晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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今回も前回に引き続き
20年ほど前に書いた*拙稿を
 テキストとして話を進めます。
  *拙稿:「水都の異界を覗く」『まほら』20号、
      1999年7月、旅の文化研究所

 

今回2018年6月2日の下見では
坐摩神社行宮から
八軒家浜に下りて
天神橋の橋の下に向かいました。
写真図1 八軒家船着場

ウィキペディア「八軒家船着場
最終更新 2017年11月20日 (月) 08:45」によりますと、
2008年3月29日、
八軒家浜船着場が開設されたとあります。
19年前には
このような洒落た、常夜燈などありませんでした。

 

鬼が舌なめずりして待っていたという
天神橋の橋の下ですが、
今回は、若者たちが
遊び戯れていました。
写真図2 天神橋の橋の下

天神橋の橋の下空間も
公園緑地の一部なのでしょうか?
もはや「闇」でなくなり、
ガタロや鬼が入り込む
スペースではありません。

 

テキストは天神橋より
一つ上流の天満橋に視線を投げかけ、
中世の道筋を想像しています。
◇天満橋の下は大江の岸である。
 天満橋から天王寺までの
 上町台地の麓の道は、
 古来、熊野詣での道筋で御祓筋といった。
 往時、西に海を見ての
 信仰の道が通っていたのだ。

 

天満橋から御祓筋の角までは
土佐堀通を300m西に行きます。
往古、
上町の崖っぷちの下には、
海水がひたひたと迫っていたのでしょうか?
波間に入日を拝む聖なる道が
蜿々延びていたことでしょう。

 

テキストを続けます。
◇今度の休みには、
 もう一つの龍宮界からの駅場・
 天保山に連れてやろう。
 海遊館の水槽を覗けば甚平鮫が泳ぎ、
 鯛や平目が舞い踊る。
 しかも海に沈む夕陽の観光スポットでもある。
 龍宮界からの土産物ならたぁんとある。
 水都の異界を覗く旅はまだ半途なのだ。

 

こんな決意をしたものの
末っ子を連れて
天保山の海遊館に行った記憶がございません。
その後、長男と三人で舞洲に行って、
瀬戸内海を眺めたことは憶えています。

 

本シリーズ《水都大阪の異界を覗きます》は、
7月2日大阪区民カレッジ天王寺校での講義の
ウォーミングアップに綴りました。
当日は錦絵など図像を交えて
PowerPoint版で話します。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 


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今回も前回に引き続き
20年ほど前に書いた*拙稿を
 テキストとして話を進めます。
  *拙稿:「水都の異界を覗く」『まほら』20号、
      1999年7月、旅の文化研究所
前回は、
本町の曲がりの伝承ガタロを片付け、
ようやく東横堀の闇の世界から
脱出しました。

テキストの続きです。
◇東横堀に架かる橋を四つ過ぎて、
 大川に出た。
 東に天神橋が架かっている。

 

写真図1 東横堀川に架かる今橋から見た
       天神橋

左(北)は中之島剣先、
対岸の右(南)は北浜、八軒家です。
中央に架かる白いアーチ橋は
天神橋の南半分です。

 

テキストを続けます。
◇この橋は、天神祭の船渡御の晩、
 大江山からやって来た鬼たちが
 橋下に溢れ落ちる見物客を
 舌なめずりして待っていたという。
 (藤本義一「わが天神祭り」
 『日本随筆紀行』第17巻大阪)

 

ガタロの次は鬼です。
場所は橋の下で
時は祭りの宵です。
妖怪好きだった
旅の文化研究所所長の
今は亡き宮田 登先生なら
「妖怪出没境界論?」を持ち出されるかも知れません。
このエッセイを書いた当時のボクは
「宮田マジック」に取り憑かれていました。
今も卒業しきれていませんが・・・・。

 

引用した藤本義一の文章は、
船渡御に同船した
九十歳の芸人さんが話してくれたもので
「小咄のネタのように思える」とも
記されています。
どうせ笑話といってはなるまい。

 

天神橋の先の左岸は八軒家です。
現在の中央区北浜東から石町(こくまち)です。
鬼が出没するには
仕掛けがあります。

 

テキストを続けます。
◇鬼退治をした渡辺綱の本貫の地でもある。
 橋下を覗いてみた。
 誰もいなかった。
 この鬼の出る話も川との境界に暮らす人々を
 ネタにした噂話である。

 

八軒家周辺は、かつての渡辺津のあった場所です。
水上の武士団・渡辺党のキーステーションです。
坐摩神社行宮が鎮座します。

*坐摩神社公式サイトには
「全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地」とあります。
    *坐摩神社公式サイト
  :http://www.ikasuri.or.jp/yuisho.html

そこには神功皇后の腰掛け石が祀られています。

石町(こくまち)の由来がこの石からとの

伝承があります。

 

写真図2 坐摩神社行宮

この日、2018年6月2日は、
生憎、午後5時を過ぎていましたので、
扉は鎖されていましたので、
門扉越しに渡辺党の守護神を遙拝しました。

 

いよいよ異界をめぐる
小旅行も終わりが近づいてきました。
足早に天神橋の橋の下に向かいます。
以下、次号にまわします。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 


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今回も前回に引き続き
20年ほど前に書いた*拙稿を
 テキストとして話を進めます。
  *拙稿:「水都の異界を覗く」『まほら』20号、
      1999年7月、旅の文化研究所

 

前回は、当時のボクが生業ガタロと
本町の曲がりの伝承ガタロを
重ね合わせたことへの誤りを記しました。
気を取り直してテキストとする
19年前の拙稿記事の続きを取り上げます。

◇ガタロ説は、
 親が子に対して云う戒めの言葉である。
 大人の云うこの手の脅し文句には、
 いつも怖い異界が控えていた。

 

この「異界」という言葉を
ボクは「異境」といった距離的に
遠く離れた場所というより、
むしろ気遠い、心理的・時間的に
遠く離れた世界という意味で
用いました。
疎ましく、怖ろしい世界を
本町の曲がり淵の
水底に想像してみたのです。

 

写真図 本町橋から見た本町の曲がり淵
    写真では前方正面やや右側(西)

    フェンスに囲まれた場所に地蔵尊は祀られている。

テキストの続きを記します。
◇祟りの立つ空間は、
 霊の潜む異界との境目である。
 浜である。
 水底は異界である。
 この淵には怖い「龍宮」があるらしい。
  河底に潜むガタロというのは、
 死霊を目に見えるモノで
 合理化したものである。

 

「祟り」は示現です。
神仏諸霊から、祭祀を促すサインです。
人界に対し凶事でもって知らせます。
《水都大阪の異界を覗きます(6)
 2018-06-11 08:26:46》に
「平成九年七月吉日」設置の
曲がり淵地蔵尊由来説明板に
「年々入水する者が絶えなかった」と
記されていました。

 

地蔵尊由来を
ガタロ伝承と重ね合わせますと
妖怪であるガタロの霊が
年々の入水を唆した。
水底に引きずり込んだと解釈されます。

 

テキストの続きを記します。
◇ガタロは、いつも濡れ衣を着ているとはいえ、
 「川筋の民」への蔑視の眼差しで見られていた。

 

ここで「川筋の民」を
ガタロの換喩metonymyとすることの
誤りは前回記しました。
「蔑視の眼差し」を向け、
生業ガタロに濡れ衣を着せたのは、
19年前の自分で
大いに反省するところです。

 

今回、気づいたことですが、
曲がり淵地蔵尊の祈願に
水難除けが挙げられていますことから、
このお地蔵さんを祭祀し続けることは
川に棲むモノであるガタロを
宥和する心意が働いていると考えられます。

拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院の
〈15 野里の岩見重太郎伝説〉においてとりあげた、
野里住吉神社の一夜官女祭は、
しばしば洪水の危険にさらされることから、
川に棲むモノと宥和をはかるために
奉斎されたのでした。
次回は天神橋での怪異です。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 


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今回も前回に引き続き
20年ほど前に書いた*拙稿を
 テキストとして話を進めます。
  *拙稿:「水都の異界を覗く」『まほら』20号、
      1999年7月、旅の文化研究所

 

前回は、水難をガタロの仕業だとする説を
引いた上で次の記述を挙げました。
◇・・・・生業のガタロは、
 川の浅瀬で金気を漁る廃品回収業者であった。

 

今、思いますに
本町の曲がりのガタロに生業のガタロを
引き合いに出すのは、お門違いであって、
当時のボクの認識が浅はかで
この生業に対する偏見があったことに
気づきました。

 

*三田純市「ガタロと肥汲舟」に
道頓堀の太左衛門橋において、
潜水夫がものものしい装具に身を固めて
川の中へ入って行くのを目にしての
会話が記されています。
 *三田純市「ガタロと肥汲舟」
 『日本随筆紀行第17巻』1987年、作品社
 初出『大阪弁のある風景』1986年、東方出版

 

◆「サア、私(ルビ:わて)もはっきりしりまへんねけど、
 大方、なんぞ大事な物が
 川へ落(ルビ:はま)ったんだっしゃろな」
 「あの男がそれを拾うんでっか」
 「そうでっしゃろ。あれ、潜水夫と言いますのや」
 「なるほど、潜水夫、ねえ。
 はやいはなし、ガタロの親分でんな、あれは」

 

野次馬は、潜水夫が「ガタロの親分」と言ってます。
これについて「ガタロと肥汲舟」の続きでは
次のように打ち消しています。
◆ガタロ-河太郎と書く。
 薄かついだ河太郎(ルビ:かわたろう)、

 というあの河太郎、
 つまり河童のことだが、
 それを大阪では

  カワタロウとは言わず、ガタロという。
 しかし、ここで

  野次馬の言ったガタロというのは
 河童とはまた別で、
 それは大阪の河川に特有の、人間の

  それも職業(ルビ:しょうばい)の一つである。
 ゴムの胸当て、
 ゴムの股引(ルビ:ぱっち)、
 その上にゴムの長靴を履き、
 腰のまわりに袋や桶をくくりつけ、
 手には大きな箕を持って川のなかへ入って行く。
 そして浅瀬の泥を掬っては、
 金属品(ルビ:かなけ)のものや、
 ガラスの破片などをふるい分け、
 金目のものは腰につけた袋へ、
 その他のものは桶へ、

  といったように仕分ける。
 つまり河中専門のバタ屋と思えばよい。

 

なぜ、「河中専門のバタ屋」を

河童に見立てたのでしょう。
*『日本国語大辞典』の「が-たろ【河太郎】」を
繰りました。
 *『日本国語大辞典』:『日本国語大辞典』第四巻、
           1973年第一版、小学館
◆(「がわたろう」の変化した語という)
 ➀「かっぱ」の異称。(中略)
 ②(➀の姿に似ているところからいう)
 胸まであるゴム長靴をはき、川底の泥を、
 ざる、または金網ですくいとり、
 金属などをより分けることを業とする

  拾い屋の通称。

 

「姿に似ているところから」とあって、
けっして水中での生業に対しての連想が働いての
呼称ではなかったのです。

 

そのことを踏まえて
テキストとした20年前の記事を
読み返さなければなりません。
いずれ、「本町の曲がりの怪異」を
稿を改めて記すとして、
次回は、テキストの続きを
取り上げます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 


テーマ:

今回も前回に引き続き
20年ほど前に書いた*拙稿を
 テキストとして話を進めます。
  *拙稿:「水都の異界を覗く」『まほら』20号、
      1999年7月、旅の文化研究所

テキストは、本町の曲がりの地蔵尊まで
辿り着きました。


◇説明板には、昔、この曲がりは渦をなし、
 年々入水する者が絶えなかった。
 それで水難除けの地蔵尊を祀り供養したとある。

 

写真図 曲がり地蔵尊祠

今回の再訪では、
この説明板が記された年月日を
「平成九年七月吉日」と知りましたので、
『まほら』記事取材は平成11年ですので
同じ説明板です。
『まほら』記事の要約を原文に置き換えます。

 

◆曲がり地蔵尊の由来は、
 太閤の時代にさかのぼる。
 太閤が東横堀川を掘り割った当時、
 この地にあった浄国寺(永禄八年開基)をさけ、
 川筋を曲げたため、
 俗称「曲がり」が発生した。
 この「曲がり」のため流水は
 岸に当たり渦をなし、
 年々入水する者が絶えなかったという。
 ここに町民相謀り、
 水難除の地蔵尊を祀り、
 供養したのが始まりと言われる。・・・・

 

東横堀川開削を「太閤の時代」とありますのは、
『角川日本地名大辞典 27大阪府』1978年にある
「文禄3年」「天正13年」開削との記述があり、
いずれであれ、豊臣秀吉が生存中であって矛盾はありません。
「曲がり」の発生、
入水者が絶えなかったことについては、
確かめようがありません。

 

この件について、テキストは、
この水難事故について、
巷間の俗説を引いています。
テキストに戻ります。
◇この水難をガタロの仕業だとする説もある。
 大阪版の河童である。
 「ガタロが棲んでいるから、
 あの浜で遊んではならないと、
 きびしく止められた」
 (牧村史陽1974年
 『大阪ことば事典』講談社学術文庫)とある。
 生業のガタロは、
 川の浅瀬で金気を漁る廃品回収業者であった。

 

『大阪ことば事典』の引用は
「ガタロ」の項からですが、
「曲がり」にも同様の記事が見えます。
◆・・・水流の関係で、
 常に渦を巻いていて、
 そこにガタロが棲んでいるといわれて
 恐れられたものである。

 

『大阪ことば事典』の記述は、
伝承に基づくものであります。
その伝承は
「曲がりにはガタロが棲んでいる」といった
シンプルなもので、
何故、浜で遊んではならないのか、
何故、恐れられたのかが分かりません。
また、説明板にある
「入水する者が絶えなかった」とする記事も
見当たりません。

 

今回、柳田国男の「河童駒引」を読み返しました。
大阪での巷間俗説を柳田記述に照らすことにします。
「阪俗」を民俗記事に位置づけたいのです。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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