路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。
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摂津、丹波、播磨の三国国境に位置する御嶽山。その頂上付近に播州清水寺はあります。正式には御嶽山清水寺といいますが、京都の清水寺(こちらも西国の札所)と名前が重複するので播州清水寺と呼ばれています。
627年、法道上人による開基で、いまは天台宗のお寺です。法道上人はインドから雲に乗って渡来したと伝わっています。
この地が水に乏しかったところ、法道仙人が水神に祈って霊泉「おかげの井戸」が湧出したと伝わっていまして、寺号はこの縁起に由来しています。
またこちらは平家ゆかりのお寺としても知られています。
丹塗りがきれいな仁王門。
仁王門はもともと別の場所にあったのですが、昭和40年に台風で全壊。その後、昭和55年に現在の場所に建てられました。専用道路と仁王門はクルマ社会に合わせた設計というわけですね。
仁王門をくぐった先にはゴルフボールの形をした灰皿があります。この先禁煙ということですね。このあたりはゴルフ場の密集地帯。それでゴルフボールの形なんでしょうか?
参考までに航空写真を貼っておきます。ほら、ゴルフ場だらけでしょ?
こちらは本殿にあたる大講堂です。
もともと聖武天皇の勅願で建立されたもので、いまは西国巡礼の礼堂とされています。大正2年に焼失し、同年に再建されています。再建時の設計は武田五一。関西建築界の父といわれる人です。以前に桜宮橋の記事でご紹介しました。建築以外にも大阪市営地下鉄のマークもデザインされていて、いろんな才能を持った方だったんだなと思っていましたが、寺社建築もなさっていたとは!
大講堂に入り、お線香に書かれている通り健康を祈願しました。
納経所も大講堂の中にあります。
かわいい散華もいただきました。
なんでも散華のデザインコンクール入賞作なんだそうです。
それと、播州清水寺限定Tシャツも買ってしまいました(笑)。
背中に『南無感世音菩薩』の文字、それとお寺の印がプリントされています。
胸には寺紋ですよ!
購入から2か月経ちましたが、このTシャツにはまだ袖を通していません(笑)。
こちらは薬師堂。
清盛の義母『池の禅尼』による創建ですが、今の建物は昭和59年の再建です。
堂の内部には藪内佐斗司教授作の十二神将が安置されていますよ。
藪内佐斗司教授といえば奈良県のキャラクターせんとくんですよね。せんとくんと十二神将、似ていると思いますか?
薬師堂前には方丈の池があり、その角に道標が建っています。
「左なかやま」
「右なりあい」
と刻まれていますね。「なかやま」というのは中山寺のことです。播州清水寺の1つ前の札所ですね。「なりあい」というのは成合寺のこと。播州清水寺から見ると成合寺は3つ先の札所になります。現代の感覚でいうと何か変ですね。
じつは、昔の巡礼は兵庫まわりといって、
・中山寺
(兵庫、高砂経由)
・圓教寺
・一乗寺
・播州清水寺
・成相寺
というコースも一般的だったようです。
このコースだと播州清水寺の次は成相寺になりますので、違和感はありません。
さて、方丈池そばの石段を上りましょう。
しばらく上ると鐘楼があり、さらに上ると根本中堂があります。いずれも武田五一の設計です。
ここには法道仙人が一刀三礼をもって刻んだとされる十一面千手観音像が安置されていて、秘仏となっています。御前立は近い距離で見ることができるのですが、写真で見た本尊と違って怒っているような厳しい表情です。
根本中堂は推古天皇の勅願で建立されたものと伝わっています。
根本中道の裏へ行くと、寺号の由来となった「おかげの井戸」があります。
この井戸に顔を写すと寿命が三年のびると言われているそうです。
播州にため池が多いのを見ると、薬水信仰というか霊水信仰のようなものが古くからこの地にあったんだろうなと推測されます。
坂上田村麻呂はここの観音様を深く信仰していて、のちに都の守護のために京都の清水寺ができたといいます。ということは、京都の清水寺にある音羽の滝はこの井戸をモデルに作られたと言えるのかもしれません。
帰りのバスを待つ間、バス停周辺を歩きました。そのときに仁王門前の寺号碑に
「服部鉱業 奉納」
「平木鉱山開山30週年」
と刻まれているのに気づきました。平木といえば麓の集落です。そこに鉱山があるのでしょうか?
帰宅後に地理院地図で調べたら、確かに鉱山があります!
拡大してみると
「ろうせき」
と書かれていますね。
会社のウェブサイトによると年間5万トンを超える採掘をしているそうですよ。
(訪問日 2019/5/16)
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