晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

「阪俗研便り」希望者受付
大阪民俗学研究会では、講演、マチ歩き情報満載の「阪俗研便り」配信の登録を受け付けています。
ご希望の方は、氏名、電話番号をお書き添えの上、tano@folklore-osaka.org
まで、直接メールいただきますようお願いします。毎週無料でメール配信します。 田野 登


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今日、お寺に参りましたら住職から
9月の浦江塾のハガキをいただきました。
写真図 浦江塾のハガキ

 

 

文面は以下のとおりです。
 郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
 福島区のあちこちに「大和田街道」と書かれた碑が
建っているのをご存じですか。福島区内の由来は定か
ではありませんが、西淀川区内には街道に伴う色々な
伝承が残っているようです。家康、源義経、荒木村重
等の伝承が残っていると言います。驚きですね。    
 日時 9月2日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「大和田街道沿いの噂話」
        大和田郷土史会
         会長 金田 啓吾 先生

 

金田啓吾氏が
主宰なさる大和田郷土史会の
『大和田郷土史会報』は、
毎回、住職からいただき読んでいます。
昨年は、同誌28号記載の
ハンセン病療養施設「外島保養院」の碑を訪ねて
中島2丁目を歩いたりもしました。
今年の28号では「尼崎街道を歩く」など
興味深く拝読しました。

そこで思い切って
金田先生にお電話しました。
「浦江塾で
福島区を通る大和田街道の
お話をしていただけませんでしょうか」と。

 

それが、お引き受けしていただけたのです。
すぐさま、メールでメモをいただきました。
今回、「噂話」ならということで
お話ししていただきます。
鯱張らず「噂話」とおっしゃるところに
研究者としての
懐の深さ、奥ゆかしさを感じます。

 

姫島神社関連、
大和田関連、
出来島関連、
佃関連のお話をなさいます。
住職の書かれた
「家康、源義経、荒木村重等の伝承」は、
いったい、どこのことなのでしょう?

 

ボク自身、『大和田郷土史会報』に導かれて
このところ、西淀川区づいております。
図書館で島洲のお話をさせていただいたり、
日本民俗学会で研究発表することにしたりして、
だいぶ、西淀川区のことが見え始めました。
「公害の街」時代の以前と以後に
興味をおぼえています。

 

今回、ネイティヴの方から
お話が聴けるのが楽しみです。
今度、9月24日(日)は
なにわの宮リレーウオークに
福島区歴史研究会も参与します。
福島区側の大和田街道と野田をガイドします。
ちょっと、その先の西淀川区側の話も
知っておきたいものです。

 

浦江塾での大和田街道沿いの噂話に
多数ご参加ください。
いつもの浦江塾です。
参加費無料、手続き不要です。
ただただ、興味のある方の参加をお待ちします。

 

究会代表 田野 登

 

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上町台地今昔フォーラムは
2017年9月10日(日)14:00~16:30です。
 会場は、大阪ガス実験集合住宅NEXT21 2階ホールです。

基調講演には、「歴史」を中心にということで、
それなら1980年代後半の調査も
《昭和末期》に位置づけ、
《4 地蔵信仰の今日》と分節しました。

 

《昭和末期》の中心は
大阪市西区の調査です。
幸いなことに
『近畿民俗』1988年6月、116号に発表した
調査報告が
『民間の地蔵信仰』渓水社1992年に
再録されました。
今回、同書に掲載の図表を用いて話します。

 

写真図1 大阪市西区地蔵マップ

地蔵尊は63ヵ所で祀られてました。
分布は西高東低なのです。
西区を歩かれて気づかれるでしょうが、
木津川の西と東では、
まるで街並みが異なります。
戦災被害地図と重ね合わせますと、
木津川の西の九条北は戦災に遭わずにいて、
地蔵密集地なのです。

 

写真図2 地蔵盆行事一覧表

「路地狭う提灯吊るや地蔵盆」
その九条北は、よく踊っていました。

 

写真図3 ㉔北見地蔵(九条北)

この写真から30年、踊っていた女の子は
ええ、子持ちになっているのでしょう。
やっぱり「昭和末期」は歴史の一コマです。

 

当日は、地蔵の由来譚をも取り上げます。
九条南の立江地蔵での聞き書きです。
◇明治9年以前から祀られている。
 八尾の方の川を流れていたのを拾ってきて祀ったと聞く。
 昭和9年室戸台風の時、
 お堂ごと、尊像も、道路のところに流されてしまった。
 そこで、お堂を、よその場所に移し、尊像をお祀りしていたが、
 また元の場所に帰って来られた。
 その時、コンクリートでお堂の底を固めたところ、
 4件も立て続けに事故が起き、
 子どもが車に轢かれて死んだりもした。
 すると修行者のお告げに、
 狸のクロさん(伏見稲荷のゴンクロウ狸とのこと)が出て、
 「コンクリートで塞いでは、出入りができない。
 息ができるようにしてくれ」とのことがあり、
 コンクリートに穴をあけた。
 それ以後、事故はない。
 昭和24、5年頃、紙芝居をしている最中、
 道路の西の方から、馬力が突っ込んで来たが、
 一人も怪我をしなかった。
 狸のクロさんはお地蔵さんのお使いかもしれない。

 

この由来譚をテキストに
地蔵祭祀の条件、
霊験譚の構成要素を話します。
狸のクロさんの出てくる話には、
《凶事→託宣→祭祀→吉事》の要素が認められます。

狸さんは、メッセンジャーボーイでして、

懇ろに祀り籠めれば、
ワルサをしなくなり、
町内を守る神になるのです。
天神信仰の「祟りの伝承構造」に
話は発展します。

もう一度、本居宣長を読んで臨もうか?

 

あさって2017年8月22日は
大阪城南女子短期大学で
「大阪のお地蔵さんの世界」を話します。

            ↓ここをクリック
http://www.jonan.jp/tandai/area/area_2/20170621.html

 

これの方の申込みは締め切られています。
よろしければ、

「上町台地今昔フォーラム」にご参加ください。
フォーラムへのお申し込みは、
チラシのFax06-6205-3512(CEL弘本さん)または
www.sumai-machi-net.com
お問い合わせは☎ 06-6205-3518

 

究会代表 田野 登

 

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上町台地今昔フォーラムは
2017年9月10日(日)14:00~16:30です。
会場は、大阪ガス実験集合住宅NEXT21 2階ホールです。
写真図1 表紙

 

表紙の下絵は
近代日垣明貫「大阪市中の地蔵盆」
『上方』20号1932年8月号です。

 

上町今昔フォーラムでの基調講演「大阪のお地蔵さん」の準備は
PowerPoint版の編集段階です。

 

写真図2 コンテンツ

 

今回の中心は
《3 大阪の地蔵信仰の歴史・民俗》です。
《(1)近世》《(2)近代》では、
できるだけ実物の文献に近いモノをアップします。
大阪府立中之島図書館所蔵の文献はカラー複写、
大阪市立中央図書館所蔵の文献は写真撮影を用います。
許可を得ての資料です。
(当然、当日の写真撮影はご遠慮願います。)

 

文政7(1824)年版『神仏霊験記図会』の
地蔵記事などお楽しみに。
願掛け作法を読み解いて
当時の大阪人にとって
お地蔵さんが、如何に身近な存在だったかを
ご一緒に想像しましょう。

 

《(2)近代》では
船本茂兵衛「地蔵祭と地蔵尊の由来」
『上方』32,34,36号1933年8月,10月,12月の
高津界隈の詳細なデータを
集計したのをとおして
昭和初期の大阪人は
お地蔵さんに何を祈願していたのかを
読み解きます。
町内の項に「盗難除け」があったりもします。

 

今回、歴史区分を
近世→近代→昭和末期としました。
1980年代後半の
データを「現代」として紹介するのは
このごろ、偽りのように思えてきたからです。
地蔵信仰の実地調査を始めたのは、
ボクの30歳代後半です。
もう一世代も昔のことなんです。

 

この《(3)昭和末期》では、
四條畷高校の生徒たちが
授業時間中に調査した
「高津界隈の地蔵信仰」のデータも紹介します。
『都市文化研究』第3号、1988年4月発行の記事です。
 船本調査から50年後の高津界隈は、
いったい、どう変化しているのか、
お楽しみに。
ボク自身、『都市文化研究』記事中の地図を携えて
あれから30年後の
高津界隈の「今日」を歩きたいものです。

 

写真図3 チラシ

フォーラムへのお申し込みは、
チラシのFax06-6205-3512(CEL弘本さん)または
www.sumai-machi-net.com
お問い合わせは☎ 06-6205-3518
本ブログへのお問い合わせは
ブログトップの「阪俗研」まで。

興味のある方のご参加をお待ちしています。

 

究会代表 田野 登

 

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お盆明けのブログ再開です。
お盆の間、何をしてたって、
ホトケさんのお祭りをしながら、
日本民俗学会の発表要旨を練ってました。
何とか、昨日・2017年8月18日
年会事務局に提出しました。

一息ついたところで、
ブログ再開です。
この間の出来事を時間を追ってと思えば、
今さらながら、8月8日の「精霊流し前夜祭」の報告からです。
写真図1 講演風景

主催者の上野美子さんから「阪俗研便り」に
寄稿していただいた文章の一部を紹介します。
◇8/8 田野氏講演、『かつて水辺に妖怪がいた? 
 ―水都大阪中之島あたりの話』を開催しました。
 妖怪好きな地元を知る子どもたちの参加で、
 講師の田野さんとの掛け合いも楽しく、
 90分のお話を集中して聞いてくれました。
 最後の島本久恵作、狸退治の一節は、
 それまでの画像や写真での
 古今虚実のお話の下地があったこともあり、
 臨場感のある語りでした。
 大人が聞いても楽しかった。(以下略)

 

以下、田野による書き込み。
写真2 表紙

写真図3 「もくじ」

 

いつものPowerPoint版です。
《3 水辺の妖怪や異類のモノたち》では、
「天神祭りに大江山からやって来る
ひもじい鬼が
潜んでいる空間は、はたして、どこでしょう?」
という問いかけをしました。
原話は
藤本義一、1987年「わが天神祭り」
『日本随筆紀行一七』作品社です。

写真図4 「3 水辺の妖怪や異類のモノたち」

《5 玉江橋中津藩蔵屋敷の狸》の語りは、
原作は、島本久恵1961年『長流一』みすず書房です。
今回の語りの後半部分を紹介します。

  (夜の蔵屋敷ちゅうもんは、どんなとこ?)
◇中津の屋敷といいまんのは、だいぶん下には寄ってるけど
 あれでも堂島の内や。それあんた知ってなはるやろ。
 この汐津橋の一つ上が浄正橋、
 その浄正橋を渡ったところが新地裏通五丁目、
 直き玉江橋に出ても一つ向こうの堂島川になります。
 その堂島川に向こうてこっちゃから右が肥後の相良で二万二千石、
 左が豊前中津で奥平大膳大夫の十万石、
 いったい蔵屋敷ちゅうもんは淋しいて、
 日い暮れて通ろもんなら真っ暗がり。
 鼻つままれても分かれへん。
 そこへあの馬鹿、太鼓打って行っきよった。
 さあ待ってましたとお出ましになった。
  (はたして、何に化けよるのやら?)
◇ならんだ大けな二つの火の玉や。
 ところがあいつは怖いこと知らず、折角やけどこたえまへんわい。
 相変わらず一つおぼえの
 『じさこ、ばかでも、おや、よう、やしなう』どんどんどんや、
 狸(たの)やんちいと勝手がちごた。
 けれどこいつもこうなったら根くらべ。
 治三公のわんわんとどんどんで
 押され押され、じりじり後へよって、
 なお眼えひっからかしてからだじゅう気張りよって、
 治三公は火の玉がだんだん大けなるので面白なりよった。
 今度は『大けなれおっけなれ。もっともっとおっけなれ』
 狸やんも根くらべで大けなって、
 とうとうがんぎのきわまで押しつめられて、そこでぱちんや。
  (「ぱちん」ちゅうのは、何の音?)
◇あくる朝、治三公なんやわけのわからんこというて
 会所の衆をば玉江橋の詰までひっぱって行っきよる。
 行てみると狸が死んでた。
 その日もあくる日も仰山な見物や。
 『こいつか、先度わしの提灯消しよったのは』
 『誰や誰が退治た』
 『馬鹿の治三公や』
 『へえ、えらい奴ちゃなあ』で
 とうとうにわかになって初日から大入り。

 

上野さんがコメントされた
子どもとの「掛け合い」は、語っているボクが
玉江橋で精霊を流していた幼い頃のボクに戻り、
子どもたちの世界との交流を
精いっぱい試みました。
少しは果たせたかナ?
それにしても、
原作の大阪弁の効力は、
なかなか捨てたもんやおまへん。

 

究会代表 田野 登

 

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お盆の「休業」宣言?
ボクは今日8月13日、宵から
8月15日宵にかけて
実家でホトケ祭りに専念します。
実家はインターネットのできない環境です。
したがいまして、
ブログ更新、メールのやりとりは、
この間、休止します。
週刊「阪俗研便り」も年一回の休刊です。

 

ホトケ祭りで何をする?
まず、経木に過去帳にある戒名を書き、
盆棚を仏壇の前に設えます。
門口でオガラを焚いて
ホトケさんを迎えます。

読経をお勤めします。

8月15日宵まで
朝夕の読経と
三度三度、精進物とお茶湯を供え、
十時、三時のおやつも欠かしません。
夜さりになると、
「餓鬼に施す 餓鬼に施す」と唱えながら
四つ辻に供えたお茶湯を撒きに出ます。

 

8月15日昼には
住職が参られ
施餓鬼の法要がされます。
8月15日宵には
白蒸しと送り団子をお供えをして、
門口で送り火を焚いて
ホトケさんを送ります。

送る場所は、堂島川に架かる玉江橋の
中之島バンクスです。
精霊流しは、
中之島精霊流し実行委員会が奉仕します。
写真図 「中之島精霊流し」のポスター

川面に向かって
蝋燭に火を点けて
合掌します。
今年は、一本松海運の船に
お供え物を積みこみます。

ボクは今年も

実行委員会の一員として奉仕します。

 

このお勤めの合間にボクは、
日本民俗学会年会の発表要旨を作成します。
西淀川区の水災地調査をまとめます。
まとまるかどうか微妙です。

 

という訳でボクにとって
「お盆の「休業」」なんぞ、
先祖を偲びつつ
自分に課した課題を果たす時間なのです。
しばらく
ブログはお休みします。

 

究会代表 田野 登

 

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