歴史好きの長男のリクエストで東京に出かけた時に、江戸城跡に行ってきました〜。

つまり、皇居ですねにっこり


今回は大手町駅から電車を降りて向かってみました指差し



駅から歩いて3分位で大手門が見えてきました。



この門は、江戸城本丸登城の正門で、城門警護は10万石以上の譜代大名が務めていたそうです。
門の建設は藤堂高虎が行ったとされており、1657年の大火で消失したあと、1659年に再建されました。
その後空襲で焼失し、現在の門は昭和に再建された建築物です。


大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃しやすい形になっています。





大手門をくぐってすぐに見えてくるのが、
同心番所です。

「番所」とは警備詰め所のことで、ここはおもに「同心」と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視にあたっていました。



続いて本丸中門石垣が見えてきました。


皇居内の石垣は、特別史跡「江戸城跡」に指定されています。
「本丸中之門石垣」は平成17年〜19年に、文化財調査をしながら、石垣を変形前の形状に復元することを目標に修復されました。 


この中之門石垣には、本丸御殿への登城口として渡櫓門が配置されていました。




次は富士見櫓です。


櫓(やぐら)は城の隅など重要箇所に造られる防御施設の役割をもった建物です。かつて江戸城には多くの櫓があったそうですが、現存する櫓は、富士見櫓、伏見櫓、巽櫓(たつみやぐら)の3つとなりました。富士見櫓は、大火で焼失しましたが、その後間もなく再建され、天守の代用として使われていました。将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたと言われています。




次は天守台です。




もうちょっとアップ


ここに天守があったのか〜ひらめき

徳川家康の入城以来、江戸城では3度天守が建てられました。最も規模が大きかった寛永度天守は地上からの高さが約58メートルあったといわれています。
この天守台は、寛永度天守が大火で焼失した後、天守再建を目指して築かれたものですが、幕府内で天守は不要との結論がくだされ、この天守台には天守が建てられないままになりました。
江戸時代の江戸城は天守があったのか50年間の後、天守がない状態が210年続いたことになります。



天守台からの景色


目の前に広がる芝生のあたりに本丸御殿があったようです。




本丸御殿は、表、中奥、大奥という3つの空間に分かれていました。
表は、将軍の謁見(えっけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正室はじめ家族や女性たちの生活の場でした。

大奥、でっかいですね〜。

てくてく歩いて、北桔橋門をくぐって帰りました。



お堀がとても立派です。

平川門からでたら竹橋駅の前で帰りやすかったのかなキョロキョロ
北桔橋門から5分ほど歩いて竹橋駅に帰りました。


入場無料で、荷物検査がありました。
のんびり歩いて1時間〜1時間半くらいで楽しめた
歴史を味わうお散歩でしたニコニコ

最後まで読んでいただきありがとうございました!



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