D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

D菩薩の仕事いろいろ趣味いろいろ

仕事 海外生活 登山 スキー ゴルフ 鉄道 飛行機 模型 映画 etc. 時空を超えてビジネスと趣味の軌跡を写真でたどる半世紀

年明けから始まった主権国家への武力攻撃というトランプの横暴は、ベネズエラへの予行演習を経て体制転換の本命イランを襲い、次はラテンアメリカの本命キューバに及びそうな気配です
 
 
とはいえ武力行使の前にフリだけでもディールから始めるのがトランプ流
まずは石油輸送を絶って、キューバ全土を停電させるという暴挙に出ました
 
 
なんでこんなことが瞬時にできるのかと不思議に思ったら、キューバの石油輸入はベネズエラとメキシコの2国に頼っており、トランプ政権によるマデゥロ大統領の誘拐で傀儡政府が成立したベネズエラも、追加のトランプ関税が怖いメキシコも、さっさとキューバへの輸出を止めてしまったということです
 
そんなキューバにこれから何が起こるのか、ベネズエラのようなトップの首のすげ替えか、イランのような全面戦争か、考えると心が痛みます
 
それは、私が仕事で少しだけキューバと関わった個人的な体験によるものです…
 
 
「先週NHKの取材があって、カストロさんといっしょに撮った写真を渡したから使われるかもしれないよ」

 

2015年3月のある日、以前メーカー勤務の頃とてもお世話になった取引先商社の社長YKさんからメールが来ました
 
タイミング的には前年の2014年暮れに当時のオバマ大統領がキューバとの国交正常化交渉の開始を電撃発表して数ヶ月
1962年から続くアメリカの経済制裁が解除されるようなら、日本企業にも今まで以上にキューバでの商機が広がるだろうという文脈のニュースで、日本におけるキューバの第一人者だった YKさんがNHKのインタビューを受けたというものです

 

とはいえ、その放送はニュースチャンネルの「NHK World」で、YKさんの約3分のインタビューがいったいどこで流れるのか見当がつきません
残念だなぁ、でも見たいなぁと思っていたら、YKさんからNHK Worldのネットニュースで閲覧可能との追加情報
で、急いで見てみたら、ありました、でもアーカイブは数日で消えてしまうようなので、上述の「カストロさんといっしょに撮った写真」の部分をiPadのスクショで保存しました
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この写真のきっかけは今からちょうど 20年前の2006年2月
 
そのときもYKさんから「カストロ議長が貴社のK社長に会いたがっている、来月あたりでアレンジしていいか」との一報が入り、当時のK社長、医療事業トップのM副社長、YKさん、私の4人とフィデル•カストロ国家評議会議長との会談に向け動き出したのでした

 

キューバの首都ハバナはマイアミから目と鼻ですが、アメリカからの直行便がないため、一行はそれぞれカナダかメキシコ経由で2006年3月17日にハバナに集結
しかし保安上の理由でカストロさんの予定は国家機密なので、会談の日時はまだ我々にも伝えられておらず、YKさんの携帯に連絡が入って2時間以内に議長官邸に到着できる距離で最長5日間待機せよとの当局からの指示
一部上場の社長と副社長をそんな形で拘束するなんて、一国の元首、しかもカストロさんくらいの大物でなければとてもできない芸当です
なので、ホテルでじっとしていても仕方ないので、初めてハバナに来たK社長、M副社長を市内観光に案内することにしました

 

まずは旧市街にあるHotel Ambos Mundos
写真の上から数えて2階(地上4階)の角部屋にヘミングウェイが長期滞在し「老人と海」を執筆しました
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1階のバー「Floridita」では、いつも座っていたという席で かの文豪が今も迎えてくれます
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向かって私の右がM副社長、その隣りがK社長です

 

下は「老人と海」の舞台となった漁村Cojimar (コヒマール) でのYKさんとのスナップ
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ところでこのカストロさんとの会談は、医療機器の大型商談と密接に関係していました
キューバの外貨源は昔はサトウキビ、最近はニッケル鉱で、2004~2005年ごろのニッケル相場が上がったおかげでキューバ政府が潤い、それを機に久しく更新がなかった全国の病院の診療機器の大口買付けを決定、アメリカ製は禁輸のため、その多くが日本製とドイツ製になりました

 

よって先陣を切って会談した私たちの他にも同時期に複数の日本企業のトップが順次カストロさんに招聘されており、いわゆる「トップセールス」の逆パターンで、買付ける方のトップが売り手のメーカーを呼びつけて、国家戦略としての全国民への無償医療政策に賛同して安くしてくれという交渉を行ったということです

 

さてカストロ議長側から呼出しがないまま、ハバナ滞在2日目の3月18日も夕方を迎えました
1982年に世界遺産に登録されたハバナ旧市街は、どこを見ても絵になる美しさです
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旧市街の野外床屋さん
こういうの、写真好きにはたまりません
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1959年のキューバ革命以前のアメ車が、大事に修理されていまだに市内をたくさん走ります
ハバナ名物の風物詩です
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絵に描いたようなラテンの夜
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パリと見紛うオシャレなカフェも
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電力事情が厳しい中、教会もライトアップ
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そして3日目の19日を迎え、ちょっとした問題が起こってきました
この時期、ちょうど第一回ワールド・ベースボール・クラシックが開催されており、その決勝戦がなんと日本 vs キューバになってしまったのです
試合は翌日の3月20日、アメリカ San Diegoの開催で、ハバナとの時差は3時間のライブ中継
ここで一行の悩みは、果たしてカストロさんとの会談が決勝キューバ戦の前になるか後になるかです
相手は自身が高校•大学で選手だった野球狂で知られるカストロさん
万が一、日本がキューバに勝ってしまった後にカストロさんに呼ばれるパターンだと最悪です

 

この日はホテル内で夕食のあと、さすがにもう今日の呼出しは無いよねと、各自部屋に帰ろうとした矢先にYKさんの携帯が鳴り、一瞬の緊張が走ります スペイン語で何やら話すYKさん 内容は全くわかりません 時刻はもうすぐ22時です 仮に呼出しだとしても明日の朝だろう、そうすると決勝戦の前だ、よかった~と誰もが思ったそのとき、YKさんが電話を切っておもむろに言いました
 
「23:10に官邸前です」。えぇぇ?!  い、今からぁぁぁ?

 

みんな、慌ててスーツに着替え、YKさんが24時間待機させていたミニバンに乗り込み、議長官邸前へ
そして待つことしばし、真っ暗な官邸の立派な門扉が23:10かっきりに静かに開き始めました
 
普通は時間にルーズなラテンアメリカですが、さすがに議長イベントだと極めて正確
たぶん帰国後に広報部から社報用の原稿を書けと言われるだろうと、綿密に書き留めた当日のメモによると、23:45にカストロさんが我々の前に現れました
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会談の前にきっとアメリカの空港でも比べ物ではないほど厳重なセキュリティチェックがあるのだろう、その待合室かと思って座っていた部屋に何の前触れもなく身長190cmはある巨体を揺さぶって入ってきた人物の顔が写真であまりにも見慣れた精悍な髭ヅラだったので、一同飛び上がるほどビックリしました
 
過去にCIAによる暗殺計画が何度も噂されているカストロさんのこのノッソリと無造作な登場ぶりは「貴方たちは信用できる友人だ」という無言のシグナルとして心に響き、不覚にも私はこの時点で完全ノックアウト、それがパフォーマンスだとわかっていても圧倒されてしまいました
 
それにしても我々が持参したカバンの中身も含めて完全ノーチェックだったなんて今でも信じられません
あれは、ディズニーリゾート以下の保安レベルでした

 

さて、カストロさんに同席するのは側近と思わしき2人と、今回の商談担当の公団局長、そして通訳のハバナ大学日本学科のキューバ人教授です
この教授はYKさんと顔見知りのようで、再会の挨拶のあと本人に聞こえないようにボソッと「彼じゃダメだ、たぶん途中でオレが通訳を代わらないと」とのこと
確かにその日本語は何ともおぼつかず、しかもせっかちで熱を帯びてよく喋るカストロさんが、通訳教授の日本語が終わるのを待てずに次の発言をポンポン始めてしまい、途中で「すいません、YKさん、代わりにお願いできますか」と本人からギブアップしてしまう始末

 

そのとき「教授のメンツ」を潰してしまったことにハッと気づいたカストロさん、その場で教授に謝ることしきりで、「日本語ってそんなに難しいのか? おまえは大したヤツだなぁ」と何とも優しくフォローしていたのがとても印象的だったとYKさん
 
その表情からも素直で飾らないお人柄が伺えました

 

全部で2時間強だった会談は、我々がひと月以上前に公団に提出していた見積書のコピーが何とカストロさん自らの手に渡っていて、その場で値引き交渉されるタフな商談 (国家元首が普通そんなことやりますか?笑)、それに関連したキューバの電力事情と医療行政に対するカストロさんの熱い思い、そして明日のWBC決勝戦に向けてのマツサカ、ウエハラ、イチローの攻略法の熱弁(日本選手のこともめっちゃめちゃ詳しくてビックリ)…の3部構成で、未明の午前2時ごろ終わりました

 

日本の経営者に地図を使ってキューバの医療行政を熱心に説明
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そのあと、日本から持参したお土産品の贈呈です
K社長からまず薩摩切子のペアのワイングラス
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カストロさんは赤いのがお気に入り? 後ろに控えるSPさんも興味津々。
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お次はデジカメのプレゼント
M副社長の説明を熱心に聞き入るカストロさん、英語はわかる様子
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そして驚いたのが、最初の1枚はお前だと言って半ば強引にK社長を立たせて撮ってみせるサービスぶり
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対するカストロさんからの返礼は、ハバナ葉巻の箱詰め
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議長からのプレゼントですから、これってたぶんプライスレスな最高級品でしょう
カストロさんからの特別拝領品として出国税関もフリーパスの特性封印ステッカー付きの梱包です
私もいただきましたが、ちょうど20年経った今も畏れ多くて未開封で大切に保管しています。つい先日久々に会ったYKさん曰く、もう葉巻としてはダメになっているだろうが、そこまで取って置いたのなら未開封のまま保存した方が価値が出るだろうとのこと

 

さぁ、そして私にとってこの日のメインイベントが始まります
当局の呼出し待ちで旧市街をブラブラしているときに土産物屋でTシャツを見かけ、そうだ、カストロさんに会ったら、これにサインしてもらおうと思い立ったのです
K社長もM副社長も、おいバカ、そんなことはやめろ、と言いますが、そんなのお願いするだけしてみて、断られたら止めれば良いだけの話じゃないですか、私はやります、やらないと後悔しますよ、と言って気に入ったTシャツを一枚買いました。そしたら、渋っていたご両人も追従
 
で、会談当日のプレゼント交換のあと、カストロさんにTシャツへのサインをお願いしてみると…

 

メッチャ良いノリで喜んで応じてくれました!
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カストロさん、やっぱ、お茶目でシャレがわかるお方です
結局、K社長もM副社長もサインもらって大喜び

 

そしてこのTシャツは、我が家の家宝として今も大切に飾っています。
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そしてこのハバナの会談から10年後…

 

2016年11月25日、フィデル•カストロ元議長は90歳でご逝去
私は港区東麻布のキューバ大使館で弔問記帳させていただきました
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政治的、思想的な立場をこのブログに持ち込む気はありません
10年以上前のわずか数時間の面談で感化を受けたわけでもないです
ただ、自分のキャリアの中で少なからず市井の人々に触れたことのある、中国、ソ連、ポーランドといった昔の社会主義国では、国の指導者は押し並べて人々の怨嗟の対象かネタとして馬鹿にされる対象であったと個人的な経験で思い出します
それは、革命時に気高い志のあった若き為政者たちが治世安定とともに変節し、賄賂を横行させ、自身の銅像をそこいら中に建てまくって個人崇拝を強制したり、果ては自身の遺骸を模型のごとく永久保存して巨大なモニュメント化するに至るといった狂気によるものかもしれません

 

翻ってカストロさんのキューバでは、もちろんラテンという明るい風土もあるでしょうが、人々は貧しいながらも楽しく生き生きと一定水準の生活を保証され、タンクトップでヘソ出しの若い女性が夜中に街を一人で歩けるくらいラテンにしては奇跡のように治安が良く、学問、特に医学などは遠く中国や東欧からも教えを乞われるような水準 (Dr.X 大門未知子もキューバ クバナカン医科大学卒です)。そしてカストロさん自身も清貧と倹約を貫き、銅像など一つも建てず、人々に心から愛され (革命で全財産を没収されてアメリカへ亡命した人々には悪魔でしょうが)、その遺体は本人の遺志で荼毘に付されたそうです
 
ちょっとだけ残念なのは、後継者に実弟のラウル氏を指名したことでしょうか

 

でも、おそらく1959年の革命当時の志を終生持ち続けたのではないかと思い、であればカストロさんは永遠の革命家であったと言えるように思います
 
私ごときが評するのも誠に僭越ですが…
 
(おわり)

年明けは雪の多かった今冬も気がつけばもう3月

しかもここ連日4月並みとかの暖かさ

 

ヤバい、スキー場の雪が緩んでしまう!

 

と、直近の晴天を狙って慌てて出撃した石打丸山

 

 

数年前までは青春18切符の鈍行乗継ぎで、家を4時半に出て越後湯沢に10:15着、ロッカーからスキーを取り出して、バスで石打に着いて、着替えて、最初のリフトに乗るのが11時ごろというのがお決まりのパターンでした

 

思えば、この年末年始の青春18の限定期間に行くからこそ、新雪に近いゲレンデを楽しめたのだと改めて気づきます

 

その後、青春18のルールが変わり、自身もだんだん早朝の鈍行旅が辛い年頃になってきました

 

よって最近のぼっちスキーは専ら新幹線利用

東京8:22発でも、始発の鈍行乗継ぎより早くゲレンデに立てます

 

新幹線は偉大なり

 

平日のこの時間は、ビジネスマンとスキー客でほぼ満席

 

 

この日の天気は、関東地方が未明まで雨で日中は曇り

一方、新潟は終日快晴という珍しい予報でした

 

たしかに群馬県もこんな感じ

 

 

でもトンネル抜けて越後湯沢はこんなドッピーカンです

 

 

テンション上がるけど、雪はだいぶ溶けてるなぁ

 

 

スキーヤーは、一斉に東口のバス乗り場へ向かいます

 

 

私も東口のスキーロッカーへ

 

 

マイスキーと1年ぶりの対面です

 

 

平日のスキーヤーは大半が外国人

 

 

リフト券販売、スキーレンタル、更衣室などを集約したリゾートセンターで着替えます

 

 

ふと見上げたリフト券料金表に「シニア」の欄を見つけました

私も来シーズンから安くなるみたい!

 

 

今日も広々、石打丸山

 

 

南魚沼、八海山方面です

 

 

サンライズと山頂高速リフトで、まずは一気に頂上へ

 

 

でもビビりの私は、この日も林間コースへ

正面にGALA、湯沢高原が見えます

 

 

ちなみに今年のSKI SKIはこんな感じ

とうとうAIポスターも登場しました

 

 

正面に谷川岳が見えてきました

 

 

よく見ると、上の方は綿菓子のような雲をまとっています

 

 

おぉ、なんとこれは山の向こうから稜線を乗り越えて落ちる「滝雲」です

生まれて初めて見ました

 

 

4人乗りリフトで隣りにフランス人の2人組

彼らの会話を聞くだけで、ここはシャモニーの気分です

 

 

そしてお昼は、もしかして師匠のMさんや知合いの御年82才のⅠさんはいるかなぁ~と、清水食堂へ

 

そしたら去年も店の真ん中でストーブを囲んでいたⅠさんのお仲間、老練スキーヤー軍団が一升瓶を酌み交わしてて思わず笑ってしまった

でもⅠさんは今回はいなかった

 

 

ここのラーメンはなかなかイケる味です

 

 

食後、気温7度の昼下がりの雪は、もうザクザクのグチョグチョで、私の大嫌いなコンディション

 

 

これは気を抜いたらすぐ転倒だな…と思っていたら…、

 

…やってしまった!

 

以下 わずか1秒のGoPro動画の瞬間を分解です

 

 

ヤバい、やっちまった!と思った瞬間、体が真横を向き、

 

 

雪を散らしながら、天を仰ぎ、

 

 

さらに蹴散らしながら回転、

 

 

回りながら、板が外れ、

 

 

ズコンッと着地です

 

 

終わってみると、離れたところに無残なスキー板が2本

 

 

すると優しいボーダーさんが「大丈夫ですか~?」と近づいてきました

 

 

若いころはこういうの超恥ずかしかったけど、今は優しい隣人のご好意にどっぷりと甘える余裕があります

歳をとる心のゆとりって素敵です、笑

 

転倒シーンを含むこの日のダイジェストを動画で

          ↓

石打丸山で派手に転倒、でも春スキー満喫の1日

 

 

さて気を取り直して板を履き、

 

 

重たい春雪の抵抗をパンパンに張っていく大腿四頭筋で受け止めながら修行を続けます

 

 

それにしても回しっ放しの GoPro は、あとから良い画を好きなだけ切り出せます

誰かは知りませんが、女子ボーダーさんが良い感じで追い抜いていきました

 

こうして谷川岳を超える滝雲のほかは一度も雲というものを見なかった一日…

 

 

早めの夕飯で〆るのは、やはり湯沢駅構内のへぎ蕎麦です

いつ食べてもなんでこんな美味しいんだろう

 

 

ボ~ッとしてたら、今シーズンのスキーは一回で終わっちゃったかも?

 

いや、もうワンチャン、寒波再来に期待です(おわり)

 

 

「顕著な大雪に関する気象情報」が発令された1月末、日本海側の道路は高速も下道も軒並み通行止めになり、我が家の北陸バスツアーは初日の東尋坊、2日目の白川郷、高山のあと、最終3日目は予定を大幅に短縮して正午に富山駅へたどり着きました

 

 

この日は18時に富山空港発の便で羽田へ帰る予定が、大雪のため飛ぶかどうかわかりません

するとツアー会社から「東京まで新幹線は自己負担、飛行機代は後日返金する」というオファーがあり、グループはここで任意解散となりました

 

そうはいってもまだ昼12時の富山で新幹線含む鉄道が全て正常運行と来れば、どっか寄り道して帰らない手はありません

そこで、お昼は海鮮料理だ、そのあとガラス美術館だと富山のプランで盛り上がる奥さんと娘YULIAとは東京まで別行動することを宣言

 

こうして雪の北陸の半日をひとりで過ごしたい場所…

 

それはここ、富山湾越しに北アルプスを一望できる雨晴海岸

 

 

といっても、上の写真は駅前に立つ看板の写真の写真、つまりパクリです

 

 

「あまはらし」と読む雨晴は能登半島の富山湾側の付け根にあり、天気が良ければ剱岳を一直線に望めます

 

まぁ、この日の剱は絶対無理だけど、近々またドローン撮に出直す下見のつもりで行ってみよう

 

 

富山からローカル電車で20分、今や希少となった国鉄型気動車が多数たむろする高岡駅

 

 

雪が急に激しくなってきたりで…

 

 

もう少し降ると、除雪車の出番かも

 

 

雨晴は、ここから氷見線の途中にあります

 

 

10分ほどで車窓から富山湾が見え始めました

 

 

松の木が立つ「女岩」が見えてくると、もうすぐ雨晴

 

 

海辺の小駅に外国人含む5人が降りました

 

 

雨晴は民間委託の有人駅

中国語で「世界級的風景名勝」だそうです

 

 

駅からすぐの道の駅 雨晴は、オリジナル・スイーツや北アルプス展望台が人気

ちょうどこの北陸旅の前週に「NHK 72時間」の舞台になっていました

 

 

国道と氷見線の踏切を渡って、海岸へ下りてみました

雪が激しくなってきます 北アルプスもきっと吹雪でしょう

 

 

誰がつくったか海辺の雪だるま

 

 

お、一瞬晴れそう!

 

 

でもやっぱ、ダメか

 

 

雪降る冬の海もそれはそれで独特の風情です

 

 

誰がつくったか沿道の雪だるま

 

 

雨晴の駅に戻ってきました

日が暮れても雪は止みません

 

 

薄暮の高岡行きで帰ります

 

 

無人のホーム、雪深い構内、孤高の気動車たち、名付けて「高岡駅、国鉄の残像」

 

 

富山からは、「顕著な大雪」でも元気な北陸新幹線で帰ります

それに比べて、東海道の関ヶ原って何であんな雪に弱いんだろ?

 

 

その東海道新幹線が通る有楽町を先週歩いていたら、交通会館の地下にある富山県アンテナショップの広告が雨晴海岸、それも駅前の看板と同じ写真でした(波の形が同じ)

海と山を代表する自慢の有名地なんですね

 

 

こうして満喫した下見のつもりの雨晴

 

 

帰りの列車を1本遅らせて、雪の雨晴を雨晴らしく撮れたカットです

いつかこのバックに剱岳を入れたい

 

ちなみにこれは、今日 (2/16)の雨晴ライブカメラの映像です

 

このところ、すっかり寒さが緩んで雪が消えています

そして見えるか見えないか、微妙に霞む北アルプス

(おわり)

日本海側だけでなく、名古屋や紀伊半島、四国、九州まで大雪に見舞われた1月後半の日本列島

 

耳慣れない「顕著な大雪に関する気象情報」なる発表が相次ぐ中、よりによっての家族旅行は3日間の北陸遠征となりました

 

奥さんとOL娘YULIAは、前の晩から準備していたようだけど、出発日は正午に羽田空港集合のツアーだったので、私は当日起きてから現地の天気予報を見て準備するかどうかを決めることにしていました

 

ちなみに前日の羽田-小松便は全便が雪で欠航

 

そんな大雪の中に繰り出すのも何だなぁ…と、まぁ、雪で中止になったら旅行代が全額戻ってくると聞いていたので、キャンセルでも全然いいやと思っていたら、どうも飛行機は飛びそうな気配です

 

雪国と関係ない方面は普通に忙しいわけで、羽田はいつもどおり稼働していました

 

 

13時発の小松行きは現地が大雪で、1時間遅れのゲート変更

バスゲートからの沖止め搭乗です

 

こんな眩しい太陽の下、引き返しもあり得る「条件付き運航」で出発となりました

 

 

ほぼ満席のフライトは、4人中2人のCAが男性

職業の性差が無くなっていくのは、素敵なことだと思います

でもCAは本来、保安要員であり、だったら女性より男性の方が頼りになるよね…と、隣席のYULIAとひそひそ話

 

 

北アルプス・穂高の真上あたりの雲の上を飛行して、

 

 

雪が少し治まった小松空港に無事着陸しました

 

 

ここからグループ総勢40人、2日半のツアーが始まります

 

 

要するに3日間なんでもありツアー(それにしてもスゴイ名前だ、笑)

たぶん新聞広告のコピーを意識すると、こうなる?

 

 

かつてのTV欄、火サスのタイトルと同じですね、爆(そういえば白川郷とか飛騨とかもサスペンスの定番だった)

 

 

そして最初の訪問地は、なんとこれもサスペンスの定番、越前は東尋坊!

 

 

岩陰からおもむろに船越英一郎とか出てきそう、笑

それがツアーのアトラクションだったりしたら超おもろいのに(でも俳優で売れなくなったら、そういう仕事もありかも…)

 

 

羽田から3日間同行の若いガイド君曰く、「今日の日没は17:11なので、飛行機が遅れると知って焦りました。真っ暗闇の東尋坊なんて洒落にならないですからね…」

 

 

聞きしに勝る暴風、爆風でしたが、良い感じの日没は見られました

 

 

夜は、東尋坊のホテルでカニ食べ放題

ビュッフェにしては、高品質なカニだった

 

 

こうしてベタな北陸旅の初日が終了

 

 

翌日は当初予定だった、福井なんちゃら蕎麦の里と九頭竜湖が、雪のため道路閉鎖でキャンセル

そのぶん予定を早めて恐竜博物館へ向かいます

 

もうすぐ到着というところで全身が雪で真っ白な巨大恐竜が忽然と出迎え

この登場はおもしろかった!

 

 

聞きしに勝る立派な施設です

 

 

ベタな団体親子客

 

 

地上3階、地下1階

こりゃ、すごいわ!

 

 

おぉ、リアルな発掘現場の再現!

 

 

動くTレックスが正面で出迎え

 

 

展示の大半は骨格標本です

 

 

様々な種類を趣向凝らして見せます

 

 

ここにあるのは全て復元ですが、本物がこれだけ出てきたと思うと圧倒されます

 

 

別のコーナーには実物大のリアル模型たち

 

 

骨ばっかだんだん見飽きてきた目には、新鮮かつホッと温もりを感じます

 

 

最新の研究では恐竜にも羽毛が生えていたようで、テレビとかでもそういう描写をよく見るけれど、ここの恐竜たちにはまだ生えているのがいません

そのうち出てくるのかな?

 

 

恐竜のあと、福井から北陸道を北上し、富山の小矢部SAでお昼休憩

 

 

富山はブラックがご当地ラーメンみたいだけど、さすがに真っ黒なのが怖くて代わりに白エビ塩ラーメンにしました

あっさり海鮮風味がメチャ旨かった!

 

 

そしてこの日のハイライトは白川郷

 

北陸道から分かれて岐阜に向かって南下する東海北陸道が途中でなんと雪で通行止め

 

そこから下道 (したみち)になったけど、さすがに蕎麦の里や九頭竜湖はすっ飛ばしても、白川郷は絶対に外せないというツアー会社の覚悟と気合いで雪降りしきる白川郷に到着!

 

 

合掌集落への「入口」は、荘川を渡る橋です

 

 

川の向こうに見えてきた!

 

 

それにしても、ものすごい雪の振り方です

 

 

念のため、足元だけは全員雪山仕様にしてきて良かった

 

 

初めての白川郷が豪雪というのも良いかもです

また来るぞというモチベと、季節を変えれば2度おいしいかも

 

 

YULIAはインスタ写真の撮れ高に大はしゃぎ!(いったい何カット撮らされただろう?)

 

 

おじさんは、おじさんSNS仕様の横長カット

 

 

雪は余分な物を消して素敵な風物を引き立てます

 

 

集落の外れにあるのが、内部を見学できる「和田家」です

 

 

YULIA テンションMAX!

 

 

整然とした屋根裏は、合掌造りの構造がわかります

 

 

この地域の伝統的な生業は、養蚕だったそうです

 

 

再びの屋外には、長大ツララ群

 

 

自撮りも寒い!(いつもスマホのどこを見ようかと目が泳ぐオジサン、笑)

 

 

そういえば、衆院選か…

こんなときにやるなよと改めて呆れてしまう政治家の私利私欲

 

 

とはいえ、そこは大雪がとっても絵になる世界遺産でした

 

 

白川郷をあとに雪吹きすさぶ夜道を高山市へ向かいます

 

郊外のホテルで飛騨牛尽くしの晩ご飯をいただきました

 

 

そういえば若いころと違って、今日みたいな大雪で車を運転する自信はもうない

それだけでも今回、団体のバスツアーにした甲斐があったと思います

 

旅の2日目は、念願の白川郷を堪能した大満足のうちに眠りにつきました

 

 

そして最終日も朝から雪の予報です

 

 

丘の上のアソシア高山リゾートから市内の朝市へ向かいました

 

 

雪のせいで朝市の屋台はほとんどありません

 

 

その分、開いている店舗には長蛇の列

 

特にあの飛騨牛にぎりは、どうしようか迷うほど長蛇でしたが、インスタ女子YULIAは喜んで並びます

 

 

1人一貫ずつ、超旨し!

 

 

朝市の通りから脇に逸れると、小京都と呼ばれるレトロな町並み

 

 

朝市で買った猿ボボです

 

 

地元信金の前にも猿ボボのオブジェ

 

 

家族そろって最後のショット

 

 

なぜ最後のショットかというと、この日は北陸道の通行止めでこのあと向かう予定だった金沢がキャンセルになったからです

 

こうして高山から富山へ、またも大雪の中を移動しました

 

 

この日は18時に富山空港発の便で羽田へ帰る予定ですが、昼の時点でまだ飛ぶかどうかわかりません。そこでツアー会社の提案は、確実に帰りたい人は富山駅から自腹で新幹線に乗り、後日、飛行機代の返金を受けるというもの。

 

私たち夫婦は予定の18時便にトライしても良かったけど、YULIAは明日は絶対に仕事だというので、結局3人揃って12時過ぎのJR富山駅でツアーから離脱しました。

ちなみにツアー参加者の2/3は、私たちのように富山駅で解散し思い思いに過ごして新幹線で帰京したようです。

 

そしてうちの奥さんとYULIAは、さっそく海鮮のお昼だ、ガラス美術館だと、富山の女子プランを立て始めました。

 

それを横目に私は一人、せっかく雪の富山で自由になったのだからと、ず~っと前から(もしかしたら学生時代から)行きたかったある場所をひとり目指すことにしました。(おわり)

 

 

 

 

ちから~もち~♫

  ちから~もち~♫

雪国の駅のホームに独特の節回しで物売りの声が響きます

 

 

売っているのは「峠の力餅」

場所は奥羽本線の峠駅です

 

この駅、なぜこんな地下鉄のように暗いのかというと…

 

 

冬に駅を雪から守るため、スノーシェルターという屋根と囲いが駅全体を覆っているためです

 

新年早々に仙台で用事があり、せっかく東北へ行くなら、ついでにどこかで雪深い景色をドローン撮したいと思いついたのが、高2の夏、先輩と2人で旅行したときに立ち寄った奥羽本線のスイッチバック駅

 

奥羽本線は福島から山形、秋田を通って青森を結ぶ全長 484.5kmのかつての幹線です

今は、そのうち福島-山形-新庄の 148.6kmが東京から直通の山形新幹線の乗入れ区間になっていて、そこで運行する普通列車の線路幅は在来線の狭軌 1,067mmではなく、新幹線と同じ標準軌 1,435mmです

 

たしかに見た目にも広い線路幅の普通・米沢行きに福島から乗りました

ちなみに現在の駅などの案内表示は「奥羽本線」ではなく、新幹線が「山形新幹線」、普通列車が「山形線」というのが通称のようです

 

 

普通・米沢行きが福島駅を出てすぐ、東北新幹線から分岐した連絡線が「山形線」に向かって地上へ下りてきます

 

 

そして降りたのが、事前に地形図で見ていちばん人家が少なそうだった峠駅

 

 

こんな感じで人里感はゼロです

 

 

峠とは板谷峠のことで、福島盆地と山形盆地を結ぶ難所です

普通列車が1日6往復に対し…

 

同じ線路を通過する新幹線つばさは、1日 17往復

 

 

新幹線も奥羽本線では最高時速130kmに制限され、しかも山間部ではゆるゆると走っていきます

 

 

峠駅の構内踏切を渡る新幹線つばさ

遮断機と新幹線は、違和感満載の組合せでした

 

 

スノーシェルターの外は期待どおりの雪景色です

 

 

無人の待合室にあったエリア路線図

峠と米沢寄りの関根の間に張られた白テープで隠されているのは 2024年12月に廃止になった大沢駅、福島方の板谷と庭坂の間にあるステッカーの下は 2021年に廃止になった赤岩駅です

 

 

高2の夏、1978年8月に訪れたのはその赤岩駅でした

 

 

ここも当時はスイッチバック駅で、コトコト走っていたのは機関車が引く旧型客車

 

 

この14年後の 1992年に線路幅が改造され、山形新幹線が進出しました

 

 

ふたたび現在の峠駅

 

 

これはかつてスイッチバックの引き込み線だったスノーシェルターの遺構です

 

 

外へ出ると、1メートルほどの積雪

 

 

ひと気のある民家は茶屋が1軒だけ

 

 

あの峠の力餅を作っています

 

 

ドローンの電波が良さそうな場所を探して山道を歩いていると、郵便配達の赤いジムニーに出会いました

この日は予報に反して驚きの快晴!

 

 

まずは駅近でドローン撮を開始!

 

 

午前中は、上下ほぼ20分おきに新幹線つばさがやってきて、撮れ高満点です

 

 

雪化粧が余計な物を隠して、列車を浮き立たせてくれました

個人的に決して美しい塗装デザインだとは思わないけれど、上空からの視認性とコントラストは抜群の山形新幹線

 

 

写真左上の峠駅から右下に向かって急勾配を下る本線

ここでは毎時、つばさ同士のすれ違いを撮影できました

 

 

上と同じ写真で、スイッチバックの構造をちょこっと解説

 

 

角度を変えて…

かつての峠駅と本線との高低差が一目瞭然です

 

 

天気良し 雪化粧良し 列車の長さ良し

 

 

これ以上ないドローン映え

 

 

たぶん今までで最高のドローン体験です

 

 

ひとしきり撮影すること4時間

もうバッテリーの残量はゼロです

 

ここからは地上撮

本線から分岐するスイッチバック側線へのスノーシェルターは、

今は線路を撤去されていますが、信号機は残っています

 

 

かつての線路上には、謎の民家(空き家)が建っています。

 

 

再びの峠駅ホーム

もうすぐ入線する米沢行き普通列車への力餅の行商準備です

 

 

ちから~もち~♫

乗降客のない峠駅で、30秒の停車は異例の長さ

 

 

JR職員も、力餅を求める乗客もみんな心得たもの

知らなかったのは私だけ

 

 

反対の福島行きでも商売繁盛

 

 

無人駅だし、SUICAは使えないしで、車内発行の精算乗車券でしっかり「峠」の印字をゲット

 

 

福島駅に戻ってきました

新幹線開業前の特急街道だった東北本線は、今も貨物列車街道

コンテナ車とタンク車の長大編成がバンバン行き交います

 

 

そういえば、このホームで1978年に写真を撮った覚えがありました

待機中の国鉄電気機関車と向こうから来るのは福島交通飯坂線のローカル電車です

 

 

あの日、あの場所、そして今…のつもりでスマホを構えていたら、なんと47年前に撮影した電車を模した復刻塗装の車両が来てビックリ!

今の福島交通は元・東横線のステンレスカーが主力で、この復刻塗装は偶然の出会いです

 

 

そして自宅に持ち帰った峠の力餅

 

 

見た目は普通の餅まんじゅうですが…

 

 

餅のつき具合が抜群で、これは無二の食感

家族にも大好評で、もっと買ってきて!と言われてもネット販売などなく、買えるのはあの峠の茶屋とホームの立売りだけのようです

 

今度は雪のない春にでももう一度行きたいスポットです

(おわり)