晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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今秋の大阪あそ歩「浦江・大仁コース」は、
2018年11月24日(土)にガイドします。
先週土曜日に下見をしました。
街を歩けば
毎回、発見があるものです。

集合場所のJR福島駅を出て
福島聖天通商店街を西へ、
昭和初期の聖天川跡の道路を渡り
振り返ってワンショット。
写真図1 聖天通から福島聖天通

福島聖天通は、

お馴染みの「売れても占い商店街」
こちらの鷺洲側の聖天通ゲートは、
聖天さんのシンボルの一つ、巾着をあしらってます。
性愛の神・大聖歓喜天と巾着とは、
意味深長です。

「だいこん祭り」の幟を発見しました。
早速、商店街理事長さんの店に立ち寄り
チラシを頂戴しました。
許可を得て、ブログアップします。
写真図2 チラシ

「聖天さんの表参道で
  食べて参ろう 聖天だいこん」とあります。
聖天さんは東寺真言宗のお寺です。
正面の石の鳥居は弘法大師御遠忌1150年記念に
建立されたものです。

大根と弘法大師と云えば
寒夜、訪ねられた弘法大師さんに
大根を振る舞ったとかいう話は
全国各地に伝わります。
大根と云えば、もう一つ。
大聖歓喜天では二股大根がシンボルです。
こちらの聖天さんは
二股ではなく何故か交叉しています。
写真図3 交叉する大根の紋章


聖天さんにはさまざまな神仏が
祀られてます。
ただ、祀られているだけではありません。
触れると御利益があるそうな。
ビンズルさん、重軽さん、役行者の下駄など
今や参拝者参加型の願掛けが案内されています。

お隣の妙壽寺は、
「浦江のお稲荷さん」の赤い幟があるお寺。
ガードを潜れば北区大淀南。
浦江八坂さんこと素戔嗚尊神社。
参道の桜の秋は紅葉が見ものです。
写真図4  素戔嗚尊神社の参道

はたして今秋は如何なものでしょうか?
桜の木は四季を通じて気を揉ませます。

ゴールは新梅田シティ。
11月24日(土)当日は
「ドイツ・クリスマスマーケット大阪2018」の
期間中です。
下見当日は準備中でした。
写真図5 新梅田シティワンダースクエアは準備中

浦江・大仁コース秋の魅力は、
下町風情の泥臭さを感じ、
最後は新梅田シティでクリスマス気分に浸る。
これぞ近場のツーリズムです。

大阪あそ歩「浦江・大仁コース」の詳しくは
  ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course562.html

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登


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「鷺洲村」の訓みは?
 現行町名「鷺洲」が「さぎす」だから
「さぎす」を自明のこととしてきました。

ところが『角川日本地名大辞典 27大阪府』1978年には
次の記述があります。
◆さぎしま 鷺洲〈大阪市〉
 鷺島とも書いた。淀川下流域に位置する。
 [中世]鷺島荘(中略)
 [近代]鷺洲村
 [近代]鷺洲町

[近世]の記述が無くて[近代]に至り
「島」が「洲」に変わって登場します。
この時の「洲」が「しま」か「す」なのかが
問題なのですが、
角川辞典では「さぎしま」の項にあります。                                   、ふ

『鷺洲町史』1925年には
訓みの記述はありません。
唯、吉田東伍1900年『大日本地名辞典』第2を
そのまま引くだけです。
◆鷺洲(ルビ:さきしま)
 野田福島の北を鷺島と曰ふ。
 今大仁浦江海老江塚本を合併し
 鷺洲村を立つ。(以下略)

ルビからして「さぎしま」でしょう。
「鷺洲」の典拠は
中世「鷺島荘」とする文脈に通じます。

これに対して、『西成郡史』西成郡役所、初版1915年、
復刻版1972年、名著出版や如何?

◆・・・・其村名を鷺洲村と撰定せしは、
 蓋し鷺島なる旧称と海老洲の古名
 《半角割注:此名難波古図に出つ》とに覓めたるならん
 《半角割注:
  西成郡町村分合取調書には
  単に鷺島荘なりしを以て鷺洲村となすと作る》

『郡史』によれば
鷺島の「鷺」と海老洲の「洲」が合体して
「鷺洲」になったというのです。

 

《「海老洲」の載る地図:2016-09-01 17:28:32》
https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12195783274.html
これには「浪花古図 第六 天保13写」を
取り上げ
「鷺嶋」「海老洌」の表記を読み取りました。
「洌」を「洲」に読み替えれば
「海老洲」です。

それなら「えびす」それとも「えびしま」
何れの訓みを採るのが良いのでしょうか?
まだ、しばらく「さぎす」「さぎしま」の
疑問は解けないようです。

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登


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近世浦江の田園風景を叙した
文章が見当たらずに
ちょっと凹んでましたが、
『鷺洲町史』1925年を再読して
ようやく見つけました。

《第一編 序説》から抜きます。


◆降りて*文久3(1863)年改正大阪全図を見るに、
 北長柄の付近より浦江を通し、
 野田新家に於て木津川に合せる一川を画せられ、
 *天保7(1836)年増補改正摂津国名所旧跡細見大絵図に至るまで
 此の一川の記入せられざるはなし。
 而して上古に溯る程川幅広く、殆ど木津川と分ち難し。

 

北長柄から浦江を通し、
野田新家に至る
「此の一川」とは本ブログの
《「聖天川」以前の呼称2018-10-28 21:01:21》の
羽間市蔵氏所蔵「安永年間海老江村」図にある
「南中嶌水道筋」です。
『町史』に見える「聖天川」です。
ただし野田村領に入っては
この名称は未確認です。

 

《第一編 序説》を続けます。
浦江の風景を叙します。
◆然らば即ち浦江の地は、極めて近世迄、
 中津川の支流に沿ひたる水汀曲浦の地にして、
 白帆漁舟は朝夕来往し、
 漁歌欵乃*(アイダイ:ふなうた)の声は
 騒人雅客の心を楽しめしこと、
 浦江と称する地名に徹して想像に難からざるなり。

 

「欵乃」は*『広辞苑』によれば、
次のとおりです。
あい‐だい【欸乃】
(アイナイとも)漁夫が船をこぎながら歌う歌。ふなうた。
 *『広辞苑』:新村出編2008年『広辞苑第6版』岩波書店

「中津川の支流に沿ひたる
水汀曲浦の地」とあります。
水路がめぐる浦江なのでしょうか?
「南中嶌水道筋」から
枝分かれした井路に及ぶ風景でしょうか?
到底、井路川末期の
悲惨な情景からは想像できない
佳景です。

 

浦江の原風景は
水辺にある里「水郷」なのでしょうか?
いずれ、歌枕「田蓑の嶋」について
述べることにします。
大阪あそ歩「浦江・大仁コース」の
下見は今週末。

大阪あそ歩「浦江・大仁コース」に
興味がある方は
  ↓ここをクリック
  https://www.osaka-asobo.jp/course562.html

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 


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2018年11月17日(土)午後、
市岡尻無川コースをガイドします。
一番の見どころは、尻無川水門です。
写真図1 尻無川水門から海を臨む

大正内港に架かる千歳橋の青い主橋梁部が
遙か前方、真正面(南西)に見えます。
その先にも街は広がっています。

この工業地帯に

印象派の光景をボクは想像します。

 

集合場所はJR弁天町駅南口改札です。
写真図2 JR弁天町駅南口改札

最初、3本線の「市岡」こと市岡高校を目指します。
その前に市岡元町公園南東の高低差を実見します。
写真図3 市岡元町公園南東の高低差

戦禍に遭い焼け野原となった上に、
相次ぐ台風による水害、ついに
この地に地上げ嵩上げが行われました。
災害の歴史が目に見える場所でもあります。
港区を東西に走る「みなと通り」より北は
新しく出来た土地に築かれた街なのです。

 

大阪市電唱歌に「磯路まぢかく来れども
 波は音せぬ夕凪や」と謳われた磯路の秋は
桜紅葉が見ものです。

昔の市岡自動車教習所は、
「市岡」の名が消えて
いまや「大阪みなとドライビングスクール」です。
ここには謎めいたモダンな石造物があります。
写真図4 大阪みなとドライビングスクールの謎の石造物

早過ぎた遊園地「市岡パラダイスの遺物」と思いきや。
課長さんにお聴きしたところ、□□橋の橋柱とのこと。

 

夕凪堤は、市岡新田の防波堤でした。
今や如何?
「波は音せぬ夕凪」です。
嵩上げ工事の際、校舎を生徒たちが曳いたと聞く
港南中学校の傍らの高低差を実見し、
一路、甚兵衛渡船場の尻無川に出ます。

錦絵「しりなし漆づつみ甚兵衛小家」の
場所は尻無川右岸の港区福崎です。
大正区ではありません。
《写真図1 尻無川水門から海を臨む》は、
少しばかり上流の景色です。
甚兵衛渡船場から尻無川上流を撮りました。
少しズームアップしました。
正面のアーチは尻無川水門です。
写真図5 尻無川水門から都心部を望む

水門のアーチの内側に見えるドームは
京セラドーム大阪です。
尻無川水門完成は1970年、
京セラドーム大阪(大阪ドーム)開場は19997年です。
比較的、新しい水辺の都市景観なのです。

 

この後、ツァーは
尻無右岸を都心部に向けて溯ります。
途中、鳥の羽音に驚かされ、
水面を見ると、波紋が広がっていたりして・・・・
鴨の着水でした。

何よりも浜に沿って瓦葺きの倉庫が
建ち並んでいる景観は、
この地ならではの見ものです。
それもそのはず。瓦屋倉庫です。
写真図6 瓦屋倉庫

波静かな尻無河畔に
淡路の瓦屋が集住しはじめたのは、
大正時代とのこと。
これらの光景は、
尻無河畔「奇観」というべきでしょう。

 

大阪あそ歩「市岡尻無川」コースの詳しくは
  ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course293.html

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

 


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先々週の土曜日、2018年10月27日
阪俗研会友の久木治男さんのご案内で
待望の「豊中地蔵さん歩」に参加しました。

同行した今村一善さんからの
レポートの続きを載せます。
◆そこから、街を歩けば、次から次へと、
 公園の敷地、ガレージの端、軒下、
 自販機の横、道か私有地か微妙な土地ていうか、
 道、通りに面していたり、通りに背を向けてたり、
 石だったり、木だったり、
 仏教っぽかったり、神道っぽかったり、
 こまめに生花が供えられていたり、
 ちょっとほったらかされていたり、
 地蔵盆には子供にお菓子を配ったり、
 祠の形や大きさ、賽銭箱の鍵から、固定資産税まで、
 どんな視点からも、興味がかき立てられ、高揚した時間を過ごした。
 そして、とどめに、とある町で、お話しいただいた。
 「うちの庭にも、お地蔵さんいてますよ」
 「ここら辺、そういうお家多いですよ」
 あぁ、この調査の沼は深い。

以下、田野による書き込み。
この地の街を歩きますと、
一見、お地蔵さんとは無縁かと思えるような
商店街にも大事に祀られています。
「自販機の横」に祠が肩を並べてあるのです。
お地蔵さんは、
車除けのプロテクターで守られていました。
写真図1 自販機の横の地蔵祠(本町3)

さぞかし、代受苦とて、
車からお店を守るために身を呈されたことでしょう。

お地蔵さんの信仰は、習俗か?宗教か?で
今から30年程前に法廷に持ち込まれたことがあります。
判決は習俗を主張した側に軍配が上がりました。
「公園の敷地」と思しき場所に
たくさん祀られていました。
写真図2 公園の敷地?(中桜塚2)の地蔵祠

さぞや、この公園は地蔵盆には踊るのに
相応しい場所ですが、如何でしょうか?

お地蔵さんは町内で祀るものと
決めてかかると
そうでもない場合があるようです。

「うちの庭にも、お地蔵さんいてますよ」
「ここら辺、そういうお家多いですよ」となれば、
個人宅で祀るのが先か?集落や町内が先なのか、
わからなくなります。
写真図3 屋外で祠無し(熊野町3)の地蔵尊群

今村レポートにある会話の場所は
千里丘陵の裾、
豊中台地東部に位置する、旧称「熊野田」です。
「熊野田」は古いお屋敷の傍らに
お地蔵さんが
固まって祀られている不思議な場所です。

 

久木さんから
とっておきの場所を案内されました。
その名は、ずばり「寄せ地蔵」です。
写真図4 寄せ地蔵(熊野町1)

ここでは、
祀りの場所をめぐって
ご神意を忖度して現在の場所に
結着が付いたとか?
なんぞやったようです。
路上の真ん中に馬蹄形をした
御影石の囲みの中に、
29体安置されています。

地蔵信仰は、
場所を変え、祀る人が変わろうとも
祀り継がれているようです。
いずれ、浦江塾でお話ししていただくことになります。

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

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