「主体的に生きる」とはどういうことなのか。
2019年もあと1日で終わりですね私は先週の金曜日に仕事を納め、毎年恒例の仲良しメンバーでの忘年会も終え、部屋の掃除を進めつつ、一人の時間を過ごしています年末年始はいつも自分と向き合うことと、本を読むことに多く時間を使います。毎年同じ本を読んで、自分の現状とか思考を整理します。ちなみに読む本はこちらの4冊。 完訳 7つの習慣 人格主義の回復 2,420円 Amazon ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則 Amazon 夜と霧 新版 1,620円 Amazon グロービス流 キャリアをつくる技術と戦略 1,980円 Amazon どれも書いてあることが深くて、咀嚼に時間がかかりますが、その時々の自分の状況によって、同じ本を読んでも刺さる場所とか、同じ文でも考えることが違ったりして、自分を振り返ることにも役立っています。今は『7つの習慣』を読み進めているのですが、その中で考えたことを今日はシェアします。この本の中で「主体性を持って生きることが大切」だということを書いてある箇所があるのですが、その中で主体性という言葉の定義を説明した文があります。 主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのはない。 人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。 私たちの行動は、周りの状況ではではなく、自分自身の決定と選択の結果である。 私たち人間は、感情を抑えて自らの価値観を優先させることができる。 人間は誰しも、自発的に、かつ責任を持って行動しているのである。 今この文章を読むと、私はとても励まされます。どんな状況であったとしても、自分の人生は自分の選択で作っていけることができることに、大きな喜びを感じます。だけど、昔の私は、この「主体的」という言葉の意味を、少し違った形で捉えていました。それゆえに、苦しんだことも多かったです。どういう捉え方をしていたかというと、「全ては自己責任」という言葉をよく自分に言い聞かせていました。社会人なりたてで、仕事がうまくいかずに悩んでいた頃。当時尊敬していた人からこう言われました。「全ては自己責任、と思って考えなさい。」その時、どういう意図でその人がそういう言葉を私に伝えたのかはわかりません。私は尊敬する人から言われたその言葉を心にとどめ、ことあるごとにこう考えていました。「仕事がうまくいかないのは、私のせい」「上司との関係がうまくいかないのは、私のせい」「なんだか毎日が苦しいのは、私のせい」「環境のせいでも、相手のせいでもない。全ては自分のせいだから、自分がなんとかしなきゃいけない。」そんな風に考えて、生きていました。そしてその結果、自分で自分を追い込み、一時期心のバランスを崩しました多分、ある意味間違ってはいないところもあるんだと思います。ただ、ものすごく苦しい感じがしますよね・・・。自分にすべての重石を乗せて、自分の問題だから自分で解決しなきゃと追い詰め、上手く人に頼ることも出来なかったです。もし、同じように思っている人がいたら、過去の自分が目の前にいたら、伝えたい。自分の人生に責任を持つということは、自分を攻め立てることを推奨するものではないのです。「全部お前のせいだ」と犯人探しをするためのものではないのです。 自分の人生は、自分だけの力(選択)で、自分の好きなように変えていくことができるという、自分への励ましの言葉なのです。過去の原因探しをするためのものではなく、今、そして未来の可能性を信じる言葉なのです。過去を振り返ることは大切だけど、「原因」を突き止めることにさほど意味はないなと、最近思うようになりました。私は自己分析好きだから、ついつい「なんで自分はこう考えたんだろう・・」「なんであんな風に行動したんだろう・・・」とか、考えちゃうんですけどね大切なのは、過去を踏まえた上で、「自分はどうありたいのか?自分はどうしたいのか?」という今、そして未来に向けて思考し、それに沿った選択を自らしていくこと。主体的に自分の人生を創造していこうと思います愛を込めて