前回の《暮らしの古典134話 なのりそ》の結びは、
「折口の「祖の字=母」言説を1924年9月以前に遡って考察しようと思います。
背景に「妣(はは)の国」への想いが控えているようです」でした。
今回のタイトルは「於母影」です。
「妣」ではありませんが、ちゃんと漢字の「はは」が入っております。
訓みは「おもかげ」であります。
森鷗外の訳詩集のタイトルです。
「於母影」の「於母」を「おも」と訓じるのは、歴とした「万葉語」です。
万葉集での「おも」の表意表記には「母」「乳母」があります。
如何にも「母を想う」といった思わせぶりなタイトルですが、
「おもかげ」の用例にも、母を想い慕って、
如何にも母の顔立ちが思い浮かびそうです。
光る源氏の物語での藤壺女御は、あらぬことか、
義子たる光る君と不義の契りを結びます。
光る君からすれば、亡き母の面影を慕っての恋でした。
はたして光る君にとって何人目の女性だったのでしょう。
本題の*折口「妣の国」1920年論文の何処に「おもかげ」が見えるやら?
*折口「妣の国」1920年:「妣が国へ・常世へ―異郷意識の起伏」
『折口信夫全集2』1995年、中央公論社、
初出1920年5月、『国学院雑誌』第26巻第5号
「妣が国へ・常世へ―異郷意識の起伏(その一)」
折口「妣の国」1920年は『全集2』に12頁に及ぶ論文で
その梗概を記すだけの力量が無いゆえに
*リンジー・モリソン2022年論文の記事を引用します。
*リンジー・モリソン2022年論文:リンジー・モリソン2022年3月
「「妣の国」解釈の再考
―古代日本人の「魂のふる郷」を捉え直す」
『アジア文化研究』48号
モリソン2022年論文ではスサノオ、イナヒの「妣の国」恋慕を
「本つ国に関する万人共通の憧れ心をこめた語」とした上で次のとおり記述しています。
◆ここで折口は10年前の記憶を掘り起こして、
三重県の大王崎から海を眺めて妙な郷愁に浸った経験を回想している。
その時、波路の遙か向こう側に古代日本人が恋い慕った「妣が国」
(本稿では「妣の国」と表記する)、
すなわち日本人の「魂のふる郷」があると悟ったという。
それは遠い先祖の「間歇遺伝」、
いわば隔世遺伝を通して伝承された想念だと述べるほど、
折口はこの経験に強く心を打たれたようである。
この「妣の国」とはいったい何か。
『古事記』にはわずか3例しかない語であるが、
その言葉および観念が持つ情緒力は実に多大である。
写真図 三重県の大王崎のイラスト

このようにアジア文化研究者をして惹き付けた、
折口「妣の国」1920年の冒頭は以下のとおりです。
◆われ/\の祖たちが、まだ、青雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。
而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父・曾祖父の代まで、萌えては朽ち、
絶えては蘖ひこばえして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦りに連れて、
起伏して来た感情ではある。
先祖代々、潰えては芽生えを繰り返す、
「民族の心の波の畦りに連れて、起伏して来た感情」とは
いったい何なのでしょう。
神の意を表す「しめすへん」の「祖」には「オヤ」、
「祖父・曾祖父の代」の「祖父・曾祖父」には「ヂヾ」「ヒヂヾ」のルビが振られています。
世代を数えるのに、この国では男親・父親の漢字を宛てています。
折口「妣の国」1920年に女偏の漢字を見つけるのに私は躍起になりました。
◆すさのをのみことが、青山を枯山カラヤマなす迄慕ひ歎き、
いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、
われ/\の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。
いざなみのみこと・たまよりひめの還りいます国なるからの名と言ふのは、
世々の語部の解釈で、誠は、
かの本つ国に関する万人共通の憧れ心をこめた語なのであつた。
漸く見つけた女偏の漢字は「妣が国」の「妣」でルビは「ハヽ」でした。
『全集本』にして冒頭から数えて40行目でした。
スサノオ、イナヒの記事中の「「妣ハヽが国」は、
「われ/\の祖たちの恋慕した魂のふる郷」でした。
「母」を求めて続きを読みました。
◆而も、其国土を、父の国と喚ばなかつたには、訣があると思ふ。
第一の想像は、母権時代の俤を見せて居るものと見る。
即、母の家に別れて来た若者たちの、此島国を北へ/\移つて行くに連れて、
愈強くなつて来た懐郷心とするのである。
「母権時代」の「母」は44行目、「母の家」の「母」は45行目です。
「母権時代」は「母権時代の俤」にある語です。
「俤」には「おもかげ」のルビがあり、
その「おもかげ」はタイトルの「於母影」を宛てることもできます。
漢字「俤」は国字のようです。
母の影を慕って、
折口は「母権時代の俤」をスサノオ神話を読み取ったのでしょうか?
次回は、『古事記』原文に照らしながら、
折口「妣の国」1920年の世界に踏み込んでみようと考えています。
折口「祖の字=母」言説を確かめたいがためです。
大阪民俗学研究会代表
新いちょう大学校講師 田野 登