土浦市立博物館で

「八田知家と名門常陸小田氏

- 鎌倉御家人に始まる武家御家人に始まる武家の歴史-」

の特別展がやっていたので行ってみました。


八田知家は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では市川隼人さんが演じる予定です。できればドラマに八田知家が出てきてから特別展を見に行きたかったのですが、もうすぐ特別展が終了してしまうため、一足先に行ってきました。




八田知家は平安時代末期~鎌倉時代初期の武将、鎌倉幕府御家人です。宇都宮宗綱の四男で、鎌倉幕府の十三人の合議制の一人とされています。常陸小田氏の始祖・初代で、小田城の築城者です。

小田城に行った時の記録


知家の子孫は小田氏を名乗り、筑波山麓の小田城(現つくば市小田)を拠点に茨城県南地域を治めました。期間は戦国時代の終わりまで約400年に及びました。



特別展では「前右衛門尉藤原友家(知家)」に宛てられた文書が展示してありました。1180年、頼朝が知家を下野国茂木郡(現栃木県茂木町)の土地を管理する地頭に任じたことを示す内容です。

八田知家は藤原氏の一族とされていますが、生没年はわかっていないようです。八田知家の動きは、13世紀末~14世紀初頭に幕府自ら編集したとされる歴史書「吾妻鏡」に記されているようで、特別展に吾妻鏡がたくさん展示されていました。

 それによると、1183年、頼朝の叔父である志田義広が常陸国で反乱を起こし、知家は頼朝方として戦い、功績をたたえられました。1189年には頼朝の奥州藤原氏追討に際し、常陸国内の武士を動員して太平洋側を通って北に向かう指揮官を任されています。このときには、常陸国の守護を務めていたとみられます。


息子が教えてくれた八田知家のエピソード

頼朝が京都へ上洛するときに、知家は馬小屋の手配を任されます。しかし大切な日に知家は大遅刻。頼朝は大激怒。普通なら謝罪して縮こまってしまうところ、ひょうひょうと頼朝が乗る馬はどれか尋ね、「あの馬はいい馬ですが、鎧の色と合わないため、私の持ってきた馬を使ってください」とアドバイスを始めたそうです。頼朝もその馬を気に入り上洛のときに乗っていったとのこと。

息子からエピソードを教えてもらい、憎めないキャラクターだったのかしら?と想像してみましたニヤニヤ

息子がいろいろ教えてくれるネタの大元は
こちらの本です。

 

  

 鎌倉バトルロワイヤルは文字だけの本ですが、歴史が好きな小学生なら中学年くらいからさらっと読めそうな内容でした。

北条義時の漫画は次男が2年生のときに読めていました。




土浦市立博物館ではその他、常設展示として、江戸中期以降に土浦城主となった土屋氏ゆかりの刀剣や茶道具の展示、土浦花火の歴史、昔の道具に触れたりクイズを楽しんだりする体験型展示などがありました。

小田氏の足跡をおうスタンプラリーなるものが開催されていました。



スタンプが揃うと記念品に八田知家や小田氏治の武将印や小田氏治のクリアファイルがもらえたとのこと!
なんて素敵なイベントアップ
もっと早く知りたかった笑い泣き結構あっちこっちまわらないといけないため我が家は断念あせる
土浦図書館では家紋の消しゴムはんこをつくるイベントもあったようで、こちらも楽しそうなのでもっと早く知りたかったですゲッソリ



土浦市民博物館は土浦城二の丸後に作られています。本丸跡は公園となっています。


土浦城は、室町時代後期頃に若泉氏が築城したとも伝えられています。現在知られている土浦城は江戸時代に城郭として整備されたものだそうです。
江戸時代初期には松平氏、西尾氏、朽木氏、中期以降には譜代大名土屋氏が代々城主となりました。土屋氏の時に土浦藩領は9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次いで、大きな領地を支配していました。
当時は何重もの掘り割りの中の本丸が水に浮かぶ亀の姿に似ていたことから「亀城」と呼ばれるようになったそうです。

今回はお天気が悪かったため、2020年に来た時の写真も混ぜて載せます。



東櫓(ひがしやぐら)

もともとは城の防御の拠点のひとつとしての物見の役割や、武器庫の役割を持った建物でした。それに加えて、江戸時代の東櫓は貴重品などを入れておく文庫蔵の役割を果たしたと考えられています。東櫓は明治時代の火災で本丸館とともに失われ、1998年に復元完成されました。土浦市立博物館の付属展示館として土浦城の紹介をしています。


西櫓(にしやぐら)


昭和24年に台風の被害を受け解体され、1991年平成3年に復元されました。




櫓門(やぐらもん)

本丸にある櫓門としては関東地方では唯一無二現存するものです。階上に太鼓を置き、時を知らせたことから、太鼓櫓(たいこやぐら)とも呼ばれたそうです。

本丸土塀には、石落とし、○や△、□の鉄砲狭間、扉のついた大筒狭間がありました。



こんな風に攻防していたのかなと想像がかきたてられておもしろかったです。


以上、土浦市立博物館と土浦城のおでかけレポートでした。