D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

仕事 海外生活 登山 スキー ゴルフ 鉄道 飛行機 模型 映画 etc. 時空を超えてビジネスと趣味の軌跡を写真でたどる半世紀

去年は7月に発症した膝痛で夏の高山には行けず

 

その後、膝痛は慢性化してしまったようで、薬やマッサージで上手く付き合っていくことに決めました

 

そうして痛みをかかえたまま2024年のGW以来2年ぶりに出撃した北アルプスは雷鳥沢

 

 

今回目指すのは、ここ立山エリアではどこからでもその雄姿が見える奥大日岳です(右奥)

 

 

久々の北アルプス、2泊3日の雪山装備は、水抜きで22.4kg

相変わらず装備選びが下手で日程の割には明らかに重過ぎ

 

 

いざ出発の早朝、中央道から見た甲斐駒と月

 

 

八ヶ岳も絶景

 

 

諏訪IC手前では穂高連峰と大キレットを一望

 

 

長野道で安曇野に入ると、後立山連峰が迎えてくれます

この日も翌日も最終日も北アルプスは安定した高気圧に恵まれそうな予報です

 

 

7時過ぎに扇沢に到着

今回同行の後輩ハヤシ君とは、大学以来、実に44年ぶりにいっしょに向かう立山です

 

 

扇沢8時発の電気バスを降りてトンネルを抜けると…

 

 

そこは黒部ダムだった

 

 

ここまで来ると、立山の稜線が真っ白です

 

 

登山者より圧倒的に多い観光客の大半はインバウンド

インドやインドネシアが多かった印象です

 

 

ケーブルカーからロープウェイを乗り継いで…

 

 

2年ぶりの室堂に到着

 

 

雷鳥沢キャンプ場へ向かう途中、みくりが池の山荘前にカメラを構える人だかり

 

それが何なのか、遠目にも見当がつきます

 

 

これです! しかも何と色違いのつがいの雷鳥でした!

 

 

雷鳥沢から見る奥大日岳

明日はあの頂上に立ちます

 

 

44年前の1982年5月、ハヤシ君とここでテン泊したときの奥大日岳です

 

 

私が大学3年、彼が2年、このときは山スキーで雄山を目指しました

 

 

そして今、還暦を過ぎての再訪に感無量

互いの元気に感謝して、おでんとビールで乾杯しました

 

 

早朝の中央道から終日快晴だった初日の〆は、立山三山を照らすアーベントロート

 

 

明日も晴天を祈って寝ます

 

 

翌朝は、奥大日岳に向けて 5:22にテントを出発

 

 

少し雲はあるけれど、サクサク快適な雪歩きです

 

 

振返れば、立山カルデラの絶景

 

 

遠く白山を望みながら、先を行くハヤシ君

 

 

奥大日岳への途中にある 2511mピークはスキーヤーにも人気の斜面

 

 

稜線に立つと目の前に迫る剱岳です

 

 

振返る室堂平と龍王岳

 

 

南に目を転じると雄大な薬師岳

 

 

奥大日岳がだんだん近づいてきます

 

 

すれ違って下山する色とりどりのパーティ

 

 

写真に写る山並みは、右にどっしりと薬師岳、左の奥にはなんと遠く槍ヶ岳が見えていたことを写真を分析したAIアプリが教えてくれました(せっかくなら現地で気付いて感動したかった、残念)

手前の称名渓谷ごしの弥陀ヶ原にはグニャグニャと除雪された専用バスルートが見えます

 

 

3年前に釜山から東京へ向かう飛行機から見下ろした写真でも同じバスルートが見えます

 

 

空から見た立山一帯

薬師も立山も剣も奥大日も黒部湖も全部写っています

 

 

出発から3時間20分で奥大日岳に登頂

バックには迫力の剱岳です

半世紀近くただ眺めるだけだったちょっとマイナーな山だけど二人とも初登頂に感激

 

 

9時に下山を開始すると、急に雲が出てきました

なかなか立派な雪庇が東の斜面に向かって張り出しています

 

 

これは左に寄り過ぎて、重みで崩れたら大変!

登りでは気づかなかったけど、なんとも絶妙なルート取りです

初夏に向かって、こういう庇がどんどん雪崩になって落ちていくのでしょう

 

 

12:20、帰還した雷鳥沢のテントから奥大日岳を振り返ります

 

そして午後は、昼寝したり、散歩したり、コーヒー飲んだり、雪の上で ゆるゆる、だらだらと過ごす至福の時間

 

 

水を汲みに行ったテント場の管理棟にはクマ出没注意の張り紙

去年初めて雷鳥沢まで上ってきたそうです

それより気になって写真を撮ったのは、その上の英語の手書きの表示

最初の英文を訳すと「午前8時からトイレ掃除を始めろ」 え? ここは命令形じゃないでしょ!

頭に「We」を付けるだけなんだけど…と、すごくもやもやする、直接注意して書き直してもらいたいレベルの誤りです

 

こういうチープな手書きが、日本の恥に見えてしまうほど回りのアジア諸国は色んな意味でレベルが高くなっているのです

 

 

気を取り直して、2日目の息を呑むような奥大日への日没を鑑賞

 

 

それは、この日も立山三山を赤く染めていました

 

 

前日はおでんとビールで贅沢したけど、この日は風が強くて各自のテントでインスタント飯

アルファ米とフリーズドライの具という超軽量の組合せが最近の標準メシです

 

 

翌最終日の朝も快晴で迎えました

 

 

大好きな登山ではあるけれど、下山する日のホッとしたウキウキ感は格別

それを祝福するような朝です

 

 

テント撤収開始!

晴れた日は、撤収も楽です

 

 

来たときよりも美しく撤収とパッキング完了!

奥大日岳が最後まで見守ってくれました

 

 

GW最終日の翌日の平日

雷鳥沢キャンプ場は静かに「宴のあと」の感

 

 

室堂からひたすら乗継いで、1時間半で扇沢に到着

 

 

扇沢駅にあるレストハウスでは、山賊焼ラーメン+カレーライスのセットをがっつり食いました!

至福、至福!

 

 

そして、駐車場で健気に待つハヤシ君の愛車、デリカ・ミニの元へ無事帰還

 

今回は、学生時代ならお散歩程度の山だったけど、60代も半ばに差し掛かるとさすがに体力的にも技術的にも相当キツイ山行でした

 

と同時に、もうちょっとトレーニングしたら来年も立山界隈いけるかも、と「もう」と「まだ」が絶妙に織り交ざった経験だったように思います

 

今回の山行は、ハヤシ君のYouTubeにアップされています

是非ご覧ください!

GW残雪期の北アルプス 奥大日岳 2026年5月6日

 

Insta360 を駆使して、還暦すぎて精力的に活動する登山動画が満載です

(おわり)

 

【記録】(ハヤシ君のヤマレコより)

5/5(火) 室堂ターミナル 10:19 みくりが池 10:28/10:44 雷鳥沢 11:32

5/6(水) 雷鳥沢 5:22 室堂乗越 6:30/6:35 2511m峰 7:34 奥大日岳 8:45/9:01 2511m峰 10:05 新室堂乗越 11:29 雷鳥沢 12:20

5/7(木) 雷鳥沢 7:22 室堂ターミナル 9:16

2026 春 のフィルム写真散策の第2弾は、千葉県は佐原

 

江戸時代に利根川水運の中継基地として栄えた伊能忠敬ゆかりの「水郷の町」をキヤノン New F-1でたどりました

ベトナム戦争で確立された「報道のニコン」ブランドに対抗して、「スポーツのキヤノン」ブランドを1984年のLA五輪スポンサーで確立した歴代マニュアルカメラの最高機種です

 

それは今、私のコレクションの最高峰

 

 

よく晴れた日の朝、佐原駅前を測量する伊能さんです

地図を作る前は、ここ佐原の酒造家・伊能家に婿入りし、家業を立て直して村の名主として活躍しました

 

 

ここからは、キヤノン New F-1のフィルム写真です

 

 

佐原市の中心部は、駅から離れたところにあります

「千葉県は明治時代に鉄道を敷く際、蒸気機関車の煤煙を避けるために駅を街から離れたところに作ったんだ」と、かつて会社の先輩で千葉県出身だったシノヅカさんから聞いたのを思い出しました

 

そういえば、佐倉とかも駅から街がちょっと遠かった…

 

 

歩いて15分の市街地のメインストリートは香取街道

 

 

いい感じの町並みが続きます

 

 

個性が連なる旧家、商家

 

 

素顔屋と書いて「すっぴんや」

和風小物のセレクト・ショップです

 

 

街道から脇へ逸れる路地を抜けると、佐原名物の運河に出ました

 

 

伊能さんの名前をそこここで見かけます

 

 

運河に掛かる樋橋(とよはし)に整然と向かうカラフルな隊列を発見

 

 

園児たちが何やら覗き込んでいます

 

 

この別名・ジャージャー橋は、江戸時代初期に対岸の田畑へ農業用水を送るための「樋」として作られたそうです

 

 

当時、樋からこぼれていた水を今に再現し、日中30分間隔で放水します

 

 

つつじも満開、春爛漫~♫

 

 

運河に沿ってさらに歩きます

 

 

200mm望遠で遠景をアップ

こうしてゴチャゴチャ手前にあるフェンスとか邪魔なものをカットします

 

 

これは135mm

時代劇のセットみたいです

 

 

ひとしきり散策して、お茶でもしようかと樋橋の方に戻り始めたら、民家の軒下に一匹のにゃんこ

のんびり寝そべっていたのに、私を見てすっくと立ちあがりました

 

 

そして真っすぐ近寄ってきて、私の脚にスリスリまとわりついて離れません

見た目がとてもキレイで、飼い猫かと思いましたが、たまたまその民家から出てきた女性が「この辺では見ないネコだよ」と驚いていました

 

むかし私の奥さんが飼っていた犬とはよく遊びましたが、人生でネコと絡んだ経験はなし

なので、ちょっと興味が湧いて生成AI (Gemini) に訊いてみました

 

質問:

通りがかりに寝そべっていた猫がいきなり立ち上がって脚にまとわりついてきた理由は?

 

回答:

1. 自分の匂いをつけたい(マーキング)

2. 「構ってほしい」のサイン

3. ごはんや期待の催促

4. 信頼の証(挨拶)

猫にとって「立ち上がって近づく」というのは、非常に友好的な挨拶です。あなたの歩き方や雰囲気が、その猫にとって非常に安心できるものだったのでしょう。そのまま通り過ぎるのは少し後ろ髪を引かれますが、猫なりの「最大級の歓迎の儀式」を受けたと思って間違いなさそうです。

 

へぇ~、最大級の歓迎の儀式ね…

 

このネコとの絡みでいちばん嬉しかったのは、とっさの撮影でピントも露出もしっかりマニュアル対応できたこと

 

腕はまだ落ちてない…

 

そんなこんなで樋橋まで戻ってきました

橋を渡った角に建つ古民家はカフェになっていて、この日の朝、その前を通った時から気になっていました

 

 

カフェの名は、喫茶 遅歩庵いのう

手書きの看板には「伊能忠敬ゆかりの店」だって

 

 

で、冒頭のカメラの写真(ここからはデジカメ)

丁場に立つ女将さんは、今も続く伊能家本家に嫁いだ「伊能さん」

 

 

本家は明治25年当時、このエリア一体に広がる豪邸だったそう

その旧邸の主屋が今の伊能忠敬記念館です

 

 

主屋以外は取り壊し、その欄間はカフェの衝立になったり、

 

 

天井の明かり取りになったり、素敵なインテリアです

 

 

 自家製あんこを使ったという小豆アイスを注文して待っていると、女将さんが唐突に「"人はなぜラブレターを書くのか"は見ましたか?」と尋ねてきました

そういえば、最近のそんなタイトルの映画があったかも、というおぼろげな記憶

 

「あの映画で綾瀬はるかさんがここの中庭でロケしたんですよ」

 

え! マジ?

 

これが、その中庭です

 

 

あわててググってみると、まだ4月17日に封切りされたばかりの映画でその舞台はなんと、ここ佐原の町

地元の香取市をあげてのPRです

 

 

映画の聖地巡りの香取市パンフには、喫茶 遅歩庵いのうもしっかり紹介されています

 

 

小豆アイスを運んできた女将さんは、続けて「何年か前に中井貴一さん主演の映画もあって、そのときも中井さんはここに来ましたよ」

 

え! マジ?

 

またまたググってみると、2022年に「大河への道」という映画があって、中井貴一扮する市役所職員が伊能忠敬を主人公にした大河ドラマの実現に奮闘するところから始まるらしい

 

そういえば、この人(俳優)、むかし鎌倉市役所でも似たようなことやってなかったっけ? 笑

 

なんか、あんまり深い考えもなく訪れた佐原という町が、映画つながりの有名地でしかもわずか1週間まえに公開された新作の舞台だったなんて、とても不思議な気持ちになりました

 

「大河への道」も「人はなぜラブレターを書くのか」も絶対に見たい!

 

 

そして、綾瀬さんも中井さんもその席でコーヒーを召し上がりました、という女将さんに1枚撮ってもらいました

 

 

にゃんことの出会い、現代の伊能さんとの出会い、新しい映画の世界との出会い

 

水郷の町・佐原は、ボ~ッと過ごす春の日とフィルムカメラがよく似合うとても素敵な場所でした

 

(おわり)

最近、残りのカメラ人生、初心に帰ってフィルム撮影に没頭してみようかな…とよく考えるようになりました

 

デジカメのシャープな画質にはない、あのほんわか柔らかいアナログなフィルムの風合いが妙に懐かしくもあり、最近では逆に新鮮でもあるのがとても面白いのです

 

中学で父のペンタックスSPを使い始めて以来、ずっとポジ (スライド) フィルム派だったけど、最近のポジは36枚撮りで1本 5,000円とかとんでもない値段です

 

さすがにそれはもう無理だと、ネットで安いのを探して買ったのが、ネガフィルムの10本セット 15,680円也

 

1本 1,568円は、ポジフィルムより格段に安く、これだとなんとか隠居老人の小遣いの許容範囲

 

 

さて、今年の桜は無理だったか…と、一瞬あきらめかけながらも、人生あと10回元気な春を迎えられるかな?と思うと、そんな貴重な1回を棒に振るのは何とももったいない気がしてきました

 

で、ほとんど衝動的に平日の曇りの日に奈良は長谷寺へ日帰りの花見に出撃しました

 

今も手元で稼働するフィルムのアナログ一眼レフは、ニコン、キヤノン、オリンパス、ペンタックスといろいろあれど、今回の相棒は、30年以上前に生まれたばかりの長男 KENTAROを撮ろうと思って買った初代キヤノン EOS Kiss

ズームレンズ2本で 28~300mmをカバーします

 

なぜ長谷寺かというと、元々あの奈良県の外れの裏寂れた街道筋にひっそりと佇む姿が学生時代から大好きだったこと、さらに「花の御寺」として有名で、春の桜が終わったあとも、牡丹、紫陽花、石楠花と、次々に花を咲かせるので、今年は一度そのすべてを (フィルム写真で) 制覇してやろうと急に思い立ったわけです

 

 

そうして新幹線から降り立った京都駅の近鉄連絡口

近鉄の改札内は、平日など関係ない外国人観光客で溢れ返っていました

 

 

そりゃ、京都始発で奈良、伊勢志摩、吉野へ向かうんだもん、外国人も溢れるわ

 

 

そんな異人さんたちを意識した?改札内のトイレ

媚のないプライドとウィットが共存する、こういうの大好きです

 

 

たまたま調べた東京から長谷寺までの始発乗り継ぎだと、京都からの近鉄特急は一日1本の伊勢志摩ライナー賢島行き

令和のガキんちょなら喜ぶだろうが、昭和のおっさんは引退が遠くなさそうなビスタカーの方が嬉しい…

 

 

とはいえ、途中の大和八木まで唐揚げ弁当いただいて快適な旅~♪

 

 

奈良盆地のど真ん中、西大寺を過ぎると、車窓から今年話題の豊臣秀長 最後の居城・大和郡山城が線路わきをかすめます

お、桜がまだきれいだ! 長谷寺も残ってるかな?

 

 

大和八木から伊勢、名古屋方面へ向かう普通電車に乗換え、運転席越しに対向車をこの日初めてフィルムで試し撮り

この日の写真は、フィルムもデジタルもPCによる画像処理をいっさいしていません

 

 

いつ来ても変わらぬ静けさの長谷寺駅 -D (これはデジタル写真のD)

 

 

駅から長谷寺へ向かう街道筋の店

ほんとはじっくり見てみたい、食べてみたい ーF (これはフィルム写真のF)

 

 

長谷寺は門前町だけでなく、伊勢街道の宿場町としても栄えたそうです ーF

 

 

長谷寺といえば、入り口の仁王門から本堂へと続く登廊がその象徴です ーF

 

 

NHKのゆく年くる年で、何年か周期でロケ地になります ーF

 

 

登廊から見上げてのぞく左に慈眼院、右奥に金蓮院 ーF

まだ散り初めない桜が待っていてくれました

 

 

いつも登廊から本堂へ向かうので、この日は横道へ逸れてみます ーF

 

 

金蓮院からこぼれるように咲くソメイヨシノより深い色の?桜 ーF

 

 

坂道を上りながら、本堂をチラ見 ーF

 

 

本願院へ向かう小道は桜と新緑のコントラスト ーF

 

 

本堂の舞台が見えます ーF

 

 

うまく桜を絡めたいけど ーF

けっこうむずかしい…

 

 

ま、こんな感じかな ーF

 

 

てか、ここはエドヒガン、またの名を枝垂桜が主役でしょう! ーF

 

 

本堂の舞台に上がりました ーF

 

 

ネットで事前に読んだ「あたり一面を埋め尽くす」感じではない、やっぱ、そこそこ散り初めてきたのかも ーF

 

 

清水寺より小ぶりで清楚な長谷寺のこの舞台が好きです ーF

 

 

ちなみに五重塔は、令和の大修理中でした ー D

 

 

本堂わきの鐘楼に向かって登廊が突き上げます ーF

 

 

通常は入れない本堂の内舞台では、特別に結婚の記念撮影中 ーF

 

 

カップルにはちょっと失礼して、奥に鎮座する賓頭盧尊者 (びんずるそんじゃ) さんのアップ ーF

 

 

縦位置も1枚

金色に輝く蓮華座がとても印象的です ーF

 

 

帰りは、登廊をゆっくり下ります ーF

 

 

月輪院の桜に見送られて長谷寺を後にしました ーF

 

 

伊勢街道を長谷寺駅へ戻る途中に立ち寄る古民家カフェ・長谷路は国の登録有形文化財です

 

 

かっこつけない普段着の感じで迎えてくれる庭を横切って縁側から店に入ります

 

 

柿の葉寿司2個つきのざるそば 1,200円はとても良心的なお値段

 

 

奈良名産の柿の葉寿司は、海から遠い山国で魚を食べる知恵

 

 

帰りはサクッと久々の近鉄めぐり

母方の祖父母、叔父、従弟が住んでいた、私にとって第二の故郷みたいな沿線です

 

大阪方面へ向かう電車はラッピング車両

いったい何だろ?

 

 

へ~、台湾とコラボ

 

 

6両編成まるごと台湾してる!

もう10年以上行っていない、食べ物がおいしい、人々が優しい、超親日な大好きな国です

 

 

途中駅で見つけた昭和40年代に生まれた車両はフィルム写真が似合います ーF

今や絶滅危惧種です

 

 

その絶滅危惧種を着々と淘汰しているのは、昨年デビューした新型車両

こっちは、キレッキレのデジカメ画質で撮りました

 

最新型だけど、首都圏に多いステンレス車両と違って、全身に昭和と同じ塗装をまとっているのは好感です

 

鉄道車両の平均寿命は40年

コイツより先に私が引退するのは間違いないでしょう(おわり)

今週末は、桜の満開がピークのようですが、このところよく雨が降る春の天気の短い周期と仕事の谷間が合わなかったりで、今年はたぶん花見には行けずの可能性

 

なので、過去10年ほどの間に撮り貯めた各地の夜桜の写真を並べてみました

 

 

静岡・真鶴の荒井城址公園は独特の夜桜演出です

 

 

都内のミッドタウンも夜桜の人気スポット

 

 

これも都内の六義園

 

 

ここは徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が造園した元禄時代の粋

このあと江戸幕府は維新まで慢性的な財政難に苦しみました

 

 

かの有名な「六義園の枝垂れ桜」は、元禄バブルの仇花のよう

 

 

300年後のライトアップは当時の誰が想像したでしょう?

 

 

昔、家族でふと立ち寄った富士山 浅間神社のお堀も夜桜

 

 

井の頭公園は、地面が花見の酔っ払いで埋め尽くされていたので、空を仰いでみたら月がとてもキレイでした

 

 

この日は桜を絡めた月の撮影に集中

酔っぱらいのおかげで、いつもと目線の違う良い感じのカットがたくさん撮れました

 

 

過去に何度か訪れている小田原城

 

 

スマホで無造作に撮ってもすべてが名作に

 

 

この日は無風の水鏡

 

 

天守の前に立つ桜に映えるプロジェクションは、紅…

 

 

碧…

 

 

黄…

 

 

レインボー!

 

 

九段下の桜の向こうに建つ常燈明台は明治4年(1871年)に靖国神社の献灯として建てられました

当時は品川の港から見渡せる灯台の役目もあったとか

 

 

靖国神社といえば、桜の名所は千鳥ヶ淵

 

 

ボートから見る桜は絶景かな? 意外とそうでもないのかな?

 

 

水面から見ると、照明が逆光かもしれません

 

 

やっぱ、いろんなアングルから見られるのは地上の特権かな

 

 

堀の両岸に種類の違う桜

向こう岸はソメイヨシノ…

 

 

こっち岸はヨウコウザンという品種だそうです

 

 

萌えるような鮮やかで深い紅紫色

 

 

改めて両岸のコントラスト

その境界の先に建つ東京タワーです

 

 

両岸の桜にお堀の水

他に無駄な物がないカットが撮れました

 

 

こっちは、大ぶりな枝を敢えて手前に向かって配しました

いずれもあの雑踏の中で撮れた奇跡の2枚です

 

 

ふたたびの東京ミッドタウン

 

 

満開でなければ気づかない見事な桜並木でした

 

 

こちらは大阪城公園の満開の桜

 

 

お堀端から見る本丸も…

 

 

堀の向こうの大阪市街

ぶっちゃけ、大阪市街の方が10倍キレイでした(おわり)

年明けから始まった主権国家への武力攻撃というトランプの横暴は、ベネズエラへの予行演習を経て体制転換の本命イランを襲い、次はラテンアメリカの本命キューバに及びそうな気配です
 
 
とはいえ武力行使の前にフリだけでもディールから始めるのがトランプ流
まずは石油輸送を絶って、キューバ全土を停電させるという暴挙に出ました
 
 
なんでこんなことが瞬時にできるのかと不思議に思ったら、キューバの石油輸入はベネズエラとメキシコの2国に頼っており、トランプ政権によるマデゥロ大統領の誘拐で傀儡政府が成立したベネズエラも、追加のトランプ関税が怖いメキシコも、さっさとキューバへの輸出を止めてしまったということです
 
そんなキューバにこれから何が起こるのか、ベネズエラのようなトップの首のすげ替えか、イランのような全面戦争か、考えると心が痛みます
 
それは、私が仕事で少しだけキューバと関わった個人的な体験によるものです…
 
 
「先週NHKの取材があって、カストロさんといっしょに撮った写真を渡したから使われるかもしれないよ」

 

2015年3月のある日、以前メーカー勤務の頃とてもお世話になった取引先商社の社長YKさんからメールが来ました
 
タイミング的には前年の2014年暮れに当時のオバマ大統領がキューバとの国交正常化交渉の開始を電撃発表して数ヶ月
1962年から続くアメリカの経済制裁が解除されるようなら、日本企業にも今まで以上にキューバでの商機が広がるだろうという文脈のニュースで、日本におけるキューバの第一人者だった YKさんがNHKのインタビューを受けたというものです

 

とはいえ、その放送はニュースチャンネルの「NHK World」で、YKさんの約3分のインタビューがいったいどこで流れるのか見当がつきません
残念だなぁ、でも見たいなぁと思っていたら、YKさんからNHK Worldのネットニュースで閲覧可能との追加情報
で、急いで見てみたら、ありました、でもアーカイブは数日で消えてしまうようなので、上述の「カストロさんといっしょに撮った写真」の部分をiPadのスクショで保存しました
イメージ 1

この写真のきっかけは今からちょうど 20年前の2006年2月
 
そのときもYKさんから「カストロ議長が貴社のK社長に会いたがっている、来月あたりでアレンジしていいか」との一報が入り、当時のK社長、医療事業トップのM副社長、YKさん、私の4人とフィデル•カストロ国家評議会議長との会談に向け動き出したのでした

 

キューバの首都ハバナはマイアミから目と鼻ですが、アメリカからの直行便がないため、一行はそれぞれカナダかメキシコ経由で2006年3月17日にハバナに集結
しかし保安上の理由でカストロさんの予定は国家機密なので、会談の日時はまだ我々にも伝えられておらず、YKさんの携帯に連絡が入って2時間以内に議長官邸に到着できる距離で最長5日間待機せよとの当局からの指示
一部上場の社長と副社長をそんな形で拘束するなんて、一国の元首、しかもカストロさんくらいの大物でなければとてもできない芸当です
なので、ホテルでじっとしていても仕方ないので、初めてハバナに来たK社長、M副社長を市内観光に案内することにしました

 

まずは旧市街にあるHotel Ambos Mundos
写真の上から数えて2階(地上4階)の角部屋にヘミングウェイが長期滞在し「老人と海」を執筆しました
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1階のバー「Floridita」では、いつも座っていたという席で かの文豪が今も迎えてくれます
イメージ 3
向かって私の右がM副社長、その隣りがK社長です

 

下は「老人と海」の舞台となった漁村Cojimar (コヒマール) でのYKさんとのスナップ
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ところでこのカストロさんとの会談は、医療機器の大型商談と密接に関係していました
キューバの外貨源は昔はサトウキビ、最近はニッケル鉱で、2004~2005年ごろのニッケル相場が上がったおかげでキューバ政府が潤い、それを機に久しく更新がなかった全国の病院の診療機器の大口買付けを決定、アメリカ製は禁輸のため、その多くが日本製とドイツ製になりました

 

よって先陣を切って会談した私たちの他にも同時期に複数の日本企業のトップが順次カストロさんに招聘されており、いわゆる「トップセールス」の逆パターンで、買付ける方のトップが売り手のメーカーを呼びつけて、国家戦略としての全国民への無償医療政策に賛同して安くしてくれという交渉を行ったということです

 

さてカストロ議長側から呼出しがないまま、ハバナ滞在2日目の3月18日も夕方を迎えました
1982年に世界遺産に登録されたハバナ旧市街は、どこを見ても絵になる美しさです
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旧市街の野外床屋さん
こういうの、写真好きにはたまりません
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1959年のキューバ革命以前のアメ車が、大事に修理されていまだに市内をたくさん走ります
ハバナ名物の風物詩です
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絵に描いたようなラテンの夜
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パリと見紛うオシャレなカフェも
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電力事情が厳しい中、教会もライトアップ
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そして3日目の19日を迎え、ちょっとした問題が起こってきました
この時期、ちょうど第一回ワールド・ベースボール・クラシックが開催されており、その決勝戦がなんと日本 vs キューバになってしまったのです
試合は翌日の3月20日、アメリカ San Diegoの開催で、ハバナとの時差は3時間のライブ中継
ここで一行の悩みは、果たしてカストロさんとの会談が決勝キューバ戦の前になるか後になるかです
相手は自身が高校•大学で選手だった野球狂で知られるカストロさん
万が一、日本がキューバに勝ってしまった後にカストロさんに呼ばれるパターンだと最悪です

 

この日はホテル内で夕食のあと、さすがにもう今日の呼出しは無いよねと、各自部屋に帰ろうとした矢先にYKさんの携帯が鳴り、一瞬の緊張が走ります スペイン語で何やら話すYKさん 内容は全くわかりません 時刻はもうすぐ22時です 仮に呼出しだとしても明日の朝だろう、そうすると決勝戦の前だ、よかった~と誰もが思ったそのとき、YKさんが電話を切っておもむろに言いました
 
「23:10に官邸前です」。えぇぇ?!  い、今からぁぁぁ?

 

みんな、慌ててスーツに着替え、YKさんが24時間待機させていたミニバンに乗り込み、議長官邸前へ
そして待つことしばし、真っ暗な官邸の立派な門扉が23:10かっきりに静かに開き始めました
 
普通は時間にルーズなラテンアメリカですが、さすがに議長イベントだと極めて正確
たぶん帰国後に広報部から社報用の原稿を書けと言われるだろうと、綿密に書き留めた当日のメモによると、23:45にカストロさんが我々の前に現れました
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会談の前にきっとアメリカの空港でも比べ物ではないほど厳重なセキュリティチェックがあるのだろう、その待合室かと思って座っていた部屋に何の前触れもなく身長190cmはある巨体を揺さぶって入ってきた人物の顔が写真であまりにも見慣れた精悍な髭ヅラだったので、一同飛び上がるほどビックリしました
 
過去にCIAによる暗殺計画が何度も噂されているカストロさんのこのノッソリと無造作な登場ぶりは「貴方たちは信用できる友人だ」という無言のシグナルとして心に響き、不覚にも私はこの時点で完全ノックアウト、それがパフォーマンスだとわかっていても圧倒されてしまいました
 
それにしても我々が持参したカバンの中身も含めて完全ノーチェックだったなんて今でも信じられません
あれは、ディズニーリゾート以下の保安レベルでした

 

さて、カストロさんに同席するのは側近と思わしき2人と、今回の商談担当の公団局長、そして通訳のハバナ大学日本学科のキューバ人教授です
この教授はYKさんと顔見知りのようで、再会の挨拶のあと本人に聞こえないようにボソッと「彼じゃダメだ、たぶん途中でオレが通訳を代わらないと」とのこと
確かにその日本語は何ともおぼつかず、しかもせっかちで熱を帯びてよく喋るカストロさんが、通訳教授の日本語が終わるのを待てずに次の発言をポンポン始めてしまい、途中で「すいません、YKさん、代わりにお願いできますか」と本人からギブアップしてしまう始末

 

そのとき「教授のメンツ」を潰してしまったことにハッと気づいたカストロさん、その場で教授に謝ることしきりで、「日本語ってそんなに難しいのか? おまえは大したヤツだなぁ」と何とも優しくフォローしていたのがとても印象的だったとYKさん
 
その表情からも素直で飾らないお人柄が伺えました

 

全部で2時間強だった会談は、我々がひと月以上前に公団に提出していた見積書のコピーが何とカストロさん自らの手に渡っていて、その場で値引き交渉されるタフな商談 (国家元首が普通そんなことやりますか?笑)、それに関連したキューバの電力事情と医療行政に対するカストロさんの熱い思い、そして明日のWBC決勝戦に向けてのマツサカ、ウエハラ、イチローの攻略法の熱弁(日本選手のこともめっちゃめちゃ詳しくてビックリ)…の3部構成で、未明の午前2時ごろ終わりました

 

日本の経営者に地図を使ってキューバの医療行政を熱心に説明
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そのあと、日本から持参したお土産品の贈呈です
K社長からまず薩摩切子のペアのワイングラス
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カストロさんは赤いのがお気に入り? 後ろに控えるSPさんも興味津々。
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お次はデジカメのプレゼント
M副社長の説明を熱心に聞き入るカストロさん、英語はわかる様子
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そして驚いたのが、最初の1枚はお前だと言って半ば強引にK社長を立たせて撮ってみせるサービスぶり
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対するカストロさんからの返礼は、ハバナ葉巻の箱詰め
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議長からのプレゼントですから、これってたぶんプライスレスな最高級品でしょう
カストロさんからの特別拝領品として出国税関もフリーパスの特性封印ステッカー付きの梱包です
私もいただきましたが、ちょうど20年経った今も畏れ多くて未開封で大切に保管しています。つい先日久々に会ったYKさん曰く、もう葉巻としてはダメになっているだろうが、そこまで取って置いたのなら未開封のまま保存した方が価値が出るだろうとのこと

 

さぁ、そして私にとってこの日のメインイベントが始まります
当局の呼出し待ちで旧市街をブラブラしているときに土産物屋でTシャツを見かけ、そうだ、カストロさんに会ったら、これにサインしてもらおうと思い立ったのです
K社長もM副社長も、おいバカ、そんなことはやめろ、と言いますが、そんなのお願いするだけしてみて、断られたら止めれば良いだけの話じゃないですか、私はやります、やらないと後悔しますよ、と言って気に入ったTシャツを一枚買いました。そしたら、渋っていたご両人も追従
 
で、会談当日のプレゼント交換のあと、カストロさんにTシャツへのサインをお願いしてみると…

 

メッチャ良いノリで喜んで応じてくれました!
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カストロさん、やっぱ、お茶目でシャレがわかるお方です
結局、K社長もM副社長もサインもらって大喜び

 

そしてこのTシャツは、我が家の家宝として今も大切に飾っています。
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そしてこのハバナの会談から10年後…

 

2016年11月25日、フィデル•カストロ元議長は90歳でご逝去
私は港区東麻布のキューバ大使館で弔問記帳させていただきました
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政治的、思想的な立場をこのブログに持ち込む気はありません
10年以上前のわずか数時間の面談で感化を受けたわけでもないです
ただ、自分のキャリアの中で少なからず市井の人々に触れたことのある、中国、ソ連、ポーランドといった昔の社会主義国では、国の指導者は押し並べて人々の怨嗟の対象かネタとして馬鹿にされる対象であったと個人的な経験で思い出します
それは、革命時に気高い志のあった若き為政者たちが治世安定とともに変節し、賄賂を横行させ、自身の銅像をそこいら中に建てまくって個人崇拝を強制したり、果ては自身の遺骸を模型のごとく永久保存して巨大なモニュメント化するに至るといった狂気によるものかもしれません

 

翻ってカストロさんのキューバでは、もちろんラテンという明るい風土もあるでしょうが、人々は貧しいながらも楽しく生き生きと一定水準の生活を保証され、タンクトップでヘソ出しの若い女性が夜中に街を一人で歩けるくらいラテンにしては奇跡のように治安が良く、学問、特に医学などは遠く中国や東欧からも教えを乞われるような水準 (Dr.X 大門未知子もキューバ クバナカン医科大学卒です)。そしてカストロさん自身も清貧と倹約を貫き、銅像など一つも建てず、人々に心から愛され (革命で全財産を没収されてアメリカへ亡命した人々には悪魔でしょうが)、その遺体は本人の遺志で荼毘に付されたそうです
 
ちょっとだけ残念なのは、後継者に実弟のラウル氏を指名したことでしょうか

 

でも、おそらく1959年の革命当時の志を終生持ち続けたのではないかと思い、であればカストロさんは永遠の革命家であったと言えるように思います
 
私ごときが評するのも誠に僭越ですが…
 
(おわり)