先日、家族で、埼玉県行田市にある、
忍城(おしじょう)に行ってきました。
テレビのお城ランキングなどでよく見かけていて、ずっと気になっていたお城。
我が家から車で日帰りでいけたので、長男が中学生になって部活で忙しくなる前に…と、この度行ってきました
長男(小6)は日本史が好きで、教室に先生が置いておいてくれた本『のぼうの城』を6年生に進級してすぐ読み終えていました。
私と夫も映画『のぼうの城』を事前にみて楽しみながら予習しました。
次男(小3)は、本も映画も見ておりませんが、
信長の野望のゲームや歴史マンガにでてきて忍城のことは知っているようで、どんな出来事があったのか私に教えてくれました。
ちゃんと知っててびっくり。
落ち着いた雰囲気の町の中に忍城はありました。
かっこいい
『のぼうの城』の室町時代から戦国時代の頃は、利根川と荒川に挟まれた湿地帯を利用した平城でした。荒川から枝分かれした忍川(おしかわ)が流れ込む沼地にある、中洲を利用して建てられたそうです。
上の写真の御三階櫓は、江戸時代になってから現在の水城公園のある場書に築かれ明治時代の廃藩置県のときに破却されたものを、昭和63年に場所を変え本丸跡に行田市郷土博物館の一部として再建したものです。
忍城は室町時代に成田氏により築城され、戦国時代の終わりに豊臣秀吉の関東平定に際し、石田三成らによる水攻めを受けましたが、耐え抜いた逸話から、浮き城とも言われました。
歴代城主
成田氏
↓
大河内松平氏
↓
阿部氏
↓
東条松平氏
↓
奥平松平氏
明治維新後は競売にかけられ建物は解体されてしまうという最後はちょっと切ない終わりのようです。
忍城の名前の由来についてはこんなふうに記されていました。
文明11年(1479)、古河公方足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)の書状に「忍城」「成田」と出てくるところから既に築城されていたと判断されているようです。
梅が咲いていました
転封のため、伊勢の桑名城から忍城に殿様と一緒にやってきた鐘‥とともに写真に収めてみました。
忍城址内はお花がきれいに飾られていて
とても素敵でした
すてきな花手水。
風車もきれいにならべてありました
行田市郷土博物館入口