今回のタイトルは「虎豹の皮」です。
世評、大阪のオバちゃんが身に纏う、あの派手な柄を想像してください。
何かの呪い(まじない)なのでしょうか?
写真図 「大阪のオバちゃん」イメージ無料イラスト
『古事記伝』にあった
「虎をも狼をも神と云ること、書紀万葉などに見え…」を踏まえ、
今回も「虎」の神としての属性を探ります。
前回の『万葉集』に引き続き『日本書紀』に見える「虎」を探究します。
*「雄略天皇9年5月」の記事に「龍」と並んで「虎」の漢字が見えます。
*「雄略天皇9年5月」:『日本書紀上』1967年、日本古典文学大系67、
岩波書店
◆天皇勅二大連一、大将軍紀小弓宿祢、龍驤虎視、
旁眺二八維一。掩二討逆節一、折二衝四海一。
然即身労二万里一、命墜二三韓一。
天皇雄略の詔に「大将軍紀小弓宿祢」の戦地での最期の記事です。
「龍驤虎視」の訳文は「龍(たつ)のごとく驤り(あがー)虎のごとく視て(みー)」
「旁眺八維」の訳文は「旁く(あまねー)八維(やも)を眺る(み‐)」。
「八維」は頭注に「天下四方四角」とあります。
「掩討逆節」の訳文は
「逆節(そむくもの)を掩ひ討ち(おほーうー)て」とあり、
「掩」は字音「エン」、「掩討」について頭注に「掩襲討伐」とあります。
「命墜三韓」の訳文は
「命(いのち)三韓(からくに)に墜ぬ(し-)」とあります。
「三韓」は頭注に「高麗・百済・新羅の総称」とあります。
紀小弓は朝鮮半島の地で果てたと読み取られます。
此の件は、史実か否かはともかく、
東アジア緊張の時代を物語る情勢が読み取られます。
*『大漢和辞典』12の記事を引きながら解説します。
*『大漢和辞典』12:諸橋轍次『大漢和辞典』巻12、1959年初版、
大修館書店
「龍驤」の「驤」について
「馬首があがる。馬がはしる時に首をあげる」とあり、
「龍驤」については次のとおり記されています。
◆龍のやうに躍りのぼる。勢の盛な形容。[注] 驤、挙也…
随分、気勢を挙げて戦いに臨んだのでしょう。
「龍驤虎視」の「虎視」は「虎視眈々」とする形相です。
*『大漢和辞典』9に「虎視眈々」ついて次のとおり記されています。
*『大漢和辞典』9:諸橋轍次『大漢和辞典』9巻、1958年初版、
大修館書店
◆[虎視眈眈]コシタンタン 耽耽は、虎が下視するさま。
極めて威厳あるにいふ。
転じて、強国が弱国を併吞せんとして情勢を窺ふ喩。
此の文脈からは、「倭」が「三韓」に睨みを利かせ、
狙っている様を想像します。
此処での「虎」は、勢力に任せる「威厳ある獣」として述べられています。
「雄略紀」記事の信憑性について『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店
「雄略天皇」は「記紀に記された5世紀後半の天皇」と確かめられます。
物語的記述の信憑性や如何?
「龍驤虎視」記事の「虎」も、
『日本書紀』編纂のあった奈良朝官僚の舶来知識「漢籍」により
文飾された「古事の語り」、「怪しむべき言葉のアヤ」とみるべきでしょう。
次に「虎」記事があるのは「皇極紀」であります。
「皇極天皇」についての『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店に
「7世紀前半の女帝。…舒明天皇の皇后。天智・天武天皇の母」とあります。
然れば*「皇極天皇4年4月」に見える「虎」や如何?
*「皇極天皇4年4月」:『日本書紀下』1965年、日本古典文学大系68、
岩波書店
◆夏四月戊戌朔、高麗学問僧等言、
同学鞍作得志、以レ虎為レ友、学二取其術一。
或使二枯山一変為二青山一。
此処に見える獣「虎」は
「同学鞍作得志」の友と為るなどあり得ない記事です。
訳文では「同学鞍作得志…」以下「…与毒殺之」まで鉤括弧に括り
「高麗(こま)の学問(ものならふ)
僧等(ほふしら)言さく(まう)――」としています。
「術」のルビは「ばけ」。
頭注に「忍術の一種か。バケは化ケの意か」とあり、
「或使枯山変為青山」の頭注に
「このような歴史の大筋に関係ない挿話をここにのせたのも、
時代の変転するあやしさを暗に示そうとする
編者の心遣いであろうか」とあります。
「あやしさ」に注目します。
此の一連の「虎」を話題とする話は、
後に続く針による治療の話など「種々奇術」
訳文では「種々の(くさぐさー)奇しき(あやーー)術」とあります。
「虎」の持つ「あやしさ」に乗じての挿話というべきでしょう。
次に「虎」は*「天武即位前紀」に見えます。
其処では、「神としての属性」が窺えるや否や?
*「天武即位前紀」:『日本書紀下』1965年、日本古典文学大系68、
岩波書店
◆四年冬十月庚辰、天皇臥病。(中略)
壬午*(19日)、*(大海人皇子)入二吉野宮一。(中略)
或曰、虎着レ翼放之。是夕、御二嶋宮一。
癸未*(20日)、至二吉野一而居之。
「虎着レ翼放之」に「虎」が見えます。
頭注「四年冬十月庚辰」には、
「天智10年。以下大海人皇子の吉野への退去の事情については、
天智10年10月17日条・同19日条にも見える」とあります。
大海人皇子、後の天武天皇は吉野の宮に一度「退去」して
この日の夕べ「是夕」に、
訳文「嶋の宮(しまのみや)に御し(おはー)ます」とあります。
「嶋宮」は「補注28-四」に
「奈良県高市郡明日香村島ノ庄にあった離宮」とあります。
「或曰」にある「虎着レ翼放之」の訳文は
「虎に翼を着けて放てり」
頭注に「いよいよ勢いを増すことの譬喩」とあります。
『大漢和辞典』巻9の「為レ虎伝レ翼」には
「トラノタメニツバサヲツク 猛悪の人に威勢を添へる喩」とあります。
「虎」は、此処では「神」ならぬ「猛悪の人」となります。
此れでは大海人皇子は神どころか、悪者になります。
最後に『日本書紀』に見える「虎」は
*「天武天皇下 朱鳥元年夏4月」記事です。
*「天武天皇下…」:『日本書紀下』1965年、日本古典文学大系68、
岩波書店
「朱鳥元年」は、685年ですので、
「即位前」記事が671年の34年後の記事です。
時を経て新羅からの貢物が筑紫を介して献上される記事です。
此れに標題の「虎豹の皮」が見えます。
◆戊子新羅進調、従筑紫貢上。
細馬一匹・騾一頭・犬二狗・金器、鏤金銀、霞錦綾羅、虎豹皮。
及薬物之類、并百余種。亦智祥・健勲等別献物、
金銀、霞錦綾羅、金器屏風、鞍皮絹布、薬物之類、各六十余種。
別献二上皇后・皇太子及諸親王等一之物、各有レ数。
「智祥」「健勲」の何れも新羅の官吏です。
馬と驢馬の混血種、犬、錦織、金の器など
新羅の名産品と思しき品々に交じって標題の「虎豹皮」が見えます。
きっと褥「しとね」に仕上げられた品でしょう。
此の貢物に如何なるメッセージが込められているのでしょう。
『大漢和辞典』巻9の[虎豹之皮]に次の記述があります。
身に着すれば如何?
◆[虎豹之皮]コヘウノカハ 虎と豹の皮。
[礼、郊特牲] 虎豹之皮、示レ服レ猛也。
虎豹の猛々しさに肖ることが出来るというのでしょうか?
エネルギッシュな大阪のオバちゃん方の心意気や如何?
此の[虎豹之皮]解釈には問題が残ります。
「虎豹皮」の訳文のルビは「とらなかつかみのかは」とあります。
「豹」にあてられたルビは「なかつかみ」で、「神」やも知れぬ。
次回は「虎」に引き続き「豹」を『日本書紀』に当り
「神的属性」を探ります。
儒仏の呪い(のろい)から逃れて「神性」を探索することになりそうです。
大阪民俗学研究会代表 田野 登



