海中に没した。 戦争から20年後、「のこされ島」と呼ばれる小さな島に墜落した宇宙船(ロケット小屋)で、コナン少年は「おじい」と二人で平穏に暮らしていた。>

  どちらも未来は真っ暗なんだな。人類は核兵器により自己破滅した想定になっている。宮崎駿監督は「このままいけば人類に未来はない!」と警鐘を鳴らしている。しかし、どうにか人類は生き残る。そのキーは未来を担う子供たちにあると考えている。

 ラナの祖父であるラオ博士は、太陽エネルギーを発明したことが人類の未来を奪うことにつながったとして科学者として深く反省している。その忸怩たる思いだけで生き永らえ地球を救う最後の仕事をしようとしていた。なんか原子力を導きだしたアインシュタインにイメージが重なるなぁ。同じようにインダストリア最高委員会メンバーだった他の科学者たちも、独裁者を標榜したレプカの支配下で余儀なく協力してきたが、最後には海の底に沈みゆくインダストリアと運命を共にすることを自ら選び死んでいく。見識ある大人たちは自らの罪の責任をとって死んでいく。

 ラオ博士が死に際にラナと一緒にコナンとジムシィを呼んで「君たちこそが未来だ」と語り掛ける場面がすごくグッときた。だから、宮崎駿監督はその後もファンタジーアニメを作り続け、子どもたちに語りかけてきたのだと改めて思った。

 

◇ 次に、ストーリー性とアクションについて。

 ストーリーは極めて分かりやすい。あらすじを簡単に紹介する。

<ある日、海岸に少女ラナが漂着する。彼女はハイハーバーという島で暮らしていたが、科学都市インダストリアの者たちにさらわれ、隙を見て逃げ出したのだった。ラナを追って残され島にやってきた戦闘員達によって、ラナは再び連れ去られ、おじいは死んでしまう。コナンはおじいを埋葬し、ラナを救うため島から旅立つ。

インダストリアは、前時代の巨大な塔(三角塔)を中心とした都市である。インダストリアの指導者たちは、太陽エネルギーシステムを復活させるため、その技術を持つラオ博士を探していた。インダストリア行政局長であるレプカは、このシステムを利用して都市の地下に眠る巨大な爆撃機ギガントを再起動し世界征服を成し遂げるつもりであった。失踪していた博士を見つけ出し従わせるために、テレパシーで彼とコミュニケートできるという孫娘のラナを拉致させたのだった。コナンは、旅の途中で知り合った少年ジムシィや、運搬船「バラクーダ号」の船長ダイス、都市の地下にすむ住人たちと共闘し、独裁をはじめたレプカと対決して一旦は放逐することに成功する。その前後からインダストリアは地殻変動に見舞われており、ラオ博士は住民脱出のために太陽エネルギーシステムを復活させる。しかし、少数の部下たちとともにインダストリアに舞い戻ったレプカは、太陽エネルギーシステムを利用してギガントを復活させる。コナンたちは離陸したギガントに乗り込んで大暴れする。ギガントは墜落・大爆発し、レプカは運命を共にする。

コナン・ラナ・ジムシィたちは、ダイスの船で「のこされ島」に移住することになる。のこされ島があるべき場所には見知らぬ巨大な島があった。コナンは、その島の高い山の頂上に、懐かしいロケット小屋を見出す。さらなる地殻の変動が「のこされ島」を変貌させていたのだった。コナンたちは新天地での生活を始める決意を新たにする。>

悪者としてインダストリア行政局長のレプカを登場させる。インダストリアのエネルギー問題解決のため、委員会に太陽エネルギー復活を説くが、その実は独裁政治を志向するタカ派。太陽エネルギーの秘密を握るラオ博士と、ラオ博士の手掛かりとなるラナを追う。他人を敵か道具としか見ない冷酷な人物で、目的のためには手段を選ばない卑劣漢でもあり、その高い知性と抜きん出た指導力を駆使してインダストリアの実権を掌握し、太陽エネルギーをもってギガントを復活させ、世界の支配者となることに野心を燃やす。

 しかし、大物観はなく、小悪党なイメージ。そのためか、コナンは最後の最後に助けようと手を伸ばす。しかし、レプカは自分にしがみつき助かろうとする部下を蹴落とそうとしたため、自分もコナンの救いの手を放してしまう。まるで芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を連想してしまった。

本作品は単なる勧善懲悪でなく、悪者も最後にはコナンが救い、そして味方に付けていくところがいい。最高の寝返り例はモンスリー。彼女はインダストリア行政局次長。レプカの命令によりのこされ島からラナを連行する。美人で聡明だが気が強く、無愛想な性格の持ち主。最初は憎たらしい存在だった。しかしその胸には大戦での凄惨な記憶を秘めている。乗り物の操縦に長け、判断力も優れるため、レプカや部下からの信頼は厚い。コナンの強じんな意志と身体能力の高さに惚れ込み、インダストリア市民として教育しようとする。レプカの忠実な部下だったが、ハイハーバーでの敗北とコナンの信頼を経てレプカに反抗することになる。最後は船長ダイスと結婚するわけだが、結婚式でのかわいいお嫁さん姿は私も惚れちゃう。彼女の存在感は抜群である。

 他にも、オーロがいる。ハイハーバーの本村の反対側にある荒地で暮らす孤児。体も大きく身体能力にも恵まれており、頭もそれなりに切れる。おなじく孤児であるチートらと対立する不良少年グループのリーダー。17歳。派手な言動や演出を好む自己顕示欲の強い性格。はじめはチートらとともに働いていたが、地道な生き方に嫌気がさし、働くのをやめるばかりか、ハイハーバーを自分の国と言い張って他の働いている者達の抗議を暴力で押さえ込んでその代表に納まると、本村との交易権を独占し、強引な交渉で優位に進めた成果を盾に納税を強要するなど横暴を重ねるようになり、さらにはハイハーバーの武力制圧に乗り出したインダストリアのモンスリーと手を組み、島を脅威に晒すことになる。コナンとの決闘に敗れた後は負けを認めて改心し、更に最終話ではガルの弟子として火薬職人となったらしく、ガルと共にバラクーダ号進水式兼ダイスとモンスリーの結婚式の際の祝砲を上げるといった活躍をみせている。最終話でコナン達がのこされ島に向けて出航した時は涙を流して見送った。

 モンスリーやオーロを観ていると、人間の弱さや良さが伝わってくる。悪く見える人間もすべてが悪いところだけではない。良いところを見つけられるコナンにかかれば、良いところが出てくる。ここにも宮崎駿監督の人間観が垣間見れる。それにしても、コナンのような器の大きな人は魅力的だよね。

 

 次に、アクションシーンについて。

本作には、宮崎駿作品を象徴するようなアクションシーンが出てくる。随所に主人公コナンの息詰まるアクションを散りばめ、あるいは旅の途中で知り合った仲間・ジムシーとの息の合った活躍を痛快に描いている。ラナを乗せて飛び立とうとするファルコの翼に飛び乗り、ラナを取り戻そうとする姿や、三角塔に幽閉されたラナを連れ出して塔を下っていくシーンなどは手に汗握る緊張感を醸しているし、コアブロックに降りたラナとラオ博士を助けるためにコナン・ジムシーが奮闘したり、ギガントに乗り移って巨大な戦闘機を墜落させようと大暴れするシーンなどは溜飲を下げる思いである。

中でも有名なのは第6話「ダイスの反逆」での脱出劇、そして主人公コナンの大ジャンプシーン。インダストリアでレプカたちに捕らえられたラナを三角塔から救出したコナンは、激しい追撃をくぐり抜け、塔の半ばから大ジャンプして脱出。着地したコナンは足元から痺れ、足の裏が地面に張り付いてしまいますが、追っ手を撒くことに成功します。

高い塔から飛び降りて、ビリビリと痺れたけれど助かるというのは現実ではありえないことですが、それをアニメーションの力で可能にし、視聴者も楽しませる、というのが宮崎駿作品の凄いところです。この第6話の大ジャンプはその象徴的なシーンではないでしょうか。

 

◇ このTVアニメ「未来少年コナン」を観ていると、宮崎駿監督の恋愛観が伝わってきて面白い。

 コナンとラナが出会う第一話は印象的だった。生まれて初めて見る女の子に初めは戸惑い、おじいの後ろから覗き込むだけだったコナンだが、徐々に女の子というものを無意識的に理解し、「ラナ」という一人の女の子に向ける無償の愛が自然に描かれていて素敵だった。

それにしても、主人公コナンのラナを想う気持ちはあまりにもピュア。死を覚悟でラナを救出に駆け回る。一方、ラナも心の底からラナを信頼し慕っている。典型的なピュア・カップル。だからこそ、コナンはラナのためにもスーパーマンでなければならない。真の男というのは女のために強くなければいけない、そうした考え方が根底にある。そのためには外見は粗野でもかまわない。笠のような散切り頭でもいい。むしろ、こうした野性味あふれるキャラが求められる。

 この二人は最終的に結ばれる予定。後日談的な映像でもあるOPを見る限りでは最後はコナンの事実上の許婚となって一緒に生活していることがわかる。

 コナンの親友であり、頼れる協力者であるジムシィ。こちらも野性味たっぷり。ただ、初めて出会った女性ラナに興味津々となるコナンと違い、「女性は弱くて泣き虫だから嫌いだ。」と言う。しかし、コナンとラナの間柄を羨ましく思っており、最後はハイハーバーで出会い衝突した孤児オーロの妹テラと一緒に、のこされ島に向かう。宮崎駿監督は、こんな野暮なジムシィにもちゃんと見合いのパートナーをセットしている。

 恋愛関係で憎い演出は、「バラクーダ号」の船長ダイスとモンスリー。インダストリア行政局次長であるモンスリーとは犬猿の仲のように敵対していたが、最後はモンスリーがレプカのやり方に不満をもちコナンの味方になることで、二人は好意を寄せあうようになる。

モンスリーの発する口癖「バカね!」がたまらない名言。最終話にてダイスとモンスリーは結婚する。最終話時点での年齢はダイス35歳、モンスリー28歳としている。

 この三組のカップル、コナンとラナ、ジムシィとテラ、ダイスとモンスリーの恋愛関係が作品全体ととても面白く味付けしている。宮崎駿監督はどんな男女にもふさわしい伴侶をうまく組み合わせて用意している。今のように結婚しない男女やLGBTなどは宮崎駿監督からは考えられないんじゃないかな。

 

 最大のポイントは、自然との共生というテーマ。

これを示す名言が23話にある「君たちこそ本当の太陽が育んだ少年なんだ」。太陽塔を復活させた後、ラオ博士がコナンとラナ、ジムシィに対して言ったセリフ。大変動前の文明は太陽エネルギーの膨大すぎる力に溺れて、その力によって滅んだ。ラオ博士はこの教訓を次の世代に伝えようとしたのである。

 地球という生命体は太陽によって生かされている。太陽エネルギーを開発したことは科学技術として素晴らしい成果であるが、人間の弱さから太陽エネルギーの利用を誤り地球を破滅に導いてしまったのは皮肉である。いや皮肉と言って済まされる話ではない。このことに気づかなければ人類の未来はないと警鐘を鳴らしているのだ。本当の太陽は未来を担う少年少女の心にある。

このセリフは自然との共生を主張している監督の心が表れている。そして、これこそが今後の宮崎駿監督の最大のテーマとして全作品の根底に流れていく。

 

改めて、TVアニメ「未来少年コナン」は素晴らしい作品だと思った。

基本的に“未来少年コナン”という物語は、(第2話でコナン自身が言ってますが)ラナを探して仲間を見つけ、そしてのこされ島に帰ってくる物語で、派手さはないけど伏線などは緻密に計算されていて無駄な所や否定的な部分は殆どなく、SF、アクション、冒険、ラブロマンス、そして科学文明批判など、様々な要素が含まれたエンターテイメントの王道を行く作品だと思います。

地球のほとんどが消滅した世界で征服を企む独裁者に立ち向かう少年少女たち。コナンやラナ、ジムシーのセリフが突き刺さり、シリアスな中にも宮崎駿監督らしいコミカルなシーンがちりばめられ、実は重いテーマなのにそれをいい意味で感じさせない前向きな物語です。

コナンというと、ついつい「名探偵コナン」のことを思い浮かべる人が多いと思います。そこで、ひとつ小話を紹介して終わります。「歌手のGACKTさんがマネージャーに「コナン借りてきて」と伝え、名探偵コナンを借りてきたのに対して、「コナンって言ったら未来少年コナンに決まってるだろうが!」と怒ったそうです。

 

                                   おしまい