年明けから始まった主権国家への武力攻撃というトランプの横暴は、ベネズエラへの予行演習を経て体制転換の本命イランを襲い、次はラテンアメリカの本命キューバに及びそうな気配です
とはいえ武力行使の前にフリだけでもディールから始めるのがトランプ流
まずは石油輸送を絶って、キューバ全土を停電させるという暴挙に出ました
なんでこんなことが瞬時にできるのかと不思議に思ったら、キューバの石油輸入はベネズエラとメキシコの2国に頼っており、トランプ政権によるマデゥロ大統領の誘拐で傀儡政府が成立したベネズエラも、追加のトランプ関税が怖いメキシコも、さっさとキューバへの輸出を止めてしまったということです
そんなキューバにこれから何が起こるのか、ベネズエラのようなトップの首のすげ替えか、イランのような全面戦争か、考えると心が痛みます
それは、私が仕事で少しだけキューバと関わった個人的な体験によるものです…
「先週NHKの取材があって、カストロさんといっしょに撮った写真を渡したから使われるかもしれないよ」
2015年3月のある日、以前メーカー勤務の頃とてもお世話になった取引先商社の社長YKさんからメールが来ました
タイミング的には前年の2014年暮れに当時のオバマ大統領がキューバとの国交正常化交渉の開始を電撃発表して数ヶ月
1962年から続くアメリカの経済制裁が解除されるようなら、日本企業にも今まで以上にキューバでの商機が広がるだろうという文脈のニュースで、日本におけるキューバの第一人者だった YKさんがNHKのインタビューを受けたというものです
とはいえ、その放送はニュースチャンネルの「NHK World」で、YKさんの約3分のインタビューがいったいどこで流れるのか見当がつきません
残念だなぁ、でも見たいなぁと思っていたら、YKさんからNHK Worldのネットニュースで閲覧可能との追加情報
で、急いで見てみたら、ありました、でもアーカイブは数日で消えてしまうようなので、上述の「カストロさんといっしょに撮った写真」の部分をiPadのスクショで保存しました
この写真のきっかけは今からちょうど 20年前の2006年2月
そのときもYKさんから「カストロ議長が貴社のK社長に会いたがっている、来月あたりでアレンジしていいか」との一報が入り、当時のK社長、医療事業トップのM副社長、YKさん、私の4人とフィデル•カストロ国家評議会議長との会談に向け動き出したのでした
キューバの首都ハバナはマイアミから目と鼻ですが、アメリカからの直行便がないため、一行はそれぞれカナダかメキシコ経由で2006年3月17日にハバナに集結
しかし保安上の理由でカストロさんの予定は国家機密なので、会談の日時はまだ我々にも伝えられておらず、YKさんの携帯に連絡が入って2時間以内に議長官邸に到着できる距離で最長5日間待機せよとの当局からの指示
一部上場の社長と副社長をそんな形で拘束するなんて、一国の元首、しかもカストロさんくらいの大物でなければとてもできない芸当です
なので、ホテルでじっとしていても仕方ないので、初めてハバナに来たK社長、M副社長を市内観光に案内することにしました
まずは旧市街にあるHotel Ambos Mundos
写真の上から数えて2階(地上4階)の角部屋にヘミングウェイが長期滞在し「老人と海」を執筆しました
1階のバー「Floridita」では、いつも座っていたという席で かの文豪が今も迎えてくれます
向かって私の右がM副社長、その隣りがK社長です
下は「老人と海」の舞台となった漁村Cojimar (コヒマール) でのYKさんとのスナップ
ところでこのカストロさんとの会談は、医療機器の大型商談と密接に関係していました
キューバの外貨源は昔はサトウキビ、最近はニッケル鉱で、2004~2005年ごろのニッケル相場が上がったおかげでキューバ政府が潤い、それを機に久しく更新がなかった全国の病院の診療機器の大口買付けを決定、アメリカ製は禁輸のため、その多くが日本製とドイツ製になりました
よって先陣を切って会談した私たちの他にも同時期に複数の日本企業のトップが順次カストロさんに招聘されており、いわゆる「トップセールス」の逆パターンで、買付ける方のトップが売り手のメーカーを呼びつけて、国家戦略としての全国民への無償医療政策に賛同して安くしてくれという交渉を行ったということです
さてカストロ議長側から呼出しがないまま、ハバナ滞在2日目の3月18日も夕方を迎えました
1982年に世界遺産に登録されたハバナ旧市街は、どこを見ても絵になる美しさです
旧市街の野外床屋さん
こういうの、写真好きにはたまりません
1959年のキューバ革命以前のアメ車が、大事に修理されていまだに市内をたくさん走ります
ハバナ名物の風物詩です
絵に描いたようなラテンの夜
パリと見紛うオシャレなカフェも
電力事情が厳しい中、教会もライトアップ
そして3日目の19日を迎え、ちょっとした問題が起こってきました
この時期、ちょうど第一回ワールド・ベースボール・クラシックが開催されており、その決勝戦がなんと日本 vs キューバになってしまったのです
試合は翌日の3月20日、アメリカ San Diegoの開催で、ハバナとの時差は3時間のライブ中継
ここで一行の悩みは、果たしてカストロさんとの会談が決勝キューバ戦の前になるか後になるかです
相手は自身が高校•大学で選手だった野球狂で知られるカストロさん
万が一、日本がキューバに勝ってしまった後にカストロさんに呼ばれるパターンだと最悪です
この日はホテル内で夕食のあと、さすがにもう今日の呼出しは無いよねと、各自部屋に帰ろうとした矢先にYKさんの携帯が鳴り、一瞬の緊張が走ります スペイン語で何やら話すYKさん 内容は全くわかりません 時刻はもうすぐ22時です 仮に呼出しだとしても明日の朝だろう、そうすると決勝戦の前だ、よかった~と誰もが思ったそのとき、YKさんが電話を切っておもむろに言いました
「23:10に官邸前です」。えぇぇ?! い、今からぁぁぁ?
みんな、慌ててスーツに着替え、YKさんが24時間待機させていたミニバンに乗り込み、議長官邸前へ
そして待つことしばし、真っ暗な官邸の立派な門扉が23:10かっきりに静かに開き始めました
普通は時間にルーズなラテンアメリカですが、さすがに議長イベントだと極めて正確
たぶん帰国後に広報部から社報用の原稿を書けと言われるだろうと、綿密に書き留めた当日のメモによると、23:45にカストロさんが我々の前に現れました
会談の前にきっとアメリカの空港でも比べ物ではないほど厳重なセキュリティチェックがあるのだろう、その待合室かと思って座っていた部屋に何の前触れもなく身長190cmはある巨体を揺さぶって入ってきた人物の顔が写真であまりにも見慣れた精悍な髭ヅラだったので、一同飛び上がるほどビックリしました
過去にCIAによる暗殺計画が何度も噂されているカストロさんのこのノッソリと無造作な登場ぶりは「貴方たちは信用できる友人だ」という無言のシグナルとして心に響き、不覚にも私はこの時点で完全ノックアウト、それがパフォーマンスだとわかっていても圧倒されてしまいました
それにしても我々が持参したカバンの中身も含めて完全ノーチェックだったなんて今でも信じられません
あれは、ディズニーリゾート以下の保安レベルでした
さて、カストロさんに同席するのは側近と思わしき2人と、今回の商談担当の公団局長、そして通訳のハバナ大学日本学科のキューバ人教授です
この教授はYKさんと顔見知りのようで、再会の挨拶のあと本人に聞こえないようにボソッと「彼じゃダメだ、たぶん途中でオレが通訳を代わらないと」とのこと
確かにその日本語は何ともおぼつかず、しかもせっかちで熱を帯びてよく喋るカストロさんが、通訳教授の日本語が終わるのを待てずに次の発言をポンポン始めてしまい、途中で「すいません、YKさん、代わりにお願いできますか」と本人からギブアップしてしまう始末
そのとき「教授のメンツ」を潰してしまったことにハッと気づいたカストロさん、その場で教授に謝ることしきりで、「日本語ってそんなに難しいのか? おまえは大したヤツだなぁ」と何とも優しくフォローしていたのがとても印象的だったとYKさん
その表情からも素直で飾らないお人柄が伺えました
全部で2時間強だった会談は、我々がひと月以上前に公団に提出していた見積書のコピーが何とカストロさん自らの手に渡っていて、その場で値引き交渉されるタフな商談 (国家元首が普通そんなことやりますか?笑)、それに関連したキューバの電力事情と医療行政に対するカストロさんの熱い思い、そして明日のWBC決勝戦に向けてのマツサカ、ウエハラ、イチローの攻略法の熱弁(日本選手のこともめっちゃめちゃ詳しくてビックリ)…の3部構成で、未明の午前2時ごろ終わりました
日本の経営者に地図を使ってキューバの医療行政を熱心に説明
そのあと、日本から持参したお土産品の贈呈です
K社長からまず薩摩切子のペアのワイングラス
カストロさんは赤いのがお気に入り? 後ろに控えるSPさんも興味津々。
お次はデジカメのプレゼント
M副社長の説明を熱心に聞き入るカストロさん、英語はわかる様子
そして驚いたのが、最初の1枚はお前だと言って半ば強引にK社長を立たせて撮ってみせるサービスぶり
対するカストロさんからの返礼は、ハバナ葉巻の箱詰め
議長からのプレゼントですから、これってたぶんプライスレスな最高級品でしょう
カストロさんからの特別拝領品として出国税関もフリーパスの特性封印ステッカー付きの梱包です
私もいただきましたが、ちょうど20年経った今も畏れ多くて未開封で大切に保管しています。つい先日久々に会ったYKさん曰く、もう葉巻としてはダメになっているだろうが、そこまで取って置いたのなら未開封のまま保存した方が価値が出るだろうとのこと
さぁ、そして私にとってこの日のメインイベントが始まります
当局の呼出し待ちで旧市街をブラブラしているときに土産物屋でTシャツを見かけ、そうだ、カストロさんに会ったら、これにサインしてもらおうと思い立ったのです
K社長もM副社長も、おいバカ、そんなことはやめろ、と言いますが、そんなのお願いするだけしてみて、断られたら止めれば良いだけの話じゃないですか、私はやります、やらないと後悔しますよ、と言って気に入ったTシャツを一枚買いました。そしたら、渋っていたご両人も追従
で、会談当日のプレゼント交換のあと、カストロさんにTシャツへのサインをお願いしてみると…
メッチャ良いノリで喜んで応じてくれました!
カストロさん、やっぱ、お茶目でシャレがわかるお方です
結局、K社長もM副社長もサインもらって大喜び
そしてこのTシャツは、我が家の家宝として今も大切に飾っています。
そしてこのハバナの会談から10年後…
2016年11月25日、フィデル•カストロ元議長は90歳でご逝去
私は港区東麻布のキューバ大使館で弔問記帳させていただきました
政治的、思想的な立場をこのブログに持ち込む気はありません
10年以上前のわずか数時間の面談で感化を受けたわけでもないです
ただ、自分のキャリアの中で少なからず市井の人々に触れたことのある、中国、ソ連、ポーランドといった昔の社会主義国では、国の指導者は押し並べて人々の怨嗟の対象かネタとして馬鹿にされる対象であったと個人的な経験で思い出します
それは、革命時に気高い志のあった若き為政者たちが治世安定とともに変節し、賄賂を横行させ、自身の銅像をそこいら中に建てまくって個人崇拝を強制したり、果ては自身の遺骸を模型のごとく永久保存して巨大なモニュメント化するに至るといった狂気によるものかもしれません
翻ってカストロさんのキューバでは、もちろんラテンという明るい風土もあるでしょうが、人々は貧しいながらも楽しく生き生きと一定水準の生活を保証され、タンクトップでヘソ出しの若い女性が夜中に街を一人で歩けるくらいラテンにしては奇跡のように治安が良く、学問、特に医学などは遠く中国や東欧からも教えを乞われるような水準 (Dr.X 大門未知子もキューバ クバナカン医科大学卒です)。そしてカストロさん自身も清貧と倹約を貫き、銅像など一つも建てず、人々に心から愛され (革命で全財産を没収されてアメリカへ亡命した人々には悪魔でしょうが)、その遺体は本人の遺志で荼毘に付されたそうです
ちょっとだけ残念なのは、後継者に実弟のラウル氏を指名したことでしょうか
でも、おそらく1959年の革命当時の志を終生持ち続けたのではないかと思い、であればカストロさんは永遠の革命家であったと言えるように思います
私ごときが評するのも誠に僭越ですが…
(おわり)