小正月が過ぎたばかりなのに、お彼岸の中日の話題です。
タイトル「懸鼓」の「鼓」の訓読みは「つづみ」ですネ。
いったい何の譬えでしょう。
「大阪の春」シリーズで、今回は2015年3月21日、
四天王寺での「日想観勤行行儀」の模様を取り上げ、
その時、撮影した画像を絵解きすることにします。
この年も檀那寺である浦江妙寿寺の法会の後、
四天王寺に赴きました。
写真図1 四天王寺西門前 20150321
西門前は善男善女で賑わっています。
写真図2 石の鳥居の扁額 20150321
西門の石の鳥居の扁額には
「釈迦如来 転法輪所
当極楽土 東門中心」と書かれています。
四天王寺の西門は
極楽の東門と伝わります。
鳥居前には托鉢僧が左手に錫杖、右手に鉢、笠を被って立っています。
看板に「3月21日 彼岸中日
日想観[じっそうかん]
午後5時20分 参集 極楽門」と大書されています。
四天王寺では「じっそうかん」、一心寺では「にっそうかん」です。
山内を巡拝した後、極楽門に向かいました。
僧侶が行列を成して参拝客の前を通過します。
やがて勤行が始まります。
当日、配布された「四天王寺日想観勤行儀」によりますと
進行は以下のとおりです。
春分・秋分の日 午後5時20分~ 於 極楽門
先 三礼/次 表白文/次 発願文
次 誦経 開経偈 般若心経
次 日想観文 導師之を唱える/次 観経文
次 念仏/次 念仏回向偈
極楽門に参集した参拝客が一斉に「般若心経」を誦経するとは、
何というご縁でしょう。
「袖触れ合うも他生の縁」なのか、互いに同行者です。
「日想観文」を導師が唱えます。
「日想観文」は、「観無量寿経」の「十六観法の第一」であります。
冒頭の「韋提希」については『広辞苑 第七版』2018年、岩波書店に
次の記述があります。
◆(梵語 Vaideh?)古代インド、マガダ国王頻婆娑羅(びんばしゃら)の后。
子の阿闍世(あじゃせ)太子に幽閉され、釈尊に説法を請うた時、
釈尊の説いたのが「観無量寿経」であると伝えられる。
以下、釈尊の言葉の翻訳となります。
その「日想観文」を掲載します。
改行は私的なもので、随時、区切って註釈を書き込みます。
◆ほとけ 韋提希(いだいけ)に
告げたまはく
汝及び衆生、まさに心を専にして
念を一処に撃け(かけ)
西方を想ふべし
いかんが想を作さ(なさ)む
凡そ想を作すとは
一切衆生、みな日の没するを見よ
*『日本佛教語辞典』1988年、岩波書店「日想観」には
「太陽が西に沈むのを見て、
極楽浄土が西にあると観ずること」とあります。
◆まさに、想念を起して
正座して西に向ひ
諦か(あきらか)に日を観ずべし
心をして堅住し
想を専らにして
移らざらしめて
日没せむと欲して
かたち懸鼓(げんこ)の如くなるを見よ
専心集中して日没を見よとあります。
タイトルの「懸鼓の如くなる」が出ました。
奈良文化財研究所「木簡庫」に次の記述があります。
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK031046000214
◆「懸鼓」は五経に散見する言葉で、『儀礼』大射では「建鼓」。
もとは、木に鼓を吊るしたもので、
のちに日の出もしくは日の入りの太陽の様子を表す表現となった。
「懸鼓」は「日輪」の隠喩でありました。
引用を続けます。
◆既に日を見をはりなば
目(まなこ)を閉じ、
目を開かむに
皆明了(みょうりょう)ならしめよ
是れを日想(にっそう)とし
名づけて初観という
「十六観法」とは、「日」に続く
「水・地・宝樹・宝池など16種の観法」をいうと
『日本佛教語辞典』にあります。
当日、太陽は、石の鳥居の左(南)上から、
右(北)下に沈みました。
鳥居の真中を通過する、その瞬間を
一斉にシャッターが切られましたが、
ボクの画像は生憎、ハレーションを起した画像でした。
写真図4 鳥居の真中を太陽が通過する瞬間 20150321
むしろ雑踏を擦り抜けて、
逢坂の彼方に大らかに沈む「懸鼓」を捉えるのに成功しました。
写真図5 逢坂の彼方に沈む夕陽 20150321
次回は、四天王寺「日想観勤行行儀」創成に至るまでの過程を
「日想」「日想観」という言葉を軸に論究することにします。
大阪民俗学研究会代表 田野 登
















