小鹿のバンビちゃん

 

 森のストリップ劇場に、小鹿のバンビ(以降、バンビちゃんと記す)がストリップ・デビューすることになりました。

 

 カメさんは、こっそり観に行きました。カメは優しい性格から新人のデビューにはよく応援に行きました。ポラを撮り、アドバイスをすることもありました。

 カメさんは、バンビちゃんのデビュー・ステージに衝撃を受けました。

バンビちゃんは、栗毛色で背中に白いてんてん模様が入ったかわいい女の子でした。彼女が笑顔でポーズをとって、そこに蝶々が飛んできて尻尾にとまった時には、あまりの可愛さに観客が生唾をのんだほどです。

 バンビちゃんは初ステージに緊張して身体が震えていました。細いあんよがぷるぷると震えているのです。その様子を見ていたら、カメさんの父性本能が全開しました。自分が守ってあげなければ!と思いました。うさぎちゃんの時と全く同じ感覚です。

 それからというもの、カメさんはうさぎちゃんの公演スケジュールの合間に足繁くバンビちゃんの応援に行っていました。

 

 ある日のこと、とうとうバンビちゃんとうさぎちゃんの二人は一緒のステージに立つことになりました。

 うさぎちゃんは、同じ森のストリップ劇場にかわいい後輩が入ったことは知っていました。ダンス練習場で会いお互いに意気投合しました。仲良くなった二人は自分たちのことを‘しかうさコンビ’と称していました。いつかチームショーをやろうね!と話していたほどです。実際、このコンビは森のストリップ劇場のトップ・アイドルになっていきます。

 今回、そんな二人が初めて同じ公演に立つことになったのです。

 カメさんは二人の応援をやっていました。当然にポラも撮ります。ソロステージが続いたので、バンビちゃんもうさぎちゃんもお互いのことを意識することはありませんでした。

 たまたま楽屋の中で、バンビちゃんはうさぎちゃんに言いました。「お姐さん、私のお客のカメさんがうさぎ姐さんのポラを撮っているようですね。お手数ですが、よろしくお願いします。」ストリップの世界では、他のお姐さんの客からポラを撮ってもらったときは、そのお姐さんに御礼を言うことがしきたりになっていました。今回は、逆の形で、バンビちゃんがうさぎちゃんに仁義を切ったわけです。

ところが「えっ! カメさんは私の客よ。」うさぎちゃんは驚きました。

 それを聞いた、バンビちゃんも驚きました。

 二人は顔を見合わせました。そして、二人は、カメさんが自分たち二人を一緒に応援していることに気付きました。でも、二人は仲良しになっていたので「私の客を取ったでしょ!」と言い争うことはありませんでした。

 後で、うさぎちゃんがカメさんをとっちめました。(笑)

でも「バンビちゃんのこと応援していたのをどうして教えてくれなかったの?」という程度で怒ったりはしませんでした。うさぎちゃんはバンビちゃんと仲良しだったので「これからもバンビちゃんを応援してあげてね。」と言いました。うさぎちゃんは、ストリップの客がいろんなお姐さんを応援していることを知っていました。それは当たり前なこと。「この客は私だけのもの」という固定観念は持っていませんでした。こんなことくらいで、うさぎちゃんとカメさんの信頼関係が揺らぐことはありません。うさぎちゃんとカメさんの間には嘘や隠し事をしなければお互い自由にやろうという空気がありました。カメさんがいろんな踊り子を応援するように、うさぎちゃんもいろんな客から応援してもらわなくてはいけませんから、それはお互い様なのです。

 ともあれ、カメさんは恐縮して、それからはうさぎちゃんの応援により一層気合いを入れることになりました。

 

 バンビちゃんには、とんきちうさぎとスカンクのフラワーという親衛隊がいました。とんきちうさぎは何かあると片足をトントンと鳴らす癖がありましたので‘とんきちうさぎ’と呼ばれていました。また、スカンクはいつも身体を花に擦り付けていたので‘フラワー’と呼ばれていました。

 カメさんはその二人と仲良くなり、バンビちゃんの親衛隊に入っていました。

 同時に、とんきちうさぎは、同じうさぎ仲間として、うさぎちゃんのことも応援していました。

 

 ストリップに限れば、客の誰それが特定の踊り子さん一人だけを応援しなければならないということはありません。そこは一般の男女関係のように、結婚するなら一人の相手に決めなければならないというルールはありません。お金と時間と体力がもてば何人の踊り子でも応援できます。そこがストリップの自由なところです。ただ、うさぎちゃんとカメさんのように信頼関係がある場合は一定のマナーというかエチケットみたいなものが存在するでしょうね。大切なのは相手への思いやりです。

 まぁ、ストリップは、みんなで楽しくステージを応援するところが最高なのですよ。

 

 

平成29年12月

 

 

 

 

【参考】小鹿のバンビについて

 

◆ディズニー映画の『バンビ』

 

 最初に、ひとことお断りを。

ディズニー映画の『バンビ』では、バンビは雄です。私はなぜかバンビを雌だと思い込んでいました。きっと、あの可愛らしさが女の子のイメージなんですね。

小鹿のバンビをうさぎとカメに登場させるに当たって、私は最初に歌から入っていった。

小鹿のバンビには有名な童謡がある。発表年は1951年。同年公開のディズニー映画『バンビ』をモデルに日本で作られた歌なんですね。

「小鹿のバンビ」 坂口淳作詞・平岡照章作曲

 

   子鹿(こじか)のバンビは かわいいな

   お花がにおう 春の朝

   森の小薮(こやぶ)で 生れたと

   みみずくおじさん いってたよ

 

子鹿のバンビは 栗毛(くりげ)色

せなかに白い てんてんよ

細いあんよで かけだせば

野原の蝶々(ちょうちょ)も 今日(こんにち)は

 

子鹿のバンビは 元気だね

   ちらちら雪が ふりだして

池に氷が はる頃は

   とん助うさぎと スケートよ

 

子鹿のバンビは やさしいな

弱虫(よわむし)いじめ しないもの

今に 大きくなったなら

   すてきな ぼくらの王様(おうさま)だ

 

 非常に映画に忠実に作詞されている。この最後の部分「ぼくらの王様」という箇所で、私はバンビが雄だと分かった次第(笑)。

 私はその後すぐに、ディズニー映画『バンビ』をYouTubeで観た。

 この頃のディズニー映画はほのぼのしていて本当にいいねぇ~♪

 あらすじは次の通り。

緑の豊かな春の森に、1頭の雄の子鹿が生まれました。フクロウや、うさぎのとんすけなど、森の住人たちは、森の王子様の誕生に大はしゃぎ。バンビと名付けられた子鹿は一躍森の人気者になりました。母の愛を一心に受け、バンビはすくすく育っていきます。いたずらっ子のとんすけやスカンクのフラワーと仲良しになったり、いとこのファリーンにドキドキして逃げ惑ったり。そんなバンビを、父である森の王様が遠くで温かく見守っています。しかし、悲しいことに、心ないハンターが森にやってくる冬の狩猟シーズンに、母鹿がバンビを庇うようにして命を落としてしまうのでした。嘆き悲しみ、母を探すバンビ・・・。再び森に春がやってきて、成長したバンビは美しくなったファリーンと恋におちます。秋になり、心無い人間の不始末で起きた山火事に傷つきながらも九死に一生を得るバンビ。3度目の春、とんすけもフラワーも子供ができました。もちろんバンビとファリーンにも。数々の出会いと別れで心身共に立派に成長したバンビは遂に森の新しい王になるのでした。

 

 この中に登場する人間は、鹿狩りをしたり、山火事を起こしたり、ほんと酷いことばかりする。同じ人間として腹立たしくなるねぇ~

 

 

◆バンビという名前

 

今ではバンビといえば小鹿のことをさします。

しかし、元々は違っていてイタリア語で、「子供」「幼い」、「初心者」の意味がありましたが、ディズニーが作成したアニメで、小鹿の名前を「バンビ」としたため、以降は小鹿のことをさすようになりました。

私の童話では、以降、バンビちゃんと記することにしますね。

 

とんすけうさぎに興味を持ったので少し調べた。

英語では「Thumper(サンパー)」と言う名前です。thumpはコツンと打つ音というような意味で、あのウサギは何かと足を地面に打って鳴らすのでそのような名前になったのではないでしょうか。そこから地面をトントンと打つ男の子のウサギということで「トンスケ」という日本名にしたのではないかと考えます。

とんすけうさぎの彼女ミスバニーが、とんすけの耳ぴろぴろして、とんすけが足どんどんするところなんかは無駄に可愛いよね。

 

 

◆小鹿のバンビはオーストリア生まれ  byネット「オーストリア散策」から

www.onyx.dti.ne.jp > ... > エピソード > No.051-100

 

 ウォルト・ディズニーといえば、アメリカを代表するアニメキャラクターで有名。ところが、その中のひとつである「小鹿のバンビ」はオーストリア生まれです。

『バンビ』(Bambi: Eine Lebensgeschichte aus dem Walde )は、オーストリアの作家フェリックス・ザルテンが1923年に発表した動物文学小説。ノロジカの雄の子供バンビの誕生と母との別れ、困難の中で成長する物語をバンビの視点から描いている。それまでの動物文学と異なり、人間と異なる動物の視点から周囲の動物や環境、人間を見るまなざしを巧みに表現した点が画期的な作品であった。

この作品は、現在日本では知名度が少ないのに対し、ディズニー・アニメ版『バンビ』の方が一層知られている。

 

以下、作家フェリックス・ザルテンについて少し詳しく見ていきます。

バンビの原作の著者はフェリックス・ザルデンという人です。本名はジークムント・ザルツマン。この名前はドイツ系ですが、フェリックス本人は1869年6月9日にハンガリーのブダペストで生まれたユダヤ人でした。

フェリックスが生まれて3週間後、この家族はブダペストからウィーンに引越しました。理由は、この帝都で1867年にユダヤ人に市民権を与えることがOKになっていたこと。おかげで多くのユダヤ人がウィーンを目指して移動してきたといいます。記録によると、1860年におけるウィーンのユダヤ人は約6千人で、これが1870年には4万人にまで増え、世紀末まにはさらに数倍に膨れ上がったそうですよ。

さて、せっかくウィーンにはきたものの、いくら市民権が得られると言っても仕事までそう易々と見つかるものではありません。おかげでザルテンは貧乏をせざるを得ず、まともな学校教育もほとんど受けられませんでした。しかしこの人、どうやらとても頭がよかったようです。フェリックスは従兄弟の紹介してくれた保険事務所でのちょっとした仕事の傍で、新聞社向けに詩、エッセー、短編の物語などを書き始めます。そしていつしか、これが彼の本職となってゆきました。

1902年、フェリックスは女優のオッティリエ・メッツルと結婚。この頃になると彼の仕事はだいぶ好調になっていたようで、ウィーンの「新自由新聞 (Neue Freie Presse)」に記事を書くと同時に、「ベルリン毎朝新聞 (Berliner Morgenpost)」の編集役も務め、さらに「ウィーン一般新聞 (Wiener Allgemeine Zeitung)」向けに劇場評論もしていました。このほか、劇場やその上演作に関する本も出版していたそうです。しかし、学校にロクに行ってなかったのに、よくここまで大した仕事ができますね。感心です。

フェリックの快進撃はその後も続きます。彼は「若きウィーン」という芸術家の集まりの一員となり、カフェーハウス文化の一翼を担うようになりました。そのメンバーにはオペレッタのフランツ・レハールや作家のフーゴー・フォン・ホフマンスタール、シオニストのテオドール・ヘルツルなどもいたといいます。この雰囲気だと、子供向けにバンビの本なんか書きそうにありませんね。むしろ政治運動にでも走りそうですよ。

ところが、ここでちょっと流れが変わってきます。フェリックスが小説を書き始めたのは1910年でした。第1次世界大戦のちょっと前ですね。そしてこの年は、反ユダヤのウィーン市長、カール・ルエガーが亡くなった年でもあります。さて、その第1次世界大戦の終わったあと、ヨーロッパにおけるユダヤ人への反感は増幅されるばかり。そんな中、ザルデンはノホホンと突如動物を主人公にした作品を執筆、1923年に「バンビ」を発表しました。森の自然の美しさや厳しさと恐ろしいハンターを相手に元気に生きてゆく小鹿のお話しです。ついでながら、「バンビ」の語源はというのはイタリア語で「子供」を意味するbambinoです

この「バンビ」はしっかり人気を博したようで、1928年には英語にも翻訳されました。で、その成功以降、ザルテンは「15羽のうさき(1929年)」、「皇帝の馬フロリアン(1933年)」など、動物物語を次々と書きます。また、ドイツの作家トーマス・マンは1937年に「バンビ」をウィールト・ディズニーに紹介。ディズニーはこれを5年かけてアニメ化し、1942年8月8日にまずロンドンで上映、次いで8月13日に米国でも上映しました。その結果ですが、一部には「内容が感傷的すぎる」という批評とか、「鹿狩を否定するのはとんでもない」というハンター協会の抗議もあったようですが、良識ある大多数の観客はこの作品を好ましいものと認めたようですね。ただ、ザルテン本人は1933年に「バンビ」の著作権を売却していましたから、その後このアニメの大ヒットによる利益には、それほどあずかれなかったそうです。でも、本業が繁盛していたのだからいいでしょう。

なお、その後のザルデンですが、実は「ガラスの夜」と呼ばれる1938年9月9日のユダヤ人街襲撃事件の難を逃れて妻とともにスイスのチーリヒに逃亡、ドイツ第三帝国の崩壊を見届けたあと、1945年10月8日にその地で76歳の天寿をまっとうしています。とりあえずめでたしでいいでしょう。

しかし、ジャーナリストから動物物語の作家への転身って、なかなか意外な人生ですね。そしてもうひとつ驚きなことに、彼の出世作である「バンビ」は、なんとナチスによって1936年に発禁処分にされていました。その理由はザルデンがユダヤ人だったことだけにあったのではなく、物語の中で「小鹿=ユダヤ人、ハンター=ナチス」というふうに解釈されたことにもあるといいます。ヒトラーがもっと早く政権をとっていたら、今のディズニーの「バンビ」のアニメはなかったかも知れません。

 

おしまいに私の所見ですが、たぶんザルデンが「バンビ」を書くとき、ナチスに続く反ユダヤの流れは意識の外だったと思います。この人の生涯を見ていると、貧乏の経験はあるものの、苦労とか被害者意識を感じたフシはあまりなさそうなので。実は政治に無関心で天真爛漫に好きなものを書いていただけの、まさにオーストリア的な人だったのではないでしょうか?さもなければ、厄介な政治に関わるのを避けるために子供向けの動物のお話しに走ったのかも。